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人民網の成長?
南京事件と米国の原罪(その6)
南京事件と米国の原罪(その5)
南京事件と米国の原罪(その4)
南京事件と米国の原罪(その3)

南京事件

2007年09月15日
太田述正コラム#2001(2007.8.15)
<人民網の成長?>(2007.9.15公開)

1 始めに

 大体は面白くも何ともない日本語の人民網(人民日報の電子版)ですが、この一両日、結構読ませる記事がいくつか出ました。
 その内容をかいつまんでご披露し、私のコメントを付しました。

2 読ませる記事

 (1)ノーベル賞に縁がない支那

  ア 記事の概要

 世界最大の人口を擁する支那が一人もノーベル賞受賞者を出していないのはなぜか。

 第一に、模範解答を求めるさせる受験教育だ。
 第二に、中高段階から文科系と理科系に分けてしまうため、学生の知識が偏ってしまっていることだ。
 第三に、科学的探求心よりスターや企業家になって金儲けをすることにより高い価値を置く社会風潮だ。
 
 (以上、
http://j.peopledaily.com.cn/2007/08/13/jp20070813_75177.html
http://j.peopledaily.com.cn/2007/08/13/jp20070813_75180.html  
(8月14日アクセス)による。)

  イ コメント

 どうです。結構読ませるでしょう。
 もっとも、人民網の言うノーベル賞の中には、ノーベル平和賞はもとより、ノーベル文学賞すら入っていないようです。ひょっとしたらノーベル経済学賞も眼中にないのかもしれません。
 それはともかく、海外でノーベル賞をとった支那人は何人かいるので、支那人が人種的/民族的にノーベル賞向きではない、などとは言えませんし、スターリン体制下のソ連(ロシア)からもノーベル賞受賞者はたくさん出ているので、中共の政治体制のせいにもできません。
 また、インドからもノーベル賞受賞者は出ているので、経済後進地域であるせいにもできません。
 (以上、典拠省略。)
 支那本体からノーベル賞受賞者が出ていない理由は本当に不思議ですね。

2 南京事件の犠牲者数

  ア 記事

 「・・「南京大虐殺の犠牲者リスト」と「南京大虐殺の生存者リスト」が・・出版されました。・・「犠牲者リスト」に8,242人が記載され、そのうち、50歳以上は1,510人で、子供が262人いるということです。また、「生存者リスト」には2,592人が載っています。・・リストの収集作業は始まったばかりで、これからも関連資料の収集を続け、新しいリストを改めて出版するということです。」(
http://j.peopledaily.com.cn/2007/08/14/jp20070814_75227.html  
。8月14日アクセス)

  イ コメント

 まことに興味深いデータを開示したものです。
 「生存者リスト」は、要するに「証言者リスト」と解することができそうですが、これだけ証言者がいて、「犠牲者リスト」に計上できた数が8242人にしかならなかったということは、「リストの収集作業は始まったばかり」とは言っても、今後この数が何倍にも増えるとは考えにくそうです。
 つまり、20万人ないし30万人もの犠牲者が出たという話は荒唐無稽らしい、ということにならざるをえません。
 こんな風に受け止められることを覚悟の上でこのデータを出したことを、私は注目しています。

3 日本の対中投資の減少

  ア 記事の概要

 中国社会科学院日本研究所の研究員の馮昭奎氏は「日本の対中投資はなぜ減少する傾向にあるのか」と題する論考で次のように指摘している。
 
 日本の対外投資総額は大幅に増加しているというのに、対中投資は減少している。これはどういう原因によるものなのか。

 これは一つには、ここ数年の中日の政冷(政治関係の冷え込み)の後遺症である。
 二つには、中共沿海地区の労働力などのコストや費用が上昇したため、日本企業は労働力コストがより低い投資対象国へと移転しつつあることだ。加えて日本企業はコア技術の漏洩防止や自国の製造技術の競争力の維持といった観点から、ここ数年ハイレベルの技術労働者を必要とする生産拠点を国内へ移転させていることだ。
 三つには、日本の一般企業が中共のバブル経済崩壊によって投資が損害を受けることを心配していることだ。
 四つには、中共軍事脅威論が日米で唱えられており、日本のハイテク企業が中共向け直接投資や技術移転を尻込みしていることだ。
 五つには、外国の対中直接投資のうち日本の対中投資は製造業の割合が比較的多いという特徴を持つが、中共国内の環境保護政策の強化に伴い、日本の製造業による対中投資のコストが上昇していることだ。

 ただし、今後、日中両国にとっての互恵的投資であるところの、省エネ/環境保護及び農業分野での対中投資の増大によって、日本の対中投資が再び増加に転じる可能性はある。

 (以上、
http://j.peopledaily.com.cn/2007/08/14/jp20070814_75290.html  
(8月15日アクセス)以下、による。)

