カテゴリ: 韓国政治

太田述正コラム#2288(2008.1.8)
<韓国に次々に抜かれる日本>

1 始めに

 2006年の8月、私は「購買力平価による一人当たりGDP、すなわち豊かさにおいて、韓国は2015年までに日本を凌駕することは本当にできるのでしょうか。結論から先に申し上げると、私は困難ではないか、という感じを持っています。」と申し上げたところです(コラム#1389、1391)。
 この結論について、まだ修正する必要はないと思っていますが、この間にも韓国人の体格と知力の日本人と比べての相対的向上にはめざましいものがあります。

2 再び身長で日本人を抜いた韓国人

 1月6日付の朝鮮日報(電子版)で同紙東京特派員は、「80年代まで、韓国の若者は日本の若者より小さかった。70年に1.9センチだった身長差は80年に2.3センチまで開いた。韓国の若者が日本の若者より小さかった時代は、80年代末まで続く。当時、日本に行ったことのある韓国人が「日本の若い人って大きいねえ」と言っていたのが印象的だ。日本が世界最大の経済大国を目指し、日進月歩していた時期だった。韓国の若者の身長が日本の若者の身長を追い越し始めたのは90年代だ。正確に言えば93年に0.2センチ差で逆転、その後2005年には2.8センチまで差を広げた。逆転に何年かかったかはよく分からない。でも「日本人は小さい」という昔の記録や俗説から推測するに、90年代に起きた現像は「逆転」ではなく「再逆転」だったと見るのが正しい。」と記しました。
 これにはびっくりしました。
 かつて(コラム#2003で)「米国の成人の平均身長は、かつては男女とも世界一高かったけれど欧州諸国に抜かれてしま<いました。>・・まだはっきりとした原因は分かっていません。」としつつ、「米国の相対的衰退は、意外な所にまず現れましたね。」という感想を記したことがあるからです。
 上記特派員は、この記事の末尾を、「2008年は韓国が日本に追いつく「元年」として歴史に残る可能性が高い。なぜなら国民が政府を変えたからだ。」という文章で締めくくっており、彼もまた、私同様、韓国人の身長での再逆転を、日本の相対的衰退の前駆現象と見ています。
 (以上、
http://www.chosunonline.com/article/20080106000027
http://www.chosunonline.com/article/20080106000028
(1月7日アクセス)による。)

3 英語の成績で日本人を抜いた韓国人

 1月7日付の朝鮮日報(電子版)は、「英語を母国語としない人を対象とする国際コミュニケーション英語能力テスト(TOEIC)・・を運営する米国の非営利団体ETS(教育テスト・サービス)が・・2005年にフィリピン、ブラジル、タイなど53カ国・地域の成績を比較した結果、韓国人の平均成績は598点で、非英語圏で最高となり、日本(562点)、台湾(529点)、タイ(501点)などを上回った。06年も韓国人は601点で世界最高だった。2000年までは、韓国は日本とトップを争い、順位が入れ替わっていたが、01年以降は日本を10−30点リードするようになった。・・05年の全世界の受験者450万人のうち、韓国人は200万人(日本人は170万人で2位)で、半数近くを占めた。」と報じました(
http://www.chosunonline.com/article/20080107000024
。1月7日アクセス)。
 つまり、韓国人の英語能力は質的にも量的にも日本人を上回るに至ったということです。
 このことと関連し、「ハーバードの韓国人留学生は91〜92年には97人で、中国(220人)、日本(179人)、カナダ(163人)、台湾(115 人)に続く第5位にとどまっていたが、それ以降着実に増え、97〜98年には174人でカナダにつぐ第2位まで上がった後、99〜2000年から現在まで 第3位を維持している。ハーバードの韓国人留学生数は、16年前に比べると3.1倍も増えている。半面、日本は減り、台湾は似たようなレベルにとどまっている。」(
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=94326&servcode=400§code=410
。1月8日アクセス)ことも気になります。

4 感想

 旧日本帝国の一部であった朝鮮半島の南部の人々に体格と知力で、・・更に近い将来豊かさでも(?)・・追い越されたってかまわないと言えばかまわないのですが、このところ世界の中での日本の存在感が急速に希薄化しつつあることとこのことがダブって見えるのは私だけでしょうか。

<参考>
 「平成18年の日本経済の決算書に相当する国民経済計算・・によると、日本の名GDP (国内総生産)は4兆3755億ドル(1ドル=116円換算で約508兆8707億円)となり、世界全体に占める割合は、前年の10.2%から1.1ポイ ント低下し9.1%となった。比較可能な昭和55年以降、最低となった。・・世界全体の名目GDPに占める日本の割合は、バブル経済末期の<平成>6年に17.9%を占めピークを記録した。しかし、その後、バブル崩壊による長期の景気低迷で下降<し>た。」(
http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/071226/fnc0712261939009-n1.htm
。1月8日アクセス)。
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太田述正コラム#2289(2008.1.8)
<KBS用Q&A>

1 始めに

 明9日午後、予定通りKBS京都ラジオの番組に午後2時33分〜43分の10分間電話生出演します。

→以下、非公開


太田述正コラム#1793(2007.6.4)
<日韓関係改善に尽力する朝鮮日報>

 (本篇は、PR目的を兼ね、即時公開します。)

1 始めに

 サッカーのワールドカップを共同開催した2002年には、韓国人の35%が日本について、日本人の69%が韓国について、それぞれ好意を抱いていましたが、それが今年3月に実施された世論調査によれば、20%と36%まで減少してしまいました。
 最も緊密であるべき国についても、韓国人は、米国(37%)、北朝鮮(28%)、中共(20%)で日本(5%)であるのに対し、日本人は、米国(42%)、中共(17%)、韓国(6%)、北朝鮮(3%)、と対照的です。
 (以上、
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200705/200705170007.html
(5月日アクセス)による。)
 この逆風の中で、日韓関係改善に尽力する朝鮮日報の戦いは続いています。
 最新の記事のいくつかをご紹介しましょう。

2 現在の日韓の密接な関係を示す記事

 (1)日本の翻訳書大国の韓国

 2004年に韓国で出版された本のうち、翻訳書は29%を占めるが、この数字はチェコと並んで世界一だ。ちなみに2位はスペインで25%、3位はトルコで17%。中共は4%、米国は2.6%にとどまる。
 韓国の翻訳書のうち、日本の本が40.2%を占めている。次いで、米国の本が25.2%、英国の本が9.9%、フランスとドイツの本が6%だ。
 (以上、
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200704/200704170010.html  
(4月17日アクセス)による。)

 (2)韓国で最も優秀な学生が留学する日本

 「<女性で24歳の>チェ・ウンミさん・・は<東京>大学4年間の成績が4.0点満点の3.9点以上で、卒業論文も高い評価を受けたことにより、<今年3月、東京大学>総長大賞を授与された。総長大賞は大学と大学院を合わせ、総長賞を受け取った16人のうち、特に優秀な1人に与えられる賞だ。チェさんは2001年、<韓国の>高校3年のときに受けた修学能力試験(日本のセンター試験に当たる)でも首席(理系)だった。チェさんの両親はソウル大学入学を勧めたが、チェさんの夢は違っていた。「韓国よりも科学の水準が高い日本で物理の勉強がしたかった。もっと広い世の中で思い切り勉強してみたかった」という。当時、チェさんは両親の勧めでソウル大学も受験し合格したが、結局入学せず、2002年に国費留学生として東京大学物理工学科に首席で入学した。チェさんは4年間の努力の末、東京大学を、事実上首席で卒業し、卒業と同時に物理工学専攻の大学院に外国人初の首席で入学した。」(
http://www.chosunonline.com/article/20070405000029
(4月6日アクセス)アクセス)。

3 日本の朝鮮半島統治の積極的評価

 (1)日本統治以前の朝鮮半島の後進性

 「現在、朝鮮王朝が儒教を統治理念とした国家だったというのは、何ら疑いの余地なく受け入れられている。しかし、西原大政治行政学科の朴鍾晟(パク・チョンソン)教授は、<4月>9日に出版した著書・・で、朝鮮は儒教的徳治ではなく残酷な刑罰により維持された法家の国に近かったと主張し、こうした通念に根本的な疑問を投げかけた。」(
http://www.chosunonline.com/article/20070429000006  
。4月29日アクセス)

 「ソウル大学<の>・・李栄薫(イ・ヨンフン)教授は・・韓国史学界・・は、朝鮮王朝が滅亡したのは「凶暴な盗賊」(日本)のせいであり、「善良な主人(朝鮮王朝)」のせいではないと主張している<ところ、>こうした歴史認識に対し、「歴史から何も学ぼうとしない無責任な姿勢」と批判している・・。
 <同教授いわく、李氏>朝鮮王朝は19世紀には既に事実上解体されていた。人口の増加により火田民(焼き畑農業を行う農民)が増えたため山林は荒廃し、少し雨が降っただけでも土砂が田畑に押し寄せ、農業生産力は減少した。18世紀中ごろに比べ、農業生産力は19世紀末にはほぼ3分の1の水準にまで衰退した。こうした農業生産力の衰退の影響で1850年代以降にコメ価格が暴騰し、それが政治的・社会的混乱へとつながり、それに対し朝鮮王朝は何ら有効な対策を打ち出すことができなかった。
 ・・<また、同>教授は、韓国の指導者らが韓国の近現代史に否定的な歴史認識を持つ背景として性理学(儒教の一派。朝鮮王朝では絶対的権威を誇った)の思想的影響を挙げた(注1)。 

 (注1)私は、コラム#404で、両班精神が李氏朝鮮の政治の搾取性をもたらしたと指摘したところだ。(太田)

 <同教授いわく、>「性理学は一種の原理主義哲学であり、あらゆるものの因果関係を一つの要因で説明しようとする。その典型的な例が、“これまでの60年間、韓国政治が混乱を極め、社会が腐敗したのは、親日派を清算できなかったため”という主張だ。こうした原理主義的思考に陥っている知識人らが社会の摩擦と対立をさらに激しくしている。
 韓国人は自ら伝統を否定し、批判した経験がない。韓国の伝統を批判した日帝が敗亡し、それにより伝統自体が美化され、産業化の始まりとともに民族主義的に利用された。性理学は、人間を道徳的存在と見なし、社会を道徳原理が支配する場と見なしている。これは、西洋的意味での実用主義や経験主義、多元化された思考とはかけ離れている。ここ数年間、韓国社会が深刻な摩擦と対立を経験したのも、余りに観念的かつ道徳的な性理学的思考からもたらされたものではないかと思う。」(
http://www.chosunonline.com/article/20070603000015
。6月4日アクセス)

 (2)日本の朝鮮半島統治の公正性

 「<李栄薫教授(前出)は、>“土地調査事業により全国土の40%が日本のものになった”<とか、>“食糧の半分を日本に強制的に持ち去った”というのは、何ら根拠のない話」<である>と主張している。
 <同教授いわく、日本の朝鮮>総督府は国有地を巡る紛争を公正に扱っていた・・。全国484万町歩(1町歩は約0.99ヘクタール)の国有地のうち、12万7000町歩だけが国有地として残ったが、その大部分は朝鮮人農民らに有利な条件で払い下げられ・・た。食糧を日本に搬出したのも市場を通じた商行為に基づくものであり、強奪したわけではない。
 ・・日帝が土地調査事業の過程で全国土の大部分を強奪したとされているの<は、>・・<第一に、>韓国の学界には厳格なジャッジがいないためだ。先進社会では学界を支配する厳格な審査グループがあり、主張の妥当性について判定を下している。後進社会にはこうした審査を行うグループが存在しないため、何が正しく何が間違っているのかについて、大衆はもちろん、研究者さえも知ることができない状況に陥っている。<第二に、>日帝時代を扱った・・内容<が>事実とかけ離れ<た>小説<の流布等、>商業化された民族主義が横行し、被害意識だけが膨れ上がった結果、(植民地支配を実際に体験した)高齢者よりも若い世代で反日感情が強くなった。これは、商業化された民族主義と<、もう一つつけ加えれば、>間違った近現代史教科書に基づく公教育のせいだ。」(
http://www.chosunonline.com/article/20070603000016
。6月4日アクセス)

 (3)朝鮮半島ナショナリズムと親日の両立可能性

 「韓国芸術総合学校の許英翰(ホ・ヨンハン)音楽院教授・・は、・・親日論争のまな板に載せられた作曲家・安益泰(1906-65)<の話>を通じ、親日・反日の二分法的論調に正面から反論した。
 「愛国歌」(韓国国家)を作曲した安益泰が<19>42年、満州国建国10周年記念音楽会で記念曲を作曲し指揮を行ったという報道(本紙2006年3月8 日付)(注2)は、多くの人々を困惑させた。だが、許英翰教授は「韓国という国家が存在しない状態で、日本のパスポートを持つ安益泰が日本人として活動したのは、ある意味当然のことだ。安益泰が日本の要請を拒み指揮棒を捨てたとすれば、愛国者にはなるだろうが、音楽家・安益泰は存在しなかっただろう」と指摘した。これは、「愛国」と「親日」の二分法から抜け出した第3の見方が許容されない状況では、過去は歪曲・・されるほかなく、こうした画一的に白黒つけようとする見方から抜け出し、安益泰が生きていた時代と正面から向き合い、グレーゾーンを許容する見方への移行を受け入れるべきだという主張だ。」(
http://www.chosunonline.com/article/20070506000023  
。5月7日アクセス)

 (注2)コラム#1113参照。遅ればせながら、産経がこの話をとりあげている。(
http://www.sankei.co.jp/kokusai/korea/070604/kra070604000.htm
。6月4日アクセス)(太田)

 (4)日本の朝鮮半島統治の遺産の大きさ

  ア 韓国建設にあたっての親日派の不可欠性

 「<李栄薫教授(前出)いわく、>高校の近現代史教科書<等>は、解放後に親日派らが建国に参加し、親日派を清算できなかったことが南北の分断をもたらしたと主張しているが、・・李光洙(イ・グァンス)や崔南善(チェ・ナムソン)のようなイデオロギー型の親日協力者らは建国の過程で排除されている。建国に参加した人々は、官僚、教師、会社員、銀行員などのテクノクラートであり、近代国家を建設しようとすれば、近代が要求する知識・技術体系を習得した人々が必要になる。(彼らを親日派と見なすのではなく)植民地体制下の近代を通じ、こうした近代国家の建設に必要な人的資源が供給されたと見るべきだ。<また、>“われわれの力で解放を勝ち取れず、親日派を清算できなかったことにより歴史が歪曲・・された”というイデオロギーが左派により広められているが、自らの力だけで植民地から解放された国がどこにあるというのだろうか。」(
http://www.chosunonline.com/article/20070603000017
。6月4日アクセス)

  イ つい最近までの韓国を規定した日本の総動員体制

 「鄭根埴(チョン・グンシク)教授(ソウル大)・・は、日帝が身体規律を強調したこと<に>植民地支配の1つの様相を見いだしている。
 近代国家では国家が必要とする軍事力と、市場が要求する労働力を担当する身体が必要となる。そのため、前近代の「身体」が修養と保全の対象だったならば、近代以降の身体は国家権力の精密な検査対象になり、より良い身体と健康を訓練によって育成する「体育」という概念が登場した。
 そして、学校は体操や教練などの教科を通じ、身体能力の育成と規律化を行う上で核心的な役割を果たした。日帝は、1938年に戦時動員体制への転換を進め、朝鮮に「皇国臣民体操」を制定した。近代朝鮮に新たに入ってきたスポーツや体操は、そのほとんどが日本から流入したものだったが、皇国臣民体操は植民地朝鮮から逆に日本に輸出された。また体力章(体力検定)制度は、日本の厚生省の発表に先立つ1939年7月に京城(ソウル)で実施された。さらに、42年に日帝は健民運動を大々的に繰り広げ、「鋼鉄のごとき身体は興亜の礎石」と強調した。
 ところで、日帝の敗亡と朝鮮の解放以降、総動員体制に立脚した「身体規律」が日本ではほとんど消滅した一方で、朝鮮(韓国)ではそのまま残り続けたという事実は非常に興味深い。70年代韓国の維新体制は、国民教育憲章・徴兵制・教練・体力章・国民体操など、40年代の総動員体制の遺産をそのまま引き継いでいた。韓国の40代の人々ならば、体力章種目に「手榴弾投げ」をした記憶があるはずだ。
 鄭根埴教授は「韓国における身体の動員は、1987年の6月抗争(民主化を求める100万人規模のデモ。このデモにより、ついに軍事政権から民主化宣言を引き出した)以降、根本的に減少した。韓国の民主化は、一方では軍事政権の退陣を意味したが、もう一方では植民総動員体制の解体をも意味していた」と評価した。」(注3)(
http://www.chosunonline.com/article/20070513000000  
。5月13日アクセス)

 (注3)韓国のスポーツ選手の運動能力の高さの謎(コラム#1133)が解けたような気がする。ところで、日本の戦後の政治・経済体制は、総動員体制を引き継いだものだ(拙著『防衛庁再生宣言』(233〜236頁)やコラム1113等)。韓国だって総動員体制を引き継いだものが「身体規律」だけではないはずだ。(太田)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー<太田>

 7〜12月期の会費を振り込まれた方々の声の一部をご紹介します。
 会費の納入は6月28日までですが、早めに納入していただけると助かります。
 新規の方々の申し込みもお待ちしています。

<3期継続予定の有料読者>

 東京都xx区在住の○○です。
 私は、有料会員のなかでは少数派と思われる「アニメ声優おたく」です。
 時々コラムに「日本人が中性化している」という記述が見られますが、
決して異性に興味無くなっているワケではありません。
 あまりにも現実(リアル)の女性を確保するのが大変なので、仮想(バーチャル)
の世界を向いている気がします。
 ある意味で「おたく」っていうのは、超リベラルな存在なのかもしれません。
 以上、よろしくお願いします。

<2期継続予定の有料読者>

(1)オフ会

 先日のオフ会ではお世話になりました。ありがとうございます。
 内容につきましては、いろいろ思うこともありますが、
 本日は「太田さんは剛速球しか投げないからだ」(コラム#1774)の発言の趣旨を補足しておきます。
 わたくしは世間(自分も含めて)の知的レベル(特に歴史・地理の知識)が低いことを危惧するものです。
 そもそも国とは、優れた少数の人たちが支えるもので、
 国民の知的レベルが低くても、それは仕方がない、という考えもあります。
 しかしわたくしは、この考えに与しません。底辺のレベルが頂点の高さを規定すると考えるからです。
 太田コラムのようなユニークな情報が、国民に行き渡ることは、
国民がものやことを感じる感受性の向上に資することであると考えます。
 わたくしのいう「知的レベルの高さ」とは「ものやことを感じる感受性」です。
 こうした観点から、「大衆も意識してください」という趣旨であの発言になりました。 具体的には、大衆啓発の手順の開発とでも言うのでしょうか?
 「厳密さ等は妥協してやさしく面白く書く必要がある」ということは眼目ではありません。
 なお、「高学歴」と「知的レベルの高さ」とはわたくしのイメージのなかでは、相関関係はありません。
 「高学歴」でかつ惨憺たる「知的レベル」にある人を多く知っているからです。

(2)コラムへの感想

 最近に記事で特に感銘をうけたもの

一、#1789(イギリスの内戦)

 『キリスト教原理主義なるイデオロギーに取り憑かれた人々が、国王抜きの神の
 共同体(godly commonwealth)たる共和制の樹立を目指した、とくれば、これ
は、その1世紀以上後に起こった米独立革命の先駆的事件であると言いたくなり
ます』は目からウロコです。

二、#1779(スターリン)

 『それは、できそこないのアングロサクソンである米国のために、20世紀に入っ
てから日本が疎外され、日本を含めた自由・民主主義勢力が一体となって共産主
義に対抗することができなかったからです。』

 含蓄のあるご指摘で、まったく同感です。

三、イラク問題(#1771など)

 問題の深淵を覗かせてもらいました。

 列挙すれば際限がありませんので、ここらでやめますがセポイの叛乱(コラム#1769)は期待しています。

<太田>

 オフ会でのやりとりをご紹介したコラムの該当箇所は、その時出席された皆さんの発言をつまみ食いさせていただいたものであることをお断りしておきます。
 セポイの反乱の続編については、その構想をまとめるのに時間がかかっています。
 実は、英国の名誉革命(「イギリス内戦」の続きとも言える)についてもコラムを書こうとしているのですが、こちらも手こずっています。
 どちらが先になるか、分かりませんが、もう少しお待ちください。


太田述正コラム#1742(2007.4.21)
<バージニア工科大学乱射事件(続)(その2)>(2007.5.22公開)

3 米国の特異性の補論

 (1)始めに

 私は以前、「米国とは何か」シリーズ(コラム#304〜307)で、米国が「発育不全のアングロサクソン」であり、かつ「博徒たるアングロサクソン」であると論じたところです。
 前者の中で連邦制の弊害や18世紀的政治意識の弊害を指摘したわけですが、今回の銃乱射事件を見ていると、改めてその感を深くします。

 (2)連邦制の弊害

 連邦制の弊害というのはこういうことです。
 連邦法は、非自発的に精神医療施設にかかった人のほか、「裁判所・委員会(board)・専門家会議(commission)等の合法的・・当局によって精神的欠陥があるとされた」者は、銃を購入することはできない、とされています。
 チョは、2005年末にバージニア州の裁判所の特別判事命令によって、彼が精神的病(やまい)に罹っており他人もしくは彼自身に対して危害を及ぼす懼れがあり、外来治療を受けるよう命じられていたのですから、この連邦法に照らせば、銃購入資格を即時剥奪されてしかるべきでした。
 ところが、バージニア州条例は、「非自発的に精神医療施設にかかった者」または「精神的に無能力者である(incapacitated)であると決定された者」は銃を購入することはできない、としており、連邦法よりも緩い規定になっています。
 この規定によって、チョは銃購入資格を剥奪されなかったわけです(注2)。

 (注2)ただし、チョが銃購入資格を剥奪されていたとしても、銃を購入することが可能であったことを忘れてはならない。米国では、銃の40%は、銃販売免許を持たない者から、直接、あるいは新聞等の広告を通じ、もしくは銃見本市で購入されているというのが実態だからだ(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/04/19/AR2007041902351_pf.html  
。4月21日アクセス)。

 つまり、米国は、連邦法と州条例との間に若干の齟齬があることがあり、それが必ずしも問題視されていないことが分かります。

 (3)18世紀的政治意識の弊害

 18世紀的政治意識の弊害というのはこういうことです。
 上記シリーズ(コラム#305)では、大金持ちの名門出身者が大統領等連邦政府の要職を占めていることを指摘したのですが、後知恵で申し上げれば、米憲法修正第2条の銃保有の権利規定がそのまま現在まで持ち越されてきていることも挙げるべきでした。
 この規定が設けられた当時は、国家権力の濫用から市民が自らを守るという趣旨だったのに、それが最近では、他の市民から自らを守るための規定であるかのような議論がなされている(
http://www.guardian.co.uk/usguns/Story/0,,2062329,00.html
。4月21日アクセス)こと、しかも、いずれにせよ、全米で2億6,000万丁(うち拳銃だけで6,000万丁)が市中に出回っていて毎年30,000人以上が銃で命を落としている(ガーディアン上掲及び
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-wilson20apr20,0,4869512,print.story?coll=la-opinion-center
(4月21日アクセス))(注3)というのに、今なおこんなアナクロな規定を維持すべきだと考えている米国民が四分の三近くを占めている(
http://www.csmonitor.com/2007/0420/p03s02-ussc.htm
。4月20日アクセス)こと、を指して私は18世紀的意識の弊害だと言っているのです。

 (注3)ウィルソン(James Q. Wilson)という犯罪学者とおぼしき大学教授は、一、銃保有を禁止することは憲法に抵触する、二、これだけ多数出回っている銃を全部回収することは事実上不可能である、三、仮に回収できたとしても、海外等からヤミで取得されることを防ぐことは不可能である(現に銃規制が厳しい英国や欧州諸国でも銃の乱射事件は起こっている)、四、銃以外による殺人率が米国は英国の3倍にも達しており、このように暴力的な米国の歴史的文化的風土を前提にすれば、銃だけなくしても殺人率の低下には限界がある、五、米国のこのような暴力的風土の下で銃は自衛のための有効な手段となっている(年間10万〜200万回以上、銃は自衛のために用いられている)、として、銃保有の禁止への反対論を展開している(ロサンゼルスタイムス上掲)。

 しかし、幸いなことに、この意識が変わりつつある兆候が見られます。
 米国民の銃保有率は、1970年代半ばに55%という頂点に達した後、2006年にはそれが35%まで低下しています。これは、狩猟を趣味にする人が少なくなったことと、1990年代を通じて米国の犯罪率が低下し続けたために銃で自衛する必要性を感じる人が減ったことによると考えられています。
 銃の購入に当たって警察の許可を要件とすべきだと考える人の割合も79%に達しているという調査結果さえあります。別の調査結果でも、49%が銃規制の強化を求めており、銃規制強化反対は14%しかおらず、35%は現状のままでよいと考えていると、銃規制強化賛成は相対多数を占めています。
 上記世論動向等を踏まえれば、憲法規定の修正を求める意見が遠からず米国で、少なくとも相対多数を占めようになると思いたいところです。
 さしあたりは、銃購入に当たっての警察許可制の導入等、銃規制の強化が課題ですが、上記世論動向等にもかかわらず、銃規制強化が足踏み状態どころか、後退状況にあるのは、銃規制強化賛成派は銃規制強化反対派と違って原理主義的情熱に欠け、圧力団体を構成していないからです。
 (以上、クリスチャンサイエンスモニター上掲、及び
http://www.slate.com/id/2164427/
(4月19日アクセス)による。)

 この分では米国の、国民総健康保険制が導入されていないという先進国としての非常識ととともに、国民への銃保有の憲法上の権利の付与という先進国としての非常識も、容易に改められそうにもありませんね。

(完)

太田述正コラム#1743(2007.4.22)
<バージニア工科大学乱射事件(続々)>

 (このコラムは、例外的にただちに公開します。なお、未公開コラムについても、原則として概要を太田掲示板(末尾参照)に掲載しているのでご参照下さい。)

1 始めに

 次第に乱射事件の犯人チョの家庭環境が明らかになりつつあります。
 この関連で、一番鋭くバランスのとれた情報を提供しているのは、やはり英ガーディアン(系のオブザーバー)紙です。
 ガーディアンの記事(
http://observer.guardian.co.uk/focus/story/0,,2062846,00.html  
。4月22日アクセス)は、同時に、チョを含むこの事件の全犠牲者への鎮魂歌となっており、英文を読むのを厭わない方には一読をお勧めします。
 それでは、この記事をベースに、ワシントンポスト掲載の記事(
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/04/20/AR2007042002366_pf.html  
(4月22日アクセス)、及びチョの姉に関し
http://www.chosunonline.com/article/20070420000057
(4月21日アクセス))も参照しつつ、チョの凶行の背景に迫ってみましょう。

2 チョの家族

 (1)両親

 チョの母親は、朝鮮半島北部の地主階級の出身であり、朝鮮戦争の時にすべてを失った家に育ち、朝鮮半島南部の貧しい家に育った夫と気が進まない見合い結婚をしました。
 二人は、ソウルで小さな古本屋を営みましたが、生活は苦しく、在米の親戚の招きもあって、子供達の教育のことを考え、1992年に米国に移住しました。
 彼らはクリーニング店や飲食店で懸命に働き、やがてワシントンの郊外の環境の良い所に1997年に145,000米ドルで家を買い、チョの3歳上の姉・・自慢の娘・・を1999年に名門プリンストン大学に入学させることに成功します。なお、チョの父親は、現在、クリーニング店の経営者ならぬ一店員です。
 このチョ一家は、周辺の韓国系の人々とのつきあいをほとんどしなかったという意味で、濃厚なつきあいをするのが通常である韓国系の中では極めて変わった一家でした。親戚筋とのつきあいすら最近ではほとんどなかったようです。
 チョは小さいときから無口な子供でした。母親はずっとチョが自閉症ではないかと懸念していました。敬虔なキリスト教徒であった母親は、米国移住後、更に無口になり、韓国系を含め友達の全くできなかったチョのことで、教会に相談するようになり、いつもチョのために祈っていたといいます。
 しかし、チョの学校での成績がよかったこともあってか、母親がチョのことで精神科の医者に相談した形跡はありません。
 もっとも、アジア系の人々は一般に、家族の恥だとして、精神科の医者に相談することを避けがちであるようです。
 また、チョの中学校や高校の時の同級生は、チョがいつも、恐らく両親のお仕着せであったであろうところの、流行にそぐわずカッコも悪い悪趣味な服装をしていた、と証言しています。
 そんなチョが、中学校の時、高校の時、いじめの対象になったのは想像に難くありません。

 (2)姉

 チョの姉は、プリンストン大学在籍当時、3年生を終えた年の夏休みにバンコクの米国大使館経済部で無償のインターン生として仕事をし、その後彼女は、9.11同時多発テロ事件で衝撃を受けた若者の治療を助けるために発足した「プリンストン機構」のメンバーとなり、ボランティア活動も行うといった具合に一見非の打ち所のない人物です。
 大学卒業後現在米国務省の派遣職員をしているこの姉は、同居していた両親とともに、乱射事件が起こった当日以降姿を隠しており、チョ一家は、この姉の名前で遺憾の意を記した声明を発表した以外、完全に沈黙を保っています。
 米国にいるチョ一家の親戚筋にもチョ一家から箝口令が敷かれているところ、姉からも、プリンストン時代の学友等に箝口令が敷かれています。更に彼女から、プリンストン大学の韓国系の牧師に対し、遺憾の意が伝えられ、その遺憾の意がプリンストンの韓国系の学生達にこの牧師を通じて伝達されています。
 もっとも、彼女が上記箝口令を敷いた理由はよく分かりません。というのは、この姉は、プリンストン時代に、家族のことについて一切話したことがないからです。

3 私のコメント

 実家の没落がトラウマとなっているであろうチョの母親が、生活のために望まぬ不釣り合いな結婚をして以来、恐らくはこの母親と(家庭内での影が極めて薄い)父親は一貫して家庭内離婚状況にあり、しかも、母親はもちろん、父親も(仕事以外での)社会との関わりがほとんどないという、荒涼たる家庭でチョは育ったことになります。
 このような家庭環境が、優等生であるまともな姉にまで影を落としているように見えるくらいですから、もともと精神的に偏りのあったチョを完全に蝕んでしまい、そんなチョが簡単に銃を手に入れることができたことが乱射事件の背景である、と私は思うのです。
 想像されるチョの両親の家庭内離婚状況、そしてその伏線となったであろう母親の実家の没落の原因をつくったのは、先の大戦で日本を打ち破り、朝鮮半島の分断をもたらした米国であり、チョが簡単に凶行の手段である銃を入手することを可能にしたのも米国であるこを、われわれ日本人は銘記すべきでしょう。

4 追記

 ガーディアンに比べればもとより、ワシントンポストに比べてさえ、この事件に係る朝鮮日報の報道ぶりは平板に過ぎる感を免れません。
 本日に至っても、朝鮮日報の報道(
http://www.chosunonline.com/article/20070421000035
http://www.chosunonline.com/article/20070421000021
(どちらも4月22日アクセス))は、チョーがこれまでの米国における銃乱射事件の犯人と同様「いじめにより歪んだ世界観と極端な攻撃性持つに至った」という一般論(
http://www.latimes.com/news/opinion/la-oe-fox17apr17,0,7266641,print.story?coll=la-opinion-rightrail
。4月17日アクセス)にとどまっています。

太田述正コラム#1738(2007.4.18)
<バージニア工科大学乱射事件(その2)>

3 米国の特異性

 今回の事件は、乱射に用いられた2丁の拳銃(9mm Glock pistolとWalther P22 semi-automatic)をチョが持っていなければ起こらなかったはずです。
 あの悪名高い全米ライフル協会(NRA)本部が置かれていることからも分かるように、バージニア州は全米で2番目に銃の入手が容易な州であり、チョは、州法に従い、運転免許証・永住権証(グリーンカード)・小切手帳、という三つの身分証明書を提示してクレジット・カードを使ってわずか571ドルで前者の拳銃(と弾丸一箱)を先月購入しており、これまた州法に従い、30日間の禁止期間が明けてすぐ、先週、後者の拳銃を別の店で購入しています。
 (以上、タイムス誌前掲、及び
http://www.guardian.co.uk/usguns/Story/0,,2059716,00.html による。) 

 そうである以上、銃規制を強化すべきだ、とする議論が出てきてしかるべきところ、米国は、憲法修正第2条で銃の保有が権利として認められていて、推定8,000万人の人が銃を保有している国であり、(
http://www.ft.com/cms/s/3d770d7a-ed08-11db-9520-000b5df10621.html
)、事件後まず出てきたのは、大多数の州においてと同様、バージニア州でも大学構内への銃持ち込みが禁止されているところ、この禁止を解除すべきだとする正反対の議論です(
http://blogs.guardian.co.uk/news/archives/2007/04/17/gun_control_the_us_view.html)。
 しかし、そんなことをしたら、銃の暴発事故が起きたり、単なる殴り合いの喧嘩が銃の撃ち合いになってしまう、等むしろ事態を悪化させてしまうというのが、全米の大学当局や治安当局の大方の見解であり、この見解は、最近米国科学アカデミーによっても後押しされたところです。
 今回、バージニア州の治安当局自身、大学構内への銃持ち込み禁止解除の声が出てきたことへの懸念を表明しています。
 (以上、http://www.csmonitor.com/2007/0418/p02s02-ussc.htm による。)

 しかも、最近では、米国で世論調査をすると過半数以上の人が銃規制強化に賛成しています。例えば昨2006年の世論調査では、56%が銃規制強化に賛成でした。(FT上掲、及び
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2059627,00.html

 ところが、もともと銃規制強化反対論が強い共和党(注3)だけでなく、かつては銃規制強化賛成論が強かった民主党まで、規制強化を唱えてNRAを敵に回したゴア候補とケリー候補が2000年と2004年の大統領選挙に相次いで敗れたことに加えて、このところの連邦裁判所の保守化もあって(注4)、最近は腰が引けており、英ガーディアンに至っては、このような米国の姿に愛想を尽かし、こうなったら、米国民は武装蜂起して銃規制強化に乗り出さぬ政府を転覆せよ、という過激な論説を掲げているほどです。
 (以上、特に断っていない限り
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2059749,00.htmlによる。)

 (注3)1981年にはレーガン米大統領の暗殺未遂事件が発生し、1992年にはルイジアナ州で日本人留学生、服部剛丈君(当時16歳)が民間人に射殺され、銃規制を求める声が高まる中、1993年11月、銃規制法「ブレイディ(Brady)法」(5年間の時限法)が成立した。同暗殺未遂事件で重傷を負ったブレイディ元大統領報道官の名にちなんだ法で、短銃などの販売に5日間の猶予期間を設け、販売店に購入希望者の犯歴などを警察に照会するよう義務付けた。更に服部君の遺族ら多くの日本人犠牲者の後押しもあり1994年9月、AK47など殺傷力の高い19種類のセミオートマチック(半自動式)銃の販売・所持の禁止や銃犯罪への罰則強化などを網羅した米連邦法「包括的犯罪防止法」(10年間の時限法)も定められた。しかしブレイディ法は5年の期限を迎えた1998年11月、米共和党の反対で延長されなかった。「包括的犯罪防止法」も2004年、連邦上下両院で多数派を占めた共和党が反対し、更新は見送られた。この間、1999年4月にはコロラド州コロンバイン高校乱射事件が発生し、銃規制強化を求める声が高まり、購入の年齢制限を18歳から21歳に引き上げるなどの規制法案が上程されたが、下院で否決されている。(
http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20070417k0000e030069000c.html

 (注4)何十年にもわたって、連邦裁判所は、同じ米国憲法修正第2条にいうところの、各州は「よく統制のとれた民兵」を必要とするとの規定を援用しつつ、銃保有に対する規制は可能であるとしてきた(集団的権利説)。しかし、ブッシュ政権の初代司法長官のアシュクロフト(John Ashcrof)は、銃保有は個人の権利であるとするNRAの主張(個別的権利説)を擁護し、この見解が本年3月、連邦控訴審で初めて採用され、ワシントン地区における30年来の拳銃の自宅での保有禁止条例を憲法違反であるとした。(FT上掲。太田述正コラム#34)

