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太田述正コラム#12122006.5.1

<ガルブレイスの死(その2)>

 (2) ガルブレイスの米経済学批判

 イギリスは、和辻哲郎言うところの人間(じんかん)主義的な個人主義の国であり(コラム#113114)、救貧法が1563年から1601年にかけて早くも制定されたhttp://www.tabiken.com/history/doc/E/E243C100.HTM。5月1日アクセス)という社会民主主義的な国です。

 ですから、「イギリス人」ガルブレイスが米国の裸の個人主義(rugged individualism)に違和感を抱いたのは当然のことでした。

 ガルブレイス自身、「コミュニティーだけが人々の福祉(wellbeing)を可能にする。いや、それどころか、コミュニティーがあって初めて人々の生存が可能になるのかもしれない」と語っています。

 そのガルブレイスにとって、経済学とは、個人と社会(国・地域・企業・労働組合、等々)の複雑な相互作用を研究する学問であって、そんな学問が米経済学のように、個人の合理的な経済行動が集合的に生み出すものを数理モデルで明らかにするような代物になるはずがなかったのです。

 ガルブレイスが常々、「<米>経済学は、経済学者が職にありつくためにはまことに重宝なものだ」と揶揄したのは、米経済学が空理空論だと思っていたからです。

 遺憾ながら、というべきか、1969年に新たに設けられた、ノーベル経済学賞は、「空理空論」を紡ぎ出した三ダース以上の米国人たる米経済学者達に与えられてきたというのに、ガルブレイスには与えられずじまいでした。

 その米経済学者達からガルブレイスは、お前は経済評論家であって経済学者ではない、という罵詈雑言を浴びせられ続けました。

 米経済学者が鬼の首を取ったように指摘するのは、ガルブレイスの、巨大企業はもはや市場によって左右されなくなっている、との主張がその後、事実によって、或いは理論的に否定された、という点です。

 確かに、ガルブレイスが巨大企業の典型として挙げたゼネラル・モータース等ビッグスリーは、消費者の選択、すなわち市場の力によって日本車が台頭することによって衰退してしまいました。また、1975年に創設されたマイクロソフトのような小ベンチャー企業が世界的大企業として既存の大企業に取って代わりました。そもそも1980年代から90年代の米国経済の隆盛は、伸び盛りの中小企業群によってもたらされた部分が大きいのです。更に、巨大企業が広告によって消費者の購買意欲を操っているとのガルブレイスの指摘も、どちらもノーベル経済学賞を受賞したベッカー(Gary S. Becker)やスティグラー(George J. Stigler)によって、広告は本質的に消費者にとって有益な情報を与えているとの証明がなされて否定されてしまいました。

4 米国が英国に接近した希有な時代にガルブレイスは活躍

 しかしガルブレイスは幸運な人間でした。彼の最晩年を除き、彼が活躍する余地が米国であったからです。

 それは、大恐慌以降長きにわたって、米国が、その歴史上めずらしくも、裸の個人主義を抑制し、英国的な社会民主主義政策をとらざるをえない状況にあったからです。

 それは大恐慌後のニューディール時代から始まり、先の大戦の総動員体制の時代を経て、ジョンソン政権下の偉大な社会計画の時代へと続いた、基本的には民主党政権の時代でした。

 ガルブレイスはこのうち、総動員体制の時代には有能な経済官僚として、偉大な社会計画の時代にはその発案者として関わるのです。

(続く)

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