  イ コメント

 日本の投資を喉から手が出るほど欲しがっており、だからこそ「政冷」克服にやっきとなっている中共の気持ちが実に良く分かりますね。

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2004年02月14日

太田述正コラム#0259(2004.2.14)
<南京事件と米国の原罪(その6)>

6 終わりに

 (1)再びラーベについて
 ラーベが南京事件の目撃者として東京裁判の証人席に立とうとしなかった、ということを思い起こしてください。私は、ラーベの気持ちは、支那事変等における中国側の蛮行を咎めず、日本軍による蛮行のみを咎めることが片手落ちだ、というものであったろう、と書きました(コラム#256)。
 しかし果たしてそれだけだったのでしょうか。
戦後白日の下に晒された、ナチスが犯したホロコースト等の蛮行を知って、ラーベが衝撃を受けなかったはずがありません。
 しかも、ナチスがやったことに対するてひどいしっぺ返しを、かつてのドイツ東部や東欧に住んでいた1200万から1300万人のドイツ人が受けたことにも、ソ連占領下の東独で余生を送っていたラーベは心を痛めていたはずです。
先の大戦後、彼らは、(ドイツの領土を大幅に縮小させた上で、東独部分に加えて東欧全域を占領していた)ソ連によって、これら地域から着の身着のままで、しかも徒歩で追放されたのですが、その過程で彼らは、ナチスドイツに対する復讐心に燃えるチェコ等の東欧の国の政府によって、組織的計画的に虐殺され、強姦され、拷問を受け、300万もの人々が命を落としました。これは、スラブ人によるドイツ人の組織的計画的な大虐殺であり、ナチスドイツによるユダヤ人のホロコーストに匹敵する蛮行でした。
(以上、http://www.nytimes.com/2004/01/04/international/europe/04GERM.html(1月4日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/3466233.stm(2月8日アクセス)による。)
ラーベは、ナチスのかつての熱烈な一党員として、自身が、ナチスドイツが大戦中に行ったホロコースト等に対して責任があるだけでなく、戦後ドイツ人が蒙った大虐殺についても間接的責任がある、という自責の念に日々苛まれていたことでしょう。
そのラーベからすれば、中国の南京での「大」虐殺など、この欧州での二つの文字通りの大虐殺事件に比べれば、10年も前に起こった「小」事件に過ぎず、しかもこの事件の原因をアジア的特殊要因に帰せしめた、事件当時の自分の浅薄さにも忸怩たる思いがあったことでしょう。
してみれば、彼が極東裁判の証人席に立とうとしなかったのも当たり前だ、と私は思います。

(2)最後に再び米国の原罪について
 ラーベの「南京の真実」を読み込んで行った結果、米国の第二の原罪が炙り出されてきました。
「戦前」における米国の「東アジアへの恣意的介入」です。
米国の、独立以前にまで遡る「奴隷制」という第一の原罪とこの第二の原罪とをつなぐものが優生学であることも明らかになりました。
 ところで米国は、第一の原罪は南北戦争で贖ったけれども、第二の原罪の贖い方は不十分なままです。
戦後米国が、一転して、政治、軍事、経済の全般にわたって、おおむね世界の覇権国にふさわしい責任ある行動をとってきたことは事実です。この間米国は、冷戦はもとより、朝鮮戦争やベトナム戦争等の熱戦を戦い、多大な犠牲を払ってきました。
 しかし、いまだに米国が「戦前」に犯した第二の原罪を直視した上で、東アジア諸国並びに諸国民に謝罪をしていないことは問題です(注7)。日本は、東アジアを代表して、米国にこの第二の原罪を直視させるべく、米国と歴史対話を開始する責務を負っている、と私は考えます。

 (注7)北朝鮮ならぬ、米国を最大の脅威とした世論調査結果(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200402/200402130028.html。2月14日アクセス)に象徴されているところの最近の韓国における反米感情の高まりは、韓国社会の未成熟さの表れ以外の何者でもない(コラム#80)が、米国側も、韓国の反米感情にはそれなりの根拠があるのであって、例えば朝鮮戦争で米国が血を流して韓国を防衛したことを持ち出してその忘恩ぶりを非難すること(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200401/200401250015.html。2月14日アクセス)などは、むしろ韓国の人々の神経を逆なでする(吉田ドクトリンの起源に関するコラム#250参照)ことくらいは理解しなければなるまい。

 米国に第二の原罪を贖わせることは、依然として世界の覇権国である米国が、第三の原罪を犯すのを回避させることにつながるからです。
 2001年の9.11同時多発テロへの米国の過剰なまでのリアクションは、奇しくもそのちょうど100年前の同じ月に起こったウィリアム・マッキンレー米大統領の一アナーキストによる暗殺事件へのリアクションを思い出させものがあり、強い懸念を覚えます。
 爾来、米国では一国主義的傾向が強まり、有事ということで国内での人権規制が恒常化し、イスラム圏を対象に移民規制が始まる等「鎖国的」政策をとって現在に至っています。
更に米国は、今年に入ってから、ビザ入国者に空港等で指紋採取と顔写真撮影も始めましたが、これはイスラム諸国や発展途上国から、差別だと非難を浴びています(注8)。

(注8)欧州諸国や日本など二十七カ国の国民は、観光などで短期に入国する場合、ビザが免除されているため、指紋採取と顔写真撮影の対象とはならない。ブラジル政府は対抗措置として、全米国人に対しブラジル入国時の指紋採取を実施しています。(中日新聞1月6日朝刊)

このような状況を見るにつけ、一刻も早く日本が自立し、英国と協力しつつ、米国をイコールパートナーとして善導することが世界のために必要だ、とかねてから私は力説しているのです。

(完)

