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太田述正コラム#7842005.7.8

<欧州における歴史的瞬間(その1)>

1 始めに

 今、われわれは、欧州における歴史的瞬間に立ち会っています。

 それがどういうことか、ご説明しましょう。

 私はかねてより、人類の近現代史を貫く最大のテーマはアングロサクソンと欧州とのせめぎあいである、と申し上げてきました。

 しかし、先の大戦で、欧州が生み出したファシズムが粉砕され、次いで欧州がやはり生み出した共産主義が冷戦の終焉によって欧州及び欧州の周縁のロシアにおいて瓦解し、欧州はここにアングロサクソンに完全に敗れさったのでした。

 こうして、近現代史の第一幕の幕が下ろされたわけです(注1)。

 (注1)中共は、共産主義からファシズムに鞍替えしつつも、依然欧州の生み出したイデオロギーでアングロサクソンに対抗しているように見えるが、自由・民主主義に原理的に反対しているわけではない。北ベトナムも中共と同じ路線を歩みつつあるように見受けられるし、いまだに共産主義にしがみついている北朝鮮やキューバも体制変革は目前に迫っている。現在、唯一気を吐いているのはアルカーイダ系テロリスト等のイスラム原理主義勢力だが、彼らが近現代史の第二幕をこじ開けることができるかどうかは、依然不明だ。

 しかし、幕が下りても欧州のアングロサクソンに対する怨念は残りました。

 欧州、就中フランスがこの怨念を晴らすためにとった戦略が、社会民主主義の採択、並びに社会民主主義欧州の平和裏の統合・拡大です。

 社会民主主義とは、フランスに始まる民主主義的独裁(共産主義やファシズムはその最終形態)にアングロサクソンの自由・民主主義の衣を被せたものだ、と言って良いでしょう。

 目的は、まず人口で、次いでイデオロギーにおいて、そして最終的には経済力においてアングロサクソンを凌駕することです。ただし、今までさんざん試みてことごとく失敗に終わったことから、軍事力でアングロサクソンに対抗する気は完全に失せています。

 この戦略が一定の成果を挙げたことは、現在のEUを見れば誰にも分かります。

 そのEUになぜ英国が入ることになったのでしょうか。

 欧州側から見れば、先の大戦後、大英帝国を喪失したショックもあって英国が一時的に社会民主主義に傾斜した(注2)からであり、また英国を取り込むことで英米間に楔を打ち込もうと考えたからですし、英国側から見れば、EUに入らなければ欧州という市場から閉め出されかねなかったからです。社会民主主義に傾斜した経済が低迷を続けていたこともあり、英国にとってEU加盟は至上命題だったのです(注3)。

 

 (注21924年と1929?31年に労働党政権が成立しているが、どちらの時期も労働党が下院で多数を制していたわけではないので、本格的な社会民主主義的政策を実施することはできなかった(http://en.wikipedia.org/wiki/Ramsay_MacDonald。7月7日アクセス)。

 (注3)英国は1961年にEUの前身のEECに加盟申請したが、63年にドゴール仏大統領に加盟を拒否された。英国がEECの後継のECに加盟できたのは1973年になってからだ。(http://www001.upp.so-net.ne.jp/fukushi/uk/history.html。7月7日アクセス)

2 英国の再生

しかし、やがて欧州にとって予想外のことが起こります。

一つは、英国が社会民主主義を捨て去ったことであり、もう一つは、その英国の経済が高度成長を始めたことです。

英国の社会民主主義にトドメを刺したのはサッチャー保守党政権であり、北海油田が噴出したこともあって、零落していた英国経済は上向きに転じます(コラム#334335)。やがて労働党も明確に社会民主主義と訣別します。

そして、ブレア労働党政権の下で英国は、本格的な経済再生を果たし、英国の規模は、戦後抜かれていたフランスを抜き返し、ドイツを射程に捕らえるに至ります(http://www.latimes.com/news/opinion/editorials/la-ed-britain20jun20,0,4806406,print.story?coll=la-news-comment-editorials6月21日アクセス)。

これが、EUに加盟している欧州諸国の間で、社会民主主義への疑念を呼び起こしたのは、ごく自然な成り行きでした。

その疑念はやがて、欧州が戦後採択した戦略そのものへの疑念へと発展して行きます。

 前に(コラム#699742で)少し触れたところですが、フランスにおける先般のEU憲法条約の国民投票での否決は、EU内においてこのように存在感を増しつつある英国に対する拒否反応だったのです。

(続く)

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