カテゴリ: 北方領土2島返還

太田述正コラム#0607(2005.1.27)
<2島返還で、北方領土問題解決を(続々)>

 小宮さんから、反論が届いたので、ご披露させていただきます。
 最後に私のコメントをつけてあります。
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あらためて、先の問題となった
条約本文のフランス語を以下に提示して解説することに致します。

En echange de la cession a la Russie des droits sur l'ile de Sakhaline, enoncee dans l'Article premier, Sa Majeste l'Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l'Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l'Empire du Japon

ここで問題になっているのは単純な英文解釈ならぬ仏文解釈の問題、いわゆる文法論議で、関係代名詞の制限・非制限用法の問題です。太田さんは英語だと「機械的」にコンマの位置で制限・非制限用法の違いを区別できると仰っていますが、(英語に詳しくない私が言うのも何ですが)おそらくそんなことはないでしょう^^;。
今現在学校教育で関係代名詞の制限・非制限用法がどのように教えられているか詳しいことは知りませんが、私が習った頃は「関係代名詞の制限用法は形容詞的に、すなわち後ろからひっくり返って訳す、非制限用法の場合は副詞的に、すなわち文を区切って訳す」のように教わったような気がします。しかしこの説明は、あくまで関係代名詞という文法要素を持たない日本語にいかにして英語の内容を移植するかの必要に駆られて導入された説明図式と言ってよいものです。
そもそも関係代名詞の制限・非制限用法を分けるのはカンマの位置であり、これはすなわち句読法(ポンクチュアシオン)の問題です。そもそもカンマを打つとは、そこが息をつぐポイントであることを意味します。息をつぐ、とは語られる言葉がそこで内容的に完結するか、あるいはその内容が一時宙釣りにされることです。このことから、関係代名詞の非制限用法においては、カンマに先行する文章はそこまでで意味が一応完結しているか、あるいは完結していないのなら、先行部分とは意味内容的に区別される別の内容、すなわち追加情報が付加されて
いる、と考えることになります。このような観点から先の問題となったフランス語を改めて読み解いてみましょう。

問題のフランス語: 1). le groupe des iles dites Kouriles qu'elle possede actuellement.
この文1). をいわゆる"横のものを縦にする"要領で訳そうとすると、関係節中のpossederの目的語がle groupeなのかles iles dites Kourilesなのか不明瞭なことから、文の解釈に多少の混乱が生じます。ここで仮に、関係代名詞queの前にコンマを打ってみます。

関係代名詞queの前にコンマを打った場合:
2). le groupe des iles dites Kouriles, qu'elle possede actuellement.

先に述べた「句読法とは息継ぎの問題」すなわち意味の切れ目であり、コンマ以下は追加情報である、ということを念頭に置いて、文2). を多少デフォルメして訳してみると、

文2) =「いわゆるクリル列島のグループ。(これは)現在ロシア皇帝が所有してるわけだが。」

のようになるでしょう。この試訳からも分かるように、queの前にコンマを打つと、関係節中で便宜的に括弧に括って示した"これ"が先行文中のle groupeとlesiles dites Kourilesのいずれをも指しうることから、文意がむしろ曖昧になります。というのも、この場合、le groupeであれ、les iles dites Kourilesであれ、どちらも理論的にはpossederの先行詞になりうるからです。というより、もし、このようなカンマの打ち方であったなら、"qu'elle possede actuellement"の部分がいわゆる"合いの手"になってしまい、なぜクリル諸島について「現在ロ
シア皇帝が所有してるわけだが」などとわざわざ言及されるのか理解に苦しむことになります。もしロシア皇帝が正真正銘にクリル列島を領有していたのなら、あっさり「クリル諸島を譲渡する"ceder les iles Kouriles"」とだけ書けばよかったはずです。ところがそのようには書かれていない。なら、それにはそれだけの理由があったはずです。それを以下で考えてみることにしましょう。
上記の引用文の内容と歴史的事実から、いくつかの仮説が考えられますが、まずそのうちのひとつは、

1) 条約締結当時の日本とロシアの間に、クリル列島(あるいは千島諸島)の地理的概念に関して、共通理解が成り立っていなかった。

ということがあげられると思います。この問題は先のメールでどうやら誤解を招いたみたいですから、もう少し慎重に扱う必要がありそうです。最初にお断りしておきますが、私は北方領土問題の専門家でありませんので、いつ、どういった条約が、どういう内容で結ばれた、等のことはほとんど知りません。ですから、ここから先は私の個人的理解と推測に基づいてお話しすることになります。
まず、おそらくロシア人にとって、クリル列島(千島列島)とは、シュムシュ島から北海道本島までを含めた島嶼地域を包括する地理上の概念だったと思われます(注1)。カムチャツカ半島の突端に立ってはるかに南の海を見はるかすロシアのコサックにとって、"Kouriles"という名称で言い表される地域が現在の日本政府の公式見解のように、シュムシュ島からウルップ島まで、と明確に境界が限られていたと考えるのは、おそらく相当な無理があり、蝦夷本島まで含めていたと考えるほうが妥当でしょう。

(注1)だからこそ、ソ連軍は日本敗戦後、北海道まで占領しようとしたのじゃないでしょうか?おそらくヤルタの密約でスターリンが期待していたのは北海道までを含めたクリル列島だったのでしょう。もっとも、これは今回の文法談義とは関係ありませんが、ヤルタ会談もひどい話で、自分の所有物でもないものをどう分捕るかを、あたかもお勤め前の盗賊よろしく、密約しているわけです。

