カテゴリ: 千葉英司の東村山市議転落死事件

太田述正コラム#2335(2008.1.31)
<新裁判雑記(続)>(2012.1.17公開)

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 2012.1.17公開。2012.1.21の「講演」の関連で、このタイミングで公開することにしました。(太田)
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1 始めに

 昨日の弁護士との話し合いをご披露しておきます。
 なお、今回のコラムを含め、新裁判雑記シリーズは、当分の間公開しないので、公開するまでの間、取り扱いにはご注意願います。

2 話し合い

弁護士:(今回の千葉氏の訴状と、新裁判雑記シリーズ(その1〜その3)を読んでもらった後、)コラム#195は削除していないのか。
太田:していない。
弁護士:コラム#195や、今回千葉氏が問題にしているコラム#1184を削除するにはどうしたらよいのか。
太田:私がその気になれば、ただちに削除できる。
弁護士:どうして削除しないのか。裁判官も最初にそのことを質問するかもしれない。
太田:削除を求められていないからだ、というのがとりあえずのお答えだ。
弁護士:ところで、第一回目の裁判で千葉氏が削除や謝罪広告掲載要求をしなかったことを咎めることはできない。原告の勝手だからだ。
太田:しかし、今回の千葉氏の訴えの提起が第一回目の裁判の蒸し返しだとすれば、どうして第一回目には謝罪広告掲載要求をしなかったのか、おかしいじゃないかとは言えるのではないか。
弁護士:そりゃまあそうだ。
    第一回目の裁判で千葉氏が提出した準備書面類には千葉氏の著作権がある。それを相手の断りもなく公開したのは問題があるのではないか。
太田:著作権?本当か。準備書面類は閲覧することが認められている。ということは、(著作権があろうとなかろうと)それらを公開したってよいはずだ。
弁護士:いずれにせよ、前回の裁判が確定する前にコラムに転載して公開したのはいかがなものか。
太田:準備書面類は裁判確定後にしか閲覧できないとは承知していない。
   そもそも裁判の公開性は憲法で保証されているのではないのか。準備書面類が閲覧しにくかったり、準備書面を公開することがはばかられたりするというのなら、書面ではなく、実際に公開の法廷で口頭で弁論をさせてくれ、と言いたくなる。刑事裁判はそういうやり方をしているではないか。それとも、裁判の公開における裁判とは刑事裁判だけを指し、民事裁判は対象ではないとでも言うのか。
弁護士:私はあなたの言うとおりだと思う。
    しかし、裁判官がそう思ってくれるかどうかが問題だ。裁判官は一般に、原告と被告が提出する準備書面類は、裁判官宛に提出された文書であるという受け止め方をしている。だから、自分がこれら準備書面類を踏まえて判決を下す前に準備書面類を公開されることを好ましく思わない人が多い。
    とにかく、判例を調べてみよう。
太田:そのあたりのことは、私にはよく分からないので、本人訴訟を諦めた次第だ。
   とにかく、私が力説したいのは、インターネットの世界は公開場裏で軽易に議論が行われることを身上としており、私がコラム#195や訴状、双方の準備書面の主要部分、一審判決、そして控訴審判決(結論のみ)をコラムに転載する形で公表したのはそのためだ。
   今にして思えば、コラム#195の違法性は、千葉氏の第一回目の裁判の訴状を私がコラムに転載した時点で阻却されているのであって、その後更に私が、千葉氏の準備書面(千葉氏の言い分)全ての主要部分をコラムに転載し、おまけに判決までコラムに転載し、千葉氏の言い分が裁判所によってオーソライズされた・・ただし、実質論ではなく形式論でだが・・ことまで世間に周知させたのだから、千葉氏から私が礼状をもらってもいいような話だ。
 確かに私の準備書面(私の言い分)の全ての主要部分もコラムに転載したが、そのことは、このような全体像の中でとらえられるべきだ。
弁護士:分かった。
    今回は二重起訴であるとの反論だけでも勝てる裁判だが、あなたの、インターネットにおける議論の必要性論、意義論も使えるものなら使いたい。とりあえず、準備書面類を転載したコラムをFAXで送ってくれないか。
太田:あのー、分量がハンパでないのだが・・。インターネット上で簡単に見ることができるというのに、何でも紙に落とせというのは資源のムダだ。今その画面の一つを私が持参したこの携帯パソコンでも見ることができるが、ご覧になるか。
弁護士:いや結構だ。
太田:では、前回一緒に弁護をしていただいたもう一方の(メールを使っておられる)弁護士宛てにメールで送らせてもらえないか。
弁護士:裁判所に提出することも考えているわけだから、やはりFAXか郵送で紙の形で私宛届けて欲しい。
太田:分かった。郵送する。
  ところで、将来再び千葉氏から類似の訴えの提起をされることを防止すべく、何らかの形で反訴できないものか。
弁護士:裁判提起の自由が基本的に千葉氏にある以上、反訴は行えない。
    この裁判できちんと勝つことが将来の千葉氏による訴えの提起を防ぐ最良の予防策だ。
    千葉氏がやたら裁判を起こしまくっている人物であることも、訴えて行くつもりだ。
太田:よろしくお願いする。
    
3 終わりに<(以下、非公開を続ける。(太田))>

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太田述正コラム#2331(2008.1.30)
<新裁判雑記(その3)>(2012.1.16公開)

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 2012.1.16公開。2012.1.21の「講演」の関連で、このタイミングで公開することにしました。(太田)
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 (3)謝罪要求について

 以上で、私が原告に反論すべきことは基本的に尽きているが、この際、原告の謝罪広告掲載要求について、付言しておきたい。

 第一に、以下に掲げる、私の第一回目の裁判の際の準備書面における原告に対する注意喚起に対し、原告が何の回答も行わなかった事実に照らせば、原告は、名誉毀損によって被った損害の回復の手段として、損害賠償金の取得以外はその意義を認めていないと解しうるのであって、原告がかかる要求を今になって行うのは、仮に今回の訴えの提起が二重起訴には該当しないとしても、(原告が今回の訴状の別紙1に掲げる謝罪広告文案は、第一回目の訴えにあたっても全く同内容の謝罪広告掲載要求を行い得たことに鑑み、)信義則違反は免れず、許されないと考える。

<転載始め>
             
 「 ウ 原告の請求は趣旨不明である
 また、私としては、不法行為が成立しないと考えているので、本来原告の請求内容について論じる必要はないが、原告は140万円を賠償請求しているところ、この金額の積算根拠が示されていないばかりか、原告が当該コラムの訂正ないし削除要求や、謝罪文のコラムへの掲載等を要求していないことから、原告の請求は趣旨不明であると言わざるをえない。(例えば、140万円を支払えば、当該コラムについて引き続きネット上での掲載を認める、という要求趣旨であるとも受け取れる余地がある。)」(コラム#1225で公開)

 「第2 求釈明
 原告が求める損害賠償は、いつからいつまでの損害を対象としたものなのか、損害額の算定根拠はいかなるものか、なにゆえに当該コラムの削除、原告の反論の被告のホームページへの掲載、被告の謝罪の被告のホームページへの掲載等を求めないのか、釈明を求める。」(コラム#1368で公開)

<転載終わり>

 第二に、原告が今回の訴状の別紙1に掲げる謝罪広告文案中の、「上記事実に関する記事は全て虚偽であります。」は、ナンセンスとしか形容しようがない。
 なぜならば、私は、「本」の信憑性についての主張こそ行ったけれど、「本」に書かれている事実の真実性を証明しようとしたことがないばかりか、原告もまた、その虚偽性を証明しようとしたことがないからだ。
 真実であるか虚偽であるかを判断するための材料を全く持ち合わせていない私が、「全て虚偽であります」などと謝罪広告中で記せるわけがないということだ。

4 終わりに

 以上説明してきたことからもお分かりのように、今回の裁判は、裁判の公開性・・準備書面の公開は可能か、どこまで可能か・・と裁判判決の既判力(脚注1)の範囲・・今回の訴えの提起が二重起訴にあたらないか・・という法技術的な論点が中心となることが予想されるわけです。

 (脚注1)民事訴訟の目的である紛争の解決を実現するために、原告が訴えをもってなす法律関係の主張(請求)について裁判所が下した判断に、後の訴訟の裁判所を拘束 する効力を認める必要がある。この拘束力を既判力という。(
http://civilpro.law.kansai-u.ac.jp/kurita/procedure/lecture/JudgementEffect2.html
。1月22日アクセス)

 また、私としては、原告が将来、類似の訴えの提起を繰り返すことを防止したいところですが、そのために、私からしかるべき反訴(脚注2)を行うことも考えています。

 (脚注2)民事訴訟の被告が口頭弁論終結前に同じ裁判の中で、原告を相手方として提起する訴えのことをいう。(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%A8%B4
。1月22日アクセス)

 よって、今回は最初から本人訴訟でなく、弁護士を依頼してこの訴訟に対処したいと考えています。
 明日の弁護士との話し合いの結果は、改めて報告させていただきます。
 読者の方で本件について何かお気づきであれば、例えば私のスタンスに資する、ITに関わる理屈について何かお気づきであれば、ぜひ私にお知らせください。

(とりあえず完)
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太田述正コラム#2319(2008.1.24)
<新裁判雑記(その2)>(2012.1.15公開)

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 2012.1.15公開。2012.1.21の「講演」の関連で、このタイミングで公開することにしました。(太田)
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 (2)根本的な反論

