カテゴリ: 日本の教育改革

太田述正コラム#3611(2009.10.28)
<つい最近まで超男女差別社会だった米国(続)>(2009.11.28公開)

1 始めに

 表記のテーマに係わる記事をいくつか、フォローアップ的にご紹介しておきましょう。

2 米国の現在の女性差別状況等

 「初めて女性が労働力の半分を占めるようになった。
 先週出たばかりの・・・報告書によれば、全家庭の40%で女性が主たる稼ぎ手だ。
 下院議長は女性だし、国務長官も女性だ。
 32名の女性がこれまで州知事に就いた。
 38名の女性がこれまで上院議員になった。
 アイビーリーグの8大学中、女性の学長は4名だ。
 すごいじゃないかって? いや必ずしもそうじゃない。・・・
 <25年前に予想したほど男女平等は進展していないし、とりわけ最近は停滞気味だ。しかも、この問題に係る人々の意識は後退している。>
 ・・・2008年、女性は法律家のほとんど半数を占めるに至っているが、法律事務所のパートナーの18.3%しか女性ではない。
 フォーチュン社の上位500の企業のトップに就いている女性はわずかに15名だ。・・・
 <女性は、実績だけで勝負しているのではダメなのだ。>
 人々の意識を変える必要があるのだ。・・・
 これは女性だけの問題ではない。我々全員に係わる問題なのだ。
 <それはそれとして、女性に助言をしておこう。>
 ・・・ユーモアのセンスを持つこと・・・
 ・・・女性であることでびびる必要はないこと。
 女性は男性とは異なった文化を持っている<ことがウリになるのだ>。
 そして、そのことは、女性に大変な優位を与えている。
 <例えば、>女性は困難と痛みに耐えるようにつくられている。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/10/24/opinion/24lipman.html?pagewanted=print
(10月25日アクセス。以下同じ)

 「・・・女性(とりわけ母親たる女性)と男性の間の賃金格差・・女性は男性の73%・・が維持されている。
 米国の労働界と教育制度は、依然男女分離状態であるし、女性を低給与、低地位、低安定的職位に押し込めるという何世代も前からのステレオタイプの線で動いている。
 女性は、医療保険に男性よりも多く払っているし、医療のお世話に男性よりなるし、どの範囲の医療が保険の対象になるかに関し、独特の形態の差別を受けている。
 (<例えば、>どちらも「不可抗力(preexisting conditions)」だというのに、帝王切開や家庭内暴力は保険の対象にならない場合がある。)
 どれだけの時間働いていようと、女性達は、引き続き、家庭での育児と家事を夫達よりもたくさんやっている。
 また、(父親たる男性に対しては差別はないが、)母親たる女性に対する職場での差別は、どこでも当たり前だ。・・・
http://warner.blogs.nytimes.com/2009/10/22/when-were-equal-well-be-happy/?pagemode=print

3 このような状況の女性達に対して夫達が貢献できること

 「新しい研究が明らかにしたところによれば、夫にとっても妻にとっても、家事をやればやるほど、配偶者とのセックスの回数が増える可能性が高い。・・・
 ・・・<すなわち、>家事は、家庭と団らんへの貢献の象徴であるところの、共通の利益に対して投資をする一般的意欲の指標(proxy)とも言える。
 恐らく、同じ任務で働くことは、カップルに、自分達が結婚しており、同じチームに属していて、人生を築く間柄であることを思い出させるのだろう。・・・
 雑用を行うことは、その報酬の一つとして、安らかな、良く手入れされた家庭がもたらされ、それが親密さを促す、という可能性もある。・・・
 この研究では、家事を7つの雑用として定義している。
 すなわち、掃除、調理、皿洗い、洗濯とアイロンかけ、家族を車に乗せて運ぶこと、買い物、庭仕事、自動車の低入れ、そして料金の支払いだ。・・・
 2,020人の米国の成人を対象にした調査では、「家庭の雑用を共にすること」が、「浮気をしないこと」と「幸せな性的関係」に次ぐ三番目に重要な要素だった・・・。
 ・・・1990年に行われた同様の研究の際には、家事に高い重要性を付与した回答者が47%だったが、それが今回は72%に上昇した。
 回答者達の気持ちとしては、家事は、悪くない収入や良い住居といった必須事項よりも重要なのだ・・・。・・・」
http://online.wsj.com/article/SB10001424052748704500604574485351638147312.html?mod=googlenews_wsj#printMode 

3 終わりに

 米国では、「全家庭の40%で女性が主たる稼ぎ手だ」とか、超有名大学の学長の半分は女性だというのですから、日本の現状と比べると、大変な違いです。
 (米国では日本よりも母子家庭が多い、ということもあるかもしれませんが・・。)
 だから、まだまだ女性差別があるわ、という米国の女性達の悩みは贅沢な悩みだと言いたくもなります。
 それはさておき、日本でも、夫の皆さんに、家事をもっともっとやるように促したいですね。
 日本の夫にとって、奥さんとのセックスの回数など増やしたくもないでしょうが、(セックス抜きでも?)奥さんとの仲が良くなり、三行半をつきつけられるリスクが減るのなら、儲けものではありませんか。

太田述正コラム#3603(2009.10.24)
<つい最近まで超男女差別社会だった米国>(2009.11.24公開)

1 始めに

 1960年代まで、凄まじい有色人種差別国であった米国が、昔から男女平等国であったはずはありません。
 その米国において、有色人種差別のみならず、男女差別が大きく是正されたのは、現代の奇跡といえるかもしれません。
 そのあたりのことを、ゲイル・コリンズ(Gail Collins)が書いた、上梓されたばかりの 'WHEN EVERYTHING CHANGED The Amazing Journey of American Women From 1960 to the Present' の書評等から、急ぎ足でさぐってみましょう。

A:http://www.nytimes.com/2009/10/21/books/21change.html?_r=1&hpw=&pagewanted=print(10月21日アクセス)
B:http://blogbusinessworld.blogspot.com/2009/10/when-everything-changed-by-gail-collins.html
C:http://www.progressivebookclub.com/blog/2009/10/07/gail-collins-on-the-amazing-journey-of-american-women
D:http://www.bookpage.com/books-10012432-When+Everything+Changed

 なお、コリンズは、ニューヨークタイムスの社説欄編集者に女性として初めて2001年に就任した人物です。(D)

2 つい最近まで超男女差別社会だった米国

 (1)1960年における米国の男女差別状況

 「・・・欧米世界では、女性の能力と権利は限定的であるとする観念が、歴史が記録されるようになってから一貫して支配的だったが、これらの観念は、私の生涯中に破却された。・・・」(C)
 「・・・「女性の場所は家庭であり、彼女たちは男性達より弱いし公的生活で伍していくことはできない・・という信条が、何千年にもわたって存続してきたが、この信条が私の生涯において粉砕された<のだ>。・・・」・・・」(D)

 「・・・<米国で>1960年代に女性達はどのような生活を送っていただろうか。・・・ ユナイテッド・エアラインでは、女の乗客は、ニューヨークからシカゴへの「ビジネスクラス」を利用できなかったし、いくつかの州では裁判所で時間を費やすことは「家庭における諸義務において懈怠的パーフォーマンスを助長する」として陪審員になることを禁じられていた。
 医学大学院の学部長は、「確かにそうだ。我々は枠を設けていた。我々は、できる限り、女性を排除しようとしていた」ことを認めた。
 同じ仕事をやっている男性に比べて女性には少ない給与を払うことが認められていただけではなく、当たり前だった。
 妻のクレジットカードは彼女の夫の名前で発行されていた。
 また、女性は、銀行ローンは、家を買うためどころか、車を買うためにすら確保するのが容易ではなかった。
 米全国記者クラブは、1971年までは女性の入会が禁止されていた。
 <そして、>誰もこれらの規則や慣習にさして疑問を抱かなかった。
 ドレスコードは、女性にズボンではなくスカートをはくよう求めていた。
 体重が増えすぎたスチュワーデスはクビになった。・・・
 コリンズは、「1960年には、女性は米国の医者の6%、法律家の3%、そしてエンジニアの1%未満だった」と記す。・・・」(A)

 (2)変化を起こしたもの

 このような米国が変わる契機になったのは一体何だったのでしょうか。

 「・・・雇用に関して女性に対する差別を禁止した法律がまさにすべての引き金になった」とコリンズは言う。
 「それは、(1964年に)市民権法(Civil Rights Act)に、本当はこの法案全体を葬り去りたかった一人の南部の下院議員によって冗談ないし注意をそらせる戦術として付け加えられたものだ。
 それから、女性達は抜け目のないことに、その機会に飛びつき、この法案が通過するよう後押ししたのだ」と。
 この下院議員とは、バージニア州選出のハワード・スミス(Howard Smith)だった。
 当時彼は80歳だったが、<同法案の>第7章(Title)に「性」を付け加えることによって、女性の地位向上というよりは、市民権法の通過を遅らせることができるのではないかと期待したわけだ。・・・」(D)

 もちろん、女性のうちの先覚者達の大変な努力があったことも言を俟ちません。

 「・・・<コリンズ>は、すべての人々の平等を求めて、評判、キャリア、そして、命をさえ危うくした女性達の生き生きした事例を描写する。
 その勇気の物語がこの本に提示されているところの、恐れを知らない多くの女性達は、そのために大きな代償を支払った。・・・
 その極めて個人的な生き様を、<この本の>読者が分かち合うこととなったところの、(この本に登場する、)すべての女性達は、歴史を変えた人々として尊敬されなければならない。
 変化は米国における一つの定数であり、これらのすごい女性達は、この変化の最前線にいた人々なのだ。・・・」(B)

 (3)現状と今後の展望

 「・・・2008年の大統領選挙にヒラリー・ロダム・クリントン<上院議員(当時)>とサラ・ペイリン(Sarah Palin)<アラスカ州知事(当時)が登場した>意義<は瞠目すべきものがある。我々はついにここまで来たのだ。>
 <しかし、まだまだ問題はたくさん残っている。>
 社長や法律事務所のパートナーにおける女性の数の少なさ<等がそうだ>。・・・」(A)

3 終わりに

 日本は、人種差別を含め、米国に比べれば、一貫してはるかに差別の少ない国でした。
 しかし、その日本において、女性差別の現状は、半世紀前の米国よりもひどいのではないでしょうか。
 そもそも、この種の冷厳な事実をつきつけるような本を書く女性ですら、最近の日本ではほとんど存在しないように思います。
 だからこそと言うべきでしょうか、せっかく政権交代がなったというのに、民主党から抜本的に日本の女性の差別解消に取り組む気迫は感じられません。
 何度も申し上げていることですが、日本の属国状況と日本の女性差別状況は、自立の欠如という同根の問題であり、だからこそそのどちらも、解消することは容易ではないのです。

太田述正コラム#3256(2009.5.5)
<天才はつくられる(その2)>(2009.6.15公開)

4 コルヴィンによる自分の本の事実上の要約

 「・・・それは1978の年央だった。巨大企業のプロクター&ギャンブルのシンシナチの本社の小部屋に、大学出たての22歳の二人の男性がいた。
 彼らが命ぜられた仕事は、<同社の某製品>を売ることだった。しかし、彼らは多くの時間を単にメモを書くのに費やした。彼らが頭がいいのは確かだった。一人はハーバードを、もう一人はダートマスを卒業したばかりだった。しかし、それだけのことでは、P&Gの他の一群の新規雇用者達とこの二人とを区別することはできない。・・・
 ・・・<この二人は、>50歳になるまでに、世界で最も貴重な会社であるゼネラル・エレクトリック(GE。フォーチュン500社)とマイクロソフト(MSFT。フォーチュン500社)の社長(CEO)になるのだ。・・・
 誰でもしたくなる質問は、それは才能のおかげだったのかというものだ。
 仮にそうだとすると、それは彼らのそれまでの22年間の生活を通じて顕現しなかった、変わった種類の才能であるということになる。
 彼らは頭が良かったのか?
 二人とも頭が良かったことは確かだが、彼らの何千という級友達や同僚達よりも良かったという証拠は示されていない。・・・
 成功した人々に関する研究において、研究者達が、こういった人々が濃密な練習を開始する以前に、早咲きの成功の徴候を見いだすことはまずない。
 それが楽器演奏家であろうと、テニス選手であろうと、芸術家であろうと、水泳選手であろうと、数学者であろうとどんな成功者であろうともだ。
 だからといって、才能なんて存在しない、ということにはならない。
 ただし、大変悩ましい可能性が否定できないということだ。つまり、才能なるものが仮に存在したとしても、それは成功とは無関係かもしれないということだ。
 特定の才能なる概念は、経営においてはとりわけ問題がある。
 というのも、我々はみんな、傑出した経営者達は彼らが行うことに関して何か特別に恵まれた資質を持っているに違いないと思うものの、そんなものが存在しているという証拠は容易に発見できないからだ。
 <それどころか、どうやら、その逆が真実のようなのだ。>
 ジャック・ウェルチ(Jack Welch)は、フォーチュン誌によって、20世紀で最も偉大な経営者とされた人物だが、20代の半ばに至っても、特段経営に対して特別に向いているという徴候は示さなかった。
 彼は、化学工学のPh.D.をひっさげて実世界に25歳の時に出ようとしたけれど、当時、彼は自分がどの分野に進むべきか決めかねており、シラキュース大学と西バージニア大学で教職に就くための面接も受けている。
 彼は、結局最終的にGEの化学開発部門で働かないかという誘いを受け容れることにした。
 ビル・ゲーツは、世界で今一番金持ちの男だが、才能によって成功を説明しようと思う者にとっては、ぴったしの候補者のように見えるかもしれない。
 彼は、子供の時にコンピューターに取り憑かれ、13歳の時に最初のソフトウエアを書いた。それは、チック・タック・トー(ticktacktoe)ゲームのプログラムだった。
 問題は、この程度の話では、彼に特別凄い能力があることは伺えないことだ。
 まず最初に銘記すべきは、当時、山のような子供達がコンピューターの可能性に興味を持っていたことだ。その中で、ゲーツがみんなの頂点に立ったのは一体どうしてなのだろうか。
 その答えは、特別なものではない。・・・
 <誰でも成功することができるのであって、そのための原則は以下のとおりなのだ。>

1)行動(performance)を改善するために特別に設計された熟慮された練習
 ・・・
 偉大な行動者(performer)達となった人々を調べると、彼らの小さい時からその練習活動を設計することを彼らの父親達が始めていることに驚かざるをえない。タイガー、ピカソ、モーツアルトがその完璧な例だ。・・・
 <また、>世界のトッププロだってコーチに教えを請うのには理由があるのだ。・・・
 <自分だけで熟慮された練習を設計し、それを続けていくことは容易ではない、ということだ。>

2)熟慮された練習は何度も何度も繰り返されなければならない
 ・・・

3)結果に対するフィードバックが恒常的に得られること
 様々な重要な状況下において、先生、コーチ、あるいは助言者(mentor)は枢要なフィードバックを提供するために不可欠な存在だ。・・・

4)<練習が>メンタルに極めて厳しいものであること
 ナタン・ミルスタイン(Nathan Milstein)は、20世紀の最も偉大なバイオリニストの一人だが、有名な先生であるレオポルト・アウアー(Leopold Auer)に師事した。
 伝えられるところによれば、ミルスタインはアウアーに自分が十分練習をしているか尋ねた。
 「君が指で練習をしているのであれば、一日中練習しなければならない。だが、頭を使って練習するのなら、1時間から1時間半で十分だ。」
 アウアーは、「1時間から1時間半がせいぜいのところだ、というのは、君が本当に頭を使って練習をするとなれば、とてもじゃないが一日中練習なんてできるわけがないからだ」とまではあえて言わなかったということだ。・・

5)それは容易なことではない
 我々は、得意なことではなく、不得手なことを常に探し出さなければならない。・・・
 もし成功につながる諸活動が簡単で面白いことであれば、みんながそれをやりたがる結果、誰が他人より傑出してるかなんて永久に分からないはずだ。・・・
 <問題は、経営に関連する分野においては、どんな練習をすればよいかだ。>
 実際、大抵の会社での生活は、熟慮された練習の諸原則を成り立たせなくするように巧まずして設計されているかのように見える。
 最も根本的なことだが、我々が一般に仕事でやることは、第一の原則の正反対だ。
 つまりそれは、我々を何事についても上達させるようには設計されていないのだ。
 いや、そもそもそれは何の設計もされていないと言うべきだろう。
 つまり、我々は経営者の目標(goals)を達成するために必要なノルマ(objective)を与えられ、そのノルマを達成するよう求められるだけなのだ。
 多くの経営者の限定的かつ短期的な観点からすれば、そうであって当然だろう。
 我々は、自分達自身の能力を向上させるために時間を費やすためには雇用されていないということなのだ。
 熟慮された練習をするとなれば、我々は自分自身を疲れ果てさせるまで追い込んで解法を開発しなければならないはずだが、実業の生活においては、間違いをしでかすコストは往々にして大きい。
 だから、まともに考えれば、安全で信頼性の高いことだけをやらざるをえないわけだが、そんなことをしていたら向上することはありえない。
 だけど、仕事そのものの中で練習する十分確立されている方法があるのだ。全部自分の頭の中でやればよいのだ
 研究者達は、この<頭の中でやる>諸活動を自己規制(self-regulation)と呼ぶ。
 それを最も効果的に行うためには、あなたはそれを活動の前、活動の間、そして活動の後にやらなければならないのだ。・・・

6)仕事の前
 最も良い行動者達は、目標を、結果に関してではなく、結果に到達するプロセスに関して設定する。
 例えばその目標は、単に注文をかちとるだけではなく、顧客の口にしていないニーズを発掘することに特に務めることであったりする。・・・
 一旦目標が設定されると、次のステップは、それにどうやって到達するかだ。・・・
 <上述のような目標であった場合、それは、>その日にその目標を達成するためには、顧客が使う特定の大事な言葉に耳を傾けることであったり、顧客にとって枢要な諸問題をあぶり出すために特別ないくつかの質問を発することであったりする。・・・

7)仕事の間
 優れた走者の並の走者との違いは、自分自身に焦点を定めることだ。
 彼らは例えば、自分の呼吸数を数え、同時に歩数を数え、両者の間に一定の比率を維持しようとする。
 純粋にメンタルな仕事においても、最も良い行動者達は自分達自身をじっと見つめている。・・・
 これを超認知(metacognition)と呼ぶ。自分自身の知識についての知識のことだ。・・・

8)仕事の後
 <フィードバックを行うことが不可欠なのだが、これを自分自身で行わなければならないのがつらいところだ。>

 <全体を通じて留意すべき点は次のとおり。>
 
 熟慮された練習において常に大事なことは、自分の現時点での限界をほんのちょっと超えるような比較対象を選ぶことだ。・・・
 <また、いの一番にやらなければならないことは、>あなたが本当に欲していることは何であるか、そして、あなたが本当に信じていることは何であるか<を見極める>ことだ。・・・
http://money.cnn.com/2008/10/21/magazines/fortune/talent_colvin.fortune/index.htm
(5月4日アクセス)

5 終わりに

 私の解説は不要でしょう。
 皆さんが、このシリーズを読まれて、それぞれどんな思いを抱かれたか、ぜひお聞かせ下さい。

(完)

太田述正コラム#3254(2009.5.4)
<天才はつくられる(その1)>(2009.6.14公開)

1 始めに

 米国で、昨年、ジョフ・コルヴィン(Geoff Colvin)の“Talent Is Overrated”、またつい最近、ダニエル・コイル(Daniel Coyle)の"The Talent Code”が上梓され、どちらの著者も、天才は生来のものではなくつくられる、と主張しています。
 永遠のテーマとも言える、nature対nurture論争の一環として、極めて興味深いものがあります。
 さっそく、彼らの主張をご紹介することにしましょう。

2 両著を一括りにした書評から

 「・・・天才達と並才達を分かつのは、聖なる火花なんてものではない。・・・それは練習なのだ。・・・
 典型的な天才がどのように生まれるかを図式的に知りたいのであれば、平均よりちょっと上の言語能力を持った少女を例にとってみるとよかろう。
 それが大きな才能である必要はない。彼女が自分は特別だという気がすればそれで十分だ。
 それからあなたは、少女を、例えば小説家に引き合わせる。生い立ち等が少女と共通している人物であればなおよい。
 同じ町出身とか、同じ民族的背景を持つとか、誕生日が同じだとか、親近感を醸成するものであれば何でもよいのだ。
 この接触によって、少女は将来の自分についてのビジョンを与えられることだろう。・・・
 少女の両親のうちどちらかが、彼女が12歳の時に亡くなるとすれば、それも悪くない。
 少女は深刻な不安感を抱くようになり、何が何でも成功しなければならないという思いをかき立てられるからだ。・・・
 <大事なことは、>行為者(performer)の自動化プロセス<の確立>を遅らせることだ。
 大脳は、新しく意図的に学んだ技術を、無意識的かつ自動的に行為が行われる技術へと変換しようとする。
 しかし大脳はだらしがない存在であり、適当なところで妥協しようとする。
 だから、技術を細かい部分に分解し、繰り返す形で徐々に練習していくことで、精力的な学び手は、大脳により良いパターンと行為(performance)を強制的に植え付けるのだ。
 それから、我らが若き作家は、日常的にフィードバックのシャワーを浴びせかけてくれる教師(mentor)を見つけることになる。
 この教師は、彼女の行為を外から眺め、最も小さなエラーをも矯正し、彼女をより厳しい挑戦へと立ち向かわせる。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/05/01/opinion/01brooks.html?ref=opinion&pagewanted=print
(5月2日アクセス)

3 コイルの本の書評ないし自評

 (1)書評

 「・・・我々が繰り返し「特定の回路に火を付ける」とつくられる神経絶縁体であるところの、髄(myelin)<(髄鞘(myelin sheath)=神経細胞の軸索を取り囲む鞘、を形作る物質)>。特定の回路に沿って髄がつくられればつくられるほど、「より強く、より速く、そしてより正確に、我々の<それに係る>動きと思考がなっていくことになるのだ。・・・」
http://thetalentcode.com/press/
(5月4日アクセス)

 (2)自評

 「・・・1990年代末に、それまでには全くなかったことだが、モスクワからテニスのスターが続々と出現した。<一体こういったことをどう考えればよいのだろうか。>・・・
 ・・・<また、>ピアニスト達の研究の結果、髄と呼ばれる特定の神経物質が練習に比例して増加することが分かった。・・・
 私が深い練習と呼ぶところの特定の種類の練習は、浅い練習に比べて技術を10倍の速度で身につけさせる。・・・
 ・・・我々は、彼らが練習に10分間しか費やさなかったとしても気にかけない。というのは、深い練習は、浅い練習の何時間分にも相当するからだ。・・・
 子供が、何かと自己同一化した時、つまりは、彼または彼女が自分自身がそれを長きにわたってやることになると思った時、それはロケット燃料のように深い、生産的な練習の燃料となる。
 この点火の瞬間は、クールで神秘的なものだが、何がそれを起こさせるのだろうか。
 それは、間違いなく論理的なものではなく、純粋な感情かつ根源的な結びつきであって、大きな結果をもたらす。・・・
 <それまで楽器をやったことのない子供達に楽器をやらせる実験が行われた。その結果判明したことは次のとおりだ。>
 <音楽演奏の天才をつくるのは>IQか(否)。音を聞き分ける能力か(否)。数学の能力か(否)、リズムをとる能力か(否)。社会経済的地位か、収入か、両親か(否、否、否)。
 彼らの進歩を決定した唯一の要素は、彼らが<楽器の練習を>始める前に質問されたことへの答えだったのだ。
 その質問は、「君はこの楽器をどれくらい長く演奏することになると思いますか」というものだった。
 「私は一年かちょっとくらい演奏すると思う」と答えた子供はほとんど進歩しなかった。
 「私は小学校時代の間は演奏すると思う」と答えた子供は中くらいの進歩をした。
 そして、点火されていて「私は生涯演奏すると思う」と答えた子供は猛進し、他の子供達より400%も速く進歩した。・・・
 ある子供のアイデンティティーが目標によって包まれた時、彼らは巨大な燃料源にぶちあたったのだ。・・・
 ・・・スタンフォード大学の心理学者のキャロル・ドゥウェック(Carol Dweck)は気の利いたルールを持っている。
 彼女は、あらゆる子育て<の秘訣>は、二つの簡単なルールに集約できると言う。
 第一は、あなたの子供が何を凝視しているかに注意を払うことであり、第二は、彼らの努力を褒めてやることだ。
 これは、本当にうまく働くのだ。・・・
 私は、(モスクワの、インドアに一面だけのコートを持つテニスクラブである)スパルタク(Spartak)のテニス・コーチに会った時のことを思い出す。
 彼女は一つのルールを持っていた。3年間は試合をさせないことだ。
 彼女の生徒達は、試合をするまでに3年間、ストロークの練習だけをする。その理由は、試合をすると、勝ちたいがゆえに悪い習慣(技術回路)を身につけてしまうからだ。・・・ <国、地域によって様々な天才のつくり方の文化があるが、>文化が(子供の尻を叩きすぎるといった)過ちを犯すのは、才能のメカニズムが本当はどう機能しているのかが分かっていないからだ。
 例えば、もしあなたが才能は純粋に遺伝であって、人間は聖なる火花をもって生まれるのだとだと信じる文化の一員であれば、あなたは厳しい練習をさせようとは思わないかもしれない。・・・
 また、もしあなたがあらゆる才能は厳しい練習のたまものであると信じる文化の一員であれば、タイガー・ウッドのようになるためにと、子供は毎日ゴルフの練習を1,000スイングやらされるかもしれないが、それは、尻の叩きすぎというものだ。
 しかし、もしあなたが才能には深い練習と点火の両方が必要であり、モチベーションは子供から来なければならず、またそのモチベーションは特定の種類の生産的な練習へと誘導されなければならないことを理解している文化の一員であれば、あなたは本当に何が有効なのかが分かりかけていると言えよう。・・・
 我々は、我々の技術とは、文字通り我々の大脳内の、我々の筋肉と全く同じように動くようにつくられているところの、回路であることに気付きつつある。
 もし我々がこれらの諸回路を正しいやり方で働かせることができれば、それらはより速く、より強く、より流暢になるのだ。・・・」
http://49writers.blogspot.com/2009/04/dan-coyles-talent-code-read-about-it.html
(5月4日アクセス)

(続く)

太田述正コラム#3244(2009.4.29)
<米国における教育論議の現在>(2009.6.10公開)

1 始めに

 このところ、教育論議が続いた(コラム#3231、3233、3239)こともあり、米国における教育論議が今どうなっているかをご紹介しましょう。

2 SATをめぐって

 私が、「IQ的な言語能力/数理能力を測る試験」(コラム#3231)と言ったのは、米国のSATが念頭にあったのですが、そもそも、SATは、Scholastic Aptitude Testの頭文字をとったものです。
 しかし、米国でSATが導入されてから、aptitude(≒素質)という言葉は人間をランク分けしているようで好ましくないという声が出たため、Scholastic Assessment Testの頭文字をとったものとされるに至りました。
 ところが今度は、assessment(≒査定)とtest(試験)はほとんど同義語ではないか、というイチャモンがつき、結局、SATは、何の頭文字をとったものでもない、ということになって現在に至っているようです。
 このSATが実質的には知能テストであることはよく知られています。
 知能テスト、あるいはSATをやってみると、一貫して、金持ちの家庭の学生は貧しい家庭の学生より点数が高く、また、点数の順番は、アジア系米国人、白人の米国人、ヒスパニックの米国人、黒人の米国人、となります。また、男性の点数は女性の点数より高いという結果も出ます。
 
