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太田述正コラム#1544(2006.12.3)
<日本・米国・戦争(その3)>
(現在、来年1??6月の新規有料読者を募集中です(コラム#1540の後半参照)。この半年分の会費は5,000円です。会費を納入された方でご希望の方に、当コラムの全バックナンバー(有料コラムを含む。主要関連投稿付き)を差し上げます。お申し込みは ohta@ohtan.netへ。
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まだ、一人の新規申込みもありません。そろそろご決断を!)
(本扁は、コラム#1538の続きであり、情報屋台(
http://www.johoyatai.com
のコラムを兼ねています。情報屋台を冷やかした感想をぜひ私の掲示板に、あるいは私へのメールでお寄せください。)
(3)米国はベトナム戦争の戦争目的を達成できたのか?
米国は、北ベトナムによる南ベトナム併合を阻止する、という直接的な戦争目的こそ達成できませんでしたが、東南アジアにおける共産主義勢力のベトナムを超える伸張を阻止する、という、より大きな戦争目的は達成できました。
しかし後者は、もともと、米国が何もしなくても達成できたことなのですから、ベトナム戦争への米国の介入は、人類史上最大の愚行の一つ、ということになります。
何せ、ベトナム戦争でのベトナム人の死者だけで推計510万人であり、これは、当時のベトナム総人口3,800万人の13%強に及ぶ(http://www.rjsmith.com/kia_tbl.html#press。太田述正コラム#619)のですから・・。
もちろん、ナショナリズムなどという愚かなイデオロギーに毒されて、犠牲を全く顧みず、南北ベトナム「統一」にひたすら血道をあげた北ベトナム/ベトコン側も厳しく批判されなければなりません。
恩讐を超え、今米国とベトナムは、単に友好関係にあるだけでなく、米国の大統領が言いたいことを言ってもベトナム側からとがめられない、という成熟した関係にあります。
11月末にハノイで開催されたASEAN拡大首脳会議に臨んだブッシュは、現地で、「自由のイデオロギーが憎しみのイデオロギーに打ち勝つには時間がかかる。だから、われわれは<イラクではベトナムの時のように>撤退すべきではないのだ」と、まっとうなことをズバリ言ってのけました(
http://cbs2chicago.com/nationalpolitics/politicsnational_story_321074804.html
。11月3日アクセス)。
同じ会議に臨んだオーストラリアのハワード首相は、もっと過激な発言をしました。
「私は、40年以上前にベトナム戦争へのオーストラリアの派兵を支持したが、そのことを後悔はしていない」と(
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/HK30Ak03.html
。11月30日アクセス)。
ハワードのこの発言は、旧宗主国英国の意向にも反して、ベトナムに不必要な派兵を行ったオーストラリアの愚行を追認するものであり、嘆かわしい限りです。
オーストラリアは、米国よりも更にできが悪いアングロサクソンであると言わざるをえません。
こんなハワードの発言すらとがめようとしないベトナムの姿勢を見るにつけ、ベトナム戦争より30年も前に終わった日支戦争の謝罪をいまだに日本に求め、日本の首相の靖国神社参拝を執拗に非難し続ける中共の異常さが際だちます。
(「支那」、「中共」という言葉を私が使用している理由は、太田述正コラム#294参照。)
3 日本の対米戦争について
(1)日本が対米戦争を行ったのは当然
総身に智恵が回りかねる大男という形容がぴったりの米国だって、次第に分別はついてきています。
しかし、日本が先の大戦で戦うこととなった米国は、まだ、さして分別のついていない頃だったことが、日本、ひいてはアジアに巨大な悲劇をもたらすのです。
分別がついていないとは、当時の米国が有色人種差別に凝り固まったとんでもない国であったことや、その経済力に比して弱体な外交・諜報・軍事能力しか持っていないといういびつ極まる国であったこと、等を指しています。
そして巨大な悲劇とは、日本が被った未曾有の人的物的被害のほか、例えば、朝鮮半島の分断と、その結果として生じた北朝鮮による南朝鮮侵攻に始まる朝鮮戦争の惨禍であり、また、支那における中共なる毛沢東独裁政権の樹立と、その毛沢東が引き起こした大躍進政策や文化大革命の惨劇です。
大英帝国の過早な崩壊と、それがもたらした3次にわたる印パ戦争等も付け加えてよいかもしれません。
当時の日本人は、このような類の悲劇が起きるであろうことを予期し、それを何としてでも避けるため、やむを得ず、分からず屋の米国と戦ったのです。
林房雄の大東亜戦争肯定論の新バージョンだな。右翼め!と思わずに、もうしばらくご辛抱ください。
更に説明をするために、一旦時計の針を江戸時代まで巻き戻しましょう。
(続く)
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