太田述正コラム#1737(2007.4.18)
<バージニア工科大学乱射事件(その1)>

 (本篇は、後で情報屋台に公開します。)

1 始めに

 16日に米バージニア工科大学(Virginia Plytechnic Institute)で32人を射殺し、自らも自殺したチョ・スンヒ(Cho Seung-Hui)は、米国の永住権を持つ23歳の同大学英文科4年生であり、両親とお姉さんとともに1992年に8歳の時、米国にわたってきたものです(注1)。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2007/04/17/us/17cnd-virginia.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=print  
(4月18日アクセス)による。)

 (注1)これは米国史上最も死者の多数出た乱射事件だ。学校のキャンパス内での乱射事件でこれまで最も死者の多かったのは1966年のテキサス大学での事件であり、16人が犯人によって射殺され、犯人は警察によって射殺されている。また、これまで最も死者の多かった乱射事件は、1991年のテキサスのキリーン(Killeen)での事件であり、22人が射殺され、犯人が自殺している。

 今回の事件は、韓国と米国の特異性を浮き彫りにした事件であると言えるでしょう。
 以下、それを見ていくことにしましょう。

2 韓国の特異性 

 韓国では、ノ・ムヒョン政権発足以来、高賃金・政府規制・労使紛争に悩まされる企業がどんどん海外に脱出しています。
 また、あいも変わらぬ受験戦争下の詰め込み教育が生徒と保護者を、雇用不振が青壮年を、政権の高所得者に厳しい税制が「持てる者」を、それぞれ海外に脱出させています(注2)。

 (注2)韓国の自殺率がOECD加盟国30カ国中最高である(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6380305.stm。2月21日アクセス)ことも、これらのことと無関係であるとは思えない。

 中でも、人気が最も高いのは米国であり、2005年に米国の永住権を取得した韓国人は約2万5000人と、史上最高を記録し、そのうち、就職移民は1万6167人にのぼり、前年度の2倍を記録しています。また、10万??30万ドルを投資し、店を買い上げる方式で投資ビザを取得した人も2005年に2169人と、1997年の2倍に増えています。
 (以上、特に断っていない限り
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/25/20060925000001.html
(2006年9月25日アクセス)による。)

 米国への留学も過熱しています。
 米国の学校への留学生のうち、韓国出身者は昨年末で9万3728人と留学生全体の14.9%を占め、第一位です。韓国人留学生は2004年末には7万3272人でしたが、2005年末には8万3854人に増え、昨年9万人を超え、10万人を超えるのも目前です。
 韓国に続いてはインドが7万6708人で2位、次いで中国(6万850人)、日本(4万5820人)、台湾(3万3651人)、カナダ(3万1234人)、メキシコ(1万4453人)の順になっています。
 韓国は、人口大国のインドと中国を上回っているだけでなく、人口で約3倍で韓国よりはるかに豊かな日本よりも数多くの留学生を米国に送り出しているわけです。
ちなみに、韓国人の米国留学生は、大学生が3万9365人で最も多く、大学院生が3万6835人となっています。
 (以上、
http://www.chosunonline.com/article/20070406000015
(4月6日アクセス)

 今回の事件の犯人であるチョが、どうして米国の大学に在籍することとなったか、お分かりになったでしょうか。
 ドライクリーニング業を営み、ワシントン郊外の中流階級の上の方の人々の住む地域に住めるようになったチョの両親も、そして米国の名門プリンストン大学を卒業したチョのお姉さんも、そして有名公立高校を卒業してバージニア州の名門バージニア工科大学に入学し、入学後、経営学科から英文科(作家志望者向けコース)に転じたチョ自身も、それぞれ相当無理を重ねてきていたと思われるのです。
 (以上、チョの素性については、
http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1611569,00.html
http://www.guardian.co.uk/usguns/Story/0,,2059726,00.html
http://www.cnn.com/2007/US/04/17/vatech.writings/index.html
http://www.cnn.com/2007/US/04/17/cho.profile/index.html  
(いずれも2007.4.18アクセス)

(続く)
  (本篇は、後で情報屋台に公開します。)

1 始めに

 16日に米バージニア工科大学(Virginia Plytechnic Institute)で32人を射殺し、自らも自殺したチョ・スンヒ(Cho Seung-Hui)は、米国の永住権を持つ23歳の同大学英文科4年生であり、両親とお姉さんとともに1992年に8歳の時、米国にわたってきたものです(注1)。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2007/04/17/us/17cnd-virginia.html?_r=1&hp=&oref=slogin&pagewanted=print  
(4月18日アクセス)による。)

 (注1)これは米国史上最も死者の多数出た乱射事件だ。学校のキャンパス内での乱射事件でこれまで最も死者の多かったのは1966年のテキサス大学での事件であり、16人が犯人によって射殺され、犯人は警察によって射殺されている。また、これまで最も死者の多かった乱射事件は、1991年のテキサスのキリーン(Killeen)での事件であり、22人が射殺され、犯人が自殺している。

 今回の事件は、韓国と米国の特異性を浮き彫りにした事件であると言えるでしょう。
 以下、それを見ていくことにしましょう。

2 韓国の特異性 

 韓国では、ノ・ムヒョン政権発足以来、高賃金・政府規制・労使紛争に悩まされる企業がどんどん海外に脱出しています。
 また、あいも変わらぬ受験戦争下の詰め込み教育が生徒と保護者を、雇用不振が青壮年を、政権の高所得者に厳しい税制が「持てる者」を、それぞれ海外に脱出させています(注2)。

 (注2)韓国の自殺率がOECD加盟国30カ国中最高である(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/6380305.stm。2月21日アクセス)ことも、これらのことと無関係であるとは思えない。

 中でも、人気が最も高いのは米国であり、2005年に米国の永住権を取得した韓国人は約2万5000人と、史上最高を記録し、そのうち、就職移民は1万6167人にのぼり、前年度の2倍を記録しています。また、10万??30万ドルを投資し、店を買い上げる方式で投資ビザを取得した人も2005年に2169人と、1997年の2倍に増えています。
 (以上、特に断っていない限り
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/25/20060925000001.html
(2006年9月25日アクセス)による。)

 米国への留学も過熱しています。
 米国の学校への留学生のうち、韓国出身者は昨年末で9万3728人と留学生全体の14.9%を占め、第一位です。韓国人留学生は2004年末には7万3272人でしたが、2005年末には8万3854人に増え、昨年9万人を超え、10万人を超えるのも目前です。
 韓国に続いてはインドが7万6708人で2位、次いで中国(6万850人)、日本(4万5820人)、台湾(3万3651人)、カナダ(3万1234人)、メキシコ(1万4453人)の順になっています。
 韓国は、人口大国のインドと中国を上回っているだけでなく、人口で約3倍で韓国よりはるかに豊かな日本よりも数多くの留学生を米国に送り出しているわけです。
ちなみに、韓国人の米国留学生は、大学生が3万9365人で最も多く、大学院生が3万6835人となっています。
 (以上、
http://www.chosunonline.com/article/20070406000015
(4月6日アクセス)

 今回の事件の犯人であるチョが、どうして米国の大学に在籍することとなったか、お分かりになったでしょうか。
 ドライクリーニング業を営み、ワシントン郊外の中流階級の上の方の人々の住む地域に住めるようになったチョの両親も、そして米国の名門プリンストン大学を卒業したチョのお姉さんも、そして有名公立高校を卒業してバージニア州の名門バージニア工科大学に入学し、入学後、経営学科から英文科(作家志望者向けコース)に転じたチョ自身も、それぞれ相当無理を重ねてきていたと思われるのです。
 (以上、チョの素性については、
http://www.time.com/time/nation/article/0,8599,1611569,00.html
http://www.guardian.co.uk/usguns/Story/0,,2059726,00.html
http://www.cnn.com/2007/US/04/17/vatech.writings/index.html
http://www.cnn.com/2007/US/04/17/cho.profile/index.html  
(いずれも2007.4.18アクセス)

(続く)

太田述正コラム#1546(2006.12.4)
<韓国の対日コンプレックス>

1 始めに

 朝鮮日報を読んでいると、韓国人が、旧宗主国たる隣人日本に対するコンプレックスの固まりであることがよく分かります。
 同紙の最近の記事・論説の中から、単純に自らをそしり、あるいは日本をほめるもの、そしてより複雑であるところの、自らをそしりつつ、あるいは日本をほめつつ、韓国社会に対する批判や朝鮮半島の指導者達に対する批判を行っているもの、をとりあげてみました。

2 単純なもの

 (1)自己毀貶

 カタールのドーハで開催中のアジア大会の野球の試合で、2日、韓国は日本に10対7で敗北したのですが、日本は社会人・学生選抜チームなのに、韓国はプロ野球選抜オールスターチームだったことから、朝鮮日報は、「これは、先日の台湾戦敗戦の衝撃をはるかに超える不名誉な記録であり、韓国の野球史上、最大の屈辱を味わったこととなる。しかも、試合を中継したMBCのスタッフまでもが「舌をかんで死んでしまいたい心境」、「国辱に値する」とし、韓国代表の不甲斐ない戦いぶりを非難した。」と報じました(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/12/03/20061203000018.html
。12月4日アクセス)。

 日本では韓国戦での勝利など碌に報道もされませんでしたが、朝鮮日報のこの大げさな物言いには笑ってしまいますね。

 (2)日本誉褒

 今度は日本を褒めちぎっている記事をどうぞ。

 「日本の東京大学が、日本最大の信用評価機関「格付投資情報センター(R&I)」から、債務履行能力についての格付けで等級「AAA」を取得した。R&Iが格付けする669の企業や団体のうち、これまでに「AAA」を取得したのは、トヨタのような超一流企業を始めとする8つしかない。
 東京大学を始めとする日本の国立大学87校が法人に移行したのは、2004年のことだ。それまで日本の国立大も韓国の国立大と運営上の大きな違いはなかった。・・全ては法人に移行したことで、がらりと変わった。東京大学は大学経営協議会に民間CEOとしてJR(日本鉄道)の社長を招き入れ、企業の競争原理を取り入れた。また開校以来初めて、国際的なコンサルティング企業であるマッケンジーに経営分析を依頼した。さらに全学で大学が開発した技術の特許を取得し、それを企業に貸してロイヤリティーを得る技術移転会社(TLO)を設立した。これにより2003年に300件だった新技術の開発件数は2004年に550件、2005年には700件に増えた。現在、東京大学の総資産は1兆3000億円に達し、負債額の750億円を圧倒している。法人化してわずか2年で、150年の歴史を誇る東京大学が完全に生まれ変わったのだ。
 日本が2000年に国立大学の法人化を決断したのは、1995年から法人化を議論してきた韓国の動きがあったからだ。しかし韓国では縄張り意識の強い政府・大学双方が共に反対の姿勢を崩さず、10年以上の歳月を無駄にしてしまった。その結果、スイスのビジネスクールIMD(国際経営開発研究所)の発表する国際競争力ランキングで、韓国は大学競争力最下位という評価に甘んじることになった。」(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/11/20060911000010.html
。9月11日アクセス)

 これだけ手放しで誉められると東京大学関係者ならずとも、体中がこそばゆくなりますね。

3 複雑なもの

 (1)大衆向け

 より複雑なものとして、怪獣映画の話をとりあげてみましょう。
 朝鮮日報はまず、この分野での先進国日本に素直に脱帽して見せます。

 「韓国最高の興行記録を樹立した映画『グエムル ??漢江の怪物??』(ボン・ジュノ監督)が、・・日本<でも9月に>封切られた<が、>日本のアニメを盗作したとしてネチズンの間で論争が巻き起こ<っ>ている。 ・・グエムル<が、>日本のアニメ『WXIII 機動警察パトレイバー』に登場する廃棄物13号と似ているというもの。反米という設定、下水道を舞台にした展開、怪物が焼かれて死ぬ結末も似ているという指摘だった。・・
 『グエムル』の盗作騒ぎで<とりわけ>懸念される部分は「怪物のデザイン」。同作の主人公である怪物と『廃棄物13号』の怪物のキャラクターが驚くほど似ているのだ。退化した足、背中に寄生した魚など細かい部分まで一致する。・・
 韓国はまともな特殊効果チームすらない状態で「怪物のデザイン」という未知の領域に挑戦した。絶望的な部分は何をどのように作ったとしても、日本の怪物と似ているという点だ。日本は名実共に怪物デザインの世界最強国だ。妖怪文化の伝統を持つ日本は、既に1950年から半世紀以上に渡り、爬虫類・両生類・鳥類などほとんどすべての動物をモチーフに、数千匹以上の怪物を作り出してきた。このうちのどれとも似ていない新しい創造物を作るのは容易なことではない。・・
 現代の怪物映画で日本の怪物の影響力を克服した唯一の例は『エイリアン』だ。H・R・ギガーという天才アーチストの力だった。しかし韓国の土壌で、このような特殊分野デザインの専門家を望むのは無理がある。韓国の怪物映画、特にデザインはまだヨチヨチ歩きの段階だ。『グエムル??漢江の怪物??』の韓国での大ヒットに過信することなく、今回の盗作騒ぎを機に、まだ先は長いということを認識する必要がある。独創的なキャラクターを想像できる基盤作りにも力を入れなければならない。同作の続編を考えているのならばなおさらだ。」
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/05/20060905000034.html
(9月6日アクセス、)及び
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/06/20060906000026.html
(9月7日アクセス))
 ただし、同紙は後で少し軌道修正をしています(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/07/20060907000027.html
。9月8日アクセス)。

 面白いのは、同紙が、現在の韓国社会を批判するかのごとき記事で締めくくっていることです。

 「・・『グエムル』は<日本での>初週の興行成績で7位にとどまった。韓国映画最高の興行作という自負を持って大々的にプロモーションを行ったことを考えれば、期待とは程遠い結果だ。・・<これは、>反米的な設定(怪獣は在韓米軍の廃棄物不法投棄により誕生した)<に対する日本人たちの違和感や、>政府に対する信頼が強い日本人たち<に>は『グエムル』の中で韓国人が韓国政府に不信を抱く内容が理解できない<といった原因が考えられる。>」(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/07/20060907000028.html
。9月8日アクセス)と。

 この話も日本ではほとんど報道されていません。

 (2)インテリ向け

 何人かいる、朝鮮日報の東京特派員は、全員がしばしば、私をうならせる記事や論説を書きます。

 「日本<の最長の>好景気は1892年に始まって、1898年に幕を閉じた。その間に清日戦争(日清戦争、1894??1895年)があったことから、この好景気が「戦争特需」によるものだったことがわかる。清国から戦争賠償金として支払われた3億6000万円は、当時の日本の国家予算の4倍、日本が費やした戦争費用の1.5倍に相当したという。まさに「戦争ビジネス」で巨利を手にしたのだ。このカネが還元されたことで、好景気が続いたとみられる。ご存じのように、清日戦争はどの国が韓国を手に入れるかをめぐる植民地争いだった。それゆえ韓半島(朝鮮半島)が戦場となった。韓国が被害を受けたのはもちろん、続く露日戦争(日露戦争)を経て日本の植民地になるという悲劇を味わった。ということからもこの最長の好景気も、韓国人の立場からすると非常に気分の悪い話なのだ。
 日本<の三番目に長い>好景気は、1954年12月から1957年6月までの31カ月間続いた「神武景気」だ。・・この景気の踏み台となった事件こそ、われわれの悲劇である韓国戦争(朝鮮戦争)だ。日本は参戦した米軍に軍需物資を供給し、莫大な資金を蓄積した。・・韓国戦争を通じ、日本が得た直接的・間接的な恩恵を額にすると計46億ドルに上るといわれている。その十数年後、韓国経済が近代化する上で肥やしとなった対日請求権による資金が8億ドル(無償3億ドル)程度だったことを考えると、瞬間的に怒りと虚無感の入り交じった感情がこみ上げてくる。
 日本<の二番目に長い>好景気<が現在続いている好景気だ。この景気は>海外需要の拡大、すなわち輸出増加が<牽引しており、そ>の多くが中国経済の拡大によるものだ。58カ月間におよぶ今回の好景気の間に、日本の対中輸出は2.88倍も増加した。しかし・・韓国市場の需要<の貢献度も大きい。>同期間に日本の対韓輸出は1.89倍も増加した。韓国との貿易で日本が手にする貿易黒字も2001年の72億ドル(約8400億円)から、昨年には227億ドル(約2兆6400億円)に達し、3倍に増えた。その理由の一つとして、韓国企業が輸入に頼っている産業分野への投資をためらっていることが挙げられるだろう。好況と無縁な状況にある韓国が、いったいなぜ日本に利益をもたらしているのかを考えると「韓国はまた失敗を犯しているのではないか」といった懸念を抱かざるを得ない。
 <こ>うした事態が何度も繰り返される<の>は問題だ。しかも、そうした事態が頻発する理由が、すべて無能な指導者のせいだとしたら、・・他人に責任転嫁する前に、われわれ自身が反省すべき・・だろう。  日本の好景気を横目に、正直妬ましくて仕方がない今日この頃だ。」(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/26/20061126000046.html
。11月27日アクセス)

 この記事は、言わずと知れた朝鮮半島のこれまでの指導者達に対する批判ですが、こうして三つの好景気の話をつきつけられると、日本の指導者達の質が確実に劣化してきていることを実感させられます。
 一回目の好景気は、日本の指導者が自らの血と才覚でかちとったものであったのに対し、二回目の好景気は、日本の指導者がずるく立ち回って米軍等に血を流させ、経済的果実だけをせしめた結果であり、三回目の好景気は、日本の指導者が棚ぼたで果実を手にした、というだけのことだからです。

4 終わりに

 色々考えさせてくれる朝鮮日報よ、ありがとう。

太田述正コラム#1514(2006.11.18)
<精神分裂のノムヒョン政権>

1 始めに

北朝鮮の核実験をきっかけにして、韓国では、親米派と親北朝鮮派の二派に修復不可能な形で分裂している状況が顕在化した、と日本経済新聞の鈴置高史編集委員は指摘しています(
http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/index.html
。11月11日アクセス)。
 面白いのは、ノ・ムヒョン政権内部においても、この二派に分裂している状況が顕在化したことです。
 そのあたりを、例によって朝鮮日報電子版の記事や論説を援用してご説明しましょう。

2 精神分裂状況のノ・ムヒョン政権

 (1)北朝鮮人権非難決議への「賛成」
北朝鮮人権非難決議案の採決が11月17日、国連総会第3委員会で行われ、賛成91、反対21、棄権60で採択されました(注1)。賛成票は昨年の84から7カ国増えました。この後決議は総会本会議に送られ、12月に正式採択される見通しです。  

(注1)決議案は北朝鮮で「組織的、広範囲で深刻な人権侵害の報告が引き続きある」ことに深刻な懸念を表明し、その具体例として拷問や多数の政治犯収容所、「強制的失踪という形の外国人拉致」を挙げている。外国人拉致については「国際的懸念」や「他の国家の国民の人権を侵害」との言葉を新たに加え、昨年より非難のトーンを強めている。

 ここで注目されるのは、2003年に初めてこの決議案が国連で上程されてから、昨年まで一貫して棄権してきた韓国が今回は初めて賛成に回ったことです。
 (以上、
http://www.sankei.co.jp/news/061118/kok000.htm
。11月18日アクセス(以下同じ)。)
韓国は、本来の親米路線に復帰した観があります。

ところが、韓国政府は16日に国連総会北朝鮮人権決議に賛成の立場を表明した際に、「飢えから解放される権利など、北朝鮮住民の実質的な人権状況改善のため努力する」と表明し、また、統一部の当局者は「制裁や圧力を通じた解決ではなく、食糧・肥料の支援(注2)、脱北者収容など、実践的措置を重視する従来の政策を維持していく」と話しました。これは、国連の北朝鮮人権決議には賛成するが、北朝鮮に人権改善を促すための措置や圧力は取らないという意志を示したものであり、(ここまで、特に断っていない限り
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/17/20061117000051.html
)、金大中政権以来の親北朝鮮路線を堅持するというわけです。

(注2)ちなみに、韓国と中共の2カ国だけは、他の諸国とは違って、北朝鮮に対し、モニタリング条件のない食糧支援を行ってきた(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/17/20061117000047.html)。

これでは、精神分裂であると言わざるをえません。

 (2)ノ・ムヒョン政権の奇妙な新布陣

  ア 始めに

 また、このほど、ノムヒョン大統領は、新しい外交通商相、国防相、及び統一相を指名したのですが、次期国防相と次期外交通商相・次期統一相とでは、世界観が180度違うように見えます。

  イ 親米派の次期国防相
次期国防相に指名されている金章洙(Kim Jang-soo)陸軍参謀総長は、韓国議会での16日の人事聴聞会で、以下のように語りました。

「<ノ・ムヒョン大統領が先月「北朝鮮が核を保有しても南北の軍事均衡は崩れない」と発言したことについて、>同意しない。・・北朝鮮が核を保有したことにより、南北間の軍事力の均衡が崩れたのは確かだ。これは朝鮮戦争以来最大の安保上の危機<だ。>」
「<前職の国防相らが戦時作戦統制権の単独行使(米国からの奪還)に反対したことについて、大統領が、「過去に国防を担当された方々がまったく反対の話をされているのが歯がゆい」と発言しているところ、>すでに選択の段階は過ぎたが、彼らの心からの懸念を十分参考にすべきだ。」
「<大統領が、北朝鮮のミサイル発射問題に関し、「<ミサイルは>韓国に向けられたものではない」と語ったところ、米国・日本・北朝鮮のうちどの国が韓半島(朝鮮半島)情勢を脅かしているかと聞かれ、>北朝鮮。」
「<駐韓米国大使が韓国に大量破壊兵器拡散防止構想(PSI)への参加を促した際に、与党の有力政治家が、「韓国の自尊心を傷つける発言」と反論し、ノ・ムヒョン政権がPSIへの参加をその後正式に見送ったことについて、>PSI参加国らの失望を解消し、同盟関係の回復を図るべきだ。」

  イ 親北朝鮮派の新外交通商相

次期外相に指名された宋旻淳(Song Min-soon)大統領府統一外交安保政策室長(外務官僚)は、北朝鮮の核実験直後に、「米国は史上もっとも多くの戦争をした国である」と公開の場で述べました。これは韓国では、「米国に追従して北の核撤去を狙えば戦争になる」ことを示唆した発言と受け止められています。(日経前掲)

  ウ 親北朝鮮派の新統一相

次期統一相に指名されている李在禎(Lee Jae-joung)民主平和統一諮問会議首席副議長(元新千年民主党議員)は、15日に講演会で以下のように語りました。

「ブッシュ政権は北朝鮮の体制崩壊を目指す政策を放棄しなければならない。」

また、韓国議会での17日の人事聴聞会では、以下のように語りました。

「<スパイ団事件、ドル札偽造、麻薬密輸など、北朝鮮による国際的な違法行為が次々と判明している、という議員発言に対し、>あなたが列挙した中で、確たる証拠があるものは一つもないと思う。」
「<北朝鮮では拷問、公開処刑、女性に対する人権侵害、外国人の拉致なども行われている、という、同じ議員の発言に対し、>民主化した国でも似たような経験を持っている。列挙された事項を検証する方法はない。事実なのか否か判断できない。」
「<北朝鮮の体制崩壊など事態の急変に備えてどう対応するのか、という議員質問に対し、>事態が急変した場合には国防部や他の部署が対処するのであって、統一部がすることではない。・・武力、経済力で勝る韓国への吸収統一など考えてはいけないし、その方向に進んでもいけない。」
「<北朝鮮に信教の自由はあると思うか、という議員質問に対し、>北朝鮮にも長老派やカトリックがあり、教会を建てて神の歴史を伝えようとしている点で、一つの歴史的な発展だと思う。」
「<北朝鮮の主体思想や先軍政治が、北朝鮮の国民や南北統一のために好ましくないと考えるか、という議員質問に対し、「それはそちら側の一つの統一理念だ。好ましいか否かを評価できるものではない。」
「<朝鮮戦争は北朝鮮の南侵によって起こった戦争なのか、韓国の北侵なのか、という議員質問に対し、「この場で定義して申し上げるのは適切ではない。」
(以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/18/20061118000028.html
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/18/20061118000024.html
による。)

  エ 終わりに
 親北朝鮮派の考え方がよく分かりますね。
 それにしても、ノ・ムヒョン大統領は、よくもまあ、こんな精神分裂的な人事ができるものです。

太田述正コラム#1481(2006.11.1)
<再び日韓合邦へ?>

1 始めに

 私が朝鮮日報の電子版のファンであることは皆さんご承知のことと思います。
 このところの同紙を見て、時代は再び日韓合邦へと動いている、と思えてなりません。
 もちろん、前回の日本帝国と大韓帝国(注1)の合邦と違って、今回は日本と韓国の合邦ですが・・。

 (注1)1897年??1910年に李氏朝鮮が使用していた国号。

 そのあたりのことを今回は記してみました。

2 外交・内政ともに見ておられない韓国

 (1)あやうい「自主」外交
 朝鮮日報の東京特派員は、上智大学の長田彰文教授の『セオドア・ルーズベルトと韓国―韓国保護国化と米国』という本に依拠して、「米国は西洋の列強として最初に韓国と・・韓米・・修好通商条約(1882年)を締結していた。そして、雲山金鉱の採掘権や京仁鉄道の敷設権などを始めとする深い利害関係で結ばれていた。そのため当時の米国の対韓政策には日本の対韓政策を左右するほどの重みがあった。 <この>修好通商条約の第1条には、「第三国が条約国の一方に圧力を加えた場合、事態の通知を受けた他方の条約国が円満な解決のために調停を行う」という「調停条項」が明記されていた。韓国はこの条項をよりどころとみなし、<日本が韓国に「圧力」を加えてきているとして、>米国が積極的<かつ>友好的に介入してくれることを期待した。・・高宗(注2)皇帝は宣教師のアーレンが<米国>公使として赴任<してく>ると、「米国はわれわれにとって兄のような存在だ。われわれは貴国政府の善意を信じている」とすり寄った。 こうした状況で<、当時の>米国大統領セオドア・ルーズベルト・・(在任1901??09年)・・は周囲に次のような書簡を送っている。「わたしは日本が韓国を手に入れるところを見たい。日本はロシアに対する歯止めの役割を果たすことになり、これまでの態度を見ても日本にはそうなる資格がある」、「韓国はこれまで自分を守るためにこぶしを振り上げることすらできていない。友情とは、ギブアンドテイクが成り立たなければならない。」 ルーズベルト大統領と激論を繰り返し、韓国の独立維持を主張したアーレン公使も、最後には次のような言葉を発した。「韓国人に自治は不可能だ。米国政府が韓国の独立という虚構を日本に要求し続ければ大きな過ちを犯す。」・・<こうして、>米国はロシアの南下を牽制するために露日戦争で日本を支援したのに続き、1905年7月にはフィリピンにおける米国の権益を日本に承認させる代りに、日本の対韓政策を支援するという内容の「桂・タフト協約」を秘密裏に締結した。・・<そして、>露日戦争以後、韓国は日本の保護国となり、5年後には植民地へと転落した。」と記しています(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/31/20061031000024.html。11月1日アクセス)。

 (注2)高宗(コジョン、1852??1919年)は李氏朝鮮第26代国王、大韓帝国初代皇帝(在位:1863??1907年、皇帝在位:1897??1907年)(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%97_%28%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E7%8E%8B%29
。11月1日アクセス)。

 同特派員がこの記事の後の部分で言っているように、韓国のノ・ムヒョン政権による、パワーの裏付けのない「自主」外交の迷走ぶりに愛想を尽かして、米国のブッシュ大統領は、セオドア・ローズベルト大統領の時から1世紀経った現在、再び韓国を見放し、その運命を日本に委ねようとしている可能性があります。

 (2)抗争ばかりの内政
 このたび、韓国政府の息のかかった団体が報告書を公表し、その中で、先進国入りに失敗する国の共通点として、第一に、強いリーダーシップと政策一貫性の欠如、第二に、労使紛糾の長期化及び硬直した労使関係、第三に、激しい与野の対立など政治体制不安、を挙げ、現在の韓国はまさにそうであると指摘しました。
 例えば、第二の労使紛糾については、「浦項建設労組のストが6月末から83日間続き、現代自動車の労組は19年連続でストを行っている。今年は、起亜自動車と双竜自動車も賃金団体交渉と構造調整に対する反発からストを決行し、生産に相当な支障をもたらし・・ている」というのです。
 (以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/31/20061031000059.html
(11月1日アクセス)による。)
 開化派と守旧派勢力(衛正斥邪派)との対立が凄まじかった大韓帝国時代(ウィキペディア上掲)そっくりですね。
 日本統治下の朝鮮半島が、政情が安定したこともあって、めざましい発展を遂げた(コラム#265)ことをここで繰り返す必要はありますまい。
 注目されるのは、このほど韓国で、朴正煕政権時代に、新しい光を当てる歴史書、金龍瑞ほか5人著『朴正熙時代の再照明』(伝統と現代)が上梓され、朴政権が、大義名分や感情ではなく、現実と実利を認識し、生存と繁栄を成し遂げたことに学ぶべきだと指摘し、そのような成功をもたらすきっかけとなったのが日韓国交正常化であることに注意を喚起した(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/09/03/20060903000010.html
。9月6日アクセス)ことです。
 どうやら、日本が再び韓国に手を差し伸べざるをえない時期がやってきそうですね。

3 今回は民衆レベルでは関係は良好

 幸いなことに、現在は大韓帝国当時とちがって、民衆レベルでは日本との関係は極めて良好です。
 朝鮮日報のもう一人の東京特派員は、「首脳会談を<開催できなかった>今年前半に日本を訪問した韓国人は100万人を越えた。急増の勢いを見せている。反日感情があったというが、昨年前半も2004年に比べ増えていた。よく見てみると、韓国の「日本ラッシュ」は女性が主導していることが分かる。一昨年にピークを迎えた日本女性の「韓流ブーム現象」が、逆に韓国で起きているのではと思うほどの急増ぶりだ。 12月から始まる「年末バーゲンセー ル」を前に、今、東京のブランドショップ各店は韓国からのショッピング客に期待をかけているという。30万ウォン(約3万7000円)の格安ツアーで真夜中に東京に到着し、100万ウォン(約12万4000円)分のブランド品を買いあさり、ソウルに戻る韓国のショッピング客の情熱は、日本の「韓流オバサマ」顔負けだ。これまで彼女たちにとって起きた変化といえば首脳会談の中止ではなく、100円=1000ウォン台だった円・ウォンレートが700ウォン台へとウォン高になったことだけだ。・・韓日関係は歴史ではなく現実、政治ではなく経済の面で、より早く進歩しているという事実を証明しているだけに過ぎない。韓国の「ショッピングおばさま」も、日本の「韓流オバサマ」も同じだ。女性の韓日関係だ。今や韓国は、日本に対し一喜一憂する時期でも、中国式の歴史カード外交を真似する時期でもない。それだから交流の方向はとても多様化し、民間レベルの韓日関係も非常に成熟している。」という記事(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/23/20061023000030.html
。10月24日アクセス)を書いています。

4 結論

 以上を踏まえ、EU的な日韓共同体が今世紀前半中にも成立する可能性がある、とあえて大胆な予想をしておきましょう。

太田述正コラム#1455(2006.10.18)
<頑張れ朝鮮日報>

1 始めに

 これまで、朝鮮日報へのオマージュのコラムを書いたことが何度かあります(コラム#1160、1206??1208)が、本篇もそうです。

2 決戦を挑む朝鮮日報

 朝鮮日報は、10月17日付に論説委員のコラム(社説と考えて良い)(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/17/20061017000063.html
。10月18日アクセス)を掲載しました。
 このコラムは、「今や、韓国人はハッキリした選択をするべきときが来た。国際社会に背を向けて金正日・・政権と運命を共にするのか、それとも金正日政権を見捨てて国際社会とともに歩んでいくのか。」という挑発的な言葉で始まります。
 そして、「国連安全保障理事会の北朝鮮制裁決議は、一言で言って「韓半島(朝鮮半島)の管理は金正日政権はもちろんのこと、盧武鉉政権にも任せられない」という、全世界の一致した宣告だった。・・韓半島(朝鮮半島)は「金正日??金大中??盧武鉉政権内左派」が団結した一団と、「親大韓民国」勢力と国際社会が団結した一団の間で、死ぬか生きるかの戦いを繰り広げている・・金剛山にも行くべきではないし、開城工業団地に投資してもいけない。・・「親大韓民国」勢力はこの際、「金正日のいない北朝鮮」「金正日政権ではない北朝鮮」の生き残りのための条件を探ってみるべきだ。ヒル次官補の言葉通りであれば、金正日政権の首を締めていけば、ある日突然変化が訪れることもありうる。金正日政権に従うのか、これを制圧するのか、すべては国民の選択にかかっている。」と続きます。
 いわずと知れた、これは、ノ・ムヒョン政権及び金正日政権と戦い続けてきた朝鮮日報の、この二つの政権に対する最終決戦に向けての雄叫びです。
 私としても、心からエールを送りたいと思います。

3 日本擁護に努める朝鮮日報

 「次期国連事務総長に任命された韓国の潘基文交通商相は15日、ニューヨーク市内で日本の報道機関と会見し、日韓の歴史問題に関しては「日本の政府指導者は謙虚さを持って、真摯・・にこの問題に取り組むべきだと考える」と述べ、「過去の歴史の傷を癒やすために行動しなければならないのは韓国の国民ではない。日本国民・政府だけが靖国神社参拝や教科書問題を含むすべての歴史問題に責任を持って対処することができる」と関係改善に向けた日本側の取り組みは不十分だとの認識を示した。日本固有の領土である竹島・・問題についても「日韓両国、特に日本政府が、この過去の問題を克服していないのは不幸なことだ」と日本の対応に責任があるとの見方を示<した>」という産経新聞の16日付の記事(
http://www.sankei.co.jp/news/061016/kok006.htm
。10月17日アクセス)を読んで目を剥いたのは、私だけではありますまい。
 いくらまだ韓国のノ・ムヒョン政権の外相であるとはいえ、次期国連事務総長としては、あるまじき発言だからです。
 この潘発言を、朝鮮日報が翌日(17日付)の電子版で全く取り上げなかったのはさすがだと思っていたら、17日付で面白い社説(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/17/20061017000033.html
。10月18日アクセス)が同紙の電子版に載りました。
 すなわち、「大統領府は今月13日に次期国連事務総長に選出された潘基文・・外交通商部長官の後任を、来月中旬ごろに任命する予定だという。潘長官は今後1カ月にわたり大韓民国の外交部長官と次期国連事務総長という二つの身分を持つことになる。 こうした大統領府の人事方針は非常識なものと言わざるを得ない。大韓民国外交部長官と国連事務総長の役割は、時として方針や利害が相反する可能性がある。長官としての任務を遂行しようとして国連事務総長の中立性を害する可能性もあれば、国連事務総長としての滑り出しに最善を尽くすため、大韓民国外交部長官としての機能を果たせなくなる可能性もある。」というのです。
 そして、具体的な利害相反例として、「潘基文次期国連事務総長は14日、米国のテレビ局のインタビューに対し「北朝鮮が安保理決議を履行しない場合、国連憲章の規定に従ってさらに強硬な措置を取る」と語った。太陽政策に執着してきた・・ノ・ムヒョン・・政権の外交部長官としては、想像できなかった発言だ。」を挙げています。
 しかも、この社説のタイトルは、「潘基文外相を一日も早く解任せよ」です。
 読み方によっては、この社説は、上記産経記事に載った反日的潘発言を批判しているとも言えるのではないか、いや、掲載のタイミングから言ってきっとそうに違いない、と私は思うのです。
 半信半疑の読者向けに、もっとはっきりとした親日記事をご紹介しましょう。
 同紙のニューデリー特派員による17日付の記事(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/17/20061017000029.html
。10月18日アクセス)です。
 そのさわりの部分は次の通りです。

