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太田述正コラム#1169(2006.4.7)
<ユダの福音書>
1 始めに
今般、米国ナショナル ジオグラフィック協会は、エジプトの砂漠の洞窟で1978年に見つかった約1700年前(220??340年頃)のパピルス文書がキリスト教の黎明期に教会から異端とされた幻の書『ユダの福音書(Gospel of Judas)』(注1)の現存する唯一の写本(注2)であることが判明したと発表するとともに、この文書を修復した(注3)上で英訳したもの(http://www.nytimes.com/packages/pdf/national/judastxt.pdf。4月7日アクセス(以下同じ))を公表したのですが、これが全世界で話題になっています。
(注1)この福音書の存在は、180年頃、リヨンの司教のイレナエウス(Irenaeus)が書いた反異端書(Against Heresies)によって知られていた。
(注2)この冊子状の写本(codex)は、イエスやユダの死後100年以上経った紀元150??180年頃に書かれたギリシャ語の原典をコプト語(当時のエジプトの言語)に訳したもので、この写本が作られた年代は3??4世紀とみられている。
(注3)8割程度しか修復できなかった。
その内容と意義をご説明しましょう。
(参照:英文はhttp://www.latimes.com/news/science/la-040606judas_lat,0,5191359,print.story?coll=la-home-headlines、http://news.bbc.co.uk/2/hi/americas/4882420.stm、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/04/06/AR2006040600921_pf.html、http://www.nytimes.com/packages/pdf/national/judastxt.pdf、http://www.guardian.co.uk/comment/story/0,,1748835,00.html。和文はhttp://www.nikkeibp.co.jp/news/life06q2/501112/、http://www.nikkeibp.co.jp/style/secondstage/tanoshimu/nng_060407.html、http://nng.nikkeibp.co.jp/nng/topics/n20060407_1.shtml)
2 内容
イスカリオテのユダ(Judas Iscariot)は、新約聖書のマタイ・マルコ・ルカ・ヨハネの福音書(gospels of Matthew, Mark, Luke and John)(注4)によれば、イエス・キリストに選ばれた弟子の一人でありながら,銀貨30枚と引き換えにイエスを裏切り、接吻を合図に敵の手に引き渡した使徒であり、その名は今も裏切りの代名詞となっています。
(注4)このうち、一番最後に書かれたヨハネの福音書でさえ、『ユダの福音書』より数十年早く書かれている。
しかし、今回新たに発見された『ユダの福音書』に描かれたユダ像は、まるで違い、ユダこそイエスの一番弟子であり、他の弟子たちと違ってキリストの真の教えを正しく理解しており、ユダがイエスをローマの官憲に引き渡したのは、イエス自身の言いつけに従ってのことだった、とそこには書かれています。
『ユダの福音書』の記述には、グノーシス派(Gnostics)と呼ばれる、2世紀にキリスト教主流派から分派したグループの思想・・後に異端とされた・・が反映されています(注5)。グノーシス派は、物質世界は至高の神ではなく下等な創造神のつくった不完全な世界とみなし、善の究極の源泉である神性は物質世界の外側にあると考えていました。『ユダの福音書』の中で最も重要なくだりは、イエスがユダに「お前は他のいかなる者(使徒)より卓越した存在となろう(exceed)。何となれば、お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とするであろうからだ」と語る箇所です。つまり、ユダがイエスを死に追いやったのは、イエス自身の望みに従った行為であり、イエスをその肉体から解き放つことによって、真のキリスト、つまり内なる神が解放されるというのです。ユダがこの役割を任されたのは、弟子達の中で特別な地位にあった証拠である、とこの福音書には書かれているのです。
(注5)65年前から、様々な福音書が発見されてきており、グノーシス派の手になるものだけでも、トマ(Thomas)、マグダラのマリア(Mary Magdalene)、フィリッポ(Philip)の三つの福音書がこれまで発見されている。
しかしイエスは、この結果ユダは「同時代の人々(=他の使徒)によって呪われることだろう。しかし、お前は彼らに君臨する(rule over)することになるだろう」(注6)とも言っています。
(注6)ご存じのように、前段は実現したが、後段はまだ実現していない。
3 意義
そもそも、新約聖書の中のヨハネとマルコの福音書においても、ユダは使徒の中でも尊敬されていた重鎮の一人であったことを示唆する箇所がありますし、学者の中には、新約聖書の原典のギリシャ語のparadidomiが「裏切る」と翻訳されたところ、本来の意味は「引き渡す」であるとし、ユダは単に神の意思を従っただけであることを示していた、と指摘する人もいます。
つまり、ユダが悪者に仕立て上げられたのは、聖アウグスティヌス(Augustine)等の初期キリスト教徒達がユダが往々にして代表すると見なされていたユダヤ人を悪者に仕立て上げる陰謀の一環であったのではないか、というのです。
最近、カトリック教会は、ユダヤ人差別につながってきたこのような考え方を是正する努力を行っていますが、『ユダの福音書』の英訳の公表は、かかる努力の追い風となる可能性があるのです。
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