カテゴリ: 移民政策

太田述正コラム#3435(2009.8.2)
<欧州へのイスラム移民(その3)>(2009.12.21公開)

 「・・・もちろん、色んな意味で、イスラム教が欧州の人々にとって魅力的であっても決して不思議ではない。
 というのは、少なくともステレオタイプ化したバージョンで言えば、イスラム教徒達は、家族、名誉、そして自らの信条のために戦うことを<当然のことと>信じているからだ。
 それに何と言っても、彼等は団結している。・・・
 <欧州人の一部が行う>イスラム批判の背後には、深甚なるアンビバレントな気持ちがあるように思える。
 というのも、イスラム教徒達<の体現しているもの>は、実際のところ、欧州人達がそうなりたいところのものとほとんど合致しているからだ。・・・」(D)

 「・・・「欧州人達は、歴史から、偉大なる歴史(la grande histoire)から、血文字で書かれた歴史から、退出したいと思っているのだ」と1970年代にフランスの政治学者のレイモン・アロン(Raymond Aron<。1905〜83年。フランスの哲学者・社会学者・政治学者>)は記した。・・・
 <例えば、>再度の大戦争(explosion)を回避しようと思ったら、欧州の各国はナショナリズムを放擲する以外になかったのだ。・・・
 「一方、欧州以外の<第三世界の>何億もの人々は、<そのような歴史>に加わりたいと願っているのだ」と。
 欧州人達自身がルールを書き換えつつあり、かつ諸価値を見直しつつあるというのに、新参者達が時々求められるところの、欧州の諸ルールや欧州の諸価値を抱懐すること、は容易なことではない。・・・
 当時、自分自身の人種問題に取り組んでいた米国によって促され、かつまた、共産主義の脅威に心を集中させていたということもあり、欧州人達は、個人主義、民主主義、自由、そして人権といった「欧州的諸価値」からなる規範(code)を定め(articulate)始めた。
 これらの諸価値は、一度たりとも厳密な形で定義されたことはない。
 とはいえ、これらの諸価値は、<欧州横断的な>社会的凝集性をもたらしたように見え、これらを抱懐したことと60年間にわたる平和とがたまたま重なり合った。・・・
 ・・・<ところが、>多くの移民達、そして移民達の多くの子供達と孫達は、屋根の上からパレスティナ国家、クルド人の母国(homeland)、あるいはイスラム原理主義(Islamist)アルジェリアへの願いを叫ぶことが義務であると考えた。
 彼等は、欧州人の理解の埒外にあるところの、文化的な夢、民族的(national)な夢、そして人種的栄光の夢さえ生かし続けた。・・・
 2005年のフランスの全土における貧民街暴動の数日後、大騒ぎになったフィンキールクロー(Finkielkraut)事件は、・・・一つの里程標となった。
 それは、「反人種主義者」陣営に怒りを買うには人種主義的なことを仄めかす必要さえないことを示した。
 哲学者のアラン・フィンキールクロー(Alain Finkielkraut<。1949年〜。父親がユダヤ人。フランスのエコール・ポリテクニーク思想史教授>)は、イスラエルのハーレツ紙掲載のインタビューで、「叛乱」が社会的諸条件に対するものであったとの支配的な見方に異議を唱えた。
 フィンキールクローは、叛乱者達が自分達自身をそのようには叙述していないと指摘した。
 彼等の、フランス及びフランス的なものに対するラップの歌詞や彼等のスローガンは、自分達の行為を民族的・宗教的意味合いにおいて表現したというのだ。
 「ちょっとの間でいいから彼等が、例えばドイツのロストック(Rostock)の白人達であると想像してみよう」と述べた上で、彼は、「ただちにみんなが「これはファシズムだ、けしからん」と言い出したに違いない」と付け加えた。
 フィンキールクローはまた、現代における移民達に対するよそ者扱い(exclusion)が、植民地的状況の継続に他ならないとする議論の背後にある論理に疑問を投げかける。
 「そうかもしれない」と彼は言う。「でも、<彼等の出身地を>植民地支配していた頃の方がフランスにおけるアラブの労働者達を<フランス社会に>統合するのがずっと簡単だったことを忘れてはなるまい」と。・・・
 どうして「民族的(ethnic)プライド」はいいことで、「ナショナリズム」は病気なんだい、とも。・・・」(F)

 欧州文明は、プロト欧州時代のカトリック文明とフランス革命以降の民主主義独裁文明・・ナショナリズム/共産主義/ファシズム文明・・に大きく分かれますが、要するに全体主義文明であり、イスラム文明と極めて親和性が高い文明である、という私のかねてからの指摘を踏まえれば、以上の話はすとんと胸に落ちるはずです。

6 英国(イギリス)は欧州ではない

 「・・・コールドウェルは、英国について悲観的すぎる、例えば、インド亜大陸とアフリカ出身の人々が職域の梯子を登ることについて大いなる成功を収めてきたことを無視している。・・・」(C)

 例によって、韜晦しているけれど、この書評子のホンネを私が代弁すれば、彼は、米国人のコールドウェルはイギリスと欧州諸国とをいっしょくたに論じているけれど、そんなのナンセンスだって言いたいわけです。
 だって、イギリスにとって、個人主義、民主主義、自由、そして人権といった「欧州的諸価値」ならぬアングロサクソン的価値・・民主主義だけはちょっと違うがその点はさておき・・は金メッキどころか地金そのものなのであって、そんなイギリス人がイスラム的諸価値に接することでそれらの影響を受けるなんてことがあるはずがないからです。

7 米国人には英国(イギリス)も欧州も分からない

 「・・・<この本には、>米国の力の減衰が明らかになりつつあり新しい世界史の時代が始まりつつある中で、米国人の中の幾ばくかによく見られる被包囲感覚的範疇に属する考え方が露見している。」(D)

 この英国人の書評子↑は、英国は没落したけれど、その世界理解は的確でありつづけている一方、(私流に言えば、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラであるところの)米国は、一度も世界を的確に理解できないまま、ついに没落をはじめた、と冷笑しているのです。

 「・・・米国では「人種問題」と「移民問題」とが、必ずしも常に相互に関連しない場合もある。
 ところが欧州では、移民問題は即人種問題なのだ。
 だから、移民の成功と<移民による>「豊饒化(enrichment)」が受け入れ可能な唯一の意見になってしまった。
 移民が失敗であったことを認めることは自分自身が人種主義者であることが露見することである、ととらえられているわけだ。
 <換言すれば、>移民の問題点をあげることは人種主義的性向があるのを告白することである、とらえられいるわけだ。
 哲学者のピエールアンドレ・タグィエフ(Pierre-Andre Taguieff<1946年〜。フランスの哲学者・歴史家・政治経済学者>)は、移民は常に「不可避でありかつ善である」とする<現在の欧州の>イデオロギーを叙述するために移民主義(immigrationisme)という言葉をつくった。
 欧州社会において次第に増大する「多様性」についての、そしてそれが良いことか悪いことかについての真の議論は、今やほとんど不可能になってしまっている。・・・」(F)

 これ↑は、コールドウェル自身による自分の本についての書評的なものなのですが、彼は何と非論理的なことを言うのか、と思います。
 まず、米国で「「人種問題」と「移民問題」とが、必ずしも常に相互に関連しない」のは、移民としてではなく、奴隷として強制的に連れてこられた黒人、という特殊かつ深刻な問題が米国にはあった・・今でもまだある・・というだけのことです。
 より問題なのは、米国にとってはもちろんのこと、英国にとっても移民は、おおむね「不可避でありかつ善である」のに、どうして欧州にとってはそうではないのか、への回答を示唆しつつも、ついにこれを正面から論じるのを彼が回避していることです。
 私に言わせれば、これは韜晦などではありません。
 米国がアングロサクソン文明と欧州文明のキメラであるがゆえに、コールドウェルが欧州文明の根底的批判をすることには、自己否定につながることから、無意識的にブレーキがかかってしまう、ということなのです。
 
(完)

太田述正コラム#3432(2009.8.1)
<欧州へのイスラム移民(その2)>(2009.12.20公開)

4 イスラム移民受け入れにおける戦略の欠如

 「・・・コールドウェルは、大量移民受け入れに係る経済的及び福祉国家的議論についても粉砕する。
 1950年代には、<欧州の>大部分の国では、追加的に労働力がどうしても必要であるということはなかったと指摘する。
 英国のケースで言えば、アイルランドが依然として大量の労働予備軍を提供していた。
 この本の中に出てくる一番びっくりする数字の一つは、1971年から2000年の間にドイツにおける外国籍の住民の数は300万人から750万人に増えたが、外国人の雇用者数は同じ200万人にずっととどまっていたというものだ。・・・
 大部分の欧州諸国では、自由主義的普遍主義と移民主義(immigrationism)イデオロギーによって制約されて、余りにも移民に対して自由放任過ぎたのだ。
 近現代史において初めて、欧州の様々な社会は、意を決して、大集団の市民達が外国の文化の中で暮らし続けることを認めたのだ。・・・」(C)

 「・・・<大量に移民を受け入れたのは、>既に衰亡過程にあった諸産業につっかい棒をする、そして後には、健康や観光といった産業における職員を確保する、というアイディアによるものだったが、そのために必要な費用を我々の諸社会は支払うことを拒否し、現在もなお支払おうとしていない。
 低賃金の卑しい仕事をやらせるためには継続的に新たな移民の流入を維持するしかない。
 なぜなら、一旦構築された移民社会<の住民達>は、もっと良い仕事にありつくか、受け入れ地で生まれた白人の住民達の多くのように全く仕事に就かずに福祉国家に依存するか、のどちらかを選んだからだ。
 <その後、移民の流入は厳しく規制されるようになったが、家族や結婚相手の呼び寄せにより、流入は続いている。>・・・」
E:http://www.guardian.co.uk/books/2009/jun/13/christopher-caldwell-revolution-in-europe

 非熟練労働力だけを受け入れるとこうなる、ということが予測できなかったなんて、にわかに信じられないような話ですね。

5 欧州文明とイスラム文明の類縁性

 「・・・先週の日曜日(7月26日)、ロンドンのガーディアン紙<
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jul/26/radicalisation-european-muslims 
>は、EUで行われた新しいギャラップ世論調査の結果を掲載した。
 分かったことの一つは、ロンドン<(コラム#789〜792、803、804)>とマドリードにおけるテロ攻撃<(コラム#289、291、300、324、394、395、789〜791)>が起こった頃の2004年から2006年にかけて恐れられていたような、欧州大陸のイスラム教徒達の大量過激派化は生じていないように見えることだ。
 ガーディアン紙は、同時に、サルコジ<仏大統領>の安全保障顧問のアラン・バウアー(Alain Bauer)のイスラム移民に関する楽観的見解を引用している。
 すなわち、バウアーは、「我々は、<欧州在住の>イスラム教徒のうち、欧米、就中欧州を積極的に拒絶しているのは約10%であり、10%は欧州人よりも欧州人的であり、約80%はその中間であって、とにかく何とかやっている人々だ」と指摘し、「憂慮されるべきは欧州生まれの、ないしは欧州にやってきたテロリスト達ではなく、イランのような国だ」と付け加えている。・・・」(A)

 「・・・<これは、一見コールドウェルの議論の反証のように見えるが、彼自身、自分の議論にあきたらないものを感じているようにも見える。>
 彼いわく、「世俗的な欧州人達が「イスラム」と呼ぶところのものは、ダンテ<(Durante degli Alighieri。1265?〜1321年)(コラム#726、1186、3130、3407)>とエラスムス<(Desiderius Erasmus Roterodamus。1466/1469〜1536年)>が自分達にとっての価値であると認識するであろう一連の諸価値に他ならない」と。
 逆に言うと、「欧州の中核的諸価値」を構成する、現代的な世俗的諸権利は、「ダンテとエラスムスを仰天させるに違いない」<というわけだ>。
 換言すれば、イスラムの諸価値に対置されるところの、歴史超越的な単一の言葉群ないしは単一の欧州的諸価値は存在しない<、とコールドウェルは言う>のだ。・・・
 コールドウェル自身も含め、このところのイスラムとの邂逅は「痛みを伴い暴力的」であるかもしれないが、それは同時に、「面白みがなく、つまらぬ粗探しをする、物質主義的な欧米の知的生活に酸素を注入してくれているのであって、我々はこれに感謝の意を表明しなければならない」ことを認めている。・・・
 2005年の秋にフランスの諸都市を燃え上がらせた暴動者達<(コラム#944、945、947、952、953、955、956、958〜963、967、968)>について<も>、「イスラムを信奉していたのではなく、チーム・イスラム」への愛着を持っていたに過ぎない、とコールドウェルは指摘する。・・・
 ・・・真の問題は、移民ではなく、イスラム教徒たる移民でもなく、進歩的、世俗的、人文主義的(humanist)なもの(project)に対する自信の欠如なのだ、と。」(B)

 「<彼が、>「不安に苛まれ、順応性があり、相対主義的な(欧州の)文化が、しっかりと根を下ろし、確信があり、共通の教義によって強化されている(イスラムの)文化と出会えば、通常前者が後者に合致するよう変わるものだ」としている<点について、ある書評子は、>彼の今日の欧州に係る、このような究極的な見解を<我々が>論駁することは困難だ<と述べている>。」(A)

 これじゃ、イスラム移民が過激派化する必要がないわけですよね。
 実質、欧州そのものがイスラム的であったかつての欧州に回帰しつつあるのですから・・。

 以上は要するに、私の言葉に置き換えると、イスラム移民によって持ち込まれたイスラムによって、欧州・・ただし当然のことながら英国を除く(後述)・・のアングロサクソン的金メッキが剥げて、欧州がかつての欧州、本来の欧州に回帰しつつある、ということなのです。
 この話をもう少し続けましょう。

(続く)

太田述正コラム#3429(2009.7.31)
<欧州へのイスラム移民(その1)>(2009.12.9公開)

1 始めに

 米国人のクリストファー・コールドウェル(Christopher Caldwell)が(地理的意味での)欧州におけるイスラム移民問題について書いた'Reflections on the Revolution in Europe: Immigration, Islam, and the West'についての英米での書評は、私のアングロサクソン/欧州論、更には米国論の有効性を検証する素材として極めて興味深いものがあります。
 どういうことかは、お読みいただければ分かります。

 (以下、下掲の各書評による。)
A:http://www.nytimes.com/2009/07/30/books/30garner.html?_r=1&hpw=&pagewanted=print
(7月30日アクセス。以下同じ)
B:http://newhumanist.org.uk/2093
C:http://www.guardian.co.uk/books/2009/may/17/christopher-caldwell-immigration-islam
D:http://www.ft.com/cms/s/2/106c266a-35dd-11de-a997-00144feabdc0.html
E:http://www.guardian.co.uk/books/2009/jun/13/christopher-caldwell-revolution-in-europe
F:http://www.prospect-magazine.co.uk/article_details.php?id=10749

 なお、コールドウェルは、米国の保守的なジャーナリストであり、米国のウィークリー・スタンダード誌・・悪名高い豪州人たる新聞王ルパート・マードック(Rupert Murdoch)が所有するネオコン雑誌・・の編集者であって、英国のファイナンシャルタイムスのコラムニストでもあります(D、E)。

2 序論

 「・・・1850年から1930年の間に、5000万人以上の移民が欧州を後にした。
 これは、これは人類の書かれた歴史における、短期間における最も激しい人口移動であったと言えよう。
 その間に、更に5,000万人が支那を後にしている。
 大不況と第二次世界大戦の小休止の後、欧州からの人口の流出が再開されたが、1950年代の半ばから方向が逆になり、上昇気流に乗った欧州は労働者達を<欧州外から>吸い込むようになった。
 現在では、EU加盟の15の欧州諸国の3億7,000万人の住民のうち約1,500万人が移民であり、それよりはるかに多い人々がもっと早い時期の移民の子孫だ。・・・」(D)

 「・・・植民地支配の罪の意識を捨象すれば、「<欧州諸国によるかつての欧州以外の世界への>植民と<戦後の欧州へのイスラム世界からの>労働移民との間に根本的な違いはない」ことをコールドウェルは示唆する。
 <つまり、どちらも、自分達の生活様式を変えようとか、現地に溶け込もうなんてしなかったのだ。>・・・
 <しかし、そもそも、欧州への戦後の移民が、それ以前における欧州への移民と違って>受け入れ国に簡単に同化しない、という観念は神話だ」と歴史家のマックス・シルヴァーマン(Max Silverman)は記してきた。
 1930年代には、フランスの人口の3分の1近くは、主として南欧からの移民だった。
 現在でこそ、イタリアやポルトガルからの移民は受け入れ国であるフランス<の人々>と文化的に近似していると我々には思える。
 しかし、70年前には、彼等は犯罪や暴力沙汰を起こしやすい外国人であってフランスの社会に同化するようには思えないと見られていたのだ。・・・
 英国では最初の移民法である外国人法(Aliens Act)が1905年にできたが、それができた主たる目的は、非英国的であると見られていた、欧州のユダヤ人を閉め出すことだった。・・・」(B)

3 イスラム世界からの移民

 「・・・コールドウェルは、余り見たことのないような直截的な疑問を投げかける。
 異なった人々がいるのに同じ欧州であり続けられるのか、こんなにわずかの人しか本当にそんなことなど望まなかったというのにどうして大量の移民受け入れが始まったのか、移民はよりよい生活を望んでいるがそのうちのどれくらいが欧州人的な生活を送ることを望んでいるのだろうか、なにゆえに少数民族の民族的プライドは良いことで欧州人のナショナリズムは病なのだろうか、<欧州における>ポリティカル・コレクトネスは恐怖を寛容として装っているだけではないのか、と。・・・
 コールドウェルは、・・・欧州の移民<受け入れ>は、少なくとも受け入れた各社会にとって成功であったとは言い難いと考えている。
 ただし、彼は、反移民の立場ではなく、米国の<人種の>坩堝についての大いなる支持者であると述べている。・・・」(C)

 「・・イスラム教徒達は、・欧州のもてなし上手な都市へのその何十年にもわたる大量移民を通じ、同化しないという強い傾向から、欧州の外観を、恐らくは決定的に変貌せしめつつある。
 これらのイスラム教徒たる移民達は、欧州の文化を高めつつあるというよりは置き換えつつある。
 敵対的な文化の下で生まれたこれらの移民達と彼等の宗教であるイスラム教は、「欧州の諸都市の通りを一つずつ根気よく征服しつつある。」・・・
 20世紀の中頃には西欧にはほとんどイスラム教徒はいなかったが、21世紀になった現在、西欧には1,500万人から1,700万人のイスラム教徒がおり、うちフランスに500万人、ドイツに400万人、そして英国に200万人いる」とコールドウェルは記す。
 これらの移民達は、その高い出生率により、欧州を人口的に圧倒しようとしている、と彼は付け加える。・・・
 イスラム教徒達は溶け込んでいない。
 彼等は、彼が呼ぶところの、「平行社会(parallel society)」を形成している。
 新たにイギリスにやってきた者達は、今やBBCではなくアル・ジャジーラに耳を傾ける。
 彼等は自分達が養子に来た国で軍役に就こうとしない。
 (2007年に、英国軍にはわずかに330人のイスラム教徒しかいない、とコ-ルドウェルは記す。)
 より悪いことに、これらの移民達は、欧州に反ユダヤ主義を再び持ち込んでいるのだ。・・・」(A)

(続く)

太田述正コラム#3435(2009.8.2)
<欧州へのイスラム移民(その3)>(2009.9.7公開)

 「・・・もちろん、色んな意味で、イスラム教が欧州の人々にとって魅力的であっても決して不思議ではない。
 というのは、少なくともステレオタイプ化したバージョンで言えば、イスラム教徒達は、家族、名誉、そして自らの信条のために戦うことを<当然のことと>信じているからだ。
 それに何と言っても、彼等は団結している。・・・
 <欧州人の一部が行う>イスラム批判の背後には、深甚なるアンビバレントな気持ちがあるように思える。
 というのも、イスラム教徒達<の体現しているもの>は、実際のところ、欧州人達がそうなりたいところのものとほとんど合致しているからだ。・・・」(D)

 「・・・「欧州人達は、歴史から、偉大なる歴史(la grande histoire)から、血文字で書かれた歴史から、退出したいと思っているのだ」と1970年代にフランスの政治学者のレイモン・アロン(Raymond Aron<。1905〜83年。フランスの哲学者・社会学者・政治学者>)は記した。・・・
 <例えば、>再度の大戦争(explosion)を回避しようと思ったら、欧州の各国はナショナリズムを放擲する以外になかったのだ。・・・
 「一方、欧州以外の<第三世界の>何億もの人々は、<そのような歴史>に加わりたいと願っているのだ」と。
 欧州人達自身がルールを書き換えつつあり、かつ諸価値を見直しつつあるというのに、新参者達が時々求められるところの、欧州の諸ルールや欧州の諸価値を抱懐すること、は容易なことではない。・・・
 当時、自分自身の人種問題に取り組んでいた米国によって促され、かつまた、共産主義の脅威に心を集中させていたということもあり、欧州人達は、個人主義、民主主義、自由、そして人権といった「欧州的諸価値」からなる規範(code)を定め(articulate)始めた。
 これらの諸価値は、一度たりとも厳密な形で定義されたことはない。
 とはいえ、これらの諸価値は、<欧州横断的な>社会的凝集性をもたらしたように見え、これらを抱懐したことと60年間にわたる平和とがたまたま重なり合った。・・・
 ・・・<ところが、>多くの移民達、そして移民達の多くの子供達と孫達は、屋根の上からパレスティナ国家、クルド人の母国(homeland)、あるいはイスラム原理主義(Islamist)アルジェリアへの願いを叫ぶことが義務であると考えた。
 彼等は、欧州人の理解の埒外にあるところの、文化的な夢、民族的(national)な夢、そして人種的栄光の夢さえ生かし続けた。・・・
 2005年のフランスの全土における貧民街暴動の数日後、大騒ぎになったフィンキールクロー(Finkielkraut)事件は、・・・一つの里程標となった。
 それは、「反人種主義者」陣営に怒りを買うには人種主義的なことを仄めかす必要さえないことを示した。
 哲学者のアラン・フィンキールクロー(Alain Finkielkraut<。1949年〜。父親がユダヤ人。フランスのエコール・ポリテクニーク思想史教授>)は、イスラエルのハーレツ紙掲載のインタビューで、「叛乱」が社会的諸条件に対するものであったとの支配的な見方に異議を唱えた。
 フィンキールクローは、叛乱者達が自分達自身をそのようには叙述していないと指摘した。
 彼等の、フランス及びフランス的なものに対するラップの歌詞や彼等のスローガンは、自分達の行為を民族的・宗教的意味合いにおいて表現したというのだ。
 「ちょっとの間でいいから彼等が、例えばドイツのロストック(Rostock)の白人達であると想像してみよう」と述べた上で、彼は、「ただちにみんなが「これはファシズムだ、けしからん」と言い出したに違いない」と付け加えた。
 フィンキールクローはまた、現代における移民達に対するよそ者扱い(exclusion)が、植民地的状況の継続に他ならないとする議論の背後にある論理に疑問を投げかける。
 「そうかもしれない」と彼は言う。「でも、<彼等の出身地を>植民地支配していた頃の方がフランスにおけるアラブの労働者達を<フランス社会に>統合するのがずっと簡単だったことを忘れてはなるまい」と。・・・
 どうして「民族的(ethnic)プライド」はいいことで、「ナショナリズム」は病気なんだい、とも。・・・」(F)

 欧州文明は、プロト欧州時代のカトリック文明とフランス革命以降の民主主義独裁文明・・ナショナリズム/共産主義/ファシズム文明・・に大きく分かれますが、要するに全体主義文明であり、イスラム文明と極めて親和性が高い文明である、という私のかねてからの指摘を踏まえれば、以上の話はすとんと胸に落ちるはずです。

6 英国(イギリス)は欧州ではない

 「・・・コールドウェルは、英国について悲観的すぎる、例えば、インド亜大陸とアフリカ出身の人々が職域の梯子を登ることについて大いなる成功を収めてきたことを無視している。・・・」(C)

 例によって、韜晦しているけれど、この書評子のホンネを私が代弁すれば、彼は、米国人のコールドウェルはイギリスと欧州諸国とをいっしょくたに論じているけれど、そんなのナンセンスだって言いたいわけです。
 だって、イギリスにとって、個人主義、民主主義、自由、そして人権といった「欧州的諸価値」ならぬアングロサクソン的価値・・民主主義だけはちょっと違うがその点はさておき・・は金メッキどころか地金そのものなのであって、そんなイギリス人がイスラム的諸価値に接することでそれらの影響を受けるなんてことがあるはずがないからです。

7 米国人には英国(イギリス)も欧州も分からない

 「・・・<この本には、>米国の力の減衰が明らかになりつつあり新しい世界史の時代が始まりつつある中で、米国人の中の幾ばくかによく見られる被包囲感覚的範疇に属する考え方が露見している。」(D)

 この英国人の書評子↑は、英国は没落したけれど、その世界理解は的確でありつづけている一方、(私流に言えば、アングロサクソン文明と欧州文明のキメラであるところの)米国は、一度も世界を的確に理解できないまま、ついに没落をはじめた、と冷笑しているのです。

 「・・・米国では「人種問題」と「移民問題」とが、必ずしも常に相互に関連しない場合もある。
 ところが欧州では、移民問題は即人種問題なのだ。
 だから、移民の成功と<移民による>「豊饒化(enrichment)」が受け入れ可能な唯一の意見になってしまった。
 移民が失敗であったことを認めることは自分自身が人種主義者であることが露見することである、ととらえられているわけだ。
 <換言すれば、>移民の問題点をあげることは人種主義的性向があるのを告白することである、とらえられいるわけだ。
 哲学者のピエールアンドレ・タグィエフ(Pierre-Andre Taguieff<1946年〜。フランスの哲学者・歴史家・政治経済学者>)は、移民は常に「不可避でありかつ善である」とする<現在の欧州の>イデオロギーを叙述するために移民主義(immigrationisme)という言葉をつくった。
 欧州社会において次第に増大する「多様性」についての、そしてそれが良いことか悪いことかについての真の議論は、今やほとんど不可能になってしまっている。・・・」(F)

 これ↑は、コールドウェル自身による自分の本についての書評的なものなのですが、彼は何と非論理的なことを言うのか、と思います。
 まず、米国で「「人種問題」と「移民問題」とが、必ずしも常に相互に関連しない」のは、移民としてではなく、奴隷として強制的に連れてこられた黒人、という特殊かつ深刻な問題が米国にはあった・・今でもまだある・・というだけのことです。
 より問題なのは、米国にとってはもちろんのこと、英国にとっても移民は、おおむね「不可避でありかつ善である」のに、どうして欧州にとってはそうではないのか、への回答を示唆しつつも、ついにこれを正面から論じるのを彼が回避していることです。
 私に言わせれば、これは韜晦などではありません。
 米国がアングロサクソン文明と欧州文明のキメラであるがゆえに、コールドウェルが欧州文明の根底的批判をすることには、自己否定につながることから、無意識的にブレーキがかかってしまう、ということなのです。
 
(完)

太田述正コラム#3432(2009.8.1)
<欧州へのイスラム移民(その2)>(2009.9.6公開)

4 イスラム移民受け入れにおける戦略の欠如

 「・・・コールドウェルは、大量移民受け入れに係る経済的及び福祉国家的議論についても粉砕する。
 1950年代には、<欧州の>大部分の国では、追加的に労働力がどうしても必要であるということはなかったと指摘する。
 英国のケースで言えば、アイルランドが依然として大量の労働予備軍を提供していた。
 この本の中に出てくる一番びっくりする数字の一つは、1971年から2000年の間にドイツにおける外国籍の住民の数は300万人から750万人に増えたが、外国人の雇用者数は同じ200万人にずっととどまっていたというものだ。・・・
 大部分の欧州諸国では、自由主義的普遍主義と移民主義(immigrationism)イデオロギーによって制約されて、余りにも移民に対して自由放任過ぎたのだ。
 近現代史において初めて、欧州の様々な社会は、意を決して、大集団の市民達が外国の文化の中で暮らし続けることを認めたのだ。・・・」(C)

 「・・・<大量に移民を受け入れたのは、>既に衰亡過程にあった諸産業につっかい棒をする、そして後には、健康や観光といった産業における職員を確保する、というアイディアによるものだったが、そのために必要な費用を我々の諸社会は支払うことを拒否し、現在もなお支払おうとしていない。
 低賃金の卑しい仕事をやらせるためには継続的に新たな移民の流入を維持するしかない。
 なぜなら、一旦構築された移民社会<の住民達>は、もっと良い仕事にありつくか、受け入れ地で生まれた白人の住民達の多くのように全く仕事に就かずに福祉国家に依存するか、のどちらかを選んだからだ。
 <その後、移民の流入は厳しく規制されるようになったが、家族や結婚相手の呼び寄せにより、流入は続いている。>・・・」
E:http://www.guardian.co.uk/books/2009/jun/13/christopher-caldwell-revolution-in-europe

 非熟練労働力だけを受け入れるとこうなる、ということが予測できなかったなんて、にわかに信じられないような話ですね。

5 欧州文明とイスラム文明の類縁性

 「・・・先週の日曜日(7月26日)、ロンドンのガーディアン紙<
http://www.guardian.co.uk/world/2009/jul/26/radicalisation-european-muslims 
>は、EUで行われた新しいギャラップ世論調査の結果を掲載した。
 分かったことの一つは、ロンドン<(コラム#789〜792、803、804)>とマドリードにおけるテロ攻撃<(コラム#289、291、300、324、394、395、789〜791)>が起こった頃の2004年から2006年にかけて恐れられていたような、欧州大陸のイスラム教徒達の大量過激派化は生じていないように見えることだ。
 ガーディアン紙は、同時に、サルコジ<仏大統領>の安全保障顧問のアラン・バウアー(Alain Bauer)のイスラム移民に関する楽観的見解を引用している。
 すなわち、バウアーは、「我々は、<欧州在住の>イスラム教徒のうち、欧米、就中欧州を積極的に拒絶しているのは約10%であり、10%は欧州人よりも欧州人的であり、約80%はその中間であって、とにかく何とかやっている人々だ」と指摘し、「憂慮されるべきは欧州生まれの、ないしは欧州にやってきたテロリスト達ではなく、イランのような国だ」と付け加えている。・・・」(A)