 さて、SATをめぐる歴史は次のとおりです。
 19世紀の米国では、大学に入りたい者は面接を受け、形だけの試験を課されるだけでした。
 1900年に東部の大学が共同で大学入試委員会(Collegiate Entrance Examination Board)をつくり、英文法、英文学、米国史及び古代/古典史、ラテン語と古典ギリシャ語、等の学業成績(achievement)試験を課することになりました。
 ところがしばらく経つと、ハーバード大やコロンビア大で、異常にユダヤ人入学者が増えてしまいました。
 そこで、ユダヤ人入学者の数を減らすため、面接が復活しただけでなく、リーダーシップ、家柄、性格、万能性(well-roundedness)が求められるようになったのです(コラム#486参照)。
 やがて、コナント(James B. Conant)がハーバード大学の学長になると、当時の進歩的風潮を背景に、メリトクラシーに則った学問的能力を測る試験が模索され始めます。
 その結果生まれたのがSATなのです。
 それは、どれだけ知識の量があるかではなく、知力の鋭さを測る試験でした。
 ヒントになったのは、米陸軍が第一次世界大戦の時に、徴兵されてきた若者達に課した選択式のマルバツ試験でした。この試験結果に応じて、職種や配置部隊を決めたのです。
 SATは初期の段階から言語能力試験と数理能力試験の2部構成でした。
 文科系と理科系の学生を大学側が選別できるようにしたわけです。
 1959年には、SATに対抗して、高校の教科に即した学業成績を測る試験の導入が図られましたが、1968年に、12の分校からなり、何万人もの学生を擁するカリフォルニア大学が、その大部分の志願者に対してSATの成績を求めることにしたことで、勝負は完全に決しました。
 (とはいえ、現在でも米国の大学は、SATだけで志望者を選考しているわけではありません。一般に、高校時代の成績や課外活動、更には父兄が当該大学の卒業生であるかどうか、等が考慮されます。)
 
 SATの点数は、大学1年生の時の学業成績の予測指標としてはかなりのものであることが判明しています。
 SATの点数に、高校時代の成績を加味すると、その予測精度は更に上がります。
 そうこうしているうちに、冒頭で言及したところの、金持ちの家庭の学生の方がSATの成績が良い云々、という「問題」が議論されるようになりました。
 そこで改めて、SATに代わる試験の模索が始まります。
 高校時代の成績、面接、作文、高校のランク、課外活動を総合指標化するというアイディアも出ました。
 しかし、これらすべてが、家庭の裕福度によって左右されることから、このアイディアはボツになりました。
 昨年、大学生活を成功裏に送れるかどうかを予測するところの、単純な知的能力を超えた非認知的技術(noncognitive skills)を測る試験の開発に向けて努力する意向を、SATを管掌している大学委員会(College Board)の研究者達が表明しました。
 以前エール大学で、そして現在はタフト大学で文理学科の学科長をしているロバート・スターンバーグ(Robert Sternberg)は、この開発の方向性に関し、試案を公表しています。
 それは、試験は3部門から構成されるべきだとし、第一の部門は実用的知力(Practical intelligence)・・現実世界の中で遂行したり、応用したり、実行に移したりする技術を測るものであり、第二の部門は創造的(Creative)知力・・創造、発明、発見、想像、仮定、仮説定立をする技術・・を測るものであり、第三の部門は分析的(Analytical)知力・・分析、評価、判断、比較、対照をする技術・・を測るもので現行のSATにほぼ相当するものである、という試案です。
 (以上、
http://www.weeklystandard.com/Utilities/printer_preview.asp?idArticle=16429&R=1613C34854
(4月29日アクセス)による。)

 私が「判断能力を測る試験」(コラム#3231)と言ったのは、スターンバーグが言うところの、第一部門の試験とイメージ的にほぼ同じです。
 私は、大学入学者を選考する段階では、「創造能力を測る試験」=第二部門の試験、まで課す必要はないと考えています。
 およそペーパーテストで創造能力など測れるわけがないと思うのと、それこそ、大学生活を通じて、教官が個々の学生をじっくり見て判断すべきだと思うからです。

3 全米教育到達度評価試験の結果

 米連邦教育省による、米国全土から抽出された26,000人強の生徒を対象に実施された全米教育到達度評価試験(National Assessment of Educational Progress =NAEP)の結果が4月28日、公表されました。
 それによれば、高校最終学年の17歳の言語能力と数理能力は1970年代に比べて改善されていないことが分かりました。
 他方、9歳と13歳については、著しく改善されていることが分かりました。
 また、17、13、9歳のいずれについても、白人とヒスパニックないし黒人との間の格差は縮まったことも分かりました。ただし、2004年からはほとんど変化がありません。
http://www.csmonitor.com/2009/0429/p02s01-usgn.html
(同上)

4 終わりに

 日本はなかなか「知力」ならぬ「学力」の呪縛から逃れられないようですね。
 また、全国学力テストが導入されているというのに、そのデータが碌に公表されていない、というのですから不思議な国ですね。 
 東大を始めとする全国の大学の教育学部のレベルの引き上げと、(コラム#3231で言及したところの、)文科省の旧文部省出身キャリア官僚の総とっかえが必要でしょう。

太田述正コラム#3230(2009.4.22)
<米士官学校廃止の是非ディベート>(2009.6.3公開)

1 始めに

 ワシントンポスト上で、陸軍士官学校に焦点を合わせた形で、米国の陸、海、空各士官学校廃止の是非について、ディベートが交わされています。
 そのあらましをご紹介しましょう。

2 廃止論

 「・・・連邦予算を削減し同時に米軍の改善を図る方法は、陸軍、海軍、空軍士官学校を閉鎖し、浮いたカネの一部を予備役将校訓練課程(ROTC=Reserve Officers' Training Corps)(注1)の拡大に充てることだ。・・・(陸軍士官学校の学生には一人あたり30万米ドルの国費が使われているのに対し、ROTCの学生には13万米ドルしかかからない。)

 (注1)個々の大学または国防省が管理する、陸海空軍及び海兵隊の士官を養成するための教育課程。現在の米軍士官の約40%がROTCの出身といわれる。各軍士官のROTC出身者比率は陸軍の56%が最も多く、海兵隊の11%が最も少ない。在学中は学費全額支給に加え奨学金数百ドルを受け取り、卒業後は士官として米軍に入ることができる。元国務長官のコリン・パウエルは、ニューヨーク市立大学卒だが、ROTC出身だ。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%88%E5%82%99%E5%BD%B9%E5%B0%86%E6%A0%A1%E8%A8%93%E7%B7%B4%E8%AA%B2%E7%A8%8B
(4月22日アクセス)

 このような経済的メリットに加えて、私は何人かの指揮官達から、ROTC出身の士官達の方が、よりきちんと教育を受けていて、しかも軍についてより冷笑的でないという傾向があるので、好ましいという話を聞いている。・・・
 ・・・<それもそのはずであり、>陸軍士官学校の教官達の大部分は博士号を持っていない。
 どうして、若い人々に100%の奨学金を与えて、より学問的にしっかりした<高等>教育機関に送り、彼らが卒業した時点で、短期間の軍の学校で軍事教育を受けさせ<るという英国方式(注2)を採用し>ないのだろうか。

 (注2)4年制であって高卒者に士官教育と大学学部並みの一般教育を施し学士号を授与する米国の士官学校や、学士号保有者を対象に3年制で士官教育と大学院並の一般教育を施し修士号を授与するフランスのサン・シール(Special Military School of St Cyr)等とは異なり、英国の例えば陸軍士官学校は、学士号保有者(85%)、非保有者(15%)を問わず、44週間という1年足らずの軍事教育を施す。
http://en.wikipedia.org/wiki/Royal_Military_Academy_Sandhurst
http://en.wikipedia.org/wiki/%C3%89cole_sp%C3%A9ciale_militaire_de_Saint-Cyr
(どちらも4月22日アクセス)

 ROTC出身者は、より立派な士官になるだけではない。過去6人の統合参謀会議議長はROTC出身者だ。
 <英国方式を採用すれば、士官になる人々は、>未来の医者、判事、教師、経営者、市長、連邦議員と机を並べて教育を受けることができる。
 そうすることは、米軍にとってだけでなく、米軍が守る米国社会にとっても良いことだ。・・・」 
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2009/04/16/AR2009041603483_pf.html
(4月21日アクセス。以下、特に断っていない限り同じ。)

3 維持論

 (1)非個人主義的価値観注入のため

 「・・・軍事的組織の基本的な価値は、連帯意識(solidarity)、すなわち「全員が一人のために一人が全員のために」という、自分の命を、集団、戦友、及びより大きな「集団」たる国家全体のために投げ出す用意があるところに存する。
 この価値観を人々に吹き込むためには、集団的凝集性を脅かすところの、個人主義(及びその他の忠誠の対象)を、ナショナリズムと連帯意識によって置き換えなければならない。・・・
 <すなわち、>デュルケム(Durkheim<。1858〜1917年>)の造語である、「利他的自殺」・・集団のために自分の生命を投げ出すこと・・を実行する用意があるようにするためには、個々人をして<米国の一般社会とは>別個の文化に全身を浸させる必要があるのだ。・・・
 <これをやるのが士官学校なのだ。だから士官学校は不可欠な存在なのだ。>」
http://views.washingtonpost.com/leadership/panelists/2009/04/teaching-altruistic-suicide.html

→米国の士官学校のこのような機能については、以前にも触れたことがある。米国と同じく個人主義的な英国ではパブリックスクール等が士官予備教育的な役割を果たしており、また、欧州は個人主義的ではなく全体主義的な社会であり、日本もまた人間(じんかん)主義的な社会であることから、いずれも米国のように、士官教育の場で集団主義的文化を注入する必要がない。(コラム#は省略した。)(太田)

 (2)リーダーシップを身につけさせるため

 「・・・私の見解では、<士官たらんとする者に対しては、>リーダーシップは教えて身につけさせることができ、また、教えて身につけさせなければならない。
 <士官学校は、まさにそれを行う場なのであり、不可欠な存在なのだ。>」
http://views.washingtonpost.com/leadership/panelists/2009/04/lessons-from-wwii-leaders.html

 「・・・エイブラハム・リンカーンのスタイル、勇気、目標の明確さ、及び個人的資質からして、彼は生来のリーダーと言えるが、これらの重要な諸要素は、実際のところ、教えることなどできない。
 ただし、リーダーシップに係る一定のテクニックは教えることができる。
 どのように会議を開催するか、組織を改編するか、倫理的標準を設定するか、幕僚の士気を高めるか、他人を説得するか、等々。
 恐らく最も役に立つのは、リーダーシップのモデルが提供されることだろう。
 正確に言えば、これは教えられるということでは必ずしもないのであって、(歴史を紐解くことはとても有効だが、)範例を示すことができるということだ。
 個々人がそのモデルを見ておれば、決定的な瞬間にそれをマネしようと試みることができる。
 このようなモデルへの取り組みは、イメージトレーニングへと進みうるのであり、ここから更に、やがて最良質のリーダーシップが生まれうるのだ。・・・
 <士官学校は、このように、将来の士官がリーダーシップを自ら身につける環境を提供しているのであって、その限りにおいて、不可欠な存在であると言えないでもない。>」
http://views.washingtonpost.com/leadership/panelists/2009/04/some-skills-cannot-be-taught.html

→これは、必ずしも説得力ある議論ではない。米国では、青少年の課外活動が活発であって、これらの活動を通じてエリートにリーダーシップが身につくしくみができており、リーダーシップを身につけさせるのは士官学校の専売特許ではないのからだ。ちなみに、英国ではパブリックスクール等における士官予備教育を通じてエリートにリーダーシップが身につくし、欧州は、階級制の社会であって、エリートは、上流階級の一員として、当然のようにリーダーシップを身につける。問題は日本だ。戦後、エリート教育を放擲した結果、リーダーシップを身につけたエリートが払底してしまっている。いずれ、改めてこの問題を議論したい。(太田)

 (3)補足的議論

 「・・・3つの定評ある媒体である、Forbes、U.S. News & World Report、StateUniversity.com が、陸軍士官学校を米国の全部で4,000ある単科大学や総合大学の中で上位10校の中に位置づけている。
 Forbes.comは、陸軍士官学校を米国で6番目に優れた単科大学ないし総合大学であるとし、U.S. News and World Reportは、陸軍士官学校を「公立の最優秀な教養単科大学」であり、かつ5番目に優れた「学部レベルの工学課程」であるとしている。
 ちなみに、ローズ奨学生<(コラム#1009)>の数は、陸軍士官学校は第4位だ。・・・
 また、将軍の数で言うと、陸軍士官学校卒の士官が将軍になる割合は、<他のいかなる大学卒業者たる士官よりも>高い。・・・

 <このように、士官学校の一般教育の水準は高いし、これまで高級士官を輩出してきている。士官学校を廃止するなど論外である。
 だからといって、士官学校だけでよい、ということにはならない。>
 陸軍の三つの将校源であるところの、陸軍士官学校、ROTC、及び士官候補学校(OCS=Officer Candidate School)(注3)は、互いに補完的な関係にある。
 だから、この三つすべてが引き続き必要なのだ。・・・」
http://views.washingtonpost.com/leadership/panelists/2009/04/setting-the-standard.html

 (注3)下士官、兵士、学部卒業者に対し、士官教育を施す学校であり、陸海空各軍のほか、海兵隊と沿岸警備隊の学校もある。期間は10〜17週間と短い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Officer_Candidate_School
(4月22日アクセス)

4 終わりに

 実は、日本の防衛大学校は、士官教育を施す機関としてとしては、世界で他にその例を見ないユニークな存在です。それがどんなに深刻な問題を抱えているかは、拙著『防衛庁再生宣言』の第4章で詳述したところです。
 しかし、日本では、私が2001年に上記拙著で、防衛大学校の根本的な問題点を指摘したにもかかわらず、いまだに全く議論が始まる端緒さえ見えません。
 もとより、自衛隊そのものの存在根拠が明確になっていないのですから、無理もないのですが、このような米国でのディベートを見ていると、うらやましくてため息が出るばかりです。 

太田述正コラム#3220(2009.4.17)
<生まれか育ちか>(2009.5.31公開)

1 始めに

 生まれ(nature)か育ち(nurture)かという議論は尽きることがありません(コラム#2765、2798、3178)。
 今回は、知的能力にしぼり、最近の米国での議論をご紹介しましょう。

2 学力

 「勉強について行くのにアップアップしていた7学年の一定部分が、<自分に対する>自信を醸成するような作文をやらされた後、目に見えて成績が上がり、しかもその効果が8学年の期間中持続した、と研究者達が・・・発表した。
 この研究によれば、一番トクをした学生は成績が振るわなかった黒人達だった。他方、白人の学生達や、前から成績の良かった黒人学生達には何の変化も起きなかった。
 専門家達は、この研究成果はそれほど大きな話ではないと指摘する。
 というのも、トクをした学生達は、中学校を卒業する時に、かろうじて平均でCの成績をとった程度にとどまったからだ。
 それでおなお、この研究成果は驚くべきものであると言える。なぜなら、学校を良くする試みの効果は、大抵は短期間にとどまるものであるし、やらせた作文は、わずか15分間の短いものだったからだ。
 トクをした学生達は、別の作文をやらされた学生達に比べて、8学年の終わりに、平均点で0.5点近く上回った。・・・
 その作文というのは、学生達に自分にとって最も重要な価値を、運動能力、ユーモアのセンス、創造力、頭が良いこと、の4つのうちから選ばせ、どうしてその価値がそんなに重要なのかについて書かせるというものだ。
 学生達は各クラスの中で無差別に選ばれ、上述の作文をやらされるか、または対照群(control group)として、自分の価値とは無関係の作文をやらされた。・・・
 黒人の学生達が白人よりもトクをしたのは、前者が人種的ステレオタイプにより、学業成績について、より大きな不安を抱いていたからではないかと考えられている。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/04/17/science/17esteem.html?_r=1&hpw=&pagewanted=print
(4月17日アクセス)

3 知力

 学業成績全般をちょっとしたきっかけで上げることができる、ということは、学業成績全般を支えるところの、知力そのものを人為的に上げることもできるのではないか、ということを推測させます。

 「・・・結局のところ、一連の研究が示すように見えるのは、知能指数(IQ)は基本的に遺伝するということだ。
 例えば、一卵性双生児を引き離して育てても、目を見張るほど同じくらいのIQを持つに至る。
 二卵性双生児で一緒に育てた場合よりも、平均的に見て、より近似したIQを持つに至るのだ。・・・
 ・・・より高いIQは、人生におけるより大きな成功と相関度が高い。
 <ところで、>知力は中産階級の家庭において特に遺伝される度合いが高いのだが、だからこそ、双子の研究からこのような結論が得られたのだ。貧しい家庭の子供達はこれらの研究の対象にはほとんどなってこなかったからだ。
 しかし、・・・更なる研究がなされた結果、貧しく乱れた家庭では、IQは遺伝の結果とは言えないことが分かった。全員が知的発達を阻害されているためだ。
 「悪しき環境は、子供達のIQを抑圧する」というわけだ。・・・
 実際、同じ研究によれば、貧しい家庭の子供達が中産階級上位の家庭の養子になると、そのIQが12〜18も上昇することが分かったのだ。・・・
 IQの可塑性を示すもう一つ根拠は、IQが時代とともに急激に上昇してきたことだ。
 実に、1917年の人の平均IQは今日の知能テストに置き換えれば、73でしかなかった。・・・
 良い学校に通うこともIQを高めることと相関度が高い。・・・
 だから、・・・IQを高め、当人にとっての長期的福祉を向上させるためには、子供時代における早期の教育の必要性が力説されなければならない・・・。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/04/16/opinion/16kristof.html?pagewanted=print
(4月16日アクセス)

4 終わりに

 なんだ、当たり前のことばかりじゃないか、と思われました?
 しかし、以上のことは、知力が遺伝すること、民族間に有意の平均的知力差があること、家庭環境や教育環境の改善によって知力を向上させることには限界があること、を否定するものではありません。
 もちろん、知力を学力に置き換えても、事情は基本的に変わりません。

太田述正コラム#3210(2009.4.12)
<知力とは何か>(2009.5.27公開)

1 始めに

 英字紙の台北タイムスには、ガーディアン等、欧米の筆者が記した記事や論説が毎日のように転載され、その選択基準は極めて高いものがあります。
 本日の同紙には、これもよくあることなのだすが、PROJECT SYNDICATE
http://en.wikipedia.org/wiki/Project_Syndicate
配信コラムが掲載されていました。
 ケイス・E・スタノヴィッチ(Keith E. Stanovich)のコラムです。
 大変興味深いコラムだったので、この人が書いたという 'What Intelligence Tests Miss: The Psychology of Rational Thought' という本の書評をインターネット検索したのですが、ほとんどヒットしませんでした。
 しかし、あえて、彼が何を言わんとしているかをご紹介することにしました。
 なお、スタノヴィッチは、カナダのトロント大学の人間成長論と応用心理学の教授です。

2 スタノヴィッチの主張

 「2002年に認知科学者であるプリンストン大学のダニエル・カーネマン教授が経済学のノーベル賞を授与された。これは、1996年に亡くなった、長年の共同研究者のエイモス・ツヴェルスキー(Amos Tversky)と彼が一緒に行った研究に対して授与されたものだ。
 彼らの研究は、判断と意思決定に関するものであり、何が我々の考え方や行動を合理的(rational)なものにしたり非合理的なものにするのか、というものだった。
 彼らは、人々がどのように選択を行い確率を評価するかを模索し、意思決定において典型的に生じる基本的諸過誤を明らかにした。・・・
 合理的であるとは、<ある人が、>適切な諸目標を採択し、その諸目標や<その人の>諸信条を所与のものとした<場合における最も>適切な行動をとること、<そして、そもそもその人が、>集めうる証拠と適合的であるところの諸信条を抱くこと、を意味する。
 つまり、合理的であるとは、可能な最良の手段を用いて当人の人生の諸目標を達成することを意味するわけだ。
 だから、カーネマンとツヴェルスキーによって検証された思考の諸ルールを遵守しない人は、我々がそうあって欲しいと願ったほどには満足の行く人生を送ることができない、という実際的な結果がその人にもたらされることになる。
 私の実験室で実施した調査研究は、カーネマンとツヴェルスキーが研究した判断と意思決定の諸技術に関し、人々には、それぞれ固有の違いがあることを指し示した。・・・
 ・・・このような良い(=合理的な)考え方ができるかどうかの評価は知能テストでは行うことができない。
 知能テストは重要な事柄を計測するけれど、それが合理的な考え方の程度を評価することはないのだ。
 仮に知力が合理的な考え方についての強い予測指標であるとすれば、これは深刻な欠陥ではなかろう。
 しかし、私の調査研究グループが発見したことはその反対だった。つまり、知力はせいぜい、予測指標として全く役に立たないわけでないというくらいの話であって、合理的考え方の技術のいくばくかは、知力とは全く無関係である、ということが分かったのだ。・・・
 知力に対して世間がこれほど関心を持つのは、恐らくいくばくかは必要に迫られてのことなのだろうが、少なくとも同等に重要であるところの認知能力・・合理的考え方と行動を維持する能力・・を世間が無視する傾向があるのはいただけない。
 知能テストに対する批判者達は、長らく、この種のテストは、<人の>精神生活の重要な部分、すなわち、主として非認知的領域に属する社会的・感情的諸能力、共感能力、そして対人関係の技術、といったものを無視していると指摘してきた。
 しかし、知能テストは、<テストを受けた人の>認知的機能がどれほどのものであるかについての指標としては、根本的に不完全なのだ。そのことは、極めて高いIQを持つ人のうち、合理的に考えたり行動をとったりすることがいつもできない人が往々にして存在する、という単純な事実からも明らかだ。・・・
 心理学者達は人々を非合理的にするところの、考え方の過誤の主要なタイプについて研究してきた。
 すなわち彼らは、人々が、支離滅裂な確率評価を行う傾向があること、自分の知っている知識に関して自信過剰であること、別の仮説がありうることを無視すること、依怙贔屓的な証拠の評価を行うこと、効果をでっちあげること(framing effects)で首尾一貫しない好き嫌い(preferrence)を抱くこと、長期的福祉よりも短期的報酬を過度に重視すること、不適切な文脈<の設定>によって意思決定が影響されるのを受忍すること、などの様々な過誤を研究してきたのだ。・・・
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2009/04/12/2003440859
(4月12日アクセス)

 「・・・ロバート・スターンバーグ(Robert Sternberg)、ハワード・ガードナー(Howard Gardner)、ダニエル・ゴールマン(Daniel Goleman)といった知能テストの批判者達は、近年、この種のテストは感情、共感、対人関係に関する技術、といった重要な事柄を無視していると主張してきた。
 しかし、このような批判には、知能テストは、いくつかの重要な非認知的分野を扱っていないけれど、認知的分野で重要なことはほとんど網羅しているという含意があった。
 彼の本の中で、ケイス・E・スタノヴィッチはこの広範に抱かれている仮定に対し、異論を唱えている。
 スタノヴィッチは、知能テスト(ないしはそれに準ずるもの、例えばSAT<(=米大学入学資格試験(太田))>)は、<ある人の>認知的機能がどれほどのものかに関する指標としては全く不完全であることを示す。
 IQ等は、判断や意思決定といった「良い考え方」に係る技術と関係していると大部分の人が考えるところの諸性向を評価することができないというのだ。
 このような認知的技術は、現実の世界における行動に関してなくてはならないものであって、我々が計画し、決定的に重要な証拠を評価し、リスクと確率を判断し、効果的な決定を行うことに関わっている。
 これらは測定可能な認知的プロセスであるにもかかわらず、知能テストではこれらの技術を評価することはできない。
 <すなわち、>合理的思考は知力と同等に重要だとスタノヴィッチは主張<する。>・・・」
http://www.amazon.ca/gp/product/product-description/030012385X/ref=dp_proddesc_0?ie=UTF8&n=916520&s=books

 「・・・電子計算機が出現するまでは、計数に明るく論理に強いことが知力のすべてだと考えられていた。
 しかし、電卓の発明以降は、電卓が我々よりも何千倍も巧みに計算をしてくれることから、我々は、知力の定義をこれら以外のファジーな認知的諸機能へと移行させることを余儀なくされた。
 最近では、多数の心理学者達は更に先に進み、知能テストの重要性を疑問視するようになった。
 そして、対人関係に関する技術や共感能力を重視するところの、感情的・社会的知力に関する超認知的諸性格理論について議論するようになった。・・・
 <しかし、>スタノヴィッチ<に言わせれば、認知的分野でやるべきことがまだあるのであって、彼>は、知能テストは精神的明晰さ(mental brightness)だけでなく、賢明な意思決定、効率的な行動規制、思慮深い目標設定、そして証拠の適切な校正(calibration)、といった合理性(rationality)も考慮に入れることができれば、はるかに効果的なものになるだろうと主張するのだ。・・・
 知力が傑出している人が途方もなく非合理的な行動をとって我々に衝撃を与え驚愕させることがあるが、そんなことがどうして起きるのかを説明する必要がある、というわけだ。」
http://www.dimaggio.org/K-RS.htm

3 終わりに

 私の周囲には、入学試験にも国家資格試験にもめっぽう強い、恐らくはIQがメチャ高い人で、判断能力が極めて乏しいが少なくありません。
 恐ろしいことに、そういう人がキャリア官僚になったり弁護士や公認会計士等になった場合、出世したり高額所得者にならなかったケースの方が少ないと言ってよいでしょう。
 これは、戦後の日本では、官僚機構や弁護士事務所、監査法人等がまともな仕事をしていなかったり、資格者数が作為的に少なくおさえられてきたために、人事評価機能が働いていないか、人事評価しているわけにはいかないためでしょう。
 それはともかく、判断能力を評価できる試験が考案される日が早く来て欲しいものですね。
 そうなれば、判断能力のない人物は最初から排除することができるようになるからです。
 そしてそれと平行して、日本の受験システムや教育システムを、判断力の見極めや養成をもっと重視するものにつくりかえていく必要があります。 

太田述正コラム#3162(2009.3.19)
<MBAが世界不況をもたらした?(その2)>(2009.4.27公開)

 (2)ニューリパブリック誌(The New Republic)

