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太田述正コラム#13152006.6.24

<読者との対話>

1 始めに

 その後も二人有料講読申込者があり、現在70名です。

 有料講読を迷っておられる方々に参考にしていただくべく、三つのメールをご紹介します。

2 米国在住の有料講読申込者のメール

コラムを読ませていただき、ありがとうございます。

xx(米国の某大都市(太田))に来て4年になります。

今年、大学生になる息子から小学生まで子供が5人おります。

太田さんのコラムは、うちの子供たちの宿題やレポートの資料の一部になっております。

アメリカでは、この国から見た歴史の見方を教えますので、太田さんコラムに載っている、ヨーロッパ及び英国からの歴史が、新鮮でためになります。

あまり裕福ではないのですが(商社や派遣でなく、日本に職がないのでこちらに来た経済難民です)、子供たちの強い希望により、有料購読をお願いします。

<太田>

 うれしいですねえ。

2 コラム#1309の「投稿常連の読者」のメール

(少し手を入れさせていただきました(太田)。)

意外と有料講読を申し込んだメンバーが多く、先生も驚かれたことでしょう。

常識ある人間にとっては、先に書きましたように「ただほど怖いものは無い」のです。この意味はお分かりだと思います。先生のコラムのような、典拠を示しつつ独自の考察がなされているものについて言えば、システムの維持費がかかるからただであってはならない、のではなく、コラムの質が高いからこそただであってはならないのです。

先生は、高い能力を持っておられる上に、然るべき現場経験・世界的な情報網・タイミングの良いニュースソースの把握・問題意識と洞察力・人間性やそれの具象化たる歴史のエッセンスの把握・事の軽重を付けうる人間力・これらの内容を一般化して平易に解説する力、など多用な素養を身につけておられます。従って先生のコラムは、先生が切っ先を向けられる霞ヶ関等の住人達のごときが容易にマネをできるようなものではありません。

先生が設定された半年5,000円という購読料は、このような高い能力・資質をお持ちの先生が書かれるコラムの値打ちを考えれば安いものです。

しかし、安いとはいえ、有料化された以上、今後コラムを発信される先生にとってもこれを読む側にとっても、従来のように気楽に書いたり読んだりはできなくなるのでは?

また、今後事態がどのように展開していくかは分かりませんが、どんどん有料購読者数が増えて先生の収入が増えて行けば、税務当局も目をつけることでしょうし、およそ「会費制」をとられた以上、読者に対する収支の「公開性」が求められる、とも思います。

このように考えてくると、有料化にともなって、結構先生に余計な負担が掛かりそうであり、やがてスタッフも必要になるのではないか、などといらざる心配をしてしまいます。

先生のことですから、こんなことは先刻ご承知の上で、有料化を決断されたとは思いますが、いささか心配になったのでメールを差し上げた次第です。どうかあしからず。

太田

 過分の誉め言葉をいただき、また色々ご心配いただき、恐縮です。 

 早くスタッフがつけられるような身分になりたいですね。

 コラム収支の公開は行うよう心がけます。

3 有料講読を検討中の読者のメール

有料購読を検討中のxxと申します。

今、申し込みをするかどうか迷っています。

私は太田メールさんのメール内容を高く評価し、購読を続けたいとの意識が強いのにも関わらず、今一歩有料購読に踏み切れない状況です。

私が有料購読に踏み切れない理由を正直に書きますので、何卒他の方のご意見もお聞き戴き、ご検討を頂く様お願い致します。

 どうかお気を悪くなされないで頂ければ幸いです。

【有料購読に踏み切れない理由】

「人格と識見のギャップに苦しんでいる」からです。

メールの内容は素晴らしく、太田さんの識見には敬服致しております。

しかしながら、太田さんの人格に疑問を持ちます。

疑問を持つ理由は以下の通りです。

 ・批判的意見に対して、ご自分では理論的に且つ冷静に反論し認めるべき所は聞き入れている「つもり」らしいが、基本的に唯我独尊的な状態と感じられる。

  具体例(沢山あるが、取り敢えずの一例)

   「1回のコラムの分量が、初期の頃に比べて短くなっているのは事実です。しかし、現在の1回コラムの分量が、私にとっては最適です。」

   質問者は、「私にとって最適」な分量を聞いてはいません。

   「質問者にとって最適」な分量をリクエストしてます。

   本来はどのように回答すべきか、良くお考え戴きたい。

 ・太田さんを支える人々への感謝の記述が「うわべだけ」と感じ  られる。

  具体例(沢山あるが、取り敢えずの一例)

   太田さんは、ブログ購読者やメルマガ登録者の僅かな変動に一喜一憂されます。実は新規登録者や購読者が多く出た時は他のブログやメルマガで太田さんのサイトが紹介された時です。

   私自身も、「株式日記と経済展望」

   http://blog.goo.ne.jp/2005tora

   から、ジャンプしてきました。

   このような、好意的サイトへの感謝のお言葉やお気持ちが伝わってこないのです。

私は、「太田コラム」の内容に賛同し、支持者の一人として有料購読者が増えることを希望しております。

しかしながら、今の太田さんの人格ではイマイチ有料購読に踏み切れません。

コラムの内容が秀逸で、太田さんの識見が抜群なだけに惜しくて堪りません。

特に、日本独立に向けた戦いは惜しみ支援したいと強く思っております。

断じて太田さんの全人格を否定するものではありません。

どうか、残る僅かな瑕疵を修復して有料購読に踏み切ることが出来るようご検討をお願い致します。

大変失礼しました。

益々のご発展を心より祈念致しております。

<太田>

 これまでの人生で随分多くの人と出会ってきましたが、人格的に非の打ち所のないような人は一人もいませんでした。私にも無数の欠点があるに違いありません。

 確かに世の中には、宗教指導者等のように、人格的に非の打ち所がないように見せる能力が求められる職業があります。

 しかし果たして、私のように批判(クリティーク)の発信を旨としている人間にそのような能力が求められるのか、そこはよくご自身でお考えいただきたいと思います。

映画「アマデウス」(及びその原作)で描かれたモーツアルトの困った人格が、事実であろうとなかろうと、そんなことは、彼の作曲したレクイエムやピアノ協奏曲イ長調(K.488)第二楽章アダージョのすばらしさとは何の関係もないことです。

モーツアルトなどを引き合いに出すのがお前の至らぬところだ、としかられそうですが、私のコラムの価値も、私の人格とは切り離してご判断いただけないものでしょうか。

コラムの分量についてのご指摘について一言。

私が申し上げているのは、私の1回のコラムの分量は、一つのテーマを論じるのに最低必要な分量である・・そういう意味で私にとって最適な分量だ・・ということです。その分量で論じきれないテーマはシリーズものにしています。

1回で完結したコラム中、何番と何番については、テーマを論じ切れていない、という具体的なご指摘をいただければ幸いです。

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