 「・・・<これは、一見コールドウェルの議論の反証のように見えるが、彼自身、自分の議論にあきたらないものを感じているようにも見える。>
 彼いわく、「世俗的な欧州人達が「イスラム」と呼ぶところのものは、ダンテ<(Durante degli Alighieri。1265?〜1321年)(コラム#726、1186、3130、3407)>とエラスムス<(Desiderius Erasmus Roterodamus。1466/1469〜1536年)>が自分達にとっての価値であると認識するであろう一連の諸価値に他ならない」と。
 逆に言うと、「欧州の中核的諸価値」を構成する、現代的な世俗的諸権利は、「ダンテとエラスムスを仰天させるに違いない」<というわけだ>。
 換言すれば、イスラムの諸価値に対置されるところの、歴史超越的な単一の言葉群ないしは単一の欧州的諸価値は存在しない<、とコールドウェルは言う>のだ。・・・
 コールドウェル自身も含め、このところのイスラムとの邂逅は「痛みを伴い暴力的」であるかもしれないが、それは同時に、「面白みがなく、つまらぬ粗探しをする、物質主義的な欧米の知的生活に酸素を注入してくれているのであって、我々はこれに感謝の意を表明しなければならない」ことを認めている。・・・
 2005年の秋にフランスの諸都市を燃え上がらせた暴動者達<(コラム#944、945、947、952、953、955、956、958〜963、967、968)>について<も>、「イスラムを信奉していたのではなく、チーム・イスラム」への愛着を持っていたに過ぎない、とコールドウェルは指摘する。・・・
 ・・・真の問題は、移民ではなく、イスラム教徒たる移民でもなく、進歩的、世俗的、人文主義的(humanist)なもの(project)に対する自信の欠如なのだ、と。」(B)

 「<彼が、>「不安に苛まれ、順応性があり、相対主義的な(欧州の)文化が、しっかりと根を下ろし、確信があり、共通の教義によって強化されている(イスラムの)文化と出会えば、通常前者が後者に合致するよう変わるものだ」としている<点について、ある書評子は、>彼の今日の欧州に係る、このような究極的な見解を<我々が>論駁することは困難だ<と述べている>。」(A)

 これじゃ、イスラム移民が過激派化する必要がないわけですよね。
 実質、欧州そのものがイスラム的であったかつての欧州に回帰しつつあるのですから・・。

 以上は要するに、私の言葉に置き換えると、イスラム移民によって持ち込まれたイスラムによって、欧州・・ただし当然のことながら英国を除く(後述)・・のアングロサクソン的金メッキが剥げて、欧州がかつての欧州、本来の欧州に回帰しつつある、ということなのです。
 この話をもう少し続けましょう。

(続く)

太田述正コラム#3429(2009.7.31)
<欧州へのイスラム移民(その1)>(2009.9.5公開)

1 始めに

 米国人のクリストファー・コールドウェル(Christopher Caldwell)が(地理的意味での)欧州におけるイスラム移民問題について書いた'Reflections on the Revolution in Europe: Immigration, Islam, and the West'についての英米での書評は、私のアングロサクソン/欧州論、更には米国論の有効性を検証する素材として極めて興味深いものがあります。
 どういうことかは、お読みいただければ分かります。

 (以下、下掲の各書評による。)
A:http://www.nytimes.com/2009/07/30/books/30garner.html?_r=1&hpw=&pagewanted=print
(7月30日アクセス。以下同じ)
B:http://newhumanist.org.uk/2093
C:http://www.guardian.co.uk/books/2009/may/17/christopher-caldwell-immigration-islam
D:http://www.ft.com/cms/s/2/106c266a-35dd-11de-a997-00144feabdc0.html
E:http://www.guardian.co.uk/books/2009/jun/13/christopher-caldwell-revolution-in-europe
F:http://www.prospect-magazine.co.uk/article_details.php?id=10749

 なお、コールドウェルは、米国の保守的なジャーナリストであり、米国のウィークリー・スタンダード誌・・悪名高い豪州人たる新聞王ルパート・マードック(Rupert Murdoch)が所有するネオコン雑誌・・の編集者であって、英国のファイナンシャルタイムスのコラムニストでもあります(D、E)。

2 序論

 「・・・1850年から1930年の間に、5000万人以上の移民が欧州を後にした。
 これは、人類の書かれた歴史における、短期間における最も激しい人口移動であったと言えよう。
 その間に、更に5,000万人が支那を後にしている。
 大不況と第二次世界大戦の小休止の後、欧州からの人口の流出が再開されたが、1950年代の半ばから方向が逆になり、上昇気流に乗った欧州は労働者達を<欧州外から>吸い込むようになった。
 現在では、EU加盟の15の欧州諸国の3億7,000万人の住民のうち約1,500万人が移民であり、それよりはるかに多い人々がもっと早い時期の移民の子孫だ。・・・」(D)

 「・・・植民地支配の罪の意識を捨象すれば、「<欧州諸国によるかつての欧州以外の世界への>植民と<戦後の欧州へのイスラム世界からの>労働移民との間に根本的な違いはない」ことをコールドウェルは示唆する。
 <つまり、どちらも、自分達の生活様式を変えようとか、現地に溶け込もうなんてしなかったのだ。>・・・
 <しかし、そもそも、欧州への戦後の移民が、それ以前における欧州への移民と違って>受け入れ国に簡単に同化しない、という観念は神話だ」と歴史家のマックス・シルヴァーマン(Max Silverman)は記してきた。
 1930年代には、フランスの人口の3分の1近くは、主として南欧からの移民だった。
 現在でこそ、イタリアやポルトガルからの移民は受け入れ国であるフランス<の人々>と文化的に近似していると我々には思える。
 しかし、70年前には、彼等は犯罪や暴力沙汰を起こしやすい外国人であってフランスの社会に同化するようには思えないと見られていたのだ。・・・
 英国では最初の移民法である外国人法(Aliens Act)が1905年にできたが、それができた主たる目的は、非英国的であると見られていた、欧州のユダヤ人を閉め出すことだった。・・・」(B)

3 イスラム世界からの移民

 「・・・コールドウェルは、余り見たことのないような直截的な疑問を投げかける。
 異なった人々がいるのに同じ欧州であり続けられるのか、こんなにわずかの人しか本当にそんなことなど望まなかったというのにどうして大量の移民受け入れが始まったのか、移民はよりよい生活を望んでいるがそのうちのどれくらいが欧州人的な生活を送ることを望んでいるのだろうか、なにゆえに少数民族の民族的プライドは良いことで欧州人のナショナリズムは病なのだろうか、<欧州における>ポリティカル・コレクトネスは恐怖を寛容として装っているだけではないのか、と。・・・
 コールドウェルは、・・・欧州の移民<受け入れ>は、少なくとも受け入れた各社会にとって成功であったとは言い難いと考えている。
 ただし、彼は、反移民の立場ではなく、米国の<人種の>坩堝についての大いなる支持者であると述べている。・・・」(C)

 「・・イスラム教徒達は、・欧州のもてなし上手な都市へのその何十年にもわたる大量移民を通じ、同化しないという強い傾向から、欧州の外観を、恐らくは決定的に変貌せしめつつある。
 これらのイスラム教徒たる移民達は、欧州の文化を高めつつあるというよりは置き換えつつある。
 敵対的な文化の下で生まれたこれらの移民達と彼等の宗教であるイスラム教は、「欧州の諸都市の通りを一つずつ根気よく征服しつつある。」・・・
 20世紀の中頃には西欧にはほとんどイスラム教徒はいなかったが、21世紀になった現在、西欧には1,500万人から1,700万人のイスラム教徒がおり、うちフランスに500万人、ドイツに400万人、そして英国に200万人いる」とコールドウェルは記す。
 これらの移民達は、その高い出生率により、欧州を人口的に圧倒しようとしている、と彼は付け加える。・・・
 イスラム教徒達は溶け込んでいない。
 彼等は、彼が呼ぶところの、「平行社会(parallel society)」を形成している。
 新たにイギリスにやってきた者達は、今やBBCではなくアル・ジャジーラに耳を傾ける。
 彼等は自分達が養子に来た国で軍役に就こうとしない。
 (2007年に、英国軍にはわずかに330人のイスラム教徒しかいない、とコ-ルドウェルは記す。)
 より悪いことに、これらの移民達は、欧州に反ユダヤ主義を再び持ち込んでいるのだ。・・・」(A)

(続く)

太田述正コラム#2681(2008.7.21)
<フランスとイスラム教徒移民>(2008.8.28公開)

1 始めに

 イスラム教徒の移民がいかにやっかいなものであるか、このところのフランスでの動きを見ていると痛感させられます。
 先月、フランスのリール(Lille)の裁判所が、イスラム教徒同士の結婚について、花嫁が処女であると偽ったとして無効を宣言して話題になりました(
http://www.economist.com/world/europe/displaystory.cfm?story_id=11751650
。7月21日アクセス。以下同じ)
 今回とりあげるのは、イスラム教徒の女性のフランス国籍取得申請の却下を是とする判決が下された件です。

2 国籍取得申請却下判決

 コンセイユ・デタ(Conseil d’Etat。フランス最高行政裁判所)は、パリ市政府が2005年に下した国籍取得申請却下を支持する判決を下しました。
 2000年にモロッコからフランスに入国してフランス生まれのフランス国籍のイスラム教徒の男性と結婚し、3人のフランス生まれのフランス国籍の子供達を持つ、イスラム教徒の現在32歳の女性で流暢なフランス語をしゃべるファイザ・M.(Faiza M.)(注1)の国籍取得申請を却下したのはどうしてなのでしょうか。

 (注1)フランス語をしゃべれるかどうかは国籍取得を却下するかどうかを判断する際に勘案される重要事項の一つ。なお、フランス在住のイスラム原理主義者達の間では、男性の産婦人科医の診察を受けるのを拒否する者が増えてきているところ、ファイザ・M.は何度か男性の産婦人科医の診察を受けたことがある。

 判決によれば、彼女は、外出中常に黒のブルカ(burqa。目以外顔を完全に隠す)(注2)をかぶっているところ、これは「同化の欠如」を示すものであり、フランス社会、「とりわけ両性の平等の原則」と「相容れないところの特殊な宗教性(a version of religiosity)を行使している」からだというのです。

 (注2)2004年にフランスは、これみよがしの(ostentatious)宗教的象徴を公立学校で身につけることを禁じる法律を成立させた。これにより、公立学校でのユダヤ教のヤルムルク(yarmulk)、シーク教のターバン、キリスト教の大きな十字架の着用が禁じられることになったが、最大のねらいは、イスラム教徒の女の子によるヘッド・スカーフまたはヒジャーブ(hijab)の着用を禁じるところにあった。(
http://lawreview.law.ucdavis.edu/issues/Vol39/Issue3/DavisVol39No3_WING.pdf

 これまで、コンセイユ・デタがイスラム教徒なるがゆえに国籍取得申請を却下したのは、イスラム原理主義のシンパであると目された人物だけだったので、この判決は注目されました。
 この判決に対し、両性の平等が国籍取得要件だということになれば、ドイツはババリア州、フランスはノルマンディー地方、米国はユタ州の住民のほとんど全員を国外追放しなければならなくなる、それに、フランスで夫から虐待されている女性だって全員国籍を剥奪すべきことになる、という批判が寄せられています。
 しかし、ファイザ・M.は、パリ市に国籍取得申請をした際に、男性係官が顔を見せるように促したところ、それを宗教上の理由で拒否したので、女性係官にやらせようとしたところこれも拒否したという経緯があります。写真を貼れないのではパスポートだって発行できない、というわけです。
 しかも、ファイザ・M.は、自分の政治的権利には関心がなく、投票に行くつもりなどないと宣言しました。そこまでは許されるとしても、彼女が、男性だけしか投票権を持つべきではないと述べたことが問題視されました。
 これに関連することですが、コンセイユ・デタは、彼女が政府を訴えたのは、果たして自分の意思なのか夫の意思なのか見極めることができませんでした。彼女が裁判所にやってくるのはいつも夫と一緒でした。
 しかも彼女は、モロッコにいた時にはブルカを着用していなかったけれど、夫の示唆に従って着用するようになったと述べています。
 更に彼女は、世俗主義(laicism)や民主主義が意味するところが何なのか知らないとも述べています。
 そして彼女は、コーランを字義通り解し遵守すべきであるとする、イスラム教のサラフィズム(salafism)を信奉しているとも述べています。もっとも、サラフィズムには、保守派と聖戦派があるところ、ファイザ・M.がどちらに属しているのかははっきりしないようです。

 (以上、特に断っていない限り
http://newsweek.washingtonpost.com/postglobal/thomas_kleinebrockhoff/2008/07/democracy_and_a_piece_of_cloth.html
http://www.time.com/time/world/article/0,8599,1822189,00.html
http://www.independent.co.uk/news/world/europe/no-french-citizenship-for-veiled-radical-islamic-wife-865828.html?service=Print
による。)

 フランス生まれのイスラム教徒にして都市問題担当相であるアマラ(Fadela Amara)女史(両親はアルジェリア出身)は、この判決を支持し、「ブルカは牢獄であり、拘束衣だ。それは宗教の記章(insignia)ではなく、両性の不平等を追求する、民主主義と完全に相入れないところの、全体主義的な政治的記章だ」と述べた上で、この判決が今後「自分達の妻にブルカを強制しようとする狂信者達を思いとどまらせる」ことを期待している、と述べたところです(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/europe/7509339.stm)。

3 終わりに

 コラム#2646でも改めて申し上げたように、「イスラム社会は非寛容であり、思想の自由を認めず、世俗化が困難、ということにならざるをえない。すなわちイスラム教は、本来的に原理主義的であり、かつ教義と暴力とを切り離せないというわけだ。暴力的原理主義はイスラム教の本質的属性だ、ということになるのかもしれない。」ということなので、ファイザ・M.とその夫を、特異なイスラム教徒である、とみなすことはできません。
 在仏イスラム教徒の大部分が近い将来、原理主義的イスラム教徒に、そして更には暴力的原理主義的イスラム教徒になる可能性を全く排除することはできないのです。
 そこで、イスラム教徒たる移民を多数抱える国においては、イスラム教徒の原理主義へのベクトルを打ち消す、世俗主義へのベクトルをどう構築するかが極めて重要であるわけです。
 私の見るところ、フランスは世俗主義へのベクトルの適切な構築に、アングロサクソン諸国ほど成功しているようには思えません。
 いずれにせよ、朝鮮人はもとより、支那人でさえ、このようなイスラム教徒に比べれば、移民として受け入れるにあたっての問題点など、取るに足らないと言えるでしょう。
 幸い、日本にはイスラム教徒たる移民がほとんどいませんが、今後とも、少なくともイスラム教徒の移民に関しては、基本的に門戸を閉ざし続けることが望ましいと私は考えています。

(コラム#2663、2665、2671をひとまとめにしました。)

太田述正コラム#2663(2008.7.12)
<日本文化チャンネル桜と移民受入問題>(2008.8.25公開)


1 始めに

 日本文化チャンネル桜からまた下記のような出演依頼がありました。

            記

「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」

テーマ:
「どうする!?どうなる!? 1000万移民と日本」(仮題)
「移民」は日本を救うのか?滅ぼすのか?その是非を中心に、日本の行方を議論していただきます。

収録日時:
平成20年7月16日(水曜日)午前10時〜13時30分
※15分程前までにお越し下さい。

放送予定日:
前半 平成20年7月17日(木曜日)夜8時〜9時30分
後半 平成20年7月18日(金曜日)夜9時〜10時00分
スカイパーフェクTV!241Ch. 日本文化チャンネル桜

収録場所:
弊社Aスタジオ(渋谷)

パネリスト:
(敬称略50音順)
浅川晃広(名古屋大学・大学院国際開発研究科・講師)
太田述正(元防衛庁審議官)
桜井 誠(在日特権を許さない市民の会 代表)
西尾幹二(評論家)
平田文昭(アジア太平洋人権協議会 代表)
村田春樹(外国人参政権に反対する会 事務局)
ほか、1名参加される可能性があります。

司 会:
水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)
鈴木邦子(桜プロジェクト キャスター)

2 思ったこと

 今度出る共著でも、私の担当部分で移民受入問題が取り上げられています。
 9月下旬に出版予定の共著の私の担当部分のトピックを、私は自分で選んではいません。この共著の共著者及び共著者の協力者のお二人が、私のコラムのバックナンバーをお読みになって、私の移民受入論を面白いとお感じになったということなのでしょう。
 今回もそうです。
 やはり、「桜」の関係者が私のコラムのバックナンバーをお読みになって、同様の感想を抱かれたということなのでしょう。
 そこで、先程から、私自身、自分のコラムのバックナンバーにあたり、移民受入問題について私がこれまでどんなことを言ってきたのか、そして読者との間でどんな議論が行われてきたのかを振り返る作業を行っています。
 驚きましたね。
 その分量の多さに。
 自分ではさして移民受入問題を取り上げてきたつもりではなかったのですが、実際のところ、私は移民受入問題に、比較政治論や狭義の安全保障論と並ぶくらい強い思い入れがあるのだなということを「発見」しました。
 上記振り返り作業を行ったおかげで、共著における移民受入論の記述が、私の最新の考えを十分反映していないところがあることにも気づきました。ゲラが出てきた段階で、修正・加筆することになりそうです。
 ところで、今度の番組のパネリストの皆さんは、西尾幹二さん以外は、初対面の方々ばかりです。
 これらのパネリストの方々にお目にかかるのも楽しみですね。
 皆さん、ぜひこの番組をご覧になってください。

太田述正コラム#2665(2008.7.13)
<日本文化チャンネル桜と移民受入問題(続)>

1 始めに

 先程、下掲のようなフリップ用パワーポイント資料作成を、あらかじめ登録していたいただいていた読者の方にお願いしたところです。

<一枚目>

 史上出現した大帝国であるペルシャ、ローマ、唐、モンゴル、オランダ、英国、米国には共通点がある。
 寛容性(tolerance)ないし包摂性(inclusiveness)だ。
 寛容性・包摂性を戦略的・戦術的に駆使することによって、各帝国は円滑な支配と人材の確保が可能となったのだ。

Amy Chua(エール大学ロースクール教授(女性)が2007年に上梓した'Day of Empire: How Hyperpowers Rise to Global Dominance -- and Why They Fall’の結論の要約

<二枚目>

 「英国家統計局(The Office for National Statistics)は、移民、出生率及び平均年齢の伸びの高位推計によると、現行の人口6050万人が2031年までに7500万人、2081年までに1億87万人に増える可能性があると発表した。・・・
 統計学者達は、英国の将来の人口増加の69%は、若年の移民によるところの上昇する生誕率等、移民に直接的ないし間接的に起因する、と暫定的に推計している。・・・」

http://www.guardian.co.uk/society/2007/nov/28/socialtrends.homeaffairs

<三枚目>

                 太田の仮説

1 軍事
 一、敗戦を境に日本は軍事を尊ぶ社会から軍事を放擲した社会へと180度変わった。
 二、その背後に日本社会の弥生モードから縄文モードへの回帰があった。

2 移民
 一、敗戦を境に日本は移民許容社会から移民拒否社会へと180度変わった。
 二、その背後に日本社会の弥生モードから縄文モードへの回帰があった。


<四枚目>

 徴兵義務は、独立国家においては、中国のように憲法上規定があろうが、米国のように憲法上規定がなかろうが、国民の当然の義務。
 ちなみに、特定の独立国家において現実に徴兵制(draft)が敷かれているかどうかは、本質的な問題ではない。
 中国では一度も徴兵制が敷かれたことがないのに対し、米国は、南北戦争の時、第一次世界大戦の時、及び第二次世界大戦参戦直前からベトナム戦争の頃、しか徴兵制を敷いてはいない。
 
http://en.wikipedia.org/wiki/People's_Liberation_Army
http://en.wikipedia.org/wiki/Conscription_in_the_United_States

 憲法(解釈)上、国民に徴兵義務を課すことが禁じられている国は世界広しといえども日本だけ。

2 感想

 カイロ時代に、原住民の召使い(servant)、黒人系の運転手、アルメニア人のピアノ教師、トルコ人のフランス語家庭教師、住んでいたマンションの同じフロアに入っていたこのマンションのオーナーのユダヤ人一家、通っていたイギリス系小学校でのイギリス人教師、小学校での親友のギリシャ人、タイ人、そしてミャンマー人ら、様々な考え方を持つ種々雑多な民族の人々に囲まれて毎日を送っていた私は、基本的に単一民族で金太郎飴的な日本社会が不自然に感じられ、息苦しさえ覚えるのです。
 私の移民受入論は、このような原体験に基づく皮膚感覚に由来するものであることをご理解いただければ幸いです。
 (なお、幼少期にまるで王侯貴族のような生活を送っていたと思われるかもしれませんが、1950年代後半当時、外交官や商社員として海外勤務していた人々の生活は、おおむねこんな感じであったはずです。外交官がつきあうのは在勤地の政府関係者や第三国の外交官達であり、商社員がつきあうのは、在勤地の金持ちの人々であったことから、相応の体面を保つ必要があったからです。)

太田述正コラム#2671(2008.7.16)
<日本文化チャンネル桜収録記 3>(2008.8.25公開)

1 始めに

 昨日の1914に、下掲のようなメールが届きました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 明日の討論のタイトルですが、最終的に「在日外国人問題と移民政策」にさせていただきました。
 移民問題に現在の在日外国人問題を加味させていただきます。
 以下、最終的な番組情報です。
 ご確認の程、よろしくお願い申し上げます。  草々

                   日本文化チャンネル桜
                   ○○ ○○



タイトル:「闘論!倒論!討論!2008 日本よ、今...」

テーマ:「在日外国人問題と移民政策」
 「移民」は日本を救うのか?滅ぼすのか?その是非を、現在の在日外国人問題も含めて議論していただきます。

収録日時:平成20年7月16日(水曜日)午前10時〜13時30分

放送予定日:前半 平成20年7月17日(木曜日)夜8時〜9時30分
      後半 平成20年7月18日(金曜日)夜9時〜10時00分
スカイパーフェクTV!241Ch. 日本文化チャンネル桜

収録場所:
弊社Aスタジオ(渋谷)

パネリスト:
(敬称略50音順)
浅川晃広(名古屋大学・大学院国際開発研究科・講師)
出井康博(ジャーナリスト)
太田述正(元防衛庁審議官)
桜井 誠(在日特権を許さない市民の会 代表)
西尾幹二(評論家)
平田文昭(アジア太平洋人権協議会 代表)
村田春樹(外国人参政権に反対する会 事務局)

司 会:
水島 総(日本文化チャンネル桜 代表)
鈴木邦子(桜プロジェクト キャスター)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 私は、テーマの拡大により、議論が発散してしまうのではないか、という危惧の念を持ちました。
 また、熱心な読者の一人にこの確定パネリスト全員のお名前を伝えたところ、ざっと各パネリストの移民問題等への見解をネットで調べてくれました。
 その読者によれば、どうも、浅川氏を除き、移民受入反対派ばかりらしいというのです。
 こりゃ、またもや針のむしろにすわらされるな、と私は慮らざるを得ませんでした。

2 実際にはどうだったか

 (1)始まる前

 少し早めに「桜」に着いたためか、初めて控え室に通されました。
 既に3名のパネリストとおぼしき方々が、熱心に議論をされていました。
 それから収録室に移動し、パネリストの皆さん(前回ご一緒した西尾幹二氏を除く)と名刺交換をしました。
 うれしい驚きであったのは、村田氏が、私のコラムが実に面白いので愛読しているとおっしゃったことです。しかも、拙著『防衛庁再生宣言』も読んでおられる。何と古本屋で7,700円で購入された由。9月に1冊ないし2冊出る私の新著、新新著は、将来高騰するであろうから、出たらただちに購入する、とおっしゃるのです。
 村田氏は、拙著を読んで目から鱗が落ちた思いがしたのは、米国独立は英本国が英軍の北米駐留経費(の一部)を植民地側に負担させようとしたからだ、というくだりだったと付け加えておられました。
 
 (2)始まってから

 収録の際には、前夜急遽追加された在日外国人問題は余り話題にならず、もっぱら移民受入問題について議論が展開しました。
 私は、移民受入問題は安全保障問題の一環である、というところから話を始めました。
 ところが意外や意外、私の心配は杞憂に終わりました。
 というのは、桜井誠氏を除くパネリストの皆さんの中には、司会の水島氏を含めて、移民受入(正確には移民大幅増加)絶対反対論者はおられず、むしろ、現在の日本政府・・私に言わせれば、属国政府・・に、移民受入問題に関するものを含め、広義の安全保障政策について、政策立案能力ないし意欲が欠如している点を憂慮される方ばかりだったからです。
 このように、本日の議論の前提について、パネリストの間で一種のコンセンサスがおおむね成立していることを発見して、私は正直驚きました。

 ところで、今回、パネリストの中でフリップを使ったのは私だけであり、かなり効果的な使用ができたと自画自賛しています。
 パワーポイントのファイルをメール添付で「桜」に昨日送り、フリップにしてもらったのですが、このファイルは、読者SMさんに作成していただいたものです。
 フリップの一枚目(コラム#2665)の末尾に、SMさんは、『寛容性と包摂性は世界帝国に限らず、いかなる国であれ、その国が繁栄するための必要条件である(太田述正)。』 を付け加えたらどうかと提案され、一も二もなく賛成させていただいたという経緯があります。
 SMさん、そして「桜」のスタッフの方、まことにありがとうございました。

 ちなみに、収録中と休憩時間を通じ、西尾氏及び水島氏と私とが一番「対立」したのは、西尾氏が単純労働者の受け入れ絶対反対を唱えられたのに対し、私がいいとこ取りはできないと反論した点と、水島氏が支那人と韓国人の移民受入に強硬に反対され、私が、支那人については理解できる部分もあるけれど、韓国人については全く懸念に及ばないのではないかと反論した点です。
 水島氏は、自分は映画監督であると言われた上で、カンヌ国際映画祭で主演女優賞をとった韓国映画「シークレット・サンシャイン」(
http://www.cinemart.co.jp/sunshine/
)を鑑賞すれば、どうして韓国人の移民受入に自分が反対するか分かるはずだ、とおっしゃっていました。
 こうなれば、逃げ隠れできません。
 私は、機会をみつけて、必ず映画館におもむくつもりです。

 収録終了後、私から西尾氏と水島氏に、アングロサクソンのバスク起源論(コラム#2271)をご説明しておきました。お二人とも目を丸くして聞いておられました。
 今度は、私自身、少し「桜」の番組進行に慣れてきたこともあって、自説を落ち着いて説明できたように思いますが、番組そのものとしても、議論がかみ合っただけに、充実した内容になったのではないでしょうか。 

太田述正コラム#2336(2008.2.1)
<皆さんとディスカッション(続x54)>

<読者NT>

 私は太田さんのファンです。私も太田さんに習って近い将来、 国益に関わる英語教育の問題を告発していこうと思っています。
 C型肝炎は人間の命に関わる問題でしたが、英語教育の問題は、 将来の日本の存亡に関わる深刻な問題だと思っています。
 これだけ時間とお金とエネルギーをかけて有能な国民が得られるコストパーフォーマンスは天文学的に低いと思います。
 原因は訳す事と文法にあると思っています。文法の代わりに音で学ぶ英語を、訳す代わりに英語で考える人材を育成しないとこの国の最も価値のある人材という財産(原敬談)は活かせないと思います。
 太田さんの仰る、政官業の癒着構造は痛快でわかりやすいです。
 太田さんも真実を告白しても暗殺されないカードを持っていて敵の急所をつかんでいるので、安心して発言されているのだと思いますが、応援しています。本当にマスコミに露出されて真実を暴露して頂き、感謝しています。平成の松本清張だと思っています。

<太田>

 どうもどうも。
 日本人の英語力を向上させるには、英語を使う必要性がある国に日本を作りかえていくことしかない、と私自身は思っています。
 ところで、

>太田さんも真実を告白しても暗殺されないカードを持っていて敵の急所をつかんでいるので、安心して発言されているのだと思います

 というより、権力側の人々はタカをくくっているのだと思います。
 小沢さんのような、テロ特措法やガソリン税をめぐり、拙劣極まる攻め方しかできない人物が反権力側のトップに座っていたり、大阪の橋下さんや、熊本の樺島さん(
http://www.asahi.com/politics/update/0111/SEB200801110001.html 
。1月11日アクセス)のように、権力側にすり寄るTVインテレクチュアルや東大政治学教授がこの期に及んで続出するような日本ですからね。

<読者>

 縄文だとか弥生だとかという、町の考古学マニアレベルのほとんど科学的でない話は、議論自体の信頼性を損ねるろ思いますので、適当な程度にしておいたほうがいいじゃないですかね。縄文→弥生といったら、卑弥呼以前ですから文字資料がないに等しいですし、ちゃんと検証できる話だとも思えません。
 縄文時代なんかより、戦国時代から明治時代までのほうがよっぽど今の日本人に影響を与えていると思いますし、仮に縄文の名残があるとしてそれがはたして全体の何%になるのか、論じる価値のあるのウェイトを占めているのか疑問です。もし、縄文→弥生に現在と同じようなことがあったとしても、因果関係の証明にはなりません。

<太田>

 「縄文だとか弥生だとか」の議論を冷笑するより前に、ご自分の歴史認識のナイーブさを直視されてはいかがですか。
 7世紀後半から8世紀後半頃にかけて・・私の言う、第一回目の縄文モードへの回帰期において・・編まれた、日本に現存する最古の日本語詩集である万葉集を通じて窺える当時の日本人の感性は、現在の日本人の感性そのものですし、10〜11世紀・・私の言う第一回目の縄文モードの真っ最中・・に書かれた源氏物語は、今なお、昭和期以降の何人もの文学者達が現代語訳を試みるほど現代(日本)性を持つ文学作品です。
 そもそも、皆さんが読んでいるこの私のブログは、ブログ数(正確にはブログ・アップ数)世界一の日本語ブログ(
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20070406_technorati_blog/
。1月31日アクセス)の一つであるわけですが、なぜこんなに日本人がブログが大好きかと言うと、これまた10世紀前半・・やはり私の言う第一回目の縄文モードの真っ最中・・に紀貫之が書いた最初の日記文学である『土佐日記』に始まる日本の日記文学や、その流れを汲む私小説の伝統があるからこそではないでしょうか。
 「戦国時代から」の日本より以上に、このような、今から約1000年以上前の日本が現在の日本人の感性や生き様に決定的な影響を与えているとさえ言えそうだとすれば、それから遡るところわずか約1000年プラスアルファ以前まで、約1万年続いた縄文時代の日本が、現在の日本人の感性や生き様に決定的な影響を与えている可能性、すなわち日本文明の基層を形作っている可能性、だってありうると思いませんか。