 「・・・「ある意味で、<ビジネススクールの>財務(finance)の教授達が今回の<金融危機という>問題の原因をつくったのだ。これは確かに自慢すべき話ではない」とインディアナ大学の・・・ビジネススクールの財務学科長は語った。
 担保付き証券を分割(divvy up)して売る無数の方法から信用・債務不履行・スワップ(credit default swap<。貸付債権の信用リスクを保証してもらうオプション取引で、従来の銀行保証をデリバティブに作り変えたもの。貸付債権に債務不履行が起こった場合、その損害額を補填してもらう。>
http://www.findai.com/kouza/creditderiva.html#2%EF%BC%8E
)の爆発的増加に至るまで、今回の危機において最も大きな役割を果たした財務手法の多くについて、仮に、例えば住宅価格に穴が開いたり、大手たる契約相手方達が破産した場合に、どんなに困ったことになるかについて、しばしば十分な配意をすることなく、ビジネススクールで教えたり開発したりしてきた、と彼は指摘する。・・・
 ・・・<ビジネススクールは、>自由市場に対するナイーブな信仰に基づき、学生達にもっぱら短期的利潤を目指せと教えるとともに、途方もない経営幹部報償制度を正当化した・・・。・・・
 最初のマネージメントの学校が米国で創設された頃・・ウォートンが1881年、ハーバード・ビジネススクールが1908年・・は、これらの学校の金持ちたる創設者達は、多かれ少なかれ、<大企業の>社会的正当性について心配をしていた。
 というのは、当時、大企業が出現し始めていたのだが、無数の血生臭い労働紛争が起きたこともあって、大衆はこれらの巨大な存在に懸念を抱いていたからだ。
 防衛的措置としての意味合いもあって、諸ビジネススクールは、企業は公共の利益に沿った形でマネジメントすることができることを示そうと試みた。
 1930年代には、ハーバードの教授陣は規制の正当な役割を強調する科目を教えるとともに、不況時に労働者達が直面する心理的負担といった問題について研究を行ったものだ。
 このような心情は戦後まで持ち越され、<その頃までは、>ビジネス界のエリート達は、少なくともタテマエとしては、市民社会の諸グループや労働組合や政府と協働して仕事をするところの、経験豊富な政治家たるべく訓練されたものだ。
 「それは愛国的熱情にかられたものだった。・・それを支えた考え方は、米国で過激主義を回避しようと思ったら、よく訓練された、その権力を恣意的にふるうことがなく、建設的に用いるところの、啓蒙された経営者達が必要である、というものだった」とハーバード・ビジネススクール教授でビジネススクールの歴史についての著書・・・があるラケシュ・クラーナは説明する。
 しかし、このような心情は、1970年代に経済が苦境(malaise)に陥るとよろめき始めた。
 不満を抱いた投資家達は、彼らの諸帝国のマネジメントに適切性を欠いたため、株主達に損をさせたとして職務に専念していない(unfocused)経営者達を非難した。
 若い世代の学者達の一部は、敵対的買収や企業の贅肉を削ぎ落とし、節約をさせるために規制緩和をすべきだと主張し始めた。そして、彼らは経営者達は株価だけに関心を集中させるべきであるとするミルトン・フリードマンの考えを推奨した。
 要するに、効率的市場仮説によれば、短期的な株価は当該企業の健康状態についての最も良い指標なのだということになったわけだ。
 また、経営者達は、本来的に信頼できない存在なのであって、彼らの利害を<投資家達の利害と>整合性のとれたものにするためには、ストック・オプションといった適切なインセンティブを与えなければならないということにもなった。
 (乗っ取り屋(corporate raider)のT・ブーン・ピケンズは、1985年に、株主達の利害に「沿って仕事をしない」経営者達が多すぎることに不満を述べたものだ。)・・・
 2001年のアスペン研究所による、MBA達を2年間にわたって追跡した調査は、「優先順位の変更」が見られることを発見した。すなわち、学生達は、彼らの雇用者達や地域社会に対する責任はもちろん、顧客に対する責任までも蔑ろにし始めた。株主達が王様になったのだ。・・・
 ・・・<そもそも、>ほとんどのMBAコースは、企業の世界と親しい紐帯を維持する必要があった。
 というのは、教授達は色んな会社のコンサルタント業務をしばしば行うし、また、ケースメソッドに用いるケースを作成するために、これらの会社と緊密な関係を維持しなければならず、ビジネススクールとしても、大企業に社員を学生として経営幹部教育コースに派遣してもらわなければならなかったからだ。
 これらのすべてが、ビジネス社会とうまくやって行き、余り批判的にならない、という傾向をもたらした。・・・
 <カナダの>モントリオールのマクギル大学のマネージメント研究を行っている教授のヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg)・・・は、マネージメントは学校で教えることはできず、それができるというのは、危険なとさえ言える傲慢さであるとする。
 「ハーバードで教えるケース・メソッドを見たまえ」と彼は言う。「学生達は彼らが何も知らない会社のケースを読んで、教室にやってきて、これらの会社がどうすべきかをしゃべるわけだ。学生達は大した知識も持っていないことについて、適当なことをしゃべりまくっているだけなのだ」と。
 ミンツバーグは、MBA達がウォール・ストリートを肩で風を切って徘徊<し無茶苦茶を>したことに全くショックなど受けていない。
 「どうしたらいいかって? ビジネススクールを全部廃止すればよろしい。終わり。」・・・」
http://www.tnr.com/story_print.html?id=c4e9e361-fcdd-4098-afe5-400051102592
(3月18日アクセス)

3 終わりに

 ケース・メソッドの問題点、特にハーバードのように、ケース・メソッドだけによるビジネス教育の問題点については、以前から指摘されていたところです(コラム#507、509)。
 今回の金融危機で、新たにビジネススクールにおける科学的(数理的)教育の問題点、とりわけ財務(finance)における数理的教育の問題点が新たに指摘されるに至ったというわけです。
 この問題点が今回の金融危機の伏線となった面があることは確かではないでしょうか。
 私の見解を問われれば、ケース・メソッドは(もともとシカゴ大学のビジネススクールがそうであったように)全廃してよいし、むしろ全廃すべきだと思います。
 また、専門職教育をするビジネススクールそのものも、全廃すべきだと思います。
 なぜなら、そもそも経営者は、医者や弁護士のような専門職ではないからです。
 もちろん、専門職教育ではなく、専門的教育と研究の場である経営学の大学院は必要です。
 今だに日本にはビジネススクールが無きに等しい状況ですが、これは幸いであった、と言うべきでしょう。

(完)

太田述正コラム#3160(2009.3.18)
<MBAが世界不況をもたらした?(その1)>(2009.4.26公開)

1 始めに

 現在の世界不況を引きおこしたのは金融危機ですが、これにMBAが関わっているのではないか、という議論が英米で起きています。
 昔、米国でMBAを取得した私としても関心を持たざるをえません。
 どのような議論なのか、ご紹介することにしましょう。

2 英国での議論(ガーディアン)

 「先月、HBOSとロイヤル・バンク・オブ・スコットランドの前首脳陣が英下院財務委員会に招致され、どうして自分達の会社がこんなひどい状況に陥ったかきちんと説明するように求められのだが、彼らが銀行業に係る公的資格を持っているのかという質問が<議員から>出た。
 このうち一人だけが、少しは関係ありそうな資格を持っていた。HBOSの首席執行役員を辞任させられたアンディ・ホーンビーだ。
 ハーバードMBA達は自分達のことを誇りに思っている。とりわけ、ホーンビーのように、<同ビジネススクールを>首席で卒業したような場合は・・。・・・
 同じような議論が以前にも行われたことがある。
 一番最近では、米国のエネルギー産業の大手のエンロンが隠し借金の山でつぶれた時、この醜聞を引きおこしたのはもう一人のハーバードMBAのジェフリー・スキリングだった。・・・
 昨年10月、英ノッティンガム大学のビジネススクールのケン・スターキー教授は、ファイナンシャルタイムスに手紙を送り、MBAのコースは最も広い視点を与えるものとならなければならないとし、現在の「市場と個人主義(すなわち、貪欲と利己主義)という固定観念」を止めさせなければならないと訴えた。・・・
 ロンドン・ビジネススクールのMBAコースの選択科目を担当してきただけでなく、米国のいくつかのビジネススクールで教えたこともあるスリクマール・ラオは、・・・「我が英国のトップクラスのビジネススクールは真の意味での教育機関ではなく、ドグマを教え込む(indoctrination)機関なのだ。絶対に疑問を呈することが赦されないドグマがいくつかある。それは、市場の至上性と効率性、株主価値の極大化といったものだ。・・・」と言う。
 彼は、ビジネススクールで開発された、例えばエージェンシー理論<(コラム#40、42、113、676)>・・管理者(manager)達の利害と株主達の利害の調整が例えばストック・オプションといった装置を用いてなされる必要があるとする理論・・といったもろもろの観念が、管理者達が、そこからボーナスをがぶ飲みするところの、短期的利潤の世界を創造した、と信じている。・・・
 近代的意味での<世界>最初のビジネススクールは<ペンシルバニア大学の>ウォートンスクールであり、1881年創立だ。その約30年後に初めてMBAがハーバードで授与された。
 米国はこの分野で依然圧倒的優位を誇っているが、いくつかの海外の教育機関が激しく追い上げている。
 一般に最も権威があると見られている、ファイナンシャルタイムスのMBAランキングの今年の版では、ロンドン・ビジネススクール(LBS)がウォートンスクールとタイでトップにランキングされた。
 それより恐らくもっと重要なことだが、中共の学校である、上海にあるセイブス(Ceibs)が10位内に入った。・・・
 英国のMBAコースには行政機関ないし政府から派遣された学生がたくさんいるが、米国では、これらの人々はハーバードのジョン・F・ケネディ・スクールといったビジネススクールとは別個の教育機関に派遣される。」
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2009/03/13/2003438368
(3月13日アクセス)

2 米国での議論

 (1)ニューヨークタイムス

 「メリルリンチの前CEOのジョン・ザイン(Thain)もリーマンブラザーズの元CEOのリチャード・フルドも、メリルリンチの元CEOのスンタレー・オニールもシティーグループの元CEOのヴィクラム・パンディットも、また、ヘッジファンドのキングピンのジョン・ポールソンも、5人全員が・・・MBA保有者だ。・・・
 ・・・<米国の>トップクラスのビジネススクールは毎年卒業生の40%以上を金融の世界に送り出してきた。・・・
 ビジネス教育の批判者達は様々な不満を抱いている。
 ある者は、ビジネススクールは科学的になりすぎて現実世界の諸問題から離れてしまったと言う。またある者は、<学生達は、>複雑な諸問題について、性急に解決方法を見つけることが当然のように教え込まれていると言う。
 更にある者は、ビジネススクールは学生達に狭く歪んだ物の見方を伝授することで、企業の指導者として最も大切であるところの倫理的かつ社会的考慮に関しほとんど理解しないまま、株主価値を極大化することばかりを考えるようになって卒業してしまうと主張する。・・・
 1950年代の終わりに・・・報告書が出て、<ビジネススクールでは>凡庸な教授陣とカリキュラムでもって狭い職業的技術ばかりを教えている、ということを発見した。
 この報告書が勧告したことの一つは、ビジネススクールは、そのアプローチにおいてもっと分析的で理詰め(rigorous)でならなければならない、ということだった。
 何年か経って、ほとんどすべてのビジネススクールがそうなった。
 <ビジネススクールに>博士課程を設けるのが当たり前になったし、教授達は独立した研究を行い、学術雑誌に論文を発表するようになった。また、学生達は競争戦略を分析したり選択肢を評価したり等々をするための複雑なモデルを学ぶようになった。・・・
 <しかし今度は、>ビジネススクールは、理詰めさを強調し過ぎる一方で妥当性(relevance)を強調しなさ過ぎるようになった。・・・ビジネススクールは自分達が専門職を養成する学校であることを忘れてしまったのだ・・・。・・・
 ・・・<上記報告書に盛り込まれた>もう一つの大きな勧告は、ビジネス<の学生>は、行為規範と社会的役割についてのイデオロギーを持つところの、真の専門職にならなければならないというものだったが、この勧告はほとんど関心を惹くことがなかった・・・。
 ビジネススクールでは、・・・医者や弁護士<教育において>のように、学生達は専門職集団の一員になるのだ、と本当の意味で教えたことはなかった・・・。
 そして1970年代に入ると、企業の株価が成功のバロメーターであるとする考えが根を下ろし。その結果、ビジネススクールにおける、正しいマネジメント技術とは何であるかについての概念が変化してしまった・・・。
 長期的な経済面での執事(steward)と見られる代わりに、管理者達は、もっぱらオーナー、すなわち株主達、のエージェントであって株主の富を極大化することに責任を負っている、と見られるようになったのだ・・・。
 一種の市場原理主義がビジネス教育に根を下ろしてしまったわけだ・・・。
 大学にとってビジネス教育は金のなる木だった。というのは、ビジネススクールは運営経費が、精妙なる実験室や研究施設が必要な大学院などに比べて安上がりであり、しかもOBがどちらかというと気前よく寄付もしてくれるからだ。
 ビジネス教育は巨大なビジネスでもある。
 <米国では>約146,000人が2005〜2006年度にビジネスの学位を授与されたが、・・・これは大学院レベルの学位授与総数594,000のほぼ4分の1にあたる。
 それでも、ビジネス教育ですべてが順調だとは言えない徴候がある。
 大学院の学生達のカンニングについて調べた2006年の・・・調査によれば、MBA学生の56%がいつもカンニングをしていることが分かった。これは他のいかなる学問分野よりも高い比率だった。・・・」
http://www.taipeitimes.com/News/editorials/archives/2009/03/18/2003438735
(3月18日アクセス)

(続く)

太田述正コラム#3060(2009.1.27)
<東大生とオバマの読書傾向比較>(2009.3.12公開)

1 始めに

 たまりにたまった『学士会会報』を棄てようと思いながらぱらぱらとめくっていたら、2008-3 No.870 の49〜52頁に永嶺重敏氏の「東大生の読書事情」という論考が載っているのを見つけ、斜め読みしてみました。
 そのさわりをご紹介するとともに、東大生の読書傾向をオバマ米大統領の読書傾向と比べてみることにしました。

2 東大生の読書傾向

 「<当時の東大>書籍部の売り上げデータ<によると、>・・・戦後・・・昭和30年代・・・の東大生の・・・読書の中核を形成していたのは、岩波新書や岩波講座を中心とする岩波文化であった。・・・岩波文化と並んで、・・・もうひとつの大きな特徴は、『世界文学全集』(河出書房)、『現代教養全集』(筑摩書房)、『世界の歴史』(中央公論社)といった全集ものがよく売れていた・・・。このような岩波文化や全集文化によって、東大生の読書生活が形成されてきたことがわかるが、さらにもうひとつ東大生に重要な影響を与えてきたのは社会主義・・・とりわけマルクス主義・・・思想であった。・・・東大生の読書の歴史をふりかえって改めて感じさせられたのは、・・・<これら>以上に、彼らの読書生活において通奏低音のように流れている<共同性>の根強い伝統である。帝大新人会の頃から戦後の学生運動に至るまで、東大生たちは研究会や合宿、読書会、消費組合、図書・雑誌の共同購入といったさまざまな形で、自分たちの読むべき本を共同で入手し、共同で読み合うことを連綿と続けてきた。また、戦後の学寮においても、先輩から後輩へ読むべき本の継承が行われていた。そこにおいて、読書はまず何よりも、学生相互の人的なつながりの中で行われる共同的な営みであった。」

 前段は、私の大学時代(昭和40年代)にもあてはまるように思います。
 後段は、当時既に過去のものになっていたのではないでしょうか。

 「<ところが、現在の東大>新入生が入学後にどのような本を読んでいるのか、4月から・・・11月までの8ヶ月間に読んだ本の平均は78冊で、最も多いのが一、「マンガ・コミック」で36冊、次いで二、「勉学に直接必要な本」19冊、三、「小説・文芸書」17冊、四、「その他」7冊、五、「教養書」12冊の順となっている。次に、「よく読む雑誌」は、一、『Tokyo Walker』、二、『少年マガジン』、三、『少年ジャンプ』、四、『non-no』、五、『Number』の順で、マンガ雑誌と情報誌が圧倒的に多い。また、好きな作家は、一、村上春樹、二、司馬遼太郎、三、夏目漱石、四、立花隆、五、遠藤周作となっていて、村上春樹の人気が際立っている。この簡単なデータからだけでも、東大生の読書生活の中心が・・・圧倒的に「マンガ」によって占められていることがわかる。このような傾向は昭和43〜44年の東大紛争の頃から始まっていたようである。・・・大学解体を叫んだ学生たちは、同時に「教養」をも解体してしまった。・・・」

 道理で、マンガ好きの麻生首相が日本の首相になるわけですね。

3 オバマの読書傾向

 「・・・オバマは、読書に関しては収集癖的アプローチをとる傾向がある。すなわち、様々の筆者の考えを反芻し、その中から彼自身の世界観を肉付けしてくれたり探求すべき新たな道を示してくれる可能性の高いものを拾い上げ選択するわけだ。
 彼の前任者のジョージ・W・ブッシュはそれとは対照的に、カール・ローヴ(Karl Rove)と<読破冊数を>・・・競ったり、特定の筆者の論文を脅迫観念的に拳々服膺したものだ。
 ブッシュと彼の補佐官の多くは処方箋的な本を好んだ。例えば、世界中に民主主義を普及させるべきだと熱く語ったナタン・シャランスキー(Natan Sharansky)の'Case for Democracy'とか、政治戦略に基づき軍事戦略を推進しなければならないと論じたエリオット・A・コーエン(Eliot A. Cohen)の'Supreme Command'がそうだ。
 これに対しオバマは、簡単な解のない複雑な諸問題に取り組むイデオロギー色のない歴史家や哲学者の著書にあたる傾向がある。例えば、アンビバレント(ambivalent)な人間の本性や思い込み的(willful)な無知ないし不謬感の危険性を強調するラインホルド・ニーバー(Reinhold Niebuhr)の諸著書だ。
 更に付け加えれば、聖書やリンカーンの著作選集やエマーソンの'Self Reliance'とともに、小説や詩、シェークスピアの戯曲、ハーマン・メルヴィルの『白鯨』やマリリン・ロビンソン(Marilynne Robinson。<1943年〜>)の'Gilead'が好きである旨の言及がオバマのフェースブックの頁でなされているが、これは彼に言語に関する高い自覚を与えただけではない。これは、ブッシュによって援用されたところのマニ教的<な善悪二元論的>世界観とは全く異なるところの、歴史に関する悲劇的感覚、及び人間の条件が不分明であるとの感覚を彼に吹き込んだのだ。
 オバマは、彼が大学時代に「とてもできの悪い詩」を書いたと語ったことがあるが、彼の伝記作家・・・は、彼が一時期「副業としてフィクションを書こうという気持ちを抱いたことがあった」ことを示唆する。
 実際、<オバマ自身の手になる回顧録である>'Dreams From My Father'は、彼が、生来的に物語を紡ぎ出す才能・・後に彼が選挙戦を戦う際に大変役立った・・、及び、才能に恵まれた小説家達が持つところの共感能力(empathy)と距離感を持っていることをはっきり指し示している。
 この回顧録の中で、オバマは、彼の転転とした子供時代に住んだたくさんの場所を想起しつつ、自分自身のものとは異なった見解を絶え間なく紹介し続けている。これは、彼の党派的分離に架橋するとの約束及び選挙民達の希望と夢をとりもつ彼の能力の恐らくは前兆なのだろう。
 彼は、ある時は窓ガラスに鼻をくっつけることを止めることを学ぶよそ者となり、ある時は彼の過去についての聖歌隊的見解を我々に提供するところの冷静な全能の観察者となる。
 ボールドウィン(James Arthur Baldwin。1924〜87年)がかつて喝破したように、言語とは、「政治的道具、手段、そして力の証明であり、かつ、<その人間の>正体(identity)を指し示す最も生々しい残酷な鍵なのだ。それは、<その人間の>私的な正体を暴き、その人物とより大きな公的または地域社会的な正体とを関連づけるか切り離す」のだ。・・・
 ・・・オバマが敬意を払う小説の多く、例えば、<ノーベル賞受賞黒人女性作家の>トニ・モリソンの・・・、ドレス・レッシング(Doris Lessing)の・・・、エリソン(Ralph Waldo Ellison)の・・・、は正体(identity)の問題を扱っている。
 また、オバマが大統領就任式詩人に選んだエリザベス・アレキサンダー(Elizabeth Alexander)・・・<の詩や、>オバマが最近その詩集を手にしていたところの、デレク・ウォルコット(Derek Walcott)<の詩もそうだ>。
 この自己創造なる観念は最も米国人らしいものだ。そもそもそれは米国建国の基本原則であり、『偉大なるギャッツビー(The Great Gatsby)』<(F. Scott Fitzgerald著)>といった古典的作品において取り組まれた事柄であり、それは、オバマの想像力に大きな影響力を及ぼしているように見える。
 2005年にタイム誌に掲載された論考において、オバマは、自分がリンカーンと同じく取るに足らない存在から出発したと記した上で、16代大統領<(リンカーン)>が自分に「我々のより大きな夢に合致するような存在に自分達自身を常に作り変えていくことができるとの確固たる信念なる、米国人の生活におけるところの、より大きな基本的要素」を教えてくれた、と付け加えている。・・・」
http://www.nytimes.com/2009/01/19/books/19read.html?pagewanted=print
(1月20日アクセス)

4 感想

 オバマは、ハーバード・ロースクールで学術雑誌の編集長を務め、シカゴ大学で憲法学の講師をやった人物ですから、論理的文章を書く達人です。
 その彼が、同時に練達の物語読みであり物語書きでもあるというのですから、彼の文章や演説が人を動かすのは当然と言うべきか。
 この、いわば現代米国の粋のような人物と、マスとしての現代東大生の読書傾向を比較することにいかなる意味があるのかとお叱りを被りそうですが、思わず嘆息してしまうのは、私だけではありますまい。

太田述正コラム#2804(2008.9.21)
<多すぎる大学生>(2008.11.8公開)

1 始めに

 1994年に、ハーバード大学教授との共著で'The Bell Curve: Intelligence and Class Structure in American Life' というベストセラーを上梓して大論争を引き起こした、アメリカン・エンタープライズ・インスティテュートのチャールス・マレー(Charles Murray)が、またもや論争を引き起こしそうな本を上梓しました。
 ちなみに前の本は、知能は、両親の社会的経済的地位や本人の教育程度よりも、金銭収入、仕事のパーフォーマンス、婚姻外妊娠、そして犯罪を予想するのに適した指標である、と指摘したものです。
 一番論争を引き起こしたのは、人種ごとに知能に長期にわたって差異が見られることと、これがいかなることを意味するか、とについて論じた箇所です。
 ただし、この本では同時に、民族的な違いにどれだけ遺伝子と環境がそれぞれかかわっているかの議論にはまだ決着がついていない、とも記されていました。

 (以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Murray_
(9月21日アクセス。以下同じ)による。)

 今度新たに上梓された本は'Real Education' です。

2 マレーの主張
 
 マレーが、この本の中で、及びこの本に関連してどういうことを言っているか、簡単にご紹介しましょう。
 
 同一年齢の80%の人間は大学の通常の教材を理解する力はない。要するに、大学には20%が行けばいいのだ。

 マケインは学年で899人中894位で米海軍兵学校を卒業したが、これは彼が学習能力が劣っていたということではなく、ビールばかり飲んでいたせいだ。
 ただ、マケインの取り巻き連中がマケインの反知性主義を売り物にしているのは分からないでもない。
 これまでで最もIQが高かった米大統領は、多分ジミー・カーター(Jimmy Carter)だろうが、彼はこの50年間で最悪の大統領だったからだ。

 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/09/21/magazine/21wwln-Q4-t.html?ref=magazine&pagewanted=print
による。)

 高校生は、職業が二つの入れ物に仕分けされているという有害な観念を注入されている。大学の学位が求められる良い仕事と、求められない悪い仕事に・・。その結果、学生達はカウンセラー達によって、その能力いかんにかかわらず大学へ行くことを勧められる。技術的ないし匠的な仕事が無数にあってそれらがチャレンジングで面白くて収入もいいことなどは教えられないのだ。

 学術向きであると私が他の人々よりずっておおまかに定義しているのは、学業成績でトップの10%だが、その大部分は大学へ進学する。彼らについては、足に火の洗礼を受けさせなければならないのだ。彼らは各期末の論文を教授達によって文法的誤りがあれば自動的に減点されなければならず、また、教授達によって正確な論理と首尾一貫した論述が求められなければならないのだ。彼らは正確な判断をするための道具を身につけなければならない。そのためには、何よりも歴史を豊富に身につけなければならないし、・・・確率論の基礎を徹底的に身につけなければならない。・・・そして彼らは倫理と良い人生を生きるということがいかなることか、に関する基礎を徹底的に学ぶ必要がある。つまり、・・・哲学、文学、そして芸術に関して人類がこれまで生み出した最上のものを扱う幾多の科目をとらなければならないということだ。そして最後に、最も上澄みの学生は、・・・容易なことではないが、知的謙虚さをを学ばなければならない。

 ・・・史上初めて、一人の子供も取り残されてはならない(No Child Left Behind)法を米国政府が成立させた。この法律は、・・・2014年までに数学と読解の試験点数が現在のトップ30%相当に70%が入らなければならないというのだ。これはばかげた目標だ。こんなに沢山の子供達が読解と数学がこんなにできるようになるだけの能力を持っていないという事実を受け入れようとしないのだから・・。

 (以上、
http://www.rightwingnews.com/mt331/2008/09/katie_favazza_it_seems_your.php
による。)

3 反論

 この本に対する批判は、揚げ足取りに類するもののほかは、まるでかみ合っていない以下のような議論しか出てきていないように思われます。

 「米国は、教育達成度において世界のリーダーたる羨むべき地位を長く占めてきた。 わずか10年前には米国は他の先進諸国を教育の分野においてリードしていた。しかし、もはやそうではない。今では高等教育を終了した青年の比率において米国は10位になってしまった。高等教育管理システム・国家センター(The National Center for Higher Education Management Systems)は、米国が2025年までに6,310万人の学士号取得者を生み出さなければ、カナダ、日本、そして韓国の学士号取得者の対成人比相当に達することができないことを指摘した。今のままのペースで行けば、われわれはこの目標より1,600万人もの学士号取得者が不足してしまうというのだ。」

 だから、マレーの主張は間違っている、というのですが、いかがですか。おかしいでしょう。

 (以上、
http://www.insidehighered.com/views/2008/08/21/perry
による。)

太田述正コラム#2189(2007.11.21)
<人種別知能指数比較(その2)>(2008.5.21公開)

 (本シリーズの前篇は即時公開しましたが、本篇は当分の間、非公開とします。)

 それでは、サレタンの二日分の話のさわりをご紹介しましょう。
 なお、私は一人の人間の書いたものだけに拠ってコラムを書くことは原則としてしないのですが、なかなか本格的なコラムを書く時間がとれないことと、サレタン自身が資料を広汎に渉猟して本コラムシリーズを書いていることから、ご容赦いただきたいと思います。

 米国の黒人はアフリカの黒人よりIQが15高い。
 これは、米国の黒人に白人との混血が多いからだ。
 実際、米国の黒人の中で最もIQが低いのは、最も混血が少ない南部の黒人だ。
 同様、南アフリカの黒人と白人の混血は同じ南アフリカの黒人と白人のIQの中間値を示す。
 良い環境はIQに良い影響を及ぼす。
 母親は父親よりも子供に及ぼす環境的・生物学的影響が大きい。
 ただし、ここで言う生物学的影響とは、ホルモン的または栄養学的影響であって遺伝的影響ではない。

 現時点で、言えることは次のとおりだ。

一、個々人のIQを人種のIQから予想することはできない。
二、部分集合のIQを人種のIQから予想することはできない。
 例えば、米軍兵士は、一定以上のIQの者を選別して採用されることから、白人兵士と黒人兵士との間にIQ差はない。
三、白人のIQは世界の人種の中でトップではない。
四、人種差別は情報不足に由来する選良主義だ。
 個々人のIQを公開すれば、人種による十把一絡げ的差別は雲散霧消する。
五、人種間婚姻は格差を縮める
六、環境要因も重要
 IQの違いの20%から50%は環境要因に起因する。
 とりわけ大きいのは栄養不足、疾病、教育不足であり、これらは、白人とアフリカの黒人の間にIQ差30ポイントをもたらした大きな要因だ。
七、IQは富のようなもの
 金持ちはけしからんと貧乏人は次第に言わなくなった。IQの大小についてもやがて人々は問題にしなくなるだろう。しょせんIQは人間の価値の指標などではなく、現代における社会的経済的成功を予測させる指標にすぎないからだ。
八、人生はIQを超えている
 たとえIQは低くても、勤勉であるならばそれはそれで立派なことだ。
九、子供は投資対象ではない
 IQが低い子供だって人権がある。
十、遺伝上のハンデは克服可能
 遺伝病であるフェニケルトン病(phenylketunuria=PKU)は治癒可能だ。また、環境を変えることである程度ハンデを克服することも可能だ。
 しかし、白人の女性は黒人の女性の3倍母乳で乳児を育てるところ、黒人ももっと母乳で育てるようになれば黒人のIQも上がると主張されたこともあるが、最新の研究によれば、母乳で育った乳児は、そうでない乳児よりIQが7ポイント高いところ、中には母乳で育ってもIQが高くならない乳児がいるし、特定の遺伝子を欠いているためにかえってIQが低下する乳児もいることが分かってきた。        
 ちなみに、この遺伝子を欠いている割合は、支那人や日本人は2.2%、欧州系米国人は5%、ナイジェリア人は10%だ。