<読者A>
貴殿が韓国の世論を非難したコラムには、朝鮮半島の歴史に関する無知が目立ちます。朝鮮半島の歴史を知らずに現在の政治も理解することはできません。

参考になるサイト
http://www8.ocn.ne.jp/~hashingi/
これでかなり偏った見方を変えられるでしょう。

The Origins of the Korean War. by Bruce Cumings
これを読まずに朝鮮戦争とその後の歴史は理解できません。

<太田>
私のコラムに対するいかなるコメントも、基本的に大歓迎ですが、「歴史を知らずして現在の国際情勢は理解できない」といった、私がかねてから力説し、実践していることをわざわざ繰り返していただいた上で、自分の意見を言わずに、特定のサイトや文献の引用だけされる、というのでは、お答えのしようがありません。
 恐らく、あなたは、自分の読んだものを批判的に咀嚼して自分の意見をまとめあげる、という基本的なことができない方なのですね。
 (前に、投稿していただいた時も、そのように感じました。)
 あなたも日本の教育の犠牲者かもしれませんが・・・。
 もし、そうでない、というのなら、ご自分の意見を展開した、再度のご投稿をお願いします。

<読者B)
> 最近の韓国における反米感情の高まりは、韓国社会の未成熟さの表れ以外の何者でもない

 反米平和派さんが指摘していた点は、このあたりのことなんでしょうか。僕も微妙な違和感がありました。20歳前後の未成熟な年齢の人たちの未成熟な運動は別として、韓国人が北朝鮮の現状維持を望むのは、やや利己的かもしれませんが、実利的で合理的な判断だと思います。
 そこにきて、ブッシュ政権が、金正日政権の崩壊を望むような姿勢を見せたり、限定的な攻撃をひょっとしたらするかもしれないという不安を韓国人に与えているため、彼らが反米感情に流れているという側面も強いのではないでしょうか。知人の政治学教授の韓国人は「核問題が落ち着けば、国民の反米感情も大幅に弱まる」と話していました。
 そもそも、米国移民熱、留学熱が一向に冷めない国が、それほど深刻な反米感情に侵されているとは、とうてい思えません。

<読者A>
> > 最近の韓国における反米感情の高まりは、韓国社会の未成熟さの表れ以外の何者でもない
>
>  反米平和派さんが指摘していた点は、このあたりのことなんでしょうか。僕も微妙な違和感がありました。

上記の記述は、韓国人に対する差別と蔑視の現れです。
朝鮮の歴史を何も知らず、「米日は正しい。米日と違う意識を持つ国民は間違っている。」という意識を太田氏が持っていることは明らかです。

また太田氏は、日本の朝鮮植民地化を「ロシアの脅威」のせいにして免罪しています。しかしロシアの脅威などはまったくの虚構でした。帝政ロシアは明らかな衰退過程にあり、事実1917年に崩壊したではありませんか。

そもそも、朝鮮にとっては、日本もロシアも侵略者にすぎません。ヤクザAとヤクザBが、Cさんの土地を取り合っているとしましょう。ヤクザAが、「Bの脅威をふせぐために、Cの土地を強制的に手に入れた」と言われても、Cさんが納得できるでしょうか?

そもそも日本人は朝鮮の歴史を知っているのか。何もしらないし、隣人を理解するつもりがないからこそ、一方的な「北朝鮮脅威論」や蔑視がまかり通っているのです。韓国人が、そのような日本人の差別意識にたいして「エールを送る」なんてことがあるわけがないじゃないですか。

実際には、韓国は日本よりはるかに成熟した社会です。日本の首相と、韓国の大統領を比べてみるだけでわかるでしょう。

そもそも分断されるべきは日本であり、朝鮮半島ではありませんでした。侵略国家は日本なのに、なぜ被害者の朝鮮が分断されたのでしょうか?

冷戦時代は、韓国では、朝鮮戦争を、内戦ではなく「北の侵略」であるという史観に基き、「北は傀儡政権で、韓国だけが正統政権」という教育がなされていました。しかし、進歩的な歴史学者や学生運動などの努力により、朝鮮戦争は内戦であり、それを引き起こしたのは米国による単独選挙強行(1948年)であることが共通認識となってきました。(Bruce Cumingsの大著"Origins of the Korean War"など)この史観により、北側を「悪」とみなす認識は否定され、米国こそ民族分断をもたらした悪であるということが理解されるようになったのです。

韓国社会における世論の変化は、一時的な「反米感情」といったものではなく、こういう歴史認識の深化が反映しているのです。ですから、この流れは止まることはないでしょう。

>20歳前後の未成熟な年齢の人たちの未成熟な運動は別として、韓国人が北朝鮮の現状維持を望むのは、やや利己的かもしれませんが、実利的で合理的な判断だと思います。

「現状維持」を望んでいるわけではありません。南北の歩み寄りを目指しているものと見るべきです。
あなたは、南北の経済関係がどれだけ深まっているか知っていますか。南北の経済関係も、人の行き来も、増える一方です。地方自治体による北側への援助も活発になっています。こういう状況で、「北脅威論」なんてものが出てくるわけがありません。

>  そもそも、米国移民熱、留学熱が一向に冷めない国が、それほど深刻な反米感情に侵されているとは、とうてい思えません。

こういったものは、政治的なものとは別です。
米国に留学する人が、政治的に親米でしょうか?そうはいえないと思います。

<太田>
ようやく、ご自分の見解を比較的整斉とお述べいただき、痛み入ります。

> 「最近の韓国における反米感情の高まりは、韓国社会の未成熟さの表れ以外の何者でもない」との記述は、韓国人に対する差別と蔑視の現れです。朝鮮の歴史を何も知らず、「米日は正しい。米日と違う意識を持つ国民は間違っている。」という意識を太田氏が持っていることは明らかです。

