太田述正コラム#0607(2005.1.27)
<2島返還で、北方領土問題解決を(続々)>
小宮さんから、反論が届いたので、ご披露させていただきます。
最後に私のコメントをつけてあります。
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あらためて、先の問題となった
条約本文のフランス語を以下に提示して解説することに致します。
En echange de la cession a la Russie des droits sur l'ile de Sakhaline, enoncee dans l'Article premier, Sa Majeste l'Empereur de Toutes les Russies pour Elle et pour ses heritiers, cede a Sa Mejeste l'Empereur du Japon le groupe des iles dites Kouriles qu'Elle possede actuellement, avec tous les droits de souverainete decoulant de cette possession, en sorte que desormais ledit groupe des Kouriles appartiendra a l'Empire du Japon
ここで問題になっているのは単純な英文解釈ならぬ仏文解釈の問題、いわゆる文法論議で、関係代名詞の制限・非制限用法の問題です。太田さんは英語だと「機械的」にコンマの位置で制限・非制限用法の違いを区別できると仰っていますが、(英語に詳しくない私が言うのも何ですが)おそらくそんなことはないでしょう^^;。
今現在学校教育で関係代名詞の制限・非制限用法がどのように教えられているか詳しいことは知りませんが、私が習った頃は「関係代名詞の制限用法は形容詞的に、すなわち後ろからひっくり返って訳す、非制限用法の場合は副詞的に、すなわち文を区切って訳す」のように教わったような気がします。しかしこの説明は、あくまで関係代名詞という文法要素を持たない日本語にいかにして英語の内容を移植するかの必要に駆られて導入された説明図式と言ってよいものです。
そもそも関係代名詞の制限・非制限用法を分けるのはカンマの位置であり、これはすなわち句読法(ポンクチュアシオン)の問題です。そもそもカンマを打つとは、そこが息をつぐポイントであることを意味します。息をつぐ、とは語られる言葉がそこで内容的に完結するか、あるいはその内容が一時宙釣りにされることです。このことから、関係代名詞の非制限用法においては、カンマに先行する文章はそこまでで意味が一応完結しているか、あるいは完結していないのなら、先行部分とは意味内容的に区別される別の内容、すなわち追加情報が付加されて
いる、と考えることになります。このような観点から先の問題となったフランス語を改めて読み解いてみましょう。
問題のフランス語: 1). le groupe des iles dites Kouriles qu'elle possede actuellement.
この文1). をいわゆる"横のものを縦にする"要領で訳そうとすると、関係節中のpossederの目的語がle groupeなのかles iles dites Kourilesなのか不明瞭なことから、文の解釈に多少の混乱が生じます。ここで仮に、関係代名詞queの前にコンマを打ってみます。
関係代名詞queの前にコンマを打った場合:
2). le groupe des iles dites Kouriles, qu'elle possede actuellement.
