太田述正コラム#1685(2007.3.8)
<慰安婦問題余話(その1)>(2007.4.8公開)



1 始めに



 このところ雑事で忙しいので、しばらく雑談をすることをお許し下さい。




2 たけくらべ



 樋口一葉の『たけくらべ』(1896年)が父親の蔵書の中にあり、子供の頃に何度か読みかけては、その雅俗折衷の独特の文体に歯が立たず、ついに一度も読了することはありませんでした。
 確か、廓の話だったということを思い出し、インターネットで探したところ、全文が青空文庫で公開されていました(
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/hikaku/takekurabe.html
。3月6日アクセス)。
 「・・住む人の多くは廓者にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顏・・」とまさに廓とその関係者が住む界隈が『たけくらべ』の舞台であることは確認できたものの、やはりこの文章を読むのはしんどいなと思っていたら、山下敦史氏によるなかなか秀逸な『たけくらべ』の紹介が東急グループの広報誌『SALUS』2007年3月号に載っていたので、その切り貼りで、私による紹介に代えさせていただきます。
 (山下氏は、『たけくらべ』の現代語訳(河出文庫)に拠っている。)



 「『たけくらべ』<は、>明治の吉原を舞台に、指折りの花魁を姉に持つ快活な少女・美登利と、寺の跡取り・親如の淡い恋が綴られる。2人が相容れない立場によって離れていく様が切ない。<もう一人重要な登場人物がいる。>・・美登利の幼なじみ的少年で、・・ひとつ歳上の美登利を慕う・・正太(郎)・・は人望も厚く、家も裕福という好少年だが、美登利にとっては弟のような存在でしかない。・・一人前になったらきれいな嫁さんをもらうんだ、と話す彼に大人たちは、町内で美人といえば何屋の誰それ、でももっと美人はあんたの隣に座っているね、とからかう。図星を指された正太は顔を赤くするが、隣の美登利はただ笑うだけだ。信如に対しては素直に話すこともできない美登利は、正太の前では屈託のない笑顔を見せる。でもそのまぶしさがどうしようもなく胸を突く。終盤、美登利が髪を島田に結ったと聞いた正太は、幼い日々、丈比べの時が終わったことを知る。」



 とまあこんな具合に、山下氏は、正太の目から『たけくらべ』を再構成して紹介しているのですが、この短い紹介からも、別に貧しくもなんともない家の、しかも飛びきり美人の姉妹が次々に廓奉公に出ても誰も不思議に思わないどころか、この姉妹がこの界隈のスターであることが分かりますね。
 100年以上も前の話じゃないか、と言われるかもしれません。
 しかし、秋山氏は、次のように正太になりきって想像を膨らませます。



 「僕は思う。いつか彼<(正太)>は遊女となった美登利のもとへ行くだろうかと。行くさ!行くに決まっている。行って死ぬほど後悔するんだ。彼は美登利の心が信如にあったと知っていた。将来彼女を身請けたとしても、それを忘れることはできないだろう。思い出ならいつまでも輝いていたものを、欲しい欲しいと手を伸ばして、あげく粉々に割ってしまうんだ。いくら泣き叫んでも二度と戻らない。とんだ間抜けだ。書かれなかった正太や美登利のその後を想って、僕はひとり身悶える。」



 『たけくらべ』の世界は、現代日本人がこのように感情移入ができる世界なのであり、われわれは今でも廓なき、廓文明を生きているのです。
 だからこそ、AV女優が幸せな結婚ができ、AV稼業から足を洗ってTV界で活躍することこともまた当たり前なのです。



3 ストロース投稿



 米国の日本研究者のストロース(Rick Straus)が紹介するところの、北ビルマの慰安婦の話(
http://blogs.yahoo.co.jp/ash1saki/47124619.html。3月8日アクセス)は、『たけくらべ』と現代の中間時点の話ですが、以上、申し上げたことを踏まえれば、実によく腑に落ちます。
 (ただし、ストロースの見解にはいささか歪みが見える。戦前の農村の困窮は甚だしく、農家の主人は娘を女衒に売り渡して借金のカタに農地をとられるのを免れていたとか、女性の権利が法的に全く認められていなかったとか述べている。)
 ストロースは、業者が言葉巧みに韓国で慰安婦募集をやっていたことに触れた上で、現地で業者が5割方ピンハネしていたものの、慰安婦達はカネをたっぷりもらっていて、着物・靴・タバコ・香水等色んなものを買えたこと、スポーツ大会に将校や兵士達とともに参加したりしていたこと、ピクニックに行ったり催し物や晩餐会に出席したりしていたこと、前借り金を返済した者は郷里に帰ることができたこと、等を述べています。
 特に印象深いのは、ストロースが、兵士達に送られてきた慰問袋の中に、缶詰・雑誌・石鹸・ハンカチ・歯ブラシのほか、人形・口紅・髪止め、等が入っていることが多かったことに触れている点です。
 これらは兵士達が慰安婦達へのプレゼントに用いることを期待して内地の家族が送ってきたとしか考えられないというのです。
まことに麗しい話ではありませんか。

(続く)

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