 (以上、              
http://www.slate.com/id/2178122/entry/2178124/
http://www.slate.com/id/2178122/entry/0/
(どちらも11月21日アクセス)による。)

3 感想

 まだご存じなかった方々は、朝鮮半島の住民と日本人が、平均IQにおいて世界有数の高さを誇っていることを覚えておいてくださいね。

(完)

太田述正コラム#2185(2007.11.19)
<人種別知能指数比較(その1)>

1 始めに
 
 人種ごとに平均知能指数(IQ)が異なるという話は、以前(コラム#538で)「「人種」のIQを、データの得られている範囲で高い方から並べると、欧米のユダヤ人、東アジア人(中国人・日本人・朝鮮人)、欧米の白人=イスラエル人、アラブ人(エジプト人)=米国の黒人、アフリカの黒人の順となる。厳しい環境(寒冷な気候や迫害)・移住(やる気。奴隷としての移住は逆。コラム#280参照)・漢字の習得・IQの高い「人種」との混血・高い生活水準、が高いIQをもたらすと考えられている。」という具合にやったことがあります。
 これに関連する話も、コラム#1159、1465、1490、1491でやったことがあるので、関心ある方はご参照下さい。

2 サレタンの指摘

 (1)ワトソン博士の受難

 DNAの共同発見者3人のうちの1人であるワトソン(James Watson)博士は、先月、「アフリカの展望については悲観的たらざるをえない」、何となれば「われわれの社会諸制作は彼らの知能がわれわれと同じであるという事実に立脚しているところ、あらゆる検証の結果はそれがそうではないことを示しているからだ」と述べ、囂々たる非難を浴び、研究所長の職を辞する羽目になりました(
http://www.slate.com/id/2175899/
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/10/17/nwatson117.xmlhttp://www.slate.com/id/2178122/entry/0/
。いずれも10月19日アクセス)。

 (2)サレタンの指摘

 米国の科学コラムニストのサレタン(William Saletan)は、次のように指摘しています。

 「・・約10年前のデータだが、米国の白人の平均IQは103だった。アジア系米国人は106、ユダヤ系米国人は113、中南米系米国人は89、アフリカ系米国人は85だった。研究結果によれば、世界においても同じ一般的傾向が見られる。白人は100、東アジア人は106、サハラ以南のアフリカ人は70だ。別のIQ表では、香港が113、日本が110、英国が100、豪州、カナダ、欧州、ニュージーランド、南アフリカ、そして米国の白人の数値も世界全体としての黒人のそれよりも英国の数値に近い。この傾向は少なくとも1世紀にわたって変わっていない。
 ・・IQの差異の半分以上は遺伝によるものだ。・・
 平均して、アジア系米国人の子供達の大脳は、白人たる米国人の子供達の大脳より大きいし、彼らの大脳はまた、黒人たる米国人の子供達の大脳より大きい。身体の大きさや体重ではこの逆の傾向が見られるというのにそうなのだ。この傾向は世界においてもあてはまるし、死ぬまで変わらない・・。
 ・・頭の大きさと大脳の分量の差異の50から90パーセントは遺伝によるものだ。・・
 仮にアフリカ人、アジア人、そして欧州人が異なる遺伝子を進化で得たとするならば、その理由は、それぞれの遺伝子がそれぞれの環境に適合的なものになったということだろう。
 平均して、白人に比べて黒人は子宮の中でより早く成熟し、より早く生まれ、歯を生やし、力と器用さを備える。また、黒人はより早くおすわりをし、這い、歩き、自分一人で着物を着ることができるようになる。そして彼らは、より早く性的に成熟し、より良い視力を備える。これらすべてにおいて、東アジア人は白人や黒人に遅れをとる。その代わり、東アジア人は、より長く生き、より大きな大脳を得る。・・」
 (以上、
http://www.slate.com/id/2178122/entry/0/
上掲による。)

 サレタンは、明日もこの話を続けると言っています。
 乞うご期待。

(続く)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太田述正コラム#2186(2007.11.19)
<大蔵官僚群像(その3)>

→非公開

太田述正コラム#1534(2006.11.28)
<あるスタンフォードMBAと日本の産業の将来>

1 始めに

 約30年前のある夜、スタンフォードに留学していた私のマンションタイプの寮を、技術系の日本人の友人に連れられて、一人の日本人の青年が訪れてきました。
 服部純市と名乗ったその青年は、友人の話では、セイコー・グループの創業家の御曹司なのだというのです。
 服部氏は、スタンフォード・ビジネススクールに留学することを考えているので、先輩諸氏からアドバイスをいただきたいと思って訪米した、と語りました。
 その時、私は、ビジネススクールなんてハクをつけるだけで実際には物の役に立たないよ、あなたはハクなどつける必要がないのだから、MBAを取得する必要はないでしょう、と言ったような記憶があります。
 これは、ビジネススクール同期の日本人の大方の意見でもあったのですが、後から考えたら、浅はかな間違いでした。
 2年間のビジネススクール教育こそ、私の今日のクリティカルな物の見方を決定的に形作ったことを、10年くらい前から自覚するようになったからです。
 そんなアドバイスにもめげず、服部氏は、ビジネススクールに留学した、と後で聞きました。
 その服部氏が、11月16日付でセイコーインスツル(SII)代表取締役会長兼社長代行の職を解任されたことを昨日、あるコラム(
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061124/114351/
。11月27日アクセス)を読んで知りました。

2 服部氏の主張

 このコラムによれば、セイコーグループの中核企業であり、大手電子部品メーカーでもある企業のトップとしては、服部氏はいささか過激な主張を唱えていたというのです。
その主張とは次のようなものでした。

 日本経済不振の真の原因はバブル崩壊ではなく、日本を牽引していた製造業の不調だ。 例えば、日本の時計産業はクオーツ技術により世界一の座を占めたが、生き残ったスイスの時計メーカーが、高級機械式時計を中心に世界のリーダーに返り咲いている。
 これは、クオーツにシフトした結果、日本の時計メーカーは機械式時計を作る技術を失ってしまったためだ。日本はブランド戦略でも負けたが、技術でも負けたのだ。
 そもそも、クオーツ技術だって開発したのはスイスの方が先だ。
 日本メーカーは部品から完成品まで手がける垂直統合型を取っており、一気にクオーツへ切り替え、量産に踏み切ることができた、というだけのことだ。
 これからは、価格・機能・品質「以外」の新しい付加価値・・「匠(たくみ)」・・が重要であり、日本企業はそのためのテクノロジーを追求する必要がある。
 日本は、新しい「匠」のテクノロジーを開発して高付加価値製品を考案する。そのノウハウを発展途上国に提供し、完成品を作ってもらう。日本はノウハウのロイヤルティーを得てもいいし、途上国へ投資し、そこからリターンを得てもいい。
 日本のものづくりは空洞化してもかまわない。

3 服部氏の主張の評価

 これは恐ろしい主張です。
 服部氏の主張をより一般的な形で言い換えると次のようになります。

 工業製品には2種類のタイプがある。
 一つは、摺り合わせ型(インテグラル型)であり、自動車や精密機械のように、部品を相互に細かく調整して、隙間無く組み上げていくことによって全体としてうまく機能するタイプだ。(自動車の90%以上の部品は,その企業グループでしか通用しない特殊設計部品。)
 もう一つのタイプは,モジュール型(組み合わせ型)であり、デスクトップパソコンや自転車のように、一般の汎用部品の寄せ集めでもそれらを組み立てればまともに機能するタイプだ。
 日本は昔から伝統的な熟練技術者が多かった(注1)ことと、日本型経済体制(コラム#40、42、43)の下、水平的な情報共有度・・企業内組織間の情報共有度や組み立てメーカーと部品メーカー間の情報共有度・・が高かったことから、摺り合わせ型に強かった。

 (注1)江戸時代には、夥しい種類の工芸品が熟練した職人達によって生産されており、幕末以降に来日した欧米人は一様に、低価格の工芸品まで質が高く美しいことに目を見張った(「逝きし世の面影」214??219頁あたり)。

 しかし、デジタル技術の進展、半導体技術の飛躍的進展によって、ここのところ、急速にモジュール型の製品が摺り合わせ型の製品に取って代わりつつある。
 しかも、日本の熟練技術者の宝庫であり、日本の産業基盤であった中小企業は衰退しつつあり(注2)、日本型経済体制もまた、グローバライゼーションのかけ声の下で崩壊しつつある。

 (注2)日本の中小企業は1986年には532万社あったが、2004年には432万社へと18年間で100万社も減っている。
     そもそも、安い人件費を求めて中小企業が中共等に流出している上、人材難・中共製品の流入などによる中小企業の経営環境悪化・少子化・骨の折れる仕事を避け公務員やサラリーマンを選ぶ風潮等により、中小企業は後継不足にあえいでいる。
     20年前は子供が中小企業の家業を継ぐ割合は79%だったが、今ではこの割合が41%にまで落ち込み、このためもあって、2004年度の日本の中小企業経営者の平均年齢は57.33歳。1982年は52.08歳と、中小企業経営者の高齢化が急速に進んでいる。
     (以上、
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/10/29/20061029000009.html
     (10月29日アクセス)による。)

 だから、摺り合わせ型製品における日本の強みは減衰しつつある。
 ではモジュール型製品ではどうか。
モジュール型製品においては、各モジュール分野で世界的にみて圧倒的な競争力を持つ企業に付加価値の大半が流れてしまうという現象が起こっている。
 しかし、パソコンにおいて、半導体や基本ソフトなど、コアになるモジュールはインテルやマイクロソフトのような米国企業の独占状態であることからも分かるように、日本企業はコア・モジュールの研究開発能力において、米国企業に比べて劣っている。
 しかもモジュール型製品の生産(組み立て)基地としては、人件費が低い中共等に日本は逆立ちをしてもかなわない。
 (以上、特に断っていない限り
http://bbiq-mbs.jp/blog/nagaike/post_65.php、及び
http://www.murc.jp/nakatani/articles/misc/200406.html
(どちらも11月28日アクセス)による。)

 よって、日本企業は、機能・品質に係る研究開発や、価格に係る生産、以外の何かを追求する以外に生き残る手段はない。
 その何かを私は「匠」と名付けた。

4 感想

 もとも求道者的であった服部氏は、ビジネススクールに留学して、一層その洞察力や予見力に磨きがかかったのでしょうね。
 彼が学者になったのならそれでよかったのです。
 問題は、彼が生まれつき日本の企業を経営をする立場に置かれていたことです。
 その企業が、どれだけ努力しても確実に衰退していく将来が見えていた彼に、そう言われ、だから「匠」・・私に言わせれば、青い鳥以外の何物でもない・・を追求するほかない、と言われた部下や大株主等がどんなに当惑し、反発したかは想像に難くありません。 それが、服部氏の解任につながったのでしょう。
 しかし、服部氏の主張を日本の製造企業論ととらえた時、その99%は間違っていません。
 青い鳥はいないのですから、われわれは、日本の企業の技術開発力を高め、かつ日本を生産基地として再生させる方法を必死になって求めなければならないのです。
 それができなければ、日本の産業の空洞化は、とどまるところなく進行していくことでしょう。

太田述正コラム#1491(2006.11.6)
<人種と知能(その2)>

4 英国で持ち上がったばかりの論議

 そこへ、英国で新たな議論が起きつつあります。
 今度は今年、つい先だって、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックスのサトシ・カナザワ(Satoshi Kanazawa)という日系米人の講師(数量分析方法論(Quantitative Analysis)を教えている)が、英国のBritish Journal of Health Psychologyという学術雑誌に衝撃的な論文を上梓したのです。
 彼は、社会科学のすべての分野(社会学・心理学・政治学・経済学・人類学)で業績を残している新進気鋭の学者であり、彼が今年これまでに書いた論文には、「文化はどこから来るのか」、「まずは経済学者を全員殺さなければならない・・:マネージメントの研究におけるミクロ経済学の不十分性と発達心理学の必要性について」、といったものがあり、この二つのタイトルを一瞥しただけで、彼の恐るべき才気を感じます。
 今回の問題の論文は、「知性の格差に注目せよ:不平等と健康の関係を再考する(Mind the gap…in intelligence: Re-examining the relationship between inequality and health)」というタイトルであり、その要旨は次のとおりです。

 経済史学者のウィルキンソン(Richard Wilkinson)は経済的不平等はその社会の構成員全員の健康と寿命を減じると主張した(コラム#817)が、そんな議論は彼自身の方法論に照らしても成り立たない。最近の発達心理学理論によれば、人間の大脳は、大昔の環境に適応して形成されたので、形成された当時の環境には存在しなかった物や状況が出現した時、それらを把握しそれらに対応することは容易ではない。このような、次々に生起する新しい諸問題を解決するための特別な適応として人間の一般的知能が発達した(注2)。現代社会における健康への、銃・車・運動不足・薬品・酒、といった様々な重大な危険は新しいものであるだけに、より知能の高い個人は、このような様々な危険を認識してそれらに対処することがより容易であり、だから長寿となるのだ。

 (注2)一般的知能を測定したものがIQであり、知能すなわちIQはおおむね遺伝的に決まってしまう。

 社会調査データは、所得と知能のどちらも(自己申告された)健康にとってプラスの効果を有しているものの、知能の方が所得より効果が大きいことを物語っている。金持ちで平等な社会に住む人々の方が寿命が長くて健康(注3)なのは、彼らが金持ちで平等だからではなく、知能が高いからであることをデータは示しているのだ。

 (注3)知能の高さと寿命の相関度は、平等度と寿命の相関度の7??8倍にのぼる。

 もっとも、サハラ以南のアフリカ29カ国の人々に関してだけは、例外的に知能の高さと寿命ないし健康度との相関度が低く、一様に寿命が非常に短く健康度も極めて低い(注4)のだが、これは、彼らの知能が、他の地域の人々に比べて総じて顕著に低いからだ。このように彼らの知能が低いのは、この地域が長期にわたって余り変わらなかったため、人々が新たな物や状況の出現を把握し対応する必要がほとんどなかったからだと考えられる。こうして彼らの知能が低いために、彼らは現代の様々な重大な危険に直面してなすすべがない、というわけだ。

 (注4)その中でも最低がエチオピアであり、人々の平均IQは63で、平均寿命は40代半ばという短さだ。
 
 この論文に対しては、既に、これは新しい優生学だ、といったいくつか批判の声が挙がっていますが、これが学問的にきちんとした論文であるだけに、今のところ、批判は及び腰にとどまっています。
 (以上、
http://observer.guardian.co.uk/uk_news/story/0,,1939891,00.html
http://www.lse.ac.uk/collections/methodologyInstitute/whosWho/profiles/s.kanazawa@lse.ac.uk.htm
http://www.ingentaconnect.com/content/bpsoc/bjhp/2006/00000011/00000004/art00006
http://bps-research-digest.blogspot.com/2006/10/is-low-intelligence-to-blame-for-short.html
による。)

5 感想

 ポリティカル・コレクトネスの観点から、私の突っ込んだ感想は差し控えさせていただきますが、サハラ以南のアフリカの抱える問題や米国の黒人問題の本質をめぐる論争が、今回カナザワによって科学的に終止符を打たれた、という観があります。
 以前にも(同じくコラム#817で)申し上げたように、日本の戦後の人文・社会科学の低迷ぶりはまことに歯がゆいものがあります。
 たまたま本日、日本の男性の母親と配偶者の身長に強い相関があることを東大の研究グループがつきとめた、という記事が出ていました(
http://www.asahi.com/life/update/1106/004.html
)が、こういった研究成果がどんどん出てきて欲しいものです。

(完)

太田述正コラム#1490(2006.11.6)
<人種と知能(その1)>

1 始めに

 言論の自由を尊ぶ英国社会においても、人種差別的言論だけは別のようです。
 これは、英国が、人種差別を厭い、人種的・民族的多様性に高い価値を見出してきた社会だからこそでしょう。
 その英国における、昨年から今年にかけての、人種と知能との関係に関する議論をフォローしてみたいと思います。

2 前史としての米国での議論

 その前に、1994年から米国で起こった議論を振り返っておく必要があります。
 この年、心理学者のハーンスタイン(Richard Herrnstein)と政治学者のマレー(Charles Murray)が共著、The Bell Curve, Free Press を上梓したことをきっかけに米国で大議論が巻き起こります。
 ベルカーブというのは、知能指数が正規分布をなしていることからとられたタイトルです。
 彼らは、知能指数(IQ)が両親の社会経済的地位よりもはるかにその子供が社会に出てから到達する社会経済的地位と相関が高い、と指摘し、米国の黒人は白人より平均的にIQが1標準偏差ほど低く、これが黒人の社会経済的地位の低さにつながっているとし、米国の福祉政策の多くは、黒人人口を増やす働きをしているので廃止すべきだ、と主張したのです。
 米国社会の中ではもちろん、学界の中でも大議論になったのですが、学界における議論においては、彼らにおおむね軍配が上がったと言ってよいでしょう。1996年に米国政府が、母子家庭への生活扶助プログラムに大なたを振るったのは、この本のせいだ、とも言われています。
(以上、
http://en.wikipedia.org/wiki/The_Bell_Curve
(11月6日アクセス。以下同じ)による。)

3 英国での昨年の論議

 英国のリーズ(Leeds)大学のロシア・スラブ学講師のエリス(Frank Ellis。元SAS隊員という変わり種)は、昨年、要旨以下のような議論を同大学の学生新聞で開陳したため、学生達やメディアで叩かれ、大学当局は彼を休職とし、エリスは自主退職に追い込まれたのです。
 
 人種(race)は存在しないという議論があるが、肌の色が違うのは歴然たる事実だ。だとしたら、知能も違っていても不思議ではない。
 1970年代末のデータによれば、サハラ以南のアフリカの人々の平均IQは70だ。米軍ではIQ80未満は兵士として採用しない。単純な命令も守れないからだ。IQ70となると、ほとんど智恵遅れと言ってよい。これでは技術的に高度な文明を維持することはできない。アフリカが信じがたいほどの腐敗や愚行、迷信や蛮行の世界であるのは当然だ。エイズが蔓延するのは、エイズの恐ろしさが理解できなかったり、仮に理解できても性的衝動を抑制できないからだ。黒人は自分達で、文字も数学も生み出すことができなかった。
 このような黒人の移民を英国が受け入れて何のメリットがあるのか。こんな「多様性(diversity)」に価値などあるわけがない。英国が破壊されるだけだ。連中をかき集めて、故郷に送り返すべきだ。

 エリスは、ロシア・スラブ学の教師としては極めて優秀で、しかも講義中にこんな話をしたわけではなかったのですが、専門外の分野に関し、ポリティカル・コレクトネスに全く配慮しない議論を行ったために、退職を余儀なくされたわけです(注1)。
 (以上、
http://devilskitchen.blogspot.com/2006/03/frank-ellis.html
http://commentisfree.guardian.co.uk/neil_clark/2006/03/the_correct_decision.html
http://commentisfree.guardian.co.uk/khadijah_elshayyal/2006/03/what_kind_of_democracy_do_you.html
http://www.guardian.co.uk/race/story/0,,1738569,00.html
http://education.guardian.co.uk/higher/news/story/0,,1723806,00.html
による。)
 
 (注1)ごく少数のエリス弁護者のうちの一人が引用しているデータを紹介しておこう。
     英国の2004年の大学進学資格検定試験で5科目合格点をとった生徒は40.3%だったが、白人は40.9%、アジア系は41.5%、そのうち支那系は62.9%、インド系は54,1%、パキスタン系は30.8%、バングラデシュ系は32.1%、黒人は26.4%、うちカリブ海系は22.8%、更にそのうち男子は17%だった。

(続く)

太田述正コラム#1484(2006.11.3)
<履修漏れ事件と日本の教育(その2)>

3 亀井信明氏の指摘について

 (1) 亀井信明氏の指摘
  ア 始めに
 http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061101/112923/(11月2日アクセス)掲載のインタビューから、亀井信明氏の指摘をピックアップして以下(イ??エ)に掲げました。小見出しは私がつけました。

  イ 子供達の多様なニーズを無視した画一的な学習指導要領
 大学進学率が5割、専門学校などを含めれば8割が高校卒業後にさらに高度な教育を受ける時代です。入試科目や問われる資質は千差万別なのです。・・<それどころか、>受験勉強じゃなくて芸術を一生懸命やりたいという子供もいるし、中田(英寿)やイチローみたいな選手を目指すほうが東大に入るよりもいいという子だっているんです。・・そういう中で、文部科学省の学習指導要領が非現実的になっているのです。現場とのギャップがあまりにも大きい。東大を受ける子も、私大文系を受ける子も、<芸術をやりたい子もスポーツ選手を目指す子も、>一律に同じようにやりなさいというのですから。・・

  ウ 難関大学を目指す子供のニーズにも答えていない学習指導要領
 <しかも、>進学重点校なるものがいっぱい作られているのです。私立の中高一貫校に負けるなと、公立高校にも進学実績を残すことが求められている。・・ところが、現行教育課程は・・ゆとり教育<や>・・学校の週5日制を導入しました。授業の時間枠が縮小したのに進学成果を残せと言われ、教育現場にはすさまじいプレッシャーをかかっています。しかも、センター試験の科目負担は増える方向にある。現場は頭を抱えているんです。履修漏れのようなことは多かれ少なかれどんな高校でもやっていますよ。叩けばいくらでも埃が出ます。・・文科省の施策は矛盾だらけです。スーパーサイエンスハイスクールとか、スーパーランゲージハイスクールとか、百何十校もの指定校を認めたりしているのに、そんな学校の生徒に対しても、現代社会は必ず何単位履修しなさい、家庭科もやりなさい、保健体育もやりなさいと言っている。・・
 まだマスコミは問題にしていませんが、実はもう1つ大きな問題があります。・・国の検定を受けた教科書なんて使ってない学校がいっぱいあるんですよ。・・国が指定する教科書で勉強していたら、難関大学には絶対合格できません。・どんな地方都市にでも塾はありますが、難関大学に受からすための指導ができる塾なんて、大都市のようにはありません。東京だったら予備校がやってる2次試験対策みたいなことを、高校の先生がやってるんですよ。・・建前の議論はやめて現実を直視すべきです。建前というのは、「受験勉強というのは良くないものであって、それを助長することは悪だ」という大認識です。・・

  エ ではどうすべきか
 <とはいえ、学習指導要領を廃止して>一切の制限をなくしてしまう<と>めちゃくちゃなことになるでしょうね・・。
 私も高校を卒業するための必要最低条件を設定することは必要だと思います。高校側の裁量権を拡大するにしても、やはり何らかの基準は設けなければならないでしょう。 いろいろな意見がありますが、「高校卒業認定試験」みたいなものをやればいいという説を唱えている人もいるんです。高校卒業レベルの基礎知識が身についているかどうかを統一試験を行って認定するのです。これなら大学受験の科目には左右されません。センター試験をそう変えたほうがいいと言う人もいます。
 <結局、最大の問題は、>これからの日本に必要な人間のベースを作る教育っていうのはいったい何なんだという議論が欠け落ちている<こと>です・・。

 (2)感想
 亀井氏は、専門家(河合塾で企画・管理業務等に携わり、現在、教育コンサルタント)だけあって、立花氏よりは整理された議論を展開していると思います。
 しかし、それでも、いくつか問題があります。
 第一に、これは立花氏と共通の問題点なのですが、亀井氏も、エリート教育が問題だと言っているのか庶民教育が問題だと言っているのか判然としないことです。いや、実はお二人ともエリート教育を論じたいのだけれど、ポリティカル・コレクトネスの観点から、意識的、無意識的にそれをぼかして議論を展開している、と言ってよいでしょう。
 第二に、あるべき論については、立花氏がゆとり教育の撤回を求めていて、それが妥当かどうかはともかくとして、明快であるのに対し、亀井氏は、学習指導要領の柔軟化を求めているけれど、共通教育として何を残すかについては、具体案を提示していないことです。

4 総括的コメント

 (1)始めに
 私の、日本の教育あるべき論については、折に触れて申し上げてきたところであり、ここでは繰り返さないことにし、感じたことを思いつくままに申し述べておきたいと思います。
 
 (2)入試実績と学校の善し悪しは必ずしも同じではない
 東の日比谷高校(戦前は府立一中)と西の灘高校(ただし中高一貫校。戦前は灘中学)は、東大合格者数を、学校群制度の導入によって前者が事実上その歴史を閉ざした1960年大末まで、競いあったことはご存じの方が多いでしょう。
 その灘が、履修漏れをやっていたことが今般明るみに出ました(
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061101/mng_____tokuho__000.shtml
。11月1日アクセス)。
 要するに、灘は単なる受験予備校だったということです。
 他方、私が出た日比谷高校は、色々問題もあったけれど、少なくとも受験予備校では断じてありませんでした。
 だまされたと思って、両校の卒業生にどんな人がいるかを比較してみてください。
 日比谷は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E7%AB%8B%E6%97%A5%E6%AF%94%E8%B0%B7%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E4%BA%BA%E7%89%A9%E4%B8%80%E8%A6%A7(11月3日)に、灘は
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%98%E4%B8%AD%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%83%BB%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1
(11月1日アクセス)に載っています。
 もとより、1878年にできた日比谷と、1928年にできた灘とでは歴史の長さが違うのだけれど、その点をさっぴいても、日比谷が輩出した人材の厚みと多彩さは、灘とは桁違いです。
 これだけ見ても、教育というのは恐ろしいものだ、と改めて思います。
 ところが、日比谷は事実上今はなく、筑駒にも全く期待できません(コラム#1437)。

 (3)東大が更におかしくなっている
 あのような焦点の定まらない文章を書くのではもはや大学教師が勤まるとは思えない立花氏や、インチキ本を上梓するような原田氏を、教養学部の教師として採用するとは、東大は一体どうなっているのでしょうか。
 恐らく、ほかにもこんな教師がたくさんいるに違いありません。
 こんな教師達に、バカ呼ばわりされながら教わる東大生達に、心から同情を禁じ得ません。
 
(完)

太田述正コラム#1483(2006.11.2)
<履修漏れ事件と日本の教育(その1)>

 (コラム#1481をめぐって、私のホームページの掲示板上で議論が行われています。)

1 始めに

 今、話題になっている履修漏れ事件について、評論家の立花隆氏と教育コンサルタントの亀井信明氏が、考えさせられることをそれぞれ発言しておられるので、発言内容をご紹介した上で、私の感想を申し上げたいと思います。

2 立花隆氏の指摘について

 (1)立花隆氏の指摘
 http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/061101_yutori/(11月2日アクセス)から、少し長くなりますが、立花隆氏の論考の抜き書きを以下に掲げます。

