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太田述正コラム#1105(2006.3.4) <中共経済の脆弱性(その5)>
(本シリーズの上記箇所は、コラム#353のいわば姉妹篇であり、関心ある方は、コラム#353も再度お読みいただきたい。)
7 エピローグその1:ハックスレー的逆ユートピアたる中共
米インディアナ大学教授のワッサーストーム(Jeffrey Wasserstrom)は、現在の中共の政治経済体制は、ハックスレー的逆ユートピアを思わせる、という興味深い指摘をしています。
ハックスレー(Aldous Huxley。1894?1963年)は、1932年に小説、「すばらしい新世界(Brave New World)」(注6)を上梓したのですが、この中で描いたところの人類の将来の社会・・逆ユートピア・・は次のようなものでした。
(注6)この題名は、Miranda's speech in シェークスピアの戯曲「嵐(The Tempest)」の第5幕第1場のミランダ(Miranda)の演説、"O wonder! How many goodly creatures are there here! How beautious mankind is! O brave new world, That has such people in't!"からとられている。
この作品は、ハックスレーの弟子であるオーウェル(George Orwell。1903?50年)が1949年に上梓した小説、「1984年(Nineteen Eighty-Four)」としばしば対比される。
ハックスレー的逆ユートピアは、情報消化不良・幸福感・豊饒・平和、がキーワードであるのに対し、オーウェル的逆ユートピアは、情報飢餓・苦痛・欠乏・戦争、がキーワードであり、前者には反逆者が追放されたり亡命したりする外の世界が存在するのに対し、後者は閉ざされており逃げ場が全くない。
ソ連やかつての毛沢東下の中共はオーウェル的逆ユートピアを思わせるが、現在の中共はハックスレー的逆ユートピアを思わせる。(ただし、現在の中共は、なお、オーウェル的逆ユートピアの要素も残っている。インターネット上の「有害」情報の遮断、死刑の乱発、軍事費の肥大等を見よ。)
してみると、年長のハックスレーの方がオーウェルより、更に遠くを見据えていた、ということになるのかもしれない。
(以上、http://en.wikipedia.org/wiki/Brave_New_World(2月27日アクセス)を参考にした。)
なお、ハックスレーのもう一つの名著、Grey Eminence, A Study in Religion and Politics, 1941 については、コラム#127、129、162参照。
第一にそれは、支配者たるエリート達が、古代ローマのように、大衆をパンとサーカスで満腹させ籠絡する社会でした。
ずっと以前に(コラム#220で)支那学の泰斗、内藤湖南の1914年時点の見解、「支那は結局は政客のやかましい議論をさへ恐れなければ、・・如何なる統治の仕方をしやうとも・・郷里が安全に、宗族が繁栄して、其日々々を楽しく送ることが出来れば、何・・人<の>統治の下でも、従順に服従する。」をご紹介したことがあります。魯迅のいう阿Q的人物像(コラム#234)です。
まさに、このような阿Q的人物だらけの中共で、当局は大量消費社会を到来させることで大衆を満腹させ、それと同時に香港ディズニーランド、来るべき北京オリンピック、そして上海万博によって籠絡し、あるいは籠絡しようとしています。
第二にそれは、大衆が異なった嗜好と生活様式を持つ社会階層に分けられ、分割統治される社会でもありました。
現在の中共が、都市の豊かな住民と農村の貧しい住民という二つの社会階層に分けられ、分割統治されていることは既にご説明したところです。
(続く)
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