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太田述正コラム#1378(2006.8.16)
<朝鮮日報と小泉首相の靖国参拝>
1 始めに
小泉首相の8月15日の靖国神社参拝をめぐっての論議の中で、一番印象に残った朝鮮日報の東京特派員によるコラム(日本語電子版で「社説」に分類)
(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/15/20060815000016.html
。8月16日アクセス)をご紹介しておきましょう。
2 朝鮮日報のコラム
ぜひ、直接このコラムにあたっていただきたいものですが、このコラムを私なりに抜き書き整理すると次のとおりです。
「・・一般に、日本において「ヒットラー」と並び称される戦争狂は「東条英機」だ。「過大評価」とも取れるが、太平洋戦争の開戦当時に首相であったことから永遠に汚辱を逃れられない立場にある。・・<しかし、>先月20日に公開された昭和天皇の発言メモに・・登場する<の>は二人の「A級戦犯」の名前・・松岡洋右元外相<と>・・白鳥敏夫元駐伊大使<だ。>・・ともに三国同盟を主導した人物<であるところの>松岡と白鳥の罪は「戦争を起こした罪」ではなく、「世の中の流れを読み間違えた罪」だ。 彼らは世界で最も強い国がどこの国か知らなかったか、あるいは知っていながらも沈黙した。そして「国を誤った方向に導いた罪」を犯すことになった。世の中が移り変わるのに気付かなかったために、世界で最も強い国と銃口を突きつけ合う陣営に日本を加えさせたのだ。侵略だろうが、防衛だろうが、ひとたび戦争が起きれば軍人は「進撃」を叫ぶよりほかない。そして軍人を勝てる側に導くのが外交官の役割だ。だからこそ昭和天皇にとっては、数多くの戦争狂よりも国を誤った方向に導いたこの二人の外交官に対する恨みの方が強かったのかもしれない。・・われわれは帝国主義時代の日本を道徳的な物差しで評価している。邪悪な国だったから崩壊したという論理だ。だが当時日本は、米国と同じ側に立つか、あるいは少なくとも米国との対立を避けられる機会が何度もあった。日本が策を凝らして機会を逃さなかったなら、その後の東アジアの歴史は大きく変わっていたことだろう。だが結局、日本の軍部は中国での戦果に酔い、外交官は自ら構築した枠組みに執着し、世界で最も強い国との戦争に突入する「自滅の道」を歩んだ。日本では「昭和天皇発言メモ」の公開以来、戦争責任論が活発化している。「正義」を問うのではない。「誰が汚い戦争を始めたのか」ではなく、「誰が強大な米国との戦争に国を導いたのか」を問うものだ。そしてその責任者こそ靖国神社に合祀された14人の「A級戦犯」だ。 61回目の敗戦の日を迎えた東京で、日本の過去を通じ、韓国の現実を再考する機会を得た。」
このコラムを「正しく」読み替えながら圧縮すると次のようになります。
「われわれは帝国主義時代の日本を道徳的な物差しで評価してはならない。日本は邪悪な国であって1941年に始めたのも汚い戦争だったなどと言うべきではないのだ。(当然のことながら、邪悪なファシスト政治家であったヒットラーと帝国主義日本の有力軍事官僚に過ぎなかった東条とを同一視すべきではない。)帝国主義ということでは、当時の日本も米国も五十歩百歩だった。A級戦犯等の当時の日本の指導者達が批判されるべきだとすれば、それは帝国主義日本をより強大な帝国主義米国との戦争に導びき、その結果として日本に無惨な敗戦をもたらしたことに尽きる。(当時の日本の指導者達の中では、軍人達よりも文民達の方がより責められるべきだ。)もし彼らが日米戦争を引き起こしたりしなければ、その後の東アジアの悲劇的な歴史は回避できたであろうだけに、韓国人のわれわれとしても残念でならない。(例えば、少なくとも朝鮮半島の分断はなかっただろうし、支那で中国共産党が政権を樹立することもまずなかっただろう。)」
いかがですか?
このコラムは、日本国内の靖国論争の本質の分析としても秀逸ですが、韓国の朝野の圧倒的多数の靖国観、ひいては日本観に対し、根本的な異議申し立てを行っているという意味で、すごいと思います。
韓国のノ・ムヒョン政権や、韓国の与党が口を極めて小泉首相の靖国神社参拝を非難しているのは当然だとして、韓国の野党のハンナラ党までが、「光復節の日に靖国神社参拝を強行したことは、被害国のまだ癒されていない傷に塩を塗るのと同じ行為。これは侵略行為を正当化するものであり、小泉首相による現代版第2の侵略<であると批判し、>日本が依然として帝国主義の妄想に取り付かれているとの疑いを持たざるをえない。靖国参拝は結果的に日本を国際社会から孤立させる<と警告している>」
(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/15/20060815000034.html
。8月16日アクセス)中で、上記コラムを社説として掲載した朝鮮日報の勇気を称えるべきでしょう。
望蜀の感があるのは、このコラムが日本を強大な米国との戦争に導いたのが「世の中の流れを読み間違えた」当時の日本の指導者達であるとしている点です。何度も申し上げてきているように、話は全く逆であって、「世の中の流れを読み間違えた」米国の指導者達が米国の強大さを頼んで日本を米国との戦争に追い込んだのでした。朝鮮半島の分断も支那における中国共産党政権樹立も、従ってまたその結果もたらされた朝鮮戦争や中共での大躍進/文革の悲劇も、この米国の指導者達の愚行が原因なのです。
しかし、それを言うべきは日本人のわれわれであり、韓国の新聞にそこまで求めるべきではないでしょう。
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