<Ichiki>

日本人が移民を受け入れられないのは、日本人が元来有しているムラ社会的な感情(よそ者に対する強固な拒否感情)によって説明できるのではないでしょうか。ムラ社会的気質は、日本人に特徴的なものであると考えます(日本人同士ですら、生まれ等によりよそ者とみられる者を排除してきた歴史もあります)。
 戦前、半島からの移民?を受け入れていたのも、植民地として支配していたから仕方がなかったからだけではないでしょうか?
 そして、現在はというと、相変わらずムラ社会であり、その拒否感情を正当化するに足る(偏った)情報だけを無意識に取り入れ、心地よく移民を拒否している人が多いのではないかと分析しています。
 そのような感情が不合理なものであると気付き、立派な国になって欲しいものです。

<太田>

 「日本人が元来有している・・よそ者に対する強固な拒否感情」のよってきたる所以を説明しようとしているのが私の縄文モード論なのです。

<Yoshu>

>NLP問題を通じて見えてくるのは、外交・安全保障を自らの意思で外注しながら、これを請け負った米国の邪魔ばかりしているのが、日本国民であり、日本政府だと言うことです。だから、私は外注を取り消し、自立せよと主張しているのです。

と、言うのを読み、肯くばかりです。
 太田さんのコラム内の日本属国論を呼んだり、太田総理での議論を視ているうちに、少しずつ、日本は、集団的自衛権行使するべきではないかと言う考えが、私の中で強くなってきました。#2251へのコメントにも書きましたが、NHKスペシャル日本とアメリカ http://www.nhk.or.jp/special/ の1月27日放送の第1回深まる日米同盟の中で、北朝鮮のミサイルの脅威に対抗しようと、急速に配備が進むミサイル防衛の話の中で、迎撃ミサイルのことが出てきました。日本は集団的自衛権を行使しないと言う原則の為、第三国からアメリカに発射されたミサイルを撃ち落とすことはできないと、言うことでした。なんと言うことでしょうか。日本は、アメリカに守って下さいと言い、アメリカに向かっては、第三国からアメリカに向かって、発射されたミサイルを日本は撃ち落とせませんなんて・・、なんて自分勝手な国でしょうか。恥ずかしいことです。
 それに、日米の軍事協力はグローバル化していて、このままでいけば、国際貢献が出来なくなります。だから、このまま日米同盟続けようが、今のままの状態で、アメリカから自立をしようとすれば、生まれたての赤ん坊を狼だらけの森の中に捨てるようなものですから、どちらにしても、集団的自衛権をすると言う最低限のラインは越えない限り、日本の進む道はない気がします。
 どちらにしても、日本政府が望む国連常任理事国には、なれないでしょうね、今のままでは。今の日本の状態で望むこと自体が、国家の恥です。

<太田>

 よくぞ言ってくれました。

<バグってハニー>

 <コラム#2334で桜の花さんが提示されたデータは朝鮮新報に掲載されたものですね。
 さぞ朝鮮新報がニヤけていることでしょう。>

知らずに引用してるのだと思いますけど、これ朝鮮総連の機関紙です。記事を読めば分かりますが、あなたの嫌いな在日朝鮮人の利益を代弁しているだけです。もちろん、北朝鮮のプロパガンダも担っています。「朝鮮人には気を付けろ」と主張する人が、その朝鮮人による宣伝を真に受けるというのに私は大いなる矛盾を感じるのですが・・。

まあ、この数値が正しいとして、数値を一つだけ引いてきても意味ないですよ。何も無いよりはましですけどね。多い/少ないというのは何かと比較しなきゃ判断できません。在日は世帯数しかわかりませんが、2005年の生活保護受給者数はおそらく2100人くらいでしょう。一方、同区の在日の総人口は 31,011(2006年)となっています。
http://www.city.osaka.jp/ikuno/about/status.html
よって、税金を払ってない在日はもちろん存在していますが、税金を払っている(世帯に属している)在日がほとんどです。

>在日の方で税金を払っている人も多いでしょうけど、払っていない人も多い現状

というのは間違いで、「在日で税金を払っている人は多く、払っていない人はずっと少ない」となります。

次に、コラム#2334のUeyamaさんの、

>実際問題として定住している外国人は特別永住者である(日本国籍を失った)在日韓国・朝鮮人だけではなく、永住者349,804、定住者265,639、日本人の配偶者等259,656人(2006年末現在。http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan53-2.pdf
)がおり、特別永住者に対する対応だけでは、当然特別永住者に対する解決にしかならない

ですが、日本人の配偶者というのはそうですし、永住者も日本人と結婚している人が多いのと違いますかね。だとすると子供は日本人なので、参政権で損するのは最初の世代だけなわけで、はなはだしく理不尽ということもないような気がします。ただ、日本が本格的な移民国家になって家族ごと移民してくるなんてケースが増えてきたら、こどもの国籍の要件になんらかの生地主義を取り入れる必要が出てくるとは思います。

更に、コラム#2332の太田先生の、

>日本の指導層が「軍事が日本にとって差し迫った問題」であるとは考えなくなったのはどうしてだとお考えですか。日本が分断国家にならなかったことが最大の原因だなどとおっしゃっていてよろしいのですか。

はい。「指導層」というのは考慮してないですけど、指導層は単に国民の代表だとすると、日本の安全保障がへんてこなのは日本国民にとって単に軍事が差し迫った問題じゃなかったからだったと思ってます。
前に挙げました、未だ平時徴兵を行っている主要国のドイツ、スイス、韓国、イスラエルに共通しているのは、顕在的・潜在的敵国と国境を接している(いた)ということです。陸続きになっていると抑止力としてどうしても大きな陸軍が必要になり、徴兵する必要が出てきます。国民皆兵となると男子はとりあえず軍隊に入り、いやが応にも軍事の何たるかをわきまえます。また、その家族も軍隊に男性を取られることがどんな意味を持つのかが身に染みます。徴兵制というのは国民全体に多大な犠牲を強いますから、自然と様々な議論が沸き起こると思います。

これ、私の大好きだったコラムなんですけど、紹介しようとしているうちに読めなくなっちゃいました。ごめんなさい。有料検索できる人はぜひ試してみてください。

asahi.com: 「壁」と女子高生 - これってドイツ流 - ドイツ年特集
http://www.asahi.com/world/germany/korette/TKY200601100235.html

要点を紹介すると、東西分断下にある旧西ドイツの女子高にある日、現役軍人が派遣されてきて女生徒にレクチャーをするという話なんですけど、それでその内容はというと戦略・戦術核に関することで、まあ日本でトンデモ平和教育を受けた私としては想像もできない話だったのです。それで、最後にこの軍人が男性だけに兵役があるのは不公平ではないかと女生徒に問いかけるのですが、ある生徒は、女性はこどもを生み育てるという責任を果たしているわけでちっとも不公平ではないと答えるわけです。これを読んで私いたく感動いたしまして、ドイツ人は高校生の時分からなんと立派に自分の考えを持っているのか、また普段から肌身の感覚として安全保障が身につくわけで、日本が及ばないのも致し方なしと思うようになりました。
日本が分断国家になっていれば当然、旧西ドイツのように徴兵制が敷かれていて、今よりもっとまともな安全保障の議論が行われていたことでしょう。ただまあ、分断国家というのは大変な不幸ですし、安全保障がどんなにいい加減だったところで戦後の日本は大まかにいって大変平和であったわけで、それも米国のおかげであるし、日本は○○すべし、といったこともありますけど、実質的に害はほとんど無かったわけで、それでもよかったのかなと。

<太田>

 先生、先生と言わないでくれとお願いしているのに、先生と言い続けるバグってハニーさん。私が先生なら破門したいところですよ。
 何度説明しても、憲法論と立法論の違いを分かってくれない不肖の弟子ではね・・。
 そもそも米国や英国が、どちらも潜在敵国と陸上で接しているわけでもないのに、両国にとって戦後一貫して「軍事が差し迫った問題」であり続けてきたことをあなたはどう説明するの?(この間、米国も英国も平時徴兵制を取りやめたけど、そんなこととこの問題とが直接関係がないことくらいはお分かりですよね。)
 例えば、米国が遠く離れた韓国に今なお米軍を駐留させていることをあなたはどう説明するの?
 日本にとって「軍事が差し迫った問題」でなかったのではなく、日本が自ら米国の属国になり、軍事を米国にぶんなげた(委託した)結果、「差し迫った」軍事の問題を自分で思い煩う必要がなくなったというだけのことだとあなたは思わないってわけか。
 思わない、というのであれば、あなたは治癒不可能な吉田ドクトリン中毒者か、日本を属国のままにとどめておきたいと願っている米国内の圧倒的少数の人々のエージェントか、そのどっちかでしょうね。

<バグってハニー>

新しい裁判始まりましたね。
前にも書きましたが、対抗言論(被害者が論駁する手段)が存在する限り名誉毀損は成立しません。太田コラムはどれを読んでも分かるとおり、読んで文句のある人はブログのコメントなり掲示板なりメールなりに文句を書けば、かならず同じ媒体(太田コラム)で取り上げられるわけで、読者はどちらの言い分が合理的であるのか判断する機会が常にあります。名誉毀損はありえないはずです。実際、太田先生は原告がそのような手段を用いてないにもかかわらず、裁判の書面をそのままコラムとして配信しているわけで、読者はどちらの言い分が合理的であるかやはり判断できるわけで、名誉毀損は成立しないはずです。
太田コラムの対抗言論が機能している好例の一つは、NYタイムズで日本人が好意的に取り上げられた特集のとき、ある男の子のこと(名前忘れた)を太田先生が思い込みで「知恵遅れ」と書いたら、しばらくたってから当該コラムを読んだ母上から息子は知恵遅れではないと訂正が入ったときだと思います。これも母上の言い分は全くそのままコラムとして配信され、息子さんの名誉は速やかに回復されました。
というように、太田コラムには本質的に名誉毀損は成り立たないはずです。ここいらあたりのネットの言論を熱心に擁護している若手でリベラルな法学者に名古屋大学の大屋雄裕教授がいます。私は対抗言論という言葉をこの方のブログで初めて知りました。例えばこれ
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000405.html#more
ちなみに、この方、所沢さんのお友達です。

<太田>

 ご支援いただくのはありがたいが、第一回目の裁判の控訴審の口頭弁論が終結する前にこの対抗言論の法理論とやらを教えていただきたかったですね。
 私はつい最近、独自でこの理論に到達したということのようです。
 どうせ日本の裁判所はまだ認めていない法理論なのだろうから、仮にこの理論を援用していたとしても、一審でも控訴審でも負けていたに違いないけど、この理論を前回の裁判中に援用したかったなあ。

太田述正コラム#2334(2008.1.31)
<皆さんとディスカッション(続x53)>

<Yoshu>

>>一応、役所の人から他方の国籍を離脱するように努力せよ、とは説明されますが、何か証明を出す必要はありません(バグってハニーさん・コラム#2330)
>お恥ずかしい話で、全く知りませんでした。てっきり日本国籍を選択したらもう一方の国籍は自動的に破棄されるか(よく考えたらこれはあり得ませんね)、 一方の国籍を捨てた証明をしなければ日本国籍を選択できないのだと思っていました。確かに「日本の国籍法は、・・・自己の志望によらず外国国籍を取得した 日本人が自動的に日本国籍を失っては困るので、日本国籍留保・選択が認められ、重国籍の解消は本人の自由意志に任されています」(
http://www.gcnet.at/citizenship/dual-citizenship.htm
)とあります。本人の意志によらない重国籍の運用がこうであるなら、なおさらいわゆる本人の意志による日本国籍取得(!=選択。いわゆる帰化)時の重国籍も認められるべきだろうという気がします。

 ペルーの元大統領、アルベルト・フジモリも、生まれた時に両親が、リマの日本大使館に日本国籍留保の意志を表した為に日本国籍 保持者で、そして、ペルー国籍も持つ二重国籍です。だからこそ、2000年11月日本に亡命(?)しましたが、日本政府は彼が日本国籍保持者であるため、 日本滞在には何の問題もないとしました。それに、去年の参議院選挙に国民新党から比例区代表で立候補したぐらいでした。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%B8%E3%83%A2%E3%83%AA

こんなこともあるのですね。

<rotbelle>

 シリーズ「世界帝国とその寛容性・包摂性」(コラム#2317、2321、2324。未公開)を踏まえると、(例に挙がっているのが全て独立国であることから、)日本の「移民拒否感情は独立国でなくなったことから起きている」と推定され、「『国際上相応の責任』は、まず独立国にならないと負うことが事実上不可能なのではないか」(コラム#2330)と考えた次第です。
 それで少し移民受入反対論を装って書かせていただけば、このシリーズに例示された国のうち、(このシリーズを典拠として、)少なくともペルシャ、モンゴル、それにアレクサンダーの例は「支配下においてから」の登用の例、ローマの例では<ロムルスは>〜はアレクサンダーと一緒、トラヤヌスとセプティミウス・セヴェルスは、どちらも属州の出身でローマ帝国から見て自国人
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD
(ここの帝国最大版図を参考)であり、「外国人」の例はムガール帝国ですが、これは「妻」に限定されています。
 これに対して日本の移民受け入れで<太田さんが>言われているのは、「かって支配下にあったが今は間接的制御下にすらない」(英連邦のような組織があるわけでもない)地域の人員の受け入れです。
 そのためこのシリーズを読んでから、「属国状態であるうちは移民反対」の意見に傾いた次第です。

<太田>

 現在日本は米国の属国ではあるけれど、それは世界史上、初めて自らの自由意思で他国の属国になったという珍しいケースだと私は申し上げてきています。
 従って、これまでの属国一般のケースとは同一には論じられません。
 私は、移民受入拒否も戦後日本が自由意思で選んだと考えているのです。
 また、上記シリーズに登場するオランダと英国と米国は、(英国におけるスコットランド人を除き、)外国人の移民を受け入れたケースであることをお忘れなく。

<桜の花>

 どこにでも「権利」を主張する事が欠陥社会を作り出しています。
 在日の方で税金を払っている人も多いでしょうけど、払っていない人も多い現状では、<在日朝鮮人に地方参政権を与えることには、>現在の日本人にとってはデメリットを考える人の方が多いのではないでしょうか。

 <払っていない人が多いことを推認させる資料を掲げておきます。>
http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j1031-00001.htm


大阪市生野区の外国人生活保護受給者数、受給世帯数、「韓国、朝鮮」籍者を世帯主とする生活保護受給世帯数(出所「人権と生活」No.22)

           外国人    「韓国、朝鮮」籍
       受給者数 受給世帯数  受給世帯数
2000年  1331  930    846
2001年  1420 1022    993
2002年  1640 1175   1076
2003年  1878 1344   1294
2004年  2095 1502   1449
2005年  2202 1574   1536

<ueyama>

  --コラム#2330の日本人の移民拒否感情について--

(典拠なしで申し訳ないです)

>>日本では、戦災、敗戦、累次の大地震等の大災害時において、こそ泥こそあっても、掠奪・強姦なんてほとんど起こった試しがないのではないですか。
>いや、関東大震災の時だって掠奪・強姦の話はほとんど伝わっていないのでは?

 この点は太田さんのおっしゃるとおりだと思います。失礼いたしました。

 太田さんに習って私の論点も(太田さんの論点に対比する形で)整理しておきますと、
 一、敗戦を境に日本は移民許容社会から移民拒否社会へと180度変わった。
 二、上記は敗戦により日本が移民を受け入れられるような先進国ではなくなったこと、また、敗戦により戦闘要員としての外国人も必要がなくなったことによるもので、日本社会の縄文モード化とは直接の関係はない
 三、関東大震災の際の朝鮮人虐殺も縄文モード化とは直接の関係はなく、当時の一般人(これは(実際にはすでに縄文・弥生の血が相当混じっていますが)縄文人の末裔といってもかまわない)の現実の朝鮮人観によるものである

 また、自他共に認める先進国として復興した現在も移民拒否感情が存在するのは、
 1、先進国として復興した後も、先進国は移民を受け入れるべきだ、という言説が有識者からも政治家からもあまり聞かれなかった
 2、最近ようやく聞かれるようになってきたが、すでに(インターネット等により)特定永住者問題、また、外国人犯罪に関するデータや、それに批判的な言説を簡単に一般人が手に入れることができるようになっており、これが(誤解も含み)センセーショナルであるがゆえにネックになっている
 3、1の理由は「日本人だけで充分だった」からでしょうし、2で最近聞かれるようになった理由は「日本人だけでは充分でなくなった・なくなりそう」だから

という感じです。ですので、まずはその誤解を解くことや、太田さんのおっしゃるように、それが日本の義務であるとともに国益にもかなうことなのだ、という言説を広めることが重要ではないかと考えています。
 軍事問題に関してはコラム#2330の一、二ともに全くもって同意しています。また、「関東大震災時における・・朝鮮人虐殺は・・大衆の深層心理の病理的な噴出であったのに対し、ご指摘の甘粕事件や亀戸事件は、弥生人の末裔たる支配層の深層心理の露呈であった、ととらえることも可能・・つまり後者につい ては・・ロシアに由来するアナキズムやマルクス・レーニン主義に対する安全保障上の警戒心が病理的な形をとって噴出した」(同コラム)こちらについてもそ の通りではないかと思います。後者の動機が当時の現実のアナキストや社会主義者に対するものだったのと同様に、やはり、前者の動機も当時の現実の朝鮮人に 対するものであった、と考える方が(縄文人の渡来人に対するルサンチマンと考えるよりは)自然だという気がするのです。

<太田>

 1の「政治家からもあまり聞かれなかった」理由、2の「インターネット等に」において「センセーショナル」な議論が行われている理由、はなんだ、と私は問いかけているのです。
 3ですが、最初から十分でなかったことはもはや明かではないでしょうか。
 外交・安全保障に関係する仕事、国家の存立に関わる仕事をほとんど全面的に宗主国米国に「外注」していたから一見日本人だけで十分なように錯覚していただけです。
 その結果が日本の文科系を中心とする学問の深刻な停滞であり、ジャーナリズムの堕落であり、政官業の退廃・腐敗です。
 そして今や、医者・看護士・介護士・保育士・お手伝いさん、ブルーカラー労働者、農業従事者等々ありとあらゆる職種において、日本は深刻な人材不足に直面しているのです。

<Yoshu>

 「NLPで役人を辞めた私」シリーズ(逐次公開中)を読んでいて、今、NHKスペシャルでやってる日米関係のシリーズでの話を思い出しました。1月27日放送の深まる日米同盟の回でしたが、アメリカ側は、日本側が自分たちで重要課題を決定出来ずに、アメリカ側の顔色を伺うことしかしないと、憤慨していると言っていることです。このNLPでの日本側の態度も、自分達では積極的に打開策を考えてないから、アメリカ側が憤慨しているのですね。

<太田>

 NLP問題を通じて見えてくるのは、外交・安全保障を自らの意思で外注しながら、これを請け負った米国の邪魔ばかりしているのが日本国民であり日本政府だということです。
 敗戦時、負けっぷりのよさで世界をうならせた日本がここまで堕落してしまったということです。
 だから私は外注を取り消せ、自立せよ、と主張しているのです。

<ちんみ>
 
   --閑古休題--

 「国の起源」で、こんな話があります。(バックミンスターフラー)

昔、羊飼いの一族が羊を放牧していると、
馬に乗って棍棒を持った男が現れた。男は言った。
「ここは俺の土地だ、それにこの土地は危ないんだぞ」

次の朝、羊が何頭もいなくなっていた。再び男が現れ、
「だからこの土地は危ないといっただろう。
どうだ、俺が守ってやろうか」

羊飼いの一族の長は、しかたなく男と契約をむすび、
この土地で放牧をすることを認めてもらい、
羊を守ってもらうかわりに、
一年に羊を10頭を男に差し出すことにした。

しばらく何事も無く過ぎたが、
ある日別の男が馬に乗って棍棒を持って現れ、
「この土地はほんとうは俺の土地だ」と主張し始めた。
こうして、土地の所有を巡る果てしない争いが始まった。

 ↑今世界を動かしているのは、馬に乗って棍棒を持った男たちの末裔であり、その末裔たちの後釜争いを 羊飼いたちにはわからないように、時代の経過ととも にいかにも尤もらしく(羊飼いたちのために〜との名目で)ルールをつくり行っているのが、現在の線引きされた国々であり、盲従しているのが(自ら進んで隷属するように仕向けられて)我々民である・・ようにもみえますが、如何なものでしょうかね。
 30年近く前の話ですが、私の友人である警察官が、ど田舎の駐在所(〜所長!ですネ)に一家で転勤したとき、周囲の(と云っても数十キロ範囲)の農家の おっさんたちが日本酒などを持って新任祝にこの駐在所に集い、暫し、飲めや〜うたえや♪の大騒ぎ…で、酔っているにも拘らずこのおっさん連中は車で帰ると 言い出し、友人は慌てて止めたのですが、「なに〜堅いこと言うなよ〜大丈夫だ〜♪」と、志村ケンみないなこと言って帰途に着いた・・とのこと。 ぼやくこ としきり。
 歓迎してくれてありがたい?のでしょうが、ルールなどなかった世界に勝手にルールをつくり出し、それを履行させよう〜なんぞとの不遜な輩が、後からしゃしゃりでてきた“国”とやらではないでしょうかね。

 金や株式ほか博打まで相場は、胴元が儲けることと、文字通り「相場が決まってます」。
 食料・水・エネルギーなどの生殺与奪権は支配者側にありますね(F1ばかり。在来品種絶滅が加速を増している)。
 日本も、政官業の鉄のトライアングルと称されているシステムの下で利権を守り抜くことのみに必死になる結果が、この国の姿。 で、スタグフレーションですか・・。

<太田>

 よく分かんないのですが、お気持ちは私と同じ、と受け止めさせていただきました。

<ueyama>

>一応、役所の人から他方の国籍を離脱するように努力せよ、とは説明されますが、何か証明を出す必要はありません(バグってハニーさん・コラム#2330)

 は、お恥ずかしい話で、全く知りませんでした。てっきり日本国籍を選択したらもう一方の国籍は自動的に破棄されるか(よく考えたらこれはあり得ませんね)、 一方の国籍を捨てた証明をしなければ日本国籍を選択できないのだと思っていました。確かに「日本の国籍法は、・・・自己の志望によらず外国国籍を取得した 日本人が自動的に日本国籍を失っては困るので、日本国籍留保・選択が認められ、重国籍の解消は本人の自由意志に任されています」(
http://www.gcnet.at/citizenship/dual-citizenship.htm
)とあります。本人の意志によらない重国籍の運用がこうであるなら、なおさらいわゆる本人の意志による日本国籍取得(!=選択。いわゆる帰化)時の重国籍も認められるべきだろうという気がします。

 前後しますが、

>日本には実質的に移民が存在していない。だから、外国籍の外国人の参政権を議論することには意味がない(バグってハニーさん・コラム#2330)

 入国時に移民として入ってくる外国人は、遠江人さんが記載されたとおり、実質存在していないといってもいいのですが、実際問題として定住している外国人は 特別永住者である(日本国籍を失った)在日韓国・朝鮮人だけではなく、永住者349,804、定住者265,639、日本人の配偶者等259,656人 (2006年末現在。
http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan53-2.pdf
)がおり、特別永住者に対する対応だけでは、当然特別永住者に対する解決にしかならないわけで、やはり、(移民容認・不容認に関わらず)特別永住者以上に 存在する定住外国人の参政権に関しては、重国籍を認め、日本国籍取得をもっと容易にする、というような直接参政権を与えるものではないものも含め、議論する必要があるのではないでしょうか。
 私は徴兵制というのは、「歴史的な意義」でも純粋な「軍事的・技術的」な意味でもなく、(文脈は違いますが)太田さんの言うような「米国のために血を流 せるのか、それとも日本のためになら血を流せるか」(コラム#2316)という宣言であり、換言すれば、その国家のために命を捨てる覚悟がある、という意 思表示(多くの国では自由意志ではなく強制ですが)ではないかと思います。そしてその意思表示を行っているからこそ、その国の指針に関わる権利を持つの だ、という理屈です。であれば、「日本が韓国や旧西ドイツのような分断国家になるか、戦前みたく大陸侵略でもしないかぎり、徴兵制を議論することに意味は ない」(バグってハニーさん・コラム#2330)とはいえないし、「日本が旧日本帝国領域内の住民以外の移民を受け入れる段階になる以前に、徴兵制の(憲 法上の)復活を図るべきである」(太田さん・コラム#2332)というのに私は首肯することができます。
 ところで上記の理屈によると、いっそのこと徴兵・徴用制に同意したものに参政権を与える(日本在住であれば国籍は問わない。日本国籍のものも同様)としたらいかがかと思います。そうすれば、参政権も、さらに言えば民主主義もいらない、と考えているような人間が、その権利を行使しない、という消極的なもの ではなく、明確に参政権を捨てることも可能になります。(どうしてもある程度の、普通に考えれば相当の差別が予想されるので、差別に負けて徴兵制を受け入 れる、という自由は残しておいてほしいですけど(逆(離脱)はたぶん原則不可でしょう))
 (米国のSelective Service Systemとの違いは、義務ではなく、参政権と完全にリンクする、ということです)
 あまりに非現実的なので半分冗談です。

<太田>

 議論を通じて皆さんの認識が相当深まってきたと思うので、そろそろアングロサクソンにおける徴兵制の意味についてお話してもよかろう、という気になりました。
 皆さん、さぞ頭の中が混乱されることでしょうが、口幅ったいけれど、太田コラムの読者の方々は、私と共に、戦後日本の知の地平線を超える旅をしているのであって、その旅は平坦な道ではない、ということでお許しを願います。
 最近、キング牧師が1965年1月にジョンソン大統領と交わした電話会談の中身が公開されたのですが、ジョンソンが次のように発言しています。
 「われわれは米国に生まれた全ての人が、一定の年齢に達したら投票する権利を持つという立場をとっています。戦う権利を持っているのと同様にね。だからわれわれは、投票権を黒人であれメキシコ人であれ、誰に対しても付与すべきだと思うのです。」
 これは、黒人が憲法上持っている投票権を現実に行使できるようにするための投票権法(Voting Rights Act)にジョンソンが署名する7ヶ月前の会談なのですが、ここで注目して欲しいのは、ジョンソンが、米国民が「戦う権利」を持っていることを(投票権を持っていること以上に)当然視していることです。
 (以上、
http://www.nytimes.com/2008/01/27/weekinreview/27tapes.html?_r=1&oref=slogin&pagewanted=print
(1月30日アクセス)による。)

 私が何を言いたいかというと、米国では、憲法上の徴兵制度とは、米国民一人一人が武器をとって敵と戦う権利を持っていることの延長線上の制度であり、徴兵義務というよりは徴兵に応じる権利に近い存在ではないのか、ということです。
 (厳密に言うと、一人一人の戦う権利の集合体である民兵と、国が設置する軍隊とはアングロサクソンの頭の中では明確に区別されているのですが、ここでは立ち入りません。)
 アングロサクソンでは戦争が生業であると申し上げてきたことの一つの表れが、ジョンソンの発言である、と私は受け止めた次第です。
 徴兵は義務であるというイメージでわれわれは議論してきたわけですが、アングロサクソンには、理解不能な議論をしているのかもしれない、という自覚を持った方がいいのではないでしょうか。

<FUKO>

 太田氏は移民により日本社会に「多様性」が得られ、リーダーたる人物を産み出す事が出来る。とおっしゃりますが、「多様性」を得るための手段は移民の他には考えられないという事ですか?
 例えば留学生交換を活性化させるといった方法では代替不可能でしょうか。

<太田>

 留学生を増やすためには、本国に帰っても日本と関わりのある仕事に就きたい、日本で仕事に就きたい、日本に永住したい、日本の国籍をとりたいという人も増やさないとダメです。
 そのためにも、日本が移民を受け入れた形の多様性ある社会になる必要があるのです。
<FUKO>

 コラム#2172を読むに、どうやら太田氏と私(たち?)の隣国韓国の認識にかなりの差があるようです。

<太田>

 もともと韓国の反日感情なんて表層的なものに過ぎなかったというのが私の考えですが、最近では日韓両国民の意識が一層接近してきていることをご認識下さい。
 日本のつい最近までの韓流ブームなど問題にならないほどの、現在の韓国の日本ブーム(
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200801/200801100013.html  
。1月10日アクセス)をご覧じよ。
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太田述正コラム#2335(2008.1.31)
<新裁判雑記(続)>

→非公開

太田述正コラム#2332(2008.1.30)
<皆さんとディスカッション(続x52)>

<遠江人>
 
>日本人・日本政府の移民に対する態度は、日本が属国の立場であることと関係があるのではないでしょうか?(コラム#2330。rotbelleさん)

 大いに関係あると思います。
 太田さんの以下の言のとおり、
 「考えてみると、日本が敗戦によって180度変わってしまったことの第一が軍事の放擲だとすれば、第二が移民容認から移民拒否への転換であり、この二つの根っこは同じではないかと思うに至りました。」
 属国になったことが契機になっていることは疑いの無いことのように思います。
 そしてコラムで度々言及されていることですが属国化を望んでいるのは他ならぬ日本自身であり、日本をそうさせている原因を解く鍵となる可能性があるのが縄文・弥生モード論ではないでしょうか。

 私は日本の古代の歴史の知識はほとんど無いし詳しく調べることもできそうにないので、みなさんの縄文・弥生モードについての積極的な議論を興味深く見守らせていただいていますが、一つだけちょっと感じていることを言わせてください。
 世間でもよく言われていることで以下のコラムでも言及されていることですが、

太田述正コラム#276(2004.3.2)
<縄文モードの日本>
http://blog.ohtan.net/archives/50955557.html

ネット等で江戸時代の庶民の文化(挿絵入り読み本、浮世絵(春画を含む)、風刺、等々)を見たり読んだりするにつけ、戦後のサブカルチャーやオタク文化といったものと、いろんな意味でよく似ているなぁと感じることが多々あります。平和で経済的にも余裕のある世の中である一方、大きな変化や波の無い平坦な日常が続く中で、閉鎖しているのに開放している文化、というか・・・。ここらへんはうまく言葉にできませんが、こんなところからもやっぱり今は縄文モードなのかなぁ、などと思ってしまいます。