先に述べた「句読法とは息継ぎの問題」すなわち意味の切れ目であり、コンマ以下は追加情報である、ということを念頭に置いて、文2). を多少デフォルメして訳してみると、
文2) =「いわゆるクリル列島のグループ。(これは)現在ロシア皇帝が所有してるわけだが。」
のようになるでしょう。この試訳からも分かるように、queの前にコンマを打つと、関係節中で便宜的に括弧に括って示した"これ"が先行文中のle groupeとlesiles dites Kourilesのいずれをも指しうることから、文意がむしろ曖昧になります。というのも、この場合、le groupeであれ、les iles dites Kourilesであれ、どちらも理論的にはpossederの先行詞になりうるからです。というより、もし、このようなカンマの打ち方であったなら、"qu'elle possede actuellement"の部分がいわゆる"合いの手"になってしまい、なぜクリル諸島について「現在ロ
シア皇帝が所有してるわけだが」などとわざわざ言及されるのか理解に苦しむことになります。もしロシア皇帝が正真正銘にクリル列島を領有していたのなら、あっさり「クリル諸島を譲渡する"ceder les iles Kouriles"」とだけ書けばよかったはずです。ところがそのようには書かれていない。なら、それにはそれだけの理由があったはずです。それを以下で考えてみることにしましょう。
上記の引用文の内容と歴史的事実から、いくつかの仮説が考えられますが、まずそのうちのひとつは、
1) 条約締結当時の日本とロシアの間に、クリル列島(あるいは千島諸島)の地理的概念に関して、共通理解が成り立っていなかった。
ということがあげられると思います。この問題は先のメールでどうやら誤解を招いたみたいですから、もう少し慎重に扱う必要がありそうです。最初にお断りしておきますが、私は北方領土問題の専門家でありませんので、いつ、どういった条約が、どういう内容で結ばれた、等のことはほとんど知りません。ですから、ここから先は私の個人的理解と推測に基づいてお話しすることになります。
まず、おそらくロシア人にとって、クリル列島(千島列島)とは、シュムシュ島から北海道本島までを含めた島嶼地域を包括する地理上の概念だったと思われます(注1)。カムチャツカ半島の突端に立ってはるかに南の海を見はるかすロシアのコサックにとって、"Kouriles"という名称で言い表される地域が現在の日本政府の公式見解のように、シュムシュ島からウルップ島まで、と明確に境界が限られていたと考えるのは、おそらく相当な無理があり、蝦夷本島まで含めていたと考えるほうが妥当でしょう。
(注1)だからこそ、ソ連軍は日本敗戦後、北海道まで占領しようとしたのじゃないでしょうか?おそらくヤルタの密約でスターリンが期待していたのは北海道までを含めたクリル列島だったのでしょう。もっとも、これは今回の文法談義とは関係ありませんが、ヤルタ会談もひどい話で、自分の所有物でもないものをどう分捕るかを、あたかもお勤め前の盗賊よろしく、密約しているわけです。
翻って日本の立場にしてみれば、ロシア人が"クリル"と通称する地域に蝦夷本島や国後、択捉が含まれており、天明五年の最上徳内の調査旅行に遡る時代、あるいはそれ以前から、この地域は日本人による開発・交易が行われておりました。この地域の開発・交易に携わる日本人にとって、この地域は、ロシア人がクリルと呼ぼうがなんと呼ぼうが、北海道は蝦夷地、国後・択捉は国後・択捉であったでしょう。あるいは、場合によっては、日本人にとってさえ、この地域の通称は"千島"あるいは"クリル"だったかも知れません。
逆に私から太田さんにお尋ねしたいのは、この時代、つまり18世紀後半から19世紀後半の時期にかけて、この地域の日本人(あるいは当時の幕閣)が今日の日本政府の主張するような領域概念を持っていたかです。言い換えれば「ウルップ島以北が千島(クリル)列島」と考えていたかです。おそらく常識的に考えれば、そんなことはなかったでしょう。
つまり、ロシア人はシュムシュ島から北海道本島までの島嶼地域を"Kouriles"と呼んだとしても、日本人にとってそこは"蝦夷地"であったり、"その支島としての国後・択捉"であった。あるいはそういった地域を総称して"千島"と言ったかも知れず、「どこからどこまでが千島列島で、どこから先が北海道とその支島である」というような共通理解はこの条約が締結される以前の段階で日露双方に存在しなかったと考えるべきでしょう。