ほほう。私は吉田ドクトリンを墨守している戦後日本の「未成熟さ」を職を辞してまで訴えてきていますが、それは日本人に対する差別と蔑視の現れだということになりそうですね。
「朝鮮の歴史を何も知らず」には笑っちゃいます。プラトンの対話編に出てくるソクラテスの、「私はあなたが何も知らないことを知っている」をお贈りしましょう。
学問には国境はありません。歴史学だってそうです。私は韓国の人々が米国や日本と違う意識を持っていることを問題にしているのではなく、非科学的な歪曲された歴史観を韓国の人々(の大部分)が持っており、それが根拠のない反米・反日感情をもたらしていることを、彼らのためにも、指摘しているだけです。

>また太田氏は、日本の朝鮮植民地化を「ロシアの脅威」のせいにして免罪しています。しかしロシアの脅威などはまったくの虚構でした。帝政ロシアは明らかな衰退過程にあり、事実1917年に崩壊したではありませんか。

帝政ロシアの末期は停滞していたロシアがついに高度成長に入った画期的時期でした。(常識です。)
また、帝政ロシアを崩壊させた大きな要因は日露戦争での敗北と、日露戦争中の明石大佐らのロシア反体制派への梃入れです。
いずれにせよ、帝政ロシアの崩壊は、ロシアの体制変革に過ぎず、その後、帝政ロシア改めソ連の脅威に世界が晒され続けた点に何の変化もありませんでした。
なお、私のいうロシアの脅威とは、膨張志向を持った専制的体制の脅威であって、日露戦争とか冷戦を、帝国主義同士の争い或いは覇権をめぐっての争い、ととらえているわけではないことにご注意。

>そもそも、朝鮮にとっては、日本もロシアも侵略者にすぎません。ヤクザAとヤクザBが、Cさんの土地を取り合っているとしましょう。ヤクザAが、「Bの脅威をふせぐために、Cの土地を強制的に手に入れた」と言われても、Cさんが納得できるでしょうか?

既にお答えしました。専制的体制の下で生きたい、というあなたの奇特なお考えに敬意を表します。

>そもそも日本人は朝鮮の歴史を知っているのか。何もしらないし、隣人を理解するつもりがないからこそ、一方的な「北朝鮮脅威論」や蔑視がまかり通っているのです。韓国人が、そのような日本人の差別意識にたいして「エールを送る」なんてことがあるわけがないじゃないですか。

とにかく、ソクラテスのいましめを肝に銘じてください。特に「日本人は」などという雑駁な表現は禁物です。(あなたも、日本人ではないのですか?違っていたら失礼。)
私は北朝鮮に脅威を感じていないし、蔑視もしていませんが、金家による専制体制、就中その人権蹂躙ぶりは蔑視しています。それが「差別」だとおっしゃるのなら、大いに結構です。

>実際には、韓国は日本よりはるかに成熟した社会です。日本の首相と、韓国の大統領を比べてみるだけでわかるでしょう。

歴代の大統領が常に辞めてから汚職で逮捕もしくは弾劾され、金大中氏のように、北朝鮮の核問題に目をつぶり、賄賂を使ってまでしてノーベル賞を手に入れるような大統領を持った韓国に比べれば、まだ戦後日本の方がマシかもしれませんよ。
 
>そもそも分断されるべきは日本であり、朝鮮半島ではありませんでした。侵略国家は日本なのに、なぜ被害者の朝鮮が分断されたのでしょうか?

日本帝国が日本列島、北朝鮮、南朝鮮、台湾等に分断された、ととらえる視点も必要です。コラム#264で述べたように、このうち、日本列島の原住民こそ、最も日本帝国に同化していなかった可能性があるのですよ。

>冷戦時代は、韓国では、朝鮮戦争を、内戦ではなく「北の侵略」であるという史観に基き、「北は傀儡政権で、韓国だけが正統政権」という教育がなされていました。しかし、進歩的な歴史学者や学生運動などの努力により、朝鮮戦争は内戦であり、それを引き起こしたのは米国による単独選挙強行(1948年)であることが共通認識となってきました。(Bruce Cumings
の大著"Origins of the Korean War"など)この史観により、北側を「悪」とみなす認識は否定され、米国こそ民族分断をもたらした悪であるということが理解されるようになったのです。韓国社会における世論の変化は、一時的な「反米感情」といったものではなく、こういう歴史認識の深化が反映しているのです。ですから、この流れは止まることはないでしょう。

これこそ、歪曲された歴史観がどんな害悪をもたらすかの典型例です。歪曲が逆の歪曲を生むのです。
いずれにせよ、この論点や「米国移民熱、留学熱」については、これからのコラムで取り上げるので、そちらに譲ります。



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2004年02月13日

太田述正コラム#0258(2004.2.13)
<南京事件と米国の原罪(その5)>

結局、先の大戦中の、
・ナチスドイツによるユダヤ系ドイツ人とドイツ占領地ないし欧州の枢軸国在住のユダヤ人の強制収容所送りと虐殺、それと、
・米国による日系人のみを対象にした強制収容所への収容、並びに東京等日本の大都会への戦略爆撃や広島・長崎への原爆の投下
は、どちらも「戦前」の米国の優生学に由来する同根の蛮行であったということになります。
ナチスドイツに比べて「戦前」の米国により理性が残っていたおかげで日系人は虐殺されることはありませんでしたし、日本が「早期」に降伏したため結果的に爆撃による日本人の虐殺数がユダヤ人の虐殺数の数分の一にとどまったこと、は幸運でした(注4)。