翻って日本の立場にしてみれば、ロシア人が"クリル"と通称する地域に蝦夷本島や国後、択捉が含まれており、天明五年の最上徳内の調査旅行に遡る時代、あるいはそれ以前から、この地域は日本人による開発・交易が行われておりました。この地域の開発・交易に携わる日本人にとって、この地域は、ロシア人がクリルと呼ぼうがなんと呼ぼうが、北海道は蝦夷地、国後・択捉は国後・択捉であったでしょう。あるいは、場合によっては、日本人にとってさえ、この地域の通称は"千島"あるいは"クリル"だったかも知れません。
逆に私から太田さんにお尋ねしたいのは、この時代、つまり18世紀後半から19世紀後半の時期にかけて、この地域の日本人(あるいは当時の幕閣)が今日の日本政府の主張するような領域概念を持っていたかです。言い換えれば「ウルップ島以北が千島(クリル)列島」と考えていたかです。おそらく常識的に考えれば、そんなことはなかったでしょう。
つまり、ロシア人はシュムシュ島から北海道本島までの島嶼地域を"Kouriles"と呼んだとしても、日本人にとってそこは"蝦夷地"であったり、"その支島としての国後・択捉"であった。あるいはそういった地域を総称して"千島"と言ったかも知れず、「どこからどこまでが千島列島で、どこから先が北海道とその支島である」というような共通理解はこの条約が締結される以前の段階で日露双方に存在しなかったと考えるべきでしょう。
そしてこのことを示すのが先のフランス語における"les iles dites Kouriles"の"dites"の一語です。もし「どこからどこまで」とお互いにとって境界が明確な地域を指しているのであれば、"dites"などという語調緩和に類した機能を持つ語を差し挟む必要はありません。「いわゆるクリル諸島」と言わねばならなかったのは、交渉当事者の双方にとって(あるいは少なくともロシア側にとって)、どこからどこまでがクリル列島であるのか明確な合意、あるいは理解がなかったから、と考えるのが妥当です(ロシア側の立場としては北海道まで含めて"クリル列島"としたいが、日本側はそうじゃないと言っている、しかしまあ、ロシア側としてはこの地域を総称するのに"les iles Kouriles"とする方が便利だから、日本人の意向も容れてとりあえず"les iles dites Kouriles"とでもしておこう、こういったあたりがロシア側交渉当事者の考え方であったのではないかと憶測されます)。
ここでもういっぺん、なぜロシア側が「クリル列島を譲渡する"ceder les ilesKouriles"」とあっさり書けなかったかの問題に戻りましょう。その理由のひとつとして、クリル諸島について日露双方に共通理解が成立していなかったという仮説をあげましたが、この仮説は"dites"という語が実際に差し挟まれていたことからより蓋然性の高いものになったと思います。
なら、ロシア側は条約文中で"ceder les iles Kouriles"の代わりに、「いわゆるクリル諸島を譲渡する"ceder les iles dites Kouriles"」と書けばいいじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、この書き方にも無理があったと考えられます。
先にも述べたように、ロシア側の"クリル列島"概念はシュムシュ島から北海道本島までを含めた周辺地域についての総称であったと推測されます。ところが、

2) 北海道、およびその支島である国後・択捉は日本が歴史的事実として実効支配していました。

つまり北海道および国後・択捉は日本人の土地であった。ところで、ロシア人にとってのクリル諸島が国後・択捉および北海道本島をも含めたものであったとして、果たして、ロシアの手の及ばない北海道本島や国後・択捉島の所有権をロシアが云々することが出来たでしょうか?先のメールでも述べましたが、所有権を譲渡するためには、実際に"譲渡されるものを所有"していなければなりません。
したがって"ceder les iles Kouriles"と言う場合、ロシア人が"クリル列島"と見なす地域全域を支配して(注2)、初めてそれは可能になります。これは"ceder les iles Kouriles"が"ceder les iles dites Kouriles"とditesを付加された場合でも変わることはありません。

(注2)フランス語における複数定冠詞は"tous(=all)"の意味を含み持ちます。ですから、"les
iles Kouriles"あるいは"les iles dites Kouriles"と言う場合、それは"toutes les
iles Kouriles"あるいは"toutes les iles ditesKouriles"とほぼ同義になります。で
すから"les iles Kouriles"は単純に「千島列島」ではなく「千島全島」の意味で理解
しなければなりません。

ところで、なんども同じことを繰り返しますが、歴史的事実として、日本は国後・択捉島を実効支配していました。ロシア側の"クリル"概念は、おそらく国後・択捉および北海道本島をも含めたものだったでしょう。このように考えたとき、はたして、そもそもの事の発端である、関係代名詞の制限用法で読みとった場合の"iles dites Kouriles qu'elle possede actuellement(訳:「現在ロシア皇帝の所有するいわゆる千島全島」)"は意味をなすでしょうか?歴史的事実としてロシアは国後・択捉を所有していなかったのですから、このような言表は事実に反します(ここが一番重要です)。仮にこれが事実に反しないとするなら、ロシア側の言う"クリル列島"とはロシアの実効支配の及んでいた地域、すなわち、シュムシュ島からウルップ島まで、と逆に限定されることになります(ややこしいかも知れませんが、ここのところをしっかり理解して下さい、あるいはあえて曲解して政治利用するのもいいでしょう^^;)。
繰り返し言いますが、"les iles dites Kouriles qu'elle possede actuellement"は事実に反する言表です。
なぜ事実に反する言表になるか?それは関係節中のpossederの先行詞を取り違えているからです。ところがpossederの先行詞を"les iles dites Kouriles"ではなく、"le groupe de ..."と理解すれば、事実に反する言表は解消します。図示すれば以下のようになるでしょう。le groupe

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太田述正コラム#0603(2005.1.23)
<2島返還で、北方領土問題解決を(続)>

コラム#603に対し、小宮基敬(早稲田大学大学院文学研究科仏文専攻博士後期課程5年次在籍)さんから、ホームページの掲示板に投稿があったので、ここに転載し、小宮さんの指摘に対する私の疑問等を提示させていただきました。
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今回、改めて北方領土問題を取り上げられましたので、あえて私見を述べてみようと思い、筆を執りました(当方、多少フランス語に通じております)。なお、本文中は多少文体が違っておりますが、他意はありませんのでご容赦下さい。論じている内容は、先の「樺太・千島交換条約」のフランス語本文の解釈に関してです。<以下本文>

En echange de la cession a la Russie des droits sur l'ile de Sakhaline, enoncee dans l'Article premier, Sa Majeste l'Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l'Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l'Empire du Japon

 はじめに、上記の文章において、関係代名詞queの前にカンマが付く付かない、はこの文章に有意的差違を生じさせるものではない、と申し上げておく。おそらく、問題となるのは、Elle possedeの目的語が何か、ということを問題にしようとしているものと思われるが、フランス語の場合、英語のようにカンマの位置で機械的に制限、非制限用法が区別されるものではない。この場合、possederの目的語にはles iles dites Kourilesとle groupe des iles dites Kourilesの両方が充当しうる。フランス語であれ、日本語であれ、係り結びの問題は大いに文脈に依存する。仮に、ここでElle possedeの部分が複合過去(英語の現在完了)であれば、過去分詞possedeはその掛かる先を、たとえばそれがles iles dites Kourilesなら、possedeesのように活用して明示することになるが、残念ながらこの場合、動詞possederの時制が現在形であるので、係り結びを明示する形にはなっていない。したがってこの文章は、一般に厳密性を喧伝されるフランス語で書かれていても、大いに読み手次第で解釈の余地を許容する文章であると言わねばならない。
 要するに、問題は先の文章を、

ロシア皇帝が現在所有しているいわゆるクリル群島、を譲渡する
1) les iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement,

と読むのが正しいのか、それとも、

いわゆるクリル群島の、ロシア皇帝が現在所有している部分、を譲渡する
2) le groupe des iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement,

と読むのが正しいのか、の問題である。
 上の二つの文を見比べれば一目で分かると思うが、両者の違いは、前者がle groupe deの部分を含んでいないことである。このle groupe deは日本語に訳せば単純に「??の部分」を意味することになるが、ここで注意しなければならないのは、このgroupeとはある集合に包含される部分集合を指す、ということである(つまり千島列島という全体集合があるとして、その一部となる複数の島々ということである)。そして、通常この意味をとるとき、groupe deの目的語には複数名詞が充当され、実際この文においてもle groupe des ilesと複数名詞が充てられている。
 試みに、上の文、1)にle groupe deの意味を付加して解釈を試みてみると良い。

