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太田述正コラム#1560(2006.12.11)
<支那は民主化できるか(その1)>

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1 始めに

 北京大学の政治学の先生であるJiang Rongが、儒教の影響を色濃く受けている漢人文化の特徴は専制と権力盲従であるのに対し、狼をトーテムとしているところの遊牧文化の特徴は自由・独立・敬意・不撓不屈・協働・競争であるとした上で、支那文明はこの漢人文化と遊牧民文化の二つの文化によって成り立っているのに、前者が後者を抑圧してきたことが、支那文明が欧米の文明に後れを取った原因だと指摘している、と以前(コラム#997で)記したところです。
 ちなみに、それより以前(コラム#626、633??537、643、658、659、668、671で)、私自身、モンゴル文明と自由・民主主義との親和性を指摘したところです。
 いや、そんなことはない。
 漢人文化にも自由・民主主義と親和性のある要素がないわけではない、とAcademia Sinica Europaea at the China Europe International Business School(上海)のゴセット(David Gosset)所長がアジアタイムスに書いているので、その要旨をご紹介しましょう。

2 ゴセットの主張

 (1)漢人文化における自由・民主主義的要素
 胡適(Hu Shi。1891??1962年)(コラム#178)は、1941年に、漢人文化には自由・民主主義の三つの知的基盤と三つの歴史的基盤があると記した。
 胡適の言う三つの知的基盤とは、孟子(Mencius)の性善説、及び放伐論、そして臣には君を諌言する義務があるとする観念であり、三つの歴史的基盤とは、第一に、インドとは全く異なる非階級的社会であり、第二に、社会移動やエリートの更新、あるいは忠実な官僚制や社会の均質化をもたらしていたところの、客観的かつ競争的試験制度にして近代的な昇任制度たる科挙(keju。西太后によって1905年に廃止)であり、第三に、機関間の競争と監察機能を内包していたところの伝統的統治機構だ。
 そもそも、支那の皇帝は専制的独裁者ばかりではなかった。
 清(Qing)の第4代皇帝の康熙帝(emperor, Kang Xi。1654??1722年)は、「皇帝が国の全ての官吏を知ることはできないのだから、皇帝は、官吏自身による人事評価や、監察官による悪徳官吏の弾劾に委ねざるを得ない」とか、「視察の際、朕は庶民と話をしたり、庶民の陳情を受けたりすることによって彼らの困っていることを学んだ」と言っているが、康熙帝がルイ14世やピョートル大帝と同世代人であって、しかも1億5,000万人の人口を擁する帝国の平和と繁栄を確保しなければならない人物であったことを考えると、その開明ぶりは相当なものだ。
 また、支那の道教には、無為(wu wei)の観念があり、これは政治的自由主義の源たりうる。

 (2)支那型自由・民主主義
 支那は、これらの漢人文化における自由・民主主義的要素を生かして、北欧州型とはひと味違った支那型の自由・民主主義を追求することができる。
 近代支那においては、支那には自由・民主主義的伝統がないとして、自由・民主主義化に反対する保守派と、北欧州型の自由・民主主義を支那に直輸入しようとする進歩派とがせめぎあってきたが、そのどちらも間違っている。
 支那において自由・民主主義を追求するにあたってもう一点考えなければならないことは、支那が巨大かつ不均質だということだ。
 何せ、支那は国民国家群なき欧州といった代物であり、多数の話し言葉と単一の書き言葉がある。またその人口は、米国の人口の4倍であり、EUプラスアフリカの人口もあり、22の省のうち9つはフランスより人口が多い。開放政策の結果、沿岸諸都市はロンドンやシドニーやサンフランシスコと見まがうばかりになったが、内陸部は甚だしく立ち後れている。
 もっとも、多かれ少なかれ支那は昔から土地も人口も巨大で不均質だったのだ。
 羅貫中(Luo Guanzhong。1330??1400年)は三国志演義(Romance of the Three Kingdoms)の冒頭に「天下は長期の分裂状態を経て統一されるが、長期の統一状態を経て再び分裂する」と記したが、統一と均質化は、支那の歴史を貫く最大の課題なのだ。
 だから、自由・民主主義を追求するにあたっては、それが支那の分裂と野放図な不均質化をもたらすことのないように慎重に進めなければならない、ということだ。(野放図な不均質化はダメだが、香港やマカオの特別扱いは、「適度な」不均質であると言えよう。)

(続く)

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