(注4)「戦前」の米国がいかに狂っていたかを物語るもう一つのエピソードが、禁酒法の施行だ。
米国のいわゆる禁酒法とは合衆国憲法修正第18条のことだが、1919年にこの条項を加える憲法改正が成立し、翌1920年の1月から1933年の12月に当該条項が削除されるまでの間施行された。(ちなみに、禁酒法によって禁止されたのは、飲料用アルコールの製造・販売・運搬等であり、飲酒そのものは禁止されなかった。)
禁酒法制定の背景としては、1840年代後半に始まるアイルランドやドイツなどからの移民の増大があった。多くがカトリックであった彼らの飲酒量の多さや飲酒癖の悪さに対して、アングロサクソンを中心とするプロテスタントたる原住民の反発が高まって行った。
そして、禁酒法制定の直接の動機としては一般に、ア 禁酒法支持議員の協力を得て第一次世界大戦への参戦の議会承認を得るため、イ 戦時の穀物不足を予防するため、更には、ウ 酒造・酒販業界を牛耳るドイツ系への反発、の三つが挙げられている。
(以上、http://homepage1.nifty.com/y_nakahara/hammett3.html及びhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%81%E9%85%92%E6%B3%95(どちらも2月12日アクセス)による。)
飲酒法制定の背景や直接的契機の ア と ウ は、要するにドイツ人等に対する人種差別意識が禁酒法制定の大きな原因であったことを示している。
先の大戦が始まった頃までには、(アイルランド系はもとより、)ドイツ系米国人に対する差別意識は解消されていた。(イタリア系やユダヤ系に対する差別意識とその「解消」については、別の機会に論じたい。)

 (4)第一の原罪から第二の原罪へ
 南北戦争(1861??1865年)は、奴隷制という米国の第一の原罪を贖うための戦争でした。
 米国の南部諸州が、新たに米国の州となるカンサス州等に奴隷制の導入を図り、それがだめでも中南米諸国を征服し、そこで奴隷制の普及、継続を図ろうとしたことに北部諸州を代表するアブラハム・リンカーン大統領が断固異を唱えたため、やむなく米国から分離しようとした南部諸州に対し、大統領はこれを許さず戦争を始め、南部諸州の従軍者の40%を戦病死させて最終的に南部諸州を無条件降伏に追い込んだ、というのが南北戦争の実相です(注5)。

(注5)http://www.atimes.com/atimes/Front_Page/FB10Aa03.html(2月10日アクセス)による。
    なおこの論考は、Gary W Gallagher ,The Confederate War, Cambridge,1997を引用しつつ、南部諸州の白人の8??9割は奴隷所有者ではなかったが、その彼らをして南北戦争に従軍せしめた動機は、新しい州で奴隷所有者となる夢だったとしている。なお、「中南米」云々の典拠としては、Robert E. May,The Southern Dream of a Caribbean Empire,1973 があげられている。

 日本人である私としては、リンカーンを始めとする北部諸州の人々が、理念のためだけにここまで凄惨な戦争を戦ったことに恐怖心すら覚えます。
 しかしこの戦争の結果、米国で奴隷制こそ廃止されたものの、南部諸州はもとより、北部諸州においても、白人、就中アングロサクソンの黒人に対する差別がなくなったわけではありませんでした。
 後に優生学なる疑似科学が生まれ、米国の白人が抱く黒人等に対する差別意識を正当化しようとしたことは、しごく当然のことだったと言えるのかもしれません。

 それにしても、優生学が生まれるきっかけとなったのは、一体何だったのでしょうか。
 1901年9月に起こったウィリアム・マッキンレー米大統領の一アナーキストによる暗殺が米国史の転機となった、と指摘するのがカリフォルニア大学デービス校のエリック・ローチュウェイ(Eric Rauchway)歴史学準教授です。
 彼の見解に沿って、それに適宜私の補足を交えつつ、20世紀前半の米国の歩みを振り返って見ましょう。
 マッキンレーの後任のセオドア・ローズベルト米大統領は、その頃、欧州において、フランス大統領、イタリア王及び王妃、オーストリア皇后が、やはり相次いでアナーキストによって暗殺された(Hugh Brogan, The Pelican History of the United States of America, Penguin Books Ltd., 1987 (originally 1985) P.461-462)ことにも鑑み、アナーキズムとの戦いを宣言し、1903年には、アナーキストの米国への移民を禁止する法律が制定されます。
 米国の極度に内向きの時代がここに幕を開けます。
 そして、時を同じくして米国で優生学が呱々の声をあげます。
 1917年の、皮膚の色によって米国への移民を制限する法律の成立(コラム#254)は、このような米国内の動向の論理的帰結でした。
 このような時代背景を考えれば、ドイツの無制限潜水艦戦発動に伴う米国の民間船舶への被害をとがめて米国を第一次世界大戦に参戦させたウッドロー・ウィルソン米大統領が、戦後、自らが提唱し、1920年に発足した国際連盟への加盟を議会の反対で断念せざるをえなくなったのは、当然のことでした。
 実は、「理想主義的国際主義者」、ウィルソン大統領は、好ましからざる移民の強制追放措置を開始した人物でもあります。
 この頃から始まった米国の、東アジアに対する恣意的介入も、この時代背景を抜きにして理解することはできません。(私見)
 米国は、黄色人種に対する差別意識に基づき、人種的に劣った悪い日本人が、同じく人種的に劣った良い中国人等を苛めているので中国人等を保護しなければならない、という観念に囚われ、その悪い日本人に同じアングロサクソンの英国が手を貸している日英同盟を廃棄させるべく、ワシントン体制の構築を提唱し、無理やり日英等にこれを飲ませます(注6)。(私見)