ロシア皇帝が現在所有しているいわゆるクリル群島の部分、を譲渡する

 となる。日本語だとなにやら分かったような気にさせられるが、仮にクリル群島の全体をそもそもの初めから譲渡したのなら、le groupe deなどという部分集合を明示する語を付加する必要はもとからなかったはずである。しかも、この文章はque以下の関係節中で"elle possede actuellement"と動詞possederの様態をわざわざ説明してくれている。このactuellementはさしずめ英語で言えばactuallyといったところであるが、フランス語の場合、英語におけるより時間性を強調することが多い。つまり、英語であれば「現実に」を意味するであろうが、フランス語の場合はむしろ「現時点において」の意味で理解するのが普通である。もっとも、actuellementの英仏両語におけるニュアンスの相違は大して有意的な差違を生ずるものではなく、le groupe deとactuellementという二つの限定を読み込んで上の文章を読み直せば、

現時点で、ロシア皇帝が所有している(クリル群島の)部分

と読み解く他はない。すなわち、これは、ロシア皇帝は条約締結の段階でクリル群島全体を所有していたわけではない、ということをはっきり認めているわけであり、自ら所有してもいないものを譲渡する権利を有する者が存在しない以上、条約締結段階でロシアの実効支配の及ばなかった部分(国後、択捉島)に関する権利の主張はまったくもってナンセンスである。
 したがって、日本政府の千島列島に関する解釈の如何を問わず、仮に地理的概念として北海道からカムチャツカ半島の間に横たわる島々をクリル群島と呼ぶとして、ロシア皇帝が譲渡したのは条約締結段階で実効支配していた部分に限られるということを忘れてはならない。仮に「カンマが付かないから日本領であった国後・択捉両島を含んだ全体がクリル(千島)列島だ」というのであれば、現行地理学上の概念としてのクリル群島を、地質学上の概念にまで敷衍して「クリル群島には北海道島も含まれる」という無茶苦茶な強弁も通ることになりかねない。
 
 なお、<の後にカンマがあれば、ロシア領であった諸島だけが「クリル(千島)列島」だということになるのに対し、カンマがなければ、日本領であった国後・択捉両島を含んだ全体が「クリル(千島)列島」だということになる>との記述についても一言述べたい。「の後にカンマがあれば、ロシア領であった諸島だけがクリル(千島)列島だ」というのは一体何を根拠にした解釈であるのか?
そもそもこの一節からクリル列島の定義を引き出そうとすること自体、ナンセンスである。なぜなら、先の文章でクリル列島を表すのは"les iles dites Kouriles"の部分であるが、ここに用いられている"dites"という語は、さしずめ日本語で言えば「いわゆる」とか「通称」の意味で、"les iles dites Kouriles"の部分を直訳すれば、「いわゆるクリル列島と呼ばれている島々」のことである。この言い回しから推測されることは、交渉当事者間に「クリル列島」という政治的係争課題についてとりあえずの了解は成立していても、地理上の概念としての厳密な意味でのクリル列島の範囲を問題にしてはいない、ということである。言ってみれば、お互いの係争案件についての了解事項を確認するだけの文面から、地理学上の定義を無理矢理引っ張り出そうとしているだけ、と言ってよい。仮に上記のような主張を押し通そうとするのであれば、一般の文法の無知につけ込んだ自説のごり押し以外のなにものでもない。<以上、本文終わり>

 多少、書き方に乱暴な点がないでもないと思いますがご容赦下さい。それから、もし、私がまったく的はずれな議論をしている場合も同様にご容赦下さい。
わずか二島とはいえ、領土問題は国の根幹に関わる問題です。日本のエネルギー政策の観点からロシアと早期に平和条約を結び、日ロ交流を活性化しようという意見に首肯し得ぬわけではありませんが、居直り強盗に追い銭を投げてやるような拙速は国家百年の大計を誤らすもとになると思い、あえて筆を執りました。
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 さて、以下は私の小宮さんの指摘に対する疑問等です。

1 「日本のエネルギー政策の観点からロシアと早期に平和条約を結び、日ロ交流を活性化しようという意見」が私の意見であるかのように誤解されるといけないので、私は法(国際法)を遵守することが長い目で見て国益に資する、という立場から国後・択捉返還要求撤回を主張している、ということを強調しておきたいと思います。つまり、法を遵守した結果「居直り強盗に追い銭を投げて」やるようなことになったとしても「国家百年」のためにむしろなる、と考えているということです。

2 コラム#549にも書いたように、寺澤一教授は、日本政府が戦前千島列島に国後・択捉を含めていた、と指摘されており(注1)、これだけでも日本政府の現在の主張には根拠がないと思います。

(注1)今、その典拠が手元にあるわけではないので、典拠をお持ちの方はご教示いただくとありがたい。

3 日本政府が、「樺太・千島交換条約」の日本語訳を持ち出してその主張の根拠にしているのは、戦前の日本人は千島列島に国後・択捉が含まれるのは当たり前だと思っていたという、上記常識論を回避するためであろうと推察されます。
 さて、「樺太・千島交換条約」の正文であるフランス語バージョンの解釈についてですが、肝腎の箇所について、小宮さんが「大いに読み手次第で解釈の余地を許容する文章である」としておられる以上、日本政府の「千島列島に国後・択捉が含まれる」という解釈は、日本語訳の解釈であれば何の意味もありませんし、フランス語バージョンの解釈としては一方的な解釈だ、ということになります。
 いずれにせよ、揚げ足を取るようですが、小宮さんが「樺太・千島交換条約」の解釈は決め手にならない、と指摘しておられる以上、元に戻って常識論で決着をつけざるをえず、やはり日本政府の主張は根拠がない、ということになるのではないでしょうか。

4 次に、私が典拠としたFrederic Lasserre. The Kuril Stalemate : American, Japanese and Soviet revisitings of History and Geography, Journal of Oriental Studies vol.34(1)[巻号からすると1996年の刊だが,実際の出版は1999年か], University of Hongkong, pp.1-16. についてです。
 私がこの論考(を引用しているアジアタイムスの記事)の指摘をもっともだと思ったのは、小宮さんには足元にも及びませんが、私も若干はフランス語ができる(注2)ことと、「英語の」場合、「カンマの位置で機械的に制限、非制限用法が区別される」からです。

 (注2)私のフランス語歴は、カイロの小学校で2年程度、日本の高校で1年、大学の教養課程で二年、スタンフォード大学の夏期講習で一ヶ月。その割には余りにも身についていなくて恥ずかしい次第だ。

 しかし、小宮さんは「フランス語の場合」はそうではない、と言い切られる。
 本当にそうですか。
Lasserreはフランス語のnative speakerのようです(http://www.ggr.ulaval.ca/gredin/P_Frederic_Lasserre.htmlhttp://www2.iwra.siu.edu/directory/individual.asp?memberid=1562550864)し、Lasserreは、コラム読者の一井さんも言っておられるように、更にThierry Mormanne氏によるINALCO(仏国立東洋言語文化研究所)の日本研究センター機関誌Cipango掲載論文によっているようです。
 私は法学部出身なので、法律学の日本語にあっては、厳密を期すため、通常の日本語と異なった用語を用いたり異なった書き方をしたりする場合があることを知っています。
フランス語でも、小宮さんの通暁しておられる通常のフランス語と法律学におけるフランス語とが異なる、ということがありうるのではないでしょうか。
 