<大阪視聴者>

 地方参政権とか人権擁護法とか盛り上がりそうなお話を提案させていただきました。うーん、議論は活発になりましたが、ブログランキングは下がりましたね。
 多くの太田ブログ読者にとっては、議論の内容が気に入らなかったのかもしれません。
 太田さんも縄文モード・弥生モード論で活性化してましたしね。
 妄想ですよ。いくら自然科学でないといっても酷すぎます。

<太田>

 ついに私の縄文モード・弥生モード論そのものの根底的批判が現れたか、と心が躍ります。
 ぜひ、もう少しご意見をお聞かせ下さい。

<オリン>

 アメリカの大統領選挙の太田分析(〜コラム#2329。未公開)を読ませていただきました。黒人、ヒスパニック、格差のある白人種、男女別、資本・労働が、判りやすく混沌とする様子が観えるのがアメリカですね。それもお祭り気分で。日本となると、本来ごちゃ混ぜ人種なのにヤマトでないと落ち着かない人たちがいる他は、在日複合外国人種、非差別、アイヌ、琉球、都会・田舎、等、まったくアメリカのそれと同じなのに、「偽」と陰湿さを感じています。音楽をアバウトな5線譜にしてしまうような合理性と賢さを彼らから学び取りたいと思います。

<バグってハニー>

  NYタイムズは一応、共和党の候補としてはジョン・マケインを推しているので(消極法ですが)。私の一押しなので、ご参考までに。
Editorial
Primary Choices: John McCain
http://www.nytimes.com/2008/01/25/opinion/25fri2.html?_r=1&ref=opinion∨ef=slogin

 話は変わりますが、ブット氏だけじゃなくてムシャラフ大統領も英語が流暢なんですねえ。
ムシャラフ大統領を見た
http://geopoli.exblog.jp/7980789/

<太田>

 インド同様、多言語社会であるパキスタンも、指導層の共通語は英語です。
 英語が流暢じゃなきゃ陸軍でエラくなれません。
 いわんや、陸軍参謀総長や大統領になどなれません。

<バグってハニー>

太田先生へ。
法律論と政策論は完全に区別して議論できる代物じゃあないと思いますが。両者は相補的な関係にあるものでしょう。
 SSSのサイトには女性の徴兵についても書かれていました。現在、女性は徴兵登録制度から除外されています。これは徴兵法にそのような規定があるからです(法律論)。一方で、米軍には女性兵士は第一線では用いない、という運用がある(政策論)。両者は鶏と卵の関係みたいなもんです。
さらに、徴兵法の上位にある憲法には法の下の平等がうたわれている。だから、法の下の平等と女性の兵役免除の関係は繰り返し議論されている、と書かれていました。WWIIでは従軍看護婦の不足を埋めるために女性を徴用することも考慮されたそうです。女性の徴兵が必要な事態になれば、SSSにはその任務を果たすための準備はあると書かれていました。男女平等の理念や公共の福祉という概念は時代とともに移ろうものだからなのでしょう。
一応、URL
BACKGROUNDER: WOMEN AND THE DRAFT IN AMERICA
http://www.sss.gov/wmbkgr.htm

単純にいって、日本の政府がのんきな答弁をしてきたのは(法律論)、軍事が日本にとって差し迫った問題ではなかったからでしょう(政策論)。トルーマンが注意深くなくて、日本が旧ドイツのような分断国家になっていれば、日本の安全保障がこんなみょうちきりんな形にはなってなかったはずだと思います。

<太田>

 法律がからむ話になると、プロの法律家でない私と、俊秀なる基礎医学研究者であるバグってハニーさんとの間でさえ対話に齟齬を来すというのでは、裁判官と熊さん八さんが対話しなければならない日本の裁判員制度は、やはり到底機能しないであろうことが請け合えますね。

 私が法律論と政策論を混同するなと申し上げているのは、これまでの文脈の中では、憲法論と立法論を混同するな、という趣旨です。
 その上で、広義の徴兵制(以下、「徴兵制」という)に関し、憲法(憲法解釈を含む)でこれを禁止している例は、古今東西を見渡して、戦後の日本以外にないし、このような規定を憲法に盛り込もうとか、憲法を解釈変更して徴兵制を禁止しようとかいう動きが見られる国も一つもない、ということを私は申し上げているのです。
 ここまではいいですか。
 ですから、日本を除けば、ある国の国籍を持っている、あるいはある国の国籍を取得するということは、即、その国の(憲法上の)徴兵義務に服することを意味するわけです。
 つまり、(日本以外の)特定の国の国籍の取得を考えている人は、取得の申請をする前に、その国の(憲法上の)徴兵義務を負う覚悟があるかどうかを自問自答する必要がある、ということに皆さんの注意を喚起したいのです。
 これは、その国のその時点における法律に徴兵義務についてどう書いてあるか、あるいはその法律のその時点における運用がどうなっているか、とは全く無関係な事柄です。

 国籍保持に伴う保護受給権や納税義務、更には民主主義国における参政権についても、基本的に徴兵義務と同じことが言えます。
 どの程度の参政権や保護受給権を与えるか、どの程度の納税義務を課すかは立法論ですが、憲法上の参政権や保護受給権や納税義務そのものを廃止する憲法改正や憲法解釈変更は、およそ考えられませんよね。
 
 ところが、戦後の日本では、世界でただ一国、憲法(解釈)上、徴兵義務を否定してしまったわけです。
 それにしても、

>単純にいって、日本の政府がのんきな答弁をしてきたのは・・、軍事が日本にとって差し迫った問題ではなかったからでしょう・・。トルーマンが注意深くなくて、日本が旧ドイツのような分断国家になっていれば、日本の安全保障がこんなみょうちきりんな形にはなってなかったはずだと思います。

には目が点になってしまいました。
 敗戦によって日本は幕末期とほぼ同じ領域に戻ったわけですが、幕末には基本的にロシアだけが日本にとって安全保障上の脅威であったにもかかわらず、当時の日本の指導層は「軍事が日本にとって差し迫った問題」であると考えたとのに対し、戦後はロシア(ソ連)に加えて支那(中共)まで安全保障上の脅威になったというのに、日本の指導層が「軍事が日本にとって差し迫った問題」であるとは考えなくなったのはどうしてだとお考えですか。
 日本が分断国家にならなかったことが最大の原因だなどとおっしゃっていてよろしいのですか。

<バグってハニー>

1 あと、もう一つおかしいと思うのは、日本では日本人にも兵役がないわけで、外国人も日本人も兵役がない点においては同じであるわけですから、兵役の有無をもって外国人を区別することを正当化できないと思います。日本人からも参政権をなくすべきだ、という主張だったらともかく。
2 もう一つ書くと、自衛隊には国籍条項がありますよね。米国では志願することによって参政権への道が開くのに対して(SSSへの徴兵登録は帰化の要件でもあります)、日本ではこの道が絶たれている。日本は参政権を求める外国人に対してあまりにも理不尽じゃあないですか?日本は移民を前提としていないので当たり前といえば当たり前なのですが・・。
3 そもそも、女性が参政権を得たのはそれによるメリットがデメリットを上回ったからじゃなくて、社会の半分を構成する女性が政治では代表されないのはおかしい、という政治的不正を正すためじゃないですかね。
 在日も日本の社会の一定勢力である以上、それが代表されないのは政治的に公正でない、ということになると思いますよ。男女間と同様に日本人と在日の間で価値観・利害の衝突は今まで同様に続くでしょうが、不満があるんだったら社会から出て行け!というのであれば、それこそ社会は成り立たないのと違いますかねえ。

<太田>

1 については、おっしゃる意味はよく分かります。
 今まで申し上げたことがなかったけれど、私は、日本が旧日本帝国領域内の住民以外の移民を受け入れる段階になる以前に、徴兵制の(憲法上の)復活を図るべきであると考えています。具体的には、憲法改正をして憲法第9条第2項を廃止すればよいだけのことですが・・。
 なお、日本への永住権を持っている外国人に中央レベルの選挙権を与えるべきではないと私が主張しているのは、それでは国籍を保持している人との差別化を図れないからです。被選挙権を現実に行使できる人なんて、国籍保持者でさえほとんどいないのですからね。
 しかも将来、日本で徴兵制の(憲法上の)復活がなった暁には、永住権を持ち、かつ中央レベルの選挙権を持った外国人は、徴兵義務を負わないだけに、特権的な立場になってしまいます。
 これは避けたい、というのが私の考えなのです。

2 については、全く同感です。
 日本が仮に移民を受け入れないという愚劣な政策を続けるとしても、そして続けるならばなおさら、外国人を自衛官に採用できるようにすべきでしょう。
 さもないと、少子化社会の中で、自衛隊を維持できなくなります。
 更に言えば、日本だって傭兵部隊、外人部隊を編成することを考えるべきです。

3 については、前段には同意します。
 後段については、日本人で「不満があるんだったら社会から出て行け!」と言っている人はほとんどいないのではないでしょうか。不満があるんだったら帰化しろ、という声があるのは確かですが、そんなにおかしな声だとは私は思いません。
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太田述正コラム#2333(2008.1.30)
<オバマ大頭領誕生へ?(続x3)>

→非公開

太田述正コラム#2330(2008.1.29)
<皆さんとディスカッション(続x51)>

<バグってハニー>

遠江人さんが(コラム#2325で)指摘している通り、日本には実質的に移民が存在していない。だから、外国籍の外国人の参政権を議論することには意味がない。
一方で、在日という例外がある。いろいろと軋轢を生んで、差別だ、逆差別だと騒がれている。ですから、在日という大きな問題の中に参政権という小さな問題が含まれているというのが私のスタンスなんですね。在日に日本国籍を付与すればすべての問題が一挙に片付くと。そういう感じの主張です。

次にUeyamaさん(コラム#2325)、

>二重国籍を(それらの人々だけにでも)認めることによって、在日(韓国・朝鮮人)の人も、台湾や朝鮮半島在住の方も、母国を(形式的にでも)捨てることなく、日本国籍を取得するという踏み絵さえ踏めば、参政権を得られるということです。
(中略)
※逆に、バグってハニーさんの主張のように、無条件に(強制的に)日本で生まれた外国人に日本国籍を与える、とした場合、在日(韓国・朝鮮人)の一部の人から反発をくらいそうです(あくまでイメージです)

反発されるからこそ、強制的に付与する、というのがミソなんですけどね。普通の日本人は日本人になることを選択してないでしょ。生まれたときから日本人なのであって、日本人であることにどれだけ反発しようが受け入れるしかない。
 ただし、Ueyamaさんの重国籍を認めるというのはいいアイデアのような気がします。
 帰化する際には重国籍が認められない、ということは書きましたけど、生まれたときから重国籍の人に対しては日本政府は実質的に重国籍を認めています。このような人は22歳になるときに国籍選択届けを出す必要があるのですが、これは日本国籍を選択する、と宣言するだけです。一応、役所の人から他方の国籍を離脱するように努力せよ、とは説明されますが、何か証明を出す必要はありません。特別永住者も生まれたときから重国籍の扱いにすればいいかもしれないです。日本国籍選択届けが最低限の「踏み絵」になります。それすりゃしない人は参政権なんて要らないんでしょう。

 また、太田先生、

>バグってハニーさんもやはり日本人だったのですね。(太田。コラム#2322)

自分では自分のことを日本人だと思ってますけどね。ただ、私のように「日本で生まれたら日本人にしろ」と主張する日本人は普通いないと思いますけど。
 徴兵制のことを指しているのでしたら、歴史的な意義はともかく現代では軍事的・技術的に徴兵制は意味がない、軍事にかまけている米英でさえ徴兵制が復活することは考えられない、いわんや平和主義の日本をや、ということです。
 日本が韓国や旧西ドイツのような分断国家になるか、戦前みたく大陸侵略でもしないかぎり、徴兵制を議論することに意味はないですよ。

>特にご議論の「2」の部分は、かつてないほど筆が粗いですね。(太田。同上)

いや、人のこと言えないですよ。外国人参政権に関して、先生もずっと雑駁な議論を続けていますよ。例えば

>検討したことがないので、アバウトな議論であることをお断りしておきます。(中略)フツーの国では、国政への参政権を得るということは、徴兵の義務を負うことと同値です。権利には義務が伴うということです。(太田。#2201)
>いずれにせよ、どれだけ米国や日米関係について知識をお持ちであろうと、最終的には、米国のために血を流せるのか、それとも日本のためになら血を流せるか、が「独立」か合邦かを選択するメルクマールだと思います。独立国の憲法で、市民の徴兵義務を免除しているものはないからです。(太田。コラム#2310)
>最後に、私が国政レベルの選挙権を与えるべきではないと考えるのは、普通の国では国政レベルで選挙権が与えられた外国人は徴兵の対象となるところ、日本では、外国人に義務抜きで権利を与えることになってしまうからです。典拠をつけなくてすみません・・。(コラム#2316)

というように、肝心の典拠がありません。というわけで、ちょっとだけ調べてみました。米国では徴兵制は形式的に存続していると書きましたが、それはSelective Service Systemのことです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Selective_Service_System

18歳から25歳までの男子全員には、来るべき徴兵に備えて登録する義務があります。それで、こちらではどのような人が対象になるのかチャートになってます。
http://www.sss.gov/must.htm

これをみると参政権のない外国人も、永住者、不法移民を含めて、徴兵対象であることが分かります(ドキュメントのない不法移民も登録せよ、というのがアメリカらしい)。ですから

>フツーの国では、国政への参政権を得るということは、徴兵の義務を負うことと同値です。(太田)

というのは間違いです。米国では国政レベルの参政権がなくても徴兵され得るからです。フツーの国とは?とかいう定義は別にして。ただし、太田先生の主張は包含関係として「参政権を持つ人≦兵役対象者」(「同値」つまり必要十分条件ではなくて兵役は参政権を得るための必要条件であって、十分条件ではない)というようにも読めるので、それならまだ正しいです。

<太田>

 米国は(日本とは対蹠的な意味で)必ずしも「フツーの国」ではありません。
 それはともかく、あなたご自身が示唆されているように、その米国では徴兵に応じたり、軍隊に自ら志願した場合、永住権や国籍付与に便宜が図られることになっているはずです。
 つまり、米国は、「兵役は参政権を得るための必要条件であって、十分条件ではない」国の一つ(唯一の国?)・・ただし、この「国」の中には日本は含まれません・・なのです。
 いずれにせよ、米国を含む(日本を除く)どの国でも徴兵(兵役志願を含む)と参政権はリンクしているということは認めていただけるのではありませんか。

<バグってハニー>

「日本では徴兵は憲法で禁じられている」という主張の根拠も見当たらなかったので調べてみたらこんなのが出てきました。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/093/0020/09310300020006c.html

ずっとスクロールして最後のほうです。徴兵制に対する内閣法制局の見解

「一般に、徴兵制度とは、国民をして兵役に服する義務を強制的に負わせる国民皆兵制度であって、軍隊を常設し、これに要する兵員を毎年徴集し、一定期間訓練して、新陳交代させ、戦時編制の要員として備えるものをいうと理解している。このように徴兵制度は、我が憲法の秩序の下では、社会の構成員が社会生活を営むについて、公共の福祉に照らし当然に負担すべきものとして社会的に認められるようなものでないのに、兵役といわれる役務の提供を義務として課されるという点にその本質があり、平時であると有事であるとを問わず、憲法第十三条、第十八条などの規定の趣旨からみて、許容されるものではないと考える。」

 憲法で徴兵を禁じるというのは間抜けな国だとは思いますが、矢山委員が噛み付いているように、一律全面的に禁止しているのではなくて、「もし公共の福祉に照らして、当然負担すべきものだと社会的に認められるようになったら、これは容認される」というようにも読めます。多くの国で平時徴兵が廃れたのは、市民による多大な負担に比べて軍事的メリットつまり公共の福祉がほとんどないからであって、憲法云々を別にすれば、徴兵制がとても受け入れられそうにない米英の議会でも、似たような答弁が返ってきそうな気がします。

<太田>

 法律論と政策論を混同するな、と何度言ったら理解していただけるのでしょうね。

>「もし公共の福祉に照らして、当然負担すべきものだと社会的に認められるようになったら、これは容認される」というようにも読めます。

 読めるわけがないでしょ!

<ueyama>

>そもそも、「阪神淡路大震災時に・・強姦・略奪等が行われた」ことはありうるとしても、それが極めて少なかったからでしょう、ほとんど報道されなかったことも事実であり、そのことが国際的に称賛されたことを記憶しています(典拠失念)。

 私もそのような(国際的に賞賛された)記憶がありますが、これはその通りで、「関東大震災の際の出来事の異常さが際だってくる」(コラム#2327)というよりむしろ、阪神淡路大震災は様々な理由から(国際的に賞賛されたことからもわかるとおり)特別に穏便に事が収束したと見るべきではないでしょうか。「日本は地震のおかげでようやくアジア並みになってきたのである」(神戸難民日誌/津村喬/1995年)とにわか難民気分で馬鹿発言ができるほどには平和だったのです。翻って、関東大震災時には甘粕事件(憲兵隊による日本人アナキスト殺害事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%98%E7%B2%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6
)や亀戸事件(軍部による日本人自警団員および社会主義者殺害事件
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%80%E6%88%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6
)といった朝鮮人とは関係のない事件も起こっています。ですから、「「火事場殺人」という言葉がない以上、関東大震災時の朝鮮人虐殺は「混乱期に起こる想定の範囲内のもの」とは言えない」(コラム#2327)とは思いませんし、朝鮮人虐殺が起こってしまった理由は、「当時、日本本土に働きに来ていた朝鮮人の殆どは日本語が不自由であり、仕事に困り罪を犯す者もいたため日頃から日本人の印象は悪かった」(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E6%9D%B1%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
)からで、これはその当時の現実としての朝鮮人観によるものであり、やはり縄文人のルサンチマンは関係ない、少なくともその主要因ではないのではないかと思います。

 同様に、現在の日本人による外国人移民拒否感情は、現在の現実としての外国人観(前に述べたとおり、誤解も含んだ在日韓国・朝鮮人優遇政策や、在日・来日外国人の犯罪率が高い(多くはデータには基づかない印象、あるいは不充分な検証による結論)、また、その印象から治安悪化(これまた印象)の原因を在日・来日外国人に求めてしまう
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E7%8A%AF%E7%BD%AA
http://www.mars.dti.ne.jp/~saitota/hitori040506.htm
http://d.hatena.ne.jp/napsucks/20071202/1197098450
)によるものであり、やはり縄文人のルサンチマンは関係ない、少なくともその主要因ではないのではないかと思います。

<太田>

>阪神淡路大震災は様々な理由から・・特別に穏便に事が収束したと見るべきではないでしょうか。

 そうでしょうか。
 日本では、戦災、敗戦、累次の大地震等の大災害時において、こそ泥こそあっても、掠奪・強姦なんてほとんど起こった試しがないのではないですか。
 いや、関東大震災の時だって掠奪・強姦の話はほとんど伝わっていないのでは?

 さて、私がコラム#2325で、「仮定する」、「可能性がある」、「気がする」といった言葉を連発したように、

1 移民問題
 一、敗戦を境に日本は移民許容社会から移民拒否社会へと180度変わった。
 二、その背後に日本社会の縄文モード化があった。
 三、関東大震災の際の朝鮮人虐殺は、その前兆の一つであった。

という三つの命題は、いずれも呱々の声を挙げたばかりの仮説的命題にすぎない一方、

2 軍事問題
 一、敗戦を境に日本は軍事を尊ぶ社会から軍事を放擲した社会へと180度変わった。
 二、その背後に日本社会の縄文モード化があった。

という軍事問題の二つの命題については、一は争い得ない事実であり、二は仮説的命題ではあっても、これまで長期にわたって読者の方々から全くご批判を受けなかったところを見ると、(自分で言うのもおかしいけれど)結構説得力のある命題なのではないでしょうか。
 いずれにせよ、移民問題の三つの命題の方は、そのいずれについても、一層の議論が必要だと思います。ご批判は望むところです。

 ところで、危機においては、往々にして個人やグループの深層心理が露呈するものですが、関東大震災時における自警団等による朝鮮人虐殺は、縄文人の末裔たる大衆の深層心理の病理的な噴出であったのに対し、ご指摘の甘粕事件や亀戸事件は、弥生人の末裔たる支配層の深層心理の露呈であった、ととらえることも可能なのではないでしょうか。
 つまり後者については、日露戦争を戦ってロシアに辛勝したばかりの当時の日本の支配層が抱いていた、ロシアに由来するアナキズムやマルクス・レーニン主義に対する安全保障上の警戒心が病理的な形をとって噴出した、と見るわけです。
 もっとも、警察や軍が行った朝鮮人虐殺もあるわけですが、これは警察や軍の末端、すなわち縄文人の末裔が、上層部の意向に反して行ったと解することになります。

<Yoshu>

 我々が、在日外国人参政権特に特別永住者について、いろいろ議論する前提に、彼らの本音・言い分を聞くのも必要ではないかと、思いますので。
視点ー参政権問題について考える
http://yeoseong.korea-htr.com/porappi/P205/205-5.htm

に(、戦争問題に絡められたりして嫌な気は起こりますが)、興味ある方はアクセスしてみてください。
 植民地時代にも参政権は与えられていたけれど、選挙なんて彼らの生活実態からかけ離れていたものであったことや、現在は、参政権(選挙権、被選挙権)がないという制限のために住民として声をあげることの出来ない実態であることなどの問題があげられています。

<rotbelle>

 どうも、有料会員の端くれですが初投稿です。
 「読者とのディスカッション」を読んでいてふと思ったのですが、日本人・日本政府の移民に対する態度は、日本が属国の立場であることと関係があるのではないでしょうか? 移民のもたらす利益なども、日本の現状から遥か遠い自主的存在である世界帝国の事例よりは、仏領インドシナにおける華僑の移民、フィジーにおけるインド系移民、満洲国における漢人の移民あたりと比較して論じた方が良いのではないかと感じます。

<FUKO>

 島国であり昔から(現在に至るまで)日本人以外の民族とのコミュニケーションに乏しい日本人にとって、移民は到底受け入れられないものではないでしょうか。現在でさえも在日外国人とのトラブルはよく耳にします。もちろん日本も世界の一員だから貢献しなければならないということは分かりますが、単に感情論から言って移民受け入れは非現実的だと言わざるをえないと思います。
 それに、(これはあくまでも私の体験に基づくものですが)日本の青少年の大部分が韓国にたいして「申し訳ない」という感情を持っていると推測されます。
 小学校ー中学校ー高校と、ほとんど洗脳に近いような情報を叩き込まれました。教育における教師、教科書の嘘についてはまた掲示板に書き込みたいと思いますが、少なくとも私の周辺、ネット上でコミュニケーションをとっている友人はそういう感情を持っています。また、このことは大部分の国民にも当てはまるかもしれません。
 このような異常な感情の中に移民が入ってくるのは日本人に少なくとも利益をもたらすことはないと思うのです。

<太田>

 私は、移民受入は日本の利益になるし、それは先進国である日本にとって義務でもある、と主張しているのであって、感情論を展開しているわけではありません。
 ご自身お分かりになっておられるようにも思いますが、移民受入に反対されるのであれば、典拠に基づいた議論をしていただく必要があります。
 典拠に基づかない議論だと、それこそ単なる感情論であると受け止めざるをえません。
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太田述正コラム#2331(2008.1.30)
<新裁判雑記(その3)>

→非公開

太田述正コラム#2325(2008.1.27)
<皆さんとディスカッション(続x49)>

<まこっちゃん>

 永住外国人に地方選挙権を与える問題は自公どころか民主内が割れそうです。
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200801260107.html

<ueyama>

 個人的な、私的な感情のみでの意見ですが、二重国籍を(国籍が複数という状態はある側面からは望ましくないのは確かですが)認め、いわゆる「外国人」の参政権(選挙権)は認めない、という方向が、外国人に参政権を、という議論の中では一番納得できる回答です。
 太田さんの「旧日本領(日本帝国領)」の移民を認めよう、という論にあわせれば、旧日本領の移民を無条件に認め、そもそもその地域の人たちは今でも日本国籍を取得しやすいはずですから、(実際にどのような運用がなされているかはわかりませんが、
http://www.moj.go.jp/MINJI/minji78.html#a09
日本と特別な関係を有する外国人(日本で生まれた者、日本人の配偶者、日本人の子、かつて日本人であった者等で、一定の者)については、上記の帰化の条件を一部緩和しています とありますので、拡大解釈すればそうとうハードルは低くなるでしょう)
 二重国籍を(それらの人々だけにでも)認めることによって、在日(韓国・朝鮮人)の人も、台湾や朝鮮半島在住の方も、母国を(形式的にでも)捨てることなく、日本国籍を取得するという踏み絵さえ踏めば、参政権を得られるということです。
 個人的な感情として、その踏み絵くらいは踏んでほしい、と感じます。
 日本帝国時代に内地に住んでいる朝鮮半島や台湾の人に選挙・被選挙権があったのは、(彼らは日本人だったのですから)当然のことでしょう。

※逆に、バグってハニーさんの主張のように、無条件に(強制的に)日本で生まれた
 外国人に日本国籍を与える、とした場合、在日(韓国・朝鮮人)の一部の人から
 反発をくらいそうです(あくまでイメージです)

 徴兵・徴用制に関して言えば、実際にそれが運用されるかどうかは別にして、存在するべきだろうと思います。
 スイスでは、女性が国レベルの参政権を得たのは1971年、州レベルの参政権を(全州で)得たのは1990年とわりと最近のことのようですが、それもやはり、女性が兵役義務を免除されていることが原因ではないでしょうか。
http://www.clair.or.jp/j/forum/series/html/switzerland/04.html

<大阪の川にゃ>

 韓国人はたとえ日本が二重国籍を認めても、日本国籍取得を拒否するでしょう。
 日本経済の恩恵は享受したいが、大韓帝国を併合した悪の日本国と歴史を共有したくない人達なのですから、どうしようもありません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%9F%93%E5%B8%9D%E5%9B%BD

<遠江人>

 移民メディア[Migrant Research Media] 日本の移民政策
http://realiser.org/migrant/info-japan.htm
からの引用をまずお読み下さい。

[移民政策]

 日本における移民政策は下記引用文に要約される。

 「日本では法執行的な意味での出入国管理政策は存在するものの、社会政策的な意味での移民政策は存在しない。日本は外国から移民を受け入れないためであり、外国人を入国の段階で永住者として在留許可することはない。原則として永住権の付与は、外国人が一時的滞在者として一定期間滞在し、条件に適合する場合のみ限定的に行われる。」*

*外務省調査月報 No.1 2003年 「オーストラリアの移民政策と不法入国者問題」
 http://www.mofa.go.jp/mofaj/annai/pr/pub/geppo/pdfs/03_1_1.pdf

[永住権]

 永住権を満たす主な要件は以下の通り。この項目に加え、「素行が善良であること」(前科などがない)「独立した生計を営める資産または技能を有する」こと、「日本の国益に合致すること」などが必要とされる。但し、日本人や永住者の配偶者、子供の場合は、この限りではない。

1.正規の在留資格にて継続して10年以上日本に滞在している人(留学・就学にて入国した人は、10年の内、5年以上の就労資格所持が必要)
2.「日本人の配偶者等」の在留資格を所持し、3年以上日本に住んでいる人
3.「永住者の配偶者等」の在留資格を所持し、3年以上日本に住んでいる人
4.「定住者」の在留資格を所持し、5年以上日本に住んでいる人
 なお、永住権には地方、国政ともに「参政権」は認められていない。公務就任権については、国家公務員に関しては外務公務員は法律で明確に否定、大学教授等は特別法で肯定、ほかは人事院規則で受験資格を与えないことで実質的に否定している。地方公務員に関しては、地方自治体が個別に門戸を開く動きがある。 *
http://www.interq.or.jp/
http://homepage3.nifty.com/takehara/eijyukyoka.html
*http://www.nira.go.jp/pubj/niranews/200001/n11.html

[国籍(市民権)]

 外国人の日本国籍の取得は「帰化」と呼ばれ、永住権取得とは区別される。日本では二重国籍の取得は違法とされているため、母国籍を廃棄しなくてはならない。この政策は、全世界的な多文化政策の潮流のなか様々な議論を呼んでおり、見直しを要望する声も多い。

 日本の国籍取得(帰化)は、その手続き根拠として国籍法第4条第2項に基づいている。主要条件は「善良であり、現在日本に住み、かつ5年(日本人との婚姻の場合は3年)以上日本に住所を有し、また引き続き1年以上日本に住所を有する人とされている。」加えて「自己または生計を共にする配偶者・親族の資産または技能によって充分な生計を営むことができること」とされている。

 申請は管轄の地方法務局で行い、担当官とのインタビューによって要件を満たしている人にのみ申請書類と手引書が渡され、添付書類についての説明が行われる。

 「許可、不許可は法務大臣の自由裁量で決定され、「国籍法に定める要件が全て満たされていても、必ず許可されるわけではない」ということが他の許可申請手続きと違うことに注意する必要」であり、法務省HPによれば「審査基準」も「不服申立方法」も存在しない、とのことである。

(参考)

 帰化許可申請についての詳細は以下引用URLに詳しい:
http://www12.ocn.ne.jp/~office/kokuseki2.htm
法務省: http://www.moj.go.jp/ONLINE/page.html
 過去5年の統計データは下記URL参照:
法務省民事局: http://www.moj.go.jp/TOUKEI/t_minj03.html

 出生時の国籍取得には血統主義を採用している。

 以上、引用終わり

 これらのことから分かるとおり日本は移民の受け入れをしていません。これだけ厳しい条件で、少なくとも普通の労働者には完全に扉を閉ざしています。
 さて、そもそも外国人参政権付与という問題は、’移民を受け入れている’先進国において始めて議論されたり実際に行われてきたりしたことだと思います。国籍の取得をしないもしくはできない在留の人々の権利をどうするかが考えられてきたわけです。日本は移民の受け入れをしていないのに外国人参政権付与がうんぬんされるのは結局、在日韓国・朝鮮人が主な対象だということでしょう。しかし在日韓国・朝鮮人は上記の永住権どころか国籍の取得も容易にできる恵まれた立場にいるにも関わらず、なぜ国籍の取得に踏み切らないかを考えると、特別永住者という特例的な措置があるからではないでしょうか。

特別永住者 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%B0%B8%E4%BD%8F%E8%80%85

