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太田述正コラム#9892005.12.7

<思い出される大学の頃(その3)>

「第2回 まぐまぐBooksアワード」の投票が、本日(7日)午前10時から開始されています。

http://books.mag2.com/dynamic/m/0000101909/index.htmlをクリックしてぜひ、本コラムへの人気投票をお願いします。なお、毎日1回投票できますので、投票締め切りの21日まで、繰り返し投票していただければ幸いです。前回とやや投票方式が変わりましたが、前回の12位を大きく上回りたいものです。

また、私のホームページ上でメーリングリスト登録された方(まぐまぐ以外)に対しては、今回からホスティング会社経由ではなく、直接私が皆さんにコラムをメール送付することにしました。メルアドの大整理をしたので、コラムが脱会したはずなのに届いたり、逆に届かなくなったりするケースがあるかもしれません。その場合はご連絡を。)

 ですから、統一教会のカルト性は、その教義にあるのではなく、教義のもっともらしさ・・自然界や人間界のあらゆることが説明できる!・・に惚れ込んで統一教会に入信した信者が、この教義を「発見」したメシアたる教祖文鮮明のために、直接、あるいは統一教会関連企業で低賃金で働く形で、カネを貢がされる(http://park8.wakwak.com/~kasa/Religion/unifiedchurch.html前掲)、というこの教団のおぞましい実態にあります(注6)(注7)。

 (注6)統一教会と出会ってから、私は創価学会にも興味を持ち、この二つの新興宗教の比較をその年の秋の駒場祭のクラス展示の一コーナーに掲げた。確か、創価学会は、現世利益を正面に出した初歩のレベルからから始まって、次第に日蓮の著作や法華教の奥義へと信者を誘導して行くのに対し、統一教会では、最初の段階から、こむつかしい教義を提示すること、また、創価学会は様々な形で信者への利益還元を図るのに対し、統一教会は信者から一方的に奪うだけなので、創価学会と違って、統一教会の信者は学生を中心とする若者にとどまり、信者数も余り増えないだろう、と指摘した記憶がある。

 

 このような話をしてきたのは、第一に、どんな主張であれ、その主張の前提に疑問を投げかけることが許されない場合、あるいは主張の前提に疑問を投げかけることが不可能な場合は、いかにその主張がもっともらしく見えたとしても、眉につばを付けろと言いたいがためです。(換言すると、主張の前提に疑問を投げかけることが許されなかったり、不可能であってもいいのは宗教だけだ、ということです。)

 そして第二に、その主張に賛意を表明することが、反社会的行動を助長することにならないかどうかに細心の注意を払え、と言いたいがためです。

 原理研究会の主張の前提に疑問を投げかけることが許されず、また不可能である以上、原理研究会の唱える「原理」なるものは科学ではなく宗教であり、また、原理研究会の唱える「原理」に公の場で賛意を表することは、統一教会の信者になったとすればなおさらのこと、信者にはならないとしても、文鮮明一派による搾取構造の維持・助長という反社会的行動に該当することから、厳に慎むべきだ、と言えば、分かっていただけるのではないでしょうか。

(2)ホロコースト否定論

 さあ、いよいよホロコースト否定論についてです。

 ホロコーストがあった、というのは世界の通説です。

 ホロコースト否定論(注7)は、この通説の全部または一部に挑戦しようというのですから、通説のどこが間違っているかを立証する責任も挙証する責任もホロコースト否定論側にあります。

 (注7)「ナチスによる欧州におけるユダヤ人の絶滅計画はあった。東方戦線以外ではユダヤ人は、もっぱらガスによって殺害され、焼却されたのに対し、東方戦線ではユダヤ人は、もっぱら集団で銃殺され、埋められた。ユダヤ人殺害数は、前者は300万人から400万人と推定され、前者・後者合わせて、510万人から590万人が固いところ」(コラム#976)という主張の全部または一部を否定する主張をホロコースト否定論と言ってよいのではないか。

 

 幸いなことに、ホロコースト問題に関し、聖書に相当するような文書は存在しないので、ホロコースト否定論の立証・挙証(以下「証明」という)は、何の制約もなく、史実と科学に照らして行うことができます。

 そして、もしこの証明に成功すれば、いかにホロコースト否定論を処罰する法律を施行している国といえども、この人を処罰することはできないでしょう。逆に言えば、ホロコースト否定論を処罰する法律が各国でまだ存在していることは、上記証明にまだ誰も成功していないことを意味します(注8)。

(注8)最も有力なホロコースト否定論と言ってよい、アーヴィングの説が誤りであることが既に証明されている(コラム#970)。一流の歴史家であるとホロコースト否定論者の中でただ一人認められているところのアーヴィングが、ホロコースト否定論を展開するに当たって、史実(や科学)を偽造または曲解せざるをえなかった、ということは、既存の史実(や科学)の解釈の幅の中ではホロコースト否定論をアーヴィングが証明できなかっただけでなく、誰もできないであろうことを推定させる。そのアーヴィングが、旧ソ連文書にアクセスできるようになった現在においては、もはやホロコースト否    定論を唱える余地は全くなくなったと述べた(コラム#970)ことは、重く受け止めるべきだろう。

     ということは、今後は、全く新たな史実(や科学)を発見されでもしない限り、ホロコースト否定論を証明することはまず不可能だということであり、新たな史実(や科学)の発見とその援用なしに現在唱えられているホロコースト否定論は、誤りであるとの強い法的推定が働と解してよい、ということだ。

他方このような各国で、証明の裏付けのないまま、公の場でホロコースト否定論を主張したり、それに賛意を表すると罰せられることは言うまでもありません。

 それでは、ホロコースト否定論を処罰する法律のない国の人であれば、証明の裏付けのないままホロコースト否定論を主張したり、ホロコースト否定論はもっともらしいとしてそれに賛意を表したりしてもかまわないのでしょうか。

 道義的に許されない、と私は考えます。

 なぜなら、ホロコースト否定論を主張したり、それに賛意を表することは、たとえその人が反ユダヤ主義(イスラエル国家の存立を否定する論を含む)者・人種主義者・ネオナチストではないことを証明できたとしても、反ユダヤ主義・人種主義・ネオナチズム(注9)の助長という反社会的行動であるからです。

 

 (注9)アーヴィングが歴史家としての良心に投げ捨て、史実(や科学)の偽造とねじ曲げを行ってでもホロコースト否定論を証明したかったのは、彼の反ユダヤ主義・人種主義・ネオナチズムのなせるわざであったことも、裁判で証明されている(コラム#970)。

(続く)

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