 なぜ世界史が高校社会の科目で必修になっているのかというと、かつて世界史を、日本史や地理とならべて選択必修の科目としておいたところ、世界史を忌避する学生があまりに多かったからなのである。このままにしておくと、日本は今後あらゆる意味で国際社会の中で生きていかなければならないのに、日本人全体が国際社会の常識を欠いた国民になってしまうこと<が>危惧<された>からである。だが、<今回の必修漏れ>事件が明らかにしたことは、世界史を必修にしても、多くの高校生が、世界史の基礎知識を欠如させたまま、大学生になり、そのまま大学を卒業して社会に出てきてしまうという事実なのだ。日本の平均的大学卒業生は、今後とも、グローバル・スタンダードからいって、世界の歴史を何も知らないレベルの非常識人だということなのだ。
 問題は、それが世界史の領域だけで起きているのではないということである。最近、原田武夫「タイゾー化する子供たち」(光文社)という本を読んでいたら、こんな驚くべきエピソードが紹介されていた。著者の原田氏は、東大法学部卒業後外務官僚になり、在ドイツ日本大使館、外務省西欧第一課、北東アジア課などを経て、独立系シンクタンクを設立したという人物で、今年の4月から東大教養学部で非常勤講師として、「実践的現代日本政治経済論」を講じている。教養学部での実地の体験談として、こんなことを書いている。ある日、原田氏は今年4月23日に行われた千葉7区の衆院選補欠選挙(自民党候補が民主党候補に敗れた)を例にとって、そのときその選挙区で、どのような政治意識の変動があったのかを分析してみせた<時のことだ>。その日の授業が終わったところで、1人の女子学生が教壇に寄ってきて、こんな質問をした。「さっき、先生は今の与党が自民党と公明党で、連立政権だって言いましたよね。今日聞くまで、そのことを知らなかったのですが、政治のキソを勉強するために適当な本ってありますか?」いうまでもなく、現在の政権が、自民党と公明党の連立政権であることなど、日本人なら誰でも知っている社会常識に属すると思っていた原田氏は唖然とする。しかし、彼女はもぐりでも何でもなく、正真正銘の東大生なのである。事情を聞いてみると、彼女は高校で理系の進学組に属していた。社会は1科目ですむため、受験科目は必死で勉強したが、社会科の常識部分をほとんど欠如させたまま大学生になってしまった。そういうことが現実にありうるのだと知って原田氏はショックを受ける。そして、「この子が何も知らないまま『東大卒』として社会に出ていってしまったら大変なことになる」と身震いしたという。全くその通りで、受験競争の勝ち組の東大生の中には、社会常識の点では、何もかも欠けている学生が珍しくない。だいたい、いまの東大生で、毎日、新聞を読んでいる学生は半分以下だから、自分の社会常識の欠如にすら気がついていない。
 私は、9年前に・・「東大生はバカになったか」(2001、文藝春秋)という本を書いた。・・その本で主として論じたことは、学生(中学生高校生)の理科離れの問題とか、高等学校理科の履修制度を変更してしまったため、どれほど多くの大学生の頭から理科の常識が吹き飛んでしまったか、といったことだった。・・<その証拠に、>東大の理科1類(理学部と工学部に進学する予定)の学生に簡単なテストをした結果・・根本的常識、日常感覚に欠けている答え<が結構あった。>・・こういう学生を合格させてしまう(スクリーニングできない)東大の入試試験のやり方はまちがっている。
 教育水準の切り下げは、1977年から徐々に一貫して進行してきた。76年をピークとすると、いまの子供たちは、全教科において、小中高校を通して、学校で教えられる知識の総量が半分以下になっている。その水準切り下げは、はじめゆっくり進行したが、「ゆとり教育」で加速度がつき、一挙に進行した。あまりに急激な学習内容水準の切り下げに、高校のカリキュラム編成が追いつけなかったというのが、今回の「高校必修科目の履修漏れ問題」の根本原因である。いわゆる「ゆとり教育」の問題が大声で叫ばれる以前から進行していた、中等教育における履修内容の切り下げ問題が大学側の入試水準ないし、大学での教育水準とのインターフェース不整合を起こしてしまっていたということである。
・・「ゆとり教育」を推進してきた文科省幹部は、今からでも遅くないから、「全員頭を丸めろ」といいたい。

 (2)感想
 立花隆氏にしては、できの悪い論考だと言わざるをえません。
 第一に、彼が、現代の平均的日本人ないし平均的大学生がバカになってしまったことを問題視しているのか、東大生等がバカになってしまったことを問題視しているのか、つまりは、庶民教育を問題視しているのかエリート教育を問題視しているのか、が判然としないことです。
 第二に、彼は、ア:学校での教育水準が引き下げられたこと、イ:入試に関係すること以外生徒が勉強しようとしないこと、ウ:入試のやり方がそもそも適切ではないこと、の三つの問題を提起しているところ、このうち、アが最大の問題であると考えているらしいことは分かるものの、その理由を示していないことです。
 それにしても唖然としたのは、立花氏が、公明党が自民党と連立政権を組んでいないことを知らなかった東大生がいるという愚にもつかない話を、著者が原田武夫なる東大法卒(東大法中退の間違い!(太田))の元外務官僚で東大非常勤講師である人物の本に出ていることを強調しつつ、長々と引用していることです。
 この本を私は読んでいませんが、原田氏の別の本を読んでただちに感じた、この人物のうさんくささについて以前(コラム#1280??1282に)詳しく記したことがあります。東大法学部ブランドや高級官僚ブランドに目を眩まされるとは、東大文学部で二つの学科を出た立花氏の正体を見た思いがします。

(続く)

太田述正コラム#1442(2006.10.10)
<筑駒の学校説明会で考えたこと(続)(その2)>(有料→2007.4.6公開)

 私が矢内原をよく理解できない第2点は、彼がマルクス主義の学問方法論としての不毛性に気付いていたはずなのに、マルクス主義を放擲しようとしなかったことです。
 マルクス主義を採用した以上、植民政策の研究者としての矢内原は、資本主義が高度化した国家は帝国主義的国家として植民地の獲得に乗り出し、獲得した植民地を搾取する、というマルクス主義的帝国主義論を踏まえ、植民地の獲得に乗り出した段階で既に日本資本主義が高度化していたことと、日本が植民地を搾取していることとを明らかにする、ということにならざるをえないはずです。
 実際、矢内原は、東大経済学部の同僚教官であるマルクス経済学者の大内兵衛(1888??1980年)には、「台湾や満州や朝鮮や南洋やにおける日本の植民政策を実地について検討してみると、それは概して帝国主義であるといっていい。日本の植民政策は人道的でもなく民主主義的でもない。」といった趣旨のことを語っていたようです(359頁)。
 ところが、「帝国主義下の台湾」を読むと、矢内原はその正反対のことを書いています。
 すなわち矢内原は、「日清戦争・・当時の我が国は高度の発展段階における独占資本主義国、すなわち金融資本主義国としての帝国主義実行者たる実質を有せざりしものである」(24??25頁)と、日本の植民政策が帝国主義の発露であったはずがない、としています。 しかも彼は、「我が台湾統治30余年、その治績は植民地経営の成功せる希有の模範として推賞せらる。・・本島人の生産力、富裕及び文化の程度もまた我が領台前に比較して著しく向上したるものと見ざるをえない。」(316頁)と、日本の植民地政策が人道的であったことを認めているのです。
 なお、矢内原が「帝国主義下の台湾」を上梓したのは1929年ですが、その4年前の1925年には、普通選挙制度の確立と合わせ、内地に居住する朝鮮人と台湾人に参政権が与えられ、6年後の1935年には、台湾で、初の市町村(台湾では市街庄)会選挙が、議員の半数を地方税納税額による制限選挙で選出する形で行われた(注3)(328頁、及び
http://www.cnc.chukyo-u.ac.jp/users/yhiyama/jameah/newsletter/news03.htm
(10月10日アクセス))ことを考えれば、日本の植民政策は民主主義的でもあったということになるでしょう。
 
 (注3)「帝国主義下の台湾」で矢内原は、「植民地の統治が文明的なりや否やの一応の試験は、適当なる時期における原住者参政権の容認如何に存する」(317頁)と、台湾人への参政権の付与を強く求めている。
 
 これは一体どういうことでしょうか。
 矢内原は、マルクス主義的帝国主義論を踏まえて植民政策講座の自己否定のようなことを書いたら、東大から放逐されかねないというので、あえて筆を曲げたのでしょうか。
 そうではありますまい。
 彼は、現地調査を伴った実証的研究を重視しており(348頁)、日本の内地と台湾の実証的研究の結果、上記のような結論に到達し、素直にその結論を書いた、ということでしょう。
 その限りにおいては、矢内原は、東大の社会科学系の学者の大半が東大創設当時同様、実証的研究を軽視し、もっぱら欧米の学説の焼き直しだけでお茶を濁していた中では、高く評価されるべきでしょう。
 問題なのは、このように理論と実際が食い違っている以上、方法論たるマルクス主義を放擲すべきなのに、矢内原がそうしなかったことです。
 彼は、マルクス主義に代わる学問方法論を探してそれに乗り換えたり、自ら新たな学問方法論を構築したりする意欲と能力に欠けていたのでしょう。
 しかしそんな自分を、敬虔なキリスト教徒たる潔癖な矢内原は、許せなかったのではないでしょうか。

3 「憂国の士」としての矢内原

 この心中の葛藤が、1937年の日華事変勃発直後の、矢内原の、実証的研究を踏まえたとは思えない、「今日は、虚偽の世において、我々のかくも愛したる日本の国の理想、あるいは理想を失った日本の葬りの席であります。私は怒ることも怒れません。泣くことも泣けません。どうぞ皆さん、もし私の申したことがおわかりになったならば、日本の理想を生かすために、一先ずこの国を葬ってください。」という矯激な発言(
http://www.asahi-net.or.jp/~hw8m-mrkm/kate/00/yanaihara.life.html
前掲)となって現れた(注4)、と私は考えています。この場合、敬虔なキリスト教徒たる矢内原が自分の内なる醜い矢内原を「日本」に藉口して断罪しているのです。

 (注4)この発言の結果、45歳の矢内原は東大を逐われる。
 
 同様、戦後の矢内原の前出の発言である、「札幌から発した自由・民主主義教育が主流とならず、東大から発した国家主義教育、あるいは国体論、皇室中心主義が主流となった。それが太平洋戦争を引きおこした。」も、実証的研究を踏まえたものではなく、矢内原の心中の葛藤の現れにほかならない、と私は考えるのです。ここでは、敬虔なキリスト教徒たる矢内原が、自分の内なる醜い矢内原を「<戦前の>東大」に藉口して断罪する、という構図です。

4 感想

 私は、戦後の東大が、愚かにも全面講和に固執して時の首相の吉田茂から正しく「曲学阿世」と切り捨てられたところの、知的に怠慢なキリスト教徒たる南原繁、そして、知的に不誠実であったキリスト教徒たる矢内原忠雄、という二人の社会科学系の総長を、その出発点において13年の長期にわたっていただいた(それぞれ、1945??51年と1951??58年が任期)こと(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E7%B9%81、及びhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
(どちらも10月8日アクセス)が、(戦前に引き続き東大を模範と仰ぎ見た)戦後日本の全国の大学における社会科学系の学問の発展の阻害と学生運動の堕落・荒廃をもたらした、とさえ言えるのではないかと思っています。
 とりわけ矢内原が、マルクス主義との腐れ縁を最後まで断ち切れなかったことの罪は大きいのではないでしょうか。

(完)

太田述正コラム#1439(2006.10.9)
<筑駒の学校説明会で考えたこと(続)(その1)>(有料→2007.3.7公開)

1 矢内原忠雄とキリスト教

 矢内原忠雄(1893??1961年)の学歴は、神戸中学校・第一高等学校・東京大学(法科大学校政治科)ですが、中学校の校長は内村鑑三や新渡戸稲造と札幌農学校で同級生であった人物でしたし、高等学校の校長は、この新渡戸でした(注1)。クラークの影響で、中学校の校長も新渡戸もキリスト教徒(プロテスタント)になっており、この二人の影響を受けて内村鑑三の門をたたいた矢内原も敬虔なキリスト教徒になります(注2)。

 (注1)(旧制)第一高等学校は、新渡戸が校長であった1906年から13年は札幌農学校のいわば分校であったと言ってもよかろう。筑駒の副校長が引用する矢内原の日本の教育二元論がいかに根拠レスかお分かりか。
 (注2)矢内原は、キリスト教の布教に生涯、尽力した。

2 学者としての矢内原忠雄

 矢内原は、一旦東大(政治学科)を卒業して住友に入り、別子銅山に勤めていたのですが、新渡戸は、国際連盟事務次長に就任することとなり、東大で新渡戸が担当していた植民政策講座の後継者として矢内原に白羽の矢を立てます。そして、東大から矢内原は、英国・ドイツ留学に派遣され、2年半後帰国します。
 さて、ここから先が私にはよく理解できないのです。
 というのは、彼はキリスト教徒なので、理念が人間を動かし、歴史を動かしていくことを信じていたはずなのに、学問方法論としてはマルクス主義を採用したからです(注3)。

 (注3)矢内原自身、「自然に、広い意味でのマルクス主義的な学問の気風に錬磨された」と述べている(若林正丈「矢内原忠雄「帝国主義下の台湾」精読」岩波現代文庫344頁)。また、1925年の時の矢内原の講義を聴いた人物によれば、「講義は理論と実際問題に分かれて」おり、前者では、「ローザ・ルクセンブルグの再生産方式のはなしをされ、帝国主義諸国の植民地への進出が必然的なものであることを理論的に立証されようとしておられた」(346頁)という。
 
 ご存じのように、マルクス主義では、経済、ありていに言えば人間の欲望、が歴史を動かしていく、と考えます(注4)。

 (注4)矢内原は、「帝国主義下の台湾」の序で、「私の最も力を注げる点は経済・・であって、他の方面は簡略に記述せるのみ」と記している(4頁)。
 
 ですから、キリスト教徒であることと、マルクス主義者であることとは矛盾するはずなのに、この二つを「両立」させた矢内原は、知的に不誠実であるとしか私には思えないのです(注5)。

 (注5)後に、戦後、矢内原の前の東大総長を勤めた南原繁(1889??1974年)は、矢内原と同じく一高で新渡戸の薫陶を受け、内村に私淑して敬虔なキリスト教徒になるが、マルクス主義的方法論とは無縁の政治学史学者で通した(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E5%8E%9F%E7%B9%81
。10月8日アクセス)し、やはり内村に師事して敬虔なキリスト教徒となった東大の経済学史学者の大塚久雄(1907??96年)は、マルクス主義的方法論とマックス・ヴェーバー的方法論を折衷した方法論をとることで、「矛盾を止揚」した(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E4%B9%85%E9%9B%84。10月8日アクセス)。

 矢内原は、「科学と信仰の問題は、次元が違うのであって、その間に断層があり、飛躍がある。科学には科学の世界があり、信仰には信仰の世界がある。それは別の世界です。しかし科学を勉強することによって、信仰のなかから迷信的な要素を除くことができる。また純粋に信仰することによって、科学に高潔な精神と希望を与えることができる。そういうことで、私はこの問題は解決されると、自分で思っています。」と言って「両立」すると主張していますが、これは詭弁です。
 そもそも、マルクス主義を科学だと思いこんだこと自体が誤りですが、百歩譲って仮にマルクス主義が科学だとしても、その「科学」が無神論たる「科学」であり、下部構造(経済)が上部構造(理念)を規定するという「科学」である以上、「問題は解決され」ないはずだからです。
 (以上、事実関係は、
http://www.asahi-net.or.jp/~hw8m-mrkm/kate/00/yanaihara.life.html
(10月7日アクセス)、及び
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A2%E5%86%85%E5%8E%9F%E5%BF%A0%E9%9B%84
(10月8日アクセス)による。)

(続く)

太田述正コラム#1437(2006.10.7)
<筑駒の学校説明会で考えたこと>

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
 近視の通電治療について、以前(コラム#1240、1241、1246、1247)ご紹介したところですが、この治療の推進者である、田園調布の眼科医の石川まり子さんが、「子どもを近視にさせない方法教えます」という小冊子(発行:有限会社ワキタメディカルサービス。600円)を出されたのでご関心ある方はどうぞ。私が通電治療をインターネットで取り上げているというので、先週、この小冊子を石川先生からいただきました。通電治療と生活習慣の改善により、12歳の息子の視力(両眼)は、今年5月時点で0.15まで落ち込んでいたのですが、0.5、(通電直後は0.8弱)まで回復してきています。
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 先週に引き続き、本日も中学の学校説明会に行ってきました。
 今をときめく筑波大駒場(筑駒)の学校説明会です。
 実名を出すのは、筑駒は日本を代表する中高一貫校の一つで、「トップリーダーを育てる教育の実験的実践校」(説明会配付資料)であって、しかも、公立(国立)であってわれわれの税金で基本的に維持されていることから、一体そこでどんな教育をしているのか、皆さんにも関心があるだろうと思ったからです。
 私の全般的印象は、この筑駒の行く手には黄信号が灯っている、というものです。
 まず、校長が学校説明会に登場しないことに違和感を覚えました。
 校長は筑波大学の教授であって、中学と高校にそれぞれ1人の副校長が置かれているので、副校長で対応した、ということのようです。しかしこの校長は、入学式の時でも何でも必ずご自分の専門のカビの話をされる、という話を聞くと、ひょっとしてこの校長は研究者としては実績のある方なのかもしれないけれど、一貫校の校長として、中学と高校を通じた総合的教育理念を必ずしもお持ちでないため、説明会に出席されないのではないか、というあらぬ疑念を抱いてしまいました。
 副校長の話を聞いて、この疑念は、筑駒には教育理念がないだけではなく、そもそも筑駒では、生徒の資質の高さをよいことに、(少なくとも学業面では)教育が行われていないのではないか、という深刻な疑念まで発展しました。
 副校長は、大略次のような話をされました。(一部、説明会配付資料で補った。)

 「青年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士は、出来たばかりの札幌農学校で、自律心・独立心を持ち個の確立した人間、すなわち紳士を育てる全人教育を行おうとした。
 1952年の五月祭の際、当時の東大総長矢内原忠雄は要旨、「明治の初年においては日本の大学教育、就中官学教育には二つの大きな中心があって、一つは東京大学で、一つは札幌農学校(後の北海道大学)だった。札幌から発した自由・民主主義教育が主流とならず、東大から発した国家主義教育、あるいは国体論、皇室中心主義が主流となった。それが太平洋戦争を引きおこした。今こそ札幌農学校から発した教育を主流にしなければならない」と述べている。
 キリスト教徒であったクラーク博士につながる内村鑑三や新渡戸稲造から強い影響を受けた前田多門、安倍能成、田中耕太郎、森戸辰男、天野貞祐らが、戦後、昭和20年から27年にかけて、相次いで日本の文部大臣となり、教育の大改革を行った結果、日本で初めて自由・民主主義教育が定着したのだ。
 札幌農学校の次にできた駒場農学校の農園を筑駒は引き継いでいる、ということもあるが、戦後発足するにあたって、筑駒は全人教育を掲げ、学業・学校行事・クラブ活動の3つの教育機能の充実を図ってきた。
 すなわち、筑駒の教育理念は、このクラーク博士の教育理念と同じである、と私は思う。

 さて、副校長の話の最大の問題は、クラーク博士の教育理念と筑駒の教育理念の同一性に触れた部分は、副校長の個人的見解であるという点です。また、矢内原の札幌農学校評価はあくまでも矢内原の個人的見解なのに、副校長はあたかもこれが絶対的真実であるかのように引用している点も問題です。更に言えば、戦後初期の文部行政の評価も、矢内原発言に引きずられた副校長の個人的見解に過ぎません(注)。

(注)私自身は、イギリスのパブリックスクールを見れば分かるように、「リーダーを育てる教育」には軍事素養(軍事リテラシー)教育が不可欠であると考えており、戦前の日本の教育制度の最大の問題点は、「リーダーを育てる教育」の官僚教育(旧制高校。非軍事だけの教育)と軍人教育(陸士・海兵。軍事だけの教育)への分断にあったと考えている(拙著「防衛庁再生宣言」参照)。だから、筑駒の教育は、「学業」だけを重視していない点では評価できるものの、「リーダーを育てる教育」、あるいは「全人教育」としては、依然偏頗なものであると思うのだが、ここでは詳述しない。

 まず、クラーク博士の教育理念はプロテスタンティズムと個人主義に立脚したものであり、私が思うに、だからこそ、札幌農学校の教育理念はこの農学校を一つの源流としてできた北海道大学には受け継がれなかった(配付資料)のであり、筑駒の教育理念もまた、プロテスタンティズムと個人主義に立脚したものではありえないことから、クラーク博士の教育理念と筑駒の教育理念との類似性は、表見的なものに過ぎない、ということです。 また、矢内原発言や戦後直後の文部行政の評価についても、安倍能成が矢内原的に言えば、国家主義教育のメッカであったはずの(旧制)第一高等学校の校長を勤めた人物であった(http://bbs2.nazca.co.jp/cgi-bin/bbs-c/bbs_del.cgi?id=dozi&cmd=d1。10月7日アクセス)こと一つとっただけで、崩れてしまいます。
 実際、副校長は、クラーク博士の教育理念と筑駒の教育理念の同一性に気付いたのは、つい最近、たまたま札幌に会議で赴いた時に、札幌農学校関連の展示を見学をした際だったと話しています。
 私が言いたいのは、個人的見解を、しかも大変失礼ながら、思いつきに過ぎない見解を、学校説明会のような場で述べるのはいかがなものか、ということです。
 これに比べれば、校長の、公式の場での(科学的裏付けのある)カビの話の方がマシですが、いずれにせよ、個人的関心事を場違いの公式の場で話すという校長が存在することが、副校長がこのような話をする伏線になっている、と私は感じたのです。
 現に、副校長や教務部長の話によると、各教科の先生方は、教科書はほとんど使わずに、ご自分の教えたいことをご自分の方法で自由に教えておられるようです。ここから、生徒が幸運ならば、校長のカビの話同様、教師の蘊蓄に接することができるけれど、生徒が不運ならば、副校長の教育理念の話同様、思いつきを聞かされることが想像でき、私は生徒達が可哀想になってきました。
 副校長以外で話をした先生方の中に、話がヘタなだけでなく、語尾が聞き取れない、という教師として首をかしげざるを得ない人物がいたことも気になりました。
 筑駒が日本を代表する中高一貫校の一つになったというのは、東京都における学校群制度の導入がもたらした公立中高校の地盤沈下と私立中高校、就中中高一貫校人気の上昇に伴った、公立(国立)中高一貫校なるがゆえのバブルに過ぎなかったのではないか、という印象を抱いて、帰途につきました。

太田述正コラム#1408(2006.9.15)
<日本の学校教育の荒廃>

1 「世界に冠たる」日本の学校教育

 7月の朝鮮日報電子版(日本語)に、同紙東京特派員の面白い記事が出ていました。
 韓国企業等の東京駐在員が「日本でのんびり暮らしたあと、韓国に戻ってくると、子どもも学校でバカ扱い、親も社会でバカ扱いされる可能性が高い・・。だから東京駐在員の中には帰国前に子どもたちに家庭教師をつけ・・たり、帰国前に家を探すために<ソウルの>江南<区>で不動産めぐりをしたり・・するケースが多い」というのです。
 子供がバカ扱いされるのは、勉強させない日本の学校で過ごして韓国に帰ると勉強について行けないからですし、親がバカ扱いされるのは、ソウルの高級住宅地域である江南区の住宅価格が高騰して手が出せなくなっていて、来日前に住んでいた江南区に戻れないからです。
 この特派員は、東京では、ソウルでのように、金持ちが特定の区に住んでいるというようなことはない、と補足しています。
 そして彼は、記事の最後で、「生きることとは何か、幸せとは何であるか・・本質的な側面で、われわれ<は>日本の国民に比べ、明らかに肩の凝る毎日を送っている」と結び、日本の平等でのんびりした現状を皮肉っています。
 (以上、特に断っていない限り
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/07/24/20060724000048.html
(7月25日アクセス)による。)

 間違ってもこの記事を日本の学校教育への讃辞だなどと受け取ってはならないでしょう(注1)。

 (注1)米国の電子雑誌のスレートが、この10年間日本の学校では宿題を減らし続けてきたが米国では逆に増やし続けてきたとして、宿題の効用、とりわけ限界効用は小さいのだから、日本を見倣えと論じる論考を載せている(
http://www.slate.com/id/2149593/
。9月15日アクセス)のも、当然日本の教育への讃辞ではなく、皮肉と受け止めるべきだろう。

 子供を学校で勉強をさせないような社会は、平等社会であり続けることはできないはずだからです。
 なぜか?金持ちはカネを出して塾に通わせる等により、子供に勉強をさせる結果、金持ちの子供とそれ以外の人々の子供とで、学力格差がどんどん増大して行くからです。
 既に日本は急速に格差社会化しつつあり、それが問題になっていますが、その大きな原因の一つは、日本の学校教育の荒廃による学力格差の増大なのではないか、と私は考えています(注2)。

 (注2)もっとも、韓国の子供は世界一(?)勉強させられており、しかも対GDP比で世界一の学校教育費が投じられている(後述)というのに、現在の韓国が日本よりはるかに深刻な格差社会であることには当惑させられる。これは、韓国での勉強が(科挙の伝統から?)受験勉強のための勉強に堕しており、かつ韓国が(両班跋扈時代以来の?)構造的格差社会であるからであると思われるが、いずれ更に掘り下げてみたい。

2 日本の学校教育荒廃の原因

 では、一体どうして日本の学校教育は荒廃したのでしょうか。
 いわゆるゆとり教育のせいでしょうか。
 それもあります。しかし、より根本的な原因として、学校教育にカネをかけていないことが挙げられます。
 2000年のデータで見ると、学校教育費の対GDP比は、多い順に、韓国、米国、デンマーク、スウェーデン、カナダ、フランス、オーストラリア、ノルウェー、ニュージーランド、ポルトガル、オーストリア、スイス、フィンランド、メキシコ、ベルギー、英国、ドイツ、ポーランド、ハンガリー、イタリア、スペイン、オランダ、日本、アイルランド、チェコ、ギリシャ、トルコとなっており、日本は27カ国中ビリから四番目の4.6%という低水準です。ちなみに韓国は7.1%、米国は7.0%です。
 学校教育費ですから私立学校への支出も入っていますが、塾や家庭教師関係の支出は入っていません。
 こんなに低いのは、日本では学校教育費の公的支出が著しく少ないからです。
 公的支出の対GDP比では、何と日本はトルコ(3.4%)とビリ争いしてかろうじてブービーの3.5%に過ぎません。ちなみに、一位のデンマークは6.4%、二位のスウェーデンは6.3%です(注3)。
 (以上、特に断っていない限り
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/3950.html
(9月15日アクセス)による。)

 (注3) 日経が、「大学など高等教育機関への日本の公的な支出の・・GDP・・に対する割合は0.5%で、加盟国中最低だった。私費負担を含めた高等教育費全体のGDP比率でも日本は平均を下回った」という記事をニュースとして報じた(http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20060913AT1G1202512092006.html。9月13日アクセス)のはいかがかと思う。日本の学校教育費、就中その公的支出が少ないのは今に始まったことではないし、この学校教育費中の高等教育費が少ないことについても同様である(
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/15/01/030114.htm
。9月15日アクセス)からだ。ただし、この記事が末尾で「日本の4年制大学の卒業者に占める女性の割合は40%で最低だった。各国平均は54%。また大学学部を卒業した女性の就業割合は67%と、韓国、トルコに次いで3番目に低かった。」と女性問題に触れた部分は意義がある。

3 コメント

 日本は、戦後一貫した自民党政治の下で、国際貢献費、就中軍事費が異常に少ない国であり続けた上に、このように、人的資源への投資、就中公教育費まで異常に少ない国に成り果ててしまったのです。
 これでは日本で、公立学校における教育が荒廃し、金持ちの子供が私立学校に流れ、受験塾や補習塾が隆盛を極め、ひいては日本が急速に格差社会化しつつあるのも当然だと言えるでしょう。
 日本の防衛政策と同様、教育政策も一刻も早く抜本的な是正が求められています。

太田述正コラム#12842006.6.8

<英仏の大学制度の危機>

1 始めに

 先進国では、どこでも、大学進学率の高まりに伴って大学の数や規模が巨大化してきており、様々な問題が生じてきています。

 今回は、危機的状況にある英国とフランスのケースを取り上げてみましょう。

2 英国

 英国では、1979年には大学進学率は12%でしたが、現在では45%に達しようとしており、英国の大学はほとんどが国の財政支出に依存しているため、大学生一人当たりに投じられる経費は減少の一途を辿っています。

 その結果、大学教員一人当たりの平均給与水準は、米国の半分以下になってしまい、大学教員は続々と米国に逃げだしています。英国に残った大学教員達は、向こう三年間で23%の給与アップを求めて試験の採点拒否闘争を始めたところです。

 もっとも、単に財政支出を増やせば問題が解決する、ということでもありません。

 高等教育費の対GDP比は、米国が3%に対し、英国は1%にとどまっていますが、その最大の理由は、米国の大学の独自収入が英国よりもはるかに大きいところにあります。

 ハーバード大学の財政基金は260億米ドルに達していますが、これは英国の全大学を合わせた額の約2倍にあたります。オックスフォードとケンブリッジという英国で最も豊かな大学でさえ、米国に持って行けば、15位程度に過ぎません。

 もちろん、米国の大学の学費は高く、ハーバードでは年3万2,000米ドル以上もかかります。

 しかし、その代わり、貧しい家庭の学生であれば、学費は免除されます。

 他方、オックスフォードやケンブリッジの奨学金制度はインフレによって完全に形骸化してしまっているのです。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.latimes.com/news/opinion/commentary/la-oe-ferguson29may29,0,4221236,print.column?coll=la-news-comment-opinions(5月30日アクセス)による。)

3 フランス

 フランスでは、大きな転機をもたらしたのは1968年から翌年にかけての学生蜂起・・この時も労働争議と連動・・でした。

 このフランスでの学生蜂起に刺激されて起こった日本の同時期の大学紛争は、大学制度に何の変化をもたらしませんでしたが、フランスでは大きな変化がもたらされ、バカロレア(大学入学資格)試験に通った高卒者は、ほとんど学費ゼロで大学に全入できるようになったのです。ただし、原則として出身高校の最寄りの大学に入らなければならないことになっています。

 しかしその結果、当然のことながら、学士の値打ちは暴落してしまいました。

 現在では、学生一人当たり財政支出は年8,500米ドルであり、何と高校生一人当たり財政支出の6割、という有様です。

 大学の現況は悲惨です。

 独自の財政資金を持っている大学は皆無です。

 大学教師の初任給は年2万米ドルであり、最上級の教授でさえ年7万5,000米ドル程度に過ぎません。彼らは教育を主任務としており、研究はつけたりといったところです。

 では学生の方はどうか?

