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太田述正コラム#10162005.12.24

<韓国のキリスト教徒の功罪(その1)>

1 始めに

 台湾のキリスト教徒を取り上げたついでに、韓国のキリスト教徒の話もしておきましょう。

 イラクで無惨な死を遂げた韓国人の金鮮一と、米国で韓国のためにスパイを犯して投獄された韓国生まれのロバート・金という、日本人にはちょっと見られないタイプの怪人物を二人、以前(コラム#391392396421で)ご紹介したことがあります。

 この二人がどちらも「敬虔な」キリスト教徒であったことが思い起こされます。

2 金大中

 上記の二人の庶民が韓国人の3割近くを占めるキリスト教徒(コラム#6539)の典型であるなんて思いたくありませんが、それではキリスト教徒たる権力者はどうなのでしょうか。

 権力者の最たるものは大統領ですが、「敬虔な」キリスト教徒(カトリック)として知られているのが金大中(Kim, Dae-jung1925年?。大統領在位1998?2003年)です。

つい最近までの金大中の評価は、野党時代の民主化の闘士としての活動に高い評価がある反面、急進的な政治姿勢や政権時代のポピュリズム・地域偏重主義には批判もある、といったものでした(注1)。

(以上、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%A4%A7%E4%B8%AD1224日アクセス。以下同じ)による)。

(注1)金大中は、1971年の大統領選挙で現職の朴正煕大統領に肉薄したが、1973年にはいわゆる金大中事件が起こり、日本で拉致され、ソウルで軟禁状態に置かれた。

1975年に、留学先のスタンフォード大学で、韓国人留学生達と話をした時に、金大中なんて取るに足りない男(minor figure)だと彼らが言ったので、彼らのような知的エリートからすると、商業学校しか出ていない(http://kamomiya.ddo.jp/%5CSouko%5CC03%5CDohyon%5CKin.htm)金大中はそう見えるのか、と思った記憶がある。

その彼の化けの皮が最近急速にはがれつつあります。

日本人のわれわれからすると、金大中は大統領時代に、北朝鮮の独裁政治や人権蹂躙に目を塞いで、太陽政策なる北朝鮮への宥和政策を推進し、その愛弟子であるノ・ムヒョンにこの政策を引き継がせ、韓国世論を親北朝鮮・親中共・反米・反日へと転換させた(http://news.goo.ne.jp/news/sankei/kokusai/20051210/m20051210010.html?fr=rk)ことで、厳しく批判されるべき存在です(注2)。

(注2)もっとも、金大中が大統領時代に韓国国内での日本大衆文化開放を始めた(wikipedia前掲)ことは忘れてはなるまい。

 もとより、現在の韓国人の多数派が、この北朝鮮への宥和政策に諸手を挙げて賛成していることはご承知の通りです。

 しかし、多数派・少数派を問わず、このところ、金大中について、韓国人をあきれさせる事実が次々に明るみに出てきました。

 まず、まだ金大中の大統領在任中の2002年に、朝鮮日報社が発行している、韓国の文藝春秋とも言われる権威ある月刊誌に、金大中の30万票差の大統領当選は、韓国の創価学会が、金大中の依頼を受けた日本の創価学会(=外国の政党たる公明党)の指示を受けて信者票をとりまとめたことで可能となった、という信憑性の高い記事が掲載されましたhttp://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H14/1406/140636souka.htmlhttp://www.forum21.jp/contents/contents6-1.html)。

 金大中が大統領の任期を終えた直後の2003年には、金大中が多額のカネを北朝鮮に支払って2000年6月の金正日との南北首脳会談を実現させたことが明らかになりました。この首脳会談等が評価されて彼はその年のノーベル平和賞を授与されるのですが、要するに、金大中はノーベル平和賞をカネで買ったわけです。http://kamomiya.ddo.jp/%5CSouko%5CC03%5CDohyon%5CKin.htm

 更につい最近には、前任の金泳三大統領が始めた、政権反対派やマスコミに対する諜報機関による違法な盗聴を大幅に増やしたという事実(注3)と、政権に批判的であった有力紙の朝鮮日報と東亜日報の両紙の首脳を税務調査でねらいうちにして逮捕するにあたって、盗聴によって得られた情報を用いた可能性が高いという疑惑、が報道されたところです(http://www.sankei.co.jp/news/051117/kok017.htmhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/12/16/20051216000063.html)。

(注3)中央情報部に自ら拉致された経験のある金大中は、大統領就任後、鳴り物入りで国家安全企画部(旧・中央情報部)を廃止し、大幅に縮小した国家情報院を新設した(wikipedia前掲)が、あに図らんや、彼は諜報機関の一層の「活用」に努めていたことになる。

(続く)

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