5 最後に、「仮にクリル群島の全体をそもそもの初めから譲渡したのなら、le groupe deなどという部分集合を明示する語を付加する必要はもとからなかったはずである。」という小宮さんの指摘と同じ事をLasserreも指摘をしています。
その上でLasserreは、これだけでも、「樺太・千島交換条約」締結当時、日露双方とも、クリル群島(千島列島)に国後・択捉も含まれると考えていたことは明らかである、と結論づけています。
小宮さんは、正反対の結論を導き出されておられるようですが、私は小宮さんのこの部分の論理がどうしても理解できません。

以上、私こそ小宮さんのご指摘を曲解している部分があるかもしれませんが、何かまたコメントがあれば、うけたまわります。

<読者Z>(2005.4.28)
こんにちは。いつも楽しく拝見しています。
いまさらなんですが、北方領土についての考察で、二島返還を主張される根拠をもう少し知りたいです。3回しかコラムを拝見していないので、続きがあればと思うんですが、、、。理由は、私は全く逆の考えをしているからです。現在北方領土の人口は減る一方。黙っていても干上がるでしょう。時間が経つにつれて交渉が有利なのですから、焦って二島で手を打つのには賛成しかねません。
 あと、トップページで自民党を批判されていますが、どんな党だったらその保身と癒着を断ち切った政治が出来るのでしょうか。今までずっとコラムを読んできましたが、その大切な部分がさっぱり伝わってきません。民主党だったら良い理由が掲載されているコラムはあるのですか?あったら教えてください。無ければ主張と内容が違うのだから削除すべき!

<太田>
>北方領土についての考察で・・続きがあればと思うんですが・・

 続きはありません。
 代替案があるのであれば、どなたでも結構ですので、きちんと提示してください。

>現在北方領土の人口は減る一方。黙っていても干上がるでしょう。時間が経つにつれて交渉が有利なのです・・

 北方領土の人口の減り方と日本、特に北海道の道東の人口の減り方のどちらが早いか、良い勝負ではないですか。

>どんな党だったらその保身と癒着を断ち切った政治が出来るのでしょうか。

 どんな党でも、自民党のように長期間政権の座にあれば、政官財の「癒着」が生じます。この「癒着」を政権交代によって断ち切る必要があることについては、議論の余地はありません。
 なお、政党が「政権奪取」を考え、政権を奪取すればその「保身」を図るのは当たり前のことです。

<読者Z>
お返事ありがとうございます。
> 続きはありません。
> 代替案があるのであれば、どなたでも結構ですの
> で、きちんと提示してください。
すいません、門外漢なもので、私はパス。とりあえず、人口については既にお考えの上でのご発言だとすれば、もうこれは平行線をたどりそうですな。

>なお、政党が「政権奪取」を考え、政権を奪取す
>ればその「保身」を図るのは当たり前のことです。
正当な切り返しです。思わず拍手。
小泉政権の評価についてコラムが少ししかありません。ご意見を伺いたいです。2年ほど前に、「すぐに終わる」と予言されていますが、予想ははずれていますね。癒着といえば民主党の方も酷い状況ですよ。自民党は少なくとも内部から反省の声が出ている。太田さんに民主党改革をする、という大志があるなら一も二もなく投票します。ま、比例がなくなるという噂がありますけど。コラムの中で賛成できる部分、出来ない部分もいろいろあります。でもこれからも読むのを楽しみにしています。

<読者O>
興味深いごしてきですが、日露間に、国際司法裁判所で決着をつけようという動きはあるのでしょうか?
あるいは、どちらかがその決着を嫌がっているのでしょうか。

太田述正コラム#0602(2005.1.22)
<2島返還で、北方領土問題解決を>

 『世界週報』2005年2月1日号(1月21日発売。60??61頁)に掲載された拙稿を転載します。これはコラム#549を書き換えたものです。
 なお、『世界週報』上ではle groupe des iles dites Kourilesにアンダーラインが施されていることをお断りしておきます。

            2島返還で、北方領土問題解決を

                       評論家(元防衛庁審議官) 太田述正

1 北方領土問題とは何か

 北方領土問題とは、1951年の対日平和条約第2章第2条C項「日本国は、千島列島・・に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」にいう「千島列島(Kuril Islands)」に国後・択捉両島が含まれるか否か、という単純な問題である。
 日本政府は、「1875年に締結された樺太・千島交換条約は、千島列島を日本領、樺太をロシア領とした。同条約は、千島列島として18の島の名前を全て列挙しているが、北方四島はその中に含まれていない。・・・1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島を放棄しましたが、放棄した千島列島の中に我が国固有の領土である北方四島は含まれていない」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/hoppo.html)と主張している。
 それに対し、ロシア(ソ連)政府は、日本はサンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」には当然国後・択捉が含まれる、と主張しているわけである。
 1956年の日ソ共同宣言によって、両国間で平和条約が締結されることを条件にソ連が歯舞・色丹両島を平和条約締結後に日本に引き渡すことに同意したのは、この両島が「千島列島」に含まれない、という理解からである。
 結局焦点は、「樺太・千島交換条約は、千島列島を日本領、樺太をロシア領とした。・・北方四島はその・・千島列島<の>・・中に含まれていない」との日本政府の指摘が正しいかどうかである、と言っていい。

2 日本政府主張に法的根拠なし
 
樺太・千島交換条約(Treaty of St Petersburg)には次のような規定がある。
 同条約前文「大日本国皇帝陛下ハ樺太島(即薩哈嗹島)上ニ存スル領地ノ権理全露西亜国皇帝陛下ハ「クリル」群島上ニ存スル領地ノ権理ヲ互ニ相交換スルノ約ヲ結ント欲シ・・・左ノ条款ヲ協議シテ相決定ス・・・」、同条約第二款「全魯西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島即チ第一「シュムシュ」島第二「アライド」・・<中略>・・第十七「チエルポイ」並ニ「プラット、チエルポエフ」島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ権利及ビ君主ニ属スル一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲リ而今而後「クリル」全島ハ日本帝国ニ属シ柬察加地方「ラパツカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」
日本政府は、これらの条文を根拠に、「千島列島」とはウルップ島以北の18島である、と主張しているわけである。
 しかし、この条約は、フランス語で書かれたものが正文であり、フランス語ではこの前文は、"En echange de la cession a la Russie des droits sur l'ile de Sakhaline, enoncee dans l'Article premier, Sa Majeste l'Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l'Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l'Empire du Japon."となっている(http://www.atimes.com/atimes/Japan/FK30Dh01.html)。
"le groupe des iles dites Kouriles"の後にカンマがあれば、ロシア領であった諸島だけが「クリル(千島)列島」だということになるのに対し、カンマがなければ、日本領であった国後・択捉両島を含んだ全体が「クリル(千島)列島」だということになる。ところが、カンマはない。よって日本政府の指摘は誤りなのである(Journal of Oriental Studies, Vol 36, 1996, p10)。
 だから、まともな法律家であれば、北方領土問題ではロシアに軍配を上げるだろう。
 日ソ中立条約を破って対日開戦し、あまつさえ日本が受諾したポツダム宣言にも違反し(注)、「千島列島」の占拠を続けてきた無法者のロシア(ソ連)に対して、残念ながら、対日平和条約で「千島列島」を放棄した以上、日本が「千島列島」全体であれ、その一部である国後・エトロフであれ、もはや返還を求める法的根拠がないことは、このようにはっきりしているのである。