 (注6) 1921年米国は海軍の軍備縮小と太平洋および極東問題を審議するための国際会議を招集した(ワシントン会議)。アメリカの目的は、軍縮協定により米・英・日の建艦競走を終わらせ自国の財政負担を軽減させると同時に、東アジアにおける日本の膨張を抑制することにあった。会議では、太平洋諸島に関する米・英・仏・日の四カ国条約が締結され、これによって米国は日英に日英同盟の破棄に同意させた。
翌1922年にはこの4カ国に伊・中など5カ国を加えた九カ国条約が結ばれ、中国の領土と主権の尊重、中国における各国の経済上の機会均等などが約束された。さらに同年、米・英・仏・伊・日の5カ国の間で海軍軍縮条約が結ばれ、米英各5、日3、仏伊各1.67の主力艦保有比率が定められた。国内では海軍、特に軍令部で米英7割が主張されたが、海軍大臣で全権の加藤友三郎が海軍内の不満をおさえて調印にふみきった。
また同じ1922年に日中間で、山東半島の旧ドイツ権益を中国へ返還する条約が結ばれた。
この一連の国際協定は、世界平和と太平洋・東アジア地域における列国間の協調をめざしたもので、この新しい国際秩序はワシントン体制と呼ばれた。
http://home.r05.itscom.net/hiro-1/nihon/kindaigendai/008.htm。4月13日アクセス)

 このワシントン体制なるものが、日本人に対する差別意識に基づき、日本を叩き潰すための道具に他ならなかったことは、せっかく国際協調路線という旗印の下で、ワシントン体制を遵守しようとする勢力が日本政府の主流となったというのに、提唱主である肝心の米国がその後、ナショナリズムを口実にしてワシントン体制を突き崩そうとする中国の民主主義的独裁勢力と野合してワシントン体制が瓦解するのにまかせ、日本を孤立させ、追い詰めて行ったことが如実に物語っています(私見。拙著「防衛庁再生宣言」第九章参照)。

その間、米国内はどうなって行ったのでしょうか。
移民に対する取締りやテロ対策の強化にもかかわらず、1919年には移民当局に対し二度の爆弾テロ事件が起こり、1920年にはウォール街において爆弾テロ事件が起こります。
 そのため、米国民のヒステリー状況はいよいよ亢進し、移民の制限だけではなく、貿易も制限されることとなり、最後は米国民は自国の制度に対する信頼を失い、あげくの果てに米国は1929年の大恐慌を迎えるに至るのです。

 米国は19世紀末には既に経済覇権国になっており、とりわけ第一次世界大戦後には完全に英国に代わって事実上の覇権国となっていました。
その米国の、このような人種差別的にして鎖国的な無責任極まる逸脱行動こそ、東アジアの秩序を崩壊させ、世界に経済恐慌を引き起こし、優生学の影響とあいまってドイツを逸脱行動へと追いやり、世界に民主主義独裁の惨禍をもたらし、先の大戦を引き起こし、かつ戦後の冷戦を招来した元凶なのです。(私見)
 (以上、ローチュウェイの見解については、http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/StoryFT/FullStory&c=StoryFT&cid=1042490938993&p=1012571727085(2003年1月20日アクセス)による。)

(続く)



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2004年02月12日

太田述正コラム#0257(2004.2.12)
<南京事件と米国の原罪(その4)>

 (掲示板でご報告したように、私のホームページへのこの一ヶ月間の訪問者数は9,270名と、またもや新記録を達成しました。他方、メーリングリスト登録者数は431名になっています。ご愛顧を感謝申し上げるとともに、私のコラムの一層の普及にご協力ください。)

5 米国の原罪

 (1)始めに
 20世紀は戦争と狂気の世紀でした。
 狂気の最たるものは共産主義であり、次いでファシズムです。
 数千万人の命が、共産主義やファシズムに由来する政治的迫害によって失われました。
 しかしこのうち、誰もが最も身の毛のよだつ思いをするのは、特定の民族の絶滅を期して行われた、ナチスによるユダヤ人数百万人の虐殺です。
 これについては、欧州やロシアでのユダヤ人迫害の歴史の論理的帰結である、という見方が有力でした。
 むろんそのような側面があることは否定できません。
 しかし最近、米国の優生学(eugenics)の影響こそ決定的に大きかった、ということが判明しました。米国の気鋭のジャーナリスト、エドウィン・ブラック(Edwin Black)の画期的な業績です。