 では特別永住者という特例を無くせば自然と帰化するようになって在日韓国・朝鮮人の問題は相当程度解決し、それに伴い相対的に在留外国人の数も少なくなれば、外国人参政権付与の問題も今ほど言われなくなって、めでたしめでたし、となるのでしょうか?
 結局のところ、在日韓国・朝鮮人問題も、戦後日本の移民拒否感情という強固な本音に端を発した、移民拒否政策の副産物でしかないのではないのでしょうか。程度の差はあれ先進’独立’国はどこも移民受け入れを自分の身を削って行って国際上相応の責任を果してきました。日本も早く’人並みに’移民を受け入れるようになったうえで外国人参政権付与の問題が議論されるようになればいいですね。

<太田>

>在日韓国・朝鮮人問題も、戦後日本の移民拒否感情という強固な本音に端を発した、移民拒否政策の副産物でしかないのではないのでしょうか。

 まことに鋭いご指摘ですね。

>程度の差はあれ先進’独立’国はどこも移民受け入れを自分の身を削って行って国際上相応の責任を果してきました。日本も早く’人並みに’移民を受け入れるようになったうえで外国人参政権付与の問題が議論されるようになればいいですね。

 全く同感です。
 考えてみると、日本が敗戦によって180度変わってしまったことの第一が軍事の放擲だとすれば、第二が移民容認から移民拒否への転換であり、この二つの根っこは同じではないかと思うに至りました。
 幕末までの日本の支配層(貴族・武士)は基本的に弥生人の末裔であり、被支配層は基本的に縄文人の末裔だと言えるのではないかと思いますが、弥生人の日本列島渡来は、軍事を放擲していた縄文人が武力抵抗を行わなかったため、基本的に平和裏に行われたものの、被支配民へと転落した縄文人はこの時の屈辱と怒りを深く胸に秘めて2000数百年を生きてきた、と仮定するのです。
 明治維新後の日本帝国の形成に伴う朝鮮半島等の住民の流入は、この縄文人の末裔達に先祖の怒りをフラッシュバックの形で蘇らせた可能性があると思いませんか。
 1923年の関東大震災の際の在日朝鮮人虐殺は、この感情の噴出である、ととらえるわけです。
 1925年の普通選挙権の付与によって、縄文人(の末裔達)が弥生人到来以後初めて法理論上日本の実権を回復したところ、爾後急速に縄文モードへの転換が進み、日本の敗戦によって日本の縄文モード化が完成した、と考えると平仄がぴったり合うような気がするのですがいかがなものでしょうか。
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太田述正コラム#2326(2008.1.27)
<守屋かく語れり>

→非公開

太田述正コラム#2322(2008.1.26)
<皆さんとディスカッション(続x48)>

<大阪の一読者>

 「たかじんのそこまで言って委員会」でご意見を拝聴したのがきっかけで,先月からメルマガ(まぐまぐ)読者になりました。本質からの遠近に関するご感覚,情報の信頼性に関するご判断,典拠に関するご姿勢,などに共感いたしております。一度まとめてお考えを拝読したいと思いご著書の購入を申し込みます。よろしくお願いいたします。

<太田>

 拙著ご注文ありがとうございます。
 以下の議論も参考にしていただければ幸いです。

<バグってハニー>

1 米国の場合、外国人には参政権ないです。永住権(グリーン・カード)もっててもだめです。と書くと、日本と変わらないように響きますが、さにあらず。なんとなれば、米国は日本と比べて国籍取得の要件がかなり低いからです。永住権とって(それが大変ですが)5年くらい住めば簡単な手続きで帰化することができます。
参政権がほしけりゃ帰化すればいいだけだ、という意見が目立ちますが、日本の場合、帰化するのには大変な決心が要ります。かつては帰化する場合、一家丸ごとが原則だったので、親に反発する在日の子供が個人で帰化する、なんてこともできませんでした(今は変わっているとは思いますが)。また、日本は重国籍を認めていないので帰化する際には原国籍を放棄する必要があります。これは故国と訣別するという一大決心を強いる心理的圧迫となります。米国は重国籍にとんちゃくしません。そんなちんけな制限で国家に対する忠誠を確保する必要がないのでしょう。ちなみに、中国は日本以上に重国籍に厳しいです。パスポートの更新の際にかならずビザの状態がチェックされ、その際にビザを持っていないことが分かると(つまり帰化したことがばれると)、有無を言わせずに中国籍を剥奪します(カナダに帰化した中国人から聞いた話。帰化する前に後一回だけパスポート更新しとけばよかったとか)。
外国人参政権というと在日二世三世が主な対象だと思いますが、米国ではそもそもこんな問題は生じません。なぜなら国籍には生地主義を採っているので、移民の子孫には米国に生まれた時点で一律に市民権が付与され参政権が与えられるからです。ですから、外国人の子孫に対して制度として(タテマエとして)差別・区別は存在しません。こういう違いはある意味当たり前であって、米国はあくまでも移民を前提として国が成り立っているんですねえ。
日本は血統主義です。もっと言うと、つい最近(1984年だったか)までひどい女性差別状態にあり、父系血統主義を採っていました(変更は国連の男女差別撤廃条約に批准する際に国内法を見直したから。ちなみに私の日本国籍はこのとき遡って救済されました)。ですから、伝統的な「日本人の定義」は、単純にいって「父が日本人であること」なんですねえ。在日が日本人と結婚した場合でも、日本人が母だと子供には日本国籍がいかなかったので、在日同士での結婚を重視するという風潮とあいまって、同化はほとんど進みませんでした。このあたりの事情も最近はずいぶんと変わっているとは思いますが。
私は個人的には在日問題なんてほとんど国籍法の問題だと思ってます。日本生まれの特別永住権者には一律に日本国籍を与えればよいのです。そうすれば、制度(タテマエ)としての差別・区別は胡散霧消します。「日本人は差別している」などと言われるいわれはなくなります。
私は今、外国で子育てしてますが、異国で子供を日本人として育てることのむつかしさを実感しています。というかほとんど放棄しています。日本語学校というのはありますが、これは帰国した際に日本の教育に遅れないようにという目的の元、運営されています。一方で、在日の中には子供を民族学校に行かせている人も多いですが、本国に帰る気配は毛頭見当たりません。ほとんど意味のないことに多大な努力を強いていて、正直バカだと思います。外国に何世代にもわたって外国人として居住し続けるなどというしんどい生き方をわざわざ続ける理由はどこにもないと思います。在日には、同化しやすい素地を作ったうえで同化させる圧力を加えればよいのです。自分の出自に誇りを持って朝鮮系日本人として立派に生きていけるような社会が私の理想です。私の子供もどんな国に住むことになってもそんなふうに生きていってほしいです。

補足ですが、米国はあくまでも生地主義の国であり、血統による国籍の相続は一世代に限って認められる特例となっています(さらに例外あり)。在日にたとえると、三世は韓国籍・朝鮮籍を取得できないことになります。韓国の国籍法がそんなふうになっていても、一気に同化が進むんですけどねえ。

2 移民受け入れ派の太田先生も「国政レベルでの参政権は認めるべきではない」とケツの穴の小さいことを仰ってますが、かつての大日本帝国はもっと太っ腹でした。朝鮮を併合すると、朝鮮人は一律皇国臣民として迎えられ、同化政策が採られました。外地では日本人を含めて選挙権はなかったのですが、内地では移民してきた朝鮮人には被選挙権も与えられ、朝鮮人の代議士も存在しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B4%E6%98%A5%E7%90%B4
「帝国」を目指すものはこれくらい包容力がなくちゃあならんでしょう。日本人もずいぶん矮小化したものです。
外地には選挙権がない代わりに徴兵制も敷かれませんでした。大戦末期にはそうも言ってられなかったようですが。外地にいた私の祖父はそのおかげで命拾いしました。ですから、「今の日本には徴兵制がないから外国人には参政権が認められるべきでない」という太田先生の理論は有効なような気もしますが、現代ではナンセンスでしょう。主要な民主主義国家の中で未だに平時から徴兵しているのは思いつく限りでドイツ、スイス、韓国、イスラエルくらいでしょう。徴兵は伝統的に適齢男子に限り、このうち女子も徴兵しているのはイスラエルだけだと思います(間違ってたらごめんなさい)。女子は徴兵されないから参政権を認めるべきではない、なんて誰も言わないでしょう。
米国には制度としては徴兵制は存続しており、タテマエとしては休止状態にあるだけですが、これだけ長く戦時下にあり戦力も逼迫しているというのに徴兵が復活する兆しは微塵もありません。英国は米国よりももっと前、ビートルズが登場したときに平時徴兵を廃止しています。
 それよりも有効な議論は納税という義務を果たしているのになぜ参政権が認められないのか、というものでしょう。米国が英国から独立する気運を盛り上げたのもこの理不尽な「代表なき課税(Taxation without representation)」でした。首都ワシントンは未だにこの理不尽と戦っています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD51%E7%95%AA%E7%9B%AE%E3%81%AE%E5%B7%9E#.E3.82.B3.E3.83.AD.E3.83.B3.E3.83.93.E3.82.A2.E7.89.B9.E5.88.A5.E5.8C.BA

<桜の花>

私は 法律で決められた日本人と言う条件が参政権を持つ為の必要十分条件で良いと思っています。
現代社会では これが解かりやすくて一番良いのではありませんか。
二番目に良くても必要はありません。参政権を与える事に反対です。
とってつけたような納税義務を果たしている人かどうかは 歴史的にはともかくとして、現代社会では 日本人でも参政権の考慮の対象にしていません。
現代社会では 日本人も在日の人も参政権以外では平等に日本の社会的恩恵を受けられております。
参政権がなくても仲良くいたしましょう。いかがですか。

<Master>

 外国人の参政権を認めて現実的にどれほどの問題があるのかが、ちいともわかりませんな。
 仲良くするとかしないとかは、参政権に関係おまへんわ。

<バグってハニー>

3 所沢さんのサイトの今日のアップデートも興味深かったですよ。
【質問】 戦後直後,神戸朝鮮人学校事件などの朝鮮人学校騒乱事件は何故起こったのか?
http://www21.tok2.com/home/tokorozawa/faq/faq03b.html#10644

>私は 法律で決められた日本人と言う条件が参政権を持つ為の必要十分条件で良いと思っています。

まあ、私も特にそれで異論はないです。私の主張は「外国人にも参政権を」というよりも「在日(特別永住権者)に日本国籍を」という感じですね。本国に帰る予定もないのに何世代にもわたって外国人として居住するというのは意味がないし、無理が生じるのも当たり前だと思います。問題は日本人・在日双方にあると思います。両者が歩み寄ることによって解決するべきでしょう。日本人の中にMasterさんのような人が増えてきて、在日も国籍や在日同士での結婚にこだわらないようになれば子供は生まれたときから日本人なので、自然と同化が進むと思います。
参政「権」はその名の通り、権利ですから、それを行使する上でどのような義務が伴うのかを考えるのは当たり前の議論だと思います。

>現代社会では 日本人も在日の人も参政権以外では平等に日本の社会的恩恵を受けられております。

皆が恩恵を受けられるのはその陰で納税者が存在しているからです。そして、日本人も外国人も税金を平等に負担しています。税金を納める人がその使途に口を挟むのは当然の権利だと思います。日本に住む外国人は税金以外にも社会的・文化的に日本の社会に貢献しています。帰化のハードルが高い以上、日本に住み、働き続ける永住権者に参政権を認めることは当然考慮されてよいと思います。


<太田>

 バグってハニーさんもやはり日本人だったのですね。
 1〜3にかけて、一人連歌的議論(コラム#1044)を展開されていて、全体として何がおっしゃりたいのか、イマイチよく分かりません。
 特にご議論の「2」の部分は、かつてないほど筆が粗いですね。

>朝鮮を併合すると、朝鮮人は一律皇国臣民として迎えられ、同化政策が採られました。外地では日本人を含めて選挙権はなかったのですが、内地では移民してきた朝鮮人には被選挙権も与えられ、朝鮮人の代議士も存在しました。・・外地には選挙権がない代わりに徴兵制も敷かれませんでした。

 コラム#2045で私が書いた話を繰り返さないでください。

>かつての大日本帝国はもっと太っ腹でした。・・「帝国」を目指すものはこれくらい包容力がなくちゃあならんでしょう。日本人もずいぶん矮小化したものです。

 使われているコラムがありすぎて一々引用しないけれど、私の常套文句じゃないですか。著作権法違反ですよ。
 さて、

>「今の日本には徴兵制がないから外国人には参政権が認められるべきでない」という太田先生の理論は有効なような気もしますが、現代ではナンセンスでしょう。主要な民主主義国家の中で未だに平時から徴兵しているのは思いつく限りでドイツ、スイス、韓国、イスラエルくらいでしょう。・・米国には制度としては徴兵制は存続しており、タテマエとしては休止状態にあるだけですが、これだけ長く戦時下にあり戦力も逼迫しているというのに徴兵が復活する兆しは微塵もありません。英国は米国よりももっと前・・に平時徴兵を廃止しています。

 これも以前にコラムか掲示板で説明したつもりなのですが、すぐには見あたらなかったので、ここで改めて説明しておきます。
 憲法(解釈)上徴兵義務が免除されているのは世界中で日本だけだ、ということが重要なのです。
 現時点で実際に徴兵制が施行されているかどうかなど私は全く問題にしていません。
 米国だって英国だって必要が生じれば、いつでも徴兵制は復活します。
 永久に復活しない可能性だってそりゃあるけどね。
 他方、日本では必要が生じたとしても徴兵制を導入することは憲法解釈上禁じられています。
 この違いは決定的に大きい、と私は言いたいのです。
 もう一点、私が徴兵と言う場合、それは、子供と老人と重度非健常者を除くすべての国民による(狭義の)徴兵及び徴用の総称を指しています。
 良心的戦争忌避者は(狭義の)徴兵に応じる必要はないかもしれないけれど、どこの国でも徴用には応じなければなりませんし、そもそも、徴兵適格者のうちどれだけを(狭義の)徴兵の対象とし、どれだけを徴用し、またどれだけを徴兵や徴用の対象にしないかを、フツーの国は(法律で、場合によっては超法規的に)一方的に決めることができるものなのです。
 女性だって昔は狭義の徴兵の対象にはしなかったものですが、次第に対象にする国が増えてきていますし、対象にはならなくたって、昔から徴用の対象ではあったのです。つまり、女性も男性も基本的にその扱いに違いはないのです。
 
>米国が英国から独立する気運を盛り上げたのもこの理不尽な「代表なき課税(Taxation without representation)」でした。

 拙著『防衛庁再生宣言』で、このような捉え方は極めて皮相的であると指摘したのですが、コラムでも同様の趣旨のことを申し上げたことがあるはずです。
 それは、英領北米植民地が英国から独立する気運が盛り上がったのは、英本国軍の英領北米植民地駐留経費の一部を負担させられることになったからであるということです。
 このことを言い換えれば、(英国議会に代表を派遣していないし、そもそも遠すぎて派遣できないこともあり、)自分達がコントロールできない軍隊の維持経費の一部を負担させられることに反発したからだ、ということなのです。
 つまり、米国の独立はカネの問題そのものが引き金になったわけではない、と私は言いたいのです。
 このように軍事を極めて重視するのがアングロサクソンなのであり、この点では世界中の国々は、日本よりもはるかにアングロサクソンの方に近いのです。
 ですから、税金よりも徴兵の方が、グローバルスタンダードに照らせば、はるかに重要な事柄なのです。
 お分かりですかな?

 この関連で、最後に一点だけ。

>参政「権」はその名の通り、権利ですから、それを行使する上でどのような義務が伴うのかを考えるのは当たり前の議論だと思います。

 はまさに私の主張しているところですが、

>外地では日本人を含めて選挙権はなかったのですが、内地では移民してきた朝鮮人には被選挙権も与えられ、朝鮮人の代議士も存在しました。<他方、>・・外地には選挙権がない代わりに徴兵制も敷かれませんでした。

 内地では朝鮮人に選挙権を与えた代わりに徴兵制も敷いたのでは?
 この点はどなたかぜひご教示いただきたいが、いずれにせよ、戦前の日本は、選挙権と徴兵とはリンクさせていたのに対し、選挙権と納税(当然日本人も朝鮮人も、内地でも外地でも所得のある者は納税していた)とはリンクさせていなかったということが窺えますよね。
 従って、本件での私の現在の主張は、「矮小化」する前の「太っ腹」であった日本人の常識を祖述しているだけだ、ということにもなるのではないでしょうか。

太田述正コラム#2172(2007.11.11)
<雑感(続)>

<MS>

 太田様、移民政策に関して質問があり、メール致しました。
 「移民受け入れ」と「皇室の存続」は両立できると思われますか?
仮に移民系の国民が日本人の過半数になった場合、彼らが天皇家を支持しなければ、皇室は存続できなくなります。したがって、移民受け入れに際しては、考えておかなければならない問題だと思いますが、どのようにお考えですか?
たとえば、英国の王室の場合、移民系の国民から支持されているのでしょうか?
太田様が滞在経験からどのような印象をもっておられるか、さしつかえなければ教えていただけると幸いです。
私自身は、天皇家の存続が守れる範囲で、移民を受け入れるべきだと思います。
ただ、多様性を尊重しつつも、国としてのまとまりを保つためには、アメリカのようある程度共通の理念が必要だと思います。したがって、移民をひきつけるような理念を提示できるかが重要なのではないでしょうか?単に商売をするためだけにくる人は、心の底からは日本を愛さないのではないでしょうか?

<太田>

>「移民受け入れ」と「皇室の存続」は両立できると思われますか?

 全く問題なく両立できます。
 下掲をご参照ください。

 「2001・・年12月23日、天皇陛下が68歳の誕生日に先立つ記者会見の席で、「桓武天皇の生母(お母さん)は百済の武寧王の子孫であると『続日本紀』に記されていることに韓国とのゆかりを感じています」と述べられたことがありました。古代の天皇家には朝鮮系の人たちもいたということですが、これは韓国人のあいだではすでに多くの人が知っていることでした。でも天皇陛下が、たくさんの日本人記者がいる前で述べられたということで韓国では大きく報道されました。古代日本における文明開化の主役は、朝鮮半島から渡ってきた人たち「渡来人」でした。朝鮮半島からは多くの渡来人が日本に渡ってきましたが、そのとき新しい文化や技術も日本に持って来ました。例えば、酒つくり、仏像つくりなど、半島から渡ってきた渡来人たちによってもたらされたものです。」(
http://www.blu.m-net.ne.jp/~tashima/c5.html
。11月11日アクセス)

>多様性を尊重しつつも、国としてのまとまりを保つためには、アメリカのようある程度共通の理念が必要だと思います。したがって、移民をひきつけるような理念を提示できるかが重要なのではないでしょうか?単に商売をするためだけにくる人は、心の底からは日本を愛さないのではないでしょうか?

 英国を始めとするまともなアングロサクソン諸国では、米国のような「共通の理念」などなしに、多様性を尊重しつつ国としてのまとまりが保たれています。
 日本に関しても、「共通の理念」などないことがむしろ移民受入に有利に働くのです。
 (アングロサクソンは個人主義、日本は人間主義の社会ですが、これらは「共通の理念」というより、way of life と言うべきでしょう。)
 よりよい生活、より安全な生活を求め、自分の国を棄てて日本にやってくる人々が日本を愛さないなどということがありえましょうや。
 逆にお聞きしますが、あなたは「心の底から」「日本を愛」しておられますか。
 日本人一般はどうでしょう?

<通行人1>

 EUを見ても、アメリカを見ても移民は短期的には経済を活性化させますが、結局は大きなお荷物になります。
 アメリカを始め、フランスでもイギリスでも移民に対する規制が厳しくなっています。また最近不法移民を無条件に受け入れたスペインでは大問題になっており、結局はどの国も元来の国民の仕事を奪い、生活保護等の社会コストの増加を招いただけです。そんなことをするならば、元来3Kと言われている職業に国の政策として手厚い保護でも与えた方が、現実的です、企業ではなく従事者にね。

<日本>

 米国は建国以前から移民の地であり続け、現在に至っています。
 その米国は世界の覇権国になったのではなかったですかね。
 なお、米国は現在、中南米諸国からの余りの大量の非合法移民に対し、規制を強化していますが、この類のことは、過去行く度も繰り返されてきたことです。
 また、EU内の先進国で移民に対する規制が厳しくなっているのは、対テロ戦争の関係もありますが、EUの拡大によってEU域内での後進国から先進国への出稼ぎや移住が増大していることが主たる理由です。

<HUNA>

 ネットの世界で嫌韓が多いのは、在日韓国人に対する日本のマスコミの影響が大きいと思われます。
 本名言わない、事件報道しない、在日韓国人の特権など表にしていないことがいっぱいです。
 近年、ネットの普及によりそのような事柄が(事実より誇張されているかもしれないが)知れ渡るようになりました。
 それに追い討ちを加えて、韓国では親日的発言をするだけで社会的地位を奪われれる国家となりました。
 結果、マスコミへの不審と共に嫌韓に至ったと考えています。
 また韓国においては、北との関係が非常に気になります。
 中華思想でかつ儒教思想が非常に強い国です。
 このような方々が移民とした場合、状況によっては国防の危機になりかねないと思っています。
 歴史的背景への遠慮と、抗議が怖くてマスコミが事実を書けない現状、韓国や北朝鮮の国家の現状と、朝鮮の方々の主義思想と現状を考慮すると、朝鮮の方々の移民は同意できません。
 またその親玉である中国の方々との移民も認めたくありません。
 この認識を変えるには、マスコミの歴然とした態度と真に事実に向き合う態度で報道することが第一と思います。
 また、それを受け取る側も種々の認識を変えることが必要と考えます。

<太田>

 あなたは巧まずして問題の本質を物語っておられます。
 セックスとギャンブルに弱いのは人間の通弊ですが、日本では合法非合法の境界が、あえて不分明のままにされている分野でもあります。
 だからこそ、そこでは巨万のアングラマネーが動き、暴力団が暗躍しているのです。
 合法非合法の境界をあえて不分明にしているのは警察であり、その警察を牛耳っている警察庁キャリア達です。
 警察の権限をフルに活用しつつ、連中は風俗営業界やパチンコ関連産業に天下っているのですが、これが警察における官と業の癒着の核心部分です(注1)。

 (注1)アダルトビデオ業界、パチンコ業界と警察についての
    http://news.livedoor.com/article/detail/3383282/
    http://pachinkokouryaku.fc2web.com/shugoshin.html
    (どちらも11月11日アクセス)参照のこと。
   
 こういう業界は日本で差別されている人々の吹きだまりとなっており、パチンコ業界が朝鮮系の人々によって支配されていることはよく知られています。しかも、暴力団の構成員にも朝鮮系の人々が少なくありません。(注2)

 (注2)「戦後の在日韓国・朝鮮人にとって就職・就業は困難であり、高い失業率と貧困に喘いだ。そのため3K職場や水商売につく者も多かった。暴力団員になる者もいた」、「1万7000店のパチンコオーナーの国籍<は、>韓国籍 50%、朝鮮籍 30〜40%、日本籍・華僑 各5%」、「暴力団の出自の内訳は6割<〜3割>が同和(被差別部落)、3割が在日韓国・朝鮮人、残りの1割が同和ではない日本人」であるとする説がある。(
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E3%82%B3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3
。11月11日アクセス)

 ところが主要マスコミは、警察を恐れるとともに、暴力団(や同和)をタブー視しており、しかるが故に在日朝鮮人のこともほとんど書かない。
 だから皆さんは在日朝鮮人について精確な情報を与えられていません。
 その結果、在日朝鮮人について、ネットの世界で夥しい流言飛語が垂れ流されており、そのあおりで韓国の人々についても一部で偏見が醸成されているのです。
 そんなものに惑わされてはなりません。
 韓流に心を奪われるおばさま達の眼力を信じるのです。
 在日朝鮮人も基本的にそうですが、韓国の人々はなおさら、日本人同様、悪い奴もいるけれど、その大部分はまともな市民であるということを。
 それにしても、私の警察批判については、どなたもコメントを寄せておられませんね。
 皆さん警察が怖いようで・・。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太田述正コラム#2173(2007.11.11)
<爆笑問題との私の共演プラン>

→16日まで非公開。

太田述正コラム#9822005.12.3

<私の移民受入論(その4)>

 (3)外国人留学生の飛躍的増加

 いずれにせよ、日本への移民の知的資質が高ければ高いほど望ましいわけであって、そのためにも外国人留学生の飛躍的増加を図る必要があります(注3)(注4)。

 

 (注3)もちろん、留学生の派遣元の国こそ、帰国した彼らの活躍によって、最も裨益することは言うまでもない。

 (注4)別に日本政府がしくんだわけではないが、この10年来、その大部分が中共の一流大学を出て、日本の一流大学の大学院に留学したところの、日本で働いている、旧満州の間島地区出身の朝鮮系支那人の数が既に5万人を超えている。これに対し、韓国で働いている朝鮮系支那人には出稼ぎ労働者が多い。(1122日アクセス)http://www.sir.or.jp/contribution/01.html

 既に日本政府は、留学生の増加に取り組んできており、2003年中には留学生の総数が、中曽根内閣が設定した目標である10万人を突破しました。

 もっとも、2000年以降の留学生の急激な増加は、微増にとどまった国費留学生ではなく、急増した私費留学生によるものであり、この10万人目標達成は日本政府の努力というよりアジア経済の発展によるところが大きかったようです。
 (以上、http://homepage3.nifty.com/is-tufs/is211.htm12月2日アクセス)による。)

 2003年からは、政府は、私立大学(短大を含む)が私費外国人留学生の授業料の減免を行う場合に補助金を与えることにしました(http://72.14.203.104/search?q=cache:A5cgudKFX8cJ:www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ryugaku/030301.pdf+%E7%95%99%E5%AD%A6%E7%94%9F%EF%BC%9B%E6%8E%88%E6%A5%AD%E6%96%99%E6%B8%9B%E5%85%8D&hl=ja12月2日アクセス)。こんなことは、欧米では考えられないことです。むしろ、外国人留学生には割高の授業料を課すのが普通だからです。

 残された課題は、中共と韓国からの留学生だけで全体の75%を占めているという「寡占」状況の緩和であり、私費留学生の6割弱しか奨学金がもらえておらず、しかも奨学金の平均が月7万円と少ない状況の改善です。

 (以上、http://benesse.jp/berd/center/open/dai/between/2002/11/bet18931.html12月2日アクセス)による。)

 私は、ODAの重点を、発展途上国へのモノやカネの供与から留学生受け入れに切り替えるべきだと考えています。そうすれば、国費留学生の数も奨学金の受給対象者100%の達成も奨学金の額の大幅増も可能です。

 そもそも、モノやカネの供与は、効果を挙げる場合もあるけれど、効果を挙げない場合の方が多いことから、今後は、効果を挙げると見込まれる国への供与に限定すべきでしょう(注5)。

 (5)ODAより前の話だが、日本から戦後賠償をもらった5カ国中、製鉄所や高速道路の建設といった有効な使い方をしたのは韓国だけであり、金額的に一番沢山もらったフィリピンでは、賠償金は大土地所有階級のための訳の分からない消費に消えてしまった。そして、1960年代初めにはフィリピンの一人当たり所得は韓国の6倍だったというのに、現在では韓国の十分の一にも満たなくなってしまっている。 (http://english.chosun.com/w21data/html/news/200508/200508280018.html。8月29日アクセス)

    また、最近アフリカで、経済援助は効果を挙げていないどころか、逆効果になっている、という声が高まってきている。援助は政治家を腐敗させ、民衆を援助依存症にしてしまっているので、援助を返上し、人々の意識改革を行わなければならない、というのだ。(http://www.csmonitor.com/2005/1202/p01s02-woaf.html12月2日アクセス)

 幸い、米国は、9.11同時多発テロ事件以来、留学生の入国審査を厳しくしたために、留学生が減少してきており、最近では、中共の産業・軍事スパイ防止の観点から、中共出身(米国を含む、外国籍をとった中共出身者を含む)の研究者が米国で行う研究を規制しようとする動きまで出てきており(http://news.ft.com/cms/s/5a57b68e-5d2f-11da-8cde-0000779e2340.html、及びhttp://news.ft.com/cms/s/3b2283de-5d34-11da-8cde-0000779e2340.html(どちらも1125日アクセス))、日本の留学生受け入れにとって相対的に有利な状況が今後、長期にわたって続く可能性が高い、と言えるでしょう。

(続く)

太田述正コラム#9812005.12.2

<私の移民受入論(その3)>

 (本篇は、コラム#966の続きです。)

<補足>

 コラム#965に転載したレジメの幕末・維新期のところについて、私の意図がよく伝わっていないと思われる投稿が、以前にHPの掲示板にあったので、この際、補足の意味で、レジメに若干肉付けをして再掲させていただきます。(その際、見出し・用語等を部分的に修正した。)

(1)幕末・維新期におけるリーダーの輩出

  ア 初めに

日本の幕末・維新期に、福沢諭吉のような国家的リーダーが輩出したのはどうしてでしょうか。

 それは、江戸時代における、自立的個人群の潜在・武士道・疑似国際環境、の三つのおかげだと私は考えています。

 つまり、江戸時代には、自立的個人群が広汎に潜在していて、彼らが武士道を身につけ、その武士道を疑似国際環境の下で実践してきたのであって、幕末における幕府の権威の低下、更には明治維新の結果、彼らが束縛を取り払われて解放されることによって、自立的個人群が幕末・維新期に顕在化し、これら自立的個人群の中から、国家的リーダーが輩出した、ということです。

イ 自立的個人群の潜在

 (ア)初めに

まず、自立的な個人群の潜在についてです。

どのようにして江戸時代に、潜在的であれ、自律的な個人群が生まれていたのでしょうか。

自立的な個人群を生み出したのは、江戸時代における、多元的価値の並存・地域的多様性・植民地的地域の存在、すなわち一言で言えば江戸時代の多様性、であると思います。

   (イ)多元的価値の並存

福沢諭吉は、「中古武家の代に至り・・至尊必ずしも至強ならず、至強必ずしも至尊ならず」とし、その結果、「民心に感ずる所にて、至尊の考と至強の考とは自から別にして恰も胸中に二物を容れて其運動を許したるが如し。既に二物を容れて其運動を許すときは其間に又一片の道理を雑へざる可らず。故に、神政尊崇の考と武力圧制の考と、之に雑るに道理の考とを以てして、三者各強弱ありと雖ども、一として其権力を専にするを得ず。之を専にするを得ざれば、其際に自から自由の気風を生ぜざる可らず」(「文明論の概略」(明八年)岩波文庫版PP38)となった、と述べています。