 3 2島返還での平和条約締結を

 それでは日本はどうすべきなのであろうか。
 ロシアとしてのみようがない北方領土返還要求をいつまでも続けることは、あまりにも非生産的となる。
 とはいえ、北方領土返還要求をただ単に取り下げるわけにもいかないだろう。
 私は、実際の提訴は当分の間控えるとの前提で、日本が北方領土問題を国際司法裁判所に提訴したらこれを受けて立つとの約束をロシアからとりつけた上で、ロシアと平和条約を締結し、歯舞・色丹を返還させることで手を打つことを提唱したい。

 (注)大西洋憲章(1941.8。英米)「一、両国ハ領土的其ノ他ノ増大ヲ求メス」が連合国全体の共同宣言(1942.1。英米ソ華等))に引き継がれ、カイロ宣言(1943.11。英米華)「右同盟國ハ・・領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス」となり、ポツダム宣言(1945.7。英米華)「五 吾等ノ条件ハ左ノ如シ・・八 「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルベク・・」にソ連が対日開戦と同時に加わり、日本がこの宣言を受諾することによって、ソ連は「領土・・増大ヲ求メヌ」法的義務を日本に対して負った(高野雄一『日本の領土』東京大学出版会1962年180??181頁)。

<読者Kiri>
太田さん
 2島返還で、北方領土問題解決を読みました。
 外交における解釈論は幾つかあるようです。
太田さんが仰るように国際法を守ることが国家100年の計に適するという「信念』はそれでいいと思います。
 しかし、外交史を見ると法律の解釈と法律の制定には『力』が常に存在しているわけです。
 正しさとは解釈を作る力かもしれません。
 書かれたものの裏には数々のドラマがあり、今回の例で言えば、米国側の無知もあるわけです。無関心かなあ?問題設定を太田さんのように作れば、そういう結論になるのかもしれません。
 「北方領土問題とは、1951年の対日平和条約第2章第2条C項「日本国は、千島列島・・に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」にいう「千島列島(Kuril Islands)」に国後・択捉両島が含まれるか否か、という単純な問題である。」
 米国と日本の間では双方にとってクリルには北方4島が含まれていないという前提で上記条文が作られたとしたらどういうことにあるのでしょうか?

<太田>
>  しかし、外交史を見ると法律の解釈と法律の制定には『力』が常に存在しているわけです。
>  正しさとは解釈を作る力かもしれません。

 国際法は法なのか?という基本的な問題提起ですね。結論だけ書きますが、法だ、という立場、従ってまた、解釈には自ずから限界というものがあるという立場に私は立っています。

>  米国と日本の間では双方にとってクリルには北方4島が含まれていないという前提で上記条文が作られたとしたらどういうことにあるのでしょうか?

 対日平和条約の該当部分の制定経緯についてのご質問ですが、私自身つまびらかにしません。
 一井さん。
 「片岡鉄哉氏が「日本永久占領」(講談社α文庫1999年刊)の第17章で2つの憶測を披瀝されています」と以前ご投稿をいただきましたが、片岡氏は何とおっしゃっているのでしょうか。(この本を読んだと申し上げましたが、私の勘違いでした。)

<一読者>
お丁寧な返信ありがとうございます。

私が問題としたいことは、問題設定の時点で既に半分は結論が見えてきているということです。
太田さんの問題設定には私も同意できるところはありますが、日ソ二国間の問題として捕らえることは限界があります。
自衛隊の事も同様でして、憲法9条2項によると戦力は保持しないにもかかわらず、日本国政府はいろいろな解釈でこれを維持してきました。太田さんの言うように9条をそのまま解釈すれば、自然法である自国防衛をも放棄したと取られるわけです。これを国家100年の計として憲法を守ることが日本民族にとっていいのかといえば議論のあるところでしょう。そこにはいろいろと解釈が存在するわけです。重要な事は国家の存続であり、その為には正当化できるための論理性を付帯することです。
もしはじめから 樺太・千島交換条約(Treaty of St Petersburg)を基に、これを法的にも唯一の根拠とすることは議論を制約してしまい、あらぬ方向へと議論を導きます。
もう少し冷静な論文を期待しています。

<太田>
1 基本的考え方

 憲法9条の問題は国内法上の問題であり、国際法上の問題とは性格を異にします。
 憲法は法であり、守られなければならないことは自明であり、しかも守られるべく国家権力によって担保されています。
 それはともかく、「緊急状態は法を破る」という自然法上の大鉄則が存在することは事実です。
 国家存亡に係わるときに活動することを本旨とする自衛隊のために憲法は非常識的な拡大解釈をされてきましたし、実際国家存亡の時がやってくれば、自衛隊はこの拡大された憲法解釈も乗り越えて超法規的に活動することを命じられることになるでしょう。
問題は自衛隊が、平素からかかる超法規的活動ための訓練を行ったり、必要な装備を調達しておくことができないことです。
 さて、北方領土問題は、国家「「緊急状態」にかかわるようなイッシューでは全くありません。
ですから、関係の国際法(条約)の常識的な解釈で日本政府は自らを律して行く必要がありますしそれで十分でしょう。日本のような国際的に影響力の大きい国が、国際法(対日平和条約等)をこのような意味で遵守する姿勢を取らなければ、永久に国際法は法にならず、世界は無秩序のままに推移することになってしまいます。