 「日本とインドとの歴史的友好関係は100年にもなる。植民地時代に「韓国はアジアのともしび」と激励したインドの詩人ラビンドラナート・タゴールの一言しか語れない韓国とは異なる。韓国が日本の植民地となるきっかけになった1904-05年の日露戦争の際、日本がロシアを打ち負かしたという知らせを聞き、インド人たちは喜んだ。アジア国家がヨーロッパ国家に勝つとは。英国の植民統治下にあったインドの人々は、その時日本に“希望”を見いだした。第2次世界大戦のとき、日本はインドの英国に対する武装闘争を支援した。インドの武装独立闘争家スバス・チャンドラ・ボースが1944年、シンガポールでインドに進撃する際に動員した兵力は、日本の協力を受けて引き渡された英国軍所属のインド人捕虜たちだった。一方、日本人は1945年、戦争直後に開かれた東京裁判当時にあるインド人判事が主張した裁判批判を今でも忘れていない。ラダ・ビノード・パル判事は法廷の正当性に疑問を提起し「起訴されたすべての人は無罪であり、即刻釈放すべき」と主張した。日本は、歴史的な関係に基づき、<インドと>安全保障はもちろん、経済的利害関係の構築に力を注いでいる。」

 日本人の多くにとっては常識の部類に属する話ではありますが、このような話を反日感情の強い韓国人向けにあえて書いた朝鮮日報の記者、というより、このような記事を書くようにすべての同紙記者に指示していると思われる朝鮮日報の最高経営陣の見識、に心から敬意を表そうではありませんか。

太田述正コラム#1438(2006.10.8)
<韓国から新国連事務総長>

1 始めに

 韓国の潘基文(BAN KI-MOON。パン・ギムン)外交通商相の次期国連事務総長就任が確実視されています。
 彼の来し方をご紹介した上で、彼の事務総長としての行く末を占ってみましょう。

2 来し方

 潘は、1944年に生まれ、子どもの頃から常に成績が1番でした。
 彼は、並外れた英語力で、高校2年の時に赤十字主催の「外国人学生の米国訪問プログラム(VISTA)」で韓国からの学生4人のうちの1人に選ばれます。
 潘は、ワシントンで外国の学生たちと共にケネディ大統領に会い、将来外交官になろうと決意します
http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/5401856.stm。10月5日アクセス)。
 父が事業で失敗したため、苦学生としてソウル大学外交学科を卒業した潘は、1970年に国家公務員採用??種試験に2番で合格します。彼が成績で1番になれなかったのは、後にも先にもこの時だけです。
 外交部(外務省)に入った潘は、研修の成績が1位となり、駐米大使館に発令を受ける予定であったところ、本人は、韓国と国交樹立直前のインドのニューデリー総領事館での勤務を希望します。発展途上国ならば経済的に余裕ができ、家族を助けることができると考えたためです。
 潘の上司のニューデリー総領事(国交樹立後は駐インド大使)は、潘の能力を高く買い、後に韓国の首相になると、潘を先例を破って年次の上の者を飛び越す形で次々に昇進させて行きます。
 その潘は、唯一の挫折を外交部の次官の時に経験します。2001年2月、実務レベルのミスで、韓露首脳会談の合意文に、ブッシュ政権が破棄を主張していた弾道弾迎撃ミサイル制限(ABM)条約の「保存と強化」を骨子とした文章が含まれてしまったのです。 このために、米国に謝罪をさせられた金大中大統領(当時)は、外交部長官と次官の潘を更迭し、潘は意気消沈します。
 しかし、4ヶ月後に後任の外交部長官が国連総会議長を勤めることになり、この長官は、「失業」中であった潘を国連総会議長の秘書室長兼国連代表部大使としてニューヨークに赴任させます。これは外交部次官より格下のポストでしたが、この時、国連内で顔を売ったことが後で役立つことになるのです。
(以上、特に断っていない限り
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/04/20061004000049.html
(10月5日アクセス)による。)

3 行く末

 潘の評価については、米国の主要メディアは、おおむね当たり障りのないことしか書いていません(例えば、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-ed-un04oct04,0,4780639.story?coll=la-opinion-leftrail
。10月5日アクセス)。
 他方、英国の主要メディアはおしなべて辛口の評価を下しています。
 BBC(BBC上掲)は、潘は、調和を重んじる調整型の人間だが、低姿勢過ぎるしカリスマ性がなさすぎるとし、彼が外交部長官時代の韓国外交は、韓国を孤立させ、不手際が目立ったと指摘し、果たして彼がリーダーシップをとって米国と渡り合えるのか疑問視しています。また、中共が潘を推したのは、潘を手名付けられると思っているからだろうとも述べています。
 ガーディアン
http://www.guardian.co.uk/korea/article/0,,1889800,00.html
。10月7日アクセス)もほぼ同じ評価であり、潘のコミュニケーション能力や記者会見能力にも懸念を表明しています。
 そしてガーディアンは、英仏は、潘よりもマシな候補者が現れるのを待っていたが現れず、結局米中露が潘を積極的に推していたこともあり、しぶしぶ潘に賛成票を投じたことを暴露しています。ただし、米国が潘を推したのは、アナン現事務総長のように、対イラク戦で米国を批判したりするようなことは決してできないであろう潘の「弱さ」を買っただけのことだろう、とつけ加えています。
 なお、ガーディアンは、韓国は、潘を事務総長候補に決めてから、国連安保理の非常任理事国のタンザニアやペルーに経済援助を大幅に増やしている、と以前から報じてきたところです。

4 所感

 私は、日本の最隣国で、かつ日本の植民地であった韓国から国連事務総長が出たことを、素直に祝福したいと思います。
 安保理での最終予備投票結果は、潘に賛成が14票で、棄権が1票でしたが、この1票は日本であったと言われています(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/04/20061004000035.html
。10月5日アクセス)。
 潘が外交部長官となった2004年以降、日本は韓国に極めて不愉快な思いをさせられてきました・・例えば、韓国は日本が安保理常任理事国になることに反対した・・が、潘は単なる秀才官僚なのであって、ノ・ムヒョン大統領の指示に従って外交事務を執り行っただけのことですから、日本は、宗主国米国の姿勢を見習って、最初から積極的に潘を推すべきであったのにケチなことをしたものです。

太田述正コラム#1391(2006.8.29)
<果たして韓国は豊かさで日本を凌駕できるか(その2)>

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 読者から、ホームページの掲示板に次のような投稿がありました。
 「前近代に関しては、地域による経済格差はあまり無かったのでは?
 現代のように国や地域によって経済水準が大きく異なるようになったのは、18世紀の産業革命により、化石燃料に大きく依存した経済構造になることによって、化石燃料を上手く入手・取り込むかどうかで、経済水準に大きな格差が生じ始めた。
 前近代のように太陽エネルギーに依存した農耕社会経済では、国や地域によってさほど経済水準に差は生じなかった。太陽エネルギーというのは国や地域によって大差が無いからだ。
 そういうふうに考えると世界の経済循環が効率化することによって、化石燃料によって動く現代社会も、前近代のような太陽エネルギー(農耕)社会のように、経済水準が均一化してきているだと思う。
 韓国の経済水準が日米を追い抜くかどうかだが、韓国がつらいのは早老化現象だ。現代社会では、経済水準が高くなると総じて少子化現象が加速していく傾向にある。そういうふうに考えると、国全体や長期的視点で考えると、その国は成熟・衰退化していっているように思う。つまり、韓国の国力は、もうそろそろ頭打ちの傾向が強いということだ。
 その場合、韓国は日本以上に中国の人口・経済圧力を受けるようになる。中国の強みというのは、あの国の中には先進国のような地域もあれば、発展途上国のような地域があり、そこが新たな成長・人口供給地域になるということだ。
 そういうふうに考えた場合、経済水準が異様に高くなることが、長期的な視点で見て、国やその民族の成長にプラスばかりになるとは思えない。韓国の少子化は日本よりも激しく、しかも、国際結婚なども日本より激しく韓国のアイデンティティーを大きく揺るがすと思う。その場合、中国に隣接するあの地域は、中国の新たな吸収ターゲットになる可能性が高い。」

  「前近代・・産業革命以前・・に関しては、地域による経済格差はあまり無かったのでは?」
というご指摘は、基本的に正しいのですが、紀元元年時点では一人当たりGDPが最高のイタリアは453ドル、最低は南米一帯の400ドルだったので確かに経済格差はほとんど無かったものの、1500年時点になると、一人当たりGDPが最高のイタリアは1,100ドル、最低のブラジルは400ドルとかなりの経済格差が生じていた、ということが私の引用している資料(
http://www.sasi.group.shef.ac.uk/worldmapper/data/nomap/159_worldmapper_data.xls
、及び
http://www.sasi.group.shef.ac.uk/worldmapper/data/nomap/160_worldmapper_data.xls
)から分かります。地中海地域における奴隷利用と商品作物交易の発展が、このような経済格差をもたらしたということのようです(
http://www.sasi.group.shef.ac.uk/worldmapper/display.php?selected=160
)。
 少子化の影響については、私も懸念材料として紹介したところですが、この点を敷衍したこの読者の指摘には傾聴させるものがあります。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 韓国では、購買力平価による一人当たりGDPの動向よりも、通常の為替レートによる(国全体の)GDPの動向の方により関心が集まっています。
 こちらに関しては、韓国は、一昨年にインドに世界第10位の地位を譲り渡したかと思ったら、昨年にはそれに引き続きブラジルに世界第11位の地位を譲り渡してしまい、世界第12位へと順位を落としてしまいました。しかも、現在13位のメキシコの経済は低迷しているものの、14位のロシアの経済は好調であり、このままではここ一両年でロシアとの逆転も考えられるのです(
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200608/200608280030.html
)。8月29日アクセス)。
 
3 私の見解

 それでは話を元に戻しましょう。
 購買力平価による一人当たりGDP、すなわち豊かさにおいて、韓国は2015年までに日本を凌駕することは本当にできるのでしょうか。
 結論から先に申し上げると、私は困難ではないか、という感じを持っています。
 その理由の第一は、韓国経済の日本経済への依存体質です。
 このところ、「韓国産業の日本への依存度が低くなっている一方で、日本産業の韓国への依存度が徐々に高くなって<おり、>・・韓日経済の依存関係は韓国の日本への一方的依存関係から相互依存関係に移行しつつある」(
http://www.igss.ynu.ac.jp/library/collection/thesis/2003/81.htm
)とはいうものの、今年の韓国の対日貿易赤字は史上最高となる見込みであり、今年前半の対日貿易赤字は、実に韓国の貿易黒字の1.8倍にも達する(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/14/20060814000001.html
。8月14日アクセス)ことに鑑みると、中間財等の面での韓国経済の日本経済への依存度は依然高い、という感は拭えません。
 このような日本経済への依存体質が、今後10年以内に解消するとは思えません。
 理由の第二は、第一ともオーバーラップするのですが、韓国が世界有数の知財輸入国であって、米国や日本に対し、知財面で大幅に依存関係にあることです。
 2002年のロイヤルティー/ライセンスフィーの純支払額を見ると、アイルランドの10,718(百万米ドル。以下同じ)、支那(中共2,981及び香港1,269)4,250に次いで、韓国は2,167と世界第3位の知財輸入大国です(注6)。(ちなみに、日本は599。)(
http://www.sasi.group.shef.ac.uk/worldmapper/data/nomap/100_worldmapper_data.xls

 (注6)ここでも、アイルランドと韓国が似たもの同士で登場するのは興味深い。

 知財創造中枢とも言うべき大学を見る限り、韓国の大学の国際評価は、世界大学ランキング百位以内に入る大学が一つもないという低さ(注7)(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/15/20060815000038.html
。8月16日アクセス)であり、韓国が知財輸入大国から脱するきざしは全くない(注8)と言わざるをえません(注9)。

 (注7)このランキングは、科学専門誌の「ネイチャー」や「サイエンス」に記載された論文数や社会科学論文引用指数であるSSCI、芸術及び人文科学論文引用指数であるA&HCIの数値、外国人教授と外国人学生数、学生対教授の比率、図書館の蔵書量などを基準に評価されたもの。ちなみに、ランキング1位は米ハーバード大学であり、日本もいばれたものではなく、16位の東京大学を始め、京都、大阪、東北、名古屋の5校しか100位以内に入っていない。中共からは0だが、香港からは2校、シンガポールからも2校が100位以内に入っている。
     なお、世界の大学の国際評価には、さまざまなやり方があるけれど、オックスフォードが1位になったり(コラム#1064)、ハーバードが1位になったり、といった違いはあるが、マクロ的にはおおむね同様のランキングが出てくる。
 (注8)そもそも韓国(朝鮮半島)の人々には、自然を観察することから始まる科学的探求心そのものが欠けているように見える。例えば、生物分類学は欧米では1500年代、日本では1800年代に始まったが、朝鮮半島では日本統治時代に始まり、いまだに(北朝鮮はもとよりだが、)韓国では脊椎動物以外、とりわけ昆虫の生態はほとんど明らかになっていない。(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/23/20060723000008.html
    。7月24日アクセス)
 (注9)朝鮮日報が、現在の韓国の課題のトップに「世界のトップ100校にも届かない韓国の大学教育」の改善を挙げている(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/23/20060823000053.html
。8月24日アクセス)ことに敬意を表しておきたい。もっとも、大学教育の改善は、日本にとっても最大の課題の一つであることは、私がかねてから(「on the job training・実学・学問」シリーズ(コラム#1059以下)等で力説しているところだ。

(完)

太田述正コラム#1389(2006.8.27)
<果たして韓国は豊かさで日本を凌駕できるか(その1)>

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 128番目の有料購読申込者のメールをご紹介します。

太田様、
 大変遅くなりましたが、有料購読させていただきたくメールいたしました。
自分は教育に携わっているひよっこです。英国留学とインド滞在を経て、経済政策よりも、民族の文化的特性こそが、その民族が属している国の産業の特徴と成長に直接多大な影響を与えるのではないか、と考えるに至りました。その考えに基づき、国の義務教育のデザインにおいてはまず、抱えている民族の文化的特徴を 分析し、どういった産業、working style やsystemにむいているか把握。その上で、その国の現在の経済的特徴及びこれからの世界経済の推移を考慮し、うまく長所や短所を成長させる教授法とカリキュラムを組むべきだと考えております。
 これを実証(間違っていれば無論修正しますが)、そして出来うるならばその結論に基づき将来実行するために本来の教育の分野(ある一分野における教授法)だけでなく、民族文化論、経済学を時間を作って必死についばんでいる自分にとって太田様のコラムはまさに渡りに船。いつもたくさんの有益な示唆と情報に手を合わせて拝む思いでした。いままで本当にありがとうございました。そしてこれからもよろしくお願いいたします。
先生のますますのご活躍を期待しております。
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1 始めに

 支那の勃興の陰に隠れて忘れられがちですが、日本にとって最も近い隣国である韓国経済は引き続き堅調に伸びています。
 8月18日に、英シェフィールド大学と米ミシガン大学の共同プロジェクトが行った、紀元元年・1500年・1900年・1960年・1990年の購買力平価による各国(現在の領域)のGDPと一人あたりGDPの推計/実績値と、2015年における予想値が発表されました
http://www.sasi.group.shef.ac.uk/worldmapper/index.html
。8月27日アクセス)。
 このように2,000年のスパンで見ると、若干の上下はあっても、支那とインド亜大陸と西欧は一貫して経済大国であったことが分かります。支那やインド亜大陸や西欧ほどではないけれど、日本だってそうです。
 さて、この資料で私が面白いと思ったのは、英国と日本は、どちらも経済大国(西欧と支那)の縁辺に位置しつつ、それぞれにとって最も近い隣国の一つであるアイルランドと韓国(朝鮮半島)を、片や何百年にもわたって支配し、片や半世紀弱にわたって支配したわけですが、アイルランドが英国から独立する直前であるとともに、逆に日本が韓国を支配する直前でもある1900年の時点では、英国と日本の一人あたりGDPは、それぞれアイルランドと韓国をかなり上回っていた(注1)というのに、2015年の予想では、どちらも逆転している(注2)ことです。

 (注1)英国:4,492(1990年ベースの米ドルによる購買力平価。以下同じ)、アイルランド:2,736、日本:1,180、韓国820。
 (注2)英国:27,624、アイルランド:34,677、日本:35,694、韓国:38249。

 もっとも、2000年以上前の紀元元年の時点では、英国はアイルランドと同じで、日本は韓国を下回っていた(注3)のですから、2015までにそれぞれ本来の姿に戻る(注4)、というだけのことなのかもしれません。

 (注3)英国:451、アイルランド:451、日本:402、韓国:452。韓国は当時の「国」の中で6番目に高い。ちなみに、紀元元年において最も豊かな(一人あたりGDPが高い)「国」はちょっと意外な感じがするが、バングラデシュ(454)であり、インド(453)がそれに次ぐ。
 (注4) 英国は現時点で既にアイルランドに追い抜かれている(コラム#632。ただし、このコラムで出てくる一人あたりGDPの値は、年間平均為替レートを使って計算されている)。

2 韓国での議論

 韓国では、2015年には一人あたりGDPで韓国は日本(9位)を上回るだけでなく、米国(7位。38,063)さえ上回る世界6位の豊かな国になる、と予想されたとして話題になっています(注5)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/26/20060826000023.html
。8月27日アクセス)。

 (注5)奇しくも、2,000年ちょっと前と同じ順位に戻るわけだ。もとより、紀元元年の一人あたりGDP推計値にどれほどの信憑性があるのか、という問題はある。

 ただし、2000年代に入ってから韓国の経済成長率が年平均4%台に低下しており、高齢化の進展もあることから、このような予想は過大評価だという声が韓国では出ています
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/08/26/20060826000024.html
。8月27日アクセス)。

(続く)

太田述正コラム#1355(2006.7.25)

<米中に相手にされない韓国>

1 始めに

 韓国のノ・ムヒョン大統領は、北朝鮮のテポドン等発射問題で、日本の小泉首相とは電話会談を全く行わず、米国のブッシュ大統領とは10分間の電話会談にとどめ、中共の胡錦涛国家主席とは頼み込んで30分間の電話会談を行いました
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/24/20060724000004.html
。7月24日アクセス)。
 米国をロシア(、そして中共を清)に置き換えれば、これは、100年前の19世紀から20世紀にかけての李氏朝鮮の周辺大国に対する姿勢を思い起こさせます。
 李氏朝鮮にとっての優先順位は日・露・清の順でなければならなかったのに、優先順位を清・露・日の順と誤ったことが李氏朝鮮の破滅をもたらしたとすれば、韓国にとっての優先順位は日・米・中の順でなければならないのに、優先順位を中・米・日の順と誤っていることは、韓国の破滅をもたらしかねません(注1)。

 (注1)100年前はパワーの序列は、露・日・清の順だったが、露は外部勢力であって朝鮮半島に死活的利益を有さず、現在のパワーの序列は米・日・中だが、米は外部勢力であって朝鮮半島に死活的利益を有さない。
 
破滅の予兆は既に随所に顕れています。
ここでは、二つのことにしぼってご説明しましょう。

2 在韓米軍は格下げされる

米国は、2年前に立てた世界米軍再配置計画(GPR)に基づき、海外に駐屯する米軍基地を戦力投射根拠地(PPH)、主要作戦基地(MOB)、前方作戦拠点(FOS)、安保協力対象地域(CSL)などの4段階に区分したところ、その時点では、在韓米軍の地位を1.5段階または2段階とする予定であったけれど、現在、フィリピンやタイと同じFOSまたはCSLなどの3、4段階の水準に引き下げる方向で検討がなされています。
また、これに関連し、現在大将があてらている在韓米軍司令官を格下げし、在韓米軍を米ワシントン州から日本に本部を移す米第1軍団の下に置く案が検討されています。
この結果、在韓米軍は段階的に日本へ撤収し、韓国にはごく少数の陸軍部隊と空軍部隊だけが残ることになる、と予想されているのです。
これは、ノ・ムヒョン政権が、台湾をめぐる米中衝突時に在韓米軍が投入されては困るとの考えから、在韓米軍の戦略的柔軟性を容認できないという態度を見せたことや、国内政治的理由から推進してきた有事指揮権(正確には作戦統制権を)「奪還」する試み、がもたらした部分が大きいと考えられています。
(以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/25/20060725000051.html
、及びhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/25/20060725000065.html
(どちらも7月26日アクセス)による。)

 いずれに以上からうかがえることは、仮に北朝鮮が自暴自棄になって対南侵攻を行った場合、韓国のかなり大きな部分を北朝鮮軍が席巻し、韓国民に大きな被害が生じることには目をつぶり、その後、必要に応じておもむろに米軍が地上部隊を増援して反撃作戦を展開する、という考え方を米国が採用するに至った可能性が高い、ということです(注1)。

 (注1)とはいえ、朝鮮日報が、「フィリピンは1992年の米軍撤収後、外国資本の脱出により経済まで坂道を転げ落ちた。」とし、韓国もそうなりかねないと警鐘を鳴らしているのは、韓国についての予想としては正しいと思うが、フィリピン経済の現在の停滞の原因の説明としては間違っていると思う。

3 中共も北朝鮮に対する金融制裁を行っていた

 米国政府筋は、今週初め、中共が米国の要請に応じ、通貨偽造や(ミサイルや覚醒剤貿易によって得られた資金の)マネーロンダリングに使用されている疑いがあるとして、中共第二位の大銀行である中国銀行(4大国有商業銀行の一つ。中共の中央銀行である中国人民銀行とは別)のマカオ支店の北朝鮮の口座(複数)の資金を今年の早い時期から凍結していることを明らかにしました(注2)。米国が、北朝鮮が米ドルだけでなく、中共の人民元の偽造も行っていることを指摘したことが大きいというのです。

 (注2)昨年9月に、同じマカオで、米国の要請に従い、デルタ・アジア銀行(BDA)は、北朝鮮関係の40口座の2,400万米ドルの北朝鮮の資金を凍結している。
 
この支店は、2000年に金大中韓国大統領(当時)が、北朝鮮を訪問して金正日と史上初の南北首脳会談を行う際の「賄賂」として韓国国家情報院が2億米ドルを北朝鮮に送金した際に使われた(北朝鮮テソン銀行名義の)口座のあった支店でもあります。
 北朝鮮がテポドン等発射を決行したこと、それを事前に中国に通知しなかったこと、更にはミサイル発射後に平壌を訪問した回良玉中共副首相一行を冷遇したのはそのためだ、という説が有力になってきました。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200607/200607240021.html
(7月25日アクセス)、
http://www.ft.com/cms/s/f892ff32-1c0d-11db-a555-0000779e2340.html
(7月26日アクセス)、及び
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/26/20060726000000.html
(7月26日アクセス)による。)
さて、冒頭で言及したノ・ムヒョンと胡錦涛の長電話・・通訳が入っているだろうから実質15分だが、それでも長い!・・で、ノ・ムヒョンは、BDAの管轄国たる中共として、北朝鮮に対する金融制裁緩和を米国に働きかけるように申し入れたことが、韓国大統領府の宋旻淳(ソン・ミンスン)安全保障政策室室長によって24日、明らかにされました。
この長電話が行われたのは先週(21日)のことですから、中共自身が既に対北朝鮮金融制裁を実施していることを知らず、ノ・ムヒョンは上記のようなピンボケの申し入れを行ったことになります。
(以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/25/20060725000007.html
(7月25日アクセス)による。)

こんな調子では、韓国政府が中共から相手にされないのは当たり前でしょう。

4 韓国内のムード

 こんなノ・ムヒョン政権の下ではやっておられないと、韓国の外交・安保関係者の志気は著しく落ち込んでいます(
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/25/20060725000015.html
。7月26日アクセス)。
 お察しします。
 ノ・ムヒョン政権で最初の外交通商相を一年間務めた尹永寛(ユン・ヨングァン)ソウル大教授は、「韓国は国際社会の中で、人間の体に例えれば30、40代の大人に成長したが、われわれが外部の世界や自国を見る意識はいまだ10代に止まったままである・・。経済力が世界で10位の国ならば、それにふさわしい進取の発想が求められる。しかし現実はそれと正反対で、今の韓国社会は朝鮮時代末期のような抵抗民族主義や、1980年代の従属理論のような受動的で消極的な世界観に強く影響されている。」とノ・ムヒョン政権を暗に、しかし鋭く批判しています
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/25/20060725000056.html(注3)
。7月26日アクセス)。

 (注3)この記事全体を一読されることをお勧めする。

 私も全く同感です。

太田述正コラム#13412006.7.12

<正気に戻った韓国(続)(その1)>

1 正気に戻っていない韓国?

 韓国が反北朝鮮親日という正気に戻ったとした私の指摘に一見反するような韓国政府の言動が見られます。

韓国の大統領官邸は9日、北朝鮮のミサイル発射問題に関する声明を発表、「無理に日本のように未明から大騒ぎする必要はない」と述べました

http://www.sankei.co.jp/news/060709/kok090.htmhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/10/20060710000007.html

(どちらも7月10日アクセス))(注1)。

 (注1)朝鮮日報は、これは対米批判でもある、と正しく指摘している

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/10/20060710000006.html。7月10日アクセス)

日本政府は韓国政府のこの見解表明に反発しました

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20060711k0000m010119000c.html。7月11日アクセス)。

ところが、更に韓国の大統領官邸は11日、日本政府部内で喧伝され始めた対北朝鮮先制攻撃論について、「日本政府の閣僚たちが相次いで韓半島(朝鮮半島)に対する先制攻撃の可能性と武力行使の正当性を取り上げているのは、それ自体が深刻な事態<とし>、韓半島と北東アジアの平和を損なう重大な脅迫的発言<と、日本政府を批判し、>これは、日本が侵略主義的な性向を現したものとして大いに警戒する必要がある<とし、>北朝鮮のミサイル発射を口実に先制攻撃のような危険かつ挑発的な妄言で韓半島の危機をさらに増幅させ、軍事大国化の名分にしようとする日本の政治家のリーダーたちのごう慢さと妄動に対し、強く対応していく」との見解を表明したのです

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/12/20060712000006.html。7月12日アクセス)

 この日韓の軋轢には米国のメディアも関心を寄せており、ワシントンポストもニューヨークタイムスも大きく取り上げています

http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/07/10/AR2006071000106_pf.html

及びhttp://www.nytimes.com/2006/07/11/world/asia/11korea.html?pagewanted=print

http://www.nytimes.com/2006/07/11/world/asia/11cnd-missile.html?pagewanted=print

(いずれも7月12日アクセス)(注2)。

 (2)この2紙に比べ、ロサンゼルスタイムスは、早い時点から、韓国政府の反日的言辞は米国に向けられたものでもあることを正しく指摘している

http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-norkor9jul09,1,3214038,print.story?coll=la-headlines-world

7月10日アクセス)。

2 やはり韓国は正気に戻っている

 (1)ノ・ムヒョンの沈黙

 韓国のノ・ムヒョン大統領(大統領官邸)は、テポドン等が発射された7月5日から丸4日間、沈黙を続けました

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/08/20060708000016.html。7月9日アクセス)。

 これは、ノ・ムヒョン政権が受けた衝撃の大きさを示すものです。

 これはノ・ムヒョン政権が、金大中政権以来の対北朝鮮太陽政策が無惨な失敗に終わったことを痛感しつつも、ストレートにそうは言えないので、沈黙を続けざるをえなかったのだ、と私は見ています。

 沈思黙考あるいは鳩首協議の結果が、斜に構えた上記の9日の見解表明であり、次いで日本政府部内の対北朝鮮先制攻撃論に対するためにするような上記の11日の見解表明である、ということです。

 (2)韓国は対北朝鮮制裁を発動した

 重要なのは、現実に何を韓国政府がやったかです。

 韓国政府は、日本政府が国連安保理に北朝鮮制裁決議案を提出した7日、(翌8日に肥料を積んで出港する分は止めないけれど)10万トンの肥料、50万トンの米の対北朝鮮人道援助は、ミサイル問題解決まで凍結することを決定しました

http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/5156464.stm。7月8日アクセス)。

 また、(近々実施予定の釜山での南北閣僚級経済協力協議は予定通り実施するけれど、)テポドン等発射数日前に北朝鮮から提案のあった軍事協議を拒否することも同じ日に決めました

http://www.nytimes.com/2006/07/08/world/asia/08nations.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print。7月9日アクセス)。

 だからこそ、中共に続いて韓国を訪問したヒル(Christopher Hill米国務次官補は、韓国政府がやっていることに満足した、と言った(ロサンゼルスタイムス前掲)のです。

更にその後韓国政府は、上記南北閣僚級協議においては、初日に主宰国の首相が晩餐会が行う慣例であったにもかかわらず、今回は韓国の首相ではなく、格下の統一部長官に執り行わせることにしたところです

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/11/20060711000004.html。7月11日アクセス)。

(続く)

太田述正コラム#13352006.7.7

<正気に戻った韓国>

1 始めに

 今度の北朝鮮によるテポドン等発射がもたらした一番大きな変化は、韓国の親日・反北朝鮮的スタンスへの回帰でしょう。

 例によって、朝鮮日報でこのことを検証しましょう。

2 朝鮮日報より

 (1)前兆

 ア 対日政策批判

朝鮮日報日本語電子版(以下同じ)は6月27日、与党ヨルリン・ウリ党の外交通商省出身の議員が韓国国会での質問の中で、「最近、政府の高級幹部(ノ・ムヒョン大統領のこと(太田))が『少なくとも韓国は日本が挑発できない程度の国防力を持っている』と発言されたが、こういう発言が果たして相手国でどう受け止められるかについて、もっと深く考えてほしかった・・<また、同大統領の>『北朝鮮が核兵器やミサイルの開発をしないわけにはいかない状況についても、韓国が理解する必要がある』『北朝鮮の人権問題の深刻さについては憂慮の念を抱いているが、人権問題に対するアプローチは各国の置かれた状況に応じて違いが生じ得る』といった発言のために、韓国政府は基本的な原則に一貫性がないという印象を他国に与え、韓国政府の政策に対する信頼が失われている・・政府の高級幹部らは自分の発言がすぐに国内外に伝わるということを深く肝に銘じ、韓国の立場に対する疑念を抱かせるような発言は厳に慎まなければならない・・<更に>日本が見せているさまざまな対応は、韓国として到底容認できるものではないが、日本は基本的に友邦と見なすべきだ。日本を敵視するムードが政府内にあるような印象を受けるが、それは間違っていると思う」と述べた、と報じました

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/06/27/20060627000018.html。6月27日アクセス)。

 これは、韓国政府の対日政策の批判です。

  イ 対北朝鮮政策批判

 また、テポドン等発射直後の7月5日には、ソウル大学教授による、発射を予期していたかのような、次のような論考

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/05/20060705000064.html。7月6日アクセス)を掲載しました。

 「ブッシュ政権の対北朝鮮政策は、米国家安全保障会議(NSC)韓半島(朝鮮半島)政策担当者であるビクター・チャ博士が主張するタカ派的関与(Hawk Engagement)戦略を基調としている。この戦略は、ひとまず米国がもう一度北朝鮮と誠実に交渉に臨むことを提案している。しかし、それは北朝鮮を信頼するというよりも、北朝鮮が交渉に応じなかったり、またしても欺まん的な態度を見せた場合に、強力な圧力を行使する名分を確保するためのものだ。・・強圧外交は圧迫手段の種類と程度、要求と圧力の緊迫度によって、大きく「試験と観察」、「漸進的絞め上げ」、「暗黙的最後通牒」、「最後通牒」の4種類に分けられる。米財務省は、2005年9月にマカオにある北朝鮮の対外交易窓口であるバンコ・デルタ・アジア銀行に対する制裁とともに、北朝鮮資金を凍結した。2006年5月には北朝鮮脱北者に難民の地位を付与し、「政治的亡命」を認めた。これは北朝鮮人権法の成立以降、最も強力な人権圧迫措置であるといえる。・・現在までにとられた米国の強圧外交は、「試験と観察」及び「漸進的ネジ締め」戦略の混合であるといえる。これは、現在は6カ国協議開催のための努力が行なわれている状況であり、本格的な強圧外交に移るには時期尚早だという判断に基づくものである。・・<ところが、>韓国政府は、米国の強圧外交が北朝鮮に6カ国協議への復帰を拒否する口実を与え、核放棄を迫る意図への疑心を招いている主な原因であると認識している。韓国政府のこのような態度は、効果的な交渉のためには圧力と懐柔を使い分けなければならないという外交交渉の基本を軽視する傾向が見受けられる。すなわち、強圧外交も外交の一部であり、圧力が時には懐柔よりも効果的な外交手段になり得るという基本を無視しているのだ。こうした韓米間での見解の相違は、結果的に北朝鮮核問題の最終的な解決のために最も重要な当事者である韓米両国が、互いの交渉戦略を相殺し合う結果をもたらしている。韓国の一方的な懐柔策は、米国の圧力のため北朝鮮を引きつけるには至らず、米国の制裁もまた、韓国の北朝鮮支援によって、その効果が半減されている。韓米間の政策の相違は、中国に対しても核問題を安易に考えさせるきっかけを与えている。・・」

 これは、韓国政府の対北朝鮮政策の批判です。

 (2)テポドン等発射後

 ア 朝鮮日報による批判

テポドン等発射の翌日の7月6日、朝鮮日報は以下のような社説

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/06/20060706000003.html。7月6日アクセス)を掲げ、韓国政府を激しく断罪しました。

「・・北朝鮮のミサイル発射を予想していた米国と日本は北朝鮮の動きを非常事態と受け止めてきたが、北朝鮮のミサイルが単なる人工衛星だと言い張ってきた大韓民国だけは余裕に満ちていた。金大中・・と・・ノ・ムヒョン・・という前職と現職の大統領が持つ北朝鮮に対する奇妙な感覚、そしてそれに感染してしまった国民の無感覚さは世界で話題となったのではないか。今回の北朝鮮のミサイル発射は、北朝鮮の動向に対する現政権の予測方式と抑止方式が的はずれで失敗に終わったことを証明した。他の国はミサイルだと主張してきた中で、韓国政府だけが「軍用ミサイルというよりは人工衛星である可能性が高い」と堂々と言い張ってきた。また現政権は独自の情報を持っているわけでもないのに、北朝鮮を内部から見たかのように北朝鮮の核兵器開発やミサイル発射の意図を自衛目的だと世界に説いてもみせた。「与えれば変わる」という現政権の北朝鮮に対する底なしの信頼は、ミサイル発射を止めさせるのに役に立つどころか「われわれが発射するのは人工衛星」という虚偽情報となって、北朝鮮に言い訳まで与える結果となった。当初から米国と北朝鮮との間の仲裁役にでもなったかのように振る舞ってきたこと自体、現政府の勘違いぶりをよく示している。現政権は自らの力量も、北朝鮮の目標も把握できなかったのに加え、米国の意向をも読み取ることができなかった。 それは今回のミサイル発射を前後して韓国が見せてきた対応によく表れている。国連安全保障理事会は昨夜緊急会議を開き、北朝鮮ミサイル問題を議論した。またホワイトハウスのスティーブン・ハドリー国家安全保障担当補佐官は「われわれは多くの準備を行った。これから24??48時間の間に様々な外交的動きがあるだろう」と話した。実際、日本は直ちに北朝鮮の貨物旅客船、万景峰号の入港を禁止した。一方、韓国政府にもまったく反応がなかったわけではない。政府は「賢明でない行為に深刻な遺憾の意を表明」し、「直ちに6カ国協議に復帰するよう厳重に要求」する声明を発表した。もちろんこのような大韓民国政府の声明が北朝鮮の耳に届くことも、米国を振りかえさせることもないだろう。身の程を知らず、世界情勢を知らない無知と錯覚は北朝鮮のほうがさらに上を行っている。北朝鮮はこれから自らの無知と錯覚の代償を支払うことになるだろう。結局北朝鮮の核開発問題に続き、ミサイル発射問題においても南北はともに孤立無援の境遇を辿ることになりそうだ。」