 原告が提起した第一回目の裁判の控訴審判決は第一審判決を基本的にそのまま蹈襲したものであり、一括りにして「第一回裁判の判決」ないし単に「判決」と表現することにしたいが、この第一回裁判の判決には私は全く承伏していない。
 にもかかわらず、私が上告しなかったのは、上告が無意味だと判断し、時間と経費を節減することとしたからに過ぎない。
 判決の最大の問題点は、それが恐らくインターネットの世界を実地にご存じではない裁判官達によって書かれた判決である点にある。
 私の時事コラムは、ニュースと論説からなるコラムである点においては、TV、ラジオ、新聞、週刊誌等のメディアと大きな違いがあるわけではない。
 相違点は、第一に私のコラムは、少なくとも口頭弁論終結時、ないし判決確定時までは無償のメディアであったことだ。
 このこととも関連し、相違点の第二として、内容の誤りが有償メディアに比べてより多く発生しがちであること、しかも必ずしも迅速に誤りの訂正ができないこと、に加えて、論説を転載ないし要約転載する場合、名誉毀損訴訟を回避し、あるいはこの訴訟に対処できるようにするため、この論説の主張を裏付ける事実を独自に取材したり、論説の主張と対立する主張に言及し、或いは論説の主張と対立する主張を行っている論説を転載ないし要約転載する労を執る余裕などまずないことが挙げられる。
 以上の2点は、インターネット上の時事メディアの多くにあてはまるであろう。
 このようなメディアにおいては、誤りの指摘をコラムの読者の側が、非公開であるところのメール・FAX・電話・手紙により、または誤りを指摘した文章のコラムへの掲載要求により、もしくは(当該メディアの)公開の掲示板への投稿により行うことが期待されており、それが公開の投稿であれば、基本的に無条件で確実に第三者に周知されるところとなる。
 ところが、コラム#195がアップロードされた後2年以上も経過してから、原告は、当該コラムにおける「本」(論説)の要約転載が、誤った事実を含んでいるとして、前もって何の連絡もないまま私に対して訴えを提起してきた。
 このように、原告は私に対して前もって何の連絡もせず、また掲示板への投稿を行おうともしなかったところ、原告の訴訟の提起を受けて私が裁判上の対応以外何もしなかったとすれば、結果的に次のような状況になっていた可能性がある。
 すなわち、私が原告の訴状や第一審における全準備書面の内容をコラム(#1180、1227、1368、1393)に転載することなく、かつその後の判決確定の事実(私が敗訴し、50万円の損害賠償を命じられた)もまたコラム(#1593、1798)として取り上げなかったならば、原告と私、及びそれぞれの関係者以外の第三者は、現時点でも、原告の主張も原告が名誉毀損訴訟で私に勝訴した事実もどちらも認識しないままでいる可能性がある。
 私がTVや新聞に露出して世間に広く名前を知られるようになったのは昨年10月末以降であるが、仮に現在もなお私が無名であったとすれば、依然として上記諸事実が第三者に認識されていない可能性が高いのである。
 このような状況が原告の望むところであったとは到底思えない。
 すなわち私は、原告に頼まれもしないのに、コラムにおいて原告の主張や裁判の結果を紹介することによって、原告の希望を実現したと言えるのであって、この点で原告はむしろ私に感謝すべきであろう。
 そして、係争中であった以上、私は私の第一審における全準備書面もまたコラム(#1223、1225、1368、1393)に転載したわけであるが、これが咎められるいわれもまたない。
 コラム#1184で原告が今回問題にしている部分は、後に第一審の第一回目の準備書面(コラム#1223)にそのまま転記することとなったものであり、訴状、両者の準備書面、及び判決要旨の私による公開の一環として評価されるべきである。
 しかも、既に触れたように、私はコラム#1184(及び#1223)において、原告を創価学会員とした点は誤りであったことを認め、その旨をインターネット上に公開した次第であり、原告の請求の一部を受け入れた形にもなっている。

 以上から私としては、第一審や控訴審において明確には主張しなかったが、原告の訴状をコラム(#1180)に転載してアップロードし、コラム#1184(及び#1223)をアップロードした時点で、コラム#195に仮に名誉毀損性があったとしても、それは遡って阻却された、と解しうることを強調しておきたい。
 

 <参考:第一回の裁判のコラムへの公開状況>

太田述正コラム#1177(2006.4.11)<太田述正コラムをめぐって>:千葉英司氏から訴えられた旨を報告。
太田述正コラム#1180(2006.4.13)<裁判雑記(その1)>:千葉英司氏の訴状の内容を紹介、プラス私の反論の冒頭部分を収録。
太田述正コラム#1182(2006.4.14)<裁判雑記(その2)>:反論の続きを収録(以下同じ)。
太田述正コラム#1184(2006.4.15)<裁判雑記(その3)>:反論の続き。
太田述正コラム#1185(2006.4.15)<裁判雑記(その4)>:反論の続き。
太田述正コラム#1188(2006.4.17)<裁判雑記(その5)>:反論の続き。
太田述正コラム#1190(2006.4.18)<裁判雑記(その6)>:反論の完結部分。
太田述正コラム#1200(2006.4.24)<裁判雑記(関係判例学説)>:関係判例学説を紹介。
太田述正コラム#1223(2006.5.9)<裁判雑記(続)(その1)>:裁判が東京簡裁から東京地裁に移送された旨の報告プラス私が提出した準備書面の冒頭部分を収録。
太田述正コラム#1225(2006.5.10)<裁判雑記(続)(その2)>:私の準備書面の完結部分を収録。
太田述正コラム#1227(2006.5.11)<裁判雑記(続)(その3)>:千葉英司氏が提出した準備書面を収録。
太田述正コラム#1368(2006.8.7)<裁判雑記(続々)(その1)>:東京地裁での準備手続きの報告、プラス千葉英司氏が提出した第2の準備書面、プラス私が提出した第2の準備書面を収録。
太田述正コラム#1393(2006.8.31)<裁判雑記(続x3)>再度の準備手続きの報告、プラス千葉英司氏が提出した第3の準備書面、プラス私が提出した第3の準備書面を収録。
太田述正コラム#1430(2006.10.3)<裁判雑記(続x4)>:公判を紹介。
太田述正コラム#1593(2006.12.27)<第一審判決について(その1)>:(「その2」はないので注意。)
太田述正コラム#1746(2007.4.24)<控訴審結審>:公判を紹介。
太田述正コラム#1798(2007.6.7)<名誉革命(その3)/緊急呼びかけ>:敗訴を報告。

(続く)
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太田述正コラム#2315(2008.1.22)
<新裁判雑記(その1)>(2012.1.14公開)

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 (本篇は、当分の間非公開にします。)

1 始めに

 千葉英司氏が再び私を訴えてくる可能性は大いにあると思っていましたが、こんな訴え方をしてくるとは意外でした。
 30日に弁護士の意見を聞いた上で、(例によって千葉氏は本人訴訟ですが、私も)本人訴訟で対応するか、それとも弁護士を委嘱するか、決めたいと思っています。
 同種の訴訟を今後二度と千葉氏が提起してこないように、しかるべき担保をとるため、同じ裁判の中で私が反訴を提起するかどうかも思案中です。
 学生時代に民事訴訟法をとらなかったことを、今更ながら悔やんでいます。

2 千葉氏の訴状(抜粋)

 最初に千葉氏の訴状の抜粋を掲げます。
 「原告」は千葉氏、「被告」は太田です。
 なお、(注)は私がつけたものです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 <前略>

 (3)<被告が、>旧記事(注1)を紹介した上、原告が創価学会員であるとの部分のみを訂正し新記事(注2)を加えた本件記事は、原告が創価学会員であるとしている点において旧記事とまったく変わらない。原告は旧記事をめぐる裁判において「万引き事件を捏造し、殺人事件を隠蔽した事実は一切ない」と主張したが、被告はその後も独自の調査をいっさいせず、原告の主張を無視して、本質的に趣旨を同じくする本件記事を掲載したものである。

 (注1)コラム#195(2003.11.26)。
 (注2)コラム#1184(2006.4.15)。

 (4)上記のとおり、本件記事は旧記事の「訂正記事」にほかならず、読者が本件記事によって「訂正記事であるのだから、『服署長が万引き事件を捏造し、殺人事件を隠蔽した』と受け止める可能性がより高まっていることは明らかである。
 よって本件記事は、被告による原告に対するまったく新たな人権侵害であり、また「東村山の闇」によって被った原告の被害を拡大させるものにほかならない(「東村山の闇」については、原告は著者である矢野穂積と朝木直子を御庁に提訴しており、本年3月25日、判決言い渡しの予定である)。

第4 損害
 被告は旧記事のみならず、本件記事によって原告に対し新たな人権侵害を行ったものであり、原告が被った損害はきわめて甚大である。これを金銭的に評価すれば金200万円(注3)を下らない。

 (注3)原告は訴状の最初の方では、210万円と記している。

第5 結論
 よって原告は被告に対し、民法709条及び同第723条に基づき、請求の趣旨記載のとおり、名誉毀損による損害賠償の支払いと謝罪広告を求めるものである。

 <中略>

別紙1

                謝罪広告

 太田述正は、インターネット上のホームページ「核武装と日本の軍事戦略--防衛省OB太田述正ブログ」の平成18年4月16日付「裁判雑記(その3)」で、『東村山の闇』(矢野穂積・朝木直子共著)に基づき、「千葉英司元副署長が朝木市議による万引事件を捏造し、また、殺人事件を隠蔽した」とする記事を掲載しましたが、上記事実に関する記事は全て虚偽であります。
 よって、太田述正は、虚偽の事実を記載して千葉元副署長の名誉を毀損したことに対し陳謝の意を表するとともに、今後二度とこのような誤りを犯さないことを誓約いたします。

 平成20年 月 日
                          太田 述正
千葉英司 殿
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
3 とりあえずの私の反論のイメージ

 (1)全般

 コラム#1184は、2006年の1回目の訴訟の提起を受け、私が『東村山の闇』(以下「本」という)を読み返したところ、原告が問題視したコラム#195で原告ほか1名を創価学会員と記述した点については誤りであることに気付いたので、これを同コラムで訂正したものであり、その際コラム#195の主要部分を転記したのは、読者の理解を容易にするとともに、コラム#1185以下に話をつなげるためである。
 コラム#195における私による「本」の要約紹介が名誉毀損にあたるとの判決が昨年控訴審で確定(2007.6.7)しているところ、コラム#195における上記要約紹介を転記したに過ぎないコラム#1184、しかも控訴審の口頭弁論終結日(2007.4.24)前に上梓したコラム、が新たな名誉毀損を構成するわけがない。
 そもそも原告は、私の準備書面上での注意喚起(後述)にもかかわらず、コラム#195の削除を裁判上要求しようとしなかったのであって、インターネットの特性上、コラム#195における私による「本」の要約紹介の全部または一部が、ネット上で私や第三者によって自由に転載されることを、今後とも咎めることはできない。
 よって、原告による今次訴訟の提起は、民事訴訟法第142条に言う二重起訴の禁止に抵触する濫訴である。