2 北方領土に関する論議

 「樺太・千島交換条約(Treaty of St Petersburg)・・を法的に・・唯一の根拠と」して(国後・択捉は対日平和条約に言う千島列島に含まれない、よって日本に返還されるべきだ、と主張し)北方領土問題にアプローチしているのは日本政府であって私ではありません。(コラム#603参照)
 だからこそ、同条約の日本政府による解釈を(二つの理由をあげて(コラム#603))覆したLasserre論文が面白いと思って(うち一つの理由に特に着目してコラム#549と602で)援用した次第です。
 しかし、私はこの新解釈を持ち出すまでもなく、日本政府の主張には根拠がないと考えています。
 第一に、千島列島に国後・択捉が含まれることは戦前の日本人にとって常識であったことです(コラム#549、603)。
 第二に、Lasserre論文の中にも出てきますが、日本政府は戦後、一旦ハボマイ・シコタン両島だけの返還をめざすスタンスをとったものの、ソ連を敵視するに至った米国によって(四島返還に切り替えなければ、小笠原・奄美等を返還しないぞ)と恫喝されスタンスを変更した、という経緯があっただけでなく、最初の段階の日ソ交渉の過程でも日本政府のスタンスが二転三転したことです。
 国際司法裁判所の裁判官に任命されるくらいの法律家であれば、第一の点に注目し、だからこそ、第二のような日本政府のスタンスのぶれが出た、と考えて、北方領土問題ではロシア(ソ連)の主張に軍配をあげるでしょう。
 これに加えて、「樺太・千島交換条約」の解釈のどんでんがえしという葵の印籠が出現した、というわけです。
 コラム#549で第二の点に触れず、コラム#602で第一と第二の点にふれなかったのは、スペースの関係と、新たな論点に焦点をしぼりたかったからにほかなりません。

<読者>
北方4島の問題は法律論としてよりも戦略論として捕らえるべきです。
 我々が守らなくてはいけないものは、現在の世界の現状を鑑みて、サンフランシスコ条約です。
 この点では太田さんの論点ははっきりしています。
 よって、千島列島は放棄しました。
 この経緯を詳しく分析して米国を巻き込むことが必要でしょう。
 小宮さんがおっしゃる通り、サンフランシスコ平和会議において吉田茂が「千島列島に北方四島は含まれ ない」と各国代表に注意を促しているのですが、その後の経緯はどうなんでしょうか?
 沖縄との比較で申せば、マッカーサーは琉球を日本人とは認めていませんでした。
 アイヌも少数民族で、同じく認めていません。
 違いは、ソ連の統治と米軍の違いです。
 その後の歴史は皆さんの知るところです。
 返還の唯一のチャンスはハブルラートフ国会議長の訪問のときで、ロシアの混乱期にあったので、彼の言うがままの支払いをしていれば言質が取れたでしょう。
 現状は石油の価格が高騰しており2島返還以外に道はありません。
 よって、先に望みを託すか? それまでは現状維持? プーチンのあとの大統領は交渉する用意はあるのでしょうかねえ?
 それとも2島返還で平和条約を結び、北東アジアに秩序を構築する気運を醸成するか?
 こう考えていくと、鈴木宗男氏は結構上手くやっていたと思われます。彼はロシアと仲良くしすぎたのでああなってしまいましたが・・・

<太田>
>  返還の唯一のチャンスはハブルラートフ国会議長の訪問のときで、ロシアの混乱期にあったので、彼の言うがままの支払いをしていれば言質が取れたでしょう。

 ここのところをもう少し詳しく教えていただけませんか。

>  よって、先に望みを託すか? それまでは現状維持? プーチンのあとの大統領は交渉する用意はあるのでしょうかねえ?
>  それとも2島返還で平和条約を結び、北東アジアに秩序を構築する気運を醸成するか?

 ここは皆さんのご意見をぜひうけたまわりたいですね。

<もう一人の読者>
 太田氏の主張は、千島樺太交換条約の原文解釈から、千島列島に国後・択捉が含まれるかというものである。しかし結論から言えば、原文解釈の問題は日露間で解決済みなのだ。

 それが「日露間領土問題の歴史に関する日本国外務省とロシア連邦外務省の共同作成資料集(日本国外務省・ロシア連邦外務省)」(http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPRU/19920900.O1J.html)だ。

太田述正コラム#0549(2004.11.30)
<北方領土問題>

1 始めに

 このところ、再び北方領土(Northern Territories)問題が話題になっています。
 1970年だったかと思いますが、東大法学部の国際法の授業で、安保改正反対論者の一人としてならした寺澤一(はじめ)教授が、北方領土問題での日本政府の主張には法的根拠がない、と述べ、聴講していた私は腹が立ったことがあります。
 当時学生の間で、学問的業績が乏しいとして、法学部の三バカ教授と呼ばれていた先生が三人おられ、寺澤教授は、後に東大総長になられた加藤一郎教授(民法)及び後に中労委委員長をお務めになった石川吉右衛門教授(労働法)とともにこのトリオのお一人だっただけに、こんなことを言うから寺澤さんはバカ呼ばわりされるのだ、と思ったものです。(三先生、怒らないで下さいね。)
 ところが、寺澤さんの話を後でゆっくり反芻してみたところ、どうやら彼の指摘ももっともだという気になってきた記憶があります。
 それから三分の一世紀もたって、いまだに日本政府のみならず、国会で全政党が口をそろえて十年一日のごとく同じ根拠薄弱な主張を行っているのにはあきれます。
 寺澤さんの顔を思い浮かべながら、このことをご説明しましょう。

2 根拠のない北方領土要求

 (1)論点
 北方領土問題の論点は単純です。
 千島列島(Kuril Islands)に国後・エトロフ両島が含まれるか否かです。
 このことは、日本とソ連(ロシア)政府のそれぞれの主張から明らかです。
 日本政府は、「1875年に締結された樺太・千島交換条約は、千島列島を日本領、樺太をロシア領としました。同条約は、千島列島として18の島の名前を全て列挙していますが、北方四島はその中に含まれていません。・・・1951年のサンフランシスコ平和条約で、日本は千島列島を放棄しましたが、放棄した千島列島の中に我が国固有の領土である北方四島は含まれていません。」(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/russia/hoppo.html。11月30日アクセス)と主張しています(注1)。

 (注1)冷戦を契機に米国が日本の主張に賛同し、中ソ対立を契機に中国も日本の主張に賛同している(コラム#102)が、これは法律論ではなく、それぞれの政治的思惑に基づく。

 それに対し、ソ連(ロシア)政府は、日本はサンフランシスコ平和条約で国後・エトロフを含むところの千島列島を放棄した、と主張しています。
 1956年の日ソ共同宣言によって、ソ連が歯舞・色丹両島を平和条約締結後に日本に引き渡すことに同意した(上記外務省サイト)のは、この両島が千島列島に含まれない、という理解からです。

 (2)分があるソ連(ロシア)の主張
 これは、ソ連(ロシア)の主張の方が分があると言わざるをえません。

 寺澤さんは、戦前の日本政府は、公式地図等において、千島列島に国後・エトロフを含めていたことを論拠とされたと記憶していますが、最近出てきたより強力な論拠(Journal of Oriental Studies, Vol 36, 1996, p10。ただし、http://www.atimes.com/atimes/Japan/FK30Dh01.html(11月30日アクセス)による)を、私の補足を加えながらご紹介しましょう。