そしてこのことを示すのが先のフランス語における"les iles dites Kouriles"の"dites"の一語です。もし「どこからどこまで」とお互いにとって境界が明確な地域を指しているのであれば、"dites"などという語調緩和に類した機能を持つ語を差し挟む必要はありません。「いわゆるクリル諸島」と言わねばならなかったのは、交渉当事者の双方にとって(あるいは少なくともロシア側にとって)、どこからどこまでがクリル列島であるのか明確な合意、あるいは理解がなかったから、と考えるのが妥当です(ロシア側の立場としては北海道まで含めて"クリル列島"としたいが、日本側はそうじゃないと言っている、しかしまあ、ロシア側としてはこの地域を総称するのに"les iles Kouriles"とする方が便利だから、日本人の意向も容れてとりあえず"les iles dites Kouriles"とでもしておこう、こういったあたりがロシア側交渉当事者の考え方であったのではないかと憶測されます)。
ここでもういっぺん、なぜロシア側が「クリル列島を譲渡する"ceder les ilesKouriles"」とあっさり書けなかったかの問題に戻りましょう。その理由のひとつとして、クリル諸島について日露双方に共通理解が成立していなかったという仮説をあげましたが、この仮説は"dites"という語が実際に差し挟まれていたことからより蓋然性の高いものになったと思います。
なら、ロシア側は条約文中で"ceder les iles Kouriles"の代わりに、「いわゆるクリル諸島を譲渡する"ceder les iles dites Kouriles"」と書けばいいじゃないか、と思われるかもしれません。しかし、この書き方にも無理があったと考えられます。
先にも述べたように、ロシア側の"クリル列島"概念はシュムシュ島から北海道本島までを含めた周辺地域についての総称であったと推測されます。ところが、
2) 北海道、およびその支島である国後・択捉は日本が歴史的事実として実効支配していました。
つまり北海道および国後・択捉は日本人の土地であった。ところで、ロシア人にとってのクリル諸島が国後・択捉および北海道本島をも含めたものであったとして、果たして、ロシアの手の及ばない北海道本島や国後・択捉島の所有権をロシアが云々することが出来たでしょうか?先のメールでも述べましたが、所有権を譲渡するためには、実際に"譲渡されるものを所有"していなければなりません。
したがって"ceder les iles Kouriles"と言う場合、ロシア人が"クリル列島"と見なす地域全域を支配して(注2)、初めてそれは可能になります。これは"ceder les iles Kouriles"が"ceder les iles dites Kouriles"とditesを付加された場合でも変わることはありません。
(注2)フランス語における複数定冠詞は"tous(=all)"の意味を含み持ちます。ですから、"les
iles Kouriles"あるいは"les iles dites Kouriles"と言う場合、それは"toutes les
iles Kouriles"あるいは"toutes les iles ditesKouriles"とほぼ同義になります。で
すから"les iles Kouriles"は単純に「千島列島」ではなく「千島全島」の意味で理解
しなければなりません。
ところで、なんども同じことを繰り返しますが、歴史的事実として、日本は国後・択捉島を実効支配していました。ロシア側の"クリル"概念は、おそらく国後・択捉および北海道本島をも含めたものだったでしょう。このように考えたとき、はたして、そもそもの事の発端である、関係代名詞の制限用法で読みとった場合の"iles dites Kouriles qu'elle possede actuellement(訳:「現在ロシア皇帝の所有するいわゆる千島全島」)"は意味をなすでしょうか?歴史的事実としてロシアは国後・択捉を所有していなかったのですから、このような言表は事実に反します(ここが一番重要です)。仮にこれが事実に反しないとするなら、ロシア側の言う"クリル列島"とはロシアの実効支配の及んでいた地域、すなわち、シュムシュ島からウルップ島まで、と逆に限定されることになります(ややこしいかも知れませんが、ここのところをしっかり理解して下さい、あるいはあえて曲解して政治利用するのもいいでしょう^^;)。
繰り返し言いますが、"les iles dites Kouriles qu'elle possede actuellement"は事実に反する言表です。
なぜ事実に反する言表になるか?それは関係節中のpossederの先行詞を取り違えているからです。ところがpossederの先行詞を"les iles dites Kouriles"ではなく、"le groupe de ..."と理解すれば、事実に反する言表は解消します。図示すれば以下のようになるでしょう。le groupe