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太田述正コラム#1528(2006.11.25)
<日本の核問題をめぐって(その2)>
(本扁は、コラム#1523の続きです。)
4 コラム「美しい国の核密約」について
(1)氏の主張
しかし、私の懸念はやはり的中しました。
マスター・H・N氏は次のコラム、「美しい国の核密約」の中で次のようなことを主張されたからです。(かなり圧縮しました。)
佐藤栄作・・首相のときにつくった・・非核三原則・・は・・核兵器を持たない、作らない、持ち込ませないという三原則<だ>。・・<問題なのは、>持ち込ませない、という3番目の原則<だ>・・。<この原則をめぐって、>日本の米軍基地に核兵器を搭載した原子力空母や潜水艦が寄港しているのではないか、日本の領海内を核搭載艦船が通過したのではないか、といった議論が山のようになされ・・た。
<しかし、そもそも、>持ち込みという・・日本語<は、>英語では・・通過を意味するトランジット、・・進入を意味するエントリー、そして・・貯蔵を意味するイントロダクション<の>3つを意味して<いるところ、実は、>1960年に日米安全保障条約を改定した岸元首相は・・マッカーサー将軍の甥であるマッカーサー米国大使・・との間で、最初のトランジットとエントリーは認める密約を結んでいた。
<ところがこの>密約・・が、岸政権から池田政権に引き継がれていなかった。
<だから、非核三原則がつくられた>後の国会論議の中で、歴代政府は<、>核兵器の日本領域内<設置はもとより、>通過<や進入も>日米安保条約の事前協議の対象になるから、米国からいまだかつて事前協議の申し込みがないところを見ると、核兵器の<貯蔵はもとより、>通過<や進入も>ないのだと・・繰り返してきた。
<見かねて、>1963年4月4日・・ライシャワー大使が大平正芳外相を呼んで、・・核兵器は日本国内の武器庫に貯蔵され・・ない限り、持ち込んだということにはならないのだ、・・と<注意を喚起した>。
その後、核兵器積載艦船の日本寄港<(進入)>の事実は、1974年9月にラロック<米>退役海軍少将、1981年5月にライシャワー元大使によって明らかにされ・・た。イントロダクション以外は日常茶飯事だったということは、すでに日米現代史の研究者の間では常識になって<おり、>つい最近も、米国務省関係の資料で裏付けられ・・た。
1972年5月、佐藤内閣の下で沖縄が日本に返還され・・た・・。沖縄にはそれ以前、メースBと呼ばれる核基地があ<っ>たが、佐藤元首相は、いわゆる『核抜き』の返還を要求し、表向きそれに成功し・・た。しかし、裏ではニクソン大統領との間にやはり密約が結ばれていて、有事の際には再貯蔵するという約束が取り返され・・た。<こ>の密約の件は、まさにイントロダクションに当た<る。>
つまり、非核三原則<中の「持ち込ませない」>というのは、いまや嘘であることがはっきりしている・・。
<嘘で国民を欺く日本政府はけしからん。>
(2)私の批判
氏のお考えが必ずしも明確ではないので困るのですが、氏は、日本は米国の核抑止力に依存すべきではないのであって、米国の核戦略には一切関与するな、というお考え(考え方A)のようです。
また氏は、そのようなご自分の考え方は考え方として、仮に日本が米国の核抑止力に依存すべきだという考え方に立ったとしても、非核三原則は、日本語の字義通り厳格に遵守されなければならない(考え方B)、と主張されているようです。
考え方Aは、結局のところ非武装論/安保体制不要論に帰着するので、わざわざ論評する必要はありますまい。問題は、考え方Bの方です。
私は、非核三原則は、厳格に遵守されてきたと考えているので、氏がなぜ肩に力を入れて日本政府を批判しておられるのか理解できないのです。
まずは、1990年に横須賀市が行った二つの照会に対する外務省の回答(
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/kithitai/08/h02.html
。11月24日アクセス)をお読みください。
<横須賀を母港とすることになった米空母インディペンデンスの核装備の有無について> 安保条約上、艦船によるものを含め、核兵器の持ち込みが行われる場合は、すべて事前協議の対象となり、また、核持込みについての事前協議が行われた場合、政府としては常にこれを拒否する所存であるので、非核三原則を堅持するとの我が国としての立場は十分確保されると考える。
政府としては、米国政府は核持ち込み問題に対する我が国の立場及び関心を最高首脳レベルを含めて十二分に理解しており、核持ち込みの事前協議が行われない以上、米国による核持ち込みがないことについては何らの疑いも有していない。
<横須賀に寄港することとなった英艦艇3隻の核装備の有無について>
国連軍の我が国への駐留の根拠となっている吉田・アチソン交換公文及び国連軍地位協定上は、核の我が国への持ち込みが認められているいかなる規定も存在せず、また、これらの締結された趣旨に照らしても、国連軍による核の我が国への持ち込みは本来的に予想されていないところであり、核の我が国への持ち込みに当っては、別途我が国の同意が必要である。