日本政府が好んで引用する樺太千島交換条約(Treaty of St Petersburg)を見てみよう(http://www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/no_frame/history/kaisetsu/other/chishima_karafuto.html。11月30日アクセス)。
 同条約前文の「大日本国皇帝陛下ハ樺太島(即薩哈嗹島)上ニ存スル領地ノ権理全露西亜国皇帝陛下ハ「クリル」群島上ニ存スル領地ノ権理ヲ互ニ相交換スルノ約ヲ結ント欲シ・・・左ノ条款ヲ協議シテ相決定ス・・・」にいう「クリル」群島(=クリル(千島)列島)について、日本政府は、同条約第二款(第2条)の「全魯西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至ル迄現今所領「クリル」群島即チ第一「シュムシュ」島第二「アライド」・・<中略>・・第十七「チエルポイ」並ニ「プラット、チエルポエフ」島第十八「ウルップ」島共計十八島ノ権利及ビ君主ニ属スル一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲リ而今而後「クリル」全島ハ日本帝国ニ属シ柬察加地方「ラパツカ」岬ト「シュムシュ」島ノ間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス」から、ウルップ島以北の18島である、と主張している。
 しかし、この条約は、フランス語で書かれたものが正文であり、フランス語ではこの前文は、"En echange de la cession a la Russie des droits sur l'ile de Sakhaline, enoncee dans l'Article premier, Sa Majeste l'Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l'Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l'Empire du Japon."となっており、"le groupe des iles dites Kouriles"の後にカンマがないことから、ロシアが日本に引き渡した領土はクリル(千島)列島の全部でないことは明らかだ。

 この論拠については、フランス語のできない方でも英語に置き換えてお考えになれば、確かにそうだ、と納得されることでしょう。つまり、同条約の日本語バージョンのこの箇所は誤訳に近く、従ってロシアの主張の方に分がある、ということです(注2)。

 (注2)ちなみに、1855年に締結された日本国魯西亜国通好条約(日露通好条約=Treaty of Shimoda)では、「今ヨリ後日本国ト魯西亜国トノ境「ヱトロプ」島ト「ウルップ」島トノ間ニ在ルヘシ「ヱトロプ」全島ハ日本ニ属シ「ウルップ」全島夫ヨリ北ノ方「クリル」諸島ハ魯西亜ニ属ス「カラフト」島ニ至リテハ日本国ト魯西亜国トノ間ニ於テ界ヲ分タス是迄仕来ノ通タルヘシ」とあり、「北ノ方「クリル」諸島」からは、国後・エトロフはクリル(千島)列島でないようにも読めるが、この条約もフランス語が正文だった可能性があり、日本語バージョンは、「北ノ方」の後に「ノ」を入れ忘れた不適切訳であったのではないか、とも想像される。
     いずれにせよ、後にできた条約である樺太千島交換条約が、言葉の定義についてもこの条約に優先するので、余りその解釈に拘泥しても始まらない。

3 ではどうすべきか

 以上からだけでもはっきり断言できるのは、ロシアは金輪際、国後・エトロフの返還には応じないだろう、ということです。
 それでは日本政府はどうすべきなのでしょうか。
 今までの方針を根底から変えて、千島列島全部の返還を求めたり、逆に国後・エトロフ返還要求を取り下げたりするわけにもいかないでしょうから、私としては、(日本が負けるに決まっている)国際司法裁判所への提訴について前向きに検討する旨ロシアから言質を取った上で、平和条約を締結して歯舞・色丹を帰してもらうことで手を打ったらどうか、と考えています。
 皆さんは、どう思われますか。

<読者J>
北方領土が千島列島に含まれるかどうかについては、地理的に考えれば、含まれると考えるべきだと思います。
未だに不思議に思っているのですが、サンフランシスコ平和条約はソ連(現在は引き継いだロシア)との間で締結されてません。つまり、日本が千島列島を放棄したことにロシアが同意してないことになります。つまり、ロシアが領有する根拠も日本が領有する根拠もないことになります。
いったい、この場合、どのように考えたらよいのか未だに判りません。

<太田>
ロシアが事実上占有しているだけです。
この状態には、仮に日露間で平和条約が締結されて北方領土問題が解決した(四島ないし二島が日本領と確認された)としても、(この四島ないし二島を除き)何ら変化は生じません。
投稿子が提起された問題は、サンフランシスコ平和条約で同じく日本が領有権を放棄したけれどもその放棄先の名宛人が書いてない「台湾及び澎湖諸島」や「新南群島及び西沙群島」と合わせて考える必要があります。
勉強不足のため、残念ながら現段階では私にも、まだ明快な回答はできません。

<読者K>
内容の是非はともかく、北方領土放棄論を唱えるからには、国会議員の夢は捨てて、評論家として生きていくことに決めたのですか?

<読者L>
尖閣諸島、竹島は、歴史的には異論もあるかと思いますが、法的に確実だと思うのですが、北方4島については、私も法的な根拠は少ないと、思っています。
講和条約に、ソ連が調印してないとしても、日本は、講和条約に調印しています。
実際は、ロシア以外が、北方領土に口を挟む事は、無いと思いますが、講和条約の調印国が返すと言えば、日本が講和条約に調印していようが、ロシアが領有する根拠は無くなるのとは思います(笑)
逆に、ロシアから返してもらったとしても、講和条約調印国が、文句を言ったら領有の根拠が、無くなると思うのですが・・・
法的根拠はともかく、先に、2島返還をしてもらった方が、利口だと思うのは、小病人的発想でしょうか?

<読者M>
>  皆さんは、どう思われますか。

とありましたので、浅学非才ながら、卑見を述べてみたいと思います。

私は日本がポツダム宣言以降放棄した領土に北方4島は含まれないと考えます。
ポツダム宣言を見ますと、「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される。」とあり、われらとは、米、英、中華民国です。
そして少なくとも米国は北方4島を日本領としており、その後サンフランシスコ条約以後も変わりません。そしてご存知のようにポツダム宣言においてもサンフランシスコ平和条約においてもソ連は当事者ではありません。日本政府の立場は一貫して4島は日本領です。
すなわち、日本はポツダム宣言、サンフランシスコ平和条約から今に至るまで4島を放棄した認識は無く、それは米、英等連合国側も同様と考えられます。ソ連はポツダム宣言にもサンフランシスコ平和条約でも当事者ではないため、それらを有権解釈できる立場にはありません。
以上から、千島樺太交換条約の解釈が、ロシア側に有利なように、たとえ千島列島に択捉島などが含まれるとなったとしても、それによりサンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島の中に択捉島などが入るということには必ずしもならないでしょう。
日本側としては、現時点でロシアと関係改善を急ぐ必要はないでしょうから、あわてずにじっくりと4島が帰ってくるのを待つのがいいのではないでしょうか。日本は今むしろ対ロシアにはきわめて有利なポジションにあるのではないでしょうか。日本との関係改善が遅れることにより、ロシアの極東における立場は弱くなる一方でしょう。逆に日本の支援があれば、ロシアは極東開発が進められるでしょうし、中国に対抗できるようになるでしょう。
日本が急がなければならないとしたら、中国資本、韓国資本にシベリアが牛耳られるのを日本が我慢できるかどうかでしょうか・・。ロシアからすれば、中国資本の流入は最も避けたいところでしょう。韓国も長期的には中国の衛星国となるかもしれず、望ましいのは資本、技術、信用からしても、おそらく日本ではないでしょうか。
ロシアから見れば、ロシアが孤立したまま日中の友好関係が進み、中国が強大化していくことが、最悪ではないでしょうか。
問題の解決策としては、また千島樺太交換条約ではないですが、日本が択捉島、国後島を譲渡する代わりに、サハリンやオホーツク海などの天然資源すべての権利を取ったらいいのでは?いかがでしょう。