 また、コラム#1184は、その後、ほぼそのままの形で私の一審における一回目の準備書面に採用したところであり、この準備書面もコラム#1223(及び1225)に転記して当時公開したにもかかわらず、これまで原告がこれらコラムについて私にクレームをつけたことは一度もない。
 (私が自分と原告の準備書面類の全部または一部を公開したことについては、裁判の公開の原則に則り、民事訴訟法第91条で 、準備書面類を含む訴訟記録の閲覧、謄写及び複製請求を何人でも原則として行うことができる旨定めていることに鑑み、問題はないと考える。)
 よって、原告が今頃になってコラム#1184にクレームをつけてくるのは信義則違反である。

 以上から、今次訴えについては、却下、それが認められないとしても、棄却を求める。

(続く)
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<訂正:太田>(2012.1.14)

 「準備書面類の全部または一部を公開したことについては、・・・問題はないと考える」は必ずしも正しいとは言い切れないようです。
 判例があるのかないのか定かでない、というのが、本件に限らず日本の司法の大きな問題点の一つですが、インターネット上での質問に対する匿名回答で、次のようなものがありました。

 「裁判は確かに、一般の人に公開はされます。しかし、それは裁判所の中だけです。裁判所の外においては、その裁判に関する情報は慎重に取り扱う必要があります。・・・情報を公開したことによって、公開された側の社会的信用を失うようなことがあれば、・・・名誉毀損罪で訴えられる・・・でしょう。」
http://okwave.jp/qa/q2289967.html

 法廷での証言だけでなく準備書面類
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%BC%E6%8B%A0
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%96%E5%82%99%E6%9B%B8%E9%9D%A2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B3%E8%BF%B0%E6%9B%B8
も憲法に謳われている裁判の公開の対象であることに異論はありません。
 ですから、誰でも閲覧することができる扱いになっています。(コピーはできませんが・・。)
http://www.daishoyasan.jp/gotocourt/fa/fa-0108.html
 さて、裁判の公開「は裁判所の中だけです」は、マスコミュニケーションが発達していなかった時代の産物であり、今や、裁判を中継したっていいのでは、というのが私の考えです。
 従って私は、法廷での証言をほとんど逐一報道すること・・小沢裁判での産経新聞電子版が念頭にあります・・が名誉棄損に問われることなどありえないと考える次第であり、当事者の一方の準備書面類(含む、法廷での証言録)だけなら問題なしとしませんが、双方の準備書面類の全てを不特定多数に公開したとしても、名誉棄損に問うようなことがあってはならない、と考えています。
 その系として、双方の準備書面類等から主要部分を公平に抄録したものもまた名誉棄損を構成しない、と考えるものです。
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太田述正コラム#1726(2007.4.9)
<例の訴訟の私の弁護士へのメール(その2)>(控訴審終結まで非公開)(2012.1.13公開)

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 2012.1.13公開。2012.1.21の「講演」の関連で、このタイミングで公開することにしました。
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2 論点の整理

 (1)本件提訴は創価学会のための代理訴訟ではないのか

 千葉氏と創価学会との密接な関係については、証明できそうであり、証明すべき重要なポイントではないでしょうか。
 それは、どうして千葉氏がこの訴訟を提起しているか、という根本問題と関わってくるからです。
 千葉氏が創価学会の意向を受け、あるいはその意向を忖度して動いている可能性が極めて高いということを裁判官に印象づけられれば、裁判官の心証形成は大いに異なってくるのではないでしょうか。

 創価学会がらみの訴訟は、弁護士の方々は引き受けたがらないと、アンチ創価学会のキャンペーンを張っておられる乙骨正生さんから聞きました。逆に言うと、大変僭越ですが、貴殿らが私の弁護を引き受けてくださったのは、千葉氏による私の提訴の実態が、創価学会による弱者たる一市民の人権侵害である、と認識されたからではありませんか。
 この提訴の実態は創価学会による人権侵害である、といったことを私はこれまでコラムに書いたことはなかったにもかかわらず、千葉氏による提訴を知った私の読者は、一様に上記のように受け止めたものです。(証明できます。)

 私がコラムで典拠としたあの本を始めとする乙骨・矢野ご両名等による創価学会批判に対抗すべく創価学会によって行われている提訴の状況・・ほとんど提訴していない?・・と千葉氏による「濫訴」の提起状況、更には私が件のコラムの中で言及した千葉氏以外の3名(うち2名は創価学会員)による訴訟の提起状況・・ほとんど提訴していない?・・を把握し、整理するだけでも、そこから以上の構図が透けて見えてくるのではないでしょうか。

 もう一度、はっきり申し上げましょう。
 千葉氏が、この訴訟を提起することであえて寝た子を起こしたのは、創価学会の意向を受け、あるいはその意向を忖度したからであって、千葉氏自身の「侵害」された権利の回復のためではないのではないか、ということです。

 (2)果たして名誉棄損は成立しているのか

  ア 提訴まで

 件のコラム上梓から千葉氏による提訴までの2年4カ月という長期間にわたって、上記の私の誤りを指摘する読者が一人も出てなかったということは、東村山事件を知らなかった人で、私のコラムを読んで、この事件のことを調べてみる気になった人が一人もいなかったことを推測させます。
 要するに、この副署長が千葉なる人物のことだ、と認識するに至った人は一人もいなかったと推測できるのです。
 このことの傍証となるのが、提訴があったと私がコラムで記して、初めて私が典拠とした本を読む気になった一人の読者が、私に対してただちに、千葉氏が創価学会員であるとの記述はこの本にはない、と注意喚起してくれたことです。(証明可能)

 他方、(コラムを書いた当時は全く知りませんでしたが、)東村山事件について以前から関心を持っていたネチズンは数多くいました。
 その中には、私のコラムの読者もいたのではないかと推察されます。
 当然彼らは、千葉氏が創価学会員ではないことを知っていたはずです。
 しかし、その中の誰も私の誤りを指摘しようとはしてくれなかったことになります。
 これは、(創価学会シンパの人であれアンチ創価学会の人であれ、)彼らは、千葉氏を創価学会と密接な関係のある人物として認識しており、私が彼を創価学会員とした「誤り」などとりたてて問題視し、指摘すべき誤りではない、と考えたからではないでしょうか。

 いずれにせよ、一審の私の準備書面でも記したように、件のコラムに関しては、この訴訟が提起されるまでの間、投稿もメールも、ただの一つも寄せられなかったのであり、いかにこのコラムが注目を集めなかったかは明らかです。

 以上から、名誉棄損は、むしろ、千葉氏がこのコラムにたまたま気がついて提訴したことによって、初めて成立する条件が整った、と言えるのではないでしょうか。
千葉氏は、創価学会の意向を受け、あるいはその意向を忖度し、自分の名誉が棄損される危険をあえて冒して寝た子を起こした、と私は勘繰っているのです。                                   

  イ 提訴以降

 では、提訴以降には名誉棄損が成立したでしょうか。

 2チャンネル上の「太田述正について語ろう」での私に対する悪罵の数々をご披露しましたが、あれだけ虎視眈々と私のアラ探しをして悪罵を投げつけて楽しんでいるネチズン達・・もっとも、彼らの大部分はアンチ創価学会と考えられる(たぶん証明可能)・・が、私が件のコラムで千葉氏を創価学会員云々と記したことに対し、千葉氏から提訴され、そのことを私がコラムで披露したというのに、このことで、彼らから私に対し、依然として一切悪罵が投げかけられないまま現在に至っている(注2参照)ことをどう解釈するかです。
 同様、上記提訴以降、創価学会員シンパも私のコラムを読んでいる(証明できる)というのに、彼らからもまた、この件で非難めいた投稿やメールは一切ありません。(投稿については証明可能。)
これは、創価学会員たるAV女優の出演ビデオを学会員達が誇らしげにみんなで見ている、という週刊新潮の記事をコラムで紹介した(上述)時には、創価学会員とおぼしき人物からただちに抗議のメールがあったことと対照的です。

 いずれにせよ、これらのことから、千葉氏による提訴以降も、名誉棄損は成立していないと考えるべきではないでしょうか。
 上記提訴に係る事情に通じている人で、私の件のコラムが名誉棄損を構成すると考えているのは、現在のところ日本中で、千葉氏と一審の裁判官3名中の2名ないし3名の計3〜4名だけだ、という見方もできないわけではない、とさえ思うのです。

 (3) 二つの損害は区別すべきではないか

 私の件のコラムで問題になっている箇所は、

 創価学会員であったところの(当時の)副署長、刑事課員、地検支部長、及び担当検事が、「公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。しかし、彼らの画策したでっちあげや隠ぺい工作は、・・」

ですが、これには誤りが含まれていることから、例えば、

 創価学会員であり、「公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ」た地検支部長と担当検事が、(当時の)副署長、刑事課員と共謀して「創価学会の組織防衛に走ったと思われます。しかし、彼らの画策したでっちあげや隠ぺい工作は、・・」

と記すべきだったわけです。

 私の問題意識は、「典拠の要約として妥当な部分が相手に与えた損害」=A と、「誤った要約である部分が相手に与えた損害」=B とは区別すべきではないのか、というものです。

 というのは私は、書籍等のこの種の引用に関して、どのような引用の仕方なら許されるのか、明確な判例がないのではないか、という認識を持っているからです。
例えば、創価学会員たるAV女優の出演ビデオを学会員達が誇らしげにみんなで見ている、という週刊新潮の記事をコラムで紹介した(上述)だけでも名誉棄損になるのか、ということです。
 ですから私としては、本件がそのような判例(の一つ)になって欲しいと願っており、両者が混在したままでは、判例にはなりにくいのではないか、と懸念しているのです。

 本件に関しては、両者を区別すべき理由がもう一つあります。
 それは、この訴訟には、千葉氏によるところの、創価学会のための代理訴訟であるという(上述の)側面のほか、私が件のコラムで言及した(千葉氏以外の)3名のための千葉氏による代理訴訟であるという側面があるからです。
 この訴訟が確定して、私がC(=A+B)という損害賠償を命じられたとして、この3名が新たに私を提訴してきた場合、私は創価学会員たる2名にはそれぞれAを、創価学会員ではない1名にはCを支払うことを判決で命じられる可能性が高い以上、私はこのような腹積もりをするための情報を、この訴訟の判決によって与えられる「権利」がある、と言いたいのです。