 これを故丸山真男は、権威は公家に、権力は武士に、富(福沢は「道理」とした)は町人に帰属していた、ということだと要約しています(典拠省略)。

 もとより、この三者以外に、権威にも権力にも富にも無縁な衆生がいたことを忘れてはならないでしょう。

 いずれにせよ、重要なことは、江戸時代の日本では、アングロサクソンや中世以降の西欧同様、一昔前の世界の中では極めて例外的に、多元的価値が並存していた、ということです。

 それ以外の世界は、権威と権力の所在は一致しているのが当たり前で、多くは権威と権力と富の所在が三つながら一致していました。そんな所では、擬似的に自立した一名の最高権力者(despot)以外は、すべてこの最高権力者に隷従する・・非自立的な・・臣民に他なりませんでした。

 江戸時代の日本は、このように極めて例外的な存在であったわけです。

   (ウ)地域的多様性

 江戸時代には、タテの多様性たる多元的価値の並存だけでなく、ヨコの多様性たる地域的多様性もありました。数百にも及ぶ藩の並存です。

 武士は参勤交代、そして庶民はお伊勢参り等によって、互いに同じ日本人としての意識は共有しつつも、他方で各藩は、半独立国の体をなしていました。そして、それぞれの藩ごとに、独特の特産品・文化・方言、更に言えば多様な物の見方が栄えたのです。

 これが江戸時代に自立的個人群が潜在したもう一つのゆえんです。

   (エ)植民地的地域の存在

江戸時代には、このほか、琉球と蝦夷地が、事実上の植民地として存在していました。薩摩藩と松前藩を通じて、江戸時代の日本人は、琉球人とアイヌという、内地人とはひと味違う人々と接触しつつ、それらの人々をコントロールする術を培ったのです。

このような異質な人々との関わりもまた、江戸時代に自立的個人群が潜在したことと無縁ではなかろうと私は思っています。

 ウ 武士道

 江戸時代の権力エリートたる武士は、藩校教育等を通じ、支那の古典と軍学・武術・・武士道(コラム#614)・・を身につけました。

 つまり武士は、歴史感覚と軍事素養という、自立した個人、ひいては国家的リーダーにとって不可欠な教養を身につけさせられたわけです(注2)。歴史感覚と軍事素養は、情勢分析・危機管理・人心収攬等を適切に行うための基礎である、と私は確信しています。

 (注2)イギリスの権力エリート教育(パブリック・スクール教育)と基本的に同じだ(コラム#27等)。他方、支那や朝鮮半島では、権力エリート教育において、軍事は軽視され続けた(李朝の両班について、コラム#404参照)。

 この武士道は、江戸時代を通じ、町人等にも次第に浸透します。

  エ 疑似国際環境

 各藩が互いに戦争をしたり、幕府を相手に戦うことは、幕初期と幕末期を除いてありませんでしたが、幕府は、失政や内紛の起こった藩をとりつぶすことを躊躇しなかっただけに、各藩と幕府は常に静かなる緊張関係にありました。また、各藩は重商主義的政策をとって、藩財政の維持・発展を図るべく、互いに熾烈な競争を行いました。

 つまり、江戸時代の日本は鎖国をしていましたが、国内において、日本人はこのように疑似国際環境の下にあったわけです。

このような疑似国際環境の下、武士は武士道の実践する場を与えられ、鍛えられ続けたのです。

 

<補足終わり>

(続く)

太田述正コラム#9662005.11.24

<私の移民受入論(その2)>

 (コラム#965は、長かっただけに、(一部の読者に送ったものの中に)禁則文字が使われていたり、誤記があったりして失礼しました。HPとブログを訂正してあります。)

5 具体論

 (1)難民受け入れの拡大

難民と認定されると、永住許可要件が一部緩和され、退去強制事由に該当する場合でも在留特別許可を受けることが可能となり、社会保障の面でも日本国民と同じ取り扱いがされるようになり、日本永住ひいては日本への帰化への道が開かれます。

ところが、日本で難民認定制度ができた1982年から2001年までに実際に認定された数は、わずか291名にとどまっています。2000年の認定数を国際比較してみると、英国は1万185名、ドイツは1万1,446名に対し、日本はわずかに22名に過ぎず、事実上ゼロであると言ってもいいでしょう。

 (以上、http://www.moj.go.jp/NYUKAN/nyukan13-07.html20051124日アクセス)による。)

日本は島国であり、近傍には北朝鮮くらいしか難民輩出国がないので、日本にたどりついて難民申請をする人が少ない、ということもあるのでしょうが、これでは到底経済大国として、国際的責任を果たしているとは言えません。

北朝鮮からのいわゆる脱北者については、スパイの嫌疑がある者等を除いて、日本渡航を希望する者は全員難民認定をして受け入れる、或いは(中東・アフリカを除く)外国の難民収容所に出向いて難民申請を受理する等、難民受け入れの飛躍的増加を図るべきでしょう(注1)。

(注11975年以降、南ベトナム等の共産主義化に伴い、いわゆるインドシナ難民が発生し、日本も1万人以上を受け入れたが、特段問題は生じていない。

 

また、この関連で、政治亡命を基本的に認めないこととしている、非常識な政府方針(http://www.kt.rim.or.jp/~pinktri/afghan/massmedia6.html1124日アクセス)も当然改めるべきでしょう。

 (2)外国人労働者受け入れの拡大

日本は昨年の段階で、投資・経営や教育、興行など16の専門的・技術的な在留資格に限り、外国人労働者を受け入れています(http://www.tokyo-np.co.jp/00/sei/20041006/mng_____sei_____002.shtml200410月6日アクセス)が、単純労働者の受け入れは行わない、との方針は堅持しつつ、専門的・技術的な在留資格の拡大を図ることで、外国労働者の受入数を大幅に増やしていくべきでしょう。 

これは、法の網をかいくぐって事実上増えてきている、単純労働者(その中には売春婦も含まれる)の流入を抑制することにもつながります。

 このような観点から、フィリピン側からの強い要請に受けて(典拠省略)、昨年1129日に締結された日本・フィリピン経済連携協定で、「一定の要件を満たすフィリピン人の看護師・介護福祉士候補者の入国を認め、日本語等の研修修了後、日本の国家資格を取得するための準備活動の一環として就労することを認める(滞在期間の上限、看護師3年、介護福祉士4年)。国家試験を受験後、国家資格取得者は看護師・介護福祉士として引き続き就労が認められる。介護福祉士については、日本語の研修修了後、課程を修了した者に介護福祉士の国家資格が付与されることとなる日本国内の養成施設へ入学する枠組も設ける。」ことが取り決められた(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/philippines/hapyou_0411.html1124日アクセス)ことは画期的です。

 次はこのスキームを保育士(旧保母・保父)へ拡大することが望ましいと思います。その際、外国人保育士に、保育施設で働くことを認めるだけでなく、一般家庭向けのベビーシッターとして働くことも認めるわけです。

 その保育士が英語(や中国語)を話せれば、需要は極めて大きいのではないでしょうか。

 このような外国人労働者のうち、日本に定住したり、日本人と結婚したりして、日本に帰化する人が出るのは、当然受忍することになります。

(続く)

太田述正コラム#9652005.11.24

<私の移民受入論(その1)>

1 初めに

 移民問題を扱ったコラムに対し、熱心なご意見をお寄せいただき、ありがとうございます。

 このあたりで、私がどうして日本への移民の受け入れを是としているか、ご説明しておきたいと思います。

 昔話等もまじえ、少し長くなりますが、ご容赦願います。

2 多様性の世界との出会い

 以前(コラム#388で)、

「私は1956年2月(小学一年)から195910月(小学5年)までの3年8ヶ月間をエジプトのカイロで過ごした。首都カイロにせよ、第二の都市のアレキサンドリアにせよ、それぞれの中心部は、当時の東京などの日本の大都市に比べてはるかに先進的かつ欧米化した世界だった。日本の商社のカイロ支店長であった父と母と三人で暮らしたカイロの外国人居住区はとりわけそうであり、我々は高層マンションに住み、車に乗り、スーパーマーケットで買い物をし、スポーツクラブで泳ぎ、時々海外旅行に行くという、当時の日本では考えられない暮らしぶりをしていた。(こういった点では、その後日本も追いついた。)周りには、エジプト原住民は少なかったが、かつてエジプトを支配したギリシャ人、トルコ人、イギリス人らのほか、迫害を逃れてエジプトに定着したユダヤ人やアルメニア人ら、色んな宗教の種々の民族が仲良く豊かな生活を送っていた。(この点では、まだ日本は「追いついて」いない。)」

と記したところです。

 このうち私が特に親しかった一人は、英国系の同じ小学校に通っていたギリシャ人の男の子でした。彼は、たまたま私のホームページ(の英語頁)を見つけたと言って、先日46年ぶりに思いがけなくも声を(メールで)かけてくれました。現在ロンドン大学付属病院で医師をしているとのこと。

 こんな話をしたのは、ほかでもありません。

 私が拙著やこの4年間続けてきたコラムで言っていることに、独特の個性をお感じになるとすれば、それはこの時代に、彼を初めとする様々なエスニシティを背負った子供達や大人達と出会った賜なのだ、と言いたいからです。

 なまじ、そんな世界を経験したため、小学校5年生で日本に帰ってきてから、大学2年くらいまで、私は、日本における多様性の欠如、就中ものの考え方の画一性・・そしてそれと裏腹の関係にあるところの自律的な個人群の不在・・になじめず、ずっと軽いノイローゼ状態が続いたような気がします。

 このようにカイロ時代に、(エジプトが英国の元保護国であり、かつ小学校が英国系であったことから、)私は初めてアングロサクソン的世界における多様性に出会ったわけですが、その後、二度にわたって、今度は米国と英国という歴としたアングロサクソン世界における多様性に出会い、日本における多様性の欠如は、現代日本が抱える最大の病理ではないか、という思いを深くして現在に至っているのです。

3 レジメ:リーダー不在の日本

 さて、このコラムの読者の一人である島田さんが、私のためにブログのスペースを提供されているだけでなく、私のコラムの索引までつくられていることはご存じだと思いますが、実はその索引(http://www.geocities.jp/ohtan2005/column/index/ootacolumnmenu.htm)の中に、私のホームページの時事コラム欄の一番最初の頁(http://www.ohtan.net/column/200111/20011115.html#1)は出てきません。

 この頁には、私が2001年の11月に、ある勉強会の講師として行った話のレジメが掲載されています。

 ここに、そのレジメの前半を再掲しました。

 レジメなので、読みにくいと思いますが、ざっと斜め読みをしていただけると幸いです。

 お急ぎの方は、1の(1)と(2)を読まれた後、結論(中間総括)部分である2の(5)まで飛ばされても結構です。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

1 リーダー不在の日本

(1)リーダー輩出の条件(アングロサクソン社会を手がかりに)

  ア リーダーは、多様な、自立した個人の中から生まれる。換言すれば、リーダーは、多様な、自立した個人をfollowersにして、初めてリーダーたりうる。
 (アングロサクソン以外に個人主義社会なし。しかし、個人主義は個人の自立の必要条件ではない。)

  イ リーダーは、教育、選別システムを通して育てられる。(英国のパブリックスクール。米国の大学・・学力だけで選別しない(多様性を確保。教養主義))

  ウ リーダーは、国事(なかんずく、安全保障。stakeshigh)に携わることで鍛え上げられる。

(2)現在の日本

  ア 自立的な個人たるfollowersがいない。(小泉・田中ブームを見よ)
  (ア)多元的価値が並存していない(=pluralismなし)
    権威、権力、富の同時獲得を目指す「立身出世主義」のみ

  (イ)regionalな多様性がない。

  (ウ)ethnicな多様性がない。(同じような国は韓国くらい)

  イ リーダーの教育、選別システムが機能していない。(東大法学部を見よ)

  ウ 国が自立していない。(=植民地人シンドロームの蔓延・・政治家外務省・厚生労働省・農水省の役人被規制・被保護産業の経営者を見よ)

2 日本がリーダー不在に至ったプロセス

(1)幕末・維新期にはリーダーが輩出した(その典型が福沢諭吉)のはなぜか

  ア 自立的な個人群が江戸時代に準備されていた。維新の結果、彼らが一挙に束縛を取り払われ、「解放」された。

  (ア)多元的価値の並存
 「・・「中古武家の代に至り・・至尊必ずしも至強ならず、至強必ずしも至尊ならず」・・その結果、「民心に感ずる所にて、至尊の考と至強の考とは自から別にして恰も胸中に二物を容れて其運動を許したるが如し。既に二物を容れて其運動を許すときは其間に又一片の道理を雑へざる可らず。故に、神政尊崇の考と武力圧制の考と、之に雑るに道理の考とを以てして、三   者各強弱ありと雖ども、一として其権力を専にするを得ず。之を専にするを得ざれば、其際に自から自由の気風を生ぜざる可らず」(「文明論の概略」(明八年)岩波文庫版PP38

  権威は公家に、権力は武士に、富は町人に帰属。(丸山真男)

  (イ)藩regionalismが存在

  (ウ)なし(但し、琉球とアイヌの存在あり)

  イ 幕藩体制下のエリートは武士(軍人)だった
   武士は藩校教育(中国古典と軍学)。ちなみに、町人は寺子屋教育(個人別教育)
     
  ウ 疑似国際環境下の藩生存競争の中で武士はもまれた
   藩の経営に失敗すれば、とりつぶしの恐れがあった

(2)明治維新の「負」の側面

  ア 価値の一元化・・総括
 「西洋諸国の人も官途に熱心するの情は日本に異ならずと雖ども、其官途なる者は社会中の一部分にして、官途外自から利福栄誉の大なるものありて、自ら人心を和すべし。・・王政維新三百の藩を廃してより、栄誉利福共に中央の一政府に帰し、政府外に志士の逍遙す可き地位を遺さずして其心緒多端なるを得ず、唯一方に官途の立身に煩悶して政治上の煩を為すのみなら   ず、政府の威福は商売工業の区域にまでも波及して、遂には天下の商工をして政府に近づくの念を生ぜしむるに至り、其煩益堪べからず」(時勢問答、全集八)」(丸山眞男「福沢諭吉の哲学」(岩波文庫20016月。原著は1942-1991年)PP100より孫引き)

  イ 政府

「・・政府の事は都て消極の妨害を専一として積極の興利に在らず」(安寧策、明二二、全集十二)」(丸山 前掲書PP121-122より孫引き)、「「政権を強大にして確乎不抜の基を立るは政府たるものの一大主義にして・・」(時事小言、全集五)」(前掲書PP123より)、「「日本政府は・・自家の権力は甚だ堅固ならずして却て人民に向て其私権を犯すもの少なからざるが如し」(安寧策、全集十二)」(丸山前掲書PP129より)

  ウ 政党

 「「政敵と人敵との区別甚だ分明ならず」(藩閥寡人政府論、全集八)・・当時の政党・・主義と主義との争い<なし>・・「政治家の政党にして国民の政党に非ざる・・」(政治家の愛嬌、明二四、全集十二)」(丸山前掲書PP131-132より)

  エ 実業界

 「「実業社会は、今日尚ほ未だ日本の外に国あるを知らずと云ふも過言に非ず」・・日本の実業は、「今尚ほ鎖国の中に在り」(実業論)」(丸山前掲書PP267より)

  オ 学界

 「西洋諸国の学問は学者の事業にて、其行はるるや官私の別なく唯学者の世界に在り我国の学問は所謂治者の学問にして恰も政府の一部分たるに過ぎず。」(福沢 前掲書PP228

(3)にもかかわらず、なお「戦間期」にリーダーが出たのはなぜか。(北一輝、高橋是清、石原莞爾、岸信介、宮崎正義)

ア 自立的な個人群がまだ存在
   (ア)価値の並存(軍と民)
   (イ)植民地・保護国在留邦人のregionalism
   (ウ)植民地・保護国の存在によるethnic pluralism

イ リーダー教育がそれなりに機能:旧制高校、陸士・海兵教育

ウ 危機的な内外環境

(参考)「米国のジャーナリストのアーチボルド・マクリーシュは、一九三六年の『フォーチュン』誌の日本特集号に次のような記事を書いている。

「日本の産業制度は、・・資本主義・・国家主義・・共産主義・・(といった)同時代のどんな国の制度とも似ていない」「日本はどの国家よりも統一された産業計画をもって(いる)」「日本の産業の頂点にあるのは、・・産業統制である」「日本(の)・・金融システム・・は、われわれのものとは(違い)・・産業資本と銀行は対等・・ではない」「日本(は、)・・国際競争力の優位(に向けて、)国が一丸となって努力する・・それは、どの国もまねができない」と。

そして、日本は、欧米諸国が大恐慌以降の経済停滞に悩む中で、最も早く高度成長軌道に乗っていた。」(太田述正「防衛庁再生宣言」日本評論社2001年 PP234-235

(4)にもかかわらず、日本のリーダーの大部分が、国際政治・軍事環境を読み間違ったのはなぜか
   ・民主主義の陥穽・・民主制アテネ、大革命期フランス、ドイツ帝国末期
   ・劣悪すぎた内外環境

(5) 戦後リーダーが払底したのはなぜか

ア 自立的な個人群の消滅(cf. ドイツ)
  (ア)価値の完全一元化・・軍の抹殺
  (イ)植民地・保護国からの引揚げと連邦制の不採用:吉田茂の責任?@
  (ウ)植民地・保護国の放棄とethnic鎖国主義の採用

  イ リーダー教育の放棄:旧制高校、陸士・海兵の廃止。中途半端な大学振興。

(大学院振興回避。学校群制度導入。):吉田茂の責任?A

ウ 国の自立性の放棄(吉田ドクトリン):吉田茂の責任?B

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

4 移民受入の必要性

仮にこのレジメのような総括の仕方が正しいとすれば、ここから論理的に導き出されるのは、「幕末・明治期の日本から戦間期の日本に至るまでは見られた自律的な個人群、そしてリーダーを日本が再び持とうと思ったら、日本が多様性を回復することが不可欠であり、そのためには、吉田ドクトリンの克服と連邦制の採用のほか、移民の受け入れが強く望まれる」ということです。

 これを移民に焦点をあてて換言すれば、「移民の受け入れはコストを伴うけれど、かかるコストを伴うからこそ、そのコストを上回るベネフィット・・自律的な個人群の形成とリーダーの析出・・がもたらされる」ということです。

 

(続く)

太田述正コラム#0381(2004.6.15)
<移民礼賛:英国篇(その3)>

 (皆さんのご協力のおかげで、メーリングリスト登録者総数が900名の大台を超え、現在、902名です。1000名が本当に近づいてきました。)

 (3)移民のイギリスへの貢献
 いずれにせよ、16世紀以降について言えば、宗教的理由に藉口してたびたび外国人虐殺が起こった欧州に比べれば、イギリスは移民にとっては天国のような国だったと言えるでしょう。

 1500年には既にロンドンの市民人口の6%を移民(3000人)が占めていました。(ロンドンがいかに小さな都市であったかが分りますね。)ロンドンのThreadneedle Street や Petticoat Lane は、16世紀半ば以降大陸から逃れてきたユグノー(Huguenots=フランスのプロテスタント。http://www.kopower.com/~jimchstn/timeline.htm(6月14日アクセス))の毛織物職人にちなんで名付けられたものです。
 1764年には、既にロンドンに20,000人の黒人召使いがいたようです。
1892年には早くも最初のインド人の英下院議員が出ています。
 こんな調子では、いくら枚数があっても足りないので、結論を急ぎましょう。

 米国の白人の間では有色人種との結婚は少なく、特につい最近まで黒人との結婚はタブー視されていましたが、英国では有色人種との結婚については、女性がまず先鞭を付け、男性がこれに続き、米国よりずっと人種間婚姻率が高くなっています。
 また英国は、欧州大陸諸国と比べても、最も人種間婚姻率の高い国となっています。
 フォード(Madox Ford)が近く上梓される著書、The Spirit of the People: An Analysis of the English Mind の中で言っているように、最近の移民を除いたとしても、「ローマ人、ブリトン人、アングロサクソン、デーン人、ノルマン人、ポワトー人、スコットランド人、ユグノー、アイルランド人、ゲール人、近代ドイツ人、そしてユダヤ人の子孫が混ざりに混ざっている<以上、>「人種」などと言うも愚かしい存在、それが我々・・イギリス人」なのです。
 そして、最近の移民について言えば、(その著書をこのシリーズの典拠にさんざん使わせてもらった移民問題の専門家の)ウィンダー(Robert Winder)も言うように、「勤勉で見栄を張らないかつての典型的なお行儀の良いイギリス人・・遠慮がちに行列の後につき、人の不幸に思いやりを示し、艱難に忍耐強く向き合う・・は今や、自己中心的な風潮に染まっている我々の間より、強い家族への忠誠心と義務の観念を身につけている移民の間に多く見出せる」のです。
 今では、カナダ、オーストラリア、南アフリカの「イギリス人」達が本国イギリスを、そしてスコットランド人がかつての仇敵イギリスを闊歩していることはもとより、エジプト生まれがハロッドを所有し、ジャマイカ生まれが巨大労組の組合長を昨年まで務め、ユダヤ系がノーベル賞受賞者の大多数を占め、イギリスの大企業の半分は外国人によって経営されています。次期カンタベリー大司教に目されている人物はパキスタン生まれですし、イギリスのサッカーナショナルチーム監督はスェーデン人です(http://books.guardian.co.uk/extracts/story/0,6761,1179373,00.html。3月28日アクセス)。
 2001年のデータによれば、ロンドンの710万人の人口のうち、白人人口は430万人に過ぎません。ロンドンは、EU加盟国の中で、最も人種的に多様化した国際都市なのです(ガーディアン上掲)。
 英国全体で見ると、移民は総人口の約8%を占めており、うち半分がインド亜大陸出身者で、次いで黒人、そして東アジア出身者です。その約8%がGDPの約10%をたたき出しています(http://www.warwick.ac.uk/~errac/tab1.htm(3月7日アクセス)及びhttp://news.bbc.co.uk/2/hi/in_depth/3523208.stm(3月23日アクセス))。

 移民が常に英国の文化と経済の活力の源となってきたことがお分かりいただけたでしょうか。

 その英国にとって残された移民問題が一つだけあります。
 それは、イスラム教徒たる移民は、なかなか英国に同化しないだけでなく、2002年に内閣府が実施した調査でイスラム教徒は、所得等あらゆる指標で英国の平均を下回る結果が出たこと(コラム#24)です。
 もっとも、これは移民問題と言うよりも、イスラムの問題だと言うべきでしょう。

(完)

<菅間>
なぜ1,000と言う数字に拘るのですか。
1,000を達成すると何か利点でもあるのですか。

<太田>
さあ、どう答えましょうか。

1 私は日本人の世界観や世界の人々の日本を見る眼を変えようという途方もない目的のために本ホームページを立ち上げ、コラムを執筆してきているわけで、そのためには読者の数が問題になってきます。
2 また、数が増えれば増えるほど、加速度的に余録が増えるのではないか、と期待しています。端的な例で申し上げれば、広告をメールに掲載し、それなりの広告収入を得られるようになるかもしれません。

 以上が、なぜ私が数字にこだわるのかの理由です。
 次に1,000という数字に意味があるのかという点です。
  もとより数は多ければ多いほどいいわけで、1,000は通過点に過ぎません。

3 しかし、二桁の数字が三桁になれば、それだけで達成感がありますよね。
4 もう一つ。私自身や私の家内の経験上も、20??30年すれば、年賀状を交換する相手が数百のオーダーに自然になりますが、容易に一千名を超えることはありません。つまり、一千名を超えれば、顔をつきあわせてネットワーキングをできる範囲を超えた、ということになり、そのことも達成感につながります。(というより、そうならなければ、インターネットの世界で発信している意味はない、と言ってもいいかもしれません。)
 
  1と2について、未来永劫期待できないと私が判断すれば、その時点で本ホームページは閉ざし、コラム執筆もやめるつもりでいることは、これまで何度も申し上げてきたところです。

<読者A>(2004.6.25)
今日6月25日は、
お隣の国で、朝鮮動乱(朝鮮戦争と言うのは間違い同族同士の殺し合いでただの内乱)起こった日です、北の将軍様が米国のアチンソン発言を元に侵攻を開始しました、
とここまでが、普通の認識だと思います、
続きを読む

太田述正コラム#0380(2004.6.14)
<移民礼賛:英国篇(その2)>

3 イギリスと移民

 (1)始めに
 イギリスの歴史は、このようにアングロサクソン移民の受け入れをきっかけにして始まっただけでなく、イギリスはその後も多様な移民を次々に受け入れてきたことによって、活力を失わずに現在に至っているのです。
 今年、Robert Winder, Bloody Foreigners: The Story of Immigration to Britain, Little, Brown という本が出ているので、この本を参照しつつ、このことをご説明しましょう。
(以下、特に断っていない限り、http://books.guardian.co.uk/extracts/story/0,6761,1213247,00.html、及びhttp://books.guardian.co.uk/extracts/story/0,6761,1213040,00.html(どちらも5月27日アクセス)、並びにhttp://books.guardian.co.uk/reviews/politicsphilosophyandsociety/0,6121,1236774,00.html(6月13日アクセス)及びhttp://216.239.53.104/search?q=cache:NUsk_tkW1dwJ:enjoyment.independent.co.uk/books/reviews/story.jsp%3Fstory%3D525556+Sir+John+Woolley&hl=ja(6月14日アクセス)による。)

(2)イギリスの反移民史
  とはいえ、イギリスにも反移民的な動きがなかったわけではありません。
 中世にはイギリスのユダヤ人は迫害され、黄色い布きれを付けさせられ、虐殺され、1290年にはユダヤ人追放令が発せられています。
 1440年から、移民には特別の税金がかけられるようになりましたし、1456年と1457年には立て続けに反イタリア移民暴動が起こっています。1517年に起こった反移民暴動の後には、移民には通常の市民の税金の倍の税率が適用されるようになりました。
 1530年にはヘンリー8世が、ジプシー追放令を発しています。
 ずっと時代が下って1836には、アイルランド飢饉による大量のアイルランド移民について、王立委員会は、「汚さ、放任、混乱、不快、及び不健康(filth, neglect, confusion, discomfort and insalubrity)」をイギリスに持ち込んだ、と報告書に記しました(注5)。

 (注5)実際のところは、これらはアイルランド移民のせいでも何でもなく、1800年から1840年にかけて英国の人口が二倍に急増したことに伴うひずみだった。もとより、イギリス人のアイルランド人に対する差別意識があったことがかかる記述を生んだことは想像に難くない(コラム#356参照)。

 1886年に宰相ビスマルクがプロイセンからユダヤ人を追放すると、これに呼応するかのようにロシアは1890年にモスクワからユダヤ人を追放し、東欧でユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れ、英国にも、1881年から1914年までだけで150,000人ものユダヤ人が避難してきます。その結果、英国のユダヤ人人口は300,000人に達しました。
 ロンドンのイーストエンドにはユダヤ人ゲットーが出現し、劣悪な居住環境の下、人々は家内工業で長時間の過酷な肉体労働に従事し、多くの女性は苦界に身を沈めました。
 このままでは英国は移民で溢れてしまう、と反移民的風潮が高まります。
 作家・ジャーナリスト・社会学者・歴史家にしてフェビアン社会主義者であったH.G.ウェルズ(Herbert George Wells。1866??1946年。http://www.kirjasto.sci.fi/hgwells.htm(6月14日アクセス))は、1898年に移民の襲来を火星人の襲来に託して書いた「宇宙戦争」(The War of the Worlds)を上梓し、1902年には劣等人種を根絶するための優生学について熱っぽく語っています。また、同じ頃に作家のD.H.ローレンス(David Herbert Lawrence。1885??1930年。http://mss.library.nottingham.ac.uk/dhl_biog_brief.html(6月14日アクセス))は、「病人、びっこ、かたわ(the sick, the halt, the maimed)」をみんなかっさらってきてぶち込む、クリスタル・パレス並に大きい死の収容所(lethal chamber)を作りたいものだ、と語っています。
 こういった声に推されて、1905年には、当時の保守党政権は、英国史上初めて移民を制限する法律である外国人法(Aliens Act)を制定するのです。(注6)

 (注6)ウェルズやローレンスが語ったことが、あたかも未来を透視したかのように、すべて米国を経て(コラム#257)ナチスの手によって現実のものとなったことを我々は知っている。
    しかしながら、英国が移民で溢れてしまうといった懸念は全く根拠のないものだった。当時の英国は、外国への移民が盛んであり、1871??1910年の間に移民した英国人は200万人にものぼり、移民してきた人数をはるかに上回っていたからだ。

 (3)イギリスの移民擁護論
 他方、イギリスでは早くから移民を擁護する論者に事欠きませんでした。
 例えば、エリザベス1世晩年の議会で、Sir John Woolleyは、「彼らは今異邦人(strangers)だ。しかし、将来我々が異邦人となることがあるかもしれない。だから、その時に我々がして欲しいことを彼らにしてあげようではないか。」と演説しています。
 また、ロビンソン・クルーソーの著者のダニエル・デフォー(Daniel Defoe。1660??1731年。http://www.kirjasto.sci.fi/defoe.htm(6月14日アクセス))は、熱烈な移民擁護論者であり、1700年に、「純正なイギリス人(True-Born Englishman)など自己矛盾(Contradiction)」であり、「語られるとすればそれは皮肉だし、書かれるとすればそれは虚構だ」とし、「イギリス人は雑種(heterogeneous thing)」であり、「その熱き血潮の中には新しい血が常に注がれているのだ」と書いています(注7)。

 (注7)デフォーは、「クルーソー」という姓は、ドイツのブレーメンからの移民だったロビンソンの父が「クロイツナウアー(Kreutznauer)」という旧姓を改称したものだ、とわざわざロビンソン・クルーソーの導入部で書いている。移民の子、ロビンソン・クルーソーが、後に英国人の工夫力と自活力の象徴となったのは興味深い(http://www.campusnut.com/book.cfm?article_id=766&section=7。6月14日アクセス)。

 また、1905年の外国人法制定(上述)に反対して若きチャーチル(Winston Churchil。1874??1965年。http://www.dhm.de/lemo/html/biografien/ChurchillWinston/(6月14日アクセス))は、移民の「自由な入国と避難(を認める)という古よりの寛容かつ寛大な慣習」を放棄するに足る理由はない、という文章をタイムス紙に寄稿しています。