 (2)米国の二つの原罪
 私は、以前(コラム#225)、米国がアングロサクソン至上主義の人種差別の国であるとした上で、ジョージ・ワシントン等の米国建国の父と言われる人々が奴隷所有者であった話をし、米国は原罪を負っていると指摘したところです。また、「戦前」における東アジアへの米国の恣意的な介入は米国の第二の原罪である、とも指摘した(コラム#221、234、249、250、254)ところです。
この二つの原罪をつなぐもの(missinng link)こそ、20世紀初頭に登場した米国の優生学だったのです。

(3)優生学
ブラックの指摘を要約すると以下の通りです。
20世紀に入って間もなく米国に優生学が生まれ、優生学者達は、社会的価値のない人間は断種、隔離、更には安楽死の対象とすべきである、と主張し始めた(A)。これは、今にして思えば、人種差別主義者がひねり出した疑似科学に他ならなかった(C)。
やがて優生学は、米国の著名な大学、研究所、財団で研究されるようになる。当時の米国の知性を象徴する大統領のウッドロー・ウイルソン、女性運動家のマーガレット・サンガーや最高裁判事のオリバー・ウェンデル・ホームズらもその熱心な賛同者だった。そして優生学は、米農務省、国務省を始めとする連邦各省や各州で実践に移されるようになり、連邦最高裁の判決にも影響を及ぼすに至った(例えば「オザワ判決」(コラム#254))。(C)
優生学者の中からは、長期にわたって米優生学会会長を勤めたレオン・ホイットニーらのように、北欧人種(Nordic race)が人類の中で優生学的に最も優れた人種であり、この北欧人種がユダヤ人、黒人、スラブ人等、青い目とブロンドの髪を持たない人種との通婚によって汚染されつつあると唱える者も出てきた。(A)
米国で優生学の考え方が登場した頃から、数多ある国々の中で、いち早くこれに注目し、最もその動向を熱心に追いかけた国がドイツだった。ミュンヘン一揆に失敗して1924年に投獄された(オーストリア出身の)ドイツ人、アドルフ・ヒットラーは、獄中で米国の優生学者の著作に読みふける。(1930年代の初めにヒットラーはホイットニーに、熱烈なファンレターを寄せている。)ヒットラーは1927年に出版した著書「我が闘争」の中で、米国の優生学とその米国での実践状況に何度も言及している。例えば、米国のNational Origins Act(「出身国別割当移民法」、或いは「排日移民法」。1924年)(コラム#254)について、米国では優生学の考え方の下で「特定の人種を帰化の対象から除外した」ことに敬意を持って言及している。(A)
優生学的安楽死の手段として考え出されたものの一つがガスによる安楽死であり、この論議の副産物が、1921年にネバダ州が初めて採用し、後に多くの州に普及したガス室による死刑執行制度だった(A)。また、米国で少なくとも6万人もの人々が各地の州法に基づき強制断種手術を施された(B)。
1933年にヒットラーが独裁権を握ると、優生学はドイツで大規模かつ徹底的に実行に移されて行く。強制断種手術は大々的に実施され、その先に待っていたのはガス室によるユダヤ人のホロコーストであり、ジプシーの抹殺であり、東欧の蹂躙だった。(B)
(以上の典拠:Edwin Black, War Against the Weak・・Eugenics and America's Campaign to Create a Master Race, Pub Group West, 2003
A: http://www.guardian.co.uk/g2/story/0,3604,1142027,00.html(2月6日アクセス)からの孫引き、B: http://www.waragainsttheweak.com/intro.php(2月10日アクセス。同書の序文)、C: http://www.waragainsttheweak.com/(2月10日アクセス。著者による同書の紹介)

(続く)



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2004年02月11日

太田述正コラム#0256(2004.2.11)
<南京事件と米国の原罪(その3)>

 (2) ラーベのアジア人観について
  ア 始めに
ラーベは、1930年にドイツを離れてから1938年・・国民党政府へのドイツ軍事顧問団がヒトラーの命令で帰国させられた年でもある(321頁)・・に帰国するまで、祖国をずっと離れていましたが、ヒットラーが独裁権を掌握した1933年の翌年の1934年に、ヒットラーに心酔してナチに入党しています (320、325頁)。
ラーベは中等教育までしか受けていません(9頁)から当たり前と言えば当たり前ですが、ラーベの日記を編纂したドイツの元外交官にして歴史学者のヴィッケルトは、「立派な人間でありながらナチだった」ラーベのような「人間は、インテリでは<ありえ>ない」とご託宣をたれています(326頁)。
 ラーベがインテリであったのかどうかはともかく、中国国民党政府の「堕落」や日本軍による「虐殺」に憤りを覚えつつも、「堕落」や「虐殺」がなぜ起こるのか、その原因について、彼は若干躊躇しつつも、「ここはアジアだから」の一言で片付けてしまっています(コラム#252)。
 では、私がラーベに代わって、もう少し「アジア」なるものを解明してみましょう。

