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太田述正コラム#946(2005.11.13)
<アブグレイブ虐待問題をめぐって(その11)>
(本篇は、コラム#384(2004.6.18)の続きです。もっとも、読み返されなくても大丈夫です。)
2 後日譚
(1)心理的拷問の先進国英国
私は、イラクの米軍アブグレイブ収容所で実践されたような心理的拷問手法は、かねてより「英国の三軍統合尋問センターで、英軍及び米軍の兵士に教えられている」らしい、と記し(コラム#384)、英国が心理的拷問先進国であることを示唆したところですが、英国における心理的拷問の「伝統」は少なくとも先の大戦に遡ることが、このたび、英国立文書館(National Archives)で発見された文書等を手がかりにして、ガーディアンの記者の手で明らかになりました。
すなわち、先の大戦中、ロンドン市内の高級住宅街(Kensington Palace Gardens)の一角が、英陸軍の諜報機関の管轄するドイツ兵捕虜収容所(London office of the Combined Services Detailed Interrogation Centre。通称London Cage)となり、そこで、捕虜達は、(最初の二つは「心理的」ならぬ、文字通りの拷問ですが、)跪いた状態で頭をぶんなぐられたり、歩いている時にしょっちゅう蹴られたり、4日4晩にわたって夜間15分ごとに安眠を妨害されたり、26時間ぶっ続けで直立不動で立たされたり、激しい運動を強いられて倒れた後に狭い場所で何時間にも渡って歩かされたり、重い者を持たされて走らされたり、処刑するとか不必要な外科手術をすると言って脅されたり、食事を与えられなかったり、冷たいシャワーを長時間浴びせられたり、ストーブで火傷しそうに熱されてから冷たいシャワーを浴びさせられたり、電気ショックを加えると脅されたり、真っ赤に熱せられた鉄の棒を近づけられたりした、というのです。
この収容所には、1940年から1948年まで存続し、戦争犯罪を犯した疑いのあるナチスドイツ軍の将校と兵士、そして終戦後はシビリアン、計3573名が収容され、うち1000名以上が戦争犯罪を「自供」させられ、その多くが処刑されました。
この収容所の所長を勤めたのはスコットランド(Alexander Scotland)中将であり、彼は20世紀初めに現在のナミビアでドイツ軍の一員として勤務したことがあるほか、第一次世界大戦の時には捕虜の尋問にあたっており、その経験を買われて1939年に57歳で現役復帰させられたものです。
スコットランドによる心理的拷問が、英陸軍上層部によって見て見ぬふりをされていただけなのか、それとも上層部からの指示で行われたのかどうかは、分かっていません。
1946年に国際赤十字が、この収容所を視察させるように英陸軍に求めましたが、スコットランドは、収容者はシビリアンか、戦争犯罪を犯した軍人であり、ジュネーブ条約の保護の対象ではない、と言って抵抗し、18ヶ月後に、ほとんど収容所を空にしてから、ようやく視察を認めた、といいます。
その後は、この収容所の機能は、英軍占領下のドイツの複数の収容所に移され、そこでは収容者はもっとひどい目に遭わされました。その中の最も悪名高い収容所では、少なくとも2名の餓死者が出ており、ささいな反抗で射殺された者も多数出ています。
ここに2年間にわたって収容された20歳台後半のドイツ人ジャーナリストは、自分はゲシュタポの収容所にも入れられたことがあるが、それよりも英軍の収容所での扱いの方がはるかにひどかった、と書き記しています。
(以上、http://www.guardian.co.uk/secondworldwar/story/0,14058,1640957,00.html、及びhttp://www.guardian.co.uk/secondworldwar/story/0,14058,1640942,00.html(11月12日アクセス)による。)
このような、先の大戦(あるいは第一次世界大戦?)に遡る、英軍や米軍の拷問の歴史に鑑みると、英国や米国でいまだに出ている、先の大戦時の日本軍による捕虜取り扱いへの非難の声は、あまりに一方的である、と言わざるをえません。
それにしても、私が以前に、「英国人<は>、完全に自分達を米国人に自己同一化してアブグレイブ問題を論じている・・。これはアブグレイブ虐待事件をアングロサクソン共通の恥として英国人・・が受け止めていることを示している」(コラム#366)と述べたのは、いささか英国を買いかぶりすぎでした。
何と言うことはない。英国人は、脛に傷を持っているからこそ、米国による心理的拷問事件を我がことのように論じるのでしょう。
(続く)
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