 以上から、一審判決が、両者を区別しないまま、総額50万円の損害賠償を私に命じたのは残念なことでした。

3 所感 

 改めて、本訴訟は単純な名誉棄損の成否をめぐる争いではないという思いを新たにしています。
 千葉氏に対しては、むしろ反訴してしかるべきではないか、とまで思うに至っている昨今です。

(完)
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<読者BH>
 これは↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E6%8A%97%E8%A8%80%E8%AB%96

 このニフティーサーブ現代思想フォーラム事件というのは太田先生の事件と非常に似通っていると思いますね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%95%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%96#.E3.83.8B.E3.83.95.E3.83.86.E3.82.A3.E3.82.B5.E3.83.BC.E3.83.96.E7.8F.BE.E4.BB.A3.E6.80.9D.E6.83.B3.E3.83.95.E3.82.A9.E3.83.BC.E3.83.A9.E3.83.A0.E4.BA.8B.E4.BB.B6
 結局、名誉毀損を問われた人は負けたようですが。

 この事件に関連して「対抗言論」という概念について高橋和之という元東大の法学者がいろいろ論評しているみたいです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E6%A9%8B%E5%92%8C%E4%B9%8B
権威っぽくないですか?「対抗論文」で参照されているジュリストの論文と「インターネットと法」という本は読んでみる価値ありそうです。more speechと英訳する人もいるようですが、検索にはひっかからないですね

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太田述正コラム#1725(2007.4.9)
<例の訴訟の私の弁護士へのメール(その1)>(控訴審終結まで非公開)

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 2012.1.12公開。2012.1.21の「講演」の関連で、このタイミングで公開することにしました。
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1 始めに

 武富士とフリージャーナリスト三宅勝久氏及び『週刊金曜日』の訴訟で、東京地裁は、2006年9月22日の判決(確定)において、「表現の自由が民主主義体制の存立とその健全な発展のために必要とされ、最も尊重されるべき権利である」「言論による批判に対しては、民主主義社会においては、資料の裏付けのある言論で応酬することが求められている」と説き、「言論、執筆活動を抑圧又は牽制するために訴訟を提起した行為は違法」と判旨した(
http://www.syuppan.net/modules/news/article.php?storyid=35
)ところです。
 しかも、例の訴訟に関し、控訴審たる東京高裁に提出した控訴人たる私太田の準備書面に記していただいたように、「もともとインターネットは、誰でもが容易に問題を提起することができ、誰もがこれについて自由に言論を交わすことで、議論を深めることが出来るところに、その現代的な有用性がある。そして、誤りが生じた場合には、自由な意見の交換を通じ、これを速やかに、かつ容易に訂正できるところにその特質がある。こうしたことから、誤解に基づく単純な誤りについては、直接にそのことを指摘することで、誤解を解き誤りを是正できるのであり、それがインターネットの特質に即した、誤りの是正方法である」わけです(注1)。

 (注1)英BBCの電子版(
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/6502643.stm
)は、米国の弁護士で会ってブロッガーでもあるハウエル(Denise Howell)女史の指摘、「生のウェッブ(Live Web)という手段は、通常の人々に個人で対話をしたり意見を表明したりすることや、他の人々にもブログといった媒体でもって同じことをやらせることを、かつてないほど容易にした。・・私は、生のウェッブが気に入っている人は誰でもこのことを喜んでいると思う。それと同時に彼らは、これら通常の人々が詳細な法的な規定や条件によってがんじがらめにされるようになると生のウェッブの活力が損なわれるということに同意すると思う・・。」を掲載している。

 私も、インターネットの世界がそのようなものであることを重々承知しており、私自身、インターネット上でコラムを発表するようになってから、侮辱的ないし名誉棄損的な個人攻撃に継続的に晒されてきた(注2)ところですが、法的手段に訴えることなど、全く考えたことがありません。

 (注2) <2チャンネル 国際情勢板 太田述正について語ろう(
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1077943689/l50)より抜粋>
←2003.11.26:東村山事件について、コラム#195で言及。
←2004.02.28:2チャンネルの国際情勢板に「太田述正について語ろう」立ち上げられる。

22 : 04/03/04 15:19
> 肯定的な反応には、ご丁寧な謝辞を述べ、否定的な反応には、感情的な態度を見せる。
> いよいよ答えづらくなれば、無視を決め込む。
> 目立たないように「逃げ道」を確保してる点は官僚的だね。
> でもその「逃げ道」が有効かは疑問なものも多いがね。
> 第二の人生を考えながら防衛庁の経費で留学とかしているのを見ると、
> それが倫理的に問題があることに気づいてないようなのは、あきれる。

防衛庁やめることを前提に税金で留学してたってことか。
倫理観0だな。落選してくれてよかったw

35 : 04/03/04 20:54
> 何の志も持たずに定年までだらだらするより、志を持ってスピンアウトする方が
> 人間として面白い。

きっと次官レースに負けたからだらだらできなかったんだよw
きっとあの性格だから天下り先の世話を誰もしてくれなかったんだよw

62 : 04/03/08 20:34
ドンキー太田は精神的に「自立(自律)」していないとみます  
経歴から推察するに父君は官僚だったかも
良いとこ育ちのお坊ちゃんとして成長した
防衛庁では官僚として純粋培養された  好意的に言えば防衛庁は30年間かけて
血税をつぎ込んでドンキホーテを育成した
30年後、世間知らずのまま日本社会に放り出された(自らすすんで出た?)
そして現在、世間知らずのドンキーは現実社会の厳しさを初めて認識し困惑している。 金欠病?
社会の一般常識さえ身についていない・・・言葉遣い、2チャンネルへの対応の仕方等から稚拙である事が判る・・

220 : 2005/11/11 02:59:55
米韓関係の悪化まで、日本のせいにされるのは…。
防衛庁の背広組ってこんなにアホなの?

221 : 2005/11/11
こいつアホだな、やっぱ。

222 : 2005/11/17 00:20:26
こいつホントにヒトの言うことをきかねーよな。
この心の狭さが嫌われる原因だろう。

223 : 2005/11/17 22:02:33
エリート様が我ら愚民を啓蒙してくださるために作ったHPだからな〜
批判は許可されんだろ〜

選挙に落ちたときに
ジャスコに余計な事を言われたとか話していたが
実際のところ的を射ていたりしてw<何を言われたかは知らんが

天木 元ヨルダン大使を擁護していたが・・・
あふぉ? 英語の読みすぎで日本語が読めなくなったのか?

264 : 2006/01/29 20:23:41
お〜たんの高卒叩きは、おそらくお〜たん自身の未熟な人間関係に原因があるんじゃないかな。
彼は社会に出てから大学時代の友以外に、利害関係なしで相談できる友人がいないんだ。

265 : 2006/01/29 22:03:00
近所付き合いも、親戚付き合いも、ないんだろうなーと、感想。
それとも近所も親戚もみーんな、大卒以上なんですかねー。

大半の大卒でない日本人を敵にまわしてるし、理系人間にも喧嘩うっているし。>オレも理系卒だが。

>ですからそもそも、筆がすべった方を額面通り受け取る方がおかしい、
>と思うのですが、こんなこと言うと理科系の方は怒るかなあ。

文面だけのコミュニケーション手段に、(受け手に対してその)文面を信じるなと、あほとちゃいますか。

269 : 2006/01/30 01:58:02
彼のメールマガジンと掲示板は主張を公開する場というよりは、彼の自己顕示欲を満たす場だな。
自分を取り巻く環境や、世間の自分に対する評価に満足していないからこそ、唯一他人に自慢できると考える
学歴をもって、自分が世間に対し優位にあると断定する材料にしたい・・・ そんな感じがありあり、と。

270 : 2006/01/30 02:35:31
きのうの日テレのバンキシャで元検事のおっさんが「東大卒でも、試験だけで、箸にも棒にもかからん「でくのぼう」はけっこういるんだよ」って言ってたけど、このコラム見てて「なるほど」と思ったよ。

284 : 2006/01/31 20:40:22
太田がよく使う「綱渡り的ビジネスモデル」って言葉はさ、ビジネス自体をまったく知らない人間が使う言葉じゃねえの。
・・
金は天から降ってくるみてえな甘ったれた意識だからこういう言葉が出てくるんだろ。
この太田っていう人、職業何なの?
何やってる人なの?
頭悪すぎるよ。

410 : 2006/02/06 01:39:41
太田って、ネット検索の拾い物を手前勝手な解釈で「つぎはぎ」してそれをコラムにしてうpしてる自閉症ハゲのおっさんじゃんか。
何の真実性も本物性もねえじゃねえ。
今回のビルゲイツ論争でよくわかったよ。
あのハゲに語れるのは東大と役人時代の思い出だけ。
あとはみんな借り物のパッチワークだろ。

432 : 2006/02/07 00:46:32
しがみつき
http://homepage1.nifty.com/eggs/sikou/sigami.html
<http://ime.st/homepage1.nifty.com/eggs/sikou/sigami.html>
治療場面で、治療時間が終わっても、なかなか部屋を出たがらない人がいるという。
セラピストと別れるのが、まるで奈落の底に突き落とされるかのように感じるのだろう。
椅子から立ち上がろうとしなかったり、ドアの所に立ち尽くしたまま、部屋を出ようとしなかったりするようだ。冷静に考えてみれば、治療時間が終わったら帰宅して、また次の治療の時に来ればいいだけのことなのだ。ただそれだけのことなのだが、見捨てられる恐怖に囚われている人にとってはそうは行かない。
まるで明日という日がないかのような絶望感に陥ってしまう。このまま部屋を出てしまったら、もう二度とセラピストに会うことが出来なくなるかのような悲壮な恐怖感にとらわれている。もし優しい言葉でもかけてやれば必死になってしがみついてくるだろう。まるでおぼれている人が必死になって何かにつかまろうとしているかのようだ。
──────
太田氏にとって「しがみつき」の対象が、彼の中で理想化した「アングロサクソン」、あるいは、彼の中で理想であると感じる部分だけを抽出した「アングロサクソン」なんですわ。

451 :2006/02/08 23:42:31
俺的にはあんな糞コラムより、あのハゲが52まで中央官庁で勤まってたってほうが興味がある。よくあんな奇天烈な性格で仕事できたなあと思うよ。
ああいうのでもクビにもならず、左遷もされず、やってけるもんなんだ。
中央官庁ってさ。ああいうの民間にいたら40前で、いや30ちょい過ぎでリストラか赤字の孫会社派遣じゃねえの?

