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太田述正コラム#882(2005.9.29)
<中共に変化の兆し?(続)(その1)>
(本篇は、コラム#861の続きです。)
1 始めに
そのつもりで目をこらすと、中共の変化の兆しがあちこちからかいま見えてきます。
2 招待幅の拡大
(1)台湾統一派論客議員の招待
中共はこのところ、つい最近までは考えられなかったような人々の招待を始めました。
その一つが、台湾からの李敖(Li Ao。1935年?)の招待です。
李は、満州のハルビン生まれで1949年、14歳の時に一家とともに台湾に渡り、1960年代から80年代にかけて、台湾の民主化の旗手の一人として活躍し、雑誌の編集長として国民党批判の論陣を張って、2度投獄されています。
その後、市井の学者・小説家としても頭角を現し、現在は無所属の台湾立法院議員をつとめています。
中共が李を招待したのは、そんな李が、台湾が民主化してからというもの、中共が唱えている一国二制度の下で台湾が中共と統一すべきだ、と主張し続けているからでしょう。
李は、中共滞在中、21日には北京大学、26日には上海の復旦(Fudan)大学で講演を行ったのですが、ケーブルテレビ局によって何百万もの視聴者に同時中継された21日の北京大学での講演で物議をかもしました。
彼は、自由な論議を抑圧する中共当局を批判し、中共当局のご意向に戦々恐々としている大学当局を嘲笑し、学生達に権力と智恵をふりしぼって戦え、と呼びかけたのです。
そして、国民党が勃興する以前の1920年代末に支那を牛耳っていた軍閥達でさえ、著名な教育者であった蔡元培(Tsai Yuan-pei。1868-1940年)を北京大学学長に選ぶくらいの見識は持っていたからこそ、北京大学は当時の支那の最高学府となることができた、と述べるとともに、学生達に、胡適(Hu Shih。1891?1962年)(コラム#178)のような自由人たれと語りかけ、胡適の言葉、「奴隷の集団は決して自由で進歩的な国をつくることはできない。自由で進歩的な国は、独立心を持ち自由に物事を考える人々によってのみ成り立ちうる」を引用しました。
そして、こんな話をしたからには、万里の長城を見学する前に(北京郊外の悪名高い政治犯刑務所である)秦城(Qincheng)刑務所の見学をすることになるかもね、というジョークで話を終えました。
この破天荒な講演が行われるまで、大々的に李の来訪をプレイアップしていた国営メディアは、新華社がこの講演は「遺憾な内容だった(had not passed the test)」と伝えた後、李についてほとんど報道しなくなりました。
しかし、中共当局と李の間で、「政治的発言はしないで欲しい」「いやする」という押し問答はあったものの、復旦大学での講演が中止されることなく予定通り行われたことは、中共当局にとってこれは予想の範囲内であったのかもしれず、いずれにせよ、李に再度講演をやらせた中共当局の「柔軟性」は注目に値します。
(以上、http://www.nytimes.com/2005/09/23/international/asia/23china.html?pagewanted=print、http://en.wikipedia.org/wiki/Li_Ao(どちらも9月23日アクセス)、及びhttp://www.csmonitor.com/2005/0926/p01s04-woap.html(9月26日アクセス)による。)
(2)香港立法院議員全員の招待
香港立法会(議会)は、職域代表30名(全員親中共)と直接選挙で選ばれる30名の合計60名の議員で構成されていますが、このたび中共によって議員全員が25日及び26日の二日間の(香港に隣接する)広東省視察旅行に招待されました。
直接選挙で選ばれた30名のうち、香港特別行政区行政長官及び立法会議員全員の直接選挙制実現を目指す民主化推進派は25名おり、そのうち12名は、香港で1989年の天安門事件に抗議するデモに参加した廉でこれまで中共訪問が禁じられていたのですから、画期的なことであると香港では受け止められています。
25日の夜には、民主化推進派の議員達と中共の政治局員23人のうちの一人である広東省党書記との間で、天安門事件等をめぐって白熱した議論が戦わされました。
民主化推進派の一人、梁国雄(Leung "Longhair" Kwok-hung)議員は、天安門事件の時に戦車の前に立ちはだかった青年の姿を染め抜いた黒いTシャツでこの会場に入ろうとして、警備要員に制止されましたが、30分遅れてそのままの姿で入ることを認められました。
この招待旅行は、今年、不人気だった董建華(Tung Chee-hwa)に代わって中共から香港特別行政区行政長官にすえられた曽蔭権(Tsang Yam Kuen=Donald Tsan。1944年?)が中共側に持ちかけた話が実ったものですが、このような中共当局の香港の民主化推進派に対する姿勢の変化は、これまた注目に値します。
(以上、http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-hong24sep24,0,7629001,print.story?coll=la-home-world、http://www.nytimes.com/2005/09/25/international/asia/25hong.ready.html?pagewanted=print(どちらも9月25日アクセス)、及び(http://www.nytimes.com/2005/09/25/international/asia/25cnd-hong.html?pagewanted=print(9月26日アクセス)による。)
(続く)
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