太田述正コラム#1688(2007.3.11)
<古の文物を残す国日本>(2007.4.11公開)

1 現存する最古の印刷物

 1966年に韓国の慶州の仏国寺の釈迦塔で発見された「無垢浄光大陀羅尼経」が、爾来、現存する世界最古の印刷物であると考えられてきたところ、この釈迦塔の2層目の舎利函から、この「無垢浄光大陀羅尼経」とともに発見されていた「釈迦塔重修記(修理記録)」が最近判読され、「無垢浄光大陀羅尼経」が高麗時代の11世紀に作られたことを証明する内容が記録されていました。そこで、世界最古の印刷物は、かつてのように、日本の「百万塔陀羅尼経」であるとされる可能性が高まり、韓国内に衝撃が走っていると朝鮮日報が報じています。
 この釈迦塔が創建されたのは751年であったことから、これまでは、「無垢浄光大陀羅尼経」は、新羅時代において、751年までの間に作成されたと考えられてきたものです。
 (以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/09/20070309000035.html
(3月10日アクセス)、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2007/03/11/20070311000007.html
(3月11日アクセス)による。)

 世界で最初に印刷技術が生まれたのは支那においてであり(注1)、隋の時代(581??619年)または唐(618年??)の初頭と考えられており、版は木版を使い、インクは今の墨汁に近いようなものであったと推定されていますが、その頃の印刷物はすべて戦火で失われ、支那で現存する最古の印刷物は868年の「金剛経」であるとされています。

 (注1)支那で印刷技術が生まれたのは、仏教が伝来して普及し仏典を読む需要が生じ、かつ、(話し言葉こそ地方によって区々ばらばらであったものの、)同一の書き言葉を共有する識字階級たる士大夫階級の人々が多数存在していたという具合に、当時の世界ではめずらしい条件が満たされていたからだ。なお、支那では、絵の印刷に始まって、象形・表意文字の印刷が続いたと考えられている。実際、印仏の支那への伝来の時期と印刷技術の生誕の時期とはほぼ一致している。

 印刷技術が生まれてから間もない頃に遣隋使や遣唐使達によってこの印刷技術が日本に伝えられ、恵美押勝(藤原仲麻呂)の乱(764年)の後、戦死した将兵の菩提を弔うとともに鎮護国家を祈念するために、天平時代の764年から770年にかけて、女性の孝謙天皇(重祚して称徳天皇)の勅願で、延命や除災を願う経文たる「百万塔陀羅尼経」の100万部の印刷を行い(注2)、同時に作らせた木製の三重小塔100万基の中に納めて、法隆寺や東大寺など十大寺に分置したものですが、「無垢浄光大陀羅尼経」が11世紀のものと確認されたことで、この「百万塔陀羅尼経」が、 現存している世界最古の印刷物であることが再確認されたことになります(注3)。
 (以上、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%B8%87%E5%A1%94%E9%99%80%E7%BE%85%E5%B0%BC
http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3776/hyakuman.html
http://www.geocities.jp/shomotsushi/5syo.htm
http://www.toppan-f.co.jp/topics/bfhistory/bf3.html
(いずれも3月11日アクセス)による。)

 (注2)その印刷方法については、版木に経文を彫って印刷した木版説と、銅板に文字を鋳造して印刷した銅凸版説の二説がある。ちなみに、「無垢浄光大陀羅尼経」は木版で印刷されている。
 (注3)朝鮮半島では、高麗末期の14世紀に金属活字印刷が生まれており、これは15世紀のドイツのグーテンベルク(Johannes Gutenberg。1400頃??1468年)による金属活字印刷の発明に先立つものだ。

2 古の文物を残す国日本

 考えてみると、日本には現存する世界最古のものが、印刷物以外にも少なくありません。
 王室(皇室)がそうですし、木造建築では法隆寺(金堂、五重塔。607年建設、670年再建)がそうですし、世界最古の企業としては、主に寺社仏閣を手がける総合建設会社である金剛組(578年創業)があります(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C%E6%9C%80%E5%8F%A4%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
。3月11日アクセス)。
 「百万塔陀羅尼経」が失われなかったのも、基本的には、法隆寺が再建後焼失しなかったために、法隆寺に分置された「百万塔陀羅尼経」が残ったものです(最初に引用したウィキペディア)。
 これらは、帰するところ、王室が最古であることに象徴されているように、日本では支那や朝鮮半島のように、国が滅びたりするような内乱や革命や外国勢力の侵攻がなかったからでしょう。

<太田>
 「無垢浄光大陀羅尼経・・に<は、>唐の則天武后が執権した 690年から704年の間だけ通用していた漢字が頻繁に使用されており、文字の形態も新羅特有の書体である点を指摘した。また、紙も新羅特有の楮紙(こうぞし)で、顕微鏡による分析の結果、釈迦塔から発見されたほかの高麗時代の文書より紙の密度が低く、重修記の判読結果からも無垢浄光大陀羅尼経の製作時期を裏付けるだけの特別な証拠は発見されなかった・・<。以上のことから、>韓国の国立中央博物館は・・<3月>28日、・・「この経典は8世紀初めの統一新羅代に製作されたものとみられる」との見解を発表した」(
http://www.chosunonline.com/app/ArticleView.do?id=20070329000059 
。3月30日アクセス)。

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