それと嫁とか一人息子とかとうまくいってるんだろうか。
ああいう人間って家庭でどういう存在なんだろ。
あのハゲって一定の収入とかあるのかなあ。
なんか太田ってデイトレーダーとかでさインサイダー情報とか仕入れて株かなんかで儲けてそうだよな。
退職金もまだ少しは残ってるのか。
コラム書きと掲示板の見張りで悠々自適の生活だもんな。
いい身分だよ。

455 : 2006/02/09 01:29:47
他人を貶すことでしか自我を保てないんだろ。
哀れなやつだよ。

493 : 2006/02/12 23:15:09

はじめは太田のメディア情報の広さに感心したが、無職で一日中ネットばかりやってるのならそれも可能だと納得。太田は人の名前や職業を聞く前に早く就職するように。(プ

514 : 2006/02/20 00:18:02
この人、悪い意味で率直すぎるよな…
とても政治家の器じゃねーよ

515 : 2006/02/20 00:29:35
こんなのが立候補したってのもアレだが、こいつが実際に官僚だったって事実もなかなかにホラーだと思わないか?

516 : 2006/02/20 01:06:03
東京はコワイ街って事だな。

←2006.4.13:私が訴えを提起されたとし、訴状の概要をコラム#1180で取り上げた。

550 :2006/04/14 19:40:05
太田という人物
 防衛庁では変わり者扱い。ただ、東大至上主義者の上司で猫かわいがりするボスがいたこと、3流官庁でやたら東大が大事にされること、この2点だけで一応幹部になれた。
しかし、その超絶したエリート意識と学歴主義には多くの人間が愛想をつかしていた。

566 :2006/05/26 20:05:50
人格破綻者に人格破綻者呼ばわりされるルソーも災難だなww

567 :2006/05/27 22:44:30
俺イギリス在住だけど、英国人が一番キモいと思うのが太田みたいな英国マンセー外人なんだよな。
しかも有色人種でこれをやる人間はマジで精神的な奴隷扱い。
英国人は腑抜けた賛同者よりも気骨がある敵に敬意を表する人種なんだな。太田は英国人から見れば白人のご主人様に媚を売る植民地の奴隷って感じ。

572 : 2006/05/28 20:23:35
外務省はさておき、太田のような人間が防衛官僚だったわけだから、制服組にとっては災難だった。
結局あいつは談合を認めたり、不正を犯した同僚を擁護したりする腐りきった人間だから、太田が長年防衛庁に在籍したことで日本国全体が被った被害は馬鹿にならないだろう。

573 :2006/05/29 12:28:30

>>567
同意

589 :2006/06/18 19:35:31
>>586
>少数の信者相手だけに細々と主張するだけじゃ我慢できんでしょ?この人w

自己顕示欲がハゲしそうだからね。
太田はさ、50過ぎてるけど頭の中がまるっきりガキだよ。あんな性格の人間を囲むOFF会が盛況するわけないって常識で考えりゃわかるわけだが。そもそも日本に危機感をもって、意識改革を促すためにメールマガジンで啓蒙しているなんて発言をしておいて、読者数が増えないとかOFF会が盛り上がらないって理由だけで有料化とは矛盾していないか。あのメールマガジンは始めっから太田の自己主張の場に過ぎなかったってことがよくわかる。

590 :2006/06/18 19:56:53
そして誰もいなくなった

594 :2006/06/19 14:04:54
太田は人の忠告を絶対に受け入れないからな・・・
忠告してくれる人も当然いないだろう。

その意味においてとてもホリエモンや姉歯を批判できるような人じゃないんだが。

679 :2006/08/06 22:27:33
おーたんOFF会に向いてないね。

680 :2006/08/08 06:20:31
というか社会に出るのにむいてない

682 :2006/08/12 07:29:45
おーたんほど人間的魅力を感じないオッサンも珍しい

696 :2006/09/29 18:51:38
学歴厨ってのがいちばんみっともないよな・・・
太田は東大出なのに冷遇された怨みとか、周りの人間から疎まれているコンプレックスとか、そういうのを全部低学歴叩きで解消しようとしている。

697 :2006/09/29 20:34:03
東大出ても三流官庁時代の防衛庁にしか入れなかった太田さんだから学歴にしかすがれないのも仕方ない…

709 名前:2006/10/15 09:07:36
家事もおーたんの分担だったりなw
あんなにメルマガに割く時間があるってことは、仕事はやってないだろ。
今流行りの主夫ってやつかwwww

710 :2006/10/15 13:18:22
>>708 <http://society3.2ch.net/test/read.cgi/kokusai/1077943689/708>
嫁さん、ババつかんだな。
高級官僚だと思って結婚しただろうに。

←2006.11.17:コラム#1513で、「昨年、『週刊新潮』2005.07.20号の、「母親と弟が、熱心な<創価>学会員である<AV女優由美香>・・二人は由美香の職業を理解し、97年公開のドキュメンタリー形式アダルト映画「由美香」にも出演している。AV業界関係者によると、学会にはAV関係者が多く、学会にはAVを表現活動として認める環境がある、とのこと。AV監督や女優が、自分のビデオを学会の集会に持ち込み、みんなで鑑賞することも。」という記事(http://01.members.goo.ne.jp/home/giko33/diary/200507.html。11月17日アクセス)を医者の待合室で読んで目を丸くしましたが、後で冷静になってから、日本では大いにありうることだ、と自分に言い聞かせた記憶があります。」と記す。
←氏名を明らかにしない読者から、「抗議します 前略、昨夜の以下の文は事実無根で、このような間違った文を載せることは、残念と言わざるをえないので、抗議する。AV業界関係者によると、学会にはAV関係者が多く、学会にはAVを表現活動として認める環境がある、とのこと。AV監督や女優が、自分のビデオを学会の集会に持ち込み、みんなで鑑賞することも。」以上を取り消して頂きたい」とのメールを受け、このメールを私のホームページ(当時)の掲示板に、「抗議は新潮社にどうぞ。なお、掲載号は、http://asyura.com/0502/cult1/msg/870.htmlで確認しました。」という私の反論とともに転載した。
 (以上、注2終了)

 ですから、私の問題のコラム(#195)によって名誉を棄損されたとして私をいきなり提訴した東村山署の元副署長の千葉氏は、まさに、「インターネットの特質に即した、誤りの是正方法」をとらず、私の「言論、執筆活動を抑圧又は牽制するために訴訟を提起した」とみなされるのであって、かかる行為は違法であると言わざるをえません。
 ところが、一審は、千葉氏をたしなめるどころか、私に対して50万円の損害賠償を命じたのであって、極めて遺憾です。
 以下、このことについて、論点の整理を試みました。

(続く)
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 (私の考えや当コラムに対するコメントをお寄せになった場合、お断りすることなく、私のHPの掲示板や当コラムに転載することがあります。なおその際、時候の挨拶的な部分を削除したり、筆者のアイデンティティーを隠すために必要な範囲で、文章に手を入れたり部分的に文章を削除したりさせていただきます。
ブログ:http://ohtan.txt-nifty.com/column/
掲示板:http://sol.la.coocan.jp/wforum/wforum.cgi

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 ブログ、掲示板のURLもその後変わっていますが、そのままにしました。↑(太田)

太田述正コラム#2591(2008.6.5)
<新裁判雑記(続々)>(2008.12.6公開)

1 始めに

 5月27日付で、勝訴判決があり、本日打ち合わせに弁護士の所に行ってきました。
 打ち合わせと言っても、一応勝訴したので、成功報酬を払わなければならず、その算定根拠を聞かされたのがメインです。
 なお、原告の千葉氏が控訴するかどうかはまだ分かりませんが、控訴になると、成功報酬は控訴審裁判の弁護士費用(手付け金)に自動的に充当されます。
 とにかく、こんなばかばかしい裁判でもおカネはしっかりかかります。
 本人弁護をやれば、弁護士費用はかかりませんが、裁判の内容によりけりですし、私も忙しくなってきており、やはり弁護士を頼まざるをえません。
 今後も裁判を提起されるかもしれないし、裁判に負けて損害賠償金を払わされることだってありえます。
 というわけで、皆さんからいただいたカンパは、有効に活用させていただいています。カンパしていただいた方々に、ここで改めて御礼を申し上げます。
 さて、改めて勝訴判決文を読み、本日弁護士(結局年配の弁護士一人が今回の裁判を担当しました)と議論したことも踏まえ、今回の判決への感想めいたことを申し上げます。

2 判決内容

 今回の裁判(裁判B)は、公益目的である書籍の内容を要約紹介したところのコラム#195における私の記述が名誉毀損であるとして千葉氏が私を訴えた(裁判A)ことを受け、コラム#1184において、千葉氏から訴えられたことを記した上で、コラム#195での記述に誤りがあった(千葉氏を創価学会員と記した)ことを発見したと記すとともに、コラム#195の内容を改めて紹介し、コラム#195で私が書籍の要約紹介を行った趣旨を説明したことが、新たに名誉毀損に該当するとして、千葉氏が(裁判A確定後)私を再度訴えてきたものです。
 (頭が混乱した方は、コラム#195とコラム#1184に直接あたって下さい。)
 ちなみに、裁判Aではその後私が一審でも控訴審でも敗訴し、損害賠償金50万円を千葉氏に支払っています。
 
