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太田述正コラム#1606(2007.1.5)
<すべての歴史は現代史(その5)>
(コラム#1604の冒頭の「ジンギスカン(Genghis Khan)が亡くなくなり、孫のモンケ(Mongke)が後を継ぐと」は「ジンギスカン(Genghis Khan)の後を継いだ彼の子のオゴタイ(Ogotei)が亡くなり、混乱期の後、ジンギスカンの孫のモンケ(Mongke)が後を継ぐと」の誤りでした。)
(3)中共
中共は、朝鮮半島史、とりわけ朝鮮半島北部の歴史が支那史の一環であることを「証明」すべく、東北工程を推進中であることはご存じのことと思います(コラム#141、144、1401、1404)。
しかし、余り取り上げられてはいませんが、これと平行して、中共はモンゴル史の支那史への取り込みを図っています。
かつて毛沢東は、ジンギスカン(Genghis Khan。1162???1227年)を「鷲に向かって弓を引くことしか知らなかった男」と評したことがあります。
毛沢東は、モンゴル族も他の少数民族同様、厳しい弾圧の対象にしました。
しかし、内蒙古のモンゴル族のジンギスカンへの尊敬の念は強く、ジンギスカンの事跡を無理矢理支那史の一環とすることで、ジンギスカンの復権を期してきました。
そしてここへ来て、中共当局が、このような考え方を積極的に唱え始めたのです。
今年出版された公的な歴史書は、「特に支那の少数民族文化の本質を体現しているものとして、遊牧民族出身であるジンギスカンは、<支那の>様々な優れた民族文化を代表する存在となった」とジンギスカンを持ち上げていますし、内蒙古のジンギスカン廟(成吉思汗陵。Mausoleum of Genghis Khan)(注1)観光地区の責任者は、「ジンギスカンはまさに支那人なのであって、われわれは彼を現在、モンゴル民族の英雄にして、支那の偉大な人物にして、世界史における巨人である、と考えている」と主張しているのです(注2)。
(注1)ジンギスカン廟と言っても、いまだに発見されていないジンギスカンの墓ではなく、ジンギスカンを偲ぶ公式行事が行われる場所。本来はモンゴル流の移動可能なパオ(Yurt)による施設だったが、1954年から56年にかけて、内蒙古自治政府によって、パオを模しつつも中華皇帝陵の様式の恒久施設として建立された。(
http://en.wikipedia.org/wiki/Mausoleum_of_Genghis_Khan
。1月5日アクセス)
(注2)中共のモンゴル族の数は、モンゴル共和国の人口より多い(
http://en.wikipedia.org/wiki/Genghis_Khan
。1月5日アクセス)。ちなみに、オックスフォード大学の学者のY染色体に注目した研究によれば、ジンギスカンの子孫は、支那や中央アジアを中心に3,200万人以上いると目されている(ニューヨーカー前掲)。
その一方で内モンゴルの伝統行事の支那化が進んでいます。
モンゴル共和国(外蒙古)と同様、内蒙古でも伝統的なナーダム祭典(Naadam。蒙古相撲・乗馬・弓の競技が毎年7月に行われる(
http://en.wikipedia.org/wiki/Naadam
。1月5日アクセス))が行われてきたところ、中共建国後、一時は開催が禁止されており、その後復活して現在に至っていますが、開会にあたっては国旗を持った警察の儀仗隊による儀仗と国歌斉唱が行われ、また、単なる観光資源と化してしまっており、内蒙古の人々の顰蹙を買っています。
中共は外蒙古の併合を狙っているのではないか、とモンゴル共和国の人々の対中共警戒心も高まってきています。
もちろん、漢人の中にも、ジンギスカンを野蛮な侵略者とする伝統的な見方をする人は少なくなく、彼らもまた、中共当局のこのところのジンギスカン礼讃ぶりに苦々しい思いでいます。
(以上、特に断っていない限り
http://www.ft.com/cms/s/1a6986ba-96c7-11db-8ba1-0000779e2340.html
(12月28日アクセス)による。)
(続く)
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<ある西欧在住の読者の声>
あけましておめでとうございます
いつもメールを配信していただき、大変お世話になっております。先日は入金だけでご挨拶もせず失礼いたしました。メールでご連絡するからには一言 コラムの感想を申し上げるべきだと思い、そうなると10分ぐらいでさらっと書くというわけにもいかず、なかなかお便りすることができませんでした。年末年 始と忙しかったものですから… 。
私に限らず、年末年始になにかけじめをつけようと忙しくしていらっしゃる方は多かったと思います。そんな中、コラムの有料購読の締め切りが12月 28日に設定されていたというところにも、太田さんらしさを感じました。商売勘定なしというか…もしも私なら、お正月休みにでも少しゆっくりコラムを読み ながら考えてもらい、早くても1月10日ぐらいを締め切りにすると思います。本当にお忙しい方の中には、お正月までコラムを読まないで溜め込んでいた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私が有料購読する理由のひとつは、太田さんのコラムによってたくさんの知識を得ることができるからです。もうひとつは、世界の意外な見方を知ることができることです。私の見方とは違いますが、違うからこそ自分の未熟さや正しさに気付くことができます。太田さんのご意見にすべて賛成するわけではありません。コラムを信仰しているわけではありませんので。以前、太田さんの人柄について云々する方がいらっしゃったようですが、太田さんを教祖として崇めようというわけではないのに、なぜ完璧な人柄にこだわったのでしょうね。しかもコラムから拝察するお人柄は率直で、少しも悪いようには感じられませんし。
何年も購読させていただいておりますが、最近やっと太田さんのおっしゃることが全体として何なのかわかってきたような気がしております。けれどもまだまだわからない点があります。イギリスの何を良いとおっしゃっているのかも、未だに腑に落ちません。
太田さんから教えていただく知識の量は一向に減りませんし、自分の考え方を相対化するためにも得がたい有益なコラムだと思っております。次回まで には購読者が増えて、無料購読に戻るといいですね。購読者を増やすために、初心者向けの典拠を示さないエッセイ形式のものをブログに書かれてみてはいかが でしょう。
長々とお時間を取らせてしまいました。
本年もコラムを楽しみにしております。
なにとぞお身体ご自愛ください。
<太田>
>イギリスの何を良いとおっしゃっているのかも、未だに腑に落ちません。
腑に落ちない点をおっしゃってください。できるだけお答えしますよ。
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