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太田述正コラム#8012005.7.23

<「フランス」の近代への貢献(その1)>

(本篇を上梓したのは、7月21日です。)

1 始めに

以前(コラム#27454で)、「よかれあしかれ、世界の近現代の殆どすべてはイギリスに由来します。近代科学、資本主義、近代政治制度、近代スポーツ、近代純文学、近代大衆文学(児童文学、ファンタジー、推理小説)・・。イギリス由来ではない」「唯一の例外がドイツの産物であるクラシック音楽、すなわち近代音楽近代」「ぐらいなものです。」と申し上げたところです。

今にして思えば、これはいささか舌足らずでした。

近代ファッション(人間を包み込むものとして、衣服や装飾品だけでなくインテリアや都市景観を含む)と近代料理(西洋飲食品)はフランスの産物ではないか、という異議申し立てがこれまでフランス通の読者から寄せられなかったのが不思議です。

しかし、後知恵で申し上げれば、実はこれらはフランスの産物なのではなく、たった一人の個人の産物なのです。その個人とは、フランス国王のルイ14世(Louis XIV1638?1715年。在位1843?1715年)であり、彼が推進した重商主義政策とあいまって、これらは、フランスそのものを代表するものとして、諸外国において受け止められるようになったのです。

このことを、明らかにしたのが、米ペンシルバニア大学教授のJoan DeJeanによる本、THE ESSENCE OF STYLE: How the French Invented High Fashion, Fine Food, Chic Cafes, Style, Sophistication, and Glamour, Free Press 2005 です。

(以下、特に断っていない限りhttp://www.nytimes.com/2005/07/13/books/13grim.html?pagewanted=print(7月13日アクセス)、http://www.csmonitor.com/2005/0719/p17s01-bogn.html(7月19日アクセス)、及びhttp://www.amazon.com/gp/product/product-description/0743264134/ref=dp_proddesc_0/102-0998409-6279327?%5Fencoding=UTF8&n=283155(7月21日アクセス)による。)

2 ルイ14世の貢献

 ルイ14世は、ヴェルサイユ宮殿及びこの宮殿での生活を、自らの美意識に基づいて創造して行きました。

 この宮殿でルイやルイがお后や愛妾達にまとわせた髪型・衣類・靴・ハンドバッグ・香水・宝飾品等は、フランス中でマネされ、普及して行きます(注1)。

 (注1)フランスの臣民達は、直接これらを目にすることができた。ベルサイユ宮殿には、入

場パスを持った臣民達が入って見学することができたからだ。

 あらゆる靴の種類がルイの治世中につくり出されたといっても過言ではありません。

 このような背景の中から、ファッション(色を含む)の流行が毎年変わる、という風習が1670年にパリで生まれます。ヘアドレッサー業なるものも生まれます。

 現在に至る香水やハンドバッグの世界におけるフランスの諸ブランドが確立したのもルイの治世です。

 更に、かつて欧州では、宝石類としては真珠が一番珍重されていたところ、あるフランスの商人がインドから持ち帰ったダイヤモンドに惚れ込んだルイ14世が、1660年代に大枚をダイヤモンド購入につぎ込んだことをきっかけにダイヤモンドを身につけることがステータスシンボルとなり、同時にパリは欧州における宝飾品のセンターとなったのです。

 ヴェルサイユ宮殿の鑑の間を飾った鏡は、ルイが多大の経費を投じてヴェニスのガラス製造技術を盗ませてつくらせたものであり、鏡はあっという間にフランスのみならず欧州や英国の個人の住宅に普及して行きます。

この宮殿のインテリアもまた、フランス中に普及して行き、フランスは史上初めて生まれたインテリア文化の中心となります。

 ヴェルサイユ宮殿で、ルイらがとった食事もまた、普及していき、フランス料理が確立します。

 ドン・ペリニョン(Dom Perignon)がシャンペン(Champagne)を「発明」したのもルイの治世の1694年です。

 カフェ(喫茶店)なるものが生まれたのもまた、ルイの治世です。

 ルイが雨を嫌ったために、1709年に折りたためる傘(umbrella)が発明されたのと同様、ルイが泥道を嫌ったために、パリの道路は石畳で覆われるようになりました。またルイは、1662年にパリに街路灯を設置することを命じ、爾来パリは「光の都市」と呼ばれるようになります。

 更にルイは1676年に、数百羽の(当時べらぼうに高額だった)白鳥を輸入して、セーヌ河の小島で繁殖させ、パリの河畔の眺望を白鳥で一層美しくすることを命じます。

 そしてパリは、その全体が名所となり、まず英国の金持ちが買い物を兼ねて観光に訪れるようになり、やがて欧州各地からも金持ちが、そして大衆がパリにやってくるようになります。現在の世界一の観光大国であるフランスの礎はルイの治世に築かれたのです。

 まこと、ヴォルテールが言うように、フランスの「すべては、ルイ14世の時に再発明されるか創造された」のでした。

(続く)

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