 さて、裁判Bの第一審判決は、コラム#1184は原告(千葉氏)の社会的地位を低下させてはいないという結論を下します。

 「インターネット上の掲載文は他の情報媒体に比して一般的に信憑性が低く、閲覧者が掲載文の内容を直ちに信用するとは限らないこと、本件旧記事(コラム#195(太田))と本件新記事(コラム#1184(太田))の表現媒体は、いずれもインターネット上のホームページという点で同じであり、いずれの記事についても、これを閲覧する者の範囲に大きな差はないこと、本件新記事と本件旧記事の対象も本件書籍の内容を要約した同一のものであって、その掲載方法もホームページ上に、いずれも被告を表示する「太田述正コラム」と題してその記事を継続して載せる一連のものであることが認められる。
 ・・・以上の諸事情にかんがみると、本件新記事における事実の摘示及びその掲載の態様は、本件旧記事の掲載当時のものと変わりがないのみならず、本件旧記事の閲覧者より多くの者が本件記事を閲覧するとも認められないから、本件新記事の内容は、本件旧記事の掲載当時から更に原告の社会的地位を低下させるものと評価することができないというべきである。」

 本来、判決文はここで終わってもよいわけですが、判決は、ご丁寧にも、仮にコラム#1184が千葉氏の社会的地位を低下させたとしても、被告(太田)に損害賠償責任を負担させるほどの違法性はないと念押しをします。

 「・・・本件新記事は、被告が本件旧記事を一部訂正する内容のであり、本件新部分についても、原告の名誉に関して、新たな事実を摘示するものではなく、本件書籍の要約紹介の論旨についての趣旨を説明したものにすぎないところ、その訂正記事という性格に照らすと、被告は、本件新記事を掲載することにより、原告の名誉を新たに毀損する意図や加害の意思を積極的に有するものではなかったというべきである。そして、上記・・・の説示のとおり、本件旧記事の内容と本件新記事の内容は、事実の摘示及び行為の態様も同じであり、両記事は連続する一連のホームページ上の記事というべきものである。
 ・・・<また、>本件新記事は、本件前訴(裁判A(太田))の第一審の審理中に、ホームページに掲載されたこと、そのうち本件新部分を除く部分については本件書証として被告から証拠提出されたので、本件前訴の第一審において証拠調べがされたこと、被告は、本件前訴で提出した本件答弁書において、本件新部分と同趣旨の主張をしたこと、本件前訴の第一審は、被告が本件旧記事の他に本件新記事をホームページに掲載したことを踏まえて、・・・同年12月26日、一切の事情を考慮して慰藉料額を50万円の限度で認める一部認容判決を言い渡したこと、これに対し、被告が東京高等裁判所に控訴したが、同裁判所は、・・・同年6月7日に同控訴を棄却するとの判決を言い渡したので、上記第一審判決が確定したことが明らかである。
 また、・・・被告は、そのインターネット上で本件書籍の要約紹介について、コラム記事として本件前訴の経緯について継続的に報告し、本件新記事の掲載もその報告の一環としてなされたものであること、被告は、平成18年12月27日、そのホームページ(コラム#1593(太田))において、原告の請求を一部認容した本件前訴の第一審判決の「争点に対する判断」部分を全部掲載し、閲覧者に対し、東京地方裁判所が本件旧記事により原告の名誉が毀損されたと判断した旨を知らせたこと、被告は、原告に対し、確定した上記判決に基づいて、本件旧記事に係る名誉毀損の損害賠償として50万円全額を支払っていることが認められる。
 ・・・してみると、仮に本件記事の掲載により更に原告の社会的地位が低下したとしても、本件旧記事が先に掲載されていることからすれば、その低下の程度はわずかであると評価できること、本件前訴の審理において、既に、本件新記事のうち名誉が毀損し得る部分の存在が明らかとなり、同事実を踏まえてその審理が遂げられている上、被告が原告に対し、本件前訴において確定した判決に従ってその損害賠償として50万円全額を支払っていること、本件旧記事と本件新記事は、連続する一連のホームページ上のコラム記事であり、しかも本件新記事は本件旧記事の訂正記事であるので、本件新記事の掲載を個別に取り上げてこれを独立の違法行為として損害賠償の対象とすることは相当ではないこと等にかんがみると、本件新記事の掲載には不法行為を構成する程の違法性はないというべきである。」

3 感想

 もともと、今回の裁判(B)は私の負けようがない裁判です。
 従って、いかなる理屈で私を勝たせるかが問題になるわけです。
 そういう観点からは、不満足な点が多々ある判決です。
 まず、「インターネット上の掲載文は他の情報媒体に比して一般的に信憑性が低く、閲覧者が掲載文の内容を直ちに信用するとは限らない」と、私が主張したことを判決文の中で用いたことは評価しますが、それが必ずしも判決の結論に影響していないことにはがっかりさせられます。
 私としては、だから千葉氏は、私のホームページの管理者(すなわち私)に、記事の削除や訂正を求める、あるいは私のホームページの掲示板にその旨の投稿を行えば足りるのであり、裁判を提起するまでもない、と言って欲しかったところです。
 また、「<コラム#195とコラム#1184の>両記事は連続する一連のホームページ上の記事というべきものである」と、太田述正コラム全体が一つながりの巻物のようなものととらえていることも評価します。この論理を徹底させれば、裁判Aの結末(単に一審判決の要旨がコラムに掲載されているだけでなく、控訴審判決の結果(敗訴して確定)もコラムに掲載されており、その瞬間、コラム#195の違法性は阻却される、ということになってもおかしくないからです。かみ砕いて言えば、コラム#195のどことどこが名誉毀損を構成すると裁判所が結論を下した、とコラムに書いた瞬間、読者は、千葉氏が職務を怠ったかどうかは必ずしも明らかではないのだな、と受け止めるはずだから、太田述正コラム全体としては、名誉毀損を構成する記述はなかったことになるのではないか、ということです。
 明らかにおかしいのは、「<コラム#195とコラム#1184の>いずれの記事についても、これを閲覧する者の範囲に大きな差はない」の箇所です。
 両コラムの間には2年以上の月日が流れており、太田述正コラムの読者の多くは入れ替わっており、かつ読者の数は増えています。(その後、同じことが、はるかに大規模に進行しています。)
 私の側にとって不利な話をあえてすると、コラム#195が上梓された頃は太田述正コラムの読者ではなかった人が、その後読者となり、コラム#1184で初めて千葉氏のことを知ったということは大いにありうるのであって、その場合、その読者は千葉氏に関する「誤った」認識を持ち、千葉氏の社会的地位は低下したはずなのです。
 しかも、その読者がコラム#1593が上梓されるまで読者であり続ける保証はない以上、その読者が永久に千葉氏に関する上記「誤った」認識を持ち続ける可能性だって大いにあるのです。
 つまり、太田述正コラムは単一の巻物だけど、そのどこを読むかは読者によって異なる、という実態が、この判決を書いた裁判官達には分かっていないと思われるのです。

 いずれにせよ、私が言いたいことは、公益目的のインターネット上の記述は、反論可能性が担保されてさえおれば、名誉毀損を原則として構成しない、という考え方を裁判所は採用すべきだ、ということに尽きます。
 「原則として」をつけたのは、例外的に名誉毀損を構成する場合があることを否定はしないからです。ただし、その場合でも損害賠償金を科するのではなく、原記述(とその反論)の削除でケリをつけるべきでしょう。

太田述正コラム#2314(2008.1.22)
<皆さんとディスカッション(続x44)>

<KAZU>

 ご返答下さりありがとうございます。
 江藤淳氏については、太田さん自身もコラム#2302で言及なさっておられます。

>江藤淳については、彼が占領下の言論統制を指摘したことは多とするけれど、この占領軍による洗脳の結果、「主権」回復後の日本人が米国の属国であり続けることを不思議に思わなくなったという彼の分析は必ずしも正しくないということです。

他にも、ブレジンスキーは日本は保護国と10年ほど前?にいっていましたし、それらの流れからしても太田さんが近年属国論を展開なされるのに対して感じますことは、まだ一向に属国論が認知されない日本人の民度(の低さといったら言い過ぎでしょうが)を示すものと思ってしまいます。
しかしながら太田さんの属国論は、最も現場に近いところから発せられたメッセージでありどのお話も大変興味深くエキサイティングであります。今後とも勉強させていただきます。

<太田>

 これは一本取られましたね。
 筆が滑ったという奴ですよ。この際、

 「江藤淳については、彼が占領下の言論統制を指摘したことは多とするけれど、この占領軍による洗脳の結果、「主権」回復後の日本人が米国の属国であり続けることを不思議に思わなくなったとは必ずしも言えないと思います。」

に訂正させていただきます。
 それはないでしょ、ですって?
 ブログは即時性が身上であることに鑑み、お目こぼし下さい。

<ちんみ>

 平和呆け日本人は”茹で蛙”ですね。
 ぬるま湯でゆったりといい気分でいて いつのまにやら茹で上がって、逝ってしまうことさえ自身気がつかない…。。
 保護国(属国)で善しとする、「日本人は自ら奴隷になり、自ら奴隷であり続けることを希求しているという、世界史上初めて出現した珍民族」・・・痛タ。

>日本人には生来、吉田ドクトリンを受け入れる素地があった〜
・・ふむ。。
>それにしても、一体いつ日本は諜報機関を作る気になるのでしょうか〜

 ・・日本は、これはもう史上最強の部類かと・・戦国の世から素地があるですね〜甲賀・伊賀…”忍び”(忍者)から 山の民・サンカに至るまで歴々と・・ 尤も、小野田さんを最後に、武人は先の大戦で絶えてしまったようにおもっていましたが、をっとどっこいってとこですか。
 副島さんが例の調子で、属国日本!と叫び続けていましたが、説得力は太田さんにはかないませんね。 何せ、実際に最先端の現場での体験故・・そんな御人はざらにいません。

<Pixy>

>>果たして憲法9条、日米安保による吉田ドクトリンだけでこんなに酷い状態になってしまうものなのでしょうか。
>日本人には生来、吉田ドクトリンを受け入れる素地があった、ということです。
 私の言う「縄文モード」が日本文明の基層にある、というのが私のかねてよりの主張です。弥生人が卓越した技術力と軍事力(稲作や鉄製武器)を携えて日本に渡来した時、日本の原住民である縄文人がこれに抵抗し、戦争が行われたという痕跡がない、という事実(典拠省略)はまことに興味深いと思いませんか。この関連で申し上げたいのは、
>>アメリカの有権者は日本の有権者と比較して国際情勢、外交・安全保障に精通しているとはとても思えない
>ことと彼らが安全保障感覚を身につけているかどうかとは無関係であるということです。つまり、米国の有権者・・というより、日本人以外の大部分の人間・・はしごく当たり前のこととして弥生人的感覚を身につけているのであり、安全保障感覚を持っているのです。