 イ 与野党による批判

同じこの6日、韓国国会で、統一部長官は、野党ハンナラ党の議員が「政府が北朝鮮がミサイルを発射しないかのような曖昧な態度を取ったため、国民が危機感を感じないままで今回のミサイル事件が起こった」との指摘に対し、「議員らにそのような認識を持たせたのであれば統一部の責任」と答え、同党の別の議員による「総体的な外交安保の危機状況」との指摘に対しては、「申し訳ない」と答えました。また、与党ヨルリン・ウリ党の議員は、「政府があまりにも受動的」とし、「このような状況のなかで北朝鮮に渡す肥料を積んだ船が今日出港したが、ほかの国にどのように映るか考えてみたのか」と指摘し、同党の別の議員は、「政府がスカッドミサイル発射についてまったく知らないなど、情報の空白は深刻」と指摘した(注1)(注2)のに対し、統一部長官は、「まともに行われたことがひとつもない能力不足を認め、・・具体的な解決法を述べることができず申し訳ない」と答えました。

(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/07/20060707000006.html。7月6日アクセス)

 (注1テポドン等発射を米日韓三国がどのように探知したか、図解入りの分かりやすい説明が朝鮮日報に載っている

(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/06/20060706000019.html。7月7日アクセス)。

(注2)ちなみに、ロシアも醜態を演じた。アジア太平洋地域でのミサイル発射を赤外線センサーで探知するロシア軍の早期警戒衛星は2003年に壊れたままであり、また、シベリアのイルクーツク州のミサイル追跡用レーダーは、北朝鮮のテポドン等の飛行高度が低すぎたために、捕捉できなかったことから、ロシアは北朝鮮のテポドン等の発射を全く探知できず、発射の情報が世界を駆けめぐった後、ロシア国防省と参謀本部はインターネットで情報をかき集めたと報じられた

(http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20060706i312.htm。7月7日アクセス)

 

与野党の議員が一致して韓国政府の対北朝鮮政策を批判し、政府側が平謝りする、という信じがたい光景が現出したわけです。

  ウ 海洋調査の中止

韓国政府が、親日・反北朝鮮に舵を切ったことを象徴していると私が思うのが、間の抜けたことに北朝鮮のテポドン等の発射と同じ日に開始した竹島周辺での海洋調査のわずか1日での中止です。

朝鮮日報は、「韓国側による独島(日本名竹島)海域の海洋調査が北朝鮮の<テポドン等の>発射と同じ日に実施されたこともあり、韓国に対しても冷ややかな視線が向けられている。「日本は同じ日に南北から1発ずつ食らった」との声も上がって・・いる。」

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/07/20060707000010.html。7月7日アクセス)と報じることで間接的に韓国政府を批判し、「<日本の>外務省の佐々江賢一郎アジア大洋州局長は・・韓国が5日、1日だけで海洋調査を終えたことについては「当初、1週間以上行う計画だったが、<テポドン等の発射があったことから、>日本から強い抗議を受けることを予想し、早く終えたのではないか」とした。」

http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/07/20060707000004.html。7月7日アクセス)と報じることで、韓国政府がテポドン等発射を契機に親日・反北朝鮮へと政策転換を行ったことを示唆したのです。

太田述正コラム#12392006.5.17

<戦う朝鮮日報(続)>

1 朝鮮日報の拠って立つ理念

 朝鮮日報はこのところ、韓国のナショナリズムそれ自体を俎上に載せ、排他的ナショナリズムの超克を訴えるキャンペーンを張っています。

 同紙日本語電子版は、朴枝香(パク・ジヒャン)ソウル大学西洋史学科教授の下掲の論考(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/04/20060504000064.html。5月17日アクセス。以下同じ)を5月4日からずっと掲載しています。

「韓国人は教育を通じ、あるいは開天節(檀君神話にちなんだ韓国の建国記念日)のような祝祭日を通じ、絶えず民族と民族主義をすり込まれながら成長する。韓国の教育において民族は根源的な概念であり、民族主義は人間が生まれつき備えている本能的な衝動として現れる。しかし、それは事実とは異なる。民族とは、人が生まれてから接する環境の範囲を大きく超えた、巨大な概念だ。それゆえベネディクト・アンダーソンは、民族を「想像の共同体」と表現した。また民族主義も、自分の家族や郷土に対して自然に培われる愛情の枠を大きく外れたものであるため、本質的に外部から注入され、習得されて初めて生じる理念に過ぎない。・・・人口の多くが農奴であった朝鮮時代に、<朝鮮>民族など存在しなかった。両班(当時の支配階級)や平民、農奴の間に、お互いを「ウリ(われわれ)」という連帯意識に含めて考えるような認識は存在しなかったからだ。民族としての韓国人は、甲午改革(甲午農民戦争)の後、封建的身分秩序が崩壊し始めて初めて浮上したものであり、実際には三・一独立運動を契機として形成されたと見るべきだろう。・・・韓国社会で民族主義が勢力を握り、猛威を振るってきた理由は、植民統治の経験と南北分断にある。前者については、今やかなり克服できたと見ることができる。日本はいまだ理解し難い隣人ではあるが、韓国の今の若者は日本に対し引け目を感じる必要はないと感じており、日本に対する敵対心も強くないようだ。一方で、すべてを民族統一の観点から見ようとする視点は、深刻な問題として残っている。いったいなぜ、人権や自由といった人類の普遍的な価値が、民族よりも軽んじられなければならないのだろうか。まずは統一が重要だから他の問題については蓋をしておこうという現政権の北朝鮮政策は、虚構の理念に埋没し、真性な価値から目をそらす悲劇的な現実を示しているものにほかならない。民族主義に執着する人々は、この世界が相変わらず国民国家というシステムの枠内で回っていることをその理由に挙げる。その指摘は間違いではないが、そうした勢力はすでにかなり衰退したし、また衰退しつつある。民族がアイデンティティを形作る属性としての機能をまだ有していることは認める。しかし、それが排他性を伴ったものである必要はない。・・・アイデンティティは・・・一度に一つずつしか着用できないものではない・・・。人間を構成する多様な属性のうち、民族アイデンティティは唯一のものでもなければ、他のものより圧倒的に優先されるべきものでもない。国家は国民に対し、一つの属性だけを強要するのではなく、国民の多様なアイデンティティを法的・制度的に保護する機能を負わなければならない。民族の有する文化は本質的なもので、その原型は維持されねばならないという主張もまた、時代錯誤なものだ。民族も、文化も、常に変化するものであり、新しく作られていくものだからだ。」

また、同紙日本語電子版は5月17日にも、駐韓英国大使の、「韓国では韓国企業と外国企業を差別する傾向が強いが、なぜそうしなければならないのだろうか。例えば一人のイギリス人企業家が、韓国で韓国人400人を雇用し、あらゆるビジネスを韓国で行ったとしたら、そうした企業を外国企業といえるだろうか。・・・イギリスでは法さえ守ればイギリス企業だろうが、フランス企業だろうが、ドイツ企業だろうが、国籍は重要でない。重要なのは雇用を創出し、株主に対する価値を向上させるなど、新しい企業価値を作ることだ・・・イギリス政府の公式な見解はないが、個人的には<北朝鮮の経済特区に韓国の製造企業が進出している>開城工業団地は南北協力につながるとみている。<しかし、>開城工業団地の賃金水準や実際に労働者をどの程度受け入れるのかなどについて、疑問を持つ人々も若干いる。開城工業団地に投資すると名乗り出た外国人は、まだいないと聞いている」という発言を掲載しました(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/17/20060517000011.html)。

これらの論考や記事は、朝鮮日報の社論の拠って立つ理念を開示したものであり、その格調の高さには脱帽させられます。

この理念から、総論的にはノムヒョン政権の内外政策批判、そして各論的には日韓関係の改善と北朝鮮宥和政策の転換、という社論が導き出されることは、上記論考と記事からも明らかです。(このほか、上記論考と記事が直接言及はしていませんが、米韓同盟の再強化という社論も導き出されます。)

これら社論に基づき、日々の紙面作りが行われていることを、5月17日付の、横田滋さん訪韓記事を通じて検証してみましょう。

2 理念・社論・記事

 横田滋さん訪韓については、16日付の朝鮮日報英語電子版ではトップ記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200605/200605160015.html

の扱いではあるものの、その記事の内容は、横田滋さんと、横田めぐみさんの夫たる韓国人拉致者の家族(母親と姉)との16日の初会合の模様を客観的に紹介しており、日本の主要メディアの報道ぶりと大差ありませんが、同日付の日本語電子版では、トップ記事でこそありませんが、二つの興味深い記事を掲載しています。

 そのうちの一つの記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/17/20060517000018.html)では、「お母さん、めぐみと英男さんの出会いがあったから、かわいいヘギョンが生まれました。ヘギョンは素直で健康な、とてもよい子です。ヘギョンをこれまで育ててくれた英男さんに感謝し、お母さんにも感謝します」という横田滋さんの言葉を引用し、日本人で10歳ほど年下の嫁の父親は、礼儀正しく、思いやりのある人だった。」と形容してます。その上で、相手の母親の「「嫁のお父さんに会うというのはそんなに簡単なことではない。相手が外国人だからなおさらだ。だけどこうして実際に会ってみたら、とてつもなくいい人のようだった。安心した」と、ほほ笑みを浮かべながら崔さんは話した」という反応に触れています。

 朝鮮日報は、横田滋さんの人柄に焦点をあて、日本人に良い人が多いことを韓国の世論に訴えているのです。

 この姿勢は、前日付けの記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/16/20060516000017.html)でも一貫しています。

 横田滋(72)さんは、15日に韓国に到着し、父親が北朝鮮に拉致された崔祐英(チェ・ウヨン)拉致被害者家族協議会会長(36)が空港に出迎えたのですが、この記事は、「崔さんと滋さんの縁は1999年、崔さんが拉致問題を訴えるため、日本を訪問したときに始まった。」とした上で、「祐英に初めて会ったとき、娘のめぐみに会ったような気がしました。外見が似ているだけでなく、めぐみも北朝鮮で暮らしながら韓国語を覚えたはずですが、祐英も日本語が上手で、ちょうど私の娘と同じだと思ったのです。それから祐英を娘と呼び、祐英も私をお父さんと呼ぶようになりました。こうして健康に暮らしているのを見るたびに、とても嬉しく、めぐみもきっと元気にしているだろうと思うんです」。この日、滋さんは崔さんに赤いゴルフウェアをプレゼントした。「祐英は顔が白いから、日に焼けるのではないかと思って首まである上着を選びました。」 崔さんも滋さんにオレンジ色のネクタイを送った。「お父さんは『ブルーリボン運動』のためにいつも青いネクタイしかつけないんです。それで今回は少し華やかな色のネクタイはどうかと思って、オレンジ色を選びました。」」と続けました。

つまりここでも朝鮮日報は、横田さんの人柄に焦点をあて、日本人に良い人が多いことを韓国の世論に訴えており、併せて韓国の人々に対し、日韓友好を促しているのです。

 また、もう一つの記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/17/20060517000027.html)では、「この日<会合の会場に>設置された放送用カメラは約30台。大半が日本の報道機関のものだった。テレビ朝日の・・・記者・・・は「日本ではメーンニュースで扱われるが、韓国ではテレビを見る限り拉致問題が短信扱いにとどまっているようで、意外だ」と話した。拉致問題に対する日本の政府やメディア、国民の関心は「全国民的」と言っても過言ではない。拉致被害者、横田めぐみさんの父である横田滋さん・・・の今回の訪韓でも、それははっきり見て取れた。15日午後、滋さんが到着した仁川空港には日本の外務省に所属する黒塗りのトヨタのミニバンが待機していた。・・・<そして、>日本政府の関係者や駐韓日本大使館の関係者23人が常に同行していた。今回の訪問には外務省と政府内の拉致担当部署である「拉致問題特命チーム」からそれぞれ一人が派遣されたと伝えられる。外務省と警察庁は 20029月に横田めぐみさんの行方をつかむため、スパイ映画顔負けの作業の末、・・・<韓国人拉致者の>金英男さんと<めぐみさんの夫の>キム・チョルチュンが同一人物であることを突き止めた。先月14日には日本の警察庁長官まで乗り出し、「金英男拉致事件に関与した工作員、金光賢(キム・グァンヒョン)を調査する」と発表した。金英男さんの生死確認すら怠ってきた韓国政府の態度とは非常に対照的だ。」と、韓国政府の怠慢及び韓国の世論の無関心を批判しています。

太田述正コラム#12082006.4.29

<戦う朝鮮日報(その3)>

4 対米外交

 「<ブッシュ大統領と>の面会で加藤良三駐米日本大使が同席した一方、・・駐米韓国大使の姿は見あたらなかった。・・<また、>27日米下院国際関係委員会のヘンリー・ハイド委員長が早紀江さんと韓国側の証人らを呼んで面談した際にも、駐米日本大使館の副大使は参加したが、韓国の外交官の姿はなかった。・・これについて駐米韓国大使館の高位関係者は「韓国も今回の計画を知ってはいたが、北朝鮮との関係を総合的に考慮せねばならないため、沈黙するしかなかった」と話した。・・<しかし問題は、大統領との面会>の現場を取材する記者についても、米国側の対応<が>日本と韓国で異なった<ことだ>。日本人記者については駐米日本大使館の協力のもとで読売新聞と共同通信の2社の記者が取材できるよう配慮したが、韓国人記者の取材は許可されなかった。 ・・<韓国>政府内には「北朝鮮の人権に対する韓米日3カ国の姿勢の違いが象徴的に表れた事件」として憂慮する意見もあるという。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/29/20060429000023.html前掲)

 これは、韓国の人々に対し、米韓関係がいかに冷却化しているかを知らしめ、注意を喚起することを目的とした記事であると言えるでしょう。

 この記事は、何と3月25日から29日午前中まで日本語版に掲載されていた下掲記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/25/20050325000070.html)に代わって掲載された、と考えられます。

 「韓国国際政治学会が25日に主催した国際学術会議で、ダグ・ベンド米カント研究所研究員は、「米国において韓国は莫大な費用と犠牲を注ぐほどの死活的な利益の対象ではない」とし、「韓米両国は友好的な決別を準備しなければならない」と述べた。先日、「韓国は敵が誰なのかハッキリさせるべき」と要求した米下院外交委員長の特別補佐官は「米議会で米日修交150周年記念決議案は圧倒的多数で可決されたが、韓米同盟50周年の決議案は推進する議員が存在せず廃棄された」と話した。 ブルース・ベクトル米空軍参謀大学教授は「大韓帝国が日本によって併合されたことや韓国戦争が勃発したのは、すべて韓国が同盟戦略で失敗したため」と分析した。・・韓米関係は現在、後戻りできない地点に徐々に接近しており、最近韓国政府が表明した「在韓米軍の北東アジア起動軍化反対」「韓米日安保3角体制を離脱し、北東アジアのバランサーを自任」といった方針に則って韓米両国の距離は一層急速に疎遠になる兆しだ。韓国国民は、現在自ら選択した大統領が独自の判断によって新しい戦略的選択を推し進めてきた2年間にもたらされた結果を目の当たりにしている。その結果とは、ある駐韓ヨーロッパ大使がセミナーで大韓民国と大韓民国国民に投げかけた質問に克明に現れている。「韓国は果たして信頼できる同盟国が一つでもあるのか」」

 この記事とほとんど同じ記事が、既に昨年3月の時点で英語版に掲載されており(コラム#708)、いかに朝鮮日報がノムヒョン大統領の対米外交に危機感を募らせ、警鐘を鳴らし続けてきているかが良く分かります。

 最近の記事をもう一つあげておきましょう。

 「米国の財務省は<3月>30日、北朝鮮の大量破壊兵器の拡散を支援したスイスの企業の米国内資産を凍結した。米ホワイトハウスの報道官は、中国が脱北者のキム・チュンヒさんを北朝鮮に送還したことについて、「中国の対応に強い懸念を抱いている」と明らかにした。米国の北朝鮮人権特使は、「今年が北朝鮮難民収容の転機になるだろう。北朝鮮の開城工業団地の<韓国企業に雇われている>労働者の労働条件を調査する予定」と述べた。また、これより先の<3>月29日、米上院・法制司法委員会は、北朝鮮をはじめとする、ならず者国家(rogue state)の大量破壊兵器や偽造紙幣といった犯罪行為に関する、重大情報を提供する者に特別ビザを発給する内容の法案を成立させた。米国行政府と議会が、わずか2日間<の間に>北朝鮮関連の措置を次々と打ち出したのだ。これらの措置は、北朝鮮の政権維持費用として使われる偽造紙幣および兵器の輸出経路を遮断し、北朝鮮の住民弾圧体制に圧力をかけることに焦点が絞られている。「北朝鮮の核開発問題とともに犯罪、人権問題も同時に解決していこう」と主張した米国が、もはや核問題は棚上げし、犯罪、人権問題を前面に掲げて北朝鮮に圧力を加えている。米国が北朝鮮体制に変容(trasformation)、ないしは転換(change)を起こすため本格的に乗り出したのだろうか?・・<韓>国民にとっては不安を抱かざるを得ない衝撃的な雰囲気だ。北朝鮮の核開発問題解決を優先視し、犯罪・人権問題は、その足かせとならないようにしたいというのが本音だった韓国政府は、今何を考えているのだろうか。本音は違っても、建前は協力を掲げていた韓米両国が、もはや完全にそれぞれの道を歩み始めた。正確に言えば、米国が、考え方の違う韓国と二人三脚の真似をすることに、もうこりごりしたという意思表明をしたものと受け止められる。・・ことがここまで悪化した理由は、韓国だけで韓半島問題を主導できると信じている韓国政府の自閉的状況判断や、そうした考え方がもたらした韓国の同盟内での孤立状況のためだ。そのため、北朝鮮を鞭で懲らしめようする米国を、傍観するしかない立場に追い込まれてしまったのだ。韓国と米国がこのようにそれぞれの道に歩む場合、その果てにはどんな結果が待っているだろうか。その結果に対する責任はいったい誰が負うのだろうか。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/01/20060401000001.html。4月2日アクセス)

 ところで、ノムヒョン政権は反米ですが、韓国民は圧倒的に親米なので、話はややこしくなります。

  韓国で昨年末に実施された20歳以上を対象にした世論調査によれば、「「韓国に有益である国家」では米国が81.7%を占め、圧倒的多数を占めた。続いて中国(6.1%)、北朝鮮(5.4%)、日本(4.5%)の順とな<り、>このような米国に対する信頼は、すべて年齢帯に渡って幅広く見られ、20歳代でも77.5%を占め」ました(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/20/20060320000014.html。ただし、3月20日アクセス)。

また、韓国の人々の米国留学熱にはすさまじいものがあります。

「留学ビザを取得して米国の中学・高校や大学・大学院で学ぶ韓国人留学生の数が86,626人に上ることが・・明らかになった。これでインド(77,220人)を抜き、初めて国別の1位となった。3、4位は中国と日本だった。ところが、対象を大学生・大学院生に限ると韓国人留学生の数は5万3,358人と、中国に続く3番目となる・・。これは、韓国人留学生には中学校や高校に通う「早期留学生」の数が多いことを意味している。正規の留学ビザを取得して留学する早期留学生は、その多くが私立学校へ通う。私立学校でなくてはビザが発給されないからだ。米国の私立学校の年間の授業料は一般的な私立学校で1万5,000ドル(約170万円)、寄宿学校(ボーディング・スクール)で3万5,000ドル(約400万円)程度だ。しかし寄宿学校に通わせたいという保護者が引きも切らない。米国の寄宿学校協会は毎年韓国で合同学校説明会を開く。ホームページに韓国語による学校紹介を載せている私立学校もある。また、同伴家族ビザや観光ビザで米国の学校に通う韓国の小中高生も多く、その数は把握のしようがない。最近は「養子留学」という抜け道を使う例もあるという。子どもを、教育環境のよい地域に住む在米韓国人や、親戚などの在米韓国人の養子とするのだ。そうすれば、公立学校に無料で通わせることができる。大学に進学する際にも、現地の学生と同じ枠で出願でき、奨学金などの対象ともなる。「養父母」には月に3,000ドルほどの謝礼を渡すという・・。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000029.html

その背景には、熱狂的な英語教育熱があります。

3月末に実施された世論調査によれば、チャンスがあれば子供の外国語教育(大部分は英語教育)のために家族ごと外国に移民したいと考えている人が25.2%、子供だけを早期留学させたいと考えている人が21.8%、キロギアッパ(=子供の早期留学のため外国に住んでいるその子供と母親のため韓国で単身働く父親)をしたいと考えている人が12.0%いることが分かっています(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/31/20060331000049.html。ただし、4月1日アクセス。)

私から見ると、韓国人は、必死に韓国・・狂った北朝鮮との接壌国にして反米政権下にある・・から米国等の英語圏に逃げだそうとしているとしか思えません。

(完)

太田述正コラム#12072006.4.29

<戦う朝鮮日報(その2)>

3 対北朝鮮外交

 「木曜にブッシュ米大統領は、北朝鮮に拉致され、キム・ヨンナムと結婚したとされる横田めぐみさんの母親とスターリン主義の国から脱出したキム・ハンミちゃん一家と面会した。日本の駐米大使は同席したが、韓国の駐米大使はそうしなかった。日本の外務省は横田さんの訪米を支援したが、駐米韓国大使館は、恐らく韓国の外交通商部の指示により、韓国からやってきた北朝鮮亡命者達に会うのを拒否した。これは暗澹たる話であり、韓国政府が一体誰のために仕事をしているのか、という疑問を起こさせる。韓国政府は、30年前に消息不明になった・・5人の・・自国民が北朝鮮のスパイの訓練にあたっていることを知っていたけれど、10年近くにもわたってそのことを平壌に提起したことがない。それどころか、自分達の子供達の運命を慮って30年間苦しんできた家族にそのことを伝えることすらしなかった。・・<韓国政府の静かな外交は、何の成果もあげられなかったのに対し、日本の>大変騒がしい<外交は、>北朝鮮に13人の日本人を拉致したことを認めさせ、・・そのうちの5人とその家族を帰還させた。しかも、横田めぐみさんの夫が韓国からの拉致被害者であることを・・明らかにした。」(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200604/200604280029.html。4月29日アクセス)

 この記事は、韓国の歴代政権の対北朝鮮外交の批判ですが、「静かな外交」批判というところから、批判の主たるターゲットがノムヒョン大統領であることは明らかです。

 ちなみに、ブッシュ大統領との上記面会について、朝鮮日報の記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200604/200604280020.html部分的にhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/29/20060429000023.htmlhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/29/20060429000022.htmlで補足した。)は、ハンミちゃん一家や韓国で今ヒット中の北朝鮮の強制収容所を描いたミュージカルの芸術監督のチュン・ソンサン、キム・ソンミン(Kim Sueng-min)自由北韓放送代表(Free North Korea director)ら5人の脱北者達たる韓国人と拉致被害者の家族である横田早紀江さんという1人の日本人、計6人をブッシュが会った人々としており、レフコウィッツ(Jay Lefkowitz)米・北朝鮮人権問題特使(the special U.S. envoy for human rights in North Korea)、ヒル(Christopher Hill国務省東アジア太平洋担当次官補、加藤良三駐米大使、ショルト( Suzanne Scholte)ディフェンス・フォーラム財団代表(the head of the activist group Defense Forum Foundation)らが陪席した、と報じています。

 この記事は、「面会には、早紀江さんと拓也さんのほかに、北朝鮮から脱出し、現在は韓国に住む脱北者らも同席。25日に上院の公聴会で証言した元北朝鮮軍人で現在は脱北者による北朝鮮向け放送「自由北韓放送」代表の・・キム・ソンミン・・さんや、02年に中国・瀋陽の日本総領事館に駆け込んだ・・キム・ハンミ・・ちゃん(6)とその両親らも招かれた。」という朝日新聞の記事(http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY200604280381.htmlより、この面会の趣旨・・北朝鮮亡命者が主、日本人拉致被害者が従・・をより的確に伝えていますし、朝日の記事が、駐米韓国大使が陪席しなかったことを報じなかったのも、ものたりません。

また、細かい点ですが、朝日のこの記事は、ブッシュが「<北朝鮮をして>人権を尊重し、自由社会を実現させることを、私は強く保証する」と述べたとしているところ、これでは日本語になっていませんし、朝鮮日報の上記英語版記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200604/200604280020.html)と日本語版記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/29/20060429000022.html)では、それぞれ’Bush・・offered consolation while vowing that the U.S. will do more to fight for improvement of human rights in the Stalinist country.と「ブッシュ大統領は・・「私は北朝鮮の人権の改善や住民の自由拡大のため努力することを約束する」と話した」、としているところからみて、「保証」はvow(誓約、約束)の誤訳でしょう。

何とも日本の一流紙は冴えません。

ちなみに、このブッシュ大統領との面会については、英米のメディアは一切報道していません。

29日の午前の段階では、ブッシュ大統領との面会記事が朝鮮日報の日本語電子版に載っていなかったので、不思議に思っていたところ、夜になったら、載っていました。満を持して掲載された、ということでしょうか。)

(続く)

太田述正コラム#12062006.4.28

<戦う朝鮮日報(その1)>

 (本篇は、4月29日に上梓しました。)

1 始めに

 先般(コラム#1194??961199で)、竹島をめぐる海洋調査問題の報道を通して私が感じた朝鮮日報のノ・ムヒョン政権の外交への批判ぶりをご紹介したばかりですが、たまたま4月29日の英語電子版及び日本語電子版で、同紙のノ・ムヒョン政権の対日・対北朝鮮・対米外交への批判報道が揃い踏みをしていたので、同紙の熱い思いを、再度ご紹介しておきたいと思います。

 

2 対日外交

 (1)海洋調査に係る今次外交は日本の勝利だった

 ア 韓国の外交官批判

「独島・・周辺の海洋調査問題をめぐる韓日両国の次官協議<で>・・「サムライ・谷内(正太郎・日本外務省次官)の胆力が、韓国の交渉相手を打ち負かした」・・<と>する記事が、27日付の日本の新聞に掲載された。・・<日本の>外交評論家らは合意内容に対し「外交のプロでなければ成し得ないことだ」と高く評価している。・・韓日双方の外務次官の合意により、早ければ来月中にも・・排他的経済水域(EEZ)の境界画定交渉<が>・・再開される・・。・・両国がこの問題で対立していること<が>外交文書として残<ってしまったわけだ>。・・最近報道された<日本の>外務省の秘密文書で指摘されているように、日本側は「反日ナショナリズムを権力基盤<維持>の道具として利用する・・ノ・ムヒョン・・政権の強硬姿勢を逆に利用しよう」というやり方で出てくるだろう。「日本に強く対処することで<韓国の>国内世論の支持を得られる」として、むしろ韓国側に入れ知恵するかもしれない。谷内次官のソウル行きはその入り口を開けることに成功したわけだ。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000010.html。4月29日アクセス(以下、同じ))。

これは、韓国の外交官のアマチュアリズムを批判している記事です。

日本の新聞に掲載された記事なるものも眉唾ですが、日本の外交評論家に至っては、朝鮮日報記者の分身であることは明らかです。社論をストレートに記した場合の風圧を和らげるための、おなじみのおまじないです。

 イ ノ・ムヒョン大統領は間違っている

「安秉直(アン・ビョンジク<)・・>ソウル大学名誉教・・は、独島・・問題について「韓国が実質的に領有しているのに騒ぎ立てるのは得策とはいえない」との見方を示した。日本は国際法上、独島が自動的に韓国の領土になるのを阻止するため「騒がなければならない」立場だが、韓国はそのような必要はないということだ。安教授は、・・ノ・ムヒョン・・大統領の特別談話後、「(独島が)さらなる国際紛争地に発展している」とし、「(独島を紛争地域化しようとする日本の策略に)巻き込まれているように思われる」と話した。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000004.html

「<せっかく海洋調査をめぐる外交交渉が妥結した直後にノ・ムヒョン・・大統領の特別談話が出たことは、>青瓦台と外交通商部の足並みが揃っていないと考えるほかない」と麻生外相は語った。」(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200604/200604280027.html

この二つの記事は、ノ・ムヒョン大統領の対日外交への婉曲な批判です。

「ノ・ムヒョン・・大統領が「静かな外交」の全面的な見直しを宣言して日本を強く批判したのに対し、日本の反発も大きくなっている。日本の外務省は、今後「韓国の独島(日本名竹島)に対する実効支配」という表現を「不法占拠」との表現に変更することを明らかにした。日本の大半のマスコミも盧大統領を批判している。2002年のサッカー・ワールドカップの韓日共催を最初に提案した朝日新聞は、社説で「盧大統領は怒りのボルテージを上げているうちに、収まりがつかなくなっているかのようだ」とした。毎日新聞も「そこまで言うなら、なぜ国際司法裁判所への付託に同意しないのか」との社説を書いた。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000027.html

これは説明は不要でしょう。

 (2)そもそも日本に外交で勝てるなどと考えること自体がおこがましい

  ア 一般論

「国際的な宣伝合戦になれば、外交・経済・文化的に勝っている日本が有利になる・・。・・東海(日本海)で海軍力を増強することもあり得る。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000027.html上掲)

「両国間の対立が貿易問題に発展した場合、韓国の産業に少なからぬ影響が出ると思われる。韓国は主要な部品や材料を日本から輸入しているためだ。金泳三・・元大統領は1995年・・、韓日両国の歴史認識問題について「これを機に(日本の政治家の)態度を正してみせる」と発言したが、これがその後、自民党が選挙公約に「竹島の領有権確立」を盛り込み、韓日漁業協定を破棄するなどの行動に出ることにつながったとする分析が根強い。また1997年の通貨危機の際、日本が韓国に対し非協力的だったとの分析もある。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000030.html)。

 日本にこのような力(能力)があることは事実ですが、吉田ドクトリンの呪縛下にある以上、そのような意思はありません。記者は分かっていて、韓国の人々を善導するためにこんな風に書いているのです。

  イ 竹島

「韓国政府関係者は「国際司法裁判所に持ち込んでも特に不利なことはないが、裁判の結果が100パーセント確信できないので避けるのが望ましい」と話した。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/28/20060428000034.html

この記事を掲載した勇気には注目すべきです。

竹島問題では、実は韓国側の言い分が薄弱であることを慎重に指摘し始めているわけです。

 (3)古からの日本と朝鮮半島の密接な関係に思いを致せ

「小説家の崔仁浩・・は伽揶を「韓国史の失われたアトランティス」と言う。古代王国の中で一番先に舞台から消え去り、その実体は謎としてベールに包まれているとのこと。・・古代日本の天皇の墓でだけ発掘されていた・・巴形銅器銅器が1990年に金海13号古墳・・から・・6点・・出土した・・ということは、伽揶と日本の支配勢力間の密接な関係を証明しています。日本は伽揶地域に進出し、韓半島を治めたという任那日本府説を主張するが、私<が>・・下した結論は、むしろ伽揶の民が日本に渡って古代王朝を立てたということです」と強調した。」(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/25/20060425000002.html。4月29日アクセス)

 朝鮮日報は、このインタビュー記事を25日から掲載していますが、その目的は、古から朝鮮半島と日本は、切っても切り離すことができないほど密接な関係にあったことを韓国の朝野に訴えるところにあると思います。

 ちなみに私は、古代においては、朝鮮半島南部と九州は同一文化圏を構成していた、と以前から考えています(コラム#262)が、韓国側からこのような考えが打ち出されるまで、後一歩という感がします。

(続く)

太田述正コラム#11602006.4.3

<朝鮮日報の「親」日戦略>

1 始めに

 WBCでの韓国の活躍と日本の優勝の報道ぶりから、韓国世論の日本観の変化を感じたと記し、更にその背景についても若干当時(コラム#1132で)記したところですが、朝鮮日報電子版の英語版と、(WBC以来結局毎日読むことになった)日本語版から、韓国随一の高級紙である同紙の「親」日的な紙面作りをご紹介しましょう。

 なぜ、カギ括弧がついているのかは、お読みになれば分かります。

2 日本に学べ

 (1)日本企業に学べ

例えば、朝鮮日報がある記事につけた「「トヨタに学べ」ポスコ、企業文化の見直しへ」という見出しから、同紙の「親」日本戦略を感じ取れます。ポスコは、韓国一の製鉄会社ですが、記事の中身は、単に同社がGEやトヨタなどの世界的な企業に倣って企業文化や業務のあり方を見直そうとしている、ということに過ぎないのですから・・。(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/01/20060401000023.html。4月2日アクセス)

 (2)日本の政界に学べ

一議員が取り上げた偽メール事件でその議員が議員辞職するとともに民主党首脳部が総退陣したことを取り上げた上で、「韓国の政界では日本のように嘘をついた政治家が締め出されるケースが存在しない。嘘をついても締め出される心配がないので、相手を中傷しようと考えつくままに口にしている。後々その言葉が間違っていたとしても、「違ったら違ったでそれはそれ」という具合に責任は問われない。・・とりわけ選挙を目前にした時期になると、相手を中傷する政治家の嘘が飛び交う。真実かどうかが判明するまでには、相当な時間を要するため、そのときまで相手を苦しめられるという卑劣な思惑から生まれた工作政治だ。先の大統領選挙の際、民主党の薛勳(ソル・フン)前議員が提起した、李会昌(イ・フェチャン)候補が20万ドルの政治資金を受け取ったという主張、李候補の妻の韓仁玉(ハン・インオク)さんが、キヤン建設から10億ウォンを受け取ったという主張、李候補の息子の兵役不正問題が隠ぺいされたという主張は、裁判所で嘘であることが判明した。しかし、そうしたデマをばら蒔いた人物たちは、責任を負うどころか、現政権で首相や長官になって権勢を振るった。嘘をついた政治家が責任を問われない現状では、こうした嘘のオンパレードは今後も続くことだろう」と韓国の政界を批判しています(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/03/20060403000000.html。4月3日アクセス)。

 こういう記事を連日のように読まされていれば、韓国の読者は、日本は鑑にすべき国だと思うようになることでしょう。

 (3)日本人に学べ

鑑にすべきは日本社会だけではなく、日本人そのものもだ、と訴えているかのような記事も目にしました。

例えば、韓国で初めて個展を開く16歳の天才イラストレーターの小野純一君についての記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/31/20060331000034.html。4月1日アクセス)です。

「僕を天才と呼ばないでほしい。本当ではないから。僕はただJunichiです」――16歳になったJunichiは、恥ずかしそうな表情をして、「天才」という表現を固く否定した。10歳のとき、ニューヨークのメディアが、斬新で独創的スタイルと好評したときも、この少年は、「誰にでも描くことのできる絵」と謙虚な態度を崩さなかった。」と小野君を評したのは、日本人一般の能力の高さと謙虚さへのオマージュのように受け取れますし、「「仁寺洞」「竜」など、強烈な色調の作品について質問したところ、意外と韓国を題材にした作品と答える。「去年、韓国を初めて訪問したとき、人々が非常に元気で、活気溢れているというイメージを持ちました。韓国の子どもと友達になりたかったし、それで今回の展示会のテーマを『フレンド』と決めました」」というくだりは、日本人一般が韓国人に対して親近感を抱いていることを読者に知らしめんとしているように受け取れます。

3 韓国人を活躍させる日本の度量を知れ

 韓国人が日本で暖かく受け入れられ、活躍している姿を報じる記事も目に付きます。

 ロッテに2年間在籍してから巨人に移り、4番バッターとして開幕から大活躍しているイ・スンヨプ選手の記事が連日大きく出ている(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/01/20060401000010.html(4月2日アクセス)、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200604/200604010008.html(4月3日アクセス)等々)のは当たり前かもしれません。イ選手は、WBCでも大活躍したところです。

 しかし、「??4番打者としてこれから肩の荷が重くはないか 「まだ4番打者として1ゲーム終えただけだ。与えられた条件の中で最善を尽くす以外になく、結果はふたを開けてみないとわからない」 ??ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の時とは気持ちの面で違いがあったか  「正直なところ、WBCの時より緊張した。もうWBCの良い思い出は封印して、新しい舞台で最善を尽くすのが重要だ」 ??今日の試合を通じて得たものは  「ロッテからジャイアンツに移籍した時、ジャイアンツのファンが自分を歓迎してくれるか心配だった。だが今日の試合で良い印象を残せたのではないかと思う。それが何より嬉しい」」というやりとりからにじみ出てくるのは、日韓友好ムードです。

