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太田述正コラム#892(2005.10.6)
<大英帝国論をめぐって(その2)>
(本篇は、コラム#883の続きです。)
(3)搾取の構図
カリブ海の西インド諸島で栽培された砂糖・タバコ・米等の熱帯性商品作物が英本国や欧州に輸入されるようになったところから話は始まります。
最初、これらの作物の栽培には原住民を使ったり英国人が自分であたったりしました。
見返りに西インド諸島には、英本国から毛織物等が輸出されました。
これらの貿易には、航海法(Navigation Acts)(注1)の下、ロンドンに本社を置く王立アフリカ会社(Royal African Company)が英海軍に庇護されつつ、独占的にたずさわりました(注2)。
(以上、http://www.bbc.co.uk/history/state/empire/trade_empire_01.shtml以下(10月1日アクセス)も参照した。)
(注3)英国に関しては、黒人奴隷貿易は1807年に禁止されるまで続いた。ただし、英国以外では黒人奴隷貿易はその後も続いた。
西インド諸島における黒人奴隷達の労働環境は劣悪であったために死亡率が高く、かつ「再生産率」も低かったため、恒常的に大量の黒人奴隷を輸入する必要がありました(注4)。
(注4)ただし、英領バルバドスのように、黒人奴隷の死亡率が低く、女性の比率が男性より高くて「再生産率」も高かったため、黒人奴隷を輸入する必要がなくなったところも、例外的ではあったが存在した。
この奴隷貿易に関しては、英国領以外の西インド諸島についても、英国船の独壇場でした。
こうして、18世紀末頃には、北米大陸と西インド諸島は英本国の輸出の57%、輸入の32%を占めるに至ったのです。
(以上、特に断っていない限りhttp://www.bbc.co.uk/history/state/empire/barbados_01.shtml以下(10月1日アクセス)による。)
しかもこの間、英国は世界で最初に産業革命をなしとげていました。
(以上、http://www.bbc.co.uk/history/state/empire/trade_empire_01.shtml以下・前掲も参照した。)
まさに、大英帝国は離陸したのでした。
しかし、この時点では、大英帝国の軸足は圧倒的に大西洋とその沿岸地域に置かれていました
(http://www.bbc.co.uk/history/state/empire/britain_empire_01.shtml以下。10月1日アクセス)。すなわち、大英帝国を離陸させたのはアフリカ・・(奴隷狩りによって荒廃した)アフリカと西インド諸島におけるアフリカ出身の黒人の奴隷労働・・だったのです。
インド洋とその沿岸地域に軸足を移すことによって大英帝国が完成するのはその後のことになります。
(続く)
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