 なるほど。(過去のブログで読んでいたハズでしたが、縄文・弥生モードについて失念してました。)軍事を生業とするアングロサクソン、その他日本人以外の大部分の人間にとっては、「弥生モード」的感覚たる安全保障感覚を無意識的に持っているから、それらの国の有権者も当たり前の感覚として特に意識はしないし、自国政府にそういう振舞いを明示的に求めたりする必要もない。
 翻って日本は明治維新後の「弥生モード」が戦前・戦後から日本人が基調とする(居心地がいい?)「縄文モード」に戻り、吉田ドクトリンの下、目覚ましい経済発展は成し遂げたものの、再び「弥生モード」にするためには、主体的・意識的に変えていかないといけない・・・しかし幕末の頃に「弥生モード」に移行した時のような目に見える切迫した危機(このままでは列強の植民地になってしまう等)もないため、遅々として進まない。そうこうしている間に日本の主体的意思により勘案した結果の取捨選択ではない外圧による各種改革、自由化が進行している・・・といった感じでしょうか。
 話は変わりますが、日本の属国及びアメリカからの独立が必要うんぬんの話になると、いきなり反米・嫌米というか鬼畜米英(笑)みたいな話が出てきたりします。例えば、「在日米軍基地を即廃止して、安保も破棄して自主防衛にしたら幾ら金がかかると思うんだ?そんなことはアメリカ様は決して許さないぞ。戦う覚悟はあるのか?」みたいな論調ですが、誰もそんなことをヤレとは言ってませんよね。どうして外交・安全保障の主体性を取り戻す=アメリカと全面対決!という短絡的な思考になってしまうのかと。
 個人的には戦後の豹変ぶりといい、日本は予想を超えて極端に流れすぎるきらいがある様に思えますが、それが諸外国が理解できずに恐れる部分なのかもしれません。

 すみません。またまた疑問点が出てきました。

>「属国であるとは、国がガバナンスを放棄しているということであり、そうである以上、外交・安全保障官庁など存在すべきでないのに、日本が独立国である という虚構に基づきこれら官庁が存在している」が故に、「これら官庁を中心に統治機構の退廃・腐敗が蔓延化、深刻化し、その状態が半世紀以上経った現在、 余りに醜悪な食品偽装問題等が噴出してきている」、というのが私の認識です。

 太田さんの主張される、解釈改憲による集団的自衛権の容認、日米安保の片務から双務条約への変更については、民主党への政権交代ではなく、腐ったとはいえ、たしか自主憲法制定を党是とする自民党が担った方が近道という考え方はあり得ないないでしょうか。国民投票法を通したのも安倍政権でしたし・・。
 戦後延々と続いている安保体制、吉田ドクトリンにしても、サンフランシスコ講和条約締結時の自前の軍隊も持てない環境下での政治家・官僚によるやむを得ない苦渋の決断が出発点で、その後も憲法9条の制限はありつつも、心中は決して属国の状態を良しとはせず、岸あたりまでは何とかしようという意図があり、裏では脈々とその精神は受け継がれている・・と個人的には思いたいです。
 吉田茂が不本意ながら日本の縄文モードへの移行を決定的にしたのであれば、その自主独立精神を現在まで受け継いでいる政治家なり、官僚なりが再び弥生モー ドに舵を切ればいいのではと思いますが、政・「官庁を中心に統治機構の退廃・腐敗が蔓延化、深刻化」したことにより、もう今の政(自公)・官にはそのよう な行動は全く期待できない。しかる状態では、まず現在の退廃・腐敗を一掃が必要で、そのためにも頼りないが民主党による政権交代が必要ということになるのでしょうか。

<太田>

 「自主憲法制定を党是とする自民党」と半世紀以上有権者を騙し続けてきて、自民党は集団的自衛権の部分的解禁にすら踏み切ろうとしていないのですよ。
 それなのに、まだ騙され続けたい方がおられるとは驚きです。。
 この際、このような詐欺常習犯的前科を持たない民主党に期待を寄せるしかないというのが私の苦渋の判断です。
 民主党にいまだにまともな安全保障政策がないことが、逆説的ではありますが、同党の強みであると考えたいのです。

>サンフランシスコ講和条約締結時の自前の軍隊も持てない環境下

 朝鮮戦争勃発の瞬間に米国は日本に「自前の軍隊」を持たせようとして吉田がそれを拒否したわけですが、主権回復時に日本が自前の軍隊を持とうとした場合、サ条約締結国の中に反対する国が出てきたとは思えません。
 当時の日本の愚かな政治家や官僚達が、よってたかって吉田の気持ちを踏みにじり、吉田の(誤った)一時的政策を吉田ドクトリン化してしまったのです。
 
<tengokutaihei>(2007.12.27 http://aishoren.exblog.jp/7003444/

 ・・・
 ドイツ的思考のなかには経験論を軽視し論理での整合性だけで真理だとみなす傾向が存在します。とくに自然科学と確率論が未発達だった第1次大戦前のドイツの人文系学者に多くみられます。ドイツ軍事学の泰斗、クラウゼビッツやシュリーフェンはその大いなる亜流ではないですか」と政軍史の鬼才・別宮暖朗先生は述べられた。
・・・
 <また、ジョン・ラスキンは、>読者は私が獨逸の美術又は獨逸の哲學のことを言へば必ず悪く言うふのを氣付いたに相違ない。けれども之れは私が其両者の或範囲に於ける価値と力を感じない爲でもなく又其価値と力を承認しない爲でもなくて現在英國人が此の両者をあまり高く評価し過ぎてゐると考へるからである。従つて 目下の場合其欠点其弊害を示す方が必要な仕事であると思ふ。尚又私はidealismに反対して何処までもnaturalismを尊奉する爲終始獨逸人の無鉄砲な議論と衝突する。其結果不幸にして彼の長所よりも欠点が眼につく。此欠点は私がそれを感ずる限り公言する責任がある」
<と述べている。>
 (ジヨン・ラスキン「獨逸哲学について」『美術と文學』有朋堂 大正二年十一月二八日 澤村寅二郎譯 598P)
・・・
 「対英「後進国」独・仏の劣等感を昇華するためのマスターベーションにほかならかった観念論哲学や実存主義哲学」と評論家・太田述正氏も断言する。

<太田>

 私のアングロサクソン論と似通った議論をされている日本人が紹介されており、かつ私のアングロサクソン論を補強するイギリス人の議論も紹介されているので、転載させていただきました。
 なお、別宮暖朗氏は、「信託銀行、ロンドンの証券調査会社パートナーを経て、現在は近現代史家として共著含め10冊の本を出版)説の影響を受け、侵略国とは「作戦計画に基づいて先制攻撃をかけた側」とする。大日本帝国も締結したパリ不戦条約に違反したかどうかが問題であり、「戦場がどこか」「民族自決の大義」などでは判定されないと指摘」されている人物(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E9%A0%AD%E4%BA%8C%E5%8D%81%E5%85%AB
。1月22日アクセス)だそうです。

<タテジマ>

 <太田さんのメルマガが伸び悩んでいるのは、>一つにはメディアの属性<から。>
 メルマガは漫画でいうと四コマ漫画。にもかかわらず三国志を連載している

政治系四コマ漫画で読者ふやしてるのは、ロシア政治経済ジャーナル、北野幸伯(きたの よしのり)。
http://blog.mag2.com/m/log/0000012950/

予測あたりまくりで一万5千部。

<jiangmin>

 「ロシア政治経済ジャーナル」そんなに人気があったんですか! 実は昔読んでたんですけど、ある時ロシアとも政治経済とも何の関係も無い宣伝だけの長いメルマガが何通も連続して流れてきたのでムカツいて読むの止めました。

<タテジマ>

 確かにウザい。しかし国際政治を、世の中、金やの視点から小学生にもわかりやすく書いている。
最近おもしろかったのがプーチン大統領の後継者あらそい。
プーチンさんは院政政治しようとしてるんですが、ロシアの政治と歴史はそれを許さない。
それをなんとか達成しようとしているプーチン奮闘記。
その視点からみるとプーチン大統領がなぜこんなことをしているか理解できる。
http://www.yamashitayasuhiro.com/hitokoto/060124b/index.html

<太田>

 千葉英司氏がまた私に対して訴訟を(東京地裁に)提起し、本日訴状が届きました。
 私のコラム#1184が名誉毀損であるとして、損害賠償210万円の支払いと太田ブログ・トップページへの謝罪文の掲載を求めるものです。
 コラム#1184は前回の同氏の訴えの提起に対して私が防御方針を記したものであり、後にほぼ同文を私の準備書面に転載し、やはりそれをコラムとして公開した、という経緯があり、千葉氏は同じ話を蒸し返したわけです。
 私のとりあえずの反論を非公開コラムに載せるつもりですが、私の作成する準備書面等、訴訟の動向については、前回の訴訟同様、基本的にコラムで公開していく所存です。 
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太田述正コラム#2315(2008.1.22)
<新裁判雑記(その1)>

→非公開

太田述正コラム#2236(2007.12.15)
<千葉英司氏からの手紙>

1 始めに

 千葉英司氏から昨日、下掲の手紙が届きました。
 「→」は、私がつけたコメントです。

2 千葉英司氏からの手紙

一、前日(12月12日)に貴殿の指定したFAX宛てに<領収書を>送信しましたが受信されませんでしたので郵送としました。

→コラム#2232(2007.12.13)で領収書がFAXで届いたと記したのに、千葉氏は読んでいないのですね。恐らく彼はインターネット世代ではないのでしょうね。(太田)

