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太田述正コラム#1814(2007.6.16)
<防衛庁再生宣言の記述をめぐって(続x6)>
(前回の続きです。なお、前回の<太田>の「発言」中のミスプリを何カ所か訂正してブログに再掲載してあります。)
<太田>
バグってハニー(BH)さんのおかげで、ガゼル論争にほぼ決着がつきましたね。
まず、JSFさんが典拠としてきたウィキペディアの
http://en.wikipedia.org/wiki/Westland_Gazelle#Operational_history
British Gazelles were only armed when used in the Falklands, where they were fitted with machine guns and rocket pods, but these were not used.
は誤りだったということです。
その理由は次のとおりです。
BHさんの見つけてくれた
http://www.army.mod.uk/aac/units/3_regiment_aac/662_squadron/index.htm
には、1980年代半ばにリンクス6機とガゼル6機からなる対戦車飛行中隊が改編によって編成されたとあり、その編成が2000年夏までの間に、ガゼルが対戦車中隊からリタイアする形で再び改編された旨の記述がない、というのが第一点です。
そして、上記対戦車飛行中隊の改編について、リンクスだけの12機からなる陸軍軍団隷下の対戦車飛行中隊から、単なる(独立の?)対戦車飛行中隊にし、その際、リンクス6機をガゼル6機で置き替えた、と記されているのが第二点です。
ここから、常識的に考えて、当時のこのガゼルが非武装であったとは思えないのです。
補強材料は、やはりBHさんが見つけてくれた、
http://www.army.mod.uk/equipment/ac/gazelle.htm
です。
このサイトは、現在の状況を英国防省自身が記述したものですが、ガゼルの武装について、
2 7.62mm machine guns (not standard)
と記されています。
これは、対戦車任務を解除されて支援任務に専念している現在といえども、常装ではないけれど、ガゼルが機関銃を搭載している場合があること、従って当然ガゼルに関して機関銃を搭載する運用構想があること、を意味します。
いわんや、ガゼルが対戦車任務に従事していた2000年当時においておや、ということです。
だからこそ、ミリバラ2000〜2001年は、英陸軍のガゼルを攻撃ヘリにカウントしていたわけです。
私は、当時ガゼルが、機関銃を常装していたことはもちろん、それ以外の、戦車に対してもある程度は有効な強力な兵器を常装していた可能性がある、と思います。
それはともかく、上記ウィキペディアの記述だけに拠って、ガゼルはフォークランド戦争の後は、非武装となった、と主張してきた(BHさん以外の)軍事愛好家の皆さんもまた、誤っていたことがはっきりしたと言っていいでしょう。
ところで、「専門家」と「シロウト」の違いは、間違いをおかすかどうかではありません。(もとより、間違っていてばかりでは話になりませんが・・。)
どんな専門家だって間違いはあります。
例えば、ウィキペディアとは違って、専門家が執筆しているはずのブリタニカだって、平均して、ウィキペディアの自然科学分野一項目当たりの誤り4箇所に対して誤りが3箇所もあります(コラム#1092)。
「専門家」のメルクマールは、私見では、その「専門」分野に係る典拠の信頼性を見分ける能力なのです。
ウィキペディアには、上述したように必ずと言ってよいほど誤りがあることからも、単独でそれに拠れるほどの信頼性はありません。せいぜい、補足的に使われるべきものです。
他方、ミリバラはブリタニカやウィキペディアのような百科事典ではなく、各国の軍事力比較に関する専門書であり、しかも信頼性が国際的に認められている専門書です。
日英軍事力比較が議論になっている時にすら、そのミリバラにすぐアクセスしようとしない人、あるいはアクセスできない人は、およそ軍事愛好家ではあっても、軍事の「専門家」ではありえないのです。
もう一つ、「専門家」に求められるものがあります。
それは、木を見てかつ森が見える、ということです。
日本の社会科学がなぜダメかについてはいくつか理由がありますが、その大きな一つが、専門家の教育が、専門分野の教育だけに偏っていることです。
米国では、学部の4年間すべてが教養課程のような趣があるだけでなく、博士号取得をめざす院生でも、修士課程で、専門分野よりはるかに広汎な分野の教育を徹底的に受けます。裾野が広くなければ山は高くなれないのです。
私は英米同様、日本にも、(防衛大学校以外の)大学や大学院に軍事学者がいてしかるべきだと思います。
いずれはそうなるでしょうが、拙著を読んで、その細部にばかりこだわり・・それももちろん大切なことであることは間違いありませんが・・拙著の大きな絵柄には全く関心を持っていないように思われる(BHさん以外の)軍事愛好家の皆さんを見ていると、皆さんの中からは、軍事学者どころか、軍事専門家すら育たないのではないか、という危惧の念を持ちました。
こんなことを言われて悔しいでしょう。
悔しかったら、まず軍事専門家になり、そして軍事学者になってください。
心から応援しています。
<防衛庁再生宣言の記述をめぐって(続x6)>
(前回の続きです。なお、前回の<太田>の「発言」中のミスプリを何カ所か訂正してブログに再掲載してあります。)
<太田>
バグってハニー(BH)さんのおかげで、ガゼル論争にほぼ決着がつきましたね。
まず、JSFさんが典拠としてきたウィキペディアの
http://en.wikipedia.org/wiki/Westland_Gazelle#Operational_history
British Gazelles were only armed when used in the Falklands, where they were fitted with machine guns and rocket pods, but these were not used.