(続く)

太田述正コラム#0379(2004.6.13)
<移民礼賛:英国篇(その1)>

1 始めに

 1988年、ロンドンに滞在中にロンドン博物館(Museum of London)を訪問した時のことです。
ローマ時代のロンドン(ロンディニウム=Londinium)の展示が紀元410年のローマの撤退で終わると、Dark Ageを象徴する真っ暗なトンネルを通り抜けないとアングロサクソン時代の展示室には入れませんでした(http://www.museumoflondon.org.uk/。6月13日アクセス)。
 原住民のブリトン人は、ローマが自分でイングランドから撤退した後、文明のレベルが違いすぎてローマ文明を受け継ぐことができなかった(注1)ため、一旦(ロンドンを含む大ブリテン島の)歴史がそこで途絶えてしまい、それからしばらくしてアングロサクソン(=ゲルマン人の支族たるアングル、サクソン、ジュート人がイングランド侵攻後、混血したもの)が本格的に欧州大陸から侵攻し、スコットランドやウェールズといった辺境にブリトン人を駆逐してイギリスを占拠し、ローマ文明とは無縁のアングロサクソンのイギリス史が始まった(このことはコラム#41でも書いた)(注2)、ということをこのトンネルは実に巧みに説明しているな、とその時思いました。

 (注1)当時のブリトン人は書き言葉を持っていなかった。もっともこれは、彼らの口伝重視の文化のせいでもある。(http://www.nytimes.com/2003/05/27/science/27BRIT.html。2003年5月27日アクセス)
 (注2)1991年11月10日付の朝日新聞に掲載された司馬遼太郎「春灯雑記」の一橋大学伊丹敬之教授による書評の中で、伊丹教授(スタンフォード大学当時、客員で来ておられた先生の授業をとったことがある)が、「春灯雑記」から「古代ローマの文明圏の果てながら、イングランドはその内にあり、スコットランドは外にあった。イングランドは国の張りのよすがをローマ文明の矜恃にもち、それゆえに、技術や経済の説明できる範囲を超えて、圏外の国より発展した」という箇所を卓見として引用されており、話があべこべなのでのけぞったことがある。司馬遼太郎も伊丹教授も当時の英国のまともな典拠にあたっておられなかったということだ。

2 イギリス人の素性
 ところが、「アングロサクソンが・・スコットランドやウェールズといった辺境にブリトン人を駆逐してイギリスを占拠し・・た」というのは誤りであることが、ロンドンのユニバーシティ・カレッジの研究の結果、昨年明らかになりました。
 この研究は、Y-クロモゾーン(chromosomes)の比較という手法(注3)を用いて行われました。

 (注3)この手法の説明は煩雑なので省略する。

まず、アイルランドの真ん中あたりのカストレリア(Castlerea)に住んでいる純粋なアイルランド人とブリトン人は同じY-クロモゾーンを持っていると仮定しました。
その時点で早くも面白い発見がありました。カストレリア住民とスペインのバスク地方の住民とがほぼ同じY-クロモゾーンを持っていることが分かったのです。
 ということは、ローマ侵攻(そしてアングロサクソン侵攻)時の大ブリテン諸島の原住民はケルト系だと思われていたところ、実はそうではなく、ケルト文化の影響を受けた欧州大陸先住民(注4)だった、ということです。

 (注4)欧州大陸先住民とは、8000年前に欧州大陸に農業をもたらした非インドヨーロッパ語族の人々であり、3万年前の新石器時代に欧州大陸に初めて移住してきた現代人の子孫と考えられている。アイルランド人とバスク人が同族だとすると、IRAとバスク過激派のテロ活動の同期性と類似性の説明がつくような気がしてくる。
ちなみに、ケルト人は欧州大陸に紀元前2000年から100年頃にかけて欧州大陸の外から移住してきて欧州大陸全体に広がったインドヨーロッパ語族の人々(http://www.crystalinks.com/celts.html。6月13日アクセス)。これまではケルト人が3000年前に大ブリテン諸島に渡来したと考えられていたが、正しくは、1万年前に大ブリテン諸島に移住してきた欧州大陸先住民が、3000年前に、(若干のケルト人の移住もあったのだろうが、)イギリス海峡の向こう側のケルト文化(含む言語)をとりいれた、ということになる。
 
 さて、次にこの研究では、アングロサクソン等、イギリスに侵攻して定着したゲルマン系の人々のY-クロモゾーンを調べました。すなわち、イギリスに侵攻せずに北ドイツに残ったアングロサクソンの現在の子孫(シュレスヴィッヒ・ホルスタイン州)、現在のデーン人(デンマーク)、及びバイキングの現在の子孫(ノルルェー)のY-クロモゾーンを調べたのです。
 そして最後に、大ブリテン諸島の原住民(カストレリアの住民ないしブリトン人)及びアングロサクソン人等と現在の大ブリテン諸島各地の住民のY-クロモゾーンが比較されました。
 その結論は驚くべきものでした。
 現在の大ブリテン諸島中のイギリスの住民は、アングロサクソン人等より大ブリテン諸島の原住民に近い、というのです。
 これは、アングロサクソンがブリトン人を辺境に駆逐したのではなく、ブリトン人が渡来してきた少数のアングロサクソンの文化(含む言語)をとりいれたか押しつけられたことを意味します。
(以上、特に断っていない限り、NYタイムス前掲及びhttp://www.nature.com/nsu/030616/030616-15.html(6月13日アクセス)による。)

要するに単純化して申し上げれば、イギリス人はアングロサクソンではなく、アングロサクソン文化(ゲルマン文化)をとりいれた欧州大陸先住民だ、ということです。

(続く)

<高橋>
>アイルランド人とバスク人が同族だとすると、
>IRAとバスク過激派のテロ活動の同期性と類似性の説明
>がつくような気がしてくる。

昔の欧州テロネットワークの名コンビですからうなずいてしまいますが、Rh式血液型に着目すると、そうでもないらしいです。

> また、バスク人は、東ヨーロッパや中央ヨーロッパから来たケルト人の子孫でもあり得ない。ケルト人は、血液型においてA型がとても多く、B型がそれに続きO型は少ない。一方バスク人は、O型が人口(スペイン在275万人)の大多数を占める。また、全人類の85%がRhプラスである事に対し、バスク人の場合は、85%がRhマイナスであるという特異な事より判断できる。
http://www.kirihara.co.jp/scope/SEP98/tanbo2.html

ただ、Rh??が85%というのは正確でははくて、「Rh??因子を持っているもの(ヘテロ個体+/??と劣性ホモ個体??/??)」が85%と言うべきだそうです。

バスク人:
劣性ホモ個体Rh??(??/??)が33%。ヘテロ個体(+/??)が49%で、「Rh??因子を持っているもの」は合計82%。優性ホモ個体(+/+)は18%。

普通の白人:
劣性ホモ個体(??/??)が16%。ヘテロ個体(+/??)は48%。優性ホモ個体(+/+)は36%。

日本人:
劣性ホモ個体(??/??)が0.6%。ヘテロ個体(+/??)は約15%。優性ホモ個体(+/+)は約85%。
http://www2.nsknet.or.jp/~c-chan/Rhesus.html

Y染色体の配列の類似性とRh??型の遺伝子頻度のどちらを優先すべきか。

<太田>
>昔の欧州テロネットワークの名コンビですからうなずいてしまいますが、Rh式血液型に着目すると、そうでもないらしいです。

その後で引用しておられる典拠は、単にバスク人の血液型上の特異性を示している典拠のように思われますが、違いますか。
バスク人とアイルランド人の血液型を比較した研究はないのでしょうか?

(最近やや落ち目とはいえ、あの)NYタイムスと(かの権威ある)Nature誌に掲載された話なので、一応信頼のおける話と考え、ご紹介させて頂きましたが、いかがなものでしょうか。

蛇足ながら、コラムでchromosomeを「染色体」と訳さなかったのは、いささか手抜きでしたね。

<高橋>
> その後で引用しておられる典拠は、単にバスク人の血液型上の特異性を示している典拠のように思われますが、違いますか。
> バスク人とアイルランド人の血液型を比較した研究はないのでしょうか?

バスクとアイルランドの2者に注目した研究はないようです。
アイルランド人のRh??は16%で白人の平均値ですね。
http://www.ibts.ie/generic.cfm?mID=7&sID=7

   Population        Incidence 
Chinese and Japanese        1%
North American Indian and Inuit 1 - 2%
Indo-Eurasian            2%
African American         4 - 8%
Caucasian             15 - 16%
Basque               30 - 35%
http://www.obfocus.com/high-risk/Rh_disease/rh_diseasepa.htm

バスクの数値が極めて異常なので、仮にバスクと同族だとすると、Rh??の割合に顕著な特徴があると思われます。カストレリア住民のRh??の割合を知りたいですね。

あと、イートン校の生徒の遺伝子検査をすると面白そうです。

<読者β>
> スペイン北部は旧石器洞窟美術の宝庫ですし、
> http://www.dcaj.org/bigbang/mmca/works/01_012.html
> 欧州の人種が地層をなしていて興味深いです。
>
> 1)ネアンデルタール人
> 2)クロマニヨン人(洞窟壁画家?)
> 3)ストーンヘンジ・カルナックの巨石文明人
> 4)ケルト移住以前の欧州先住民
> 5)バスク人(4?)
> 6)ケルト人
> 7)ゲルマン人
> 8)ノルマン人(北方ゲルマン)
>
> ざっと考えただけ並べて見ると、
> 3)から6)の異同関係がわからないですね。
> はたして、バスク人を欧州先住民と断定していいものか?
> いろいろ尽きない疑問がありますね。
>

はじめまして。

ご紹介頂いた、旧石器時代遺跡(洞窟)の分布がカンタブリア海(ビスケー湾)周辺の高地に集中しているのは何故でしょうね。

この地域は大昔土地が隆起して出来たところです。

これといわゆるクロマニョン人との関連。

クロマニョン人は身長が180センチ以上もあり、脳の容量も
現代人より大きいと聞いたことがあります。

現代人よりも進化した人種?クロマニョン人は何物?

点と線を結ぶと...。

太田述正コラム#0275(2004.3.1)
<旧日本領からの移民受け入れの是非(その3)>

 (ちょっと長いですが、続きの議論を一挙に収録させていただきました。力のこもった議論をしていただいた読者の皆さん、どうもありがとうございました。ご意見を参照しつつ、いずれ、コラムで私なりの結論を出させていただきます。)

<読者E>
グローバル化の時代だからと言って無条件に移民を認めるのには残念ながら引き続き同意出来ません。特に実際には韓国・北朝鮮からの移民だけを無制限に受け入れるという事では尚更です。(北朝鮮からの難民受け入れにも反対です。)

既に資料も提示させて頂きましたが、生活保護費用だけで日本人の25倍です。太田さんは帰化した人間も含めて在日朝鮮・韓国人に対するコストの方よりベネフィットの方が多いとおっしゃいますが、何を根拠にされているのか理解に苦しみます。

税収を基準とすれば、在日韓国・朝鮮人は日本人と同様の行政サービスを受けている訳ですから、その部分については均等です。

在日韓国・朝鮮人の人口は63万人、人口比で総税収を均等割とした場合、総税収40兆円でその0.5%ですから、2000億円しか支払っていません。(生活保護世帯が23%に及びますので、実際には、これ以下と考えるべきと思います。)

それに対して行政サービスとして日本人同様の4000億円(政府支出80兆円の0.5%)の支出を受け、加えて生活保護費用として1500億円を余計に受けとっている事になります。

平たく言えば、在日からの税収は、生活保護費用で費消され、行政サービスは無料で受けとっている事になります。

(それ以外に在日のコスト要因としては、色々と思い浮かびますが議論を単純にする為に捨象します。一つだけ例を上げると、在日韓国・朝鮮人用金融機関救済に一兆三千億円が投入されています。
あの銀行批判の高まった住専処理が約7千億。長銀処理が二兆円です。人口の0.5%しかいない在日問題がいかにコスト高になっているかお分かり頂けるかと思います。)

なお、太田さんが帰化した人数が入っていないと指摘されましたので1952年以降の在日の帰化人数を調査しましたが、2000年迄で25万人弱になります。但し、これらの方も当然行政サービスは日本人ですので同様に受けていますので中立と考えるべきと考えます。
(在日の帰化人数の典拠です。http://www.mindan.org/toukei.php#03)

税収以外の在日の社会貢献については、主観的な意見になりますの水掛論に終るのではないでしょうか。ちなみに明治以降に関する限り私は在日の社会貢献について否定的です。
もし、太田さんがそれについての具体的な事例をお持ちでしたら、日本人では代替不可能である点も含めてお教え頂きたいと思います。

労働人口の減少対策として移民以外には女性の労働力活用という事で宜しいでしょうか。太田さんの主張は拝見しましたが、これ以外にはなかった様に思います。

さて、女性の労働力活用については私も全く同意見です。労働力人口の減少に対する有効な解決策の一つと思います。但し、アファーマティブ・アクション(積極的な格差是正処置。具体的には採用・昇格の場合、同一条件の男女の候補者の場合、女性を優先する。)については同意出来ません。イコール・オポチュニティ(同一機会の提供)ではいけないのでしょうか。

> 日本の女性問題の深刻さに完全に目をつぶった議論です。先進国中最悪の差別構造の下、女性がフルタイムで仕事を続けること自体が困難な日本社会では、シングルであり続けざるを得ない女性が増える一方であり、せめてシングルマザーにはなりたいという希望者は沢山いても、シングルマザーになった瞬間、結婚を忌避してまで守ろうとした自分の仕事を失ってしまうという状況なのですよ。女性問題は日本が人権後進国であることの端的な現れであり、由々しい問題であるという自覚をぜひ持ってください。

これは、シングルマザーの事ではなくワーキングマザーに関するものですよね。それで良ければ合意します。

ただ、これですら米国内で企業に働く管理者としては結構大変な事なんです。例えば、マタニティー・リーブ(出産休暇)は三ヶ月に及びますが、この間仕事は待ったなしなのに、ポストは空けて待っていないといけません。10人ほどのセクションで2??3人が出産休暇されると本当に頭が痛くなります。まあ、これがグローバル化の代償と言われればそれまでの話ではありますが....。

なお、
> 税収以外の在日の社会貢献については、主観的な意見になりますの水掛論に終るのではないでしょうか。ちなみに明治以降に関する限り私は在日の社会貢献について否定的です。もし、太田さんがそれについての具体的な事例をお持ちでしたら、日本人では代替不可能である点も含めてお教え頂きたいと思います。

これは移民を積極的に肯定する程のものではないという意味で否定的という言葉を使っています。
在日の社会貢献がないという事ではありません。
舌足らずでした。

<読者F>
日本の衰退は受け入れるべきだ、と考えていますので如何なる移民に対しても反対します。
生産人口の減少等による地獄の如き状態は甘んじて受け入れようと個人的には考えています。
人口減少の過渡期に痛みが伴いますが...

老齢者介護に外国人をって話もありますが実現性はともかく外国人受け入れより要介護者の輸出の方が現実的かと思います。

なんか有りましたね、我々は労働者を受け入れたが来たのは人間だった。

良質な生産者として受け入れたはずなのにいつの間にか、家族呼び寄せで介護の必要な老人が呼び寄せられて来ていた。
増えてしまったこれらの要介護者の面倒は誰がみるのでしょう? (w

<読者E>
私も、読者F同様、一時的な国力低下を甘受しても移民の受入は行うべきではないという意見です。
太田さんは、旧日本帝国領からの移民受入と述べていらっしゃいますが、実際には、韓国・北朝鮮からの移民受入に限定されます。

今ですら、反日教育を受け、日本人を害する事に抵抗のない中国人や韓国人による犯罪の多発により、治安悪化が懸念されており、更には、在日という日本国に同化する気のない長期滞在者という国際的にも極めて異例な存在があります。

在日の存在に関する評価ですが、私は、日本国に対する貢献度合いは極めて低いと考えております。当然の事ながら、外国籍を維持している点からすれば、在日に日本国に貢献しようという気持が高いとは考え難いと思われます。

余談になりますが、先日、朝日新聞でも報道されている様に、朝鮮総連の内部から改革提言が行われ、そのフォーラムサイトで熱い議論が行われています。在日の本音の部分が赤裸々に出ていますので興味ある方はご覧になると宜しいかと思います。
URLはhttp://www13.plala.or.jp/forum/
意見交換(BBS)へ入る為のID people, Password 1020でお試し下さい。
(できれば荒らしや書き込みはご遠慮下さい。)

閑話休題

韓国は既にGDPが世界10位内外に達し、一人当たりでも約一万ドル水準。PPP(購買力平価)で、その生活水準は日本の75%のレベルにあります。韓国を見て異常に思うのは、このレベルの生活水準であるにも拘わらず、非常に移民が多いという点です。自分や家族の生活水準向上の為には、国を捨てる事にあまり抵抗が無い様に見えてなりません。

米国ではあまりの増加に音を上げて一昨年から韓国からの移民を制限すると共に、国籍取得目的の妊娠末期の韓国人女性の入国も制限する様になりました。

付け加えれば、日本同様、韓国でも出生率の減少が続いています。
そういう点で、読者Fの「良質な生産者として受け入れたはずなのにいつの間にか、家族呼び寄せで介護の必要な老人が呼び寄せられて来ていた。」というご懸念は当を得た指摘と思います。

>外国人受け入れより要介護者の輸出の方が現実的かと思います。

このご指摘についてですが、意外に現実性があるのではないかと思います。但し、日本での老人健康保険が通用しないので現状では、看護費用を自弁出来る富裕層に留まる点が問題です。例えば、外国でも医療費や看護費用の補助を日本同様の制度で受けられる様にした場合は実現性が高くなるのではと思います。

<読者D>
> 生産人口の減少等による地獄の如き状態は
> 甘んじて受け入れようと個人的には考えています。
> 人口減少の過渡期に痛みが伴いますが...

人口減少の過渡期に痛みが伴うであろうことはその通りだと思います。どのような過渡期にも必ず痛みはつきものですし。しかし、生産人口の減少そのものが地獄を生むことにはならないと思います。

蛇足ですが、私は、日本国内でこれだけ人手が余っている(仕事が足りない)状況があり、民・官で改革を進めてますます人手がいらなくなる効率的な社会構造を作ろうとしているのに、移民を受け入れてまで労働力を確保すべき状況が(それだけの仕事が)日本に生じるのかなと感じている次第ですので、太田さんの移民の受け入れの話しには反対しています。

> 老齢者介護に外国人をって話もありますが

高校を卒業した人達の就職率は非常に悪いそうですので、彼らに介護教育を施して介護者として働いてもらうのもいいかもしれません。また、子供をもつ女性が働くためには保育所の増設も必要らしいので、彼らに教育を施して保育所で働いてもらうのもいいかもしれませんね。

> なんか有りましたね、我々は労働者を受け入れたが
> 来たのは人間だった。(以下省略)

その通りです。

なお、読者Eのご意見にも賛成です。

<太田>
読者Fさんと読者Eさんの対話、興味深く拝読させていただきました。
ご両名のハンドルネームならではのホンネご指摘は大変勉強になりました。
後日、これらのご指摘を踏まえたコラムを書かせていただきます。

Eさん。現在の韓国人の「棄国願望」については、近々コラム(#273)でとりあげますので、余り書いちゃわないでください。

<読者E>
ネタを少し早く出してしまったようで申し訳ありません。韓国も小子化してますし、血族意識が強いので一人移民を入れると、一家総出で来てしまいそうに思いましたので指摘させて頂きました。
また、日本人はお役所もそういう処は優しいので、すぐ一族の移住を認めてしまいそうです。

<読者G(ハンドルネーム:反米平和派)>
さて、排外主義者たちが押し寄せてきたようですが、

> 既に資料も提示させて頂きましたが、生活保護費用だけで日本人の25倍です。

在日外国人の生活保護受給者が多い最大の理由は、「無年金者」が多いからですよ。
これを読んで勉強しなさい。http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/munenkin.html

また、いうまでもなく日本社会に根強い就職差別等も関係しています。

あなたの主張は実に恥ずべき差別排外主義そのものです。

<太田>
おなつかしや反米平和派殿。
お元気だったのですね。

相変わらず、サイトのご紹介と断定的結論だけのご投稿ですが、正直、これまでの掲示板上のやりとりにショックを受け、民団にでもうかがって話をうかがいたいとまで考えていたので、サイトのご紹介は助かります。
ありがとうございました。
ついでに在日の方々の活躍ぶりについてもサイトをご紹介いただけませんか。

<読者E>
太田さん。
こういう話もありますが、何か反論はありますか?
またこういう状況を更に悪化させる事についてどう思いますか?
また、それは何故ですか?

<引用開始>
ヤクザについて昔からよく言われる噂に「同和が3割、朝鮮が3割」というものがある。
ヤクザ構成員の3割が同和出身者、3割が在日朝鮮人だという意味である。
<会津小鉄会四代目高山登久太郎(本名・姜 外秀)への黄民基のインタビュー>
「 ━やくざの世界に在日韓国人はどれくらいいるか━
たぶん三割くらいだろう。会津小鉄は二割ほどだ。」
 (朝日新聞社『論座』1996年9月号 11頁)
<ルポライター小板橋二郎の論考「在日ニューヒーローに感じる新しい風」>
「平成4年の暴対法施行以降、指定暴力団組長に在日コリアンが何人いるかを警察庁の発表資料で調べてみると、累計(平成5??12年)三三団体のうち七団体がそのトップに在日コリアンをいただいている。
三三団体中七団体なら比率で21%をこえる。少々単純すぎる試算ではあるが、在日の対総人口比0.45%を基準にすればその数はざっと四七倍。この世界での在日の活躍ぶりは日本人平均の五〇倍近いことになる。」
(講談社『現代』2001年1月号 211頁)
ttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai

<引用終了>

次に読者Gさん。こんにちは。
差別排外主義者とレッテルを貼って頂きどうも有難うございます。
レッテル貼りというのは、根拠無しに相手を誹謗中傷する詭弁の一種だそうです。ご自分の書き込みを赤面無しに読めるでしょうか?
ご自分のハンドルに反米平和派と書かれておりますが、平和派を自称されるわりには、とても戦闘的に感じました。尤も日本の左翼運動をされている方には、そういう方が多い様に思われますが....。

さて、リンクされていたURLを読ませ頂きましたが、基本的な疑問があります。それは、国民を対象とする福祉を外国人に対しどの程度認めるかという点です。在日が問題になるのは、日本という国家に対して帰属する意志がないにも拘わらず、日本国民が受ける福祉サービスは全て受けたいという強い意志を持っている点です。

換言すれば、日本国民としての義務をなす事なく、権利だけは享受しようとしているという事です。
在日は戦後、色々な手段を取って、日本人並みの権利を獲得してきました。私はそれは日本国民の負担の上に成り立っていると思います。私は、それは非可逆的なものではないと思います。

諸外国や他の外国人の場合と比べ、比較的容易に帰化する道が開かれているにも拘わらず、それをしない。即ち、日本という共同体に帰属しないという確固な意志があるのであれば、その事による不利益は甘受するというのが「民族の矜持」だろうと思います。

尚、在日を巡る諸問題に関しては以下のHPが非常に参考になります。
ご参考迄。著者は在日を親族に持っていらっしゃる方です。
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/index.html

<読者G>
> <引用開始>
> ヤクザについて昔からよく言われる噂に「同和が3割、朝鮮が3割」というものがある。

> こういう話もありますが、何か反論はありますか?

「同和が3割、朝鮮が3割」というのは、正確に統計をとることはできないが、それほど事実からかけ離れているわけではないと思います。
東京や横浜では、台湾系ヤクザも多いと思います。
警察利権の拡大などもあって、最近ではヤクザ社会も変貌しており、旧来型の「社会から疎外された人々」というヤクザは少なくなっていると思われますので、在日のヤクザは減っていると思います。

> また、それは何故ですか?

どの国でも、ヤクザになるのは被差別階層です。旧来型のヤクザに、被差別部落や在日朝鮮人が多かったことは当然です。

> さて、リンクされていたURLを読ませ頂きましたが、

まず、「在日外国人の生活保護受給率が高い」という書き込みがあったため、その理由の第一は「無年金者の多さにある」ということを指摘したまでです。

>基本的な疑問があります。それは、国民を対象とする福祉を外国人に対しどの程度認めるかという点です。在日が問題になるのは、日本という国家に対して帰属する意志がないにも拘わらず、日本国民が受ける福祉サービスは全て受けたいという強い意志を持っている点です。
> 換言すれば、日本国民としての義務をなす事なく、権利だけは享受しようとしているという事です。
> 在日は戦後、色々な手段を取って、日本人並みの権利を獲得してきました。私はそれは日本国民の負担の上に成り立っていると思います。私は、それは非可逆的なものではないと思います。
> 諸外国や他の外国人の場合と比べ、比較的容易に帰化する道が開かれているにも拘わらず、それをしない。即ち、日本という共同体に帰属しないという確固な意志があるのであれば、その事による不利益は甘受するというのが「民族の矜持」だろうと思います。

あなたは根本的なことが何も分かっていませんね。

まず、在日の特別永住者がどういう存在かわかっていますか?
かつて日本国民であったが、選択の機会を与えられずに一方的に国籍を奪われた人々のことですよ。選択の機会を与えずに一方的に国籍を奪っておきながら、「比較的容易に帰化する道が開かれている」とは盗人猛々しいにも程があります。

また、日本の国籍法は、二重国籍を認めていないため、日本に帰化するためには元の国籍の放棄が必要とされます。複数の国の国籍を持つことが当たり前のグローバル時代に、このような時代遅れの制度のどこが「容易に帰化できる」のでしょうか。

福祉は国民を対象とするものではありません。世界人権宣言第25条に、

>すべて人は、衣食住、医療及び必要な社会的施設等により、自己及び家族の健康及び福祉に十分な生活水準を保持する権利並びに失業、疾病、心身障害、配偶者の死亡、老齢その他不可抗力による生活不能の場合は、保障を受ける権利を有する。

とあるように、国籍に関わらずすべての人に必要な福祉が与えられなくてはなりません。ゆえに、福祉を受けるにあたって「国民の義務」を果たす義務などありません。

<読者E>
>まず、「在日外国人の生活保護受給率が高い」という書き込みがあったため、その理由の第一は「無年金者の多さにある」ということを指摘したまでです。

まず、生活保護率の高さについて反論します。
前に述べた通り、在日の生活保護率は23%です。
貴方は、無年金者の多さにあると指摘されていますが、前掲した資料を見て頂ければ判る様に在日の内、65歳以上の方の構成率は約13%になります。貴方のおっしゃる通りにこれを差し引いても生活保護率は10%と日本人の平均0.9%と比べ10倍以上となります。
貴掲載のHPには、在日にも年金受給資格が出来た事が記載されていますが、在日は元々経済目的の不法入国者であり、難民とは異なる扱いをするのが適当と考えます。こういう処が私のいうお役所の甘い処です。毅然としないから、どんどん付け込まれるんですよね。
なお、私が在日が経済目的の不法入国者と考える理由については以下のサイトで易しく説明されています。

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7751/

>また、日本の国籍法は、二重国籍を認めていないため、日本に帰化するためには元の国籍の放棄が必要とされます。複数の国の国籍を持つことが当たり前のグローバル時代に、このような時代遅れの制度のどこが「容易に帰化できる」のでしょうか。

物、金のグローバル化の趨勢は認めますが、人の問題特に国籍については二重国籍が世界の趨勢とは認められません。僅かな例外をもって、一般化するのは、これまた詭弁の一種です。

>世界人権宣言第25条に、

人権宣言のどこに外国人に自国民と同様の福祉を与えないといけないと書いてあるのでしょうか?
読ませて頂いた範囲では書いていない様ですが.....。
また、できましたら、外国人に自国民と同様の福祉を与えている国について実例を教えて頂けると有難いと思います。

蛇足ですが、私は拉致問題で北朝鮮に対し非難声明一つ出来ない国連人権委員会が起草した宣言にどの程度の実効性があるのか深く疑問とする処です。また、この宣言にあなたがおっしゃるほどの拘束力があるのであれば国連全加盟国でどの程度履行されているでしょうか?

これについては私がリンクしたHPをお読み頂ければ丁寧に書かれておりますのでご参照下さい。

<読者G>
> これについては私がリンクしたHPをお読み頂ければ丁寧に書かれおりますのでご参照下さい。

これhttp://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daisanjuuyondai
ですが、失礼ながら無内容極まれりというべき駄文ですね。

>差別があろうがなかろうが、また在日であろうが日本人であろうが、ヤクザになってはいけない。ヤクザになるのは本人の責任である。日本社会の構造差別を理由に彼らを正当化するのは、とんでもないことだ。

「とんでもないことだ」といくらお説教しようと、被差別者がヤクザになることは止めようがないと思いますが。

ばかげたお説教をする前に、差別をなくすように努力したらどうですか。

<読者E>
あなたの理屈だと、"被差別者"であれば、理由なく日本人に対して犯罪を行っても良いという事になります。あるいは日本国に住んでいても日本国の法律は無視して構わないという事ですね。そういう方々の事は通常「反社会的勢力」と呼ぶのではないでしょうか?「差別」ではなく犯罪者として「区別」されても仕方ないですね。
「日本人」と「外国人」を区別するのと同じです。

語るに落ちたという事で、今後レスは控えさせて頂きます。

<読者G>
> %になります。貴方のおっしゃる通りにこれを差し引いても生活保護率は10%と日本人の平均0.9%と比べ10倍以上となります。

その数字が仮に正しいにしても、日本社会の差別の結果でしょう。
在日が就職するのがいかに難しいかご存知ですか?韓国籍に対する差別は減ってきてはいますがまだまだ根強いものがあります。朝鮮籍に対する差別はいっそう激しいものです。大学や専門学校の就職担当者であれば、成績が良いにも関わらず朝鮮籍の学生がいつまでも就職を決められないというようなことは、ほとんどが経験しているでしょう。

> 貴掲載のHPには、在日にも年金受給資格が出来た事が記載されていますが、在日は元々経済目的の不法入国者であり、難民とは異なる扱いをするのが適当と考えます。

入国の時点で「不法入国」であった人は多いでしょうが、それらの人々でも現在は特別永住者として合法的に居住しています。

それと何か誤解されているようですが、「不法入国」と「難民」は相反するものではないですよ。むしろ難民は不法入国が普通です。普通に外国にいけるなら難民とは言いません。日本で難民申請する外国人も、ほとんどは偽造パスポートで入国しています。

私の友人のアフガニスタン人も、偽造パスポートで入国して難民申請しています。

それに、1945年以後の朝鮮半島が分断や戦争に苦しんだのは、もとはといえば日本の植民地支配の結果ですから、日本はその責任を負わなくてはなりません。したがって、朝鮮半島からの難民は無条件に受け入れるのが当然です。

> 毅然としないから、どんどん付け込まれるんですよね。
> なお、私が在日が経済目的の不法入国者と考える理由については以下のサイトで易しく説明されています。
>
> http://www.geocities.co.jp/WallStreet/7751/

読むにも値しない極右排外主義文書じゃないですか。

> 物、金のグローバル化の趨勢は認めますが、人の問題特に国籍については二重国籍が世界の趨勢とは認められません。僅かな例外をもて、一般化するのは、これまた詭弁の一種です。

明らかに、二重国籍容認は世界の趨勢になりつつあります。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Forest/4037/citizenship/dcl-countries.htm
日本ですら二重国籍禁止は空洞化しつつありますし、海外移住者や国際結婚者の要望が増えています。

> >世界人権宣言第25条に、
>
> 人権宣言のどこに外国人に自国民と同様の福祉を与えないといけないと書いてあるのでしょうか?

