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太田述正コラム#1706(2007.3.27)
<慰安婦問題の「理論的」考察(その7)>



<太田>
 引き続き、本件に係る、読者とのやりとりを掲げます。
 事柄の性格上、今回も公開させていただきます。
 なお、情報屋台の掲示板で私も参加して現在進行形で行われている議論(日本の核武装の是非、バイオ燃料の評価)を太田掲示板に転載してありますので、こちらも関心のある方はお読みください。



<バグってハニー>
 島田さんへ。
 私が誤解していると書いたのは、この脳の当該部位が倫理判断一般に関わっているのではなくて、その中でも自ら手を下す人殺しを伴う倫理判断だけに関わってくることを示したかったからです。それで、前回は疑問にちゃんとお答えしてなかったので



> この手の実験でいつも思うのは、確率が2??3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。



 この手の実験結果が有意かどうかは統計的検定を用いて決めます。この研究者達はオッズ比
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%BA%E6%AF%94
の検定を行っています。
 具体的なこと書いても仕方ないので背後にある思想だけ書いときますが、島田さんが書いたとおり、こういう結果が出たのは、たまたま損傷患者群に冷徹な人が多くて、対照群(健常者)にたまたま情に篤い人が多かったからじゃないか、という可能性が必ずあるわけです。
 統計検定ではこの「たまたま」を数値化します。オッズ比が高ければたまたまでない可能性が高まりますし、被験者の数が多くなってもたまたまでない可能性が高まると直感的に理解してもらえると思います。
 (二つのグループの癌の罹患率を調べてあるグループは他のグループの三倍、癌患者がいたとしましょう。各グループで1000人ずつ調べた場合と3人ずつ調べた場合で、1000人の方がその結果はたまたまじゃない可能性が高く、むしろ両者の違いは癌のなりやすさと関係があると結論できます。この論文の場合、損傷患者は6名、対照群はそれぞれ12名でした。)
 全く同じ母集団から二群の標本をランダムに抽出しても必ず二群の間にはある程度の差は出るわけです。両者の差がそういう試行を20回繰り返したときに初めて出るような大きな差であれば、つまり恣意的な数字ですが伝統的に確率が5%未満であれば、二群は同じ母集団から抽出されたがたまたまそれだけの大差が出たとは考えられない、二群は異なる母集団に属していると結論します。これが新聞なんかで「両者には統計的に有意な差があった」などと意味不明は日本語で書かれるやつです。
 この論文の場合、オッズ比がたまたま2??3倍になる確率は4%未満だったので、それはたまたまじゃない、と結論されました。



> VMPC領域に損傷している人でも「赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す」という選択をしていない人も大勢いるわけです。これをどう説明するのでしょうか?



 これは全くその通りです。
 しかし、こう考えてください。様々なところで喫煙は肺癌のリスクを上昇させると聞いていると思います。それこそ、研究者達は山ほど統計的検定を繰り返してきたでしょう。しかし、そんな研究がいくら蓄積したところで、今隣でタバコを吸っている人が将来癌になるかどうかを言い当てることはいつまでたってもできません。だからといって、これらの喫煙と肺癌の罹患率を調べた疫学的研究には意義がない、とは言えないでしょう?



> ただ、わたしはこの質問の状況が、いまいちレアルに想像できないのですが・・・



 以下、実際に用いた質問文



A runaway trolley is heading down the tracks toward five workmen who will be killed if the trolley proceeds on its present course. You are on a footbridge over the tracks, in between the approaching trolley and the five workmen. Next to you on this footbridge is a stranger who happens to be very large.The only way to save the lives of the five workmen is to push this stranger off the bridge and onto the tracks below where his large body will stop the trolley. The stranger will die if you do this, but the five workmen will be saved.Would you push the stranger on to the tracks in order to save the five workmen?