 1968??69年の学生蜂起の時に中心となったパリ大学ナンテール分校を見てみましょう。

 学生は3万2,000人もいますが、学生センターも本屋も学生新聞も新入生のためのオリエンテーションも就職相談部もありません。学生がたむろす場所もなければ、カードゲームをしたり、映画を見たりする場所もありません。48万冊の蔵書のある中央図書館は一日10時間しか開いておらず、日曜祝日には閉まり、この図書館の100台のコンピューターのうち、インターネットにつながっているのは30台だけです。キャンパスのカフェテリアは昼食時間が過ぎると閉まってしまいますし、試験になると部屋に入りきらない学生がよく出ます。午後遅くになると、キャンパスは空っぽになります。

 ですから、カネのある学生は外国の大学に行ったり、国内ではビジネススクール等の専門職大学院を目指します。

 この状況を変えようと政府が2003年に大学制度の自由化を図る改革案を打ち出したのですが、大学教員と学生は手を携えてこの改革案を葬ってしまいました。

 ただし、フランスの高等教育は、大学だけではないことを忘れてはなりません。

 それが、学生のわずか4%しか行けない特権的高等教育機関である、エナやポリテクニークといったグランゼコールです。

 これらのグランゼコールとその予科だけで、フランスの高等教育予算の実に30%を使っており、グランゼコールと大学との間の格差は天文学的です。

もちろん大学の卒業生とは違って、これらのグランゼコールの卒業生は引く手あまたであり、肩で風を切って歩いているのです。

(以上、http://www.nytimes.com/2006/05/12/world/europe/12france.html?ei=5094&en=5d92df839d7bb621&hp=&ex=1147406400&partner=homepage&pagewanted=print(5月12日アクセス)による。)

太田述正コラム#12482006.5.21

<韓国の受験競争に思う>

1 始めに

 前回、日本の受験競争の低年齢化の弊害について論じ、私の、公立小中学校の学校間格差を導入することを核とした小中学校教育の改革案をお示ししたところですが、お隣の韓国は、受験競争の低年齢化の弊害を全く逆の方法で是正しようとしてきました。

 私の印象ですが、これは結局失敗に終わったように見えます。

2 韓国での試み

 韓国では、中学受験競争の過熱に対処するため、1960年代から80年代にかけて平準化政策を遂行しました。

 その経緯をごく簡潔に申し上げれば、塾通い等の弊害(注1)に対処するために塾や家庭教師を禁止した上で、まず公立・私立を問わず中学入試を廃止し、中学校に抽選で生徒を割り当てることによって中学校の学校間格差をなくしたところ、今度は高校受験が過熱化したため、同様のやり方で高等学校の学校間格差をなくしたところ、今度は大学受験の過熱化に一層拍車がかったけれど、さすがに大学の学校間格差をなくすことには踏み込めなかった、といったところです。

 (1)受験の加熱自体の弊害と、貧富の差で学校外教育の機会が左右されるという弊害。

 しかし、ヤミの塾や家庭教師の横行を完全に取り締まることはできず、40年近く経って、ついにこれらは数年前に解禁され、現在に至っています。

3 現在の姿

 2001年における韓国のGDPに占める学校外教育費の割合は2.96%にも達しており、OECD加盟国の中で第1位です(http://www.clair.or.jp/j/forum/forum/jimusyo/159SEOUL/INDEX.HTM。5月21日アクセス。以下別記するまで同じ)。つまり、韓国人々は、世界一、子供を塾に通わせたり家庭教師をつけたりすることに熱心であるということであり、これは韓国の受験競争が世界一の激しさであることを物語っています。

 そして今や、12歳のうちから英語教室等に通わせるのが当り前になっています。

 この受験競争のストレスのため、子供達の毛根が栄養不足になり、幼児脱毛症患者が増え、育毛料の売れ行きが爆発的に伸びている、というウソのような話があります(http://members.at.infoseek.co.jp/konrot/genjyo12.htm

 この背景には、韓国が、日本よりも数頭倍凄まじい学歴社会である、という現実があります。

(以上、特に断っていない限りhttp://park.org/Japan/TokyoNet/aip/HOT/EDUCATION/korea_j.htmlhttp://www.shotoku.net/column/korea/column002.htmlによる。)

4 その結果どうなったか

 もちろん、受験競争が激しいことは、韓国の人々の平均的学力水準を、日本等と並ぶ世界最高峰の一つに維持することを可能ならしめており、だからこそ、韓国の一人当たり所得は、このところのウォン高もあって約2万米ドルに達し(典拠失念)、日本を射程にとらえる水準まで達することができたのです。

 一方、激しい受験競争には負の側面もありそうです。

一つは、受験競争が、むしろ韓国の人々の創造的思考力の向上を阻害しているのではないかと思われる点です。韓国がノーベル賞受賞者を平和賞以外では一人も出していないことが思い起こされます。

もう一つは、学校外教育費が嵩むことが、少子化傾向を促進している可能性があることです。韓国の出生率が世界最低となり、来年には何と1を切りそうであること(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200605/200605080023.html。5月9日アクセス)はそうとでも考えないと説明がつきません。

更にもう一つは、劣化を始めた韓国の青少年の体位です。

2005年には、視力は更に低下し、アレルギーや鼻の疾患は増え、体力は落ち、身長まで、男子は引き続き伸びたものの、女子は、ついに縮んでしまいました(http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/05/19/20060519000006.html。5月19日アクセス)。

5 感想

 日本と韓国は本当に良く似ています(注2)。

 

(注2)日本の青少年の身長は、男女とも横ばい状態になってしまっている(http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h16zenbun/html/honpen/hp010200.html。520日アクセス)。

前にも同趣旨のことを指摘したことがあったはずですが、受験競争及びそれを取り巻く諸問題についても、韓国は日本のカリカチュアではないかと思われるほどの類似が見られるのは、恐らく日本による朝鮮半島の植民地化という過去の歴史のしからしめたものであろう、と思うのです。

太田述正コラム#11592006.4.2

<中学受験塾の効能>

1 新発見

 米国政府が17年かけて行った研究の成果がこのたび公表されました。

 人間の大脳皮質の前頭葉(the frontal lobe of the cerebral cortex)は次第に厚くなり、それから再び薄くなっていく(注1)こと、またIQが高い成人の前頭葉は相対的に厚いこと、は以前から分かっていました。

(注1)これは、脳神経細胞同士の接続回路が変更されながら複雑化して行った後、使われない脳神経細胞が淘汰されるからだ、と考えられている。

今回、新たに分かったのは、IQが極めて高い(=121以上=知能偏差値65以上(注2))子供の前頭葉は11歳ないし12歳までゆっくりと厚みが増して行くが、平均的な知能指数(IQ)(=83??108=知能偏差値45??55)の子供の場合は早く、しかし8歳までしか厚みが増さず、その結果、IQが極めて高い子供の前頭葉は6歳時点では平均的なIQの子供の前頭葉よりも薄いけれど、13歳時点で厚さが逆転するということです。

(注2)知能指数の知能偏差値への変換は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0(4月2日アクセス)掲載の表によった。(ただし、標準偏差15の場合)

ちなみに、厚さがピークを迎えた時以降の薄くなるスピードは、IQが極めて高い子供の方が早いことも分かりました。

 これをどう解釈するか、学者の間では見解が分かれていますが、IQ(潜在的知能)そのものは9歳頃以降、ほとんど変化しない(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%83%BD%E6%8C%87%E6%95%B0上掲)ところIQの高さが実際に学力等(顕在的知能)の高さとして発現するかどうかについては環境次第だ、と考えられてきたことからすれば、IQが極めて高い子供の前頭葉が、これほど大きな変化をする以上、その間に環境要因がこれらの子供の学力等の発現に及ぼす影響もまた、決定的に大きいものがあるに違いない、という点ではおおむね意見の一致が見られます。

(以上、特に断っていない限りhttp://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2006/03/29/AR2006032902182_pf.html、及びhttp://www.nytimes.com/2006/03/30/science/30brain.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print(どちらも3月31日アクセス)、並びにhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/health/4856642.stm(4月2日アクセス)による。部分的に私の言葉に直した。)

 

2 中学受験塾の効能

日本の中学受験数は、少子化や不況の影響で1990年頃から減り続けてきたところ、2003年から大きな伸びに転じ、2004年は東京、千葉、埼玉3都県で延べ173665人と2002年(141312人)に比べて23%も増えた、という記事が一年前に出ました(http://www.mainichi-msn.co.jp/column/kishanome/news/20050513ddm004070063000c.html2005年5月17日アクセス)。

その後もこの趨勢は続いていると承知しています(学習塾からもらった資料による)。

この背景には、ゆとり教育への不信等に基づく「公立中学校離れ」があるわけですが、その結果、中学受験塾に通う小学生が増えています(注3)。

(注3)昨年9月に実施された、小学生から高校生までの子供のいる保護者を対象にした調査によれば、「子どもの学力向上の面で、学校より「学習塾・予備校の方が優れている」と答えた人が70.1%に上り、「学校」の4.3%を圧倒」しているのだから当然そうなる。ちなみに、現在の学校教育に「不満」「非常に不満」と答えた人は43.2%、教員に「不満」な人は28.4%で「満足」の27.3%を上回った(http://www.asahi.com/life/update/1007/001.html200510月7日アクセス)

 学習塾、特に中学受験塾については、必要悪的に取り上げられることが多いのですが、(個別指導の学習塾は別として、)一般に学力別編成がとられており、IQが極めて高い子供にエリート教育を施していると言うことができるのであって、上述したように、IQが極めて高い子供の小学校高学年における前頭葉の可塑性が特に大きいことに鑑みれば、学習塾が果たしている社会的役割には極めて大きいものがあると言って良いのではないでしょうか(注4)。

 (注4)同時に、平均的なIQを下回る子供に対し、学校の補習を行う学習塾(個別指導が多い)の社会的役割も大きいと考えられる。独断と偏見で言わせてもらうが、平均的なIQの子供が学習塾に通うのは余り意味がないのではないか。

3 問題点

 本来、公立小学校がこのようなエリート教育も行ってくれたら良いのですが、戦後日本の過度な平等主義的風潮がまだまだ強い現在では、依然不可能でしょう。

 だから小学生のエリート教育は学習塾にまかせざるをえないとしても、問題は二つあります。

 その一は、文相の諮問機関である生涯学習審議会が1999年に学習塾を、「子どもたちの学校外での学習環境のひとつとして大きな役割を果たしている民間教育事業」として生涯学習の中に位置づけたにもかかわらず、学習塾は営利事業を営む「民間事業者」扱いで、しかも学習塾の業界団体こそ経済産業省が所管しているものの、個々の塾や塾での教育そのものについては、経済産業省はもとより、文部科学省も所管していないことです。要するに学習塾は、設置に許認可もなく、自由に営業でき、誰でも講師になれるわけですhttp://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20051213/mng_____tokuho__000.shtml20051213日アクセス)。

 もう一つは、学習塾でのエリート教育は、当然ながら「知」の面での教育に偏っており、「徳」「体」、特に「徳」のエリート教育が日本では抜け落ちていることです。

太田述正コラム#10642006.1.29

on the job training・実学・学問(その6)>

6 アングロサクソン流大学とは

せめて日本の私学は、アングロサクソン流の学問の府としての大学をめざして欲しかった、と申し上げてきたわけですが、ここで、アングロサクソン流の大学とはいかなるものかを、オックスフォード大学を例にとって簡単にご説明しておきましょう。

なぜオックスフォード大学なのか?

それは、この大学が、アングロサクソン世界で最も古い大学(注15)であるだけでなく、現在引き続き世界一の大学とされている(注16)からです。

(注15)いつ始まったのか分からない、という古さであり、少なくとも1096年には教育活動が行われていた、ということが史料に出てくる。

(注16)英ガーディアンとタイムスのそれぞれの世界大学ランキングに拠れば、このところオックスフォードは常に世界一の座を譲っていない。もっとも、両紙のランキングの基準にはアングロサクソン世界の大学に有利なバイアスがかかっている、という批判が絶えない。

    ちなみに、オックスフォードは、40名を超えるノーベル賞受賞者と、25名の英国首相を輩出している。

オックスフォード大学の歴史は次のとおりです。

1167年に時のイギリス国王ヘンリー2世は、フランスとの関係悪化を背景に、イギリス人の学者・学生がフランスのパリ大学に在籍することを禁じるのですが、これを契機にオックスフォード大学の本格的な発展が始まります。

1190年には、外国人の受け入れが始まります。

1214年には、総長(Chancellor)職が設けられ、大学に自治権が付与されます。初代の総長は、あのグロセテスト(Robert Grosseteste1175?1253年)(コラム#46)でした。

この13世紀からは、学生の寮としてのカレッジ(college)が設けられ始め、やがてそれぞれのカレッジ単位で研究・教育が行われるようになります。

1379年からは、それまでの学者の卵の教育(大学院(graduate)教育)に加えて、一般高等教育(学部(undergraduate)教育)も始まります。

16世紀に入ると、それまでの7つのリベラル・アーツ(seven liberal arts。文法(grammar)、修辞学(rhetoric)、論理学(logic)、算数(arithmetic)、幾何(geometry)、天文学(astronomy)、音楽(Music))に加えて、人文科学(humanities)の研究・教育が始まります。

1571年には、大学の正式の名称が、Chancellor, Masters and Scholars of the University of Oxfordオックスフォード大学の総長・カレッジ長・学者)と定められます。

1603年からは、オックスフォードからイギリス下院に2名の議員を送るようになります。(1949年に廃止。)

1636年には、オックスフォード大学規約(Laudian Code)が策定され、イギリス国王チャールス1世によって裁可されます。

1878年から、女性の入学が認められるようになり、1920年に至って、女性にも学位が授与されるようになります。

20世紀に入ってから、自然科学と医学を含む応用科学の研究・教育が行われるようになります。

以上から、オックスフォードは、国産の学問を、対外的に開放しつつ行う、自治権を持った研究者集団(研究者の卵を含む)として始まり、やがてそれまでの大学院教育に加えて学部教育が開始されたこと、また、研究・教育分野については、経験科学的(つまりは近代科学的。コラム#46)志向を持ちつつ、学問方法論の研究・教育から始まり、やがて人文科学の研究・教育を加え、更に理学や実学(工学・医学・法学・社会科学(経営科学を含む))の研究・教育を加えて現在に至っていること、が分かります。

(以上、http://www.ox.ac.uk/aboutoxford/history.shtmlhttp://en.wikipedia.org/wiki/University_of_Oxfordhttp://www.oxford-info.com/University.htm、及びhttp://www.localhistories.org/oxuni.html(いずれも1月29日アクセス)による。)

 これに対し日本の大学は、官学も私学も、初期のお雇い外国人教師以外には外国人に門戸を閉ざしつつ、教育としては学部教育のみを行う形で、しかも極めて弱い自治権しか持たないまま発足していますし、研究・教育分野もまずは実学からスタートし、しかも研究は外国の学問の輸入、教育は外国の学問の注入を旨とした、というわけですから、オックスフォードとはあらゆる意味で似て非なる存在であることがお分かりいただけると思います。

太田述正コラム#10632006.1.28

on the job training・実学・学問(その5)>

 官学の法学部の教員の養成がどのようになされたかについても付言しておきましょう。

 東大の法学部の教員は、(少なくとも私が在籍した頃までは、)最終学年の学生の中の成績の良い者に、声がかかる、という形で選ばれていました。

 成績が良いとは、全優か殆どが優ということであり、単に法学部在籍中のペーパーテストの得点が高かったということを意味します。

 ここでのポイントは、学生は論文など誰も書いていないのだから、その学生に、新しい学説を打ち出すという学者としての創造性があるのかを執筆した論文を通じて見極めることは不可能であったことです。

 ではなぜ、法学部の大学院生の中から教員を選ばなかったのでしょう。いくら何でも大学院でなら論文を執筆させる機会があるでしょうから、学者としての創造性を見極めることもできたはずです。

 それをしなかった理由は容易に想像できます。

 一つには、成績の良い学生は、当然官吏任用資格試験にも合格するわけであり、行政機構(各省庁)と東大との奪い合いになれば、大学院に行って何年かを無給どころが学費を払って過ごすくらいなら、行政機構に直ちに就職して(官吏になって)給料をもらう方をその学生に選ばれてしまう、ということでしょう。

 (注13)卒業後、ただちに教員(助手)になれるといっても、声をかけられた学生にとって、依然、教員になることは官吏になることに比べてさほど魅力的ではなかった。なぜなら、在職中の高給与ポストは教員より官吏の方が多かった・・官吏になった方がより権力がふるえた・・し、一部の売れっ子教員を除けば、退職後を含めた生涯所得の官吏との差は一層大きかったからであるし、また、教員の仕事は、学生の教育を別とすれば、研究だが、その研究とは、(官吏が法規をつくる際の技術的助言を求められることもたまにはあるけれど、)もっぱら自らの「学説」(後述)に基づいて官吏がつくった法規の解釈を行うことであり、法規をつくるという官吏の仕事の方がより「面白い」からだ。

 しかしより本質的な理由は、教員が研究者として求められた資質は、学者としての創造性などではなく、まさにペーパーテストで良い成績をとる能力であったからだと思われます。

法学部のペーパーテストで学生が高得点をとるためには、(教員から教わったところに従い、)設問に係る複数の日本の「学説」の紹介と評価を行った上でその中の一つの「学説」を高評価し、その「学説」を用いて結論を導き出す、という作業をいかに手際よくやってのけるかが鍵となります。この時、自分の「学説」を打ち出せば、それだけで零点になってしまいます。

教員になれば、設問こそ自分で設定しなければなりませんが、後はペーパーテストを受けた場合とほぼ同じことであり、設問に係る複数の欧米の新旧諸学説(注14)の紹介と評価を行い、その中の新しい学説の一つを選んだ上で、その学説を「日本化」して自分の「学説」として提示し、この新「学説」を用いて結論を導き出す、という作業をできるだけ手際よくやる、というだけのことです。ここでも、欧米の学説に依拠しない独自の新学説を打ち出すことは、全く期待されていません。

 (注14)戦後の日本の法規は、大陸法の上に、「宗主国」たる米国の法である英米法が接ぎ木された状態であり、しかるがゆえに、法学の教員が最も依拠するのは、ドイツと米国の学説(判例を含む)だ。日本の裁判所は、日本の法学部の教員のかかる「学説」を用いて判決を下す。だから日本の判決は、いわば欧米の学説の孫引き判決だ。

 繰り返しになりますが、このような「学問」のあり方は、官学の学問全体、とりわけ官学の人文・社会科学系の学問全体のあり方を規定したのです。

 ところで、法学部の大学院はいかなる役割を果たしていたのでしょうか。声はかからなかったけれど、他の大学で何がなんでも法学の教員になりたいという奇特な人と、官吏任用資格試験や司法(官)試験に学部在籍中に合格せず、引き続いてチャレンジを続けたい人の受け皿です。

 このような、就職浪人収容機関としての大学院のあり方もまた、官学の大学院全体、とりわけ官学の人文・社会科学系の大学院のあり方を規定したと言えるでしょう。

 (2)実学の府としての私学

 では私学の方はどうだったのでしょうか。

私学のあり方は、日本最初の私立の大学である慶應義塾大学(慶大)のあり方によって決定されたと言っても差し支えないでしょう。

その創設者は、ご存じの通り福澤諭吉(1835?1901年)です。

その福澤は、慶應義塾のサイトが、「<福澤に対しては、>周囲もなぜ福澤は仕官しないのかと訝しみ、あらぬ憶測が飛び交います。それでも頑として国事に関わることがなかった福澤の真意は、実に明解なものでした。維新を経た後も当時の役人の多くには、人民に対する上下貴賎の差別が根強く残っていました。福澤はそんな「殻威張りと名づくる醜態」を犯すことはしたくないということ、役人の気品が低いこと、彼らの日和見主義に辟易していることなどをあげ、そして役人がそんな状態であっても、大半の国民が立身出世は他にあらずという一心で役人を志すことに、多大な危惧を抱いていると警告しています。」と言っているようにhttp://www.keio.ac.jp/keio_sogo_master/prologue.html、1月26日アクセス)、反官僚(官吏)的精神の権化であり、アングロサクソン流の自由民主主義者でした。

そんな福澤が大学をつくるとすれば、それは、アングロサクソン流の学問の府としての大学であってしかるべきでした。

ところが、既にご紹介したように、福澤の学問観は実業家として成功するための実学、というものでした。そしてこの考え方に基づき、福澤は、官吏のための実学の府たる東大(官学)に対抗するべく、実業家のための実学の府たる慶大(私学)を創設するのです。

 結局日本の私学は、ことごとくこの慶大に倣って、非官吏のための実学の府として設立され、発展していくことになります。

 その慶大の歩みを簡単に振り返ってみましょう。

 前述したように東大の方は、1877年に発足してから、早くも1880年には大学院の整備に着手しています。

ところが、実学の民間研修所にほかならなかった慶應義塾に関し、明治維新後福澤がまずやったことは、1874年に幼稚舎(小学校)を設けたことです。まさに寺子屋的発想です。他方、福澤が大学部を設置したのは・・日本で最初の私学がまがりなりに誕生したのは・・1890年になってからのことでした。

その次に福澤がやったことと言えば、1898年における、(幼稚舎・普通科・大学科、という)初等中等教育から高等教育までの一貫教育体制の確立でした。

他方、自前の慶大教員を養成する試みは、福澤が逝去する2年前の1899年の海外留学生の派遣を待たなければなりませんし、大学院の整備に至っては、福澤の1901年の逝去を待つように、1902年になって初めてその気運が塾内から出てきています。

福澤がいかに実学に固執したかがよく分かるではありませんか。

結局、慶大で大学院が整備され始めたのは遅れに遅れて、1906年のことでした。

その時、慶應義塾の塾長は、「官立学校に見られる弊風を廃して自由研究の気風を養成し、一意専心に学問研究に貢献する人物および豊富な知識と十分な素養を社会で生かせる人物を育成しなければならぬ」と宣言するのですが、ここでの「学問」も、当然のことながら、実学の域を出るものではありませんでした。

実際1944年に、やはり実学たる(医学に係る)医学部に次ぐ理系としては二番目の学部が慶大にできた時も、それは理学部ではなく、より実学的な工学部でした。

その工学部が、ようやく理工学部に改組されたのは、1981年のことです。

この間、1957年には商学部が設置されていますが、経済学部に加えて商学部を設置したところにも、実業家のための実学の府たる慶大の特徴が良く表れています。

(以上、http://www.keio.ac.jp/keio_sogo_master/prologue_1.html前掲及びhttp://www.keio.ac.jp/staind/202.htm(1月26日アクセス)による。)

太田述正コラム#10622006.1.27

on the job training・実学・学問(その4)>

 この関係で、更に問題であったのは、官学において法学部の優位が確立したことです。

明治時代の初期には行政機構(政府)が法律をつくる作業を独占的に行っていたわけですが、この状態は、立法府たる国会が開設されてからも基本的にはそのまま続きました。

行政機構の行うあらゆる施策は、この法律及び、法律を受けた政令・省令・規則等の法規に基づいて行われます。

この法規の立案・制定は、日本社会の実態を踏まえて行われたというより、日本の欧米化・近代化を推進すること、つまり日本社会の実態を変革することを目的として行われました。日本の法規を欧米の法規に倣って整備することは、日本が開国する際に欧米諸国との間で締結させられた不平等条約の撤廃を図るためにも不可欠でした。

このようなことから、日本の行政機構の中では、法規に係る作業を担当する官吏が幅をきかせるようになります。

そしてその結果として、官吏養成機関であった東大、ひいては官学において、中核たる官吏を養成するところの、法学部の優位が確立するのです(注11)。

 (注11)戦後の東大の文科系について言えば、文1(法学部)、文2(経済学部)、文3(文学部・教育学部)、という序列だ。専攻学部としての教養学部が戦後に誕生したのは画期的なことだったが、文科系の教養学部教養学科が、文3学生のあこがれの進学先になっただけで、序列を突き崩すには至らなかった。

 この官学における法学部は、いかなる学問を教えたのでしょうか。

 第一に、法学は、そもそも実学的性格を持っています。法は社会に適用されて初めて意味があるからです。法学部は実学たる法学を教えたのです。

 第二に、本来の法学は法を適用する対象たる社会の法慣習等の把握(=法社会学)が重要な柱であるところ、日本の官学の法学は、欧米、就中輸入の容易であった大陸法系(ドイツやフランス)の法規の輸入と翻案(日本の法規につくりかえること)が中心であり、現実と遊離している学問でした。やや誇張して言えば、法学部は空理空論を教えたのです。