日韓友好ムードは、日本のTVへの韓国人ニュースキャスター(東海大学の金慶珠(キム・キョンジュ)教授(39歳))の初登場を報じる記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/04/03/20060403000004.html。4月3日アクセス)でも強く感じられるところです。

4 日本の恐ろしさを知れ

 その一方で、日本の「脅威」に注意を喚起する記事もあります。

例えば日本が、外交・金融・通商・文化・軍事・在日のいずれについても、韓国を窮地に追い込むことができる手段を持っているという記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/03/17/20050317000084.html。3月31日アクセス)、韓国人の反日的言動をたしなめることが目的の、冷静に計算された記事だと思います。(面白いので、ぜひ、記事に目を通していただきたい。)

その一方で、この日本の「脅威」に対処するためにも米韓同盟再活性化を、と訴える記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200603/200603300031.html。4月1日アクセス)もあるのですが、日本がダシに使われていることに苦笑させられます。

5 結論

もちろん、昔の名前で出ています的な、日本の教科書「改悪」を批判する記事(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/31/20060331000009.html。3月31日アクセス)もあるのですが、朝鮮日報の「親」日戦略はなかなかのものだとお思いになりませんか。

時あたかも、韓国のノムヒョン政権も、国家情報院長の訪日(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/03/23/20060323000005.html。3月23日アクセス)が示しているように「親」日へと舵を切りつつある様子がうかがえます。

真の日韓友好関係確立に向けて、急速に韓国が変わりつつある、と思いたいところですね。

そうなると、韓流ブームこそあったけれど、日本の韓国観の旧態依然さが気になってきます。(http://www.nikkei.co.jp/neteye5/suzuoki/index.html4月3日アクセス)参照。)

太田述正コラム#7852005.7.9

<似た者同士の日韓?(その3)>

 このように、死と生、という人間にとって最も根源的なところで、日本人と韓国人は極めて似通ってきているのですから、最近になって日本で韓流ブームが起きていることは、少しも不思議ではありません。

 他方、両者には依然大きな隔たりもあります。

 ここでは、犯罪にしぼって、日本人と韓国人の違いを浮き彫りにしてみましょう。

3 違うところ・・犯罪を通じて

(1)始めに

凶悪犯の最たるものである殺人については、日本ほどではありませんが、韓国も世界的に見ると少ない方です。

データの得られる46カ国中、最も人口当たりで殺人が多い国はコロンビアであり、0.621,000人当たり件数。1998年から2000年にかけての年平均。以下同じ)、三位がロシアで0.20人ですが、韓国は27位で0.01、日本は44位で0.00です。(http://www.nationmaster.com/red/graph-T/cri_mur_cap&int=300。7月8日アクセス)

(2)性犯罪

 性犯罪の王様である強姦では、47カ国中、1位はオーストラリアで0.78、3位がカナダで0.73。韓国は10位で0.12なのに対し、日本は37位で0.01なので、世界的に見て韓国は多い方であり、日本よりも格段に多い、と言えるでしょう。(http://www.nationmaster.com/graph-T/cri_rap_cap。7月8日アクセス)(注7

 

(注7)ただし、強姦等の性犯罪については、殺人等とは違って、国によってどれだけ表沙汰になるか、またどれだけが立件されるか、に大きな違いがあることを考慮する必要がある。

 もう一つ、広義の性犯罪ですが、まぎれもなく韓国が日本と違う点があります。

日本ではとっくの昔になくなった「唐ゆきさん」に相当する、海外での売春婦が韓国ではまだ存在し、しかもその数が増加していることです。その中には誘拐されたりして強制的に海外に送り込まれる韓国人女性も少なくありません。

 これは任意や強制による「唐ゆきさん」が、明治期以降、日本人の海外進出に伴い、日本人の進出先で増えた(http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2004-8/ss0408-1.htm及びhttp://www.remus.dti.ne.jp/~yosinaga/plife/maniox1.html(どちらも7月8日アクセス))のと基本的に同じ構図であり、韓国人の海外観光旅行や海外進出、更には海外移住が引き続き急速に増えつつあり、これに伴って韓国人の旅行・進出・移住先で韓国人売春婦が増えているわけです。

韓国の場合、国内での売春規制が厳しくなってきたために、売春宿や売春婦が海外に新天地を求めている、という事情もあります。

 (以上、特に断っていない限りhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200507/200507030020.html(7月7日アクセス)による。)

 日本で性犯罪が比較的少ないことについて、以前(コラム#276で)、日本人の中性化の一環として論じたことがありますが、強姦の相対的な多さや唐ゆきさんの存在は、韓国人(の男性)の中性化が、日本人(の男性)ほど進展していないことが主たる原因であろう、と私は考えています。

 もとより、韓国が日本に比べればまだ貧しい国である、という事情も関係していることでしょう。

(2)嘘言犯罪

興味深いのは虚言(ウソ)に係る犯罪についてです。

虚言犯罪の多さを、日本との比較で問題視する論説が朝鮮日報に出ています(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200507/200507030027.html。7月4日アクセス)。

 この論説によれば、韓国の人口は日本の三分の一であるというのに、立件されないものも含めれば2003年のデータで、韓国では日本に比べて、偽証(perjury)が16倍、名誉毀損(Libel)39倍、詐欺(fraud26倍も起こっている、というのです。

 ところが、これら虚言犯罪が余りに多くて検察が扱う犯罪の70%も占めており、かつ検察も虚言犯罪の追及には余り力が入らないので、起訴(立件)されるのは、偽証については29%、名誉毀損については43.1%、詐欺については19.5%にとどまっている、というのです(注8)。

 (注8)その結果、韓国の詐欺発生率は日本の15.6倍ということになる。

他方、1998年から2000年にかけての年平均の発生率を見ると、詐欺については、44カ国中、1位がドイツで10.86。韓国は4位で2.80、日本は29位で0.34なので、韓国が世界の詐欺大国の一つであることが分かる。ところが発生率は日本の8.2倍にすぎない(http://www.nationmaster.com/red/graph-T/cri_fra_cap&int=300。7月8日アクセス)。

これは、最近韓国の詐欺が更に増えているためか、立件数が上がってきているためか、その両方のせいなのか、は不明。

 この背景には、ウソをついても社会的に指弾されない韓国の風潮がある、というわけです。

 どうやら、この問題の根は深く、李朝時代の両班精神(コラム#404)まで遡れそうです。そして遺憾ながら、それが日本の植民地時代にも矯正しきれないまま現在に至っている、ということなのではないでしょうか。

 それにしても、これほどウソつきだらけの韓国がここまで経済発展できたことは、不思議で仕方ありません。

しかし、昨今の韓国の政治の変調は、韓国経済もまた変調をきたす前兆のように思えてなりません。

いずれにせよ、アイルランドが旧宗主国の英国を一人当たりGDPで抜き去ったのと同じことを韓国が旧宗主国の日本に対して成就したいのであれば、少なくともその虚言癖を矯正することが最低限必要だと思います。

(完)

太田述正コラム#7832005.7.8

<似た者同士の日韓?(その2)>

 この頃、日本の植民地であった朝鮮半島では、「身体髪膚父母よりこれ受く」という儒教的な規範から、いかなる自殺も厳しい批判の対象とされていました。

 ところが、日本での自殺事件が盛んに報道されるうちに、変化が生じます。日本におけるような、近松門左衛門以来の心中・・恋愛関係にある男女の自殺・・を美化する価値観のなかった朝鮮半島において、1926年に朝鮮の男女の心中が発生した時、これを日本語からの直輸入の「情死」と呼んで美化する動きが出たのが最初の変化です。しかし、この段階では日本での親子心中の報道に対しては、朝鮮半島の人々は拒否反応を示していました。

 それが興味深いことに、独立後の韓国は、段階を経て「近代」日本的な親子心中が発生する社会へと変貌を遂げて行くのです。

 まず、1960年代に、「集団自殺」が出現します。これは「集団自殺」が許容されるようになったことを意味します。

 「集団自殺」とは、親子だけでなく、祖父母という直系親族や、オジ(伯父・叔父)やオバ(伯母・叔母)といった拡大家族、あるいは他人である近隣住民を巻き込むケースを含めた自殺のことです。

 これは、大家族(かつての日本のような疑似大家族を含まない)や地域社会が崩壊し始めたことが背景にあると考えられます。

 次に1970年代に入ると、「同伴自殺」が出現します。

 「同伴自殺」とは、「集団自殺」から「他人である近隣住民を巻き込むケース」を除いた概念です。これは地域社会の崩壊が進み、同じ地域社会の他人の子供の面倒をみる、という発想がなくなったことが背景にあると考えられます。

 その後、大家族の崩壊の進展につれて、次第に「同伴自殺」は「親子自殺」へと「純化」して行きます。

 しかしこの段階でも、日韓の「親子自殺」には大きな違いがありました。

 日本の「親子自殺」は「母子自殺」が6?7割を占めているのに対して、当時の韓国の「親子自殺」は「父子自殺」が中心だったことです。これは、核家族化した韓国においても、なお儒教規範の名残で、家庭内において、夫たる父親の権威が妻たる母親よりはるかに優位にあったことの反映でしょう。

 それが、2000年代に入ってから、韓国でも「母子自殺」の割合が増える傾向が出てきているのです(注5)。

 (以上、東京大学助教授岩本通弥氏の論考(http://www.jkcf.or.jp/pub/news/no33/8.pdf。7月6日アクセス)による。ただし、この論考の上記要約に誤りがあるとすれば、それは私の責任だ。)

 (注5)念のため繰り返すが、日韓両国の「親子自殺」のユニークさは、それが社会的に・・「法的に」ではない・・許容されているところにある。もちろん欧米にも「親子自殺」は存在するのけれど、強い社会的非難を受けるため、数が少ないわけだ。

ちなみに、台湾では、「親子自殺」率が米国の三倍にのぼり、しかも「母子自殺」が「父子自殺」の二倍にのぼる。台湾の自殺率そのものについても、日韓に比べると低いが世界的には高い方だ。日本のかつての植民地であった台湾の人々もまた、日韓の人々に近似したメンタリティーの持ち主らしい(http://www.taipeitimes.com/News/taiwan/archives/2004/09/07/20032019392004年9月7日)。

ネット集団自殺は、逆に韓国で始まり、それほど時間を置かずに日本でも出現した自殺形態です。

すなわちネット集団自殺は、韓国では2000年に初めて発生しています(http://archives.cnn.com/2000/TECH/computing/12/19/internet.suicide.ap/。7月8日アクセス)が、日本では2003年が初めてです(http://www.guardian.co.uk/japan/story/0,7369,1336686,00.html20041028日アクセス)、及びhttp://www.guardian.co.uk/japan/story/0,7369,1325808,00.html7月6日アクセス))。

 これは、日韓の人々のメンタリティーが近似していることと、韓国のインターネットの普及が日本に若干先行したこと、が背景にあると考えられます(注6)。

(注6)台湾では2005年にネット集団自殺が初めて発生している(http://news.monstersandcritics.com/asiapacific/article_1028997.php/Taiwan_reports_latest_case_of_internet_suicide7月6日アクセス)。なお、この典拠は、ネット集団自殺は日本で始まり、それが、韓国・中共・台湾に伝播した、としている。

いずれにせよ、ネット集団自殺は欧米にはまず見られないユニークな自殺形態です(http://www.nytimes.com/2004/10/18/international/asia/18japan.html?pagewanted=print&、position=、及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/talking_point/3737072.stm(どちらも20041018日アクセス)。なお、BBC上掲には、欧米の読者のコメントが多数寄せられている。)。

  ウ 少子化

日本では少子化が進行しており、2004年の合計特殊出生率(出生率)は、史上最低記録を更新して1.2888になっています。

韓国も同様なのですが、その進行ぶりは日本以上であり、、2000年から03年にかけて、出生率が1.47から1.192002年は1.17)へと急激に低下し、この間に日本を抜き去っていますhttp://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1550.html(7月7日アクセス)

2003年のデータで国際比較してみると、アジアでは、(香港:0.94、)韓国:1.19、台湾:1.24、(シンガポール:1.25、)日本:1.29、中共:1.8・・カンボティア:4.8、の順であり(http://www.nihonkaigaku.org/ham/eacoex/100econ/110step/111pop/trp/trp.html。7月7日アクセス)。ただし、中共、カンボディアは2002年(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1560.html(7月7日アクセス))、韓台日がここではアジアの1?3位を争っていることが分かります。

ここからも、日韓(と台湾)の人々のメンタリティーがいかに近似しているかが推し量れます。

 ちなみに、韓国の少子化が日本よりも急激に進行した原因として、塾代を含めた教育費の私的負担が世界一重いことが指摘されています(http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1550.html上掲)。

(続く)

太田述正コラム#7822005.7.7

<似た者同士の日韓?(その1)>

1 始めに

 日本人と韓国人は、容貌以外にも良く似ているところが沢山あるだけではなく、近年ますます似通ってきています。他方、依然として大きく隔たっているところもあります。

今回は、そのあたりをさぐってみることにしましょう。

2 似ているところ

(1)ともに高い平均知能指数

似ている点としてまず挙げられるのは、知能指数(IQ)の高さです。

IQのデータの得られる世界の国々を網羅した資料によると、高い順に、(上海:109.4)、(香港:107)、韓国:106、日本:105、台湾:104、(シンガポール:104)・・・米国:98、となります(http://www.nationmaster.com/encyclopedia/List-of-countries-by-IQ。7月6日アクセス)。

もう一つの資料はAPEC諸国だけを対象にしたものですが、これも高い順に並べると、日本:110(香港:107)、韓国:106、台湾:104、(シンガポール:103)、・・・中共:98、米国:98、となります(http://www.apecneted.org/knowledgebank/index.cfm?action=dsp_archives。7月6日アクセス)。

 括弧内は、都市または都市国家なので、歴とした国の中では、日本と韓国が1、2位を争っていることがお分かりいただけると思います。

 IQは、一人当たりGDPの高い国、受験勉強の盛んな国、漢字圏の国は高くなる傾向があり(nationmaster上掲)、必ずしも知能とイコールとは言えませんが、IQが高いことで悪い気はしません。

 次は、日本人と韓国人の自殺性向が似通っている、という余りありがたくない話です。

 (2)自殺性向の類似

  ア ともに高い自殺率

日本では2003年に自殺者が急増し、(5歳以上人口)10万人あたり27人の自殺者を出しており、この自殺率は米国の二倍であり、日本で自殺統計を1978年にとりだしてからの最高値であると同時に、世界有数の高さです(http://news.bbc.co.uk/2/hi/asia-pacific/3919775.stmhttp://www.nytimes.com/2004/10/13/international/asia/13japan.html?pagewanted=print&position=(どちらも20041013日アクセス))。

 その1年前の2002年のデータで国際比較すると、自殺率の高い順に、ハンガリー:27.4人、フィンランド:21.2人、日本:19.9人、韓国19.1人だった(注1)のが、韓国も自殺が急増して2003年には27.4人(注2)となった結果、日韓両国が今や世界1、2位を争うようになっていると考えられます。

(注12000年のデータでは、上位三カ国は、リトワニア:42人、エストニア:40人、ロシア:38人だった(http://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/3639152.stm2004年9月10日アクセス)。

(注222.8人という数字もある(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200410/200410030011.html200410月4日アクセス)。

しかも、自殺率が長期的に見ても伸びてきている点についても、政府の自殺防止政策のおかげもあって自殺率が下がってきている欧米と日韓は対照的です(注3)。

(注3)韓国の1992年の自殺率は9.7人に過ぎなかった。

また、孤独とか人生の無意味さといった哲学的な理由で死を選ぶ欧米諸国に対し、借金とか家庭崩壊とか病気といった経済的・社会的理由あるいは健康上の理由で死を選ぶ日韓両国、という違いも見られます。ちなみに、韓国は経済的理由が主、日本は健康上の理由が主、という感じです。

(以上、特に断っていない限りBBC上掲及びhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200409/200409090026.html2004年9月10日アクセス)による。)

  イ 特異な集団自殺形態の共有

 このように自殺率の趨勢と高さが似通っているだけでなく、日韓両国は、親子心中とネット集団自殺、という、世界の他の地域では極めてまれな集団自殺形態を共有しています。

 まず、親子心中です。

 日本では、かつて親子心中はほとんどありませんでした。親子心中は日本の近代化の産物なのです。

 親子心中が始まったのは、大正1213年(192324年)頃から(注4)であり、その後急増し、社会問題化して行きます。

 (注4)その原因は、「家」・・血縁大「家」族に限らない。例えば、商「家」を想起せよ・・の崩壊に伴い、親が自殺した場合に親代わりになって子供の面倒を見てくれる人がいなくなったから、と考えられている。

(続く)

太田述正コラム#0645(2005.3.1)
<これが韓国社会の木鐸か>

 (コラム#644に大幅に加筆してホームページに再掲載してあります。ご参照下さい)

1 始めに

 朝鮮日報の英語電子版を私は毎日読んでいます。
 韓国で最もクオリティーの高い新聞だからです。
 同紙には日本語電子版もあるのですが、あえて英語版を読んでいるのは、読み始めた当初、英語版の方が充実している感じがあったからです。
 それに、英語版にせよ日本語版にせよ、本紙の記事の一部を翻訳転載しているという点では恐らく同じなのでしょうが、日本語版に載せる記事の選択の方が英語版に比べてより作為が感じられたからです。
 さて、同紙のクオリティーの高さは、自由・民主主義の観点から現ノ・ムヒョン政権に極めて批判的であるところに良く示されています。
 同紙にも時々反日的な記事や論説が掲載されるのですが、私はかねがね、これは同紙が反日感情に染まった韓国で発行部数を維持して生き抜いていくための方便だと理解を示してきました。
 実際、反日的な記事や論説といっても、反日をダシにして、より大事な他のことを訴える、というものが殆どでした。
 しかし、このところの反日的な記事はいただけません。

2 竹島

 まず、2月28日付の竹島(韓国名、独島=Dokdo)の領有権問題についての二つの記事です。
 一つ目の記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200401/200401150014.html。2月28日アクセス)は、1894年にフランスの新聞に掲載された中国東部・朝鮮半島・日本列島の地図(最近ある韓国人書誌家によって発見されたもの)に描かれている日本の領海線(Limite des eaux japonaises)の外に竹島らしき島が描かれていることをもって、当時竹島が李氏朝鮮領であることを国際社会が認めていた証だとする、韓国人教授の見解を紹介しています。
 しかし第一に、この島は、竹島の西北西に位置する、より大きいウルルン(Ulleung。日本名、鬱稜)島ではないかと考えられること、
第二に、この地図には李氏朝鮮の領海線は描かれていないので、日本の領海線外の海域が李氏朝鮮の領海なのか、それとも公海なのか定かではないこと、
第三に、日本が公海上の無人島であるとの前提で竹島の領有宣言をしたのは1905年であって、この地図は、1894年当時竹島が公海上に位置していたことを否定するものではないこと、
から、しろうと目にも、この教授の見解のばかばかしさが分かります。
 しかも、そんなにこの地図が権威があるというのなら、この地図は朝鮮半島と日本列島に囲まれた海を日本海(Mer Japon)と明記しているのですから、日本海・東海「論争」にはこれで決着がつくことになり、ご愁傷様、と申し上げるほかありません。
二つ目の記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200502/200502270023.html。2月28日アクセス)は、日本が主権を回復する前の1951年3月に英国外務省が作成した地図で、日本列島周辺に線が描かれており、竹島(鬱稜島とともに日本名で表記されている)がその外に位置していることをもって、日本を占領していた連合国が竹島は日本の領土ではないと考えていた証拠だとする(この地図を発見した)韓国人教授の見解を紹介しています。
しかしこの地図では、(歯舞色丹両島は線の中だが)国後択捉両島はもとより、沖縄・奄美大島・小笠原諸島などもこの線の外に位置しており、この教授の理屈で行けば、日本は竹島のみならず、これらの島々すべてについて、領有権の主張ができない、ということになり、このうち国後択捉両島以外が現在日本の領土になっていることを説明できません。
どうしてあの批判精神の旺盛な朝鮮日報が、こんな非論理的な記事を載せるのでしょうか。

3 日本統治下の朝鮮半島

 日本統治下の朝鮮半島の写真に解説をつけた3月1日付の記事(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200402/200402290001.html。3月1日アクセス)は、更に問題です。(翻訳の労を惜しんだ。)

<慰安婦>
・・The Japanese imperialists seduced 11 to 14 year old girls by saying that they would send them to middle school. Some schoolmasters threatened their students by saying that if they didn't join the "jeongshindae(挺身隊)," they would withhold their diplomas. The "jeonshin-dae" were divided into two groups -- labor brigades and military comfort women(慰安婦). In fact, however, the division between the labor brigades, which worked in military factories, and the comfort women was rather hazy. The women working in military factories were often forced to become comfort women.・・"For the majority of women mobilized into the 'jeonshin-dae,' there was no distinction between the labor brigades and the comfort women."・・The "Comfort Stations(慰安所)," or military brothels, were run by the Japanese military

<いわゆる創氏改名>
・・Through a special order handed down by Korea's Government General, Koreans were forced to adopt Japanese names. The Japanese imperialists used all sorts of methods to encourage Koreans to go along with the name changes. In the photo, taken at Namdaemun Station, old men who adopted Japanese names are given free train trips. I・・ the Japanese imperialists also dished out various disadvantages to those who refused to take Japanese names. Koreans who refused to change their names were unable to send or receive mail, prevented from entering school, refused food rations, and generally disadvantaged in many facets of life.・・
これらはことごとく真っ赤なウソです(コラム#265参照)。
しかも、日本語電子版にはこの記事は載っていません。これは、ウソをついていることの後ろめたさの表れだ、と言われても仕方ないでしょう。
日本のマスコミもそう誉めたものではないけれど、最もクオリティーの高い韓国紙がこんな体たらくでは、あまりにも韓国民が気の毒です。
それにしても、朝鮮日報の英語電子版のこの種の記事や論説を読むたびに、韓国内外の(日本人以外の)外国人の反日家の数が増えているかと思うと、やりきれない思いがします。

太田述正コラム#0449(2004.8.22)
<変化の端緒が見られる韓国(その7)>

 (追い抜かれて13位に落ちてしまいましたが、それ以前の上位2メルマガとの票差はじりじりつめています。同じIPアドレスから6時間おきに投票できますので、明20日にかけての残された時間、
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
で繰り返し投票をお願いします。)

C 台湾・高句麗・間島(コラム#439の補足)

 敬愛するデービッド・スコフィールドがまたまた興味深い論考をアジア・タイムスに載せています(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FH19Dg01.html(8月19日アクセス)。以下、特に断っていない限り、この論考による)ので、この論考の要旨を、補足を加えつつご紹介しましょう。

 最近中共が突然高句麗史は支那史の一環だと言い出し、韓国が朝野を挙げて抗議をする騒ぎになっているが、同じようなことを中共は前にも行ったことがある。台湾が支那の一部だと突然1942年(つまり1941年の大西洋憲章で米英両国の、日本の海外領土をすべて否定する意志が明らかになった時点以降)から言い出したことだ。
 当時の国民党政権、及び中共は、1943年のカイロ宣言(コラム#247、249、260、268、269)によって、台湾が支那の一部だとする彼らの(突然言い出した)主張が正式に認められたとし、これが中共の現在のスタンスとなっている。
 この台湾をめぐる中共のスタンスの豹変はよく知られているところだが、その裏付けが改めて今年、米タフト大学フレッチャー・スクールのワックマン(Alan M Wachman)準教授によって提示された。
 すなわち彼によれば、中共は、1932年の支那を描いた切手では台湾を表示しておらず、1939年の地図では台湾を支那の域外として、朝鮮、カンボジャ、ビルマと同じ色で表示している。そして、1911年以降チベットと外モンゴルは国民党政府の支配下を離れていたにもかかわらず、この両地域は地図やレトリックにおいて支那の一部とみなされ続けていたというのに、1928年の中共第6回全国代表大会議事録、及び1931年の中華ソビエト共和国憲法には、台湾の住人を支那人ではないとする記述、・・「漢人(Han Chinese)とは異なる少数民族」・・があり、1935年12月25日の中共中央委員会決議では、台湾を朝鮮と同列に位置づける記述・・「朝鮮、台湾、及び日本本土の労働者と農民、及び全ての反日勢力は統一戦線を組まなければならない」・・がある、という。

 では、中共の高句麗史をめぐるスタンスの豹変には韓国はどう対応したらいいのだろうか。
 間島問題を持ち出すことだ。
 韓国の国定の高等学校歴史教科書には「19世紀後半以後、韓民族は間島地方(注11)に大挙して移住し、開拓した。・・清国<との間で>間島帰属問題がおこった<が、李氏朝鮮>政府・・は・・間島を咸鏡道の行政区域に編入し管理していた(注12)。しかし乙巳条約でわが国の外交権を奪った日本は、満州の安奉線の鉄道敷設権を手に入れる代価として、間島を清国の領土として認める間島条約(注13)を清国との間に締結した(1909)。」と記述されている(http://members.jcom.home.ne.jp/yanbian/date01/info01.htm。8月19日アクセス)。
つまり、日本は清と大韓帝国(李氏朝鮮)との間島帰属紛争を、間島を清国領とする形で決着をつけたわけだ。

 (注11)現在の中国延辺朝鮮族自治州と長白朝鮮族自治県にあたる(http://www.jacar.go.jp/incident.htm#kantokyoyaku。8月19日アクセス)。面積は4万3000平方キロであり、現在100万人近い朝鮮族が住んでいる。
 (注12)先月、延世(ヨンセ)大学東西問題研究所のキム・ウジュン教授は、1718年に清朝が作成した初の西洋式地図である「皇輿全覧図」の三つのヨーロッパ版において、間島地方が朝鮮の領土として表記されていることを明らかにし、「地図にあるとおり、当時の中国の王朝も間島地方を朝鮮の領土として認識していた」と主張した(http://japanese.joins.com/html/2004/0707/20040707184832700.html。8月19日アクセス)。
 (注13)間島協定(Jiandao (Kando) Agreement。1909年9月4日)(http://www.jacar.go.jp/incident.htm#kantokyoyaku上掲)

 中共にとって悩ましいのは、中共が台湾の領有権を主張している根拠は、明治維新以降の日本が締結した領土に係る条約をことごとく違法で無効としたカイロ宣言にあるところ、この論理では間島協定に基づく中共の間島領有権も無効になってしまうことだ。(正確に言えば、間島の帰属が法的には未定、ということになってしまうということ。)

 韓国政府は、間島問題を持ち出すことによって、高句麗史問題と間島問題を相打ちにして決着を図るべきだ。つまり、韓国は間島の領有権問題を引っ込める代わりに、中共も高句麗史の新解釈を撤回する形で決着を図るべきだ。

(続く)

<読者X>
太田氏、またまた変な発言。官僚らしいというか、悪い意味で、・・。事なかれ主義。
 中韓で問題になっている、歴史問題。間島領土問題と歴史問題を、取引に利用しろという事です。
 中国は、韓国との間で現在問題になっている「歴史問題」で妥協。韓国は、間島の領土問題を提起し、それを取引材料に使い、その領土問題を妥協することと引き換えに歴史問題の解決を図れ。というものらしい。
 太田氏は、領土問題の重要性を理解していないし、歴史問題・・・の取り扱い方を理解していないらしい。
 宦官的な官僚思考。

<読者Y>
独りよがり

<読者Z>
気になったので、質問させて下さい。
間島条約が無効と韓国が言ったとしても、中国にしてみれば「該当地域の帰属については北朝鮮との間で解決済み」で終わりじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。

<太田>
蛇足から始めさせていただきます。
読者Zにはお分かりのような気がするのですが、読者Xと読者Yは、間島協定が登場したコラム#449が、単にデービッド・スコフィールド論考の要約紹介(補足付き)であって、私の見解を述べたものではないこと、を誤解されています。(紹介文であることは、本来私が用いる「ですます調」ではなく、「である調」を用いていることからも明らかだと思うのですがね・・。)
なお、かねてから私がカイロ宣言の法的効力はないと指摘してきている・・換言すれば、日本の朝鮮半島領有や台湾領有は有効であると指摘してきている・・ことからすれば、間島協定が無効であるとするような見解に私が与するはずがありません。

さて、そういうわけなので、読者Zのご質問についても、「スコフィールド氏に聞いて下さい」と回答すべきところですが、しいて私の独り言を申し上げれば、
1 北朝鮮が間島条約の有効無効に係る見解を明らかにしたことはないのではないか。
2 韓国についても同様、と考えられる。(無効だと言っているとすれば、中共が韓国と国交樹立することは躊躇したであろうと考えられるし、有効だと言っているとすれば、スコフィールドはあのような趣旨の論考を書かないはず。)
3 仮に北朝鮮が「間島協定は有効だ」、或いは「間島の領有権は争わない」、と過去に言明したことがあったとしても、大韓帝国(ただし、外交権は当時日本が持っていた)の承継国は北朝鮮と韓国の両国であり、一方の北朝鮮の言明は、もう一方の韓国の国際的権利義務に影響を及ぼすことはないと考えられる。
4 よって韓国は間島協定の無効性を主張できる。
といったところでしょうか。

<読者Z>
いやいや、すみません。僕も誤解していました。デービッド・スコフィールド氏の意見だったのですね。申し訳ありません。
しかし、ついでにといっては何ですが、強いての意見にさらに質問というか意見です。仮に北朝鮮と中国との間で国境が既に定められている場合、韓中修交共同声明で「領土保全の相互尊重」と「平和的に統一」を謳っている以上、間島協定の無効性を主張するのは難しくないでしょうか?
(韓中修交共同声明:http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/CHKR/19920824.T1J.html

<太田>
「平和的に統一」(韓中修好共同声明第5条)は、朝鮮半島が平和的に統一されることを中共が支持する、と言っているだけのことであり、間島問題とは何の関係もありません。
「領土保全の相互尊重」(同第2条)については、日中共同声明(1972年。http://list.room.ne.jp/~lawtext/1972Japan-China.html)にも全く同じ文言が登場(第6条)しており、このような文言があるからといって、「平和的」に領土紛争を提起することに問題があると中共が全く考えていないことは、その尖閣諸島の領有権の主張からも明らかでしょう。

<読者α>
http://www.akashi.co.jp/Asp/details.asp?isbnFLD=4-7503-1920-1
日本帝国主義の朝鮮侵略史(1868―1905)
サブタイトル  征韓論台頭から乙巳五条約(保護条約)捏造まで
著・訳者名 朴 得俊編 梁 相鎮訳
本体価格  2000円

ぜひ読むべき本です。

http://210.145.168.243/sinboj/j-2004/05/0405j0824-00001.htm

<読者β>
> 著・訳者名 朴 得俊編 梁 相鎮訳

偽証が氾濫する法廷(朝鮮日報)
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/02/13/20030213000039.html

 2000年の場合、韓国で偽証罪で起訴された人が1198人であることに比べ日本は5人だった。韓国と日本の人口の差を考慮した場合、国内の偽証が日本の671倍に達するというのが最高検察庁の分析だ。 

 偽証がこのように多い理由は、嘘を大したことと思わない社会の風潮と、「情」にもろい韓国の文化が最も大きな理由だと判・検事は話す。 

<太田>
読者β、面白い記事を教えていただき、ありがとうございました。
 (英語版には載っていませんでした。)
 読者αが紹介された北朝鮮の学者執筆本(邦訳)については、ご自身による書評をご披露いただけるとありがたいですね。

<読者β>
私も一冊紹介しておきましょう。
日韓併合―歴史再検証 韓民族を救った「日帝36年」の真実
崔 基鎬 (著)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4569617042/reviews/ref=ed_er_dp_1_1/249-2997368-8121100

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太田述正コラム#0447(2004.8.20)
<変化の端緒が見られる韓国(その6)>

 (現在、12位を完全に射程内にとらえています。まだ後二日以上あります。10位以内は決して夢ではありません。とにかく、
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
で最後まで投票を!)

<中間的補足>
A 敵を呪わば穴二つ(コラム#443の補足)

本日の朝鮮日報(電子版)は概略次のような大ニュースについて、記事を三本も掲載しています(注9)。

(注9)このニュースを18日の朝日・産経・東京・日経・読売・毎日の電子版の国際欄は完全無視を決め込んでいる。一部TVでは報道したようだが、この六大中央紙は一体どこの国の新聞なのだろうか。

 与党ウリ党党首(chairman)の辛基南(シンギナム。Shin Ki-nam)の父親のShin Sang-mook (1916??1984年)は旧日本軍の憲兵であったことが判明し、辛党首もこれを認めた。
 辛党首の父親は師範学校卒業後1938年に小学校の教諭になったが、1940年に志願して日本の陸軍に入り、憲兵になった。しかも、彼が小学校のかつての教え子達に対し、「生徒は無条件に教師を尊敬し、教師に従わなければならない。・・一人の教師として、自分自身がまず日本軍に志願しなければならないと考えた」と志願の動機を語ったという、朝鮮総督府の御用新聞に掲載された記事が発見された。
これまでウリ党が先頭に立って日本への協力者を暴き出す運動を展開してきたが、その党首の父が積極的な日本協力者であったとは目も当てられない。
看過できないのは、辛党首がこの事実を知っていて、動かぬ証拠をつきつけられるまでウソをつき通してきたことだ。辛議員の党首辞任は避けられないだろう。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408170007.htmlhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408170059.htmlhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408170039.html(いずれも8月18日アクセス)による。)

 戦前、朝鮮半島は日本の植民地、というより日本そのものだったのですから、戦前の朝鮮半島の住人の大部分は・・すなわち現在の働き盛りの韓国人の親の世代の大部分は、日本国民として「日本協力者」であったはずであり、ウリ党やウリ党支持者達は、何と愚かな運動を展開してきたことか、と今頃臍をかんでいるに違いありません。

B 韓中歴史論争四方山話(コラム#439の補足)

 朝鮮日報の「<中国は>古朝鮮(Gojoseon)・・の歴史も中国史の中に取り込もうとしている・・<そんなことに>なれば、朝鮮民族の歴史は2000年間に縮められ・・てしまうことになる」という論説を前にご紹介しました(コラム#439)。
 高句麗史の問題だけ取り出して見れば、中国側より韓国側の主張の方にやや分があると思いますが、総体的に見れば、現在の韓国人の歴史観は、途方もなく不合理(「不条理」と言ってもいいでしょう)なものであると言っていいでしょう。
 そのあらわれが、韓国における古朝鮮観です。
 韓国では古朝鮮については、国定歴史教科書におおむね次のように記述されています。

紀元前2333年に朝鮮という、平壌城を首都とする朝鮮民族の国ができる。この国を後世の李氏朝鮮等と区別するために古朝鮮(コチョソン)と呼ぶ。古朝鮮は、檀君(タングン。Dangun)が支配する檀君朝鮮が約1500年続いた後、紀元前300年前後に箕子(キジャ。Gija。殷(商)最後の紂王の伯父。周の武王によって幽閉から解放される)が檀君から禅譲を受け、箕子朝鮮となり、その箕子朝鮮が紀元前195年(194年?)に燕人(漢人)の衛満(ウィマン。Wiman)によって簒奪され、衛氏(ウィシ(ウィジャ?))朝鮮となる。衛氏朝鮮、すなわち古朝鮮は紀元前108年に漢の武帝によって滅ぼされ、後に高句麗が勃興するまで、朝鮮民族は国を失う。

このような国定教科書によって育てられてきたため、戦後育ちの韓国(と北朝鮮)の市民の大部分は、以上のすべてが基本的に史実だと思いこんでいます(注10)。

(注10)韓国でも昨年ようやく、檀君朝鮮は神話的存在だ、と実証的に指摘する勇気ある歴史学者が現れた。しかし、彼は市民からの「植民史学者」、「歴史の歪曲」という激しい批判に晒されている(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2003/02/14/20030214000037.html。8月18日)

ところが、箕子朝鮮と衛氏朝鮮こそ、中国の信頼性の高い「史記」と「漢書」に登場しますが、檀君朝鮮は、高麗時代になって一然(イルヨン。1206??89)という僧侶が書いた「三国遺事(サムクッユサ)」(この本を解説した本?)の中に出てくるだけであり、韓国(と北朝鮮)を除くあらゆる国の歴史学者は、檀君朝鮮は神話上の存在だとみなしています。そして朝鮮民族の「国」の成立は紀元前4世紀までしかさかのぼれないとしています。しかも、箕子朝鮮も神話上の存在だとする説も有力であり、そうなると朝鮮民族の「国」の成立は紀元前2世紀までしかさかのぼれない、ということになります。
(以上、朝鮮日報(日本語版)上掲、及びhttp://www.blu.m-net.ne.jp/~tashima/b19.htmlhttp://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/k-textbook/dankun.htmlhttp://encyclopedia.thefreedictionary.com/Gojoseon(いずれも8月18日アクセス)による。)

 神話を史実とみなして上で、単一の国定教科書で初等中等教育をしばる、というやり方も、戦前の日本がやっていたことの忠実な踏襲です。
 たとえが適切ではないかもしれませんが、これは、日本の「辺境」である沖縄に古い日本語が残ったのと同じような話にほかなりません。韓国が、時代の進展に応じて、(プレスクラブ制度の廃止だけではなく、)あらゆる面で戦前の日本の負の呪縛から自らを解放していくことを願ってやみません。

(続く)

太田述正コラム#0445(2004.8.18)
<変化の端緒が見られる韓国(その5)>

 (本日は票が伸び悩み、ついに14位に転落してしまいました。
 20日は目前です。気をとりなおして、
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
で投票を!)

