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太田述正コラム#1026(2006.1.1)
<キリスト教と私(その5)>
スタークは、次のように主張します。
キリスト教の、他の大宗教と比べた特異性は、ローマ皇帝コンスタンティヌス(Constantine)が312年にキリスト教に改宗した後、彼がキリスト教会に対しカネと特権を山のように与え始めたことによって、僧侶になることが上流階級にとって魅力あるキャリアになったことだ。
献身的にして貧乏な禁欲的な聖職者による敬虔なる教会は、かくして権力志向の教会に道を譲った。このことが、欧州における商業の発展に好適な環境をもたらしたのだ。
もし、敬虔なる教会のままであったなら、キリスト教は、イスラム教が引き続きそうであるように、利子をとることを非難し、利潤追求と物質主義一般に反対する存在であり続けたことだろう。
このようなキリスト教会が、中世を通じて欧州(及びイギリス。以下同じ)における最大の大地主だった上、教会の毎年の所得も、欧州中の王侯貴族を全部合わせた所得よりも大きかったと考えられている。土地からの収益だけでなく、国王等の依頼を受けて行う儀式典礼代がしこたま入ってきたからだ。
カネが貯まってしょうがないので、教会は利子をとってカネを貸し始める。土地を担保にとることも始まり、貸し付けが焦げ付いて担保流れの土地を入手することも再々だったので、教会が保有する土地は益々増えて行った。
就中9世紀頃から大修道会は、その保有地における農業生産を自由な労働者を使って行い、農耕等の方法についても積極的に技術を開発・適用し、利潤の極大化を図るようになる。
もとより、このような資本主義的営みを修道会が行うことには教会内の保守勢力は批判的だったが、聖マグヌス(Albertus Magnus。1193-1280年)は、適正な価格とは単に「売却時点における市場から推定できる当該商品の価値である」と述べ、スコラ哲学の泰斗、聖アクィナス(Thomas Aquinas。1225?74年)もこれに賛意を表明した。
アクィナス自身、飢饉地域にやってきた穀物商人がが、近々沢山の穀物商人が更にやってくることを知っていたとしても、だからといって、そのことを開示して自分の穀物販売価格を下げる必要はない、と説いたくらいだ。
また、農業生産において自由な労働者が用いられ、奴隷が用いられなかったことも特筆されるべきだろう。これは、世界の主要な宗教の中ではキリスト教のみが7世紀までに、神学上奴隷制に反対する姿勢を確立し、そのため11世紀までには奴隷は欧州から根絶されたためだ(注8)。自由な労働力の存在は、資本主義の確立にとって不可欠だ。
(注8)ただし、奴隷制が後に欧州諸国の植民地において再び出現することは忘れてはならない。
更に、大修道会が開発した技術としては、水車・蹄鉄・栽培漁法・三圃制(the three-field system of agriculture)(注9)・眼鏡・時計、等がある。
(注9)10世紀頃から始まった西欧中世の代表的農法で,耕地を春耕地・秋耕地・休耕地の3つに分け、3年に1度休耕地をつくる農法http://www.howhowhow.net/worldhistory/w.hisbasic11-6.html。1月1日アクセス)。
しかし、大修道会における資本主義的営みには限界もあった。
大修道会が積み上げた富は、王侯貴族による収奪に晒されていなかったという点では、資本主義化への必要条件を充たしていたものの、カトリック教会内の収奪や規制からは自由ではないという点では資本主義化への十分条件は充たしていなかったからだ。
結局資本主義は世界で初めて、比較的民主主義的な・・比較的収奪や規制から自由な・・北イタリアの都市国家群において確立することになる。
(以上、特に断っていない限りhttp://chronicle.com/temp/reprint.php?id=tqm4xd5mqkk5px43d968m19qmf4w3g5y前掲、及びhttp://www.nytimes.com/2005/12/30/books/30book.html?pagewanted=print(12月30日アクセス)による。)
(続く)
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