<読者N>
 たまにはまともなことを主張する太田、と言っておきましょう。
> >  皆さんは、どう思われますか。
>
> とありましたので、浅学非才ながら、卑見を述べてみたいと思います。

本当に浅学非才ですね。基本的文献も読んでいない。
和田春樹『北方領土問題――歴史と未来』(朝日新聞社[朝日選書], 1999年)でも読んだらどうですか。

> 私は日本がポツダム宣言以降放棄した領土に北方4島は含まれないと考えます。
>
> ポツダム宣言を見ますと、「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国並びにわれらが決定する諸小島に局限される。」とあり、われらとは、米、英、中華民国です。
> そして少なくとも米国は北方4島を日本領としており、その後サンフランシスコ条約以後も変わりません。そしてご存知のようにポツダム宣言においてもサンフランシスコ平和条約においてもソ連は当事者ではありません。日本政府の立場は一貫して4島は日本領です。

めちゃくちゃですよ。日本政府の立場は少しも一貫していません。
サンフランシスコ講和会議以前には、日本政府もクナシリ・エトロフが千島列島に含まれることを明確に認めていましたし(条約局長の国会答弁)、サンフランシスコ講和会議でも吉田茂は同様の発言をしています。
日本政府が「4島返還論」を公式の方針とするのは1956年になってからですよ。それも日ソ関係の進展を阻止したかった米国の横やりによるものです。

> すなわち、日本はポツダム宣言、サンフランシスコ平和条約から今に至るまで4島を放棄した認識は無く、それは米、英等連合国側も同様と考えられます。

日本が、クナシリ・エトロフを放棄したと認識していたことは上記から明らか。

>ソ連はポツダム宣言にもサンフランシスコ平和条約でも当事者ではないため、それらを有権解釈できる立場にはありません。

サンフランシスコ条約にソ連が署名したか否かはここでは問題ではない。

> 以上から、千島樺太交換条約の解釈が、ロシア側に有利なように、たとえ千島列島に択捉島などが含まれるとなったとしても、それによりサンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島の中に択捉島などが入るということには必ずしもならないでしょう。

なるにきまってるでしょう。

> 日本側としては、現時点でロシアと関係改善を急ぐ必要はないでしょうから、あわてずにじっくりと4島が帰ってくるのを待つのがいいのではないでしょうか。日本は今むしろ対ロシアにはきわめて有利なポジションにあるのではないでしょうか。

一日も早くロシア・朝鮮との関係改善を急がないと危機に陥ることはあきらか。いつまでも中東から石油を輸入できると思うな。
サンフランシスコ条約があるかぎり、4島が帰ってくることなど永遠にないのだから、待っても無意味である。それよりもさっさと2島返還で領土問題を終結させ、天然ガスを買うべき。

> 問題の解決策としては、また千島樺太交換条約ではないですが、日本が択捉島、国後島を譲渡する代わりに、サハリンやオホーツク海などの天然資源すべての権利を取ったらいいのでは?いかがでしょう。

ばかばかしいにも程がある。エトロフ・クナシリはすでにロシア領土なのだから、そんなものを日本が「譲渡」できるわけもない。またそれによって対価を獲得できるわけもない。

<読者K>
まあ、学問と国際政治は違いますから、学問どおりにしたがっていたら、日本なんてとっくに昔に近隣国に割譲されて国を失っていたでしょうね。私が、太田さんは、政治家をあきらめて、評論家に成り下がったというのはそういう意味です。
ただ、テレビや雑誌で売れっ子になる評論家になるには、もっともっと、中国や韓国に媚びた論調をする必要があるでしょうね。さしあたり領土を捨ててまでロシアと仲良くする必要性もないですから、この問題はロシアが再分裂するまで塩漬けにしておいてもいいでしょうね。わざわざ日本から要りませんので仲良くしましょうという必要もないでしょう。

<太田>
日本は、幕末以来、一貫して国際法(国際慣習法・条約等)を遵守する努力をしてきました。例えば、幕末に諸外国と結んだ不平等条約を、諸外国が改訂に応じるまで守りきったことを思い出して下さい。
そのことによって国際的にかちえた信用こそが日本の興隆を支えてきた(長期的な国益の観点からプラスになった)、と私は考えており、このような考え方から北方領土問題にもアプローチすると、私の主張が当然の結果として導き出される、ということです。
ちなみに、国際法を守る側が長期的には「勝利」する、という前提で私は国際情勢予測をしており、このことも、私の予測があたる理由の一つだと考えています。
以上は、戦前、国際法遵守論者であった米国の外交官のマクマレーが、「大東亜戦争」の勃発とその後の北東アジア情勢をものの見事に予測し、的中させたことに感銘を受け、私が身につけた考え方です。(拙著「防衛庁再生宣言」参照。)
「政治家」、「評論家」について付言すれば、以上のような考え方を無視するような人物であれば、「政治家」は結果を出すことができず、「評論家」は分析・予測を誤り、それぞれ「政治家」・「評論家」失格の烙印を押されること必定である、と申し上げておきましょう。

<読者K>
ところで、日ソ不可侵条約違反にまったく触れていませんね。この問題が片付かない限り、北方領土だけでなく、北千島や南樺太もロシアに帰属できないことは、当のロシア政府まで負い目に感じていることをご存知ですか?
ロシアは該当区域の資源開発について一歩引いた姿勢をとっています。それは、日本および連合国がクレームをつけた場合、外資が政争区域として敬遠する可能性もあるからです。

<太田>
「連合国」ってロシア(ソ連)もその一員ではなかったですか?
そもそも、ロシアに千島・カラフトをおみやげに強引に国際法違反の対日参戦をさせたのはどこの国ですか?
ロシアに千島・カラフトを贈呈し、北朝鮮までくれてやり、しかも中国を中共が席巻するお膳立てまでして日本を敗戦に追いやり、その中共・北朝鮮と戦後5年にして朝鮮戦争を戦う羽目になり、しかもロシアとは冷戦を「戦う」ことになったのはどこの国ですか。
それもこれも、戦前の米国が国際法を次々に蹂躙する中国国民党政府(及び中共)に肩入れし、国際法を守り続けた日本を敵視したためです。
 その結果は、まず国民党政権が没落し、中国国民は中共政権の下でモルモット扱いをされて数千万人の死者を出し、ロシアは半世紀経たずして大幅に領土を失い、米国はImperial overstretchを余儀なくされ(注)、その比較的早期の没落を運命づけられたのです。

 (注)ここまでは、おおむね1935年のマクマレーの予測通りです。

 最後の点は、まだ証明されていない?
 証明されるのはそう遠くないでしょう。
 米国の原理主義化は、その没落が音を立てて始まった証拠であると私は見ています。

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