 しかし、表見的なことに惑わされてはなりません。
 まず、押さえるべきことは、韓国から見て、日本ほどあらゆる近代社会制度が似通っている国はほかにはないということです。
 韓国の近代が日本の植民地化によって始まった以上、それは当然のことです。
 例えば、韓国の法体系は日本の法体系の一バリエーションだと考えてよろしい(コラム#262)。
 新聞だってそうです。
 先だっても、韓国でプレスクラブ制度が廃止されたとニューヨークタイムスが報じました(http://www.nytimes.com/2004/06/13/international/asia/13kore.html。6月13日アクセス)。
 プレスクラブ制度というのは、先の大戦に至る過程で総動員体制の一環として日本で確立した制度であり、内閣や各官庁において、プレスクラブ会員となる新聞社等を官庁等の側が選定し、選定された会員に対して(官庁等の大部屋の中に机や電話を与え、事務員も配置する等の)便宜を供与し、会員だけに優先的に情報を与え、その代わり、会員各社が書く記事の発表タイミングや記事内容等にしばりをかける、という制度です。
要するに、プレスクラブ制度とは、官庁情報の開示にかかる談合構造なのです。
 戦前に植民地下の朝鮮半島にも持ち込まれていたのでしょう。爾来、韓国はこのプレスクラブ制度まで、後生大事に守ってきたというわけです。
 さすがに日本では、クラブの会員にしてもらえなかった外国プレスからの長年にわたる批判もあり、このところようやくプレスクラブ制度は崩れてきていたのですが、この動きがタイムラグを伴って韓国にも波及した、ということなのでしょう。
 もう一つ忘れてはならないことは、韓国経済と日本経済が切っても切り離せぬ関係にあることです。
 韓国経済が「離陸」したのは、1965年12月の日韓国交正常化以降です。
 日本からの経済援助と日本との貿易の活発化により、韓国は高度成長を始め、1975年頃に初めて韓国の一人あたり所得は北朝鮮を抜き(典拠失念)、その後も成長を続け、漢江の奇跡を達成したのです。
 韓国の中国との貿易総額が米国との貿易総額を抜いて第一位となり、日本との貿易総額は第三位に過ぎないとは言っても、現在でも韓国の経済活動は、(北朝鮮を除けば)最も近い隣国であり旧宗主国でもある日本からの部品、工業素材、工作機械等の輸入があって初めて成り立っています。
 それが証拠に、韓国は日本に対して最も大きな貿易赤字を(IMF危機の頃を除いて)毎年計上し続けてきており(http://www.nihonkaigaku.org/ham/eacoex/100econ/120doms/121prod/1212trad/tradekr/tradekr.html。8月17日アクセス)、今年の上半期には、史上最大の対日赤字を記録しています(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200407/200407060045.html。7月7日アクセス)。
 このように韓国が近代社会制度も経済も日本に負っていることは、韓国人の全般的学歴が向上すればするほど、韓国人の自覚するところとなるはずです。
 中国ブームだとは言っても、現在、韓国で日本語の授業を選択できる高校は1715校もあって、全高校の55.2%に達しているのに、中国語の授業を選択できる高校はまだ531校しかありません。(ちなみに、ドイツ語がそれに次いでおり、381校ある。)(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200406/200406300035.html。7月1日アクセス)
 実は世界的に日本語学習熱はどんどん高まってきているのですが、海外の日本語学習者数に関する昨年7月から今年3月までの調査によれば、ダントツに多いのは韓国で約89万4000人にのぼり、以下中国約38万8000人、豪州約38万2000人と続きます(http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20040705it15.htm7月5日アクセス)。
 
 朝日が報じた「親」日本ムード(コラム#439)が、韓国の人々の本格的な親日化の端緒であってくれればいいな、と私は期待を募らせつつ見守っています。

(続く)

太田述正コラム#0443(2004.8.16)
<変化の端緒が見られる韓国(その4)>

 (読者の皆さんもお疲れのようで、本日の得票数は伸び悩んでいます。最終日の20日まで、
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
でぜひとも繰り返し投票をお願いします。)

 1894??95年の日清戦争の際、米国は日本海軍を密かに支援した、とある韓国系米国人学者によって指摘されている。
 そして1902年に締結された日英同盟(コラム#100、210、230、258、310、311)の下で日本の朝鮮半島等への進出が加速化した。
 特に問題にすべきは、1905年の日本の桂太郎首相とタフト米陸軍長官(セオドア・ローズベルト米大統領代理)との間で締結された桂・タフト協定だ。この協定で、日本は米国の植民地フィリピンへの不干渉、米国は日本が朝鮮を保護国とすることを認めあった(コラム#249)。
これに対し、中国の方は、朝鮮半島の植民地化以降も朝鮮独立運動への肩入れを続けた。
蒋介石は朝鮮人志士達が設立した大韓民国臨時政府(the provisional government of the Republic of Korea)を資金面を含め支援するとともに、1932年の尹奉吉(Yoon Bong-kil)による上海虹口公園爆弾事件(注7)等の朝鮮人志士達による一連の対日テロ事件以降、これら志士達の黒幕的存在であった金九(Kim Koo。1876??1949年)(注8)を全面的に保護した。

 (注7)尹が天長節祝賀会場で白川義則陸軍大将ほか1名の日本人を殺害した事件(http://mrpung.web.infoseek.co.jp/history/yunbonggil/yunbonggil01.html。8月16日アクセス)。同じ年の1月には李奉昌が昭和天皇暗殺未遂事件(桜田門事件)を起こしているhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%80%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6。8月16日アクセス)
 (注8)1919年 三・一独立運動が失敗に終わると、上海に亡命し李承晩らと大韓民国臨時政府を設立し、後に事実上、臨時政府の首班となる。終戦後、米国はこの臨時政府を承認せず、南朝鮮に軍政をひいた。金九は、南だけの単独選挙の実施に反対し、南北の分断に反対した。1949年6月に暗殺される。(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E4%B9%9D。8月16日アクセス)

 以上からして、韓国人が反日反米親中国意識を持つのは当然だろう。
 そして韓国が中国と国交を樹立し、しかもその中国経済が高度成長をとげているとくれば、韓国人が中国へ中国へと草木もなびく状態となったことは極めて自然なことと言えよう。
 たかが、高句麗史問題ごときで、このような韓国人の意識が変わってしまうなどということはおよそありえないことだ。

 一体本当のところはどうなのか。検証していきましょう。

3 コメント

(1)韓日関係
韓日関係から始めましょう。
確かに、依然反日ブームだと言ってよいおもむきが現在の韓国にあることは否定できません。
卑近な例を挙げれば大学生の間での「反日的初デート(patriotic blind date)」の流行です。
まずデートにでかける前に、カップルは日本製の腕時計、靴、といった衣類やアクセサリーを身につけていないことを確かめます。デートにあたっては、日本の音楽を流している喫茶店に行かないようにし、うどん等の日本食を食べず、日本風パブ等の日本食レストランに行かないようにします。カラオケに行っても決して日本の歌は歌わず、もし「いっぱい(full)」のような韓国語になった日本語を使ったりしたら、デートの払いを全部引き受けなければなりません。(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200402/200402270014.html。2月28日アクセス)
日本のマスコミでも取り上げられているのは、7月中旬に韓国の与党ウリ党などによって、日本の植民地統治下の朝鮮半島で日本側に協力した、いわゆる「親日派」の行動を追及するための特別法の改正案の国会への提出です。
改正案は、調査対象をこれまでの特別法が規定している「(日本軍の)中佐以上の軍人」から「少尉以上」に拡大するため、日本軍中尉だった朴正煕元大統領も対象となる、また、文化教育分野での協力者、創氏改名の勧誘者のほか、(ノ・ムヒョン大統領と対立する)保守系大手紙の朝鮮日報、東亜日報などによる「親日記事」も対象としている、という二点から、保守系の野党ウリ党(党首が前述したように朴元大統領の娘)等が反発していますが多勢に無勢の感は否めません。
(以上、http://www.sankei.co.jp/news/040714/kok097.htm及びhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200407/200407140047.html(どちらも7月15日アクセス)による。)

(続く)

太田述正コラム#0441(2004.8.14)
<変化の端緒が見られる韓国(その3)>

 (やっと18位になりました。13位はいけそうだと申し上げましたが、どうでしょうか。これからの追い込みに期待しています。
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
にぜひとも繰り返し投票を!)

 以上のような状況下、金大中(Kim Dae-jung)前大統領のもとを、最大野党のハンナラ党(Grand National Party)の党首朴槿恵(Park Geun-hye)女史が8月12日が訪問して会談し、「歴史的和解」をしたというニュースが飛び込んできました。
金氏は1971年に槿恵女史のお父さんの故朴正熙(Park Chung-hee)大統領に大統領選挙でいどみ、敗れた後、何度も朴政権によって投獄され、日本滞在中に韓国に拉致され危うく殺されかけるという憂き目に会いました。その金氏に向かい、槿恵女史は、「私は(朴正熙の)娘としてあなたが私の父の時代に被った被害と艱難辛苦に対し、お詫び申し上げる」と謝罪したのです。(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408120041.html。8月13日アクセス)
 槿恵女史の訪問は、金氏が朴正熙記念館(Memorial Hall)建設に賛意を表明したことに対する御礼言上と、自らのハンナラ党党首就任挨拶のため、ということになっていますが、槿恵女史の党首就任は今年の3月、総選挙後の再任も4月のこと(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040720-00000011-san-int。8月15日アクセス)であり、金氏が記念館建設に賛意を表明した(注5)のは、実に金氏が大統領であった1999年8月のこと(http://www.korea.ac.kr/~hahm/cgi-bin/CrazyWWWBoard.cgi?db=engpress&mode=read&num=2&page=3&category=&ftype=6&fval=&backdepth=1。8月15日アクセス)ですから、いかにも不自然です。

 (注5)慶尚道(朴大統領(や現在の最大野党ハンナラ党)の地盤)と全羅道(金大中大統領(や現在の与党ウリ党)の地盤)の対立(コラム#80)解消を図るためという触れ込みだった。

 私はこれは、対日関係や対米関係のみならず、対中関係まで悪化した上、経済まで不振であることから、危機感を抱いた韓国の左右両翼が、挙国一致体制の確立を目指し、阿吽の呼吸で歩み寄りを始めたもの、と見ています。

2 変化の端緒なしとする指摘

 これに対し、いやいや変化の端緒など見受けられない、そもそも変化することなどありえないのだ、とする指摘もあります。
 シンガポールのLianhe Zaobao(漢字不明)に定期的にコラムを書いているというYu Shiyuによるアジア・タイムス紙(香港)寄稿論説(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FH14Dg02.html。8月14日アクセス)の概要をご紹介しましょう。
 
 朝鮮半島をめぐる国際環境の基調を形作っているのは朝鮮半島住民の構造的な反日親中観だ。
 その原因は、豊臣秀吉の朝鮮出兵(1592-98年)にある。
 「李朝史録」を読めば、それがなぜだか分かる。
 日本軍がいかに残虐な行為を行い、いかに朝鮮を荒廃に導いたかが書いてあるからだ。
 数年前のフォーリンアフェアーズに載った話だが、日本軍が数万人の朝鮮人犠牲者からそぎ落とした耳と鼻を日本に持ち帰って埋めた耳塚(Ear Mound)が京都にあり(注6)、このことが日本軍が何をやったかを端的に物語っている。

 (注6)慶長の役のおり、秀吉が戦況確認のために敵の鼻を削いで塩漬けにして日本に送らせたが、戦死者だけでなく、生きている者の鼻を削いで送ったケースもかなりあったという。この鼻を供養した場所に後に供養塔が建てられたが、誤って耳塚と称されることになった。(http://www.bbweb-arena.com/users/hajimet/mimi_001.htm。8月15日アクセス)従って、Yu論説が引用した米国誌の論文は、「「耳と」鼻」、「埋めた」としか述べていない、という二点において間違っている。(「埋めた」ことだけを伝えて、耳塚は殺戮記念碑などではなく、朝鮮側の死者への慰霊碑であることを伝えていない。)

 この出兵に対し、明(中国)は李氏朝鮮を助けるために全力を尽くし、秀吉の野望を打ち砕いたが、明はこれによって著しく疲弊し、やがて清によって滅ぼされてしまう。
 日本は、李氏朝鮮末期において、再び朝鮮半島を侵略し、この時も清(中国)は支援の手をさしのべるが、今度は日本が勝利をおさめ、朝鮮半島は1910年に日本の植民地になってしまう。
 すなわち、日本は一度ならず二度までも朝鮮半島を蹂躙し、中国は一度ならず二度までも支援の手をさしのべた。
 こうして朝鮮半島において、構造的な反日親中観が確立したのだ。
 そして、この日本による朝鮮半島植民地化にアングロサクソンが手を貸したことが、戦後次第に知られるところとなり、反日親中が反日反米親中へと「発展」して現在に至っているのだ。

 (続く)

太田述正コラム#0439(2004.8.12)
<変化の端緒が見られる韓国(その2)>

(深夜に20位になったかと思ったら、先ほど19位になりました。この分なら20日の最終日までに10位以内に達するのも、まんざら夢物語でなくなってきました。
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
で引き続き投票をよろしく。)

 日本でも朝日新聞が韓国における反中国「親」日本ムードを報じています。
 「紀元前後の高句麗を中国が自国史に組み入れ、朝鮮半島の歴史から抹殺しようとしているとして・・徐々に・・中国への反感」が増しており、また「中国に対しては、中国公安当局が北朝鮮からの脱出住民を<北朝鮮に>送還したり、<韓国での中国人の>不法滞在・・が目立ったりとイメージが良くない」(注3)のに対し、「2年前のワールドカップ共催以来の日本への親近感」や「最近、「冬のソナタ」の主演男優ペ・ヨンジュンが日本で人気を博するなど、「韓流」のニュースが韓国内に逆流し、対日感情は落ち着いている」というのです(http://www.asahi.com/international/update/0811/005.html。8月11日アクセス)。

 (注3)このほか、台湾の陳水扁総統の再選就任式への韓国人議員の出席に在韓中国大使館が露骨に圧力をかけたことも問題視されている(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408080038.html。8月11日アクセス)。

 朝鮮日報と朝日新聞が共通に指摘しているのは、高句麗史問題が韓中関係に及ぼした深刻さです。
 この問題について、以前に「北朝鮮は何の反応も示さず、韓国も完全に腰が引けた対応をしています」と書いたことがあります(コラム#274。なお、コラム#141、142参照)が、さすがにその後、韓国世論が激してきたのです。
 韓国政府も、世論に押される形で8月に入ってから中国政府に正式に抗議したのですが、この抗議への中国政府の対応が火に油を注いだ形になってしまいました。
 中国政府は、
ア 中国は人口の多い大国なので、中国政府は中国国内で起こっていることをすべて掌握しているわけではない。
イ 韓国が問題視した中国のいくつかの教科書における高句麗に関する記述については、中国政府は教科書の記述内容に容喙する立場にはない。
ウ 韓国政府から高句麗に関する記述の訂正を求められていたところ、最近、中国外務省のホームページから高句麗に関する記述のみならず、1948年の大韓民国成立以前の朝鮮半島についての記述すべてを削除した(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408050035.html。8月5日アクセス)のは、慎重に検討した結果だ。
エ 本件を韓国のメディアが騒ぎ立てないように韓国政府はメディアを指導すべきだ。
などと答えたのですが、これは韓国を見下した対応であり、韓国への侮辱だという受け止め方がされています。
(以上、特に断っていない限り(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408080001.html(8月8日アクセス)、及びhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408080038.html(8月11日アクセス)による。)

ちなみに、北朝鮮政府は本件について引き続き沈黙を保ったままです。
わずかに、北朝鮮の出先機関である日本の朝鮮総連の機関紙である「朝鮮新報」が中国を非難する記事を掲載するにとどまっています。先般この新聞に本件について北朝鮮の学者が書いた評論が載りましたが、中国という国名を挙げない、という腰の引け方です。
北朝鮮の高句麗時代の墓(壁画)がユネスコの世界文化遺産に指定されたこの時期に、北朝鮮が本件で何も言えないのは、いかに北朝鮮がその政治的・経済的生存を中国に依存しているかを物語っています。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408080018.html(8月8日アクセス)による。)

 このような背景の下、韓国では、朝鮮半島の歴史の歪曲は、日本によるものより、中国によるものの方がはるかに深刻だとする議論が出てきています。
 日本の方は数多ある教科書の内、一つだけが日朝関係の歴史を歪曲していただけであるのに対し、高句麗の歴史の歪曲は中国の政府機関が行っている上、高句麗(Koguryo)の歴史のみならず、古朝鮮(Gojoseon)と渤海(Balhae)の歴史も中国史の中に取り込もうとしている(古朝鮮、高句麗、渤海の歴史が中国史ということなれば、朝鮮民族の歴史は2000年間に縮められ、領域的にも朝鮮半島南部に押し込められてしまうことになる)(注4)、というのです。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408110046.html(8月11日アクセス)による。)

(注4)1963年に中国の周恩来首相(当時)は、訪中した北朝鮮の学者団に対し、渤海は朝鮮史に属すると語ったことがあるらしい(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408130036.html。8月14日アクセス)。

(続く)

太田述正コラム#0437(2004.8.10)
<変化の端緒が見られる韓国(その1)>

 (引き続き、
http://cgi.mag2.com/cgi-bin/mag2books/vote.cgi?id=0000101909
で投票をお願いします。21位で変わりませんが、20位を射程にとらえつつあります。)
 (本篇は、「続く」となっていたコラム#274(2004.2.29)と#406(2004.7.10)を「完結」に変えるとともに、新たに小シリーズを書き起こすものです。)

1 変化の端緒?

 韓国に微妙な変化が生じてきました。

 韓国は、少なくとも国民の意識の上では深刻な不況下にあります。今年に入ってからの賃金上昇率は物価上昇率の半分に過ぎません。調子がいいのは輸出だけで、その輸出にもかげりが見えています。(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/12/20040812000044.htmlhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/08/12/20040812000008.html、及びhttp://japan.donga.com/srv/service.php3?bicode=080000&biid=2004080626588(いずれも8月13日アクセス))
 このこともあずかり、最近の世論調査によれば、韓国民の69.2%は「何の希望も持てず生きている」と答え、35.5%(20歳台では実に47.5%)が「外国に移住する機会があればそうする」としています(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408090052.html。8月11日アクセス)。
 どうしてこんなことになってしまったのでしょうか。
1997年の経済危機、いわゆるIMFショック以来の貧富の差の拡大に求める説、2000年のソウルオリンピック以来の拝金主義的風潮に求める説(http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040804/mng_____tokuho__000.shtml。8月4日アクセス)がありますが、そのほか上記世論調査では韓国民は現在の政治に責任がある(ノ・ムヒョン大統領に責任があるとする者41.7%、与党に責任が21.5%、野党に責任が11.8%)と考えているようです(注1)。

(注1)ノ・ムヒョン大統領自身は、朝鮮日報等の有力メディアに責任がある(?!)としている。

 しかし、もっと本質的な原因があるのではないか、という問題提起を朝鮮日報の名物コラムニストの金大中(Kim Dae-joong)(注2)氏が行っています。
 
(注2)「韓国言論人中'影響力1位」、かつ「極右保守言論人の表象」と毀誉褒貶の激しい人物(http://www.kodensha.jp/knew/d12/a30521-2.htm。8月13日アクセス)。もとより、前大統領の金大中氏とは別人。

彼は、せっかく韓国が、米国との同盟関係のおかげで中国・日本との関係によって規定される北東アジア国際環境から解放され、自由と繁栄を築き、グローバルなプレヤーになったというのに、いつのまにか時代錯誤的なナショナリズムによって米国と敵対するようになり、その一方で中国・日本にすり寄り、両国と従属・朝貢関係を結びつつある。まるで昔に戻ったかのようではないか、と嘆いています。
そして、中国が高句麗の歴史を中国史の一環とし始めたのは、このような韓国の動向につけ込んだのである、と警鐘を鳴らしています。
(以上、特に断っていない限り、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200408/200408100050.html(8月11日アクセス)による。)
 言うまでもなく、日本に言及している部分は金氏の本心では必ずしもないのであって、彼が本当に言いたいことは、韓国民が(私が言うところの)両班精神の呪縛(コラム#406)を脱ぎ捨て、中国に対する幻想から目を覚まし、米国や日本と改めて信頼関係を樹立しなければならない、ということなのです。

(続く)

太田述正コラム#0421(2004.7.25)
<二人の韓国人をめぐって(後日談)(その1)>

 (本篇は、コラム#391、392の後日談です。)

1 金鮮一

 先月韓国人金鮮一氏を拉致し首を切って殺害したグループ「統一と聖戦」は、自分のウェッブ・サイトに、金がアラビア語と神学の学位を持っており、アラブ世界でキリスト教の宣教師をしようと思っていた、とした上で、「金を殺したのは、彼が異教徒であって、イラクでキリスト教を布教を試みようとしたからだ。<彼の雇い主である>ガーナ・トレーディング・カンパニーの社長も熱心なキリスト教徒だった。彼は収入の10%を教会に寄付しているし、会社の名前そのものも聖書からとられている。」とアラビア語と英語でメッセージを載せました。(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200407/200407150029.html。7月2日アクセス)
 このニュースを報じた朝鮮日報は、「金鮮一の殺害は宗教活動がらみ?」と疑問符付きの見出しをつけ、半信半疑のおももちですが、私は、殺害したグループが本心を語ったと考えています(注1)。

 (注1)金氏が自分が韓国では数学を教えていたと偽りを語り、神学を学んだことを隠していた(コラム#391の典拠とした6/25付朝鮮日報英語版・日本語版)のは、彼が本当のことを明かす危険性を十分認識していたことを示しています。しかし、金氏の拉致中に韓国から発信される金氏のこの種のバックグランド情報が拉致したグループに伝わらなかったはずがない以上、金氏のウソは一層彼に対する心証を悪くしただけだったと思われる。

 というのは、以前(コラム#203)でご紹介したように、コーランにはイスラム教から他教への改宗者には、イスラム教への復帰を強制しなければならず、復帰しないならば殺せ、と記されており(??,5-6、??,39-42)、また、やはりコーランには「余は不信者(infidel)達の心を恐怖で満たすだろう。彼らの首をたたき落とせ、指先をたたき落とせ」(??,1-2)、「戦場で不信者(unbeliever)達とあいまみえたら、彼らの首をたたき落とせ」(??????????,4)と記されている(http://slate.msn.com/id/2103261/。7月2日アクセス)からであり、殺害したグループはアルカーイダ系の原理主義者だと目されている(コラム#395)からです。
 ちなみに、1987年の国勢調査ではイラクに約140万人のキリスト教徒(アッシリア、Chaldean カソリック(旧ネストリウス派)、アルメニア、及びシリアの各教会所属)がいたのですが、1980年代後半のフセイン政権によるクルド地区制圧(anfal)作戦のとばっちりをうけてイラク北部の100以上のキリスト教徒の村が破壊され、数ある修道院も破壊され、キリスト教徒はバグダットに強制移住させられました。それからというもの、キリスト教徒の海外脱出が始まり、そこにフセイン政権打倒後のイラクにおける治安状況の悪化や、スンニ派、シーア派を問わない原理主義的傾向の強まり、が追い打ちをかけ(注2)、今ではキリスト教人口は100万人を切ったと考えられています。
(以上、http://www.csmonitor.com/2004/0713/p07s01-woiq.html。7月13日アクセス)

(注2)現在、イラクのキリスト教徒は、海外に親戚のある人が多く英語を話せる人も多いことからイスラム教徒から親米的であると思われており、裕福であるというイメージをもたれており、(イスラム教では飲酒は禁じられているところ)アルコール飲料を売っている人も少なくないことから、イスラム過激派や犯罪者から日常的に殺人、強盗、誘拐の対象にされている。

 ところで、シーア派のあのサドル師が、二ヶ月ぶりにクーファのモスクでの説教を再開し、イラク暫定政府のアラウィ首相を、イラクの占領状態を続けているだけだとこき下ろした上、イラクで拉致された人のうち三名(韓国、米国、ブルガリア人)が首を切って殺害されたことについて、これはイスラム法に反し、実行した者は犯罪者であり、我々はイスラム法に則って処罰するだろう、と語りました(http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3921851.stm及び
http://www.cnn.com/2004/WORLD/meast/07/23/iraq.main/index.html(いずれも7月24日アクセス)(注3))。

 (注3)日本のTBSはサイト上で、「サドル師は先月に武装グループが韓国の民間人を人質に取り、その後、首を切り落として殺害したことに触れ、「政治と宗教のことを心得ていたのならば、首を切り落とすことはあり得ないだろう」と話しました。さらに「たとえ、韓国が我々の敵である占領者であっても、殺害に及んだザルカウィ氏率いる武装グループの行為は正当化できない」と訴えました。」と報じた(http://newsflash.nifty.com/special/jnn_video/kiji.jsp?f=1003395&d=tk。7月24日アクセス)。
BBCは独自取材(?)、CNNはAPに拠っており、恐らくTBSもAPに拠ったのではないかと思われるが、サドル師が、金氏の殺害についてだけ言及している、首切り殺害の不当性に関しイスラム法に言及していない、の二点において誤っている。意図的歪曲でないと思いたいが・・。

 どうやらサドル師は、(いずれもフセインによって殺害された)お父さんや叔父さんとは大違いで、コーランをまともに読んでいないとみえます。

(続く)

太田述正コラム#0406(2004.7.10) 
<韓流・韓国・在日(続x5)>

  ウ 根源的な問題点としての両班精神
 朝鮮半島(韓国)の根源的な問題点は、両班(やんばん)精神にあり、その両班精神とは、李朝時代の支配階級の精神であって、「文を尊び武を卑しむ気風、激しいイデオロギー闘争、政敵との容赦ない闘い、それに実務軽視・・等々」を特徴としている、と前(コラム#404)に申し上げたところです。
 この両班の精神なるものをもう少し敷衍してご説明しましょう。

 李朝時代は、いわば日本の律令時代に相当し、朝鮮半島は、日本の貴族に相当する両班による支配が続き、日本のように武士が台頭することはなく、従ってその武士が支配権を握った封建制を経験することもありませんでした(注5)。

 (注5)不可逆的変化をとげて「発展」してきた歴史を持つ地域は、世界広しといえどもユーラシア大陸の西端の欧州と東端の日本ぐらいなものだ。これに対し、イギリス(=近代のみ)や李朝末までの朝鮮半島(=古代のみ)等はのっぺらぼうの歴史を持ち、(半植民地化するまでの)中国や(植民地化するまでの)インド等は循環する歴史を持つ。
日本と朝鮮半島の歴史はこのように全く異質なので、特定の時点における両者の「発展」段階を比較することは殆ど意味がないが、強いて言えば、19世紀半ばの時点で、朝鮮半島は日本に比べて約1,000年弱「遅れ」ていたことになろう。

 日本の武士とは違って李朝時代の両班は、領地を持つことを許されず、地方長官を転々とさせられました。従って赴任先の領地に対する愛着はなく、科挙に合格するためには詩文のたしなみが全てであったことから、彼らはもともと実務に疎く、実務への意欲も乏しく、赴任中は実務をその地方の世襲の下吏に丸投げし、その下吏と競い合うようにして住民からの収奪に励みました(田中前掲書144??145頁)。
 エリートたる両班のこのような精神は、次第に全朝鮮半島の人々の精神を蝕んで行くのです。

 李朝による朱子学の国教化も両班の精神に大きな影響を及ぼしました。
 儒教の優等生である小華、李朝が、中華(上国)である明への臣従、すなわち明に事大の礼をとること、いわゆる事大主義、が当然視されたのです。その結果、礼にもとる日本は夷狄として蔑まれることになります。いわゆる華夷秩序観です。
 ところが李朝は、まず16世紀末に夷狄である日本の侵攻を受け(1592??93年の文禄の役、1597??98年の慶長の役。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9(7月11日アクセス))、大きな被害を受けます。しかし、李朝は明の協力の下、日本の侵攻を何とか持ちこたえます。ところが、17世紀に入ってからは、その明が新興の夷狄、金(後の清)の攻撃を受け、無謀にも明に味方した李朝は、1636年に金に全面降伏し、明との断交と金(清)への臣従を余儀なくされます。
 夷狄である日本によって大きな被害を受けたことを、李朝の人々は決して忘れず、そのうらみは李朝末まで維持され、その後の日本による植民地統治という恥辱とあいまって、いまだに韓国の人々の心の中にわだかまっています。
 他方、同じく夷狄である金(清)に対しては、日本に対するほどのわだかまりはなかったものの、李朝は面従腹背の崇明排清の姿勢を最後まで貫きます(田中前掲書138??140頁)。
 そこへ、17世紀末からは欧米のキリスト教が中国を経由して入ってきたり、さらに19世紀に入ると欧米勢力の黒船が来航してきたりします。キリスト教は、神の前における万人の平等を説く、儒教の華夷観、上下観に真っ向から反する宗教であったことから、欧米は「夷狄」ですらない、それ以下の「禽獣」とみなされることになるのです(同上144頁)(注6)。

 (注6)明治維新後の日本は、欧米化することによって、李朝から見れば、「夷狄」が「禽獣」化したことになる(同上146??147頁)。その禽獣化した夷狄たる日本に朝鮮半島が併合された屈辱感は想像を絶するものがある。

 こういった観念的で倒錯した国際観もまた、両班から始まって、次第に全朝鮮半島の人々に浸透していき、その結果、19世紀末以降、朝鮮半島に関わった諸外国に多大の迷惑を及ぼすことになるのです。

(続く)

太田述正コラム#0405(2004.7.9) 
<韓流・韓国・在日(続x4)>

  イ 軍事政権・・日本による統治・マーク??
 韓国の軍事政権とはいかなるものであったかを復習しておきましょう。

 まず、軍事政権の韓国観についてです。
 朴正熙(1917??1979年。http://www2.odn.ne.jp/~ccq47810/boku.html(7月10日アクセス))は、その著書「国家と革命と私」(1963年)の中で次のように言っています。

 わが・・歴史は、一言でいって、退嬰と粗雑と沈滞の連鎖史であった。・・・
第一に、われわれの歴史は・・常に他人に押され、それに寄りかかって生きてきた歴史である(「事大主義」及び「文尊武卑」のこと(太田))。
第二に、・・李朝は・・党争・・に明け暮れているうち、亡国の悲運を味わうことになった・・
第三に、われわれは自主、主体意識が不足していた。われわれの・・哲学・・文化・・といえるものがあるか・・ハングル<と>高麗磁器<しかない。しかも高麗磁器は、>貴族達の趣味にとどまっているだけであった<し、>途中から命脈が切れ<てしまった。>
第四に、経済の向上に少しも創意的な意欲がなかった・・

 (以上、鄭大均「韓国のナショナリズム」岩波現代文庫2003年133??136頁より孫引き。上記サイトにも掲載されている。)

 これだけでは言い足らぬとばかり、この本の中で朴は、韓国人や韓国社会の特徴として、利己主義・傍観主義・虚勢・党派意識・特権意識・自主精神の欠如・民族愛の欠如・開拓精神の欠如・企業心の不足・アイデアの不足・退廃した国民道徳・怠惰と不労所得観念・奴隷的な屈従の固まり・法よりも腕力の強い者が勝つ世の中・弱く金もコネもない者は生きていけない不平等社会・「姑息」「怠惰」「安逸」「日和見主義」に示される小児病的な封建社会・「情実人事」「猟官運動」「貪官汚吏」「不正蓄財」が当然と考えられる価値が転倒した社会・等々、罵倒に近い言葉を書き連ねています(鄭大均前掲書137頁)。
朴は、かつて日本人であった一韓国人として、「韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み」に強い嫌悪感を抱いていたのです。

 このような隣国をそのまま放置しておくことは、日本の安全保障にかかわる、として日本は韓国を保護国とし、更には併合したのですが、朴はこの顰みに倣い、このような状態に韓国を放置しておくことは、韓国自身の安全保障にかかわる、として1961年に韓国でクーデターを敢行し、自ら権力を掌握したわけです。

 権力を掌握した朴が提唱したのは、韓国の革命・改造・再建・更正・手術・反省(鄭大均前掲書137頁)による「韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み」の克服でしたが、その手段は、彼自身が満州国(1942年満州新京軍官学校首席卒業。上記サイト)と日本本土(1944年陸軍士官学校3位卒業。上記サイト)で戦前目の当たりにした、総動員体制類似の体制の韓国における構築でした。総動員体制とは、ナショナリズムを鼓吹し、ヒト・モノ・カネの総動員体制を構築し、経済の高度成長と軍事力の強化を図る、というものですが、朴は、日本のナショナリズムを韓国のナショナリズムに置き換えた以外は、基本的にかつての日本の総動員体制を忠実に模倣し、韓国で再現したのです。
 そして朴は、ただちに1962年を初年度とする第一次経済開発五カ年計画を策定(http://fps01.plala.or.jp/~searevie/new_page_25.htm。7月10日アクセス)。更に1965年の日韓国交正常化(http://www007.upp.so-net.ne.jp/togo/dic/ni/nikkanjoyaku.html。7月10日アクセス)を契機に日本からの経済援助を得、日本との経済交流が活発化し、韓国に、漢江の奇跡と言われる高度成長時代を招来するのです。

 ところが、韓国の人々が高度成長の結果、自信を回復するにつれて、一旦克服したかに見えた「韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み」が再び、しかもかつてに比べてより先鋭化した形で復活してきます。
 それは、根源的な問題点を解消しなかったからだ、と私は考えています。
そろそろ、戦前の日本(日本による統治マーク??)と韓国の軍事政権(日本による統治マーク??)が、いずれもその解消に失敗したところの、韓国(朝鮮半島)の根源的な問題点とは何か、を精査する時が来たようです。

(続く)

太田述正コラム#0404(2004.7.8) 
<韓流・韓国・在日(続x3)>

 (前回のコラム#403の舌足らずな表現を補足して、ホームページに再掲載してあります。)

3 第一の疑問(コラム#401)をめぐって

 (1)疑問の再構成
 以上から、「韓国の文化の隆盛」と「韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み」の併存(コラム#401)、つまりは朝鮮半島の発展状況はバランスがとれていないという点は、現在だけでなく、李朝末期にもあてはまることが分かります。
日本による35年間の朝鮮半島統治は、李朝における政治の搾取性を日本自らが朝鮮半島の政治を担うことで解消し、これに伴って、政治の搾取性に由来する朝鮮半島の政治・経済・社会の危機ないし歪みも消滅しました。幸い、戦後の韓国においても政治の搾取性は基本的に復活することはありませんでした。それにもかかわらず、政治・経済・社会の危機ないし歪みは復活してしまったことになります。(北朝鮮のことは、話がややこしくなるので、触れないことにします。)
どうして、そんなことになったのでしょうか。
日本の統治は、朝鮮半島の政治・経済・社会の危機ないし歪みの直接的な原因である政治の搾取性こそ解消したけれども、根源的な問題点は解消できなかったのだ、と考えざるを得ません。
では、その根源的な問題点とは、一体何なのでしょうか。
 
