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太田述正コラム#1596(2006.12.29)
<ある読者との対話>
<リタイアして海外に在住する某有料読者>
太田述正コラム・バックナンバーを読んで・・感想とコメント
太田述正様、送られた膨大な量のコラムを読み終えたところです。多岐にわたる分野を斬新な角度から検証した内容はただ驚くばかりで久しぶりに知的興奮を味わい、気がついたら辺りが明るく成っていたと言う事が度々有りました。只し、読解力向上のため「天声人語」を読め、との太田さんの指摘にはいささかショックを受けました。科学技術文書は簡潔、明瞭そしてポルノ小説の如く赤裸々に書け、と指導されて来た理系の私は、部下や後輩に対し 「天声人語の様な文章を書いてはいけない」と指導して来たからです。こうした前科のある私に太田さんのコラムを全て正しく理解把握する事は出来ないのでしょうが、私が理解した範囲で考えた 事を述べさせて頂きます。
ラクビーやサッカーでは選手を褒め讃える場合 “ナイス・プレー(遊ぶ)” という表現が使われ、ヨット競技では “ナイス・ジョブ(仕事)” という表現 が使われます。何故だろう?と思っていたのですがその理由が解りました。アングロサクソンは元々海賊が本業だったので陸上での競技は余暇に属し、海で船を 操る事は仕事に属する訳なのですね。まあこれは半分冗談ですが。
太田さんが主張する日本の米国からの独立について、全面的に賛成します。しかし、「吉田ドクトリンからの脱却」は最終目標として、それに至る過程として幾つかの意識改革が日本人には必要なのではないでしょうか? 例えばアメリカのものは何でも良いとする意識、そして軍事力の保有が戦争に直結すると言った意識 の改革です。私は武道(柔道・合気道)の愛好家でもありますが、武=争いではありません。日本は各種の武道を生み出した国であり、武道経験者には寧ろ温厚な人が多い事は良く知られていると思うのですが、未だ前回の大戦の後遺症から抜け出せていない人が多いと思われます。一方、愛や善の等を標榜する宗教家が 闘争的であったり(例えば、ブッシュ政権の先制攻撃論は、要するに殺られる前に殺っちまえという事で、私にはヤクザかマフィアの論理に聞こえ、とても隣人愛を説く宗教家の意見とは思えない)、数千年に亘り現在に至る迄しばしば殺し合いを繰り返して来たのかを不思議に思っていました。社会心理学者エーリッヒ・フロムの主張は納得出来るものでしたが、太田さんのコラムを読んで、彼の主張は正しく、「権威主義的」宗教、思想、国家が危険だとの思いを強めました。
女性の社会進出についてはとりあえず素朴な質問をさせてください。仮に日本の全女性(働ける年齢の)が仕事を持ったとすると、労働人口はほぼ二倍に成る訳です。一方GDPの 成長は年に数%に過ぎず、今後大幅な経済成長が見込まれ無いならば、女性の社会進出は個人所得の半減をもたらし、今迄一人働けば家庭を養う事が出来たのが、二人とも働かなければ家庭を維持出来なく成る、そして子供は家族から離され託児所で育てられる、こういう結果に成りはしないかという疑問を持っています。こうした事態は起こらないのでしょうか?
今迄欧米をひとまとめに考えていた私にとって、英国と欧州を分けて考える発想はとても興味深いものでした。そこでこの発想を物理学に適応して考えてみました。
古典物理学の構築には、ニュートン(古典力学)、マックスウェル(電磁気学)、ファラデー、ケルヴィン、トムソン、ラザフォード等多くの英国系科学者が貢献しました。一方現代物理学の二本柱、相対論と量子論を見ると、その構築に貢献したのはアインシュタイン(ドイツ系ユダヤ人)、プランク、ハイゼンベルク、 ボルン(ドイツ)、 ボーア(デンマーク)、シュレディンガー(オーストリア)、フェルミ、パウリ(イタリア)、ド・ブロイ(フランス)、ノイマン(ハンガリー)と圧倒的に 欧州の科学者が多く英国系の科学者はディラックくらいです。大学で講義される量子論はコペンハーゲン解釈と呼ばれる見解を基にしており、 この名が示す通り現代物理学は欧州系の科学者によって構築されたと言えます。 量子論は、構築されて既に百年近く経過していますが、未だ量子論を否定する現象は発見されておらず、今では科学技術者の常識に成り、特にエレクトロニクス技 術の発展に大きく貢献しています。現代物理学の意義は産業技術を高めるのに貢献しただけではなく、我々の自然観・宇宙観を大きく変えた点にも有ります。ところが、量子論の世界は、特に西欧人の論理からすると極めて奇怪で、伝統的自然観と合わない為、物理学者は多くを語ろうとはしません(むしろ東洋的宇宙観 に近い)。
私は個人的に、闘争的で弱肉強食を正当化する様なダーウィニズム、決定論的宇宙観(ニュートン的宇宙観)等の英国的思想は好きではなく、後に説明する量子論的宇宙観、世界観の方を好みます。今後、量子論的世界観が広がる事を期待しています。
ここでは量子論的世界観を、(1)未来は確率でしか予測出来ない(未来は決定されていない) (2)粒子と波動の二面性、の二つに絞って紹介します。
