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太田述正コラム#10112005.12.21

<現在のイランを見て思うこと(その2)>

http://books.mag2.com/dynamic/m/0000101909/index.htmlをクリックして、「第回 まぐまぐBooksアワード」での本コラムへの最後の投票をぜひお願いします。(21日の何時まで投票できるかは不明。)

現在(20日21時15分)13位ですが、今回の投票結果が、13位以下で終わるようであれば、今年一杯で本コラムの執筆は取りやめ、来年のしかるべき時期から、本コラムの本数を大幅に減らした上で、有料コラムとして再開を期したいと思います。他方、11位以内に食い込めば、無条件で本コラムを続けます。)

 もう一つの例が、米国の南北戦争を引きおこした南部連合(The Confederate States of America)です。

もとより南部連合は(女性と黒人奴隷は蚊帳の外だったけれど)民主的に結成されましたし、その指導者のデービス(Jefferson Davis1808?89年)も選挙で民主的に選ばれました。

しかし、南部連合は「悪」の連合でした。

なぜならこの連合は、北米大陸における奴隷制の維持と、この奴隷制帝国の中南米への拡大を意図したからです(注5)(コラム#258)。

(注5)南部諸州で奴隷を持っていなかった多数派は中南米で奴隷所有者となることを夢見たし、少数派たる奴隷所有者は、奴隷による綿花栽培が土壌の劣化によって維持することが困難になりつつあったことから、中南米に新天地を求める必要があった。

この南部連合は、兵役適齢男子の四分の三を戦場に送り込み、その四分の一が戦病死する、という壮絶な戦いを行いますが、最終的には北部諸州に敗れ、破滅します。

南北戦争は、もう一つのことを教えてくれます。

それは、民主主義はその国が抱えている地域対立を先鋭化させがちだ、ということです。

仮に当時の米国が専制国家であったならば、南北対立が激化したり、南部諸州が米国から離脱したりすることを防止できた可能性が大です。

(以上、http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/GL20Ak02.html1220日アクセス)による。)

だからこそ、民主化されたイラクの今後が懸念されるわけです。

イラクはクルド人・シーア派・スンニ派地域に分かれており、地域ごとに住民の考え方が全く異なっている(注6)だけに、クルド人・シーア派連合対スンニ派の内戦、あるいは三つどもえの内戦が起きることが取り沙汰されています。サダム・フセインの専制の下では、地域対立は強権的に完璧なまでに抑制されていたというのに・・。

(以上、http://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-ferguson19dec19,0,3902729,print.column?coll=la-news-comment-opinions1220日アクセス)による。)

(注6)イラクでの直近の世論調査によれば、米国のイラク侵攻は正しかったとする者は、クルド人地域では80%、シーア派地域では58%であるのに対し、スンニ派地域では16%に過ぎない。また、スンニ派はイラクの人口の20%を占めているのに、石油収入のスンニ派の取り分は、クルド派地域では5%でよいとしており、シーア派地域では10%でよいとしている。

    明るい数字もないわけではない。先般制定されたイラク憲法・・つまりは統一されたイラク・・を支持する者の割合は、イラク全体で70%に達している。

 更に、民主主義国家同士でも、まさに双方が民主主義国家だからこそ、対立が先鋭化する場合があります。

 そもそも、民主主義国家同士で戦争が起こったことがない、というのは神話でしかありません。

 私に言わせれば、先の大戦における東アジアにおける日本対米英(及び豪)の戦いは、史上最大の規模の民主主義国家間の戦争だったのです(注7)。

 

(注7)この両者の間の対立が先鋭化した責任が、もっぱら排外的・人種差別的にして未熟な覇権国家たる当時の民主主義国家米国にあったことは、私がかねてより力説してきたところだ。

3 宗教の恐ろしさ

 (1)イランによる問題提起

 1979年のイスラム革命後のイランのおぞましさは、宗教が国の内外政策に直接強い影響を及ぼしたところにあります。

 そのイランの政治は、次第に世俗化してきていたところ、一挙にそれを革命当時に引き戻したのがアフマです。

(続く)

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