私はそんなことを言っていません。あなたが、「福祉は国民に対するもので、国民の義務を果たさなければ福祉を受ける資格がない」と述べたから、そうではなく福祉は国籍を問わないものであると述べたのです。国民と外国人の間に一定の差別がありうることまでは否定していません。

> 蛇足ですが、私は拉致問題で北朝鮮に対し非難声明一つ出来ない国連人権委員会が起草した宣言にどの程度の実効性があるのか深く疑問とする処です。

拉致問題は植民地支配の結果であるから、軽々しく一方的非難をすることを避けるのは国際機関として当然でしょう。

また、日本政府は国連人権委員会を一貫して無視してきました。性奴隷問題で、国連人権委員会は勧告を出しましたが、日本政府は無視していますね。それなのに、拉致問題の時だけ利用しようとしても相手にされませんよ。

>また、この宣言にあなたがおっしゃるほどの拘束力があるのであれば国連全加盟国でどの程度履行されているでしょ

そういうことではなく、「福祉は国民の義務に対応するもの」というあなたの基本的発想が間違っていることを否定したまでです。

(完)

太田述正コラム#0271(2004.2.26)
<旧日本領からの移民受け入れの是非(その2)>

<読者D>
縄文モードとはどういう意味でしょうか?肯定的には受け取りにくい発言のように感じました。余計なお世話ですが、太田さんが落選されたのも、このような言い方をされてきたからではないかと思います。

> 日本は成熟した民主主義国家です。また、日本の市民の大部分は、日本が国際社会の希望を無視して行動するわけにはいかないことも自覚していると思います。経団連と国連(こちらはちょっと記憶が正確ではないのですが)は、それぞれ日本の世論と世界の声の有力な代弁者の一つです。日本の市民の多くが自分自身の利害と上記等の意見に照らして、早晩、常識的な結論に達するだろう・・そのことを希望している・・ということです。

私が言いたかったのは、人間が欲望を離れては生きられない存在であるならば、国連や経団連の構成員が自らの利益を度外視した主張をすることはないということです。太田さんや私の意見が絶対に正しいとは言えないように、彼らの意見も絶対に正しいわけではないということを、もう一度考えてみてください。

> 人間は環境の産物でもあります。蛇足ながら具体例を一つあげておきます。アラブ社会は、おしなべて専制的支配の下にあり、経済は停滞しています。アラブ社会の中で個人がその個
> 性を活かして活躍することは極めて困難です。

蛇足以下を読む限り、発想を持つことと、それを活かした活動ができる環境があるかどうかとは、別問題であることをご理解されていないように感じました。私は、発想とは個人の資質だと言っただけで、それが活かせる環境の有無までは言及しておりません。もう一度考え直してみてください。

> 移民大量受け入れに伴うコスト(例えば犯罪の増加)は、それほどではないかもしれない、ということです。良貨は悪貨を駆逐するからです。

つまり、不法滞在者をへらすために、日本は移民を受け入れた方がよいということですか?それが太田さんのいう安全保障ですか?

> おっしゃっている意味はもちろん分かっています。質(例えば生産性)を上げることと量(例えば販売高)の維持・拡大を図ることとの兼ね合いの問題です。一方だけでいいというわけにはいきません。しかも移民の大量受け入れは、日本の人的資源を量的に維持(或いは減少傾向を緩和する)することに資するだけでなく、その質的向上にも資する(金太郎飴的発想がなくなる)にも資する、という点が重要です。

私が申し上げているのは、官・民の構造改革をすすめると、移民に与える仕事が日本にはなくなるのでは?、ということです。この点について太田さんはご理解されていないように感じます。

> これは絶対論と相対論の兼ね合いの問題です。

これは絶対論と相対論の兼ね合いの問題であり、諸外国と比較することはあまり意味がないのでは?という意味を込めて「・・・という考えを導き出すこと"も"できます。」と申し上げたのです。そもそも、なぜ太田さんは諸外国との比較を持ち出したのですか?ご発言の趣旨がよく分かりませんでした。

> 総じて投稿子に申し上げたいことは、バランスのとれた、総合的な物の見方をしてください、ということです。

「縄文モード」やこのような発言を読む限り、率直に申しますと、太田さんは、官僚であったころの「過信」をいまだに引きずっているように感じます。

<太田>
>縄文モードとはどういう意味でしょうか?肯定的には受け取りにくい発言のように感じました。余計なお世話ですが、太田さんが落選されたのも、このような言い方をされてきたからではないかと思います。・・「縄文モード」やこのような発言を読む限り、率直に申しますと、太田さんは、官僚であったころの「過信」をいまだに引きずっているように感じます。

やれやれ、もう少し議論自体を楽しんでください。
プラトンの対話編をまだお読みでなかったら、一つでも二つでもいいので、読んで見てください。どんなに当時のアテナイの人々が議論を楽しんでいたかが分かりますよ。
それと同時に、プラトンの対話編の主人公であるソクラテスが、その言論をとがめられてアテナイ市民達によって死刑に処せられたことも思い出してください。
そして、現在の日本のように言論の自由がほぼ完全に保証されている社会に生きていることの幸せをかみしめてください。

縄文モードについては、コラム#116、#154、#159、及び#226を参照してください。機会があれば、縄文、弥生モードの議論をより詳細に展開したいと思っています。
意味が分からなかったら、質問すればいいのです。
分からないまま、勝手な思い込みをしないようにお願いしておきます。
いずれにせよ、私は縄文モードそのものに悪い意味は全く込めていません。現在の日本は、縄文時代、平安時代、徳川時代のそれぞれの「鎖国」期が成熟させて行った国風文化のたまものです。
しかし、現在のようなグローバライゼーションの時代にはもはや「鎖国」する贅沢は許されていない、というのが私の考えなのです。

私の旧日本帝国領の住民に日本への移住権を、という提案は、既にコラム#135でしています。
当時は全く反響がなかったのに、今度は大変な反響ですね。これは私のコラムの読者層が広がったためだ、とありがたく受け止めています。
ただ、できれば、感情的に反発されるだけではなく、なぜご自分が感情的に反発したのかをじっくり考える契機にしていただければありがたいですね。

<読者E>
縄文モードとは手厳しい限りですね。(^^;
根拠も説明されずに、そういうレッテルを貼るのは太田さんらしからぬ様に思います。

確かに物・金についてはグローバル化の時代ではありますが、人については、なかなか難しいものがあります。人は常により良い生活を求めるものです。ですから、今がそうである様に豊かに生活出来る可能性のある処に移りたいという希求がある点は良く理解出来ます。ただ、残念ながら現在は国民国家、民族国家の時代です。主権国家の枠は厳然として存在します。日本の様に単一文化国家の場合治安対策等の社会的なコストが非常に高くつく事はご理解頂けると
思います。
例えば、在日韓国・朝鮮人の23%は生活保護を受けており、この生活保護の費用だけで、平成15年度予算ベースで総額1兆5200円の約10分の1として年間約1500億円です。たった60万と言われる在日の生活保護費用にこれだけかかります。彼らは人口の0.5%しかおりません。
制限的にでも受け入れた場合、長期的には直接的な社会保障コストだけで日本人の25倍がかかる(日本人の生活保護率は0.9%)移民を、治安の不安もあるのに、何故に受け入れるのか極めて疑問です。グローバル化即ち善ではありません。
不法移民の増加に備える必要はあっても、移民を積極的に受け入れる理由はないというのが私の意見です。(数字の典拠:http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/2487/

ですから、移民なしで過ごさなければならない国力の低下等の苦痛があったとして、それを甘受するのも国民の選択であると思います。
昨今の外国人犯罪の増加により、国民の多くが不安を感じている点も合わせ、現時点で移民受け入れの社会的な合意は全くないものと考えます。

私は現在、米国に在住しておりますし、過去、シンガポールに住んでいた事があります。両国の移民政策について詳しい訳ではありませんが、両国共に移民を無制限に許容している訳ではありません。シンガポールは極めて厳しい不法移民の取り締まりを行っています。米国は元々移民の国ですから比較的寛容ですが、それでも、市民権取得はかなり困難です。現在は不法移民は別にして出身国別の年間割当が決まっています。

米国の場合はヒスパニック系の不法移民の人口が増加し、2001年で確か、黒人の人口を追い抜きました。また、政府・地方公共団体の広告は英語と共にスペイン語でも記載しなければならない事が義務付けられました。学校におけるESL教育も含め、これを米国の懐の深さと解釈するか、米国も苦労していると取るかは様々ですが、そういう事で社会的なコストが上昇する事実は変わりありません。
限られた予算を配分する上で新たな社会的なコストが発生すれば、それは、どこかで補填されねばなりません。太田さんはその痛みをどこに求められますか?

太田さんは、旧日本帝国領からの移民を自由化すべきという意見をお持ちですが、具体的には台湾と韓国・北朝鮮が対象になります。
太田さんのご意見を受け入れた場合、現在でも多くの課題を抱える在日問題を更に悪化させる懸念が高くなる様に思われますが如何でしょうか?またその場合、北朝鮮の崩壊により大量発生が予想される北朝鮮難民をどの様に取り扱われるおつもりでしょうか?

また、シングルマザーについての議論ですが、私の意見の出発点は、将来予想される高齢化社会に如何に対応するかという点にあります。
これについての基本的な方針は、手厚い社会福祉政策を取る事は、労働人口に高負担をかけ、経済全体の活力を失わせる。従って、社会福祉のレベルを国民が納得出きる範囲で落とさざるをえない。加えて、将来に備え健全な労働人口を増加させないといけないというものです。また、その手段の一つとして税制度を活用して誘導するというものです。

太田さんが矛盾するものが含まれる指摘されたのは以下の
4. 3.の一方で出産に関する所得制限を設けます。
これはシングルマザー等の増加による社会保障費の増加を圧縮する為の処置です。

と思いますが、やみくもに人口を増やせば良いというものではありません。生活保護を受ける家庭を減少させる即ち社会的な負担を軽減させる点から私は意味があると考えます。
私自身が子供を三人かかえ生活に四苦八苦している訳で、子供を育てるには相応の経済的な基盤が必須です。セイフティーネットとしての生活保護は必要ですが、貧困の再生産を防ぐ見地からも出産に関する所得制限は必要と考えます。
具体的には離婚による母子家庭は保護するが、未婚母子家庭の発生、生活保護世帯の出産は抑制するという事です。

シングルマザーについては色んな角度からの議論が可能ですし、現になされていますが、私の提案も国民経済的な見地からすれば、十分成り立ちうるものと考えます。

太田さんは「(私は、日本はシングルマザー(ファザーもあってよろしい)が先進国中、異常に少なすぎると思っています。)」と書かれていますが、私はこれは歓迎すべき点でありさえすれ変更すべき点とは考えておりません。

高齢化社会に対する解法として太田さんは、具体的な提案としては移民導入しか上げられておりません。それだけが処方箋であるとすれば、やはり極めて乱暴な提案と言わざるをえません。

<太田>
>在日韓国・朝鮮人の生活保護費用は、・・約1500億になります。

「在日韓国・朝鮮人」の中には日本に帰化した人々は入っていないのでは?
これらを全部カウントしたとして、彼らが払ってくれている税金の総額は、1500億円(という金額が正しいとしても)より相当大きいのではありませんか。

>太田さんのご意見を受け入れた場合、現在でも多くの課題を抱える在日問題を更に悪化させる懸念が高くなる様に思われますが如何でしょうか?またその場合、北朝鮮の崩壊により大量発生が予想される北朝鮮難民をどの様に取り扱われるおつもりでしょうか?

私は「在日」のコストよりベネフィットの方が上回っていると考えているので、お答えのしようがありません。
後段については、私は北朝鮮を崩壊させるためにも日本が難民(移民)受け入れを宣言すべきだ、という考えです。
実際に北朝鮮が崩壊した時には、当然、韓国等とも話し合って激変緩和措置を講じるべきでしょう。

>シングルマザー等の増加による社会保障費の増加を圧縮する

シングルマザー(ファーザー。以下同じ)が仕事をして収入を得る施策を講じる(そのためにも、保育園等で働く移民を受け入れるべきです)ことによって、生活保護費の増加を抑制することができます。また、シングルマザーの子供はやがて大人になって税金を払ってくれるようになるのですよ。大目的を達成するための一時的な社会的負担の増加を回避しているようでは
話になりません。

><日本で>シングルマザーが先進国中、異常に少なすぎる<ことについては、>私はこれは歓迎すべき点でありさえすれ変更すべき点とは考えておりません。

日本の女性問題の深刻さに完全に目をつぶった議論です。
先進国中最悪の差別構造の下、女性がフルタイムで仕事を続けること自体が困難な日本社会では、シングルであり続けざるを得ない女性が増える一方であり、せめてシングルマザーにはなりたいという希望者は沢山いても、シングルマザーになった瞬間、結婚を忌避してまで守ろうとした自分の仕事を失ってしまうという状況なのですよ。
女性問題は日本が人権後進国であることの端的な現れであり、由々しい問題であるという自覚をぜひ持ってください。
女性の読者の方、ご意見をぜひどうぞ。

>高齢化社会に対する解法として太田さんは、具体的な提案としては移民導入しか上げられておりません。それだけが処方箋であるとすれば、やはり極めて乱暴な提案と言わざるをえません。

私のホームページの主張(選挙に出たときのもの)をご覧ください。

(完?)

太田述正コラム#0270(2004.2.25)
<旧日本領からの移民受け入れの是非(その1)>

 この数日、旧日本帝国領域の住民の日本移住を無条件で認めるべきだとした私の主張に多方面からご批判をいただいています。
 この論議が私のホームページの掲示板だけでなく、一部他のサイトでも取り上げられたことと、コラム読者の中には掲示板までご覧になっていない方がおられること、更には掲示板がパンク状態であることから、これまでの議論を二回に分けてコラムとしてお送りすることにしました。その際、最低限の加筆訂正を私以外の投稿者の文章についても施している場合があることをお断りしておきます。

<読者A>
韓国では剣道や侍、日本刀などありとあらゆる日本の文化の起源が韓国である、と一部の知識人によって脆弱な根拠に基づいて主張され、それが信じ込まれ、世界に発信されていると聞きます。自国にオリジナルのものが少ないからか、自国の評判をあげるためにこういう行為が行われるのかどうかは分かりませんが、日本文化の歴史、起源などを歪めるあからさまな起源捏造の数々が行われていることを見過ごすことはできません。日本を見下しながら、一方で日本文化の素晴らしさを認めるかのようなこの行為、複雑な韓国人の心理が見受けられます。私達日本人はどう対処してゆくべきなのでしょうか?

<太田>
まず、韓国とのあらゆる障壁の撤廃に向け、努力を続けることでしょう。
自由貿易協定(FTA)の締結、韓国の日本文化流入規制の完全撤廃等です。
また、私は、朝鮮半島を含む旧日本帝国領域の住民には、無条件で日本に移住する権利を与えるべきだと考えています。(これは、小子化に伴う日本の生産人口縮小を少しでも食い止めることにもなるでしょう。)

その一方で、日本列島と朝鮮半島が共有する歴史や、両地域のプラスの交流の歴史に焦点をあてた日韓の学者の歴史研究に両国の民間の財団等がが補助金を出すことが望ましいと思います。

他の読者の方々のご意見もお聞きしたいものです。

<読者B>
>また、私は、朝鮮半島を含む旧日本帝国領域の住民には、無条件で日本に移住する権利を与え>るべきだと考えています。(これは、小子化に伴う日本の生産人口縮小を少しでも食い止め>ることにもなるでしょう。)

工エエェ(´д`)ェエエ工
ちょっとコラム見た限りじゃまともそうだと思ったのにそうでもないのか。

<読者C>
かの国を分かってそうで分かってない。
ってことだろ。

<読者B>
移住すれば税金も保険料も払うはずと思っている時点で、認識不足。税金、保険料払わないで、年とったら年金だけ要求してくる、というのが健全な常識だねぃ。
あと、治安維持コストも上がるしね。
実はおれも3年前同じことを考えてました。
今では当時の認識不足を恥じています…

<読者C>
痛いなんてもんじゃな、ただの馬鹿だろこいつ。
>なお、民主党にはいまだに安全保障政策がありません                 これでどう支持しろと?
>また、私は、朝鮮半島を含む旧日本帝国領域の住民には、無条件で日本に移住する権利を与えるべき 
だと。こんな妄想といい、どうしようもねえ馬鹿じゃん。
<読者B>
確かに。
半島人の観察は的外れでもないと思うのだけれど、なんでこんな斜め上な結論になってしまうのだろー。
左翼フィルターが強烈なんかな。
この世代(決めつけてしまうが)は何を見ても洗脳から立ち直れんのかの??。

<読者C>
この人、某国の工作員なのかもしれないよ。
>朝鮮半島を含む旧日本帝国領域の住民
こういう表現なら、朝鮮シンパだと思われないし、右翼の日本人も支持してくれるかもしれないしね。
日本に移住ね。これはただの侵略ですよ。
<太田>
http://ex2.2ch.net/test/read.cgi/korea/1070059782/l50で展開されている私の「移住」案への批判<は>面白いですねえ。
<この批判>についてですが、
1 「韓国人」「在日」といった、十把ひとからげの議論はやめましょう。「差別」はそこから始まりす。
2 どうせ喧嘩するなら、「小国」韓国や北朝鮮でなく、「大国」中共、特に「超大国」米国相手に喧嘩しましょう。私のように(これは余計か)。
3 日本の安全保障に関心を持ちましょう。日本の生産人口の減少は由々しい問題です。ブラジルから「日系」人を連れてくるくらいなら、台湾人、朝鮮半島の人々を受け入れましょう。第一、移民をきちんと受け入れなければ、不法入国者(好ましからざる人物が多い)の跳梁を許すばかりですよ。

<読者D>
日本には無駄な仕事がかなりありますよね?国会議員をはじめとする議員も人数が多すぎるようですし、建設業も就業人口が多すぎるように思います。流通業もむやみに複雑で、人を減らしてスリム化をはかる必要があると思います。ほんとうに役所も企業も必要のない部署や人が多すぎると思うのです。もし、生産人口がこのままで、日本のあらゆる無駄を取り除いたら、失業する人が大量に発生して大問題になります。そのように考えると、生産人口の減少というのは、効率化・スリム化をはかる上でとても都合がいいことだと思うのですがどうでしょうか?

>3 日本の安全保障に関心を持ちましょう。日本の生> 産人口の減少は由々しい問題です。ブラジルから「日系」人を連れてくるくらいなら、台湾人、朝鮮半島の人々を受け入れましょう。第一、移民をきちんと受け入れなければ、不法入国者(好ましからざる人物が多い)の跳梁を許すばかりですよ。

上記のように考えると、生産人口の減少による不法入国者の増加は、日本が無駄な社会構造を維持するために起こる問題だと思いますので、安全保障とは直接の関係はないようにかんじます。

<太田>
日本の大幅な移民受け入れの必要性については、既に経団連と国連(だったと思います)が指摘しています。一般市民のレベルでも早晩それが常識になることでしょう。いずれきちんと議論をしたいと思います。

また、日本の人口構成が高齢者に偏った姿になり、しかもどんどん人口が減っていくということは日本の安全保障上の危機だと私が考えているのも、ごく当たり前の話だと思いますが、これについても改めて議論をしましょう。

もう一点申し上げておきます。
私は、エジプトのカイロ、カリフォルニア、ロンドンと何度もmulti-ethnic社会・・いまや、日本や韓国等を除いて世界中がそうなりつつある・・での生活体験があり、そのような社会の抱える問題についても十分承知していますが、他方、戦後日本が余りに均質な社会となったがゆえに金太郎飴的発想しかできなくなっていることも深刻な問題だと思っています。
私のもともとの専門分野の安全保障に即して申し上げれば、戦後日本において、自民党も社会党も、そしてこの両党に投票する有権者もことごとく、ニュアンスの差こそあれ、吉田ドクトリン的発想に染まったまま現在に至っていることがそのいい例です。
そもそも安全保障感覚というものは、人間みな必ずしも同じでない、故に殺し合うほどの紛争が生起する危険性が常にある、という認識がないところでは身につかないのだと思います。
戦後日本が、独創的な人文・社会科学を生み出していないのも同じ理由からだと思います。
私は、そんな日本はきらいです。
しかも、不法滞在者の犯罪によって、均質社会であるが故のとりえの一つであった治安の良さも急速に失われつつあることを思い出してください。

最後に、投稿子が指摘しておられる、日本の公的セクターと私的セクターの構造改革の必要性については私も全く同感です。しかし、だからといって、人口構成と人口の変化の問題を無視してもよいということにはなりません。
なお、日本の(地方公務員も合わせた)公務員の総人口比は、OECD加盟国の中で最低の部類に属することもお忘れなく。

<読者D>
> 日本の大幅な移民受け入れの必要性については、既に経団連と国連(だったと思います)が指摘しています。

経団連と国連は彼らの都合で発言しているだけで、日本という国家の都合を考えて発言しているわけではないと思います。ですから、彼らの考えを、自らの主張の正当性の理由とする(しているように見える)太田さんの発言は、日本という国の立場からのもの、とは考えにくいと思います。

> 他方、戦後日本が余りに均質な社会となったがゆえに金太郎飴的発想しかできなくなっていることも深刻な問題だと思っています。

外国人と比較して日本人が金太郎飴的発想しかできないとおっしゃっているのですか?私は、発想は個人の資質だと思います(日本人にも色々な人がいますよ)。

> しかも、不法滞在者の犯罪によって、均質社会であるが故のとりえの一つであった治安の良さも急速に失われつつあることを思い出してください。

不法滞在者の犯罪増加と日本が移民を受け入れることの是非とどう関連するのでしょうか?日本が移民を受け入れていないから、不法滞在者がいるということですか?それとも不法滞在者をなくすために、日本は移民を受け入れた方がよいということですか?

> 最後に、投稿子が指摘しておられる、日本の公的セクターと私的セクターの構造改革の必要性については私も全く同感です。しかし、だからといって、人口構成と人口の変化の問題を無視してもよいということにはなりません。

民と官の構造改革を進めると、少ない就業人口で現在レベルの経済活動を維持できるのでは?、というのが私の考えです。別の言い方をすれば、改革を進めると人手が余るから、移民を受け入れても彼らにしてもらう仕事はなくなるのでは?ということなのです。

> なお、日本の(地方公務員も合わせた)公務員の総人口比は、OECD加盟国の中で最低の部類に属することもお忘れなく。

この発言から、日本以外のOECD加盟国は、日本以上の無駄な構造を抱えている、という考えを導き出すこともできます。もし、「公務員の人口比が他国と比較して最低だから、日本は他国よりも公務員を効率的に運用している」と考えているなら、それこそ、太田さんの言われるところの「金太郎飴的発想」ではないでしょうか?

<太田>
>経団連と国連は彼らの都合で発言しているだけで、日本という国家の都合を考えて発言しているわけではないと思います。ですから、彼らの考えを、自らの主張の正当性の理由とする(しているように見える)太田さんの発言は、日本という国の立場からのもの、とは考えにくいと思います。

日本は成熟した民主主義国家です。また、日本の市民の大部分は、日本が国際社会の希望を無視して行動するわけにはいかないことも自覚していると思います。
経団連と国連(こちらはちょっと記憶が正確ではないのですが)は、それぞれ日本の世論と世界の声の有力な代弁者の一つです。
日本の市民の多くが自分自身の利害と上記等の意見に照らして、早晩、常識的な結論に達するだろう・・そのことを希望している・・ということです。

>外国人と比較して日本人が金太郎飴的発想しかできないとおっしゃっているのですか?私は、発想は個人の資質だと思います(日本人にも色々な人がいますよ)。

人間は環境の産物でもあります。
蛇足ながら具体例を一つあげておきます。
アラブ社会は、おしなべて専制的支配の下にあり、経済は停滞しています。アラブ社会の中で個人がその個性を活かして活躍することは極めて困難です。

>不法滞在者の犯罪増加と日本が移民を受け入れることの是非とどう関連するのでしょうか?日本が移民を受け入れていないから、不法滞在者がいるということですか?それとも不法滞在者をなくすために、日本は移民を受け入れた方がよいということですか?

移民大量受け入れに伴うコスト(例えば犯罪の増加)は、それほどではないかもしれない、ということです。良貨は悪貨を駆逐するからです。

>民と官の構造改革を進めると、少ない就業人口で現在レベルの経済活動を維持できるのでは?、というのが私の考えです。別の言い方をすれば、改革を進めると人手が余るから、移民を受け入れても彼らにしてもらう仕事はなくなるのでは?ということなのです。

おっしゃっている意味はもちろん分かっています。
質(例えば生産性)を上げることと量(例えば販売高)の維持・拡大を図ることとの兼ね合いの問題です。一方だけでいいというわけにはいきません。
 しかも移民の大量受け入れは、日本の人的資源を量的に維持(或いは減少傾向を緩和する)することに資するだけでなく、その質的向上にも資する(金太郎飴的発想がなくなる)、という点が重要です。

><公務員の総人口比が日本より多い>日本以外のOECD加盟国は、日本以上の無駄な構造を抱えている、という考えを導き出すこともできます。もし、「公務員の人口比が他国と比較して最低だから、日本は他国よりも公務員を効率的に運用している」と考えているなら、それこそ、太田さんの言われるところの「金太郎飴的発想」ではないでしょうか?

これは絶対論と相対論の兼ね合いの問題です。

総じて投稿子に申し上げたいことは、バランスのとれた、総合的な物の見方をしてください、ということです。

<読者E>
この件については、残念ながら太田さんの言われる移民導入には、反対させて頂きます。現在の日本の人口ピラミッドを考えれば、確かに将来の労働力不足を心配される気持は良くわかります。

ただ、移民受け入れは最後の手段ではないでしょうか。それ以前にやらなければならない対策が数多く残っています。また、移民受け入れのコストについては将来非常に大きなものになる可能性が高く安易な受け入れには反対です。70年代??80年代に多くの移民を受け入れた欧州を見れば明らかです。太田さんの主張される移民の間で良貨が悪貨を駆逐する現象は起こっていない様に思います。
逆に一度移民を大規模に受け入れ入れると強制的な排除が人道的に極めて難しいのは、在日韓国・朝鮮人を見ても明らかです。
治安回復の為のコストは膨大なものになる可能性があり、移民問題の解決について今欧州で見られるような極右台頭の可能性すらあります。正しく国家百年の計を考えて実施されるべき政策ではないでしょうか。

この問題についての私の提案は以下の四点です。

1. 定年性の廃止、年齢による就業差別の撤廃。
これは米国では普通に行われている事です。定年制や年齢による就業差別により働ける能力がある人、働きたい人が働けなくなってしまいます。これは徒に社会保険費用を増加させてしまうだけです。

2. 上記に合わせて、年金支給に関する所得制限、資産制限の設置。
労働人口の減少が明らかなんですから、社会保障の対象となる層は減らさざるを得ません。

3. 出産に対する税制上のインセンティブの付与。独身者に対する税制上のペナルティの追加。
これは労働力人口を増加させる為には必須であると思います。

4. 3.の一方で出産に関する所得制限を設けます。
これはシングルマザー等の増加による社会保障費の増加を圧縮する為の処置です。
シンガポールでは、第三子以上を出産する場合は一定所得水準以下の場合は税制上のペナルティを設けています。この結果、シンガポールの人種構成は独立後40年変化がありません。

<太田>
こんな類の話であれば、お二人とも本名を名乗られてもよさそうな気もしますが、ネチズンの世界は、面白いですね。

さて、お二人のお話をうけたまわっていると、まだまだ日本は縄文モードだな、とつくづく思います。グローバリゼーションの世の中、ヒトの面でもカネの面でもいつまでも鎖国状態が続くわけがない、続けられない、と早く悟っていただきたいものです。
あなたのEUの取り上げ方は極めて一面的です。EUはどんどん拡大しており、後進地域から先進地域へのヒトの流入=移民、は今後一層加速して行くことでしょう。
戦前の日本帝国にしても、戦時中の大東亜共栄圏にしても、EUの東アジア版の先取りだったという視点も必要です。

>一度移民を大規模に受け入れ入れると強制的な排除が人道的に極めて難しいのは、在日韓国・朝鮮人を見ても明らかです。

そもそも、どうして「強制的排除」をする必要があるのですか。在日の人々の戦後日本に与えた収支計算はどう考えても大幅なプラスだったと思います。日本帝国市民として彼らを戦前の日本が育て上げた成果でもあるのでしょう。その成果は良かれ悪しかれ、現在の朝鮮半島や台湾の人々の間でも受け継がれています。
移民を入れよう、入れる場合は旧日本帝国領域の人々を優先しよう、と私が主張しているのはそのためです。

最後に一言、私は社会政策の専門家ではありませんので、他の読者の方々の意見もぜひ拝聴したいのですが、移民の代替案としてあなたが提示された諸施策は、相互に矛盾するものが含まれているよう気がします。
(私は、日本はシングルマザー(ファザーもあってよろしい)が先進国中、異常に少なすぎると思っています。)
いずれにせよ、移民受け入れか否かにかかわらず、精査の上、小子化、女性問題対策等を講じていく必要があることは言うまでもありません。

(続く)

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