 つまり、5人を救うためにたまたま歩道橋の上に居合わせたでかいやつを線路に投げ込むかどうか。ありえねえーって感じですか?
 なんか、日本映画で乗客を救うため、暴走列車を止めるために自らの身を線路に投じるというの、なかったでしたっけ?
 全ての質問は、はい、いいえで答えることになっています。



 太田さんへ。
 私が間違いだと思ったのは二つあります。
 まず、「娘を売り飛ばす」という設問は記者の想定でも筆の綾でもなく、実際に用いられた設問で、損傷患者と対照群(健常者)の間で答えに差が出なかった設問の一例として紹介されたに過ぎない、ということです。まあ、この記事の書き方では記者がそう思って作った質問だ、と読めなくもないですが。別にこの実験の目的は平均的な米国人の倫理観を調べるためではないですから、予備実験や先行研究で設問に対する答えを予測していたとしても、たまたま設問の中に全員一致したり、損傷患者だけYesの答えが妙に多いのがあったりして、それを解析した結果、この脳の部位にはこんな働きがあるのではなかろうか、という結論に至ったわけでして。もちろん、太田先生のスタンスは「そもそも、この研究者がこんな設問をコンフリクトのある倫理問題として挙げるのはおかしい、記者が数ある質問の中でわざわざ、この質問に言及するのはおかしい」ということなんでしょうが。最後に実際の質問文をあげときますが、実際これ読んでYesと答えるのはかなり勇気がいるんじゃないですかね(実際の実験では全員がNoと答えています)。児童ポルノとか言われちゃってるし。
 二点目は「貧乏のためだったら娘を売り飛ばすか」という質問に対して損傷患者も対照群も同じ答え(No)を出している、という事実から導かれるのは、まさに



 「これは、前頭前野腹内側部での判断と損得勘定をする前頭葉の領域での判断に矛盾が生じ得ないケースということになります(太田コラム#1703)」



 言い換えると「娘を売り飛ばすかどうかの判断には前頭前野腹内側部は関わってこない」ということです。実験的には答えがNoであったということよりも同じであったことに意味があります。ですから、



 「「娘をカネで売り飛ばす」ことへの禁忌は前頭前野腹内側部での判断・・サルと共有する倫理感覚・・だということを意味します。(太田コラム#1703)」



というのは全く逆です。これは、質問を受けた米国人被験者がそう思った、ということを太田先生が言いたかったのかも知れないですが、実験をしたDamasio先生もその意を受けた記者もそうなふうに考えているとはこの記事からは読み取れないです。この記事だけからでははっきりしないですが、研究者や記者は進化の過程でサルとは異なり前頭葉の別の部位が発達してそのような倫理観を獲得したのか、あるいは文化として後天的に習得したのか、と考えているはずです。「娘を売り飛ばさない」という倫理観に対しては、私は(おそらく彼らも)後者だと考えます。というのは、おそらく太田先生はこれから日本の売春文化がどれだけ長い歴史を誇るのか、それに比べてアングロサクソンの性意識がどれだけ日が浅く浅薄なのか、といったことを議論するのだと思いますが、文化に差異が生じたり変遷するぐらいのタイムスケールでは、進化は生じないからです。



5. Hard Times (Mean emotion rating: 5.8, Low-conflict)
You are the head of a poor household in a developing country. Your crops have failed for the second year in a row, and it appears that you have no way to feed your family. Your sons, ages eight and ten, are too young to go off to the city where there jobs, but your daughter could fare better.
You know a man from your village who lives in the city and who makes sexually explicit films featuring small children such as your daughter. He tells you that in one year of working in his studio your daughter could earn enough money to keep your family fed for several growing seasons.
Would you employ your daughter in the child pornography industry in order to feed your family?



<太田>
 娘の年齢が出てきませんが、息子のほうは8歳と10歳というのですから、8??10歳ということでしょう。 
 私は、性的に成熟した娘、というイメージでとらえていたので、「誤解」が生じたようです。 
 さて、性的に未成熟な娘だとすれば、はたして親であるサルは、オスのサルがその娘に性的に興奮して近づいてきた時にどうするかです。 
私は自然人類学の専門家ではないので分りませんが、おそらく追い払うのではないでしょうか。 
 つまり、性的に未成熟な娘をオスと性交させない、というのは、前頭前野腹内側部での判断だ、ということになります。 
 結論的に申し上げれば、NYタイムスの記者のネーチャーの記事の要約の仕方に問題があったということが第一点、しかし、この記者による記事の最後の箇所の解釈は、やはり私の解釈が正しいのではないか、というのが第二点です。 
島田さんご指摘のように、本件は私の本シリーズの趣旨からすれば、傍論にあたるわけですが、英文解釈や科学的方法論をめぐる頭の体操にはなったのではないでしょうか。



 ところで、



> この手の実験でいつも思うのは、確率が2??3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。



 この島田さんの疑問は、どうして「2??3倍」の差しか出ないのか、であると私は受け止めています。 
 これについて、私のシロウト判断をお示ししてありますが、専門家として「正解」お答えいただければ、と思います。

(続く)

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