(1) は、宇宙の開闢時に全てが決定されると言う決定論的宇宙観(宗教的に言えば予定(調和)的)の否定を意味します。古典物理学では、初期条件を入れて運動方程式 を解けば、その物体の運動は未来にわたって予測する事が出来ます。この考えを発展させれば、宇宙が生成された時に全てが決定されたと考える事が出来ます。 従って、自分の将来は既に決定されており、自分が将来幸せに成るか、幸せに成ろうと努力するか、あるいはしないかも、全てが決定されている事に成ります。 これは、神が宇宙を創造した時救済される者と救済されない者を決定し、誰もそれを変更出来ない、とするキリスト教の予定説と符合するものでした。しかし、量子論によれば未来は決定されておらず、従って努力すれば幸せな未来が待っている可能性が有る訳です(因果報応)。
更に、聖書を始め他にも予言書が存在しますが、予言は、未来が決定されているという前提がなければ有り得ない訳で、全ての予言は、結局の所「当たるも八卦当たらぬも八卦」と言う事に成ります。(又最近はカオス理論が加わり、未来はより不確定に成った。)
(2) を普通の言葉で説明すると、「物質はそこに存在すると同時に宇宙全体に広がっている」と言う意味です。「そこに有る」という概念と「広がっている」と言う 概念は矛盾していますが、奇妙な事に物質は矛盾した性質を同時に持っています。ここから、「物質は同時に二カ所以上の場所に存在する事が出来る」、「真空は物質で満ちている」、そして極めつけは「物質は(深い意味で)存在しない」、等まるで禅問答の様な議論が展開されます。私には「色即是空 空即是色」の世界が思い起こされます。の様に思われます。ここではこれ以上の深入りは避け、自然は矛盾に満ちており、「イエスかノーか」、「白か黒か」と言う西洋の伝 統的論理では解釈出来ず、寧ろ「イエスであり且つノーである、「白でもあり黒でもある(即ち灰色)」と言う東洋的論理の世界の方が理解しやすいと述べるに 留めます。シュレディンガーはミクロの世界の現象を我々が直接めで見える世界迄拡大する方法を考案し、「死んでいて且つ生きている猫」が存在し得る事を示しました(シュレディンガーの猫)。彼の意図は量子論の不備を指摘する事でしたが、現在の正統的見解(コペンハーゲン解釈)では「死んでおり且つ生きてい る」という状態は有り得るとされています。現在研究が進められている量子コンピュータは、物質が異なる状態を(矛盾していても)同時に取りうるという原理 を応用したものです。
「白であり且つ黒である」という論理は一見奇妙に聞こえますが、我々の周りには結構沢山有ります。例えば「大人か子供か」と言う場合です。人間の場合は蝶と 違って明確に大人か子供か区別出来ないので、半分大人で半分子供という状態が有っても良いし、大人性何%、子供性何%という表現が適していると思われま す。その他にも「背が高い、低い」、「金持ち、貧乏」、「美男子、醜男」、等沢山有ります。
以上は「イエスかノーか」、「白か黒か」といった二つの場合に関して説明しましたが、選択肢が二つ以上の場合でも同様の論理が成立します。
最後に、「量子論的宗教観」という概念を提唱したいと思います。日本の家庭には神道の神棚と仏壇が並んで置かれています。神道は八百万の神を信じる宗教であり仏教 は神を否定する宗教です。日本人の宗教に対するこの様な矛盾した態度は、しばしば宗教的に不純だと批判されてきましたが、量子論的に見れば、日本人の宗教 観の方が自然だと思われます。「量子論的宗教観」に従えば、一人の人が複数の宗教を、同時に、信仰する事が許されます。個人差は夫々の宗教への係数(重み)が異なるだけです。即ち、一個人の信仰は、
A1神道+A2仏教+A3キリスト教+A4イスラム教+A5ヒンズー教+・・・(その他存在する全ての宗教)・・・+An無宗教 (但し Ai>=0, ΣAi=1)
で表せば良いと思います。
<太田>
詳細な感想とコメント、ありがとうございました。
些末なことですが、アインシュタインだけでなく、ボルン、ノイマン、ボーア、シュレディンガーもユダヤ系だと承知しています。あなたが挙げた欧州人たる理論物理学者10名中5名がユダヤ系であることからも分かるように、ユダヤ系の存在が当時の欧州の理論物理学、そしてすべての学問の水準を引き上げていた、というのが私の認識です。
ナチスドイツがユダヤ人を迫害し、戦後ユダヤ人の数が激減したことが、現在の欧州の学問の停滞を招いている、と思うのです。
以上から、量子論が欧州的なものである、というご指摘には違和感を覚えます。
また、これもどうでもよいことですが、パウリはオーストリア出身でしょう。
さて、物理学で得られた知見は、人間や人間社会を理解するにも役に立つのでしょうか。
理科系に弱い私には、これはやや歯ごたえのありすぎる問題提起であり、他の読者の方のご意見もお聞きしたいところです。
なお、女性の社会進出についておふれになった部分は、労働力が資本と並ぶ生産要素であることをご理解いただけば、話が逆であることはご理解いただけるのではないかと思います。
最後にもう一つ。
私自身、各新聞の天声人語的なコラムはほとんど読んだことがありません。
ただ、読解力を身につけようと思ったら、毎日何かを読んで、自分の読みとった内容で正しいかどうかを誰かに「採点」してもらのが良い方法ではないかと思う、と申し上げているだけです。
天声人語なら天声人語と決めておけば、何を読むかを毎日悩む必要がありませんし、何と言っても、各社のえり抜きの記者が書くのですから、日本語の文章としては水準を超えたものであるはずだからです。
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