太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/
太田述正コラム#1721(2007.4.6)
<日進月歩の人間科学>(2007.5.9公開)
1 始めに
人間に関する学問は、現在の日本ではまるで駄目ですが、米国では日進月歩です。
今回は、二つのトピックをとりあげましょう。
2 笑いの本質とは?
生まれてから4か月も経つと、人間は笑うようになります。
類人猿にも笑いが見られます。
笑いの本質については、太古の昔から様々な理論が唱えられてきましたが、どの理論も笑いをおかしさと関係のあるものととらえてきました。
ところが最近、笑いは、基本的に人間が他の人間とうまくやっていくための道具であることが明らかになりつつあります。
具体的に言うと、笑いは、大脳の中の幸福回路を刺激すると同時に、他人に対して、自分が遊んでいるのであって、闘っているのではないという信号を送っているというのです。
しかもその信号は、その他人が自分よりエライ人の場合は強く発せられ、自分と同じくらいか自分より目下の人の場合は弱く送られます。
つまり、エライ人が下手な冗談を言っても大笑いするけれど、同じくらいか自分より目下の人が見事は冗談を言ってもちょっとしか笑わない、という具合に、人間は、他人との上下関係に応じて、笑うか笑わないか、あるいはどれくらい笑うかを無意識的に調整している、というのです。
また、緊張すると、話しながら、全く無意識にひきつったような軽い笑いを諸所に入れてしまう人がいますが、これも同じ理屈です。
(以上、
http://www.nytimes.com/2007/03/13/science/13tier.html?8dpc=&_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(3月14日アクセス)による。)
3 嫌な記憶は忘れる?
英国の文豪ディケンズ(Charles Dickens。1812〜70年)の1859年に出版された『二都物語 (A Tale of Two Cities)』や、米国において死後、ホィットマンと並び称される詩人とされたエミリー・ディッキンソン(Emily Dickinson。1830〜86年)の19世紀中頃の詩には、分離的健忘症(dissociative amnesia)ないし記憶抑圧(repressed memory)、ありていに言えば、嫌な記憶を忘れる症状、が登場します。
しかし、19世紀より前に、このような症状についての記録は、世界中を探しても一切ないことから、この症状は19世紀の欧米文化の中から生み出されたものであることが、ほぼ明らかになりました。
ただし、だからと言って、記憶抑圧は存在しない、といういうことにはならないというのです。
精神分裂病や躁鬱病の現れ方も文化的文脈によって違ってくるくらいですから、現在の欧米で記憶抑圧「患者」がいても不思議はない、というのです。
(以上、
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/02/25/AR2007022501048_pf.html
(2月26日アクセス)による。)
4 今後の課題
他方、まだ解明されていないことはいくらでもあります。
ほとんど分かっていないのは、どうしてわれわれを含む動物は眠るのか、です。
かなり分かりかけてきているのが、類人猿にはなくて人間にはある宗教です。
つまり、どうして人間は宗教を信じるのか、が分かりかけてきているわけです。
いずれこれらの話もすることにしましょう。
太田述正ブログは移転しました 。
www.ohtan.net
www.ohtan.net/blog/