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太田述正コラム#1609(2006.1.8)
<日本・米国・戦争(その5)>

 (本扁は、コラム#1600の続きであり、情報屋台(
http://www.johoyatai.com
のコラムを兼ねています。)

 ところで、藤原氏は民主主義の話には触れておられないようですが、「江戸時代も後半になると、特に農村部では村長に相当する名主(庄屋)や、農民代表の年寄、組頭などの役職を入れ札つまり選挙で選ぶことが、大して珍しくなくなっていた。・・農村ほど一般的ではなかったにせよ、町でも入れ札で役職者を選ぶ場合が多かった。」(石川英輔「大江戸庶民いろいろ事情」講談社文庫2005年 58??59頁)と、日本は庶民レベルでは幕末までには既に民主主義的社会になっていたことも忘れてはなりません。(詳しくは、太田述正コラム#1607??の「日本の民主主義の源も江戸時代」参照。ただし、一般公開は、7月6日以降。)

 (3)転換点としての日本の日露戦争勝利

 上記のように、実質的に自由・民主主義的な国家であった幕末日本が、米国によって開国させられた時、日本の隣国である李氏朝鮮も清も、そして東漸して日本に迫ってきていたロシアも、いずれもが反自由・民主主義国家であることを「発見」した当時の日本の有識者達は、慄然たる思いにかられたに違いありません。

 このことは、横井小楠(1809??69年)の「国是三論」(1860年)からも明らかです。
 すなわち横井は、米国については、「メリケンにおいては・・全国の大統領の権柄賢に譲りて子に伝えず、君臣の義を廃してひたすら公共和平をもって努めとし・・」とし、「イギリスにあっては政体一に民情に本づき、官の行なうところは大小となく必ずことごとく民に議り、その便とするところに随ってその好まざるところを強いず。・・これにより魯と戦い清と戦う兵革数年、死傷無数、計費幾万はみなこれを民に取れども、一人の怨嗟あることなし」とし、米英を親近感をもって褒め称える一方、清に対しては直裁的に、そしてロシアに対しては暗黙裏にその反自由・民主主義性に嫌悪感を示した上で、「魯もし志を支那にほしいままにすることを得ば実に獲るべからざるの強盛をいたすべし。英の畏憚するもまた宜なり」と述べ、「日本咽喉の地にありてその響背大いに<英魯>二国の強弱に関係すれば、二国必ず日本を争うべければ日本の危険もっとも甚しというべし」とロシア脅威論を展開し、日本も米英に倣って自由・民主主義的政体を採用し、かつ米英と提携しつつ富国強兵に努め、支那の覚醒を促すとともに支那をロシアから守るべきことを勧めたのです。(「近代思想の萌芽」筑摩書房1966年 265、268頁等)
 横井に対しては、幕末維新の英傑たる勝海舟や西郷隆盛が、こぞって一目を置き、坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作に至っては師と仰いだのであって、横井の構想が、龍馬の船中八策となり、更に五箇条のご誓文となったことは良く知られています
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/610101.html
。1月8日アクセス)。
 まさに、横井は明治維新以降の日本の設計者なのであり、日本は、横井の構想にあくまで忠実に現在まで歩んできたのです。

 ところが、故司馬遼太郎を始めとして、日本は日露戦争勝利後、この横井の構想から逸脱し、そのために日米戦争という悲劇が起こったという説を唱える人が少なくありません。
 このような説が誤りであることは、既に拙著「防衛庁再生宣言」(日本評論社2001年。228??233頁)で縷々説明したところですが、ここでは、司馬らの説の種本と考えられる朝河貫一の「日本の禍機」(講談社学術文庫1987年。原著は1909年)中の、朝河の意見ならぬ朝河が紹介する事実に着目して、私の言わんとするところを補足することにしましょう。

 朝河は、あたかも横井が乗り移ったかのように、日露戦争の意義を称えます。
 すなわち彼は、「<清国は、>国力なくして国権を強行せんとし、また独立国家には権利のみならずして義務もまたあることを顧みず、かつ今日の清国は未だ決して完全無欠の独立国家にあらざることをすら忘るるものに似たり」と清国を切り捨て、「この大戦は露国の侵略および閉鎖主義に反対して、日本が支那保全、門戸開放を主張したるがゆえに破裂した・・幸いにして日本の公明なる主義が勝ちたるによりて支那は満州を失わず、その進歩発達の機会をも開くに至りたる・・」と手放しで喜んで見せます。
 ところが朝河は、戦後日本が、自ら主張して戦ったところの、「清帝国の独立および領土保全」(支那保全)ならびに「列国民の機会均等」(門戸開放)に背いた(16頁)ために、米国世論が「露国に対して有したる悪感は、今や変じて日本に対する悪感となり、当時日本に対したる同情は、今や転じて支那に対する同情となりたり」と主張する(17頁)のです。
 しかし、朝河自身が記す事実に照らしても、これは米国の言いがかりであると言わざるをえず、責められるべきは日本ではなく、むしろ米国であると私は思うのです。

(続く)

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