 (2)根源的な問題点
  ア 俯瞰的考察
 最良の手がかりを与えてくれるのは、田中 明「韓国の民族意識と伝統」岩波現代文庫2003年(原著は1984年)です。例によってほんのちょっと私見を加味しつつ、朝鮮半島(韓国)における根源的問題点のあぶり出しを試みましょう。
 田中氏によれば、朝鮮半島(韓国)の根源的な問題点は、両班(やんばん)精神にあります。
 このことを踏まえ、まずは俯瞰的考察です。
 両班精神とは、李朝時代の支配階級の精神であり、「文を尊び武を卑しむ気風、激しいイデオロギー闘争、政敵との容赦ない闘い、それに実務軽視・・等々」(15頁)を特徴としていました。これは、アングロサクソン的スタンダードに合致した「戦前」の日本的精神である「文武両道を尊ぶ気風、事実と論理による議論、和の精神、それに実務重視・・等々」とは対照的な精神でした。
 戦後の韓国では、日本の朝鮮半島統治の間ずっと海外で独立運動に携わり、両班精神をそのまま抱き続けていた李承晩が、1948年から12年間もの長期にわたって大統領として君臨したことによって、「政治・経済・社会の危機ないし歪み」が復活してしまうのです。
 李政権は、ついに一度も経済計画を立てようとせず、このこともあって韓国の経済は低迷を続け、しかも防衛努力も怠ったため、北朝鮮に侮られ、北朝鮮が韓国併合のための朝鮮戦争を起こし、韓国民は塗炭の苦しみを味わいます。
 このような韓国の状況に危機意識を抱いていた旧日本帝国陸軍士官であった軍人朴正熙は、1961年にクーデターを起こし、1963年には大統領となり、爾来1993年までの30年有余にわたって、全斗煥、盧泰愚と日本的精神を身につけた軍人達の政権が続き、この間、日本との国交回復に伴う日本からの経済援助や日本との経済交流のおかげもあり、韓国経済は奇跡的な高度成長をとげるのです。
 他方、李承晩政権が路線を敷いた両班的教育の影響を強く受けた人々は野党に結集し、軍事政権批判を続けました。
 韓国が、またもおかしくなるのは、1993年に野党勢力が政権を奪取し、文民政権が復活してからです。
金泳三政権末期の1997年には韓国は未曾有の経済危機に直面します。その次の金大中の時代には韓国の国是を変更して北朝鮮に急接近し、2000年には大統領は賄賂を手みやげに北朝鮮を訪問しますが、その一方で在韓米軍と韓国との関係は悪化の一途をたどります。そして昨年からのノ・ムヒョン(盧武鉉)政権のダッチロールぶり、と続くわけです。
こうして、韓国に「政治・経済・社会の危機ないし歪み」が再び復活し、現在に至っているのです。
 (以上、http://www.l-o-a.net/history/president.html(7月9日アクセス)を参照した。)

(続く)

太田述正コラム#0403(2004.7.7) 
<韓流・韓国・在日(続々)>

 ところで、一介の女性(注2)の1894??1896年、63??65歳の時の朝鮮半島旅行の見聞録に信憑性はあるのでしょうか。

 (注2)バードには学歴はないが、60歳の時にスコットランド地理学会特別会員、62歳の時に英国地理学会の特別会員に選ばれている(イザベラ・バード「日本奥地紀行」平凡社2000年(原著は1880年)解説525頁等)。
 
 その16年前(1878年)の彼女の47歳の時の日本旅行の見聞録である「日本奥地紀行」(上掲)を読めば、(私自身、明治維新直後の日本についての知識がそれほどあるわけはありませんが、)彼女の書いていることの信憑性は高い、と言わざるを得ません。ご関心のある方はご自分でお確かめください。
 ただ、一点留保が必要です。
 バードが「美術工芸はなにもない。」と言っているのは、美術館や博物館がなかっただけでなく、まともな商店がなく、美術工芸品を扱っている商店も当然なかったであろうことから、彼女の目に美術工芸品が入らなかったのでしょう。
 そもそも例えば、高麗や李朝の陶磁器は極めて優れており、秀吉の朝鮮出兵の時に大量に日本に連れてこられた朝鮮半島の陶工達は日本の陶磁器に大きな影響を与え、薩摩焼、唐津焼、萩焼等の陶器や、伊万里という磁器(日本初)が生まれた(http://www.mino.cc/history.html。7月7日アクセス)ことは、日本では良く知られています。
 そんな知識がなかったとしても、バードに見る眼さえあったならば、1924年にソウルに朝鮮民族美術館を設立した浅川巧(1891??1933年。http://www.sofukan.co.jp/books/126.html(7月6日アクセス))と柳宗悦(1889??1961年(注3)。http://www.shirakaba.ne.jp/tayori/tayori67.htm(7月6日アクセス))のように、朝鮮の民間の工芸品の価値を「発見」することができた(注4)はずです。

(注3)柳は、韓国の民間の名も知れぬ職人がつくった工芸品の美しさに魅了され、民間の工芸品を「民藝」と命名した。
 (注4)新装なった東京の日本民藝館(柳宗悦創設)における朝鮮工芸品の特別展の開催を記念して、4日に日本民藝館で皇太子殿下がビオラ奏者として韓国の著名なピアニスト・チョン・ミョンフンらとピアノ四重奏曲を演奏されたのは、このような「民藝」という言葉の由来による。
ちなみに、韓国の有力紙、朝鮮日報の英語版では(言葉の本来の意味での)ホームページにこの話の記事の見出しが出ているのに、日本語版では出ておらず、小さい扱いだ。そのくせ、英語版の記事には「なぜ民藝館で?」の説明が省かれているが、日本語版の記事には書いてある。そのほか、日本語版だけに、チョンの「皇太子のビオラの実力は驚異的」という言葉が載っている。まことに芸が細かいことよ。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200407/200407060009.html及びhttp://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/07/06/20040706000009.html(いずれも7月6日アクセス)による。)

 さて、バードの朝鮮紀行から拾った、「李氏朝鮮のどちらかと言えば悪いところ」を点検してみましょう。
 バード自身が指摘しているように、宗教心の欠如は李朝による16世紀の仏教弾圧(34頁)と朱子学の国教化が原因であり、女性差別は李朝による蟄居制度の導入に負うところが大きい、と考えられます。人々の心の貧しさも、教育が科挙受験のために暗記に堕してしまっていたこと(489頁)に帰すことができるように思われます。
結局のところ、李氏朝鮮のどちらかと言えば悪いところは、多かれ少なかれ政治の搾取性に起因すると言って良いでしょう。(士農工商の「工」と「商」の未発達の原因は、そもそも政治の搾取性の例として紹介した文中に出てきます。)

 自国の安全保障上の必要に迫られ、このいわば、朝鮮半島における諸悪の根源とも言うべき政治の搾取性を、最初は助言と指導によって、そして最終的には仕方なく朝鮮半島を併合することで完全に治癒することを試み、それにある程度成功したのが隣国の日本でした。

 少なくとも日本による朝鮮半島の保護国化については、そして恐らくはそれが目的を達しなかった場合の朝鮮半島の併合についても、1910年の併合の12年前、そして1903年の保護国化(韓国統監府設置。http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/itouhirofumi.htm(7月7日アクセス))の5年前に出版されたバードの「朝鮮紀行」が積極的に是認していたところです。
 「朝鮮についていくらかでもご存じのすべての人々にとって、現在朝鮮が国として存続するには、大なり小なり保護状態におかれることが絶対的に必要であるのは明白であろう。日本の武力行使によってもたらされた名目上の独立も朝鮮には使いこなせぬ特典で、絶望的に腐敗しきった行政という重荷に朝鮮はあえぎつづけている。・・最も顕著な悪弊を改革する日本の・・助言者と指導者としての・・努力は、いくぶん乱暴に行われはしたものの、真摯であったことはまちがいない。」(ウォルター・C・ヒリアーによる序4頁)、「堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。」(344頁)、「日本は朝鮮人を通して朝鮮の国政を改革することに対し徹頭徹尾誠実であり、じつに多くの改革が制定されたり検討されたりしていた。また一方では悪弊や悪習がすでに排除されていた。」(350頁)、「日本は朝鮮式機構の複雑多岐にわたる悪弊と取り組み、是正しようとした。現在行われている改革の基本路線は日本が朝鮮にあたえたのである。日本人が朝鮮の政治形態を日本のそれに同化させることを念頭に置いていたのは当然であり、それはとがめられるべきことではない。」(474頁)、「経験が未熟で、往々にして荒っぽく、臨機応変の才に欠けたため買わなくともいい反感を買ってしまったとはいえ、日本には朝鮮を隷属させる意図はさらさらなく、朝鮮の保護者としての、自立の保証人としての役割を果たそうとしたのだと信じる。」(564??565頁)

(続く)

太田述正コラム#0402(2004.7.6) 
<韓流・韓国・在日(続)>

2 韓国

 第一の疑問に答えるべく、もう一度「朝鮮紀行」を繙いてみましょう。
 李氏朝鮮(末期)には、良いところが少なく、悪いところが多く、悪いところの中では政治の悪さが際だっている、とバードが考えていたことが分かります。

 (1)李氏朝鮮のどちらかと言えば良いところ
  ア 人々の情感の豊かさ
既にご紹介しました。
 イ 人々の知能の高さ
「知能面では、朝鮮人はスコットランドで「呑みこみが早い」といわれる天分に文字どおり恵まれている。その理解の早さと明敏さは外国人教師の進んで認めるところで、外国語をたちまち習得してしまい、清国人や日本人より流暢に、またずっと優秀なアクセントで話す。」(24頁)、
  ウ 人々の識字率の高さ
「諺文[ハングル]は軽蔑され、知識階級では書きことばとして使用しない。とはいえ、私の観察したところでは、漢江沿いに住む下層階級の男たちの大多数はこの国固有の文字が読める。」(111頁)、
エ 人々の親切さ
「国土に住んでいるのは身体壮健で親切な人々<だ>」(556頁)、
 オ 安全
 「ソウル・・ほど安全な環境をもつ都会はほかにない。私自身がそうしたように、女性が西洋人のエスコートをつけずに城壁の外をどちらの方向へ馬に乗って出かけても、なんら問題は起きないのである。」(58頁)、

 (2)李氏朝鮮のどちらかと言えば悪いところ
  ア 人々の心の貧しさ
 「朝鮮の教育はこれまで愛国者や思想家や高潔の士を輩出せずにきている。」(489頁)、「名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。」(344頁)、「朝鮮人の・・尊大な横柄さ、傲慢さ、慢心・・」(197頁)、「彼らには東洋の悪癖である猜疑心、狡猾さ、不誠実さがあり、男同士の信頼はない。」(24頁)、「朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり「人の親切につけこんでいる」その体質にある。」(556頁)、
 イ 人々の宗教心の欠如
 「朝鮮人の受け入れる宗教は、努力せずにお金を得る方法を教えてくれる宗教である。」(91??92頁)、「心からにせよ形だけにせよ、畏れ敬われる宗教的儀式や経典が存在せず、人々の心に宗教の入りこんでいる形跡がなんら見られないのは、朝鮮人の非常にめずらしい特徴である。」(502頁)、
 ウ 女性差別
「女は蟄居しており、きわめて劣った地位にある。」(24頁)「女性の蟄居は500年前、社会腐敗がひどかった時代に家族を保護するために現王朝が導入した。それがおそらく今日までずっとつづいてきたのは、・・男が自分の妻を信頼しないからではなく、都市社会と上流階級の風紀が想像を絶するほどに乱れ、男どうしが信頼し合えなかったからである。」(437頁)、
 エ 文化の不存在
 「美術工芸はなにもない。」(29頁)、「ソウルには・・見るべき催し物も劇場もない。・・旧跡も図書館も文献もなく、寺院もない・・」(85頁)、
オ 政治の搾取性
 「公正な官吏の規範は存在しない。・・朝鮮には階層が二つしかなかった。盗む側と・・人口の5分の4をゆうに占める・・盗まれる側である。・・「搾取」と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。」(344、558頁)、「朝鮮の官僚は大衆の生き血をすする吸血鬼である。」(392頁)、「気候はすばらしく、雨量は適度に多く、土壌は肥え、内乱と盗賊団は少ないとくれば、朝鮮人はかなり裕福でしあわせな国民であってもおかしくない。もしも「搾取」が、役所の雑卒による強制取り立てと官僚の悪弊が強力な手で阻止されたなら、そしてもしも地租が公正に課されて徴収され、法が不正の道具ではなく民衆を保護するものとなったら、朝鮮の農民はまちがいなく日本の農民に負けず劣らず勤勉でしあわせになれるはずなのである。・・旅行者は朝鮮人が怠惰であることに驚くが、・・朝鮮じゅうのだれもが貧しさは自分の最良の防衛手段であり、自分とその家族の衣食をまかなう以上のものを持てば、貪欲で腐敗した官僚に奪われてしまうことを知っているのである。」(432??433頁)、「搾取の手段には強制労働、法定税額の水増し、粗放の際の賄賂要求、強制貸し付けなどがある。黄金を貯めていると告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってくる。貸せばたいがい元金も利子も返済される、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり笞で打たれる。」(433頁)、「国民のエネルギーは眠ったままである。上流階級は愚かきわまりない社会的義務にしばられ、無為に人生を送っている。中流階級には出世の道が開かれていない。エネルギーをふり向けられる特殊技能職がまったくないのである。下層階級はオオカミから戸口を守るのに必要なだけの労働しかせず、それには十二分な理由がある。首都ソウルにおいてすら、最大の商業施設も商店というレベルには達していない。朝鮮ではなにもかもが低く貧しくお粗末なレベルなのである。階級による特権、貴族と官僚による搾取、司法の完全なる不在、労働と少しも比例しない収入の不安定さ。いまだ改革を知らない東洋諸国の政府が拠りどころとする最悪の因習を繰り返してきた政府、策略をめぐらすどろぼう官僚、王宮と小さな後宮に蟄居したせいで衰弱した君主、最も腐敗した帝国との緊密な同盟関係、関係諸外国間の嫉妬、国じゅうにはびこり人々を逃れさせる迷信、こういったものがこぞって力を存分に発揮し、朝鮮を・・うんざりするほど汚らしい状態にまで落ちぶれさせたのである。」(556頁)、

 (3)その他
  ア 反日
 「三世紀にもわたる[豊臣秀吉の朝鮮出兵以来の]憎悪を抱いている朝鮮人は日本人が大嫌い・・」(47??48頁)、
イ 親中国
「朝鮮人<は>清国人には好感をいだいている・・」(64頁)、「歳入は正規の歳出一切をゆうにまかなえ、その収入源は関税で、税関は清帝国海関から貸与された有能かつ真摯な税官吏のもとで運営されている。」(31頁)、

(続く)

太田述正コラム#0401(2004.7.5) 
<韓流・韓国・在日>

1 韓流

 話題の「冬のソナタ」(再々放送)、私も遅ればせながらこの前の土曜日の深夜、初めて見ました。
 せつない気持ちが体全体を浸すとともに気持ちが高ぶり、久しぶりにヘッドホンをつけて電子ピアノをかき鳴らしました。
 朝鮮半島の絶世の美男美女と類い希な叙情。
どこかで記憶があると思い、書庫を兼ねている私の事務所で本を探してみました。そうしたら出てきました。イザベラ・バード(Isabella L.Bird。1831??1904年)の「朝鮮紀行」(講談社学術文庫1998年。原著は1898年)です。

 美男美女:「朝鮮人は・・顔だちにはたいへんバラエティがあ<る>・・頬骨は高く、・・広くて知的なひたいがとても多い。耳は小ぶりで形がよい。一般に表情はにこやかで、当惑が若干混じる。顔だちからから察せられるのは・・明敏さである。朝鮮人はたしかに顔だちの美しい人種である。」(22、23頁)、「朝鮮人は・・清国人にも日本人にも似てはおらず、そのどちらよりもずっとみばがよくて、体格は日本人よりはるかに立派である。」(同書40頁)
 叙情:「大半の東洋音楽のモチーフと見られるもの悲しさが朝鮮の音楽では極端な哀愁となっている・・ラブソングは多く、そのなかには微妙な奥ゆかしさが漂っているものもあれば、・・ときおりユーモアがきらりと光るものもある。自然への言及は一般に自然の美しさに対する共感をこめたすばやい洞察を示し、・・

 柳の糸の暁(あかつき)に染み、冬の夜ぞ去りぬ
 鶯(うぐいす)羽つくろいて 枝をゆらし
 蝶の舞 音もなく 春の詩をきざむ
 童(わらべ)よ 汝が琴持ちてこ いまこそ歌わめ

・・のようにエリザベス朝風の詩に匹敵する繊細なタッチを持つものもある。」(217??218頁)

 いかがです?まさに「冬のソナタ」の世界でしょう。
 日本では今、この「冬のソナタ」を始めとする韓国のTVドラマや映画等がブームになっています。いわゆる韓流ブーム(注1)です。

 (注1)韓流(ハンリュウ)は元々は中国での造語で、中国における韓国大衆文化ブームのこと(http://www.ryukyushimpo.co.jp/kinkou/kin27/k040520.html。7月5日アクセス)であり、この言葉に「ブーム」をつけると、redundantになるが、一部の用例に従った。韓流ブームは中国に始まり、それが次に東南アジアに飛び火し、ついに昨年の「冬のソナタ」の放送で日本に上陸したhttp://www.banana21.com/blog/archives/0310192343.html。7月4日アクセス)。

 英ガーディアン紙(6月30日付電子版)(http://www.guardian.co.uk/korea/article/0,2763,1250302,00.html。7月1日アクセス)まで、韓流ブームを記事にしました。
 同紙によれば、日本による35年間の「野蛮な」朝鮮半島支配や戦後の日韓両国間の軋轢もあり、日韓両国は近くて遠い存在だったが、韓流ブームは両国が近くて近い関係になるきっかけになるかもしれない、というのです。そして同紙は、NHKのハングル講座(朝鮮語講座)のテキストの売り上げが毎年9万部くらいだったのが、このところ20万部にはねあがっている、と指摘しています。
 日本の新聞でも、韓流ブームについて取りあげるところが出てきています。
 上掲の琉球新報は最も早かったものの一つ(5月20日付電子版)ですが、7月に入って中央紙では朝日新聞が、JTBの専務に韓流ブームについて書かせています(7月3日付電子版)(http://www.be.asahi.com/20040703/W12/0126.html。7月4日アクセス)。
 この専務によれば、「日本人が韓国俳優を熱狂的に受け入れたことなど初めてだ。俳優たちも日本のファンを大切にした。精神的なのりしろが重なった。その点で、戦後の両国にとって歴史的な出来事だった。・・符合するように、韓国では音楽や映画などで日本文化の開放が進んでいる。私自身も一つ、強烈な実体験をした。今年2月。韓国のソウルと釜山で戦後初めて大相撲が開催された。以前なら韓国で日本の国技を公演するなどタブーだったろう。会場設営など運営全般を当社が担当させてもらった関係で私もソウルを訪れた。韓国人からは、スポーツ、文化としての相撲を知ることで、日本を知ろうという熱気が非常に強く感じられたのだ。」そうで、日本が韓流ブームなら、韓国は日流ブームだとのこと、まことにご同慶の至りです。

 ここで、二つの疑問が湧いてきます。
 第一の疑問は、韓流ブームに象徴されている韓国の文化の隆盛と、韓国の政治・経済・社会の危機ないし歪み(コラム#262??265、272??274、391??392、等)との関係はどうなっているのか、ということです。
 第二の疑問は、日本における韓流ブームや韓国における日流が、果たしてガーディアン紙の言うように、韓国人の反日感情や日本人の一部に根強く見られる反在日・反韓国感情を解消に向かわしめるきっかけになるのだろうか、ということです。

(続く)

太田述正コラム#0396(2004.6.30)
<二人の韓国人をめぐって(追補)>

 (本篇は、コラム#391及び392の追補であり、#392冒頭の「追補」部分を取り入れてあります。)

 金鮮一氏の事件の余波が続いています。

1 家族

 24日に実施された金氏の追悼会の席上、金氏の母親はノ・ムヒョン大統領が贈った弔花をばらばらに壊しました(http://j1.peopledaily.com.cn/2004/06/25/jp20040625_40692.html。6月26日アクセス)。この、韓国の朝鮮日報のホームページ(本来の意味)の見出しに一度も登場していないような「マイナー」な記事を、なぜ中国の人民日報が日本語電子版のホームページの国際欄に掲げたのでしょうか。そこには冷徹な計算がある、と考えられます。

2 市民

 韓国市民一般については、コラム#391ではとりあげませんでしたが、とんでもない世論調査結果(インターネットにより3,000名を調査)が24日に出ています。金氏の死に最も責任があるのは誰かという設問に対し、米国との回答が41.4%と一番多く、次いで韓国政府との回答が32.6%。テロリストに最も責任があるという回答は22.3%に過ぎませんでした。(http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/StoryFT/FullStory&c=StoryFT&cid=1087373287501&p=1012571727102。6月28日アクセス)
 金氏がビデオで累次行った、事実と論理を無視した呼びかけ(コラム#391)に、韓国の市民一般が自己同一化していることが分かります。
 韓国の市民はぜひ、これが、かの英ファイナンシャルタイムスの電子版の国際ページで報じられたことの重みとその意味するところに思いを致して欲しいものです。

3 政府

外交通商省のほか、韓国の監査院(Board of Audit and Inspection)での調査対象として、国家安全保障会議(National Security Council)、国家情報機構(National Information Service)、それに国防省が加えられました(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200406/200406250039.html。6月26日アクセス)。ここまで調査対象が広がってくると、大統領ないし大統領府自身の責任が問われるはずですが、そのあたりをノ・ムヒョン大統領はどう考えているのでしょうか。
なお、真っ先に調査の対象とされた外交通商省についてですが、6月3日にAP通信からの問い合わせの電話を受けた韓国の外交通商省の職員は、この話を上司に伝えていなかったことが判明しました(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200406/200406250056.html。6月26日アクセス)。これは外交通商省内でトカゲのシッポ切りが始まりつつあることを示しているのかもしれません。

ところで、韓国政府(情報通信省)は、金氏が首を切られて殺害される画面が流されているインターネットサイトに韓国市民がアクセスすることを禁じています。
すでにこの画面をダウンロードした市民12人が逮捕されています。
 問題はこれが嫌悪感をもたらす画面だから、という理由で実施されているとは到底思えないところにあります。
 そもそも、韓国人がいかにこの手のデリカシーに欠けているかにつき、しばしばこのコラムに登場しているデービッド・スコフィールドは、以下のような事例を挙げています。
まず、9,11同時多発テロの直後から、オサマ・ビンラディンが世界貿易センタービルに突っ込もうとしているジェット旅客機を操縦していて、読んでいるスポーツ紙の余りの面白さに、目標からそれてしまう、というスポーツ紙の電飾コマーシャルが、ソウルの数カ所で続けられました。
また、先月と今月、米国人がイラクとサウディでそれぞれ首を切られて殺害された事件がありました(コラム#394、395)が、前者については、その全画面が某TV大ネットワークでゴールデンアワーに韓国全域に放映されました。さすがにその後、韓国政府の勧告に従い、そのものズバリの部分は放映されなくなりましたが、インターネットでこれらの画面をダウンロードするのは野放し状態のままです。
振り返ってみれば、2002年に演習中の米軍の地雷除去車による少女二人の轢死事件が起こった(コラム#80)時、この二人のぺしゃんこに押しつぶされた凄惨な写真が、韓国全域の大学構内とインターネット上で展示されましたが、韓国政府は何の措置もとりませんでした(注)。

 (注)私は、1995年の防衛庁からの韓国出張時に、希望してソウルから随分離れたところにある独立記念館を見学させてもらったことがある。日本の韓国統治を糾弾するため、日本の官憲が韓国人を虐殺している場面等が蝋人形を使って延々と展示されており、覚悟していたものの、さすがに辟易したことがある。

 韓国政府は、世論の賛否が拮抗しているイラクへの追加派兵問題に、金氏の殺害場面が出回ることが悪影響を及ぼすことを懼れているために今回のような前例のない措置をとった、というのがスコフィールドの解釈です。
(以上、http://www.atimes.com/atimes/Korea/FF30Dg03.html(6月30日アクセス)による。)

4 終わりに

 私が、金氏のことを何度もとり上げたことに対して、死者を鞭打つもの、というご批判もあろうかと思います。
 しかし私は、金氏の死を無駄にしないためにもとり上げるべきだと考えました。
 死は平等にすべての人に訪れます。
 金氏が、そう達観して、平静に(或いは平静を装って)殺害されることなく、あらぬことを口走り、命乞いをしつつ殺害されたことによって、現在の韓国の闇があぶり出されてきたことに、我々は感謝すべきなのかもしれませんね。

太田述正コラム#0392(2004.6.26)
<二人の韓国人をめぐって(その2)>

2 ロバート・金

 ロバート・金は、韓国生まれで1974年に米国の市民権をとった男です。
 ロバートは、米海軍情報局(Office of Naval Intelligence)に勤務していましたが、北朝鮮や中国の海軍艦艇の作戦情報を無償で在米韓国大使館海軍武官に流していた(注1)ことが露見し、1997年に逮捕、起訴されました。

 (注1)ロバートは、自分が「長老(elder)」を務めていたプレスビテリアン(Presbyterian)の教会(日本では長老教会という)で駐在武官に情報を渡していた。ロバートに判決を下した判事は、教会で犯罪が行われたことを強く非難している。

 ロバートは20万ドルもの借金を抱えていた上、定年が間近かったことから、米海軍の衛星を使った指揮通信システムを(不法に)リバース・エンジニアリングして韓国で売ってカネを稼ぐ計画を立て、そのために必要な輸出許可とライセンスも取得した上で、この計画を実行する際、韓国海軍に便宜を図ってもらう等の目的で、上記犯行に及んだと考えられています。
 ところが、逮捕後ロバートはこの犯行は自分の生国であり両親がいる韓国への愛国心から行ったものだと主張し、これを真に受けた韓国のプレスがそのまま韓国で報道した結果、ロバートは韓国の市民と韓国系米国人の間で英雄に祭り上げられてしまいました。
 米国政府は、1994年の北朝鮮との合意枠組み(Agreed Framework)を北朝鮮に履行させるためには米韓両国の緊密さをアッピールする必要があると考えた模様であり、ロバートと司法取引を行った結果、裁判所では懲役9年という軽い刑が言い渡され、しかも7年ちょっとでロバートは出所しました(注2)。

 (注2)ロバートのケースと瓜二つといってもいいのだが、海軍情報局で勤務していた米国人ジョナサン・ポラード(Jonathan Pollard)は、イスラエルへの同情から、在米イスラエル大使館に中東諸国の大量破壊兵器等に関する機密情報を無償で流していたことが1985年に露見し、逮捕、起訴され、(出所(parole)抜きの)終身刑を言い渡されて現在も服役している。イスラエル政府は1995年にポラードにイスラエル市民権を与え、歴代のイスラエル政府は米国政府にポラードの解放を求め続けてきている。(http://www.jonathanpollard.org/facts.htm、及びhttp://www.jonathanpollard.org/2004/060804.htm。6月26日アクセス)
     ここから、米国政府がユダヤ人によって牛耳られているなどということは神話であること、米国政府はこと安全保障に関しては恐ろしいほどの自由裁量権を有すること、更にはいずれにせよ、スパイ行為は(日本と違って)大変な犯罪であること、が分かる。

 現在韓国の与党ウリ党は、ロバートを韓国に「帰還」させる運動を行っています。(ロバートの弟の一人は現在ウリ党の国会議員。)また、韓国のロバートを支援する会は、ロバートに400万ドルの「補償金」を贈呈すべく、募金活動を行っています。

 しかしこのようなロバートと韓国は、韓国系米国人以外の米国の世論の憤激をかっています(http://marmot.blogs.com/korea/2004/01/robert_kim_your.html。6月26日アクセス)。

(以上、特に断っていない限り、http://www.atimes.com/atimes/Korea/FF12Dg04.html(6月12日アクセス)、及びhttp://www.jonathanpollard.org/1997/071297.htmhttp://www.jonathanpollard.org/1996/100696.htm(6月26日アクセス)による。)

3 感想

私は以前、韓国人の「エリート」について、ア 頑固なまでに自国中心のナショナリストであって、イ あまり他国の立場に立って物事を考えないし、いわんや、ウ 世界のことなど基本的に眼中にない、と評したことがあります(コラム#262)。
 今回は、韓国の二人の「庶民」に関わるエピソードをご紹介しました。
この二人の「庶民」は、どちらも自分の国(金氏にあっては韓国、ロバートにあっては米国と韓国)や宗教(二人ともクリスチャン)を自分のエゴを充足する手段としてしか考えていないように見受けられます。しかも、どちらも事実や論理を無視したストーリーを臆面もなく語ることに良心の仮借を覚えないようです。金氏のエピソードの方に登場する他の「庶民」のお歴々も似たような感じですね。しかも金氏やロバートを批判する韓国人が殆どいないところを見ると、どうやらこれはこの二人のエピソードに登場する人々だけの特異な例、ということではなさそうです。
 以上から、「エリート」と「庶民」とを問わず、韓国の人々の多くは自己中心的であって事実や論理を尊重しない、つまりは、厳しい言い方をすれば、倫理感覚に問題がある、ということが言えるのではないでしょうか。
 これは、日本による韓国統治が韓国人の倫理感覚を破壊してしまったのか、或いは(統治期間が38年間と比較的短かったため)十分日本人の倫理感覚を植え付けることができなかったのか、或いは日本からの独立以降に問題があったのか、興味があるところです。
 ここまでくると、今度は現在の日本人の倫理感覚には問題はないのか、戦前までの倫理感覚とどこが違うのか、現在の日本人の倫理感覚が仮にグローバルスタンダードに照らして依然水準を抜いているとすれば、その原因はどこにあるのか、つまり、欧米的な宗教なくして、しかも戦後においては学校における道徳教育も撤廃されて、なお日本人に倫理感覚が備わっているとすればそれはなぜなのか、といったことを考えさせられてしまいます。こちらの方の話は、いずれまた。

(完)

太田述正コラム#0391(2004.6.25)
<二人の韓国人をめぐって(その1)>

 二人の韓国人の生き様を通じて韓国の現状について考えてみたいと思います。
 一人は英雄譚の主人公、もう一人は悲劇の主人公です。皆さんの記憶に新しい後者から話を始めましょう。

1 金鮮一

 拉致されていた金鮮一(Kim Sun-il)氏は、イラク時間で6月22日頃(まだ確定していない)、イラクで首を切断されて殺害されました。(その一部始終を撮影したビデオテープ(テープc)があり、殺害部分を除いて同日アルジャジーラで訪映された。殺害部分を含め、インターネット上に流出している。)
 日本のネチズンの世界では、楽天系では哀悼の声が多く、2チャンネル系では、日本人で拉致された二組計5名に対してと同様、厳しい声が多いようですが、あらゆる意味で極めて後味の悪い事件でした。
 (以下、朝鮮日報(電子版)の英語版と日本語版以外によった場合にのみ典拠を記す。ただし、すべて6月25日アクセス。)

 第一に、金氏の雇用主についてです。
金氏が拉致されていることが分かったのは、6月21日にアルジャジーラが、犯人達が送りつけてきたビデオテープ(テープb)を放映したからですが、既に、恐らく金氏が拉致された日である5月31日(これもまだ確定していない)から3週間もたっていました。金氏の雇用主たる、イラク駐留米軍への食材提供を業務としている商社の社長(在イラク韓国人)が、金氏の拉致を在イラク韓国大使館等に知らせなかったことが原因です。これは、会社がイラク内で営業を続けられなくなることを懼れ、内々に拉致問題を処理しようとしたためだろうと囁かれています。この間、営利目的の拉致犯がこの社長の対応ぶりに業を煮やし、過激派に金氏を引き渡したのではないか、とも言われています。
 第二に、韓国政府についてです。
AP通信が、6月初めに金氏の尋問場面の入ったビデオテープ(テープa。韓国時間の6月24日米国で放映)を入手した後、6月3日にソウル支局を通じ、韓国の外交通商省に「金鮮一という名前の韓国人がイラクで失踪したか」について問い合わせたが、外交通商省の関係者は、「いかなる韓国人も失踪したり逮捕されたことを知らない」と答えただけで、何もせずに事態を放置しました。
 また、拉致が明るみに出てから外交通商省は、民間警備会社に対処を依頼したとも言われています。営利目的の拉致であればともかく、これでは政府としての責任の放棄であるとの誹りを受けても致し方ないでしょう。
 韓国のノ・ムヒョン大統領は異例にも、本件の主務官庁である外交通商省の対応が適切だったかどうか調査するよう、監査院(なんて役所があるのですね)に要請しました。
 第三に、金氏自身についてです。
 金氏(1970??2004年)が、アラブ圏での宣教師になりたいと考え、苦学して4つの大学と1つの大学院でアラビア語、英語、神学、宣教学などを勉強してきた人物であり、また前述のように、イラクで、米軍に物資を供給する会社に勤務していたことを頭に入れて、以下を読んでください。
 テープaでは、犯人は映っておらず、また犯人側から韓国政府等に対し何の要求も出されていませんが、犯人の質問に対し金氏は英語で、イラクにはアラビア語をもっと勉強するために来た、イラク人は好きだしとても親切だ、バグダッドでイラク人の物乞い達に一度カネを与えたことがある、と述べた上で、自分は米軍に物資を供給する仕事をしているが、ブッシュ大統領はテロリストであり、米国はイラク戦争を石油のために引きおこしたのであり、ファルージャの米軍基地に行った時に銃をつきつけられて壁に押しつけられ体中を点検された、だから米国は嫌いだと述べています。
 テープbでは、犯人側から、韓国政府に対し、24時間以内にイラク駐留韓国軍を撤退させるとともに追加派兵決定を取り消せ、さもなければ金氏を首を切断して殺害する、という声明がアラビア語で行われた後、金氏より、英語で悲痛な呼びかけがなされています。(テープcでの呼びかけと同趣旨なので略す。)(http://www.cnn.com/2004/WORLD/meast/06/20/iraq.hostage/
そして最後のテープcでは、金氏より英語(ママ)で、To President Roh Moo-hyun. I want to live. I want to go to Korea. Please, don't send to Iraq Korean soldiers. Please, this is your mistake. This is your mistake. Many Korean people don't like their to send to Iraq. All Korean soldier must be out of Iraq. Please, please this is your mistake. Why do you send why did you send Korean soldiers to Iraq? To my all people all Korean people please help me. Please, President Bush, please President Roh Moo-hyun. Please I want to live, I want to go to Korea. と呼びかけがあり、犯人側から韓国政府が要求に応じなかったので金氏を殺害するとの声明がアラビア語で行われ、その直後に金氏は殺害されています。
 第四に、金氏の家族についてです。
 ノ・ムヒョン大統領から、金氏の死亡が明らかになった後に弔意を示す花輪が金家の殯所に届けられたのですが、金氏の妹は、つけられていた大統領の名札をはがして捨てました。
第五に、犯人についてです。
金氏を殺害後犯人達は、自動車の中から金氏の首と身体とを投げ出して逃げて行ったようですが、身体にはおとり爆弾(boobytrap)が仕掛けられていました。これはイラクでのこれまでの外国人拉致事件では前例のないことであり、死者への冒涜行為です。(http://english.donga.com/srv/service.php3?bicode=060000&biid=2004062485178
 第六に、米国の某サイトについてです。
 このサイトでは、金氏の斬首場面を映画に見立て、嘲弄的な「チョップスイ(Chop Suey=中華丼)」という題名を付け、コピーを、金氏の名前の一部と同じ発音の「ILL」という単語を使って「最新テロリストビデオで、金鮮一壊れる(Kim Sun Il gets ILL in this latest terrorist video)」とつけ、「主演:悲鳴の女王 金鮮一(stars scream-queen Kim Sun-Il)」と続けた上で、金氏を「犬を食べる韓国人(a dog-eating Korean)」と形容しました。

