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太田述正コラム#10922006.2.24

<中共のネチズン達の戦い(その2)>

  イ ウィキペディアに係る活動

 ウィキペディア(Wikipedia)はご存じの通り、誰でも自由に項目の追加と内容の加除ができるオンライン百科事典であり、現在約200の言語の版が出ています(注1)。

 (注1)ウィキペディアのサイトは、世界のサイトの中でで19番目によくアクセスされており、アクセスされるウェッブページ中の3%を占めている。英語版のウィキペディアには現在962,652項目があり、一年前に比べて2倍に増えている。(http://technology.guardian.co.uk/news/story/0,,1706748,00.html。2月10日アクセス)

    ちなみに、Nature誌が昨年、有料であるオンラインのブリタニカとウィキペディアの科学関係の比較をしたところ、一項目当たりの誤りはブリタニカが3箇所に対してウィキペディアは4箇所であり、ウィキペディアは有料の百科事典と比べてほとんど遜色がないことが判明している(http://www.theage.com.au/news/national/online-encyclopedias-put-to-the-test/2005/12/14/1134500913345.html。2月23日アクセス)。

 北京語版のウィキペディアは、フォームだけは2001年5月にアップロードされていましたが、白紙のままで一年以上が経過し、最初の項目がアップロードされたのは、2002年の1030日であって、北京大学の大学院生が「数学」について記述しました。

 最初のうちは科学・技術関係の項目ばかりでしたが、やがて雑学・歴史・政治がらみの項目も登場するようになります。ウィキペディアへの投稿者も全世界の支那人に広がります。

 2003年7月に投稿者の間で最初の論争が起きます。

 それは、中共における公式名である「抗日戦争」という項目名は中華中心主義的であって中立的ではないので、「第二次日中戦争」に改めるべきではないか、という問題提起がなされたのです。

 結局、この意見は通りませんでしたが、ウィキペディアが中立的な内容でなければならない、という認識が確立します。

 次には、内容に関して異論が出たときに、どのように決着をつけるかが議論になり、活発な投稿者に票を多数与えるべきだとの主張が排され、投稿者平等の原則が確立し、更に、多数決をとる前に、できるだけコンセンサスをめざして努力する、という認識も確立します。

 2004年の初め頃からは、政府系の新聞がウィキペディアを評価する記事を掲載するようになります。

ところが、同年の7月3日、7・4事件(天安門事件)の15周年の前日に、北京語ウィキペディアへのアクセスができなくなります。2003年9月に初登場した天安門事件という項目の中身が、次第に「充実」してきたことに、中共当局が怒ったためだと考えられています。

これに対し、ウィキペディア投稿者達は一斉に、中共当局に抗議を行い、19日後に再びアクセスが可能になります。その後、当局の介入を避けるためには、ウィキペディアへの投稿内容の自主規制を行うべきであるとの議論も提起されますが、否定されます。

そのうち、法輪功・一人っ子政策・中国共産党・台湾、といった項目までウィキペディアに追加されます。台湾に関する内容はとりわけ激しい議論の対象になりました。その過程で、台湾の繁体字の文章を中共の簡体字の文章に自動的に変換するソフトを中共の投稿者の一人が開発し、フリーソフトとして公開する、という画期的なことも起こりました。

2004年9月には、再びアクセスができなくなりました。今度は、ウィキペディア・コミュニティーが中共当局の埒外で成立しつつあることに当局が危機感を抱き始めたからではないか、と考えられています。

この二度目のアクセス禁止は9日後に解除されます。

その9月中にウィキペディアの項目数は4万を突破します。

やがて投稿者達は、内容が「過激」になると、それをベテラン投稿者が「穏健」なものに修正することによって、当局を刺激しない術を体得した、と思い始めます。

ところが、昨年の10月に三度アクセスができなくなり、今度はいまだにアクセス禁止が解除されていません。

しかし、前述したファイアーウォール回避ソフトを用いて、北京語ウィキペディアは利用され続けています。

現在の登録投稿者数は45,000人で、項目数は5万5,000にのぼり、そのうちの一項目は、ファイアーウォール回避方法となっています。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/02/19/AR2006021901335_pf.html(2月21日アクセス)による。)

(続く)

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