「非核三原則」に基づき、艦船によるものも含め、我が国への核兵器の持ち込みが行われる場合には、これを拒否する所存である。
我が国の友好国たる国連軍地位協定締約国が無断で核を持ち込むようなことは考えられない。
いかがですか。
二つの回答は矛盾していると思われる方が少なくないのではありませんか。
しかし、この一見矛盾するような二つの回答が意味しているところは、非核三原則の第三原則は、イントロダクションだけを禁止している、ということなのです。
そして、このことを遅くとも1990年までに日本政府は明確に宣言している、ということなのです。
どうしてそのように読めるのでしょうか。
第一に、「持たず」「作らず」と違って「持ち込ませず」については、核武装国の同意がなければ実効性が担保されないところ、事前協議制がなく、また、その政府と日本の非核三原則に係る協議が行われたこともない以上、日本政府の同意なくして日本の米軍基地に軍隊を出入りさせることができる<朝鮮>国連軍地位協定締結国中の核武装国・・英国とフランス・・は、米国と違って自由に日本国内の所定の米軍基地に核兵器を持ち込めるはずです。
第二に、英国とフランスが核兵器を日本に自由に持ち込めるのに、米国は持ち込めないというのでは、著しくバランスを失することになります。
第三に、日米間で事前協議の対象となるのは、米軍配置の重要な変更、装備の重要な変更、日本国内の基地からの戦闘作戦行動、の三点であり、核兵器の持ち込みは「装備の重要な変更」に該当するとされている。11月22日アクセス)ところ、これまで米側から事前協議が提起されたことはない(
http://www.toonippo.co.jp/rensai/ren2000/misawa/msw0321.html
。11月22日アクセス)のですから、これまで一度も米国は核兵器を日本に持ち込まなかったことになります。
第四に、しかし、かつて米軍の主要艦艇は日常的に核兵器を搭載していたことは、ラロックとライシャワーの証言(上掲)からも明らかです。
第五に、その一方で日本政府は、「核持込みについての事前協議が<米国との間で>行われた場合、政府としては常にこれを拒否する所存である」と言明してきています(上掲)。
以上から、「持ち込ませず」は、イントロダクションだけを意味する、という結論になります。
すなわち、米国が日本に約束しているのは、核兵器の日本へのイントロダクションの回避だけだ、ということなのです。
それでは、米国はダメだけれど、英国やフランスは核兵器を日本に自由にイントロダクションできるのでしょうか。
できません。
というのは、まず第一に、現在、英国やフランスは自前の基地を日本国内に保有していません。新たに基地を保有しようと思ったら、日本政府の同意を得なければならず、当然その時に日本政府は核のイントロダクションを禁ずる条件を付けるはずです。
第二に、では、在日米軍基地への英国やフランスによる核のイントロダクションはできるのでしょうか。
これもダメでしょう。
米国は、在日米軍基地の管理権を持っていると同時に、朝鮮国連軍として在日米軍基地に入った英国軍やフランス軍の指揮権を持っていることから、英国やフランスによる核兵器のイントロダクションは、即、米国によるイントロダクションを意味するからです。
最後にもう一つ肝心なことを申し上げなければなりません。
以上は平時の話であって、有事はまた別だ、ということです。
有事には、ローマ法以来の「Necessitas non ha- bet legem.」(緊急は法を持たない)という法諺があてはまる(
http://www.shufuren.gr.jp/05kikanshi/1999/9907_12.html
。11月25日アクセス)ところ、そもそも非核三原則、就中その第3の原則、は法ですらないからです。
朝鮮有事だろうが日本有事だろうが、有事において必要が生じれば、日本に米国や英国やフランスが核兵器を持ち込むことは想定できるのであり、その場合、米国から事前協議があれば、日本政府はそれに同意するでしょうし、時間的余裕がなくて事前協議なくして持ち込まれてしまった場合も、日本政府はそれを黙認することでしょう。
沖縄返還時のいわゆる核の密約(上掲)は、単にその当たり前のことを日米両国政府が確認し合っただけなのであり、何ら問題にするにはあたりません。
確かに、政治家や、政治家にひっぱられて外務官僚が、あたかも非核三原則がトランジットやエントリーまで禁じているかのような不規則発言を、折に触れて国会の内外で行ってきたことは事実ですが、政府の正式の文書にそんなことは一切書かれていないはずです。
ですから私は、非核三原則は厳格に遵守されてきた、と申し上げたのです。
さて、以上は、マスター・H・N氏の設定された狭い土俵上での議論です。
この土俵をとっぱらってみると、恐らく氏が全くご存じないであろう、深刻な問題が見えてくるのです。
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