 第三に、日本の官学では、官吏登用資格試験を受験し合格するために最低限必要なことだけを教えて、後は実際に官吏になってからオン・ザ・ジョッブ・トレーニングで習得すればよい、という「合理的な」考え方をとりました。それが証拠に、官学の法学部では(そして私学の法学部でも)、理科系の卒業実験に相当する文科系の卒論が課されません。文科系では本来学士号は、学術論文の体裁で少なくとも論文を一本書くことによって初めて授与されるべきところ、法学部の学生にはそれが免除されていた、というより、法学部の最終学年の学生は、法学という学問の基礎の習得が完了していないので学術論文を書く実力が備わっていない、というわけです。

 つまり、法学部は、上述したような「学問」である法学の基礎の初歩しか教えなかった、ということです。

 かかる法学部の優位が確立することによって、一体何が起こったでしょうか。

 学問とは実学である、という観念がより牢固となっただけではありません。学問、とりわけ文科系の学問は欧米の人文・社会科学の輸入でこと足りる、という観念が確立してしまいました。その結果として学問の空理空論性が当然視されるようになりました。

学問とは実学を標榜する役に立たないものである、という「誤解」がここから生まれます。それだけではありません。そんな「学問」ならあえて習得するまでもない。現にあの法学部ですら、「学問」を習得させずして卒業させているではないか、という「誤解」すら生まれるに至ったのです(注12)。

 (注12)しかし、これらの「誤解」はこと法学部に関しては決して誤解ではなかった、というのが私の考えだ。必修科目については、何百人もの学生相手に、一方通行の講義が行われる、というのが法学部の姿だったが、こんなことが許されたのは、法学教育が「学問」の「教育」でない証拠だ。ロースクール(法科大学院)制度への移行によって、どれだけ改善されるのかは知らないが、少なくとも従来の法学部卒業生は、ことごとく短大卒相当に過ぎない、と言ってよかろう。

太田述正コラム#10612006.1.26

on the job training・実学・学問(その3)>

 日本の大学を実学の府にしてしまった責任は、遺憾ながら我が敬愛する福澤諭吉にある、というのが私の考えです。

 福澤の「学問のすゝめ」の一節(http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/great/gb/great_yukichi.htm。1月26日アクセス)

をお読み下さい。

 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり。されば天より人を生ずるには、万人は万人皆同じ位にして、生れながら貴賎上下の差別なく、万物の霊たる身と心との働を以て天地の間にあるよろづの物を資り、以て衣食住の用を達し、自由自在、互いに人の妨をなさずして各安楽に此世を渡らしめ給うの趣意なり。されども今広く此人間世界を見渡すに、かしこき人あり、おろかなる人あり、貧しきもあり、富めるもあり、貴人もあり、下人もありて、其有様雲と泥との相違あるに似たるは何ぞや。其次第甚だ明なり。実語教に、人学ばざれば智なし、智なき者は愚人なりとあり。されば賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。学問をするには分限を知る事肝要なり。人の天然生まれ附は、繋がれず縛られず、一人前の男は男、一人前の女は女にて、自由自在なる者なれども、唯自由自在とのみ唱へて分限を知らざれば我儘放蕩に陥ること多し。即ち其分限とは、天の道理に基き人の情に従い、他人の妨を為さずして我一身の自由を達することなり。」

 この中の、「賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由て出来るものなり。学問をするには分限を知る事肝要なり。」というくだりにまず注目しましょう。

この後段を、「また、学問をすれば自ずから分限を知るものなり。」と逆転させれば(注8)、私が申し上げていること、つまり、「現実観察力と理論化能力を身につけたければ(=賢人になりたいのであれば)、大学で学問を習得する必要がある。また、学問を習得することは謙虚さ(分限)を知ることにもつながる」と全く同じになります。

 (注8)ここが逆であることは、私は余り気にしていない。そもそも、賢人とは分限を知る(=謙虚な)人間でもあるはずだし、また、分限を知ることは学問をする前提であると同時に結果でもあるのではないか、と思うからだ。

 そんなことは間違いだ、という意見の方も読者の中にはおられるようですが、この際、福澤に免じて、正しいかもしれない、とご自分に言い聞かせてください。さもないと、先に進めないからです。

 その上で問題になるのは、福澤が、学問を習得することは、「かしこき(clever)・・富める(rich)・・貴<き>(noble)人(person)」になるための手段である、と言っている点です。

 この「富める」をキーワードにして福澤の「学問のすゝめ」の要点を露骨な形に読み替えると、「金持ちになって上流階級の仲間入りを果たすための賢さを身につけることが学問を習得する目的だ」ということになるでしょう。

これこそが私に言わせれば、福澤の「実学の精神」なのです(注9)。

 

(注9)丸山真男は『福沢に於ける「実学」の展開』(福沢諭吉集 筑摩書房 1975年刊)において、福澤の「実学」について、これを実業学としての功利精神と見るべきではなく、福澤は、学問と生活の結合という全く新しい学問観を提唱たのだ、と言っており(http://www.klnet.pref.kanagawa.jp/great/gb/great_yukichi.htm上掲)、また、慶應義塾大学の公式サイトは、「福澤がいう実学は実際に役に立つ学問というより、「科学」を指します。この科学を単なる知識としてでなく、実際の行動に活かせるように学ぶことが義塾伝統の「実学の精神」です。」としているhttp://www.keio.ac.jp/keio_sogo_master/prologue.html。1月26日アクセス)が、私にはどちらも苦しい言い訳にしか思えない。

では、日本の大学は、いかなる経緯によってことごとく、福澤的な意味における実学の府になってしまったのでしょうか。

5 実学の府としての日本の大学

 (1)実学の府としての官学

 官学の歴史は東京大学の歴史として始まります。

 その東京大学の起源は、簡単に申し上げれば、徳川幕府が幕末に設置した洋書調所(蕃書調所)と西洋医学所(種痘所)に遡ります。

 この二つの機関が明治維新以降、曲折を経て、それぞれ文理学の東京開成学校と医学の東京医学校となり、この二つが1877年に合併して、日本最初の大学である東京大学(東大)が誕生します。

 次に1885年、東京法学校が法学部に合併されます。東京法学校は司法省明法寮として創設されたものです。翌1886年には、工部大学校が合併されます。工部大学校は工部省工学寮として創設されたものです。更に1890年には東京農学校が合併されます。東京農学校は、内務省農事修学場として創設されたものです(http://www.ne.jp/asahi/bunko/enkaku/nempyo1.htm。1月26日アクセス)。

 こうして東大は法文理工農医の6学部からなる総合大学となったのです(注10)。

 (注10)戦前に経済学部が法学部から分離し、また戦後に教養学部と教育学部が発足し、更に薬学部が医学部から分離し、9学部体制となって現在に至っている。

 この間、1880年には、大学院の整備が始まっています。これは、お雇い外人教師と留学帰りの教員に依存する体制から、自前で教員を養成する体制への切り替えが始まったということです。

 (以上、http://www.ut-life.net/introduce/history.html(1月26日アクセス)による。)

 以上からお分かりのように、日本の官学は、欧米の文物を研究するとともにその研究者を養成する国家機関を起源として、国防と殖産興業のための実学を研究し、教育するという、実学の府として始まったのです。

 その教育とは、まず第一に実学の研究者と官吏を養成することでした。

 以上のような官学の性格は、大学の数が増えた現在においても、基本的に維持されていると言ってよいでしょう。

太田述正コラム#10602006.1.26

on the job training・実学・学問(その2)>

3 学歴の意義

 自然科学者になったり人文・社会科学者になったりするためには、大卒以上の学歴が必要不可欠であることは誰でも直感的に分かりますが、どうして新しいビジネスモデルを確立するためにも大卒以上の学歴が必要不可欠なのでしょうか。

 私は今や、いかなる人物にとっても、(新しいビジネスモデルの確立だろうが何だろうが、)一つの分野で新しい地平を切り開きたいのであれば、大卒以上の学歴は必要不可欠だと思っています。

 大卒以上の学歴があって、初めて、学問(の一分野の基礎)を習得することができます(注4)。

 (注4)学問の習得には、人文・社会科学と医学(ただし、履修年限が長い)にあっては学部卒業、自然科学にあっては学部卒業ないし修士課程修了を要する。なお、法律学については後述する。

そして学問を習得すれば、学問が、現実の観察→理論化→現実の観察(検証)→理論化(理論の発展)→現実の観察・・ということを無限に繰り返していく厳しい営みであることを体得することができます(注5)。

(注5)これは、数学・論理学等、現実と直接関わりを持たない一部の学問にはあてはまらない。また、法律学については、やはり後述する。

ですから、学問を習得した人間・・大卒以上の人間・・は、理論化と現実観察の方法論を身につけており、それと同時に、理論化と現実観察のむつかしさも分かっていることから謙虚さも身につけているものなのです。

大卒以上の学歴を身につけること、とりわけ、学部を卒業することには、皆さんよくご存じのように、それ以外の効能もあります。

それは、幅広いバックグランドを持つ同期生等と、勉強やクラブ活動を通じて互いに刺激を与えあうとともに、生涯にわたって続く交友関係を築くことができることです。(社会に出てからは、利害損得がからんで、なかなか真の交友関係を築くことはできないものです。)

 内河グループとライブドアの、それぞれのキーマンたる経営者達はこのような学歴がなかった以上、ビジネスモデル策定といった高度な理論化作業がまともにできるわけがなかったのです。こうして、彼らは綱渡り的欠陥ビジネスモデルをつくってしまったのです。しかもこれらの経営者達は、この新ビジネスモデルを用いた初期の成功に目が眩み、ますます傲慢になり、利害損得抜きで相談に応じたり忠告したりしてくれる友人を持っていなかったこともあって、欠陥ビジネスモデルの暴走が起きてしまった、ということになります(注6)。

 (注6)姉歯氏は経営者ではなく、従って内河グループのビジネスモデル策定に関与したわけではないが、コスト削減指示を受けた時に、その合法的方法を自分で考える(=理論化作業を行う)ことができず、また、恐らく利害損得抜きで相談できる同業・非同業の友人も持っていなかったために違法な方法に走ったと考えられるのであって、やはり学歴がなかったことが影を落としていると私は思う。

4 更なる考察

 ではどうして内河グループとライブドアのキーマン達は、大学を目指したり、大学を卒業したりしなかったのでしょうか。彼らにその能力がなかったとは、到底思えないにもかかわらず・・。

 それは、日本の大学が官学も私学も、様相こそ違えども、実学の府であって、本来の意味での学問の府ではないからです。

 上記、キーマン達は、なまじ頭が良いだけに、早く実社会に出てオン・ザ・ジョッブ・トレーニングを積めば、役にも立たない実学を大学で勉強して4年間以上を空費している連中を出し抜ける、と考えたのではないでしょうか(注7)。

 (注7)キーマン達のうち、内河グループの姉歯氏とライブドアの宮内氏は、実家が貧しく学費が捻出できなかったとされている(TV報道等)が、彼らにその気があれば、大学進学は何らかの形で可能だったはずだ。

 これらキーマン達の目には、実学の背後に学問があり、その学問を学ぶことに大きな意義がある、ということが見えていなかったのです。

 となると、非は、これらキーマン達にとんだ短絡的誤解をさせてしまった日本の大学の側にもありそうです。

太田述正コラム#10592006.1.25

on the job training・実学・学問(その1)>

1 始めに

 このところ世間の耳目を集めている構造計算偽造事件とライブドア事件には、奇妙な共通点があります。

 両事件のキーマン達が、ことごとく大学を出ていないことです。

 構造計算偽造事件では、姉歯(元)一級建築士・小嶋ヒューザー社長が高卒、内河総合経営研究所所長が短大卒、木村・木村建設社長・篠塚木村建設(元)取締役・東京支社長が高卒ですし、ライブドア事件では、堀江ライブドア社長が東大中退(注1)、宮内ライブドア財務担当取締役(ナンバー2)が高卒です。(複数のTVのニュース番組より。)

 (注1)堀江は、東京大学にストレートで入学しているし、その気があったら卒業できたはずなのに、文学部の宗教学科を卒業しなかった。入学後5年目(!)にライブドアの前身のオン・ザ・エッジを設立していることからして、その設立準備のため、在学中余り勉強はしなかったものと思われる。もっとも、入学以降一定の成績を残さなければ専攻の学部に進学はできないので、堀江は短大卒には相当すると言ってよかろう。(事実関係は、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%80%E6%B1%9F%E8%B2%B4%E6%96%87(1月24日アクセス)等による。)

 このうち、姉歯氏以外はすべて経営者です。

2 考察

 

 「高卒や短大卒でもいいじゃないか。学歴なんてどうでもいい」という声が聞こえてきそうですね。

 確かに一般論としてはそのとおりなのだけれど、このご時世、新しいビジネスモデルを確立しようというのであれば、経営者に学歴がないことはかなり致命的なのではないか、と私は考えています(注2)。

 (注2)松下幸之助は小卒だったが、「水道哲学」経営という新しいビジネスモデルをつくりあげ、自分の創業した松下電器を大企業に育て上げた(http://www.enjyuku.com/k/kp62.htm。1月24日アクセス)。その松下は、「あなたが経営者として成功できた理由は何ですか?」と質問された時、「学歴がなかったこと。体が弱かったこと。家が貧乏だったこと」と答え、「学歴がなかったから何も知らなかった。おかげで、何事でも、誰にでも聞く耳を持てた。そして何を聞いても感心した。それが経営を間違わずに行うことができた最大の要因である」と説いた(http://www.hotweb.or.jp/yoshidao/idea124.html。1月24日アクセス)。しかし、凡人にはこのような「謙虚さ」は求めうべくもない上、松下電器の創業期(戦前)に比べると、現在のビジネス環境ははるかに複雑であり、変化のスピードも早いことを考慮すべきだろう。

構造計算偽造に関わったグループ(内河グループ)とライブドアに関して言えば、どちらも取り扱う商品そのものには同業の他グループや他社に比べて全く優位性はなかったので、経営規模の拡大を新しいビジネスモデルの確立によって果たそうとしたところ、学歴のある者が経営者の中に一人もいなかったため、片や「超低コスト建設」、片や「株式時価総額経営」、という綱渡り的ビジネスモデルしか発想できなかったところに問題の根源があったのではないか、という感が拭えないのです。

綱渡り的ビジネスモデルだったからこそ、片や一人の無能でモラルの欠如したキーパーソンたる従業員(姉歯)(注3)のグループへの「採用」によりボトムアップで、片やナンバーワンとナンバーツーの経営者(堀江・宮内)の無際限な欲望とモラルの鈍磨によりトップダウンで、半ば必然的に破綻に至った、と私は見ているのです。

 (注3)この内河グループが使っていた一級建築士であれ、その他の一級建築士であれ、一級建築士が構造計算偽造を行ったケースは、姉歯氏以外、これだけ鵜の目鷹の目でみんなが探しているというのに、これまでのところ一件も発覚していない。

太田述正コラム#9802005.12.1

<米国の大学の入学者選抜方式の起源>

1 初めに

以前に(コラム#378で)「米国の大学では、入学学生の選考は、筆記試験、面接、それまでの学業成績、社会活動歴等を総合的に判断して行われる。日本の大学では、筆記試験一本槍で入学学生が選考される。」と申し上げました。

このことは、結構多くの方がご存じだと思います。

しかし、このような入学者選抜方式がとられるようになったきっかは、ユダヤ人に対する差別であった、ということは余り知られていません。先般、カリフォルニア大学バークレー分校の社会学のカラベル(Jerome Karabel)教授が上梓した The Chosen: The Hidden History of Admission and Exclusion at Harvard, Yale, and Princeton, Houghton Mifflinという本に依拠しつつ、このことをご説明しましょう。

(以下、http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/10/27/AR2005102701733_pf.html1030日アクセス)、http://www.csmonitor.com/2005/1101/p13s01-bogn.html11月1日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/11/06/books/review/06brooks.html?pagewanted=print。(11月6日アクセス)、http://www.nytimes.com/2005/11/25/books/25book.html?adxnnl=1&adxnnlx=1132970496-WyZcaz1RBnpEGlvasc/4sw&pagewanted=print1126日アクセス)による。)

2 選抜方式変更の経緯

 かつては、ハーバード・エール・プリンスト(Big Three)という米国の名門アイビーリーグ大学への入学者は、ほとんどWASPWhite Anglo-Saxon Protestant)の上流階級の子弟ばかりでした。そもそも、入学志望者選抜試験(入試)はありましたが、形だけのものでした。

 米国の北東部のいくつかのエリート私立学校しか、これら三大学の入試に出る、ラテン語と若干のギリシャ語を習得させる古典教育を行っている学校は米国にはなく、これらの学校の卒業生は、希望すれば。ほぼ全員がこれら三大学に入学できました。

 そして、これらの大学は、紳士たる学生の方が学者たる学生より大勢在籍していることが自慢でした。その紳士たる学生とは、努力せずしてスポーツに優れ、カリスマ的で、公平で、勇敢で、謙虚で、そして何よりもリーダーシップを発揮できる人間のことでした。

 20世紀に入ると、これでは余りに金持ちの子弟優先だというので、ハーバード大学が最初に古典を入試から落とし、後の二大学もそれに倣います。

 ところが、思いもよらないことが起こりました。

ユダヤ人はみんなやる気があり、しかも多くは知的に秀でていたため、ユダヤ人が一挙に入ってきたのです1917年のエール入学者の9%1918年のプリンストン入学者の4%、同年のハーバード入学者の実に20%がユダヤ人であり、その後もその比率は毎年増え続けました。

 入学してからもユダヤ人学生達は、悩ましい問題を引き起こしました。

彼らには、WASP学生よりも、アルバイトをしたり、奨学金をもらったり、弁論術での卓越を追求したり、野心を持ったり、良い学業成績をとったりするという傾向が見られ、WASP学生と違って、社会活動を行ったり、大学の高級学生クラブに入ったりすることに、関心を示さなかったからです。要するに、ユダヤ人学生は学者たる学生ばかりで紳士たる学生はいなかったのです。

 当然、上流階級のWASPたるOB達からは、不満の声が挙がりました。

 大学当局はどうだったのでしょうか。

 彼らは、主観的にはみんな基本的に進歩派であり、民主主義者であり、相手がユダヤ人であろうが誰であろうが差別には反対でした。しかし、当時の、史上最も反動的な時代の米国で吹き荒れていたところの、拝外主義的(移民規制的)・反ユダヤ主義・優生学フィーバー、が大学内にも影を落としていました。

 いずれにせよ、彼らが懸念したのは、これでは青白きインテリばかり増えて、フランクリン・ローズベルト(1900年にハーバード大学入学。後に米第32代大統領)のような、学業成績はふるわないけれどWASP学生の期待される人間像的人物の居場所がなくなってしまう、ということであり、このままでは大学が、米国社会の権力の中枢から切り離された存在になってしまう、ということでした。

 結局ハーバード大学は、1922年から、日本や欧州の大学のように、客観的な学業成績meritだけではなく、主観的な、OBのコネ・課外活動・スポーツの技量・性格(personality)・男性らしさ(manliness)・推薦状、といった人柄(character)に係る要素も勘案して入学選考をすることにしました。入学願書には、写真を添付させ、人種・肌の色・宗教・父親の生誕地・家族の昔の姓・母親の旧姓、を記入させました。志望者の地域のOBによる面接試験も始めました。

今度も後の二大学はこれに倣います。

この結果、ねらいどおり、ユダヤ人の入学者数は、大幅に減りました。しかも、これは、女性と黒人を事実上閉め出すという、これら三大学のそれまでの方針を継続することにもつながりました。新しい移民の子弟も割を食いました。

3 そしてどうなったか

 戦後、1950年代後半のソ連のスプートニク・ショックの結果、学業成績がやや重視されるようになったり、1960年代の市民権運動の結果、黒人や女性の入学が促進されたり、(特に黒人については優遇的取り扱いがなされたり、)といった変化はあったものの。人柄重視の入学選考方式は、上記三大学のみならず、全米の大学で蹈襲され続けて現在に至っているのです。

4 コメント

 どう考えても差別的で合理性に欠けるこのような米国の大学入学選考方法は、しかしながら、明らかに(英国は別として)西欧や日本の大学よりも学業成績においても、人柄においても、より秀でた学士を輩出してきました。

 これは、大学において学生の多様性を確保することが、教育的効果を大いに上げる働きをするからだと私は考えています。

 今更、西欧や日本は、この方式に切り替えるわけにはいかないのが残念ですね。

太田述正コラム#0630(2005.2.16)
<日本の公立小学校の現状>

(コラム#627で、「台湾の英字紙、Taipei Times の無料電子版が大幅に簡素化されて弱っています」と記しましたが、昨日、元に戻りました。お騒がせしましたが、あれは一体何だったのでしょうか。)

 今回は、昨日、小4の息子の授業参観に行ってきて感じたことをお話ししましょう。

 息子が通っている公立小学校の4年生は三つのクラスに分かれており、それぞれ40名弱の生徒で構成されています。
 飛び級について論じた時(コラム#501)にも申し上げたように、一クラス40名弱というのはまだまだ多すぎますし、能力別クラス編成になっていないのも問題があります。
 そこで、息子の学校では、算数の時だけ、時々、この三つのクラスの生徒をガラポンして能力別に四クラスに分け、それぞれ30名弱で授業を行う、という一石二鳥の試みを行っています。

 何時間目の授業でも自由に参観できるのですが、面白そうなので、昨日は算数の授業の時間に参観に行ってみることにしました。
 ところで、前もって息子から聞いていた話では、この四つのクラスのどれができる子のクラスで、どれができない子のクラスか、担任の先生は教えてくれず、ただ、「・・君(さん)は・・クラスに行きなさい」、と言われるだけなのだそうです。しかし、普段算数が大変良くできる級友が自分と同じクラスに来ていることから、自分が(一番できる子のクラスかどうかまでの確信はないけれど)、比較的できる子のクラスに割り当てられたことは分かる、といいます。残りの三つのクラスにそれぞれ割り当てられた級友の話を総合すると、できない子のクラスになればなるほど、授業の進行が遅くなるようだ、とも言っていました。
 いやはや、どうして学校当局は、こうも平等主義の外見にこだわるのでしょうか。

 さて、実際に授業を参観してみて、私は吹き出すのをこらえるのに苦労しました。
 (もともとは隣のクラスの担任である)先生が、「1メートルを三つに等分した答えはどうなりますか?」と設問を出します。
 先生は、生徒が答えを自分のノートに書いているのをゆっくり見て歩いて教壇に戻ります。
 そして、「(塾へ行っていて(?))答えを知っている人もいると思うけど」と言いながら、「答えたい人手を挙げてください」と言うと、約半分から手が挙がります。
 最初に指名された生徒は、「33センチメートル余り1センチです」と答えます。
 先生は、「これまで教わったやり方だとそう答えざるをえないよね」と言い、「ほかには」と促します。
 今度は数名の生徒が手を挙げ、その中には初めて手を挙げた私の息子も入っていたのですが、彼がすぐ手をひっこめたので、先生が「太田、答えないの?」とダメ押しした後、別の生徒を指名し、その生徒が、「33.3333333センチです」と答えます。
 先生は、「少数を使った答えだとそうなるけれど、どこまでも3333が続いてしまうね」と引き取ります。
 そこでおもむろに先生は、「1/3メートルと書くのが正解です。これを分数と言います」としめくくります。
 ここまでで、授業時間の三分の二以上が経過し、残りの時間は、その日「初めて」習った分数についての問題演習にあてられたので、私は教室を後にしました。

 もうお分かりですね。
 これは算数の授業ではなく、集団即興劇(の稽古?)以外のなにものでもありません。
 先生も生徒(の大部分)も、その日の授業「劇」の筋をすばやく頭に描き、その筋に沿って演技をしているのです。
 これも息子から聞いていた話では、塾に通っている生徒は約半分で、できる子とできない子とで、塾に通っている割合にそれほど大きな違いはないが、できる子の方が塾に通っている割合が高い、ということです。(息子も塾に通っています。)
 そして、塾に通っている生徒は、それがどの塾であれ、分数は既に塾で教えられています。
 他方、息子が割り当てられたクラスは、比較的算数のできる子が集まっているクラスですから、塾に通っている割合が多いはずであり、分数を既に知っている子が多数、分数を知らない子が小数いたはずです。
 しかし、先生は、分数を知らない生徒を対象にした授業を行うこととされているのでしょう。
 そうなると、その日の授業の三分の二の時間は、多数の生徒にとっては時間の空費だ、ということにならざるをえません。
 確かに、算数の授業としてはそうなのですが、集団即興劇としては決して時間の空費ではない、と先生も生徒(の多数)も考えているのでしょう。
 先生は、筋が無茶苦茶にならないよう、あらかじめ、どんな答えを生徒が書いているかを確かめた上で指名し、「余り1センチ」と答えた生徒も、「33.33333」と答えた生徒も、ひょっとしたら分数を知っていて、あえて筋に沿った「誤った」答えを提示した可能性があると勘ぐりたくなり、そこまで「協力的」でない分数を知っている生徒は手を挙げないようにし、アホな息子は分数で答えようとして気付いて手を下ろし、上手の手から水がこぼれた先生が息子を指名しかけてしまった、というくらい、みんな真剣に演技をしたのですから。
 (帰ってきた息子に確かめたら、「お父さんの解釈の通りだよ」、とにやにやしながら答えてくれました。)

 これは「能力別」編成の授業の時の話ですから、普通の授業の時のことは推して知るべしです。
 いささか極端に言えば、日本の、とりわけ大都会の小学校は、後半の三年間にもなると、勉強は塾に丸投げし、社会性を身につけさせる「だけ」の場になってしまっている、ということです。
 問題は、塾に行く生徒と行かない(行けない)生徒の間で極端に学力の差が生じる一方で、生徒全員が過剰に社会性を身につけさせられている、という点です。
 これでは、日本人全体の知的水準の低下と所得格差の拡大は避けられず、他方で「過剰に」「日本人としての」社会性を身につけていないところの外国人が日本で働くことを一層困難にし、このこともやはり日本の社会の活力の低下を招くことでしょう。
 納税者たるわれわれはもっと危機感を持って、文部科学省による規制の緩和、ゆとり教育の見直し・能力別クラス編成・飛び級制度の導入・学校間格差の増大、等によって、日本の初等中等公教育の抜本的是正を図る必要があると思うのですが、皆さん、どうお考えですか。

<読者A>
太田さん、#630の記事は身につまされました。笑って笑えない話ですが、太田さんのご本を読むまでも無く、この手の実例は腐るほどありますね。「官僚機構が本来の成果を発揮」すればすべて、と言って良いほどカイゼンされるのですが、既に其の見込みもない霞ヶ関には嘆いても意味はなく、彼らを税金で食わして置くのさえバカらしくなります。確かに縁の下の力持ちのように黙々と任務をこなしている官僚もいますが、政治家、国民が次の要領で彼らをチェック出来るようにするのが具体的に彼らを管理する方法と思います。ここは「日本国の浮沈を賭けた」国民の総意を纏めたいですね。
特に緊急の問題点:
1)ヒトゲノム解読に日本は6%しか寄与していませんが研究者などの力はあったのに、結局省庁の壁でこうなったので内閣府がその理由を関係省庁に質し、公表する事。(成果のない省庁は当然然るべき罰則を与える)
2)これに関し今後は「ゲノムデータ利用の製品化」が世界規模で進められているが、これも文科省、厚生省、経産省、総務省とその監督庁で既に国益無視でナワバリ争いがされているので、プロジェクト毎に(当面は医薬分野、ナノテク分野)内閣府が統括し、少なくとも国家プロジェクト(例えば東京ゲノムベイプロジェクト)のトップには省庁の壁を破る権限を与え、自由に事業推進出来るよう省庁の監督をし、其の成果を一般にオープンする事。
3)その他ありますが、特に文科省については、「ゆとり教育」の破綻の責任部署を明確にし、担当官僚は教師として現場で教鞭を取らせる事。(教員資格と経験が無かったら、これを取らせるか、この担当から外すこと。)これも内閣府が統括して国民にオープンにすること。まだまだ沢山ありますが別の機会に・・・・・・。

