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太田述正コラム#1429(2006.10.3)
<佐藤優の「国家の罠」(その4)>

 (「その3」に手を入れてブログとHPに再掲載してあります。)

 (2)各論
  ア 自民党政治家論
 佐藤優は自他共に認める鈴木シンパであり、佐藤自身は常に鈴木のことを誉めていますが、それでも「国家の罠」を注意深く読めば、鈴木のすさまじい欠点が見えてくる(39、80、88、93、116、168??169、251??253、272??273、285??286、289、348頁)はずです。
 私の経験に照らして申し上げますが、ここで大事なことは、鈴木宗男という政治家は、その長所も欠点も自民党の他の大部分の政治家・・とりわけ経世会所属の政治家・・と共有しており、偏執狂的でエチケットに悖ることで欠点が増幅されているところが特異なだけだ、という点です。
 ですから、典型的な自民党の政治家がどんな人物であってどんなことをしているのかを知りたいのであれば、この本はお薦めです。自民党の政治家は、自民党に投票してきた多くの選挙民・・つまりあなた?・・の写し絵でもあることを考えると、この本を読めば、己自身を知ることにもつながる、というオマケも期待できますよ(注8)。

 (注8)鈴木宗男の天敵だけに、佐藤は田中真紀子批判に余念がない(頁省略)。田中もまた、長所よりも欠点が数倍という政治家だが、彼女は典型的な自民党の政治家では全くない。だから、田中真紀子を知ってもしようがない。
  
  イ 日本の官僚機構論
 外務省の嘆かわしい現状・・これは日本の官僚機構共通の現状でもある・・について知りたい人にもこの本や「自壊する帝国」はお薦めです。
 さわりの部分を抜き出しておきましょう。

 組織問題:「外務省には、・・「スクール」と呼ばれる、研修語学別の派閥が存在する。・・さらに、外務省に入ってからの業務により、・・「・・マフィア」というような派閥が存在する。・・人事はもっぱら「スクール」や「マフィア」内で行われ、情報もなるべく部外へは漏らさないことで、省内にはいくつもの閉鎖した小社会が形成されることになった。・・派閥があれば必ず抗争が生じ、・・往々にして抗争自体が自己目的化しはじめる・・。そうした動きを組織が抑えきれず、組織の目的追求に支障を来すようになった時、組織自体の存亡にかかわる危機となる」(58??60頁)
 職員の傲慢さ:「日本人の実質識字率は5%だから、新聞は影響力を持たない。ワイドショーと週刊誌の中吊り広告で物事は動いていく」(76頁。同趣旨232、288頁)
 キャリアの堕落:「<外務省>キャリア・・は基本的に出世しか考えていない。それがダメになると威張り散らすことかカネを貯めることしか考えない。それだけだ。・・ほんとうに大きな仕事をしたいなら、早く外務省を辞めることを考えた方がいい。・・40歳を超えると外務省の給料は急によくなるのでやめられなくなる。決断はできるだけ早くしたほうがいい」(「自壊する帝国」120??121頁)、「キャリアの連中はひどく陰険な足の引っぱり合いをする」(「自壊する帝国」122頁)、「田中外務大臣の言行<について、>外務省<は>組織的に怪文書作りをし、幹部がそれを配布して<歩いた>」(80頁)、「外務省は、・・危機の元凶となった田中真紀子女史を放逐するために鈴木宗男氏の政治的影響力を最大限に活用した。そして、田中女史が放逐された後は、「用済み」となった鈴木氏を整理した。この過程で鈴木宗男氏と親しかった私も整理された」(60頁)
 佐藤の悲痛な叫び:「上司の命令に従っても、組織も当時の上司も下僚を守らず、組織防衛のために下僚に対する攻撃に加担する、あるいは当時の上司は外国に逃亡してしまうという外務省文化が私の事件を巡って露呈した」(389頁)

  ウ 日本の「外交」政策論
 佐藤は、「冷戦構造の崩壊を受けて、外務省内部でも、日米同盟を基調とする中で、三つの異なった潮流が形成されてくる。・・第一の潮流は、・・これまで以上にアメリカとの同盟関係を強化しようという・・「親米主義」<の>・・考え方である。・・第二の潮流は、「アジア主義」である。・・第三の潮流は、「地政学論」であ<り、>・・距離のある日本とロシアの関係を近づけること<によって、>・・影響力を急速に拡大しつつある中国・・を押さえ込む・・必要があると考えた<。>・・「地政学論」<は>・・橋本龍太郎・・、小渕恵三、森喜郎・・の三つの政権において、・・重視された」(56??58、118頁。「自壊する帝国」15??16頁)と指摘しています。
 しかし何のことはない。
 佐藤自身が、「田中真紀子女史が外相をつとめた9ヶ月の間に、・・田中女史の、鈴木宗男氏、東郷氏、私に対する敵愾心から、まず「地政学論」が葬り去られた。それにより「ロシアスクール」が幹部から排除された。次に田中女史の失脚により、「アジア主義」が後退した。<こうして、>「チャイナスクール」の影響力も限定的になった。そして、「親米主義」が唯一の路線として残った」(118頁)と記していることからも明らかなように、これは、外務省内の派閥間のコップの中の争いに過ぎなかったのです。
 米国の保護国である日本に外交政策など存在し得ないことは言うまでもありません。
 そんなコップの中の争いをしているヒマがあったら、外務省は、日本を米国から独立させ、外交政策を日本の手に取り戻すための戦略を練るべきなのです。
 このことを自覚するためにも、この本や「自壊する帝国」はお奨めである、とあえて申し上げておきましょう。

(完)

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