  イ 中国人について
 まず、中国人には伝統的に公(おおやけ)の観念がなく、支配者であれ被支配者であれ、みんな自己のエゴの充足だけを行動原理としてきました。
 しかも、当時の中国の民衆の教育水準は極めて低いものでした。
 こういう世界に、ソ連(ロシア)から民主主義的独裁の最新理論である共産主義(マルクス・レーニン主義)とそのプロパガンダ方法論が入ってきたことによって、「民主集中制」政党である、一卵性双生児たる中国型ファシズム政党の中国国民党と中国型マルクスレーニン主義政党の中国共産党が生まれます。両党は、どちらもナショナリズムを旗印にして中国の民衆をその隷下に囲い込もうと競い合います。
そのナショナリズムの最大の標的が日本であり、日本は徹底的にスケープゴートにされます。
国民党は、独裁的権力を握る党指導者達が、そのエゴを充足するための手段として、(一人ひとりがエゴの充足を追求しているところの)民衆の糾合を図りましたが、共産党は、同じく独裁的権力を握る党指導者たちが、資本主義の否定すなわちエゴの充足を公的には否定する形で、自らを律するとともに民衆の糾合を図ります。
(そして日本の敗戦後、中国共産党が、国民党との内戦に勝利を収めることになり、その中国共産党の支配下で、中国民衆は「エゴの充足を公的には否定」させられたが故の塗炭の苦しみ・・政治的迫害と失政による飢饉・・に呻吟することになります。)
 支那事変が始まった年に行われた南京攻防戦当時は、上記両党はその前年の1936年の西安事件を契機として久しぶりに協力関係(=第二次国共合作)に入っていました。
 以上で、南京攻防戦当時の中国人の言動の大部分は説明がつくと思います。もう一度、コラム#253の該当箇所を読み直して見てください。

  ウ 日本人について
 当時の日本市民、すなわち日本兵の教育水準はおしなべて中国人に比べてはるかに高く(注3)、彼らにはまた、自由・民主主義国(天皇の共和国(コラム#218))の一員としての明確な公の観念がありました。

 (注3)略奪中の自動車の持ち主がドイツ人だと分かって、英語で謝辞の「領収書」を書いて渡したユーモア感覚の持ち主の日本人兵士(将校ではない!)さえいた(140頁)。

 そのような日本兵が、どうしてあのような略奪、強姦、虐殺等の蛮行を南京で行ったのでしょうか。
 いやいや、日本兵は南京以外でも、日常的に同様の蛮行を繰り返していた可能性が高い、と思われます。というのは、南京での日本兵の蛮行は、南京に第三者たる外国人目撃者が多数いたからこそたまたま後で大問題になったけれども、これを国民党政府が当時非難した形跡がないからです。取り立てて問題視するほどのことでないからこそ、彼らは非難しなかったのでしょう。
 日本側においても、支那派遣軍の上層部に本件が伝わった形跡はありませんし、(ラーベによれば日本軍の蛮行を眉を顰めて批判的に見ていたはずの)現地日本大使館員が外務省の上司に本件を報告した形跡もありません。
なぜなら、何らかの形で報告がなされておれば、いくら何でも戦後の日本で長期にわたって「南京大虐殺まぼろし」説(369頁)が唱えられることはなかったはずだからです。

それは、こういうことだと思います。
清朝が倒れた後、中国は恒常的な内乱状況にあり、内乱当事者たる軍閥等の軍隊による蛮行は日常茶飯事でした。その「内乱」に1927年の山東出兵の頃から日本軍が一枚加わっただけだ、というのが国民党政権や日本軍の認識だったに違いありません。このような背景の下で、日本軍もまた、中国の軍閥等の軍隊の姿に「汚染」されて行きます。
しかも、満州事変もそうでしたが、そもそも、支那事変も「事変」であり、国民党政権も日本も宣戦布告をしなかったことから、「戦争」ではなく、両「国」間の国交断絶もありませんでした(22??23頁)。
従って、両「国」の間で「国際」法などどこかにすっとんでしまっていたのは当然のことだったのです。

 しかし、このような日本軍の一般兵士の欲望自然主義の発露たる規律の弛緩は、将校レベルにおける下克上的風潮の蔓延という形の規律の弛緩とあいまって、日本軍全体を麻痺させていきます。兵站の無視や劣悪な装備(と裏腹の関係にある精神力の過度の重視)等がその端的な表れです。
これらの根底には、確立してまだ日が浅かった日本の自由・民主主義がある、というのが私の考えです。中国の地で「汚染」された日本軍において、「自由」は欲望自然主義に、「民主主義」は下克上へと突然変異を遂げた、ということです。
つまり、現象的には同じ蛮行が、中国側と日本側とでは全く対蹠的な背景の下で行われていたことになります。

 エ 総括
帰国後、ラーベはドイツの敗戦を目の当たりにし、ソ連占領下の東独で餓えに苦しむ生活を送っていました。その頃の1947年、宋美齢がラーベに住居と年金を提供するので南京に移住しないかと言って寄越しました。東京裁判に検察側証人として出廷することが条件でした。
ところがラーベは、「私はかれらが死刑になるのを見たくはない。・・それは償いであり、ふさわしい刑罰には違いない。だが、裁きはその国民自らによつて下されるべきだと思うのだ」と言ってこの申し出を断ります。
中国側に自らの蛮行を裁く意思がない限り、日本の蛮行を裁くことなどおこがましい、ということでしょう。
そしてラーベは1950年に死去します。(以上、311??312頁)
しかし、このような「立派」なドイツ市民であるラーベらを党員としていたナチスは、中国軍や日本軍のやったことより比較にならないほど悪質な蛮行を行いました。数百万人にのぼるユダヤ人等に対する組織的計画的な虐殺がそうです。
一体数あるファシズムの中でも特異な、このような人類に対する罪をナチスが犯すに至ったのはなぜだったのでしょうか。
そこにはまたしても米国の姿が見え隠れしています。

(続く)



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