<読者B>
 太田述正様、いつもコラムを読ませてもらってます。
 今回は少し気になったので返事を送らせてもらいます。

> 今回は、昨日、小4の息子の授業参観に行ってきて感じたことをお話ししましょう。

 私は教員ではないものの教育実習まで経験があります(教員免許は持ってます)。

 算数の集団即興劇と評されてましたが、既に劇にすらなっていないと思います。本来必要なのは分数の説明ですが、この授業(?)では、分数を知っているかどうかの説明と演習しか行われていま%

太田述正コラム#0509(2004.10.21)
<ブッシュ・MBA・ケースメソッド(その2)>

 (以下、特に断っていない限りhttp://www.indiainfoline.com/bisc/thes.htmlhttp://66.102.7.104/search?q=cache:O8tAwTH0Gv0J:www.ecch.cranfield.ac.uk/europe/pdffiles/obtain/Teachpdfs/Whentouse.pdf+case+method%3Bbusiness+school+%3Bweakness&hl=ja、及び(http://www.cfoeurope.com/displayStory.cfm/1777470(いずれも10月18日アクセス)を参考にした。)
 ケースメソッドを世界で最初に採用したのは、法律家の養成教育を行うハーバード大学のロースクールであり、1870年のことです。
 米国の法体系がイギリスの判例法であるコモンローを継受していることから、判例(case=ケース)集を勉強することは、法令集を勉強することとともに、ロースクールにおいてはもともと不可欠でした。この判例集の中から特定のケースを選び、そのケースの事実関係をそのまま、或いは若干手を加えて学生に提示し、教室を法廷に見立てて、この事実関係を踏まえ、学生に検察官・弁護士・裁判官の役割をそれぞれ演じさせ、議論を戦わせることで、学生達に、当該ケースに関連する法律や判例を習得させるとともに、法廷技術やリーガルマインド(法感覚)を身につけさせることをねらったのがケースメソッドです。
 ロースクールに倣って世界で最初に大学院レベルの経営者養成教育を始めたのが、1908年にハーバード大学で設立されたビジネススクール(Graduate School of Business, Harvard University)です。もともとモデルにしたのがロースクールなのですから、教育方法も同じ大学のロースクールのケースメソッドの採否が検討され、1912年に導入されることになったようです。そして1924年からは、ビジネススクールでの大部分の教育がケースメソッドで行われるようになり、現在に至っています(http://www.mba-advice.us.com/harvard-mba.html。10月20日アクセス)。
 ちなみに、1985年には医者養成教育を行うハーバード大学のメディカルスクールでもケースメソッドが採用され、1992年には全授業がケースメソッドで行われるようになっています。このように、ハーバード大学では、いわゆるprofessional school ではことごとく、ケースメソッドが採用されているのです。
 ハーバード大学から始まったビジネススクールは、次第に全米各地の大学で設置されるようになり、今では世界中にビジネススクールがあることはご存じの通りです。
 しかし、その中にはケースメソッドについてもハーバードのように、全面的に採用するところと、部分的にしか採用しなかったところがありました。(シカゴ大学のビジネススクールのように、ケースメソッドを全く採用しなかったところもあります。)
 
 そろそろ本論に入りましょう。
 経営者・法曹・医者はいずれも専門知識はもちろんですが、人間相手の仕事を行うので対人能力が求められます。しかし、経営者と法曹や医者とでは、その他の能力が求められるかどうかという点で大きな違いがあります。
第一に、法曹や医者は、それぞれ法律学と医学という学問に係る知識と経験を現実に適用するだけで意志決定ができるのに対し、経営ははるかに複雑な営みであって、経営関連諸科学が多岐にわたる(経済学・会計学・統計学・オペレーションズリサーチ・コンピューターサイエンス・組織行動論・マーケティング論・法律学等)だけでなく、これらの諸科学に係る知識と経験を現実に適用しただけで経営者が適切な意志決定をするのは困難だという点です。(法的紛争の解決や患者の傷病の治療には原理的には一つの正解がありえます(注2)が、経営問題の解決のための正解はいくつもありうるという言い方もできるでしょう。)

 (注2)アングロサクソン法系における法廷は、大陸法系のような、真実という「正解」を追究する場ではない。とはいえ、原告側の法曹と被告側の法曹は、(刑事裁判においてすら)敵味方に分かれて対等の立場でそれぞれにとっての「正解」をぶつけ合うが、審判たる法曹である裁判官の判決が確定すれば、それが最終「正解」になる、という点では大陸法系の法廷と変わりがない。
     日本の従来の法学部は、法廷を念頭において仕事をする法曹というより、法律(明治憲法施行以降は国会の下請けとして法律案)を策定するとともに法律に基づく行政を行うところの官僚を養成教育する場として始まり、いまだにこの性格をひきずっている。日本版法科大学院(ロースクール)が法学部とは別個に設置されるに至った背景はここにある。

 そうである以上、法曹と医者は分析力が一番求められるのに対し、経営者にとっては、分析力以上に構想力が重要だ、ということになります。
第二に、法律家や医者は、判決等や診断という意志決定さえできれば、後は確立している既定のルールに則り、その意志決定を収監・強制執行等や投薬・施術の形で実施に移すことができるのに対し、経営者は、経営体の構成員や利害関係者に自らが行った意志決定を売り込み、実施させなければなりません。
 つまり、法曹や医者は実施能力が余り問われないのに対し、経営者には実施能力が求められる、ということです。
第三に、法曹や医者は、法的紛争や患者の疾病をその都度全く別のものとして解決・治療していけばよいのに対し、経営者はゴーイングコンサーンとしての経営体において、刻々と変化する経営体の内外環境に応じて次々に問題を解決していかなければなりません。
 つまり、法曹や医者は静的(static)な対象に係わっており、同じ当事者による法的紛争や同じ患者の傷病の予見能力は余り問われないのに対し、経営者は動的(dynamic)な対象に係わっていることから、予見能力が求められる、ということです。

 他方ケースメソッドは、分析力とこの分析力に基づいた静的な判断力の養成には役立つことから、法曹や医者の養成教育には悪くない手法ではあるものの、経営者にとって不可欠なそれ以外の能力である、構想力・実施能力・予見能力(動的な判断力)の養成には役立ちません。
従ってケースメソッドは、経営者の養成教育の手法としては著しい限界がある、ということが分かります。
 ケースメソッドを補助的にしか用いなかったスタンフォードビジネススクールの隆盛とケースメソッドに過度に依存し続けたハーバードビジネススクールの凋落の原因はここにありそうです。
 
 ブッシュは、学部はエール大学に、そして大学院はハーバードビジネススクールに合格しており、大統領として申し分ない知的潜在能力を持っていると言えます(注3)。

 (注3)現在のエール大学(学部)への入学難易度は、ハーバード・スタンフォードを上回る3位(プリンストンレビュー上掲による)。これはブッシュの入学時から余り変わっていないのではないかと思われる。

 ところが、ハーバードビジネススクールでの二年間の「誤った」教育によって、ブッシュの判断能力は歪められ、かつ発達が抑えられてしまい、そのことが、その後の経営者としてのふがいない成績(上掲NYTimes Magazine 論考)につながったほか、大統領としては、その構想力・実施能力・予見能力の欠如をさらけ出すこととなり、アングロサクソン世界、とりわけ英国における不評を買う大きな原因をつくった、という可能性は大いにあるのです。

(完)

太田述正コラム#0507(2004.10.19)
<ブッシュ・MBA・ケースメソッド(その1)>

 ニューヨークタイムスが社説でケリーへの投票を呼びかけ(http://www.nytimes.com/2004/10/17/opinion/17sun1.html?pagewanted=print&position=)
、ほぼ同時に系列誌のニューヨークタイムスマガジンに、ブッシュを徹底的にこきおろす論考(http://www.nytimes.com/2004/10/17/magazine/17BUSH.html)が掲載されました。
 私がかねてより、ブッシュに比べてケリーを評価しつつもブッシュ再選の可能性が高いと見てきたことは、読者の皆さんにはよくお分かりのことでしょう。
 しかしその私でさえ、ニューヨークタイムスの人格攻撃的なブッシュ批判、特に後者の論考の長ったらしさ、には辟易したというのが正直なところです。
 しかし、ブッシュがハーバードMBA(の劣等生?)としてケースメソッドを体験したことが、ブッシュの意志決定を柔軟性の欠けたものにしたのではないか、というタイムスマガジン論考のくだりは大変面白いと思いました。
 ブッシュは、私がスタンフォードビジネススクールを卒業した頃にハーバードビジネススクールを卒業しています。(私は1976年卒、ブッシュは1975年卒)
 当時、(そして恐らく今も)スタンフォード大学はハーバード大学に敵愾心をもやしていました。老舗で場所的には米国の東海岸でイギリス・欧州志向のハーバードに対する、新興の西海岸のアジア・太平洋志向のスタンフォードというわけです。
 しかし、当時も、そして現在も学部レベル(undergraduate)ではなかなか逆転とはいきません。(優劣を比較する指標は色々あるが、入学難易度で言うと、現在ハーバード5位、スタンフォード7位となっている(http://www.princetonreview.com/。10月8日アクセス)。)
 しかし大学院レベルでは、当時、(後にアグネス・チャンがタレント業をお休みして卒業した)School of Education は全米1位とされていましたし、ビジネススクールは、私が米国に留学した時点ではハーバードに肉薄した2位で、留学中に初めてハーバードを抜いて1位になり、話題をよびました(ただし順位は、総合指標)(注1)。

 (注1)1974年の人事院制度での留学生仲間の他省庁のH氏はスタンフォードビジネススクールには不合格でハーバードへ、私はハーバードビジネススクールには不合格でスタンフォードに行った。私にしても、そして恐らくH氏にしても、当時の英語検定試験(TOEFL。Native speaker には課されない)にせよビジネススクール入学希望者向けテスト(当時ATGSB、現在GMAT)にせよ、本来ならば到底入学を許されないみじめな点数しかとっていないが、にもかかわらず入学させるところ、かつまた合格基準が学校によって異なるところ、がいかにも米国の大学らしいと感じ入った記憶がある。

 ところが、その後のハーバードビジネススクールの「転落」ぶりは目も当てられません。
 最新のレーティングは次のとおりです。
 入学難易度はスタンフォードが1位、ハーバードが5位。教育の質はスタンフォードが1位、ハーバードは上位10校に入っていません。卒業後のキャリアはスタンフォードが2位、ハーバードはやはり上位10校に入っていません。
 (以上、データはプリンストンレビュー上掲による。)
 これは、ハーバードビジネススクールは、昔取った杵柄でまだ比較的優秀な学生を集めてはいるものの、ろくな教育をしていないため、卒業生の所得が低い、ということを意味します。このまま行けば、ハーバードは入学難易度でも圏外に消える日はそう遠くはなさそうです。
 この原因として思い当たることと言えば、米国でハーバードビジネススクールほぼ一校のみがケースメソッドを100%近く用いてMBAの教育を行ってきたことです。

(続く)

太田述正コラム#0501(2004.10.13)
<飛び級と日本の公教育>

1 始めに

 飛び級(grade skipping)とは、本来進級すべき直近の上位学年を飛ばしてそれより上位の学年に進級することです。
 日本においては、戦前、旧制中学から旧制高校に(そして小学校から旧制中学にも?)一年早く入ることができましたが、現在ではごく一部の大学の一部の学部で一年早く入学することを認めているところがあるだけであり、小・中・高校の間は飛び級は一切認められていません。
 私は、三重県四日市の小学校の一年の終わり近くの1956年に、父の赴任先のエジプトのカイロに行き、イギリス系の私立小学校に転入したのですが、帰国するまでの四年弱の間にこの学校で一回か二回飛び級を経験しました。
 全く英語ができない状態で遠い異国の英語環境に突然投げ込まれたことは、当時の幼い私にとっては飛び級の比ではない環境の大激変であり、その時のことは鮮明に覚えています。これに対し、その後私が経験した飛び級については、その回数を含め、殆ど記憶に残っていません。(私の両親も飛び級のことを、家で殆ど話題にしなかったのでしょう。)
 いずれにせよカイロの私の小学校では、このように飛び級が認められていたほか、クラスの生徒数が20名内外で、クラスでの生徒の座席配置が期末テストの成績順(一番前の一番先生の席に近いところに一番成績の良い生徒がすわる)であったこと、更にはカリキュラムが柔軟であったことから、私は、成績に応じて序列をつけて少人数できめ細やかな教育をするのが学校だ、という「常識」を身につけて1959年に日本に帰ってきました(注1)。編入先は東京の小学校です。

 (注1)もとよりこの「常識」は、当時のエジプトの現地の人々が通っていた劣悪な小学校の実態とはかけ離れたものだった。

 ところが日本の小・中・高等学校は、このような私のカイロでの小学校とは全く異なっており、硬直的・画一的なカリキュラムと悪平等の世界であって、生徒の数も一クラス50名近くいました。もちろん、飛び級は認められていませんでした。飛び級など認めようもなかった、と言った方が正しいかもしれません。
 それから半世紀近く経ち、日本は世界の最先進国の一つになりましたが、一クラスの生徒数が10名程度減ったことを除けば、現在でも日本の学校教育の状況は、飛び級が認められていないことといい、当時と全くと言ってよいほど変わっていません。
 その一方で世界を広く見渡せば、アングロサクソン諸国を始め、飛び級が認められている国の方がはるかに多いのです(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E3%81%B3%E7%B4%9A。10月12日アクセス)。

2 飛び級させることに問題はない

 米国やオーストラリアでの研究によれば、大幅に飛び級をさせると、長い目で見て学業成績に悪い影響を及ぼす、などというような懸念は全くないことが明らかになっています。
 それでは飛び級は、社会性に悪影響を及ぼすことはないのでしょうか。
これまでの研究によれば、大幅な飛び級をした青少年であっても、約三分の二は、年齢の離れた「同期生」とも容易に友人になれるし、課外活動等にも問題なく参加できるとされています。(適応できない場合は、元の級に戻せば基本的に問題は解消するといいます。)
 飛び級をした本人はどう思っているのでしょうか。
 昔大幅な飛び級をした経験のある大人を対象にした調査によれば、70%の人はこのことを後悔していませんし、不満を持っている人のうちの半分は、もっと何度もあるいは大幅に飛び級をしたかったという不満の持主でした。また、飛び級経験者たる大人を対象にした別の調査によれば、飛び級経験者の方が、同じ程度の能力があって飛び級をしなかった人より高い所得を得ていることが分かっています。
 逆に、飛び級させるべき者を飛び級させなければ、学校の授業について行けない者がむりやり進級させられる場合と同様、やる気がなくなったりドロップアウトしたりといった弊害が生じることもはっきりしているのです。
 なお、誤解のないように付言しておきますが、米国等の学校ではどこでも飛び級が行われているというわけではなく、行っている学校が数多くある、ということです。
(以上、http://www.time.com/time/magazine/printout/0,8816,1101040927-699423,00.html(9月21日アクセス)による。)

3 所感

 現在でも日本の公立小・中・高等学校の一クラスの生徒数(学級編成基準)は40名以下と世界の主要国の中では最も多く(http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/14/01/020101.htm。10月12日アクセス)(注2)、かつまた公立・私立を問わず、一切飛び級が認められていないということだけをとっても、日本では、世界の最先進国の一つにふさわしい、一人一人の能力に応じたきめ細やかな教育が、今だに行われていない、と言わざるをえません。

 (注2)日本の教員一人あたりの生徒数は他の主要国並みにまで減ってきているというのに、学級編成基準は、依然他の主要国よりも顕著に多いところに、日本の文部省がいかに既成観念にとらわれているかが端的にあらわれている。

 これでは受験塾が殷賑を極める一方で、学校の荒廃と地盤沈下が進行するのは当然のことです。
 一体いつまで文部省は、このような発展途上国的な公教育を、全国一律的に続けるつもりなのでしょうか。

<読者M>
思い起こせば、私も、退屈な授業で、苦労させられました(笑)
当時は、偏差値があったのですが、偏差値40と偏差値70が、同じ勉強をしている事は、お互いにとって不幸な事ですね。
これ以上、書くと悪しき平等主義者の悪口しかでなくなるので、ここまでで終わりにします

<読者N>
『飛び級と日本の公教育』で述べられている飛び級が、現在の日本の大学学部と大学院にはあります。
 学部三年終了で、大学院に飛び級入学し、博士前期課程(修士)を一年で飛び級して、後期課程に進み、博士論文を規定年限より早期に提出し、審査に合格すれば、博士後期課程を修了できます。とんとん拍子に進級できれば、正規の年限より四年早く学部、大学院を終えることができます。

<太田>
ご指摘の事実は知っております。
ですから、コラム冒頭で、
「小・中・高校の間は飛び級は一切認められていません。」
と書いたのです。

太田述正コラム#0378(2004.6.12)
<日本と米国の大学比較>

 (ホームページの掲示板にも載せましたが、5??6月(11日から10日)の本ホームページへの訪問者数が18,559人と過去最高であった三ヶ月前の14,581人、前月の13,156人を大きく上回り、史上最高を記録しました。累計訪問者数は147,045人です。他方、メーリングリスト登録者数は現在853名と「高位停滞」を続けています。)
 (コラム#376に新たに注4、注5を加え、従来の注4を注6としてホームページに再掲載してあります。また、コラム#377に、重要な「第五に・・」を挿入して同様、再掲載してあります。もう一度、コラム#375??377は、ホームページで通してお読みになることをお勧めします。)

 私が東京大学に在籍したのは1967年から1971年にかけてであり、18歳から22歳まで、そしてスタンフォード大学に在籍したのは、1974年から1976年にかけてで、25歳から27歳までです。
 東大には、大学紛争があったせいで、4年3ヶ月もいたわけですが、わずか2年間しかいなかったスタンフォードで学んだことの方が質量共にはるかに充実しています。(東大の4年3ヶ月間のうち、紛争で授業がなかった10ヶ月間の方が残りの期間より充実していたとさえ言えるでしょう。)(注1)

 (注1)私は東京大学では学部(undergraduate)学生、スタンフォードでは大学院(graduate)院生だったが、米国の学部は日本の大学の教養課程相当、修士課程が日本の大学の専門課程相当だと考えればよく、米国の修士課程と日本の学部の履修内容の難易度にほとんど変わりはない。だから両者を比較することに意味はあると考える。
蛇足ながら、人事院制度での留学同期生で一緒に人事院で1ヶ月の事前研修を受けた自民党の原田義明代議士(当時通商産業省)がタフト大学フレッチャー・スクール卒と経歴を偽っていた件だが、難易度が日本のundergraduateなみの修士課程を卒業できなかったことは、国費で留学させてもらったにもかかわらずよほど勉強をさぼっていたということだし、彼が修士号を取得していたと思っていたなどという(私の経験に照らして絶対ありえない)ウソの弁明をしているのは見苦しい。

スタンフォード大学の方が東京大学より、客観的データが物語っているように、研究機関として優れていることはもちろんですが、高等教育機関としても、少なくとも私自身が評価できる文系に関して言えば、はるかに優れていると断言できます。このことは、公立私立を問わず、一定レベル以上の米国の大学と日本の大学について、一般的に言えるのではないでしょうか。
 米国の大学と日本の大学の違いを理念型的に整理すれば、次のようになります。

1 米国の大学はトップダウン、日本の大学はボトムアップ
 米国の大学では、地域や経済界のOBが加わっている理事会が学長を選び、学長が学部長を、学部長が学科主任を任命するのに対し、日本の大学では、学長も学部長も、そして教官の採用・昇任まで教官による選挙で決まる。
2 自主財源のある米国の大学、ない日本の大学
 米国の大学は受託研究や同窓生、企業からの寄付金の受け入れに精力を注ぐと共に、大学の基金の運用に頭をしぼるのに対し、日本の大学は、もっぱら学生の学費と政府の補助金に依存。
3 米国の大学の教官は競争原理に晒され、日本の大学の教官はぬるま湯の中
 米国の大学においては、自分の大学卒業生は一旦他大学の教官を経験させてからしか自分の大学の教官として採用することはないし、教官は、キャリアの途中まで解雇の対象とされる。そして、教官の評価は研究業績と教育業績の両面が考慮される。日本の大学では、自分の大学卒業生が優先的に教官に採用され、採用されれば終身雇用が保証される。教育業績は教官評価にあたって考慮されない。
 また、米国の大学では、大学間はもとより、同じ大学の学部間、同じ学部の学科間、更には同じ学科の同じキャリアの教官間でさえ、教官給与に差がある。(これは、2が学部、学科レベルにおいても貫徹しているためでもある。)日本の大学では、教官の給与は年功序列で自動的に決まり、少なくとも同じ大学においては同等の年功序列の教官の間に給与の差はない。
4 米国の大学の学生は多様、日本の大学の学生は金太郎飴
米国の大学では、入学学生の選考は、筆記試験、面接(注2)、それまでの学業成績、社会活動歴等を総合的に判断して行われる。日本の大学では、筆記試験一本槍で入学学生が選考される。これにより、米国の大学では学生の多様性が確保されるとともに大学の伝統・特色の維持も可能となっている。日本の大学では、学生に多様性が見られず、大学の個性も乏しい。これには日本の大学には米国の大学に比べて外国留学生がはるかに少ないこともあずかっている。(注3)
 (以上、http://www.glocom.org/special_topics/activity_rep/20040528_miyao_los/index.html(6月12日アクセス)に私自身の知見を加味した。)

 (注2)スタンフォード・ビジネススクール入学選考過程で、私も日本所在の同窓生数名による面接を受けた。
 (注3)東京大学には公式の同窓会がない。出身の法学部にもない。このことは、いかに教官に学生への愛着がないか、従ってまた卒業生の側に母校への感謝も郷愁もないかを如実に物語っている。

 以上の違いから、なにゆえ米国の大学と日本の大学との間で、かくも研究、教育両面に渡って大きなパーフォーマンスの差が生じるのか、読者諸賢もぜひお考えいただきたいと思います。

日本の初等中等教育についても、もっとカリキュラムを柔軟に、かつより競争原理をとりいれる方向での手直しが必要ですが、(先般独立法人化がなされたことは一歩前進であったものの、)米国の大学をモデルに、日本の大学制度については、抜本的改革がなされてしかるべき時期が来ているのではないでしょうか(注4)。

(注4)日本が米国から学ぶべきことは少ないが、米国の大学制度はその数少ない例外だと思う。

太田述正コラム#0013
 教育問題 
 友人の石角完爾弁護士との間で、以下のようなメールのやりとりをしたので、紹介させていただきます。
 なお、「ボーディング・スクール」とは、英国のパブリック・スクールのような、中高一貫教育の寄宿舎学校のことです。パブリック・スクール教育のミリタリー的要素については、拙著「防衛庁再生宣言」(日本評論社)198-200頁を参照して下さい。

 太田述正様

「ボーディングスクールの会」のご案内

 日本の教育崩壊が大問題となっていますが、それを目の当たりにして欧米の教育に解決の道を求める父兄が増えております。

 私はアメリカのエリート教育であるボーディングスクールについて「アメリカのスーパーエリート教育」(ジャパンタイムス社刊)の著者ですが、この度「ボーディングスクールの会」なる会合を発足させたいと思い、お手紙を差し上げます。

 この会合は、日本の教育崩壊を目の当たりにし日本では教育を受けさせたくない、もっと高度で良質な教育を受けさせたいという理由で、そして基本的にはアメリカの大学に進学することを目的としてアメリカの中高のボーディングスクールに留学する子供達及びその父母で組織する会合とし、相互の情報交換を図るためのものです。

 今後の会合運営をどのようにするかの具体像のご紹介も兼ねて第1回の会合を下記の通り持ちたいと思いますので、ご参加の程よろしくご検討お願い申し上げます。

記  

日 時: 2002年2月22日18:30より約2時間(夕食付)
場 所: ホテルオークラ本館2階清流の間
会 費: 金10,000円
Talk: 石角完爾「アメリカのボーディングスクール、大学進学などの最新情報について」、「ミリタリースクールはなかなか良い注目すべき内容とカリキュラム」「アメリカの大学のユニバーシティとリベラルアーツカレッジの教育内容の違い」「アメリカの大学の入学審査基準」「ジュニア・ボーディングスクールについて」「今はやりの3Dアニメーションコンピューターグラフィックや映像製作の方向に進むには」など
参加・入会資格: アメリカのボーディングスクールに現に入学している子供を持つ父母、入学させたいと思っている子供を持つ父母、その卒業生、在学生またはその父母、その知人、友人、ご紹介の方、アメリカのボーディングスクールの教育に関心のある方

参加申込連絡先: 〒100-0004
東京都千代田区大手町2?2?2
千代田国際経営法律事務所
代表弁護士 石 角 完 爾
TEL: 3231?8888
FAX: 3231?8881
e-mail: school@chiyodakokusai.co.jp

 「アメリカのスーパーエリート教育」のWebsiteは
school.chiyodakokusai.co.jpです。

石角 完爾 様

 会合にお誘いいただき、有り難うございます。
 石角さんの熱意には心から敬意を表しますが、会合のご主旨にかかわらず、現在、手元不如意ゆえ、出席は見合わせたいと存じます。

 せっかくですので、この際、一言、私見を申し述べます。
(本来は貴著を読み、また、貴サイトも拝見してから申し述べるべきでしょうが、どうかご容赦ください。)

 現在の日本の教育の荒廃ぶりについては私も全く同感です。しかし、それは現在の日本社会を覆う閉塞状況の一環だと思います。まず、その根幹の打破をめざさなければなりません。それには政治と行政(文部省等)を変えなければならない。

 それはそれとして、各家庭が緊急避難として、その子弟のよりよい教育のあり方に取り組むことは当然です。
 その場合、欧米のボーディング・スクールに子弟を送ることも大変良い方法だと思います。(もっとも、引き続き、欧米の大学に子弟を送るということには反対です。皇太妃雅子さんのように、日本での教育と外国での教育を両方受けさせないと、無国籍の化け物ができかねません。)

 ただ、残念ながら、欧米のボーディング・スクールに子弟を送ることができる家庭は、一部の高額所得者層だけでしょう。しかも、いくらお金があったとしても、たまにしか子弟の顔を見ることができないというのでは、二の足を踏む家庭が多いでしょう。
 私は日本にも本格的なボーディング・スクールをつくるべきだと思うのです。
 いまやフルタイムの共稼ぎ家庭はどんどん増えており、親はベビーシッター代と教育費にあえぎ、それでいて、十分な教育を子弟にしてやっていないという不安感にさいなまれています。
 これから女性の社会進出はますます進展するであろうことから、ボーディング・スクールへの需要は一層増えていくことでしょう。

 ボーディング・スクールのマーケティングにあたっては、良い自然環境の下での教育、国際的視点に立った高度な教育、英語教育、集団生活・集団スポーツを通じた自己規律(その中に、自然な形でミリタリー的要素を織り込めばよい)等をキャッチフレーズにすることになりますが、このところのハリー・ポッターブーム(これは、長期的なブームになると思います。話はボーディング・スクールを舞台に展開される)もこれあり、大いにウケること必定です。

 もし、石角さんが、国内でのボーディング・スクールの設立にも尽力されるお気があれば、小生としても全面的にご協力することにやぶさかではありません。

                 太田述正

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