は誤りだったということです。
その理由は次のとおりです。
BHさんの見つけてくれた
http://www.army.mod.uk/aac/units/3_regiment_aac/662_squadron/index.htm
には、1980年代半ばにリンクス6機とガゼル6機からなる対戦車飛行中隊が改編によって編成されたとあり、その編成が2000年夏までの間に、ガゼルが対戦車中隊からリタイアする形で再び改編された旨の記述がない、というのが第一点です。
そして、上記対戦車飛行中隊の改編について、リンクスだけの12機からなる陸軍軍団隷下の対戦車飛行中隊から、単なる(独立の?)対戦車飛行中隊にし、その際、リンクス6機をガゼル6機で置き替えた、と記されているのが第二点です。
ここから、常識的に考えて、当時のこのガゼルが非武装であったとは思えないのです。
補強材料は、やはりBHさんが見つけてくれた、
http://www.army.mod.uk/equipment/ac/gazelle.htm
です。
このサイトは、現在の状況を英国防省自身が記述したものですが、ガゼルの武装について、
2 7.62mm machine guns (not standard)
と記されています。
これは、対戦車任務を解除されて支援任務に専念している現在といえども、常装ではないけれど、ガゼルが機関銃を搭載している場合があること、従って当然ガゼルに関して機関銃を搭載する運用構想があること、を意味します。
いわんや、ガゼルが対戦車任務に従事していた2000年当時においておや、ということです。
だからこそ、ミリバラ2000〜2001年は、英陸軍のガゼルを攻撃ヘリにカウントしていたわけです。
私は、当時ガゼルが、機関銃を常装していたことはもちろん、それ以外の、戦車に対してもある程度は有効な強力な兵器を常装していた可能性がある、と思います。
それはともかく、上記ウィキペディアの記述だけに拠って、ガゼルはフォークランド戦争の後は、非武装となった、と主張してきた(BHさん以外の)軍事愛好家の皆さんもまた、誤っていたことがはっきりしたと言っていいでしょう。
ところで、「専門家」と「シロウト」の違いは、間違いをおかすかどうかではありません。(もとより、間違っていてばかりでは話になりませんが・・。)
どんな専門家だって間違いはあります。
例えば、ウィキペディアとは違って、専門家が執筆しているはずのブリタニカだって、平均して、ウィキペディアの自然科学分野一項目当たりの誤り4箇所に対して誤りが3箇所もあります(コラム#1092)。
「専門家」のメルクマールは、私見では、その「専門」分野に係る典拠の信頼性を見分ける能力なのです。
ウィキペディアには、上述したように必ずと言ってよいほど誤りがあることからも、単独でそれに拠れるほどの信頼性はありません。せいぜい、補足的に使われるべきものです。
他方、ミリバラはブリタニカやウィキペディアのような百科事典ではなく、各国の軍事力比較に関する専門書であり、しかも信頼性が国際的に認められている専門書です。
日英軍事力比較が議論になっている時にすら、そのミリバラにすぐアクセスしようとしない人、あるいはアクセスできない人は、およそ軍事愛好家ではあっても、軍事の「専門家」ではありえないのです。
もう一つ、「専門家」に求められるものがあります。
それは、木を見てかつ森が見える、ということです。
日本の社会科学がなぜダメかについてはいくつか理由がありますが、その大きな一つが、専門家の教育が、専門分野の教育だけに偏っていることです。
米国では、学部の4年間すべてが教養課程のような趣があるだけでなく、博士号取得をめざす院生でも、修士課程で、専門分野よりはるかに広汎な分野の教育を徹底的に受けます。裾野が広くなければ山は高くなれないのです。
私は英米同様、日本にも、(防衛大学校以外の)大学や大学院に軍事学者がいてしかるべきだと思います。
いずれはそうなるでしょうが、拙著を読んで、その細部にばかりこだわり・・それももちろん大切なことであることは間違いありませんが・・拙著の大きな絵柄には全く関心を持っていないように思われる(BHさん以外の)軍事愛好家の皆さんを見ていると、皆さんの中からは、軍事学者どころか、軍事専門家すら育たないのではないか、という危惧の念を持ちました。
こんなことを言われて悔しいでしょう。
悔しかったら、まず軍事専門家になり、そして軍事学者になってください。
心から応援しています。
太田述正ブログは移転しました 。
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