(続く)

太田述正コラム#0274(2004.2.29)
<危機の韓国(その7)>

4 諸悪の根源=対中事大主義

 (1)中国に叩頭する韓国
以前、中国が高句麗史を全面的に中国史の中に取り込もうとしている話をご紹介したことがあります(コラム#141、142)が、北朝鮮は何の反応も示さず、韓国も完全に腰が引けた対応をしています。
この話を世界で初めて報道した昨年8月14日付の産経新聞の記事の中で、執筆者の黒田勝弘記者は、「韓国の学界は・・強く反発している。・・・韓国側は警戒を強めている」と書いて韓国側に奮起を促したにもかかわらず、当初韓国内では何の動きもありませんでした。
それから4ヶ月も経過した昨年12月7日にもなって、韓国では朝鮮日報が初めてこの話を報じ、「<我が国の>政府は、この中国による歴史の簒奪について、ほとんど気付いていないかのように眺めている」(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200312/200312050018.html(2003年12月7日アクセス)と嘆いて見せました。
さすがにほぼ同じ時期の12月9日、韓国の古代史学会や考古学会等の17の学会は合同声明を出し、「日本の教科書に見られるような、この種の覇権主義的な歴史観は中国と周辺諸国との関係に悪影響を及ぼすだけだ」とした上で、韓国政府に対し中国に抗議するよう求めましたhttp://english.chosun.com/w21data/html/news/200312/200312090010.html。12月10日アクセス)。自分の国の歴史が丸ごと盗まれようとしている深刻な事態だというのに、こんな時にまで日本のことを引き合いに出したり、あえて「韓国」或いは「韓国及び北朝鮮」と言わずに「周辺諸国」という婉曲的表現を用いたり、という対中配慮ぶりにはため息が出ました。
その後今年に入ってから、朝日新聞もこの話を報道しました(http://www.asahi.com/culture/update/0111/007.html。1月11日アクセス)が、いまだに韓国政府が中国に抗議した様子はありません。

確かに現在の中韓関係の密接さを考えると、韓国の人々が中国に及び腰になるのも分からないでもありません。
例えば、現在3万人の韓国人留学生が中国で学んでいますが、この数は各国中のダントツのトップです。また、昨年の韓国の対中輸出額は前年に比べて50%も増え、昨年の韓国の対中投資額は25億ドルと対米投資額の三倍に達し、韓国の対外投資総額の実に半分を占めるに至っています(http://www.nytimes.com/2004/02/26/international/asia/26KORE.html。2月26日アクセス)。
韓国の中国志向ぶりのすさまじさは、中国フィーバー真っ最中の日本の比ではないのです。
 しかし、それにしても、歴史問題等に関し、韓国の中国に対する態度と日本に対する態度とでは違いがありすぎるとお思いになりませんか。また、そもそも昨今の、韓国の中国への入れ込み方はいささか常軌を逸しているのではありますまいか。

 (2)米英の憂慮
日本のプレスは口を拭っていますが、米英のプレスからさえ、韓国のこのような態度を憂慮する声が出てきています。
2002年5月30日付けのインターナショナル・ヘラルド・トリビューンの論説は、「韓国はダブルスタンダードだ。韓国人は日本がどんなに良いことをしても悪いと言い、中国がどんな悪いことをしても良いと言う」と韓国を批判しました。
また、2002年2月19日付のファイナンシャルタイムズ掲載の論考は、中韓貿易が米韓貿易を凌駕しようとしている今、韓国の中国一辺倒ぶりは、(日本のみならず)米国の東アジアでの利益をも損なうと警告しました。
(以上、http://www.atimes.com/atimes/China/FA06Ad01.html(1月6日アクセス)から孫引き。)
 それから二年。「韓国の親中親北朝鮮的態度にはほとほと愛想が尽き果てた。ただちに在韓米軍は撤退すべきだ」、と言い切るのが、キム・ヨンソプとともに既に何度も登場した在韓の米国人教授のディビッド・スコフィールドです。(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FB28Dg06.html。2月27日アクセス)
 
(続く)

太田述正コラム#0273(2004.2.28)
<危機の韓国(その6)>

3 危機の韓国

 (1)棄国ブームの韓国
 2003年4月に実施された調査によれば、梨花女子大の学生の4割は朝鮮半島で戦争が起こったら国外に逃げると答え、延世大学の学生の9割は、(海外逃亡という方法によるものもであれ何であれ)何とか軍役を免れたいと思っていると答え、ソウル市民を仰天させました。北朝鮮の核問題が再び取りざたされ始めたという背景があったとはいえ、若者達にはもはや愛国心などないのかというわけです(http://www.csmonitor.com/2003/0508/p06s01-woap.html。2003年5月8日アクセス)。
 韓国の技術系のバックグラウンドを持っている人々の頭脳流出傾向もどんどん加速しています。スイスの国際的ビジネススクールのIMDによれば、韓国の技術的頭脳引止め度は、10年ちょっと前は37か国中6位だったのに、2002年には50か国中40位にまで低下してしまいました(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200401/200401270026.html。1月28日アクセス)。
そして、昨年は海外移住熱ブームに火がつきました。8月には「移民請負商品」が2800万ウォンで売りに出されて何千人もの人々が「購入」するという騒ぎになりましたし、9月にソウルで開かれた「海外移住―移民博覧会」には前年の2倍を超える1万8000人もの人々が訪れました。韓国から海外に留学する人々の数も急増しています(http://www.onekoreanews.net/20030917/syakai20030917002.htm(在日の電子版新聞)。2003年9月17日アクセス)。
どうしてこんなことになったかについては、北朝鮮の核問題のほか、「不景気と就職難、破格な子女教育費、社会の分裂・葛藤、不安定な政治など、未来に対する不確実性があまりにも多い韓国の現実に嫌気が差し」(統一日報前掲)ている韓国人が増えているためだとされています。
もっとも、これだけ韓国で棄国願望が高まっている一方で、実際の海外移住者数は伸び悩んでいます。先進国は韓国からの移住者急増を警戒して、移住枠を絞り始めているからです(統一日報前掲)。
脱出したいのにできない人々で溢れている国、それが現在の韓国なのです。(何だか「兄弟国」の北朝鮮とそっくりですね。)

(2)危機的な韓国社会
 最近の韓国社会は音を立てて自壊しつつある、と言っても過言ではありません。
 私が気がついたその兆表をいくつかご紹介しましょう。
韓国の離婚率は1990年には11,4%だったのに、10年ちょっとしかたっていない2002年にはこれが実に47.4%に上昇しました。既に米国の51%やスウェーデンの48%と並び、二組に一組の夫婦が離婚するという、世界有数の高さであり(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200312/200312290007.html。2003年12月29日アクセス)、しかも離婚率は更に上昇すると見込まれています。 また、経済的理由による離婚は1992年には1.9%に過ぎなかったのに、2003年にはこれが13.7%へと7倍にも急増しています(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200312/200312210020.html。2004年2月29日アクセス)。利害関係だけで結びついている索漠とした夫婦関係が見て取れます。
日本が統治下の朝鮮半島に移植しようとした近代的家族制度(コラム#265)は、定着したかどうか定かでないうちに早くも崩壊しつつあるようです。

国際新聞研究所(International Press Institute=IPI。世界45カ国の57の報道・人権団体によって設立)は2002年、2003年と韓国の報道の自由の状況に対して強い懸念を表明しました。キム・ヨンサム政権下の1995年にはIPIが韓国は報道の自由が保証されている国だと認定し、総会をソウルで開いたというのに、金大中政権の半ばから再びおかしくなり始め、その状況はノ・ムヒョン政権になってから、大統領自ら「保守系」新聞の報道姿勢を非難するなど、悪化の一途を辿っています(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200304/200304280029.html。2003年4月28日アクセス)。
最近の韓国では市民による騒擾事件(市民対官憲、市民対市民)が頻発しています。使われる「武器」はエスカレートするばかりであり、投石機器、火炎瓶、ガスボンベ、先を尖らせた鉄棒が日常的に用いられているほか、最近では劇薬入りガラス瓶や鋲打ち銃が用いられるに至っています。騒擾の主は労働組合、追放反対を叫ぶ外国人不法就労者、自由貿易協定締結に反対する農民、或いは在韓米軍撤退や韓国軍のイラク派遣反対を叫ぶデモ隊であったり様々です。
その結果、騒擾事件に対処する警察官の負傷者数は一昨年には287名でしたが、昨年は11月までだけで680名に達しました。
韓国のあらゆる不満分子に空手形を乱発して期待を膨らませるだけ膨らませたノ・ムヒョン氏が大統領になってから、事態は一層深刻化しました。ストやデモに参加した労働者数は一年で50%も増え、ロンドンの世界市場調査センターは昨年12月、韓国のカントリーリスクを前年の2.25から2.5に引き上げました(最低が1、最もリスクが高い国は5)。
海外から韓国への直接投資が1999年には106億ドルだったのに、2003年は12億ドル(見込み)へと10分の1に激減したのは当然です。
この間に、韓国では、行政・立法・司法の三権とも汚職まみれとなり、市民の順法精神も地に墜ちてしまいました。
(以上、http://www.atimes.com/atimes/Korea/EL04Dg01.html(2003年12月4日アクセス)による)。
 
(続く)

太田述正コラム#0272(2004.2.27)
<危機の韓国(その5)>

 (4)  歴史の歪曲
  ・・・(コラム#265参照)

オ 歴史の歪曲と現在の韓国知識人
 勇気付けられるのは、現在の韓国知識人の中に、日韓関係史に対して新しい見方をする人が登場しつつあることです。日本の朝鮮半島併合が朝鮮半島における近代化、資本主義化の契機になったとする学者たちです。(キム・ワンソプ前掲書93??96頁)
しかし彼らの多くはかつての反体制派知識人であり、マルクス・レーニン主義の強い影響下にあり、依然としておしなべて日本が朝鮮半島を一方的に侵略したという視点に立っています。
彼らの中の異端児が、既に何度もこのコラムに登場したキム・ワンソプです。
彼は、日本の朝鮮半島併合は朝鮮人側も欲したことであり、双方にとって最善の方策だったと指摘したのです(同第2部)。これは画期的なことであり、その勇気は賞賛に値します。
とはいえ、彼の言っていることに全面的に首肯するわけにもいきません。
そもそも彼は、歴史学者ではありませんし、日本語もできないこともあってか、日本の理解が不十分であり、日本を過度に理想視しています(注5)。

(注5)  もとより、日本語ができないことは、マイナス面ばかりではない。戦後の日本人が書いた戦前の日韓関係史の著作には韓国流の歪曲史観に立脚したものの方が多いからだ。例えば、方野次雄「李朝滅亡」(新潮文庫1997年)。方野氏は、韓国から「著述活動を通して日韓友好に寄与した功績により」感謝状を授与されている(同書表紙裏)。

例えば、彼は神道に対し、一面的な知識に基づき、日本人の私がむずがゆくなるような高い評価を下しています(注6)。

(注6)「人間が教育を受け自然を理解し、理性的になるほどに宗教は立場をなくすものであるが、日本の神道にはそうした宗教の一般的な特性がみられない。大義のためにわが身を犠牲にし、社会に寄与した偉人を神と崇めること、これは理想的な宗教といえる。」(キム・ワンソプ前掲書258頁)

こんな具合に日本を理想視していることから、キム・ワンソプは、歪曲史観を攻撃する際に、ついつい勇み足を犯してしまいます。
「植民統治の全期間にわたり朝鮮半島と日本列島は、経済のみならず政治および文化でもひとつの単位にくくられた。」(102頁)、「<日本人は>「朝鮮半島は・・日本だ」と考えた」(103頁)、「1945年<後の>より賢明な選択は、私たち自身が日本の一部だと主張して独立を拒否することだった。」(113頁)といったくだり等がそうです。
彼は日本人を買いかぶりすぎています。「戦前」の日本人は、自分たちを絶対視するほど夜郎自大では決してありませんでした。
それが証拠に、日本政府は朝鮮半島を併合すべきか否か最後の瞬間まで逡巡しました(注7)し、併合してからも、朝鮮人を日本人と平等に扱うように努めはしつつも、日本に同化させようなどとは考えませんでした(注8)。

(注7)1909年、韓国の統監職を退き、枢密院議長になったばかりの伊藤博文は、ハルビンで暗殺される直前にソウルに立ち寄り、ある朝鮮人の有力者に韓国の総理大臣への就任を促した。その時、相手から就任の条件として(1907年に締結された)第三次日韓協約の撤回(すなわち韓国の保護国的状況の解消)を要求され、帰京したらその方向で努力すると答えつつも、本当に朝鮮側が単独で対外関係を適切に処理できるのかと懸念を表明したという。(山本七平前掲書86??90頁)
(注8)日本人と平等扱い:陸軍内では昇任等に関して朝鮮人将校に対する差別がなかった(同36頁)。
日本に同化させようとせず:かつて私がハインリッヒ・シュネーの記述を踏まえ、朝鮮総督府がいかに朝鮮の文物を尊重していたかを紹介したくだりを思い出してほしい(コラム#218)。総督府は朝鮮語教育にも力を入れた(http://photo.jijisama.org/hg.html。2月23日アクセス)。また、朝鮮人の陸軍将校が抗日運動の指導者に自分の拳銃を送っても不問に付されたり(47頁)、洪中将のソウルの自宅に同居していた長男が朝鮮人逃亡兵たる友人をかくまった時も洪中将らにお咎めはなかった(32??33頁)ことから、陸軍当局すら朝鮮人が抗日志向を持つことに対して「理解」があったことが分かる。

しかし、とにもかくにも韓国にキム・ヨンソプのような知識人が一人でも出現したことには大変心強い思いがします。

(続く)

太田述正コラム#0265(2004.2.20)
<危機の韓国(その4)>

 (4) 歴史の歪曲
 ア 朝鮮人への搾取はなかった
韓国では、「日帝時代の朝鮮半島では朝鮮人への搾取が横行した」ということになっています。
しかし、史実はその正反対です。

日本は、1910年に韓国を併合すると土地調査事業に着手して近代的な土地所有権制度を確立するとともに、近代的な法体系を整備し、保険衛生施設や学校等の民生インフラ、及び灌漑施設や鉄道等の産業インフラを鋭意整備しました。
そして近代的な統治機構を整備し、1937年の段階ではその職員の40%は朝鮮人が占めるに至りましたが、希望者が殺到し、例えば警官の求職倍率は20倍にも達しました。
(以上、前掲スコフィールド論考3による。)
また、朝鮮人で6年以上の教育を受けた人の割合は、併合当時は2.5%に過ぎませんでしたが、1930年代に生まれた人々では78%にも達しました(キム前掲書102頁)。
これらの施策を実施するために日本政府が朝鮮半島に投入した補助金は、多い年には日本の国家予算の20%に達し、35年間の日本の対朝鮮半島財政収支の累計はついに黒字にはなりませんでした(キム前掲書103、234頁)。
その結果、併合当時約1300万だった半島人口は終戦時には約2900万(朝鮮半島2500万、日本内地200万、満洲・華北200万)と35年で二倍以上に増えました。これは衛生状態の改善による出生率の向上と死亡率の低下、及び農業生産性の向上のたまものです。(一町歩当たりの米の収穫量をみると、併合当時は7.69石であったものが、1933年には10.72石へと約四割増えている。)(http://www3.ocn.ne.jp/~nskc/top/kyouseirenkou1.htm。2月19日アクセス)
ちなみに、カーター・J・エッカート米ハーバード大学教授は、著書の「日本帝国の申し子」(草思社2004年)の中で、「日本統治下では初の朝鮮資本による大企業<である、>1919年に設立された京城紡織(京紡)・・の成功が、朝鮮総督府が設立した朝鮮殖産銀行からの一貫した融資に起因することなど、朝鮮人企業が日本統治の枠組みの中で発展した事実を検証<し>、日本統治下でも一定部分の資本は朝鮮人が所有していたこと・・、当時の商人や地主から現在の韓国を代表する財閥の創業者が出たことを指摘<した上で、>韓国の産業発展のルーツ<は>、日本による朝鮮半島統治時代に見いだ<される>」と指摘(http://www.sankei.co.jp/news/040213/boo013.htm。2月13日アクセス)より孫引き)しています。

イ 日本名への改名の強制はなかった
いわゆる創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、日本名を強制した」というのも、根拠のない俗説です。
山本七平の「洪思翊中将の処刑」(文藝春秋1986年)の主人公のように、陸軍中将まで登りつめ、戦後フィリピンで戦犯として処刑された朝鮮人が、日本名に改名などしていなかった、という一例だけでもこのことは明らかです。
辻本武氏は、「古来の朝鮮の家族制度は、・・男系・・の血統を重視するもので、この血縁集団を「宗族」と呼びます。女性は結婚して嫁に来ても、夫の宗族のために子供を産み、家事をする<存在に過ぎず、>夫とともに「家庭」を築くことはありません。・・男系重視の宗族ですから、女性は男子を産んで初めて母親として宗族内での存在が認められるのであり、それまでは奴隷と言っても言い過ぎではないほどで<あり、>男子を産まない妻は、夫が妾をつくるのを容認するか、離婚されるのが普通でした。つまり朝鮮の伝統的家族制度というのは、宗族=男系血縁共同体が強固に維持されて、夫婦と親子で家庭=家族共同体をつくるものではない、というものです。・・朝鮮の「姓」というのは前者の宗族を表わす名前のことで、後者の家庭を表わす名前(ファミリ―ネーム)は存在しない<わけ>です・・。
朝鮮総督府が発した<いわゆる>創氏改名令(注4)は、<「姓」はそのままにして、>家庭の名前を「氏」として新たに創れ、という趣旨のもので、これは夫婦・親子を単位とする家庭を重視<するとともに>、宗族の役割を薄めようと<したものです>」((http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daijuunidai。2月19日アクセス)と言っておられます。

(注4) 1939年に朝鮮民事令が改正され、1940年に施行された。(同じ改正で、赤の他人を養子にすることができる制度も導入された。)なお、「姓」は否定されたわけではなく、(日本の戸籍にはない)本貫欄に記されることになった。ちなみに、金川のように「姓」を基にし、朝鮮人であることが分かる「氏」を届け出た者もおれば、日本人と全く同じ「氏」を届け出た者もいた。氏を届け出なかった約20%の人については、戸主の先祖伝来の男系の姓である金とか李とかの「姓」がそのまま強制的に「氏」とされた。

  ウ その他
いわゆる「朝鮮人強制連行・強制労働」はありませんでした(http://www3.ocn.ne.jp/~nskc/top/kyouseirenkou1.htm。2月19日アクセス)し、いわゆる「慰安婦問題」についても、日本の官憲が強制連行して朝鮮人を慰安婦にしたという事実はありません(http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html及びhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.html(いずれも2月19日アクセス))。

 エ 日本政府や一部日本人にも責任
ア??ウについて、日本政府や日本の学者は殆ど反論らしい反論をしてきませんでした。
それどころか、日本政府や日本人が韓国がらみの歴史の歪曲を助長したことが何度もあります。
例えば、慰安婦問題についての日本政府の公式見解は、宮沢内閣の時の1993年の河野官房長官談話の「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」であり、日本官憲による慰安婦強制連行があったことを認めています。
しかし、当時の盧泰愚韓国大統領が、「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました」と語っているように、心ない日本人が火のないところに煙を立て、収拾がつかなくなり、日韓両政府とも事実に反することが分かっていながら、韓国政府の懇請を受けて日本政府がウソを言うはめになったというのが真相です。
(以上、上掲http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog107.htmlによる。)

また、朝鮮人強制連行・強制労働に関しても、質問主意書に対する答弁書(2002年)で、「政府としては、いわゆる朝鮮人徴用者等の問題を含め、当時多数の方々が不幸な状況に陥ったことは否定できないと考えており、戦争という異常な状況下とはいえ、多くの方々に耐え難い苦しみと悲しみを与えたことは極めて遺憾なことであったと考える。」(http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b155019.htm。2月19日アクセス)という答え方をしており、強制連行・強制労働の事実を明確に否定はしていません。

(続く)

 (今回のような話は、読者の中に私より詳しい方が沢山おられると思います。ご意見、ご叱正等をいただければ幸いです。)

太田述正コラム#0264(2004.2.19)
<危機の韓国(その3)>

 (前回のコラム#263の、舌足らずであった一段落を拡充し、ホームページに再掲載してあります。)

(3)反日
 ア 反日感情のルーツ?
1948年の米軍政からの独立(注1)以来、歴代韓国政府は、一貫して韓国市民の反日感情を煽ってきたこともあって、(かつての北朝鮮や最近の米国という「ライバル」を除けば、)韓国市民にとって日本は一番嫌いな外国であり続けました。

(注1)蛇足ながら、対日平和条約発効(1952年)以前に、連合国(実態はそれぞれ米国とソ連)が韓国と北朝鮮の独立を認めたのは国際法違反(コラム#260参照)。

 どうしてそんなことになったのでしょうか。
英国は、インド亜大陸の地場産業を破壊し、原住民の大部分に基礎教育を施すことを怠り、彼らの大部分を凄まじい貧困のうちに放置したというのに、インドやパキスタンでは反英感情が殆どみられない(注2)ことを考えると、韓国の異常さが際立ちます。

(注2)1988年の秋、留学先の英国のCollegeから研修団の一員としてインドとパキスタンを合わせて一ヶ月の長期にわたって訪問した。その時、両国がどれほど旧宗主国の英国に敬意を抱いているかを身にしみて感じた。例えば、当時街全体がスラムのような趣のあったカルカッタでは、ビクトリア女王のインド皇帝就任を記念して建てられたVictoria Memorial館が、その名称のまま、ひときわ丹精を込めて維持されていた。とはいえ、さすがに、同館内の展示の半分はインド独立運動の英雄達についてものだった。そして、先の大戦中、インド解放を目指して日本と提携し、インパール作戦にインド国民軍を率いて参加したチャンドラ・ボースの展示スペースが、(地元出身ということもあってか、)ガンジーやネールよりもはるかに広かったことに、大いに感銘を受けたことを記憶している。

そうなった理由を適宜挙げてみましょう。
第一に、韓国の歴代政権が韓国市民統治の方便としてナショナリズムの高揚を図り、憎しみの対象に日本が仕立て上げられ、「活用」されたことです。
第二に、このやり方は、米国が南朝鮮を占領していた時のやり方・・同じことを北朝鮮でソ連がやりました・・を踏襲した、という見方もできます。韓国のジャーナリスト、キム・ワンソプが、著書の「親日派のための弁明」(草思社2002年)(注3)2頁でそう示唆しています。

 (注3)キム・ワンソプのこの本は、韓国における反日感情について、誤った歴史認識に基づく根拠のないものであって有害無益である、と根底的な批判を加えたために、韓国で青少年有害図書に指定された。しかし、その著者にして、歴史分析の方法論としてマルクス・レーニン主義を援用し、また韓国の歴代軍事政権に対して厳しすぎる評価をしている(翻訳者による解説。296頁)ことは、彼が実のところ、最近の韓国の知識人中の変り種に他ならないことを示している。

 第三に、先の大戦の頃までには朝鮮半島の人々が当時の大日本帝国(ナショナリズムを超えた存在)に、日本人以上に過剰同化しており、日本からの分離後、韓国の人々はアイデンティティークライシスに陥り、ここから快復するために、大日本帝国やその後継たる戦後日本を悪者にせざるをえなかったという、われわれの先入観を突き崩す興味深い説もあります。キム氏の上記著書の翻訳者の荒木和博拓殖大学助教授の説(同書294頁)です。

 しかし、朝鮮半島の35年に対して50年間も日本の植民地であった台湾では、朝鮮半島の人々以上に人々は大日本帝国に同化していたはずであり、中国国民党が台湾の占領者、かつ統治者として反日扇動を行ってきたという点でも韓国と状況は同じだったにもかかわらず、台湾では反日感情が殆ど見られません。
 従って、韓国の反日感情の真のルーツは、別のところに求められなければならないでしょう。

  イ 過激さを増す反日感情
 このところ日本文化の流入規制こそ緩和されてきていますが、かつての反体制派知識人の勢力伸張を背景として、広範な市民団体が協力する形で、植民地時代に日本に協力した朝鮮人を暴きだす大々的な研究が2006年完了を期して2002年から始まったことが示すように、韓国での反日機運は一層亢進してきています。
 この研究は、李承晩政権時代からの韓国の懸案であり、韓国内で混乱と政争を惹き起こしかねないことから、これまで実施されてこなかった経緯があります。それが、今回も一旦は政府による資金提供の話がなくなり、頓挫しかけたにもかかわらず、一般市民の寄付だけで研究実施に漕ぎ着けたことだけとっても、反日機運の程度が推し量れます。
 (以上、スコフィールドの論考3(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FB04Dg01.html(2月4日アクセス)による。)

(続く)

太田述正コラム#0263(2004.2.18)
<危機の韓国(その2)>

(前回お送りしたコラムは#261ではなく、#262の誤りでした。訂正させていただきます。また、コラム#260で記した終戦時の占領区分の誤りを訂正してあります。)

2 最近の韓国の知識人の考え方

 (1)反体制派の勝利
 最近の韓国の知識人にはかつて反体制派であった人が多く、彼らの考え方については、既に(コラム#262で)ご説明したところのかつての韓国の(体制派)知識人の考え方を基本的に踏襲しつつも、マルクス・レーニン主義の強い影響を受けていることもあって、そのナショナリズムの範囲は朝鮮半島全体に拡大しており、北朝鮮を同胞視していることが注目されます。
 現在の韓国の一般市民がいかに彼らの影響を受けているかを示すのが、以前のコラム(#231)でご紹介した、「韓国に脅威を与える国として北朝鮮をあげる者が33%であったのに対し、米国をあげる者は39%とそれを上回り・・20歳台の回答者にしぼると、数字は実にそれぞれ20%と58%にのぼる」という衝撃的な最近の世論調査結果です。
 この世論調査結果を引用して警鐘を鳴らした朝鮮日報の論説は、その背景として、韓国のかつての専制的体制への挑戦と弾圧を経験したがゆえの知識人達の歪んだ歴史観をあげ、このような知識人が、いまや政権を支える側となった以上、反米・親北朝鮮的世論は今後とも続くだろう、と断言しています。
(以上、http://english.chosun.com/w21data/html/news/200401/200401120029.html(1月13日アクセス)による。)
 
 (2)反米
 ア 反米感情の淵源
 先の大戦終了後、韓国は米国に経済的にも軍事的にも庇護されてきたわけですが、にもかかわらず、米国の掲げる自由・民主主義の理念が韓国のかつての知識人の間に浸透していたようには見えません。
このことを私は既に(コラム#262で)示唆したところですが、恐らく、韓国の知識人の間で一貫して根強かった反米感情が、米国の理念の受容の心理的障害になったものと思われます。
 反米感情の淵源は、次の三つであろうと思います。
 一つは、前(コラム#249)に触れたことがある、1905年の桂・タフト協定や1908年の高平・ルート協定で米国が日本の朝鮮半島支配を認めたことです。反日感情が高まれば(後述)、その矛先がかつての米国の東アジア政策にも向かうのは必然です。
 もう一つは、(いささかお門違いではありますが、)既にソ連軍が朝鮮半島北端に侵攻していた1945年8月14日に、あわてて米国がソ連に38度線での米ソの朝鮮半島分割占領を提案(翌15日にソ連受諾)(http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/kougi/gendai_note/BundSenr.htm。2月17日アクセス)し、これがが南北の分断をもたらし、かつこの分断が1950年に勃発した悲惨な朝鮮戦争の遠因となったことです。
 最後の一つは、占領軍がそのまま残った形で米軍という外国の軍隊が韓国に、しかも首都ソウル地区及び周辺に集中して駐留してきたことにともなう軋轢です。
(これは、日本の特に沖縄における基地問題と構図的には似ているのですが、沖縄では米軍に対し、日本の国内ルールの遵守を求めて軋轢が生じるところ、韓国では米軍に対し、韓国の国内ルールよりも厳しい「ルール」の遵守を求めて軋轢が生じる、という決定的な違いがあります。)
この軋轢が臨界点に達した感があったのが、韓国政府の対北朝鮮政策の転換(後述)を背景に、2002年6月に起こった、勤務中の米軍車両による女子学生二名轢死事件をめぐる大騒動です。
 (以上、ソウルで大学教授をしている米国人のデービッド・スコフィールドの論考1(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FA28Dg02.html(1月28日アクセス)による。)

  イ 反米感情噴出へ
 このところの反米感情噴出の直接のきっかけを与えたのは次の二つだと考えられます。

第一が、金大中政権(1998??2003年)が追求した対北朝鮮宥和策、いわゆる太陽政策です。
2000年に(膨大な賄賂を贈ったおかげで)金大統領が訪朝して金正日と首脳会談が開かれると、それ以降、韓国政府はそれまでの北朝鮮敵視政策を180度転換し、教科書からは北朝鮮に対して否定的な記述は削除され、政権を取り巻くかつての反体制派知識人達は、一斉に北朝鮮寄りのキャンペーンを始めました。その結果、韓国市民の対北朝鮮観は急速に様変わりし、北朝鮮はもはや脅威とはみなされなくなってしまったのです。
このため、米軍が韓国に駐留している理由はもはやなくなったと大方の市民が考えるようになり、反米感情の噴出を抑止してきた最大の重しがなくなってしまいました。
(以上、スコフィールド前記論考1による。)
そして、1993年に北朝鮮に核疑惑が発生して以来、米国が北朝鮮を軍事攻撃する可能性が取りざたされ始め、攻撃が実施された暁には北朝鮮が韓国に反撃するのは必至であり、そうなれば韓国は大打撃を受ける、従って米国こそ脅威だ、と考える市民がここに至って急速に増えたのです。

第二が、1997年の金融危機に始まる韓国経済の長引く調整過程です。
非常事態なるがゆえに、憤りつつもIMFの韓国の経済「主権」への介入を耐え忍んだ韓国の知識人は、これを韓国経済の抜本的な体質改善を図るチャンスとは考えず、韓国市民がクレジットカードに猫も杓子も入って金を湯水のように使うことで不健全ながら経済の下支えが図られるや否や、弱体化した韓国企業買攻勢をかけてきた収外国資本の排撃運動を開始し、ために経済面でも韓国の元締め的存在である米国への韓国市民の反感を募らせたのです。
(以上、スコフィールドの論考2(http://www.atimes.com/atimes/Korea/FA15Dg03.html(1月15日アクセス)による。)

しかし、このように見てくると、韓国の反米感情の根はもっと深いところにありそうだという気になりませんか。

(続く)

太田述正コラム#0262(2004.2.17)
<危機の韓国(その1)>

1 かつての韓国の知識人の考え方

 私の韓国人との出会いは1974年~76年の米国のスタンフォード大学留学時にさかのぼります。
 最初の夏学期は独身寮に入り、米国人の大学院生と同部屋だったのですが、ビジネススクールや政治学科の授業が始まった秋学期からは、夫婦用の高層マンションスタイルの寮に移り、大学の勧めに従って、そのうちの一戸を韓国人のユン・チャンホ君と一年半にわたってシェアしました。彼が寝室をとり、私はリビングをとりました。バスルームとキッチンは共用スペースでした。
 彼とは学科が違うし、食事も基本的に学生食堂で別々にとるので、互いに殆ど出会うことがなかった上、彼は私を避けるようにしていました。彼が受けた反日教育のせいでしょう。しかも、日韓の生活水準の差はまだ歴然としていた頃でした。(私の留学手当は、彼がもらっていたフルブライト奨学金より高く、その上私には給料も出ていました。)米国人学生から買った8気筒のフォード・ムスタングを乗り回す私を、車のない彼は、まぶしそうに見つめていたものです。
ある日、その彼と寮の部屋で歴史の話になりました。(ユン君も歴史の専門家ではありません。)
 その時彼が、「任那日本府なるものは存在しなかったし、当時の日本は朝鮮半島におよそ何の影響力も持っていなかった」と言ったので、私はびっくりしました。私は、「日本府がなかったというのは初耳だがその通りなのかもしれない。しかし、そもそも、当時は朝鮮半島南部から日本の九州にかけては同一の文化圏だったのではないか。だから、どちらがどちらに影響力を持っていたと言う必要はないのではないか」、と反論したのですが、彼は全く聞く耳を持ちません。「当時の日本は後進地域であり、先進地域であった朝鮮半島(の南部)と同一の文化圏に属すことなどありえない」の一点張りでした。
 私は、日韓の歴史に関しては、韓国人とは全く対話ができない、という印象を持ちました。
 それでも私が帰国する頃には、結構彼も打ち解け、彼のお父さんは裁判官で、お父さんの書架に並んでいる法律書は日本語の本ばかりだ、といった話も聞かせてくれるようになっていました。しかし、日本の植民地時代の話は互いに遠慮してか、ついに一度も出ずじまいでした。
 昨年、上垣外憲一「倭人と韓人―記紀からよむ古代交流史 」(講談社学術文庫 2003年11月)を読んで、ユン君とのやりとりを思い出しました。上垣外氏が若かりし頃、韓国の歴史学者達の、学者とは到底思えない非実証的な主張に接し、私と同じような感想を持ったことが書かれており、苦笑させられました。
 ユン君は、その後、スタンフォード大学で経済学の博士号をとり、世銀を経て、現在韓国の高麗大学の経済学部教授をしています。

 次は、1988年の一年間の英国国防省の大学校(Royal College of Defence Studies)留学の時です。この時は、私はRoyal College当局によって、韓国から留学していたキム・ドンシン准将と同じ場所の英陸軍官舎を割り当てられたことから、家族ぐるみのお付き合いをしました。もちろん、毎日Collegeの授業でもキムさんとは一緒です。
 キムさんは、韓国軍の整備を急ぎ、北朝鮮とパリティに達した時点ですみやかに駐韓米軍を撤退させるべきだというのが、かねてよりの自分の持論だと公言されていました。私は、在日米軍司令官が兼務する米第5空軍司令官隷下の空軍部隊には、在韓米空軍部隊も含まれる(当時。現在は違う)こと等を指摘し、駐韓米軍は北朝鮮に対処するだけでなく、ソ連や中国もにらんでいる、と何度も注意を喚起したのですが、彼はソ連や中国の「脅威」などおよそ眼中になさそうなのです。(むろん、彼はソ連の崩壊を予見していたわけでもありません。)
 どうやらこのキムさんの持論は、単なる個人的見解ではなかったとみえ、彼はその後とんとん拍子に出世を遂げ、制服組のトップになったかと思ったら、更に金大中政権の時に国防大臣に就任しました。
 キムさんは2002年に、黄海での北朝鮮艦艇との銃撃戦の際の韓国海軍の対応の不手際の責任をとって国防大臣を退かれておられます。

 さて、友人であることに免じて、ユン君とキムさん(君付けは年下、さん付けは年上、というだけの理由です)の考え方に共通する問題点をあえて指摘させてもらうと、それは、
ア 頑固なまでに自国(韓国)中心のナショナリストであって、
イ あまり他国の立場に立って物事を考えない(日韓提携を希求する日本や覇権国としての責任を負う米国の立場にほとんど思いを致さない)し、いわんや、 
ウ 世界のことなど基本的に眼中にない(世界の平和と繁栄の維持、または共産主義の封じ込めもしくは自由と民主主義の普及等を、韓国自身にとっての重要課題であるとは必ずしも考えない)、
点です。
 これは二人の考え方というよりは、韓国の伝統的な思考様式ないし戦後の韓国の公教育がもたらした考え方であって、恐らく、韓国の知識人の大多数に共通する考え方であり問題点ではないかと私は見ていました。
 このような考え方は、戦後の日本の知識人にも見られたところですが、韓国ほど極端ではなかった、と思います。

 それでは、最近の韓国の知識人の考え方はかつての韓国の知識人の考え方とはどこが違うのでしょうか。

(続く)

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