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太田述正コラム#990(2005.12.7) <思い出される大学の頃(その4)>
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4 マルクスとヴェーバー
大学一年の時は、通過儀礼的にマルクス・エンゲルス・レーニンの著作(の邦訳)も随分読みました(注10)。
(注10)マルクスの「資本論」は、公理の批判が不可能な公理系であることくらいは分かったが、文系の私では読解できない理系的な本だと思った。この「資本論」が誤謬であることを証明した人はいない以上、「資本論」の公理系は論理的に厳密なのだろうとも思った。こんな本だからこそ「資本論」は、キリスト教徒にとっての旧・新約聖書同様、共産主義者達の聖書として崇められ、共産主義「教」が形成されたのだな、と妙な納得をした記憶がある。その後、スタンフォード大学に留学した時、森嶋通夫さんの著書のMarx’s Economics(邦訳あり。http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000925970/250-4047785-3656243)に出会い、資本論のエッセンスを、行列式などを駆使して説明しているのを見て、自分がかつて資本論に歯が立たなかったのも当然だと改めて痛感したものだ。
他方、マックス・ヴェーバーとの邂逅は、折原浩助教授(当時。http://www.geocities.jp/hirorihara/)の社会学の講義(注11)を通じてであり、ヴェーバーの邦訳本や解説本も読み漁ったものです。
(注11)ヴェーバーというドイツの偉大な社会学者を知り、その著作を読むきっかけとなったという意味では大いに役立った講義だったが、講義そのものには、次第に疑問を持つようになった。折原さんは、ヴェーバーを絶対視して、ひたすらヴェーバーの著作の祖述に努めているが、これでは学問ではなく訓詁学ではないか、という疑問だ。これは、儒学の伝統的な「学問」のあり方であり、マルクスとその著作を絶対視する、日本のマルクス哲学者やマルクス経済学者の「学問」のあり方と同じだ、と思った。
現実の日本等の社会への関心よりもヴェーバーの本の中で描かれている社会への関心の方が大きかったと思われる「社会学者」折原さんは、東大「闘争」が起きると「闘争」に加わり、大学が正常化してからも長期にわたって罷業を続けた。私は当時、やはり折原さんは現実の社会が分かっていないのだな、と思ったものだ。
また、マルクスやヴェーバーの本を読むのにも役に立つのではないかと思って、哲学概論(大森荘蔵。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E8%8D%98%E8%94%B5)・倫理学(佐藤俊夫)・社会思想史(城塚登。http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1263/7.html)の講義等もとりました。
こうして一年生の終わり頃に、私がひねり出した結論は次のようなものでした。
「マルクスもヴェーバーも、彼らに先行するドイツ観念論者達と同様、イギリスに比べて後進国であったドイツの劣等感の観念の上での解消を図った人々である。マルクスはイギリスの社会原理(資本主義)を「解明」した上でより「先進的」な社会原理(社会主義/共産主義)なるものを考案し、革命を行ってこの新たな社会原理を採択すれば、イギリスを一挙に抜き去り、劣等感を根本的に解消することができる、と夢想した。他方ヴェーバーは、ドイツもイギリスと同様の近代資本主義社会である以上、ドイツのイギリスに比べての遅れなど取るに足らないものであるとした上で、ドイツやイギリス、すなわち欧米だけが近代資本主義化できたのはなぜかをこそ解明すべきである、と問題をすり替えて劣等感を忘れようとした。」
5 終わりに
しかし、大学一年の間は、私は日本に帰国して以来の軽いノイローゼ状態(コラム#965)からまだ脱することはできませんでした。
そして、以上のような自分の変わった物の見方は誤っているのではないか、という不安にかられていたのです。
そんな私の不安が解消し、軽いノイローゼ状態から完全に脱することができたのは、東大「闘争」のおかげでした。
「闘争」に参加した学生達や日和見を決め込んでいた学生達・・同世代の大半の若者達・・よりも、自分の判断力の方が優れている、という自信が持てたからです。
こうして人となった私のコラムを、皆さんが読んでおられる、というわけです。
時々、現在の話に飛ぶおかしな昔話にお付き合いいただき、ありがとうございました。
(完)
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