二、貴殿が引用した「東村山の闇」の「草の根」の著者らは、捏造話の「創価学会関与の冤罪及び殺人説」の正当性を強調するために、12年前に矢野の手で無辜の少年を朝木市議殺害に関連する傷害事件の犯人に仕立てて警察に突き出した上に民事訴訟までしたが、裁判所は警察が少年を立件しなかった主旨を容れ、事実上、少年は矢野による冤罪であったことの判決が確定している。
 しかし、「草の根」は確定判決を無視し、政治的保身を図る目的で、現在もこの当時少年を再び傷害事件の犯人であると主張し喧伝している(インターネット「東村山市民新聞」の「事件でも不審な動き!公明○○市議が死亡」の見出し記事)。
 また、政治的に対立する市議2名とその支援者を誹謗したことから、勇気ある地元市民から、「草の根」所属市議の議員罷免の請願が議会に提出され、一方、「草の根」はその請願が名誉毀損であるとして提訴した。
 そのほかにも、矢野が居住する団地の管理組合の運営に難癖をつけ管理費を納めなかった問題で組合から民事提訴されるという事態となり、何れも地裁八王子支部で係争中である。かかる、「草の根」の偉容な行動を、多くの地元市民は強い怒りを込めた批判活動を展開している事実を貴殿は知らないのでしょうか。

→すべて私の全く知らない話ですが、いずれにせよそんなことと、矢野氏らが執筆した『東村山の闇』(「少年」の話はこの本には出てこない)に書かれていることの真偽や、私がこの本を引用したコラム#195 (2003.11.26) <今次総選挙と日本の政治(補足1)>の名誉毀損性と一体何の関係があるというのでしょうか。(太田)

 仮にも、「草の根」の主張に賛同される著名人である貴殿の言動の影響力は大きく、その主張内容の真贋性は注目の的となり社会的責任も重くなるのは当然のことです。

→私は「草の根」なるものが何を指しているのかすら知りませんが、『東村山の闇』は一読して信頼に足りる著作であると考えたからこそ、上記コラムで引用したのです。
 それにしても千葉氏に私を「著名人」と評していただくとは面はゆいですねえ。
 私が「著名人」だとすると、上記コラムでは匿名で登場した千葉氏であったところ、私を訴えたことによって、彼もまた全国的な「著名人」なることができたのではないでしょうか。めでたしめでたし。(太田)

 最後に、貴殿には、原告千葉英司に対する虚偽事実を摘示しての名誉毀損記事を掲載しないようにするという「注意義務」が以前にも増して課されるのであり、「草の根」の主張を検証もせずに引用する記事を掲載した場合には、再び、名誉毀損の不法行為として法廷で糾弾たれる(ママ)ことが十分に予想されるところであることを付言しておきます。
→千葉v.太田の民事裁判における第一審も控訴審も、私が『東村山の闇』を引用した文章中、千葉氏を創価学会員と紹介した箇所を除き、虚偽事実があったと認定しているわけではありません。(千葉氏を創価学会員と紹介した点については、私自身が一回目の準備書面中で読み違い(勘違い)であった旨を積極的に認めている。太田述正コラム#1184(2006.4.15)参照。)
 それはさておき、「「草の根」の主張を検証もせずに引用する記事」とは、コラム#195を指しているのでしょうが、千葉氏が裁判の過程において、(私からの注意喚起を受けていながら)その削除を要求しないまま裁判が確定したことによって、一事不再理の法理に則り、彼は二度とこのコラムの削除を要求できなくなったのです。
 後悔先に立たずですよ、千葉さん。(太田)
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太田述正コラム#2237(2007.12.15)
<私の手がけた2度目の白書(詳述篇)(その1)>

→非公開

太田述正コラム#2232(2007.12.13)
<近頃思うこと>

1 ブログに係る要望事項等

 「りょうでん」さんから、「出来ましたらば<ブログの>「文字」をもう少し大きくしていただけると嬉しいです。」というご要望がありました。

 また、Masterさんからは、Mixi上で、

 -- 東村山市議殺人事件 - 千葉英司の記事--
 ブログの日付、どないかなりませんでしょうか?
 ミクシィのマイミクには、1月1日までその記事への案内がトップに来るんですわ。

というご要望がありました。
 ブログの管理人のタテジマさん、いかがなものでしょうか。

 なお、千葉英司氏の記事がブログの冒頭に来ているのは、タテジマさんがおやりになったことですが、私自身、それでよいと思っており、全責任を私が負う覚悟でいます。
 その千葉氏から、本日FAXで「判決に基づく不法行為による慰藉料50万円の残金20万円を平成19年12月10日に原告の銀行口座に振り込まれたので、原告はこれにて全額を受領しました。」という私宛の領収書(記名捺印つき)が届きました。
 律儀な人なんですねえ。
 ピエロ役を演じさせられ、さらし者にされて可哀想に。

2 IHIの末路?

 本日の新聞電子版に、IHIについての記事が出ていました。

 海外プラント工事の失敗などに伴う巨額損失の発覚で、公表済みの07年3月期連結決算を大幅に訂正することになったIHI・・釜和明社長は12日、記者会 見し・・IHI株が決算訂正で東京証券取引所から監理ポストに指定されたことに触れ、「当社150年の歴史でも未曽有の危機・・」・・と述べ・・た。
http://www.asahi.com/business/update/1213/TKY200712130001.html
 責任を取り、三月末まで社長を務めた伊藤源嗣会長が十二月三十一日付で辞任し、釜和明社長が来年一月から半年間、報酬を返上するなどの社内処分を発表した。十月ま でエネルギー・プラント事業を統括していた長崎正裕取締役兼執行役員も三十一日付で辞任する。・・多額の損失の原因について、IHIは調査報告書で「利益を優先する姿勢・・」などと指摘した。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/news/CK2007121302071739.html

 IHI(石川島播磨重工業)については、これまで何度か(コラム#85、86、2162、2224)取り上げたところですが、その「利益を優先する姿勢」と、もう一つ官と癒着する姿勢に私はかねてより疑問を投げかけてきました。
 今回の事態についてはやっぱりね、というのが私の率直な感想です。
 ところで、いまだに日立製作所からは私にコンタクトがありません(コラム#2193。コラム#2198、2209も参照)が、この分ではお次はいよいよ日立か、と心配することしきりです

3 橋下徹氏の立候補

 讀賣テレビの「たかじん・・」で2度ご一緒し、朝日放送の「ムーブ」では番組とその事前の打ち合わせでご一緒した橋下徹弁護士(1969年生まれ。早大政経卒)が大阪府知事選挙に立候補することになりました。
 「今月3日に、元経企庁長官の堺屋太一氏に連れられ、自民党の古賀誠選対委員長と会談し、立候補の意向を示したことを明かした。」(
http://news.livedoor.com/article/detail/3427446/
。12月13日アクセス)
ということですから、事実上自民党の候補として知事選に臨むわけです。
 今年行われた参議院選挙では、橋下氏同様、TVのバラエティー番組で活躍していた丸山和也弁護士(1946年生まれ。早大法卒)がやはり自民党公認で比例区で当選しています。
 お笑いタレントやスポーツ選手が自民党から立候補するのはともかく、丸山氏や橋下氏のように、硬派のバラエティー番組で論客としてもならした人々がいまだに自民党の広告塔の役割を引き受けようという魂胆が私には理解できません。
 自民党と比較すれば、民主党なんて組織の体をなしていませんし、自民党ないし自民党系の政治家にはまずいませんが、生粋の民主党の政治家には市民としての初歩的社会的ルールすらわきまえていないトンデモ人間が散見され、私自身民主党は大嫌いなのです。
 しかし、それでもなお私は、民主党を支持し、自民党を恒久的な政権の座から引きずり下ろそうとしているのですが、丸山氏や橋下氏らには本当に困ったものです。
 権力の魅力には、彼らのようにカネに不自由していない有名人でも勝てないということなのでしょうかね。
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太田述正コラム#2233(2007.12.13)
<お年の志方俊之さん>

→非公開

太田述正コラム#2201(2007.11.28)
<皆さんとディスカッション(続x7)>

<遠江人>

太田述正コラム#2012(2007.8.20)<死の差別化と交通事故>
http://blog.mag2.com/m/log/0000101909/108980664.html?page=7
 2ヶ月近く前のコラムで恐縮ですが、気になっていた内容だったのでいつか感想を書き込むつもりでした。
 以下、感想です。

 交通事故による死はなぜ軽視されるのか。
 結局のところ、人類が自動車社会から享受している恩恵であるところの

・経済成長
・便利であること

の前には、交通事故によって世界中でどれだけ人が死んでいようと、我々はそれに見向きもしないのでしょうね。
 数字の上では、交通事故は戦争以上の(社会的要因による不本意な死の強要という意味での)災難であるのだから、自動車社会がもたらす豊かさと便利さをある程度犠牲にしてでも交通事故を減らすべきだという考え方があってもいいところ、そんな考えは自動車社会の恩恵の前には想像することすらされていないように 感じます。
 戦争による死を批判する人はたくさんいる一方で、交通事故による死を同列のものとして批判する人がいないのは何故なのか。究極的には、豊かさと便利さを僅かでも犠牲にしたくないという人間のエゴイズムによって、故意ではなく過失なのだからと無意識のうちに都合よく死が差別され、結果として自分でも気づかないうちに不可逆的に交通事故による大量殺人を是認してしまっている、と言えるのではないでしょうか。
 (交通事故で死ぬかもしれないという)リスクは覚悟した上で自動車社会のメリットを享受するという選択を人類はしているのだから、しょうがないではないかと言われればその通りなのですが、豊かさと便利さを犠牲にしてでも人間の命を救うべきだという、違った可能性もあるのではないかと考えてみることも、必要なことなのかもしれません。

<太田>

 この関連で皆さんにお考えいただきたいのは、死刑の存廃論です。
 日本は憲法で戦争を放棄し、軍隊の保持を禁止しています。
 ですから、戦闘行為によって(軍隊にあらざる)自衛隊が人を殺すことも、自衛官が殺されることもありえません。
 この憲法の精神に照らせば、「国権の発動」としての殺人である死刑についても、許されてよいわけがありません。
 ところが、憲法第9条墨守論者と死刑廃止論者とは必ずしもオーバーラップしていません。
 不思議で仕方がありません。
 他方、世界で死刑廃止論が主流になりつつあることにも私は奇異な念を抱かざるをえません。 
 死刑を廃止した地域(例えばEU)にせよ国にせよ、日本の憲法第9条と同趣旨の憲法条項を持つところが一つもないからです。
 人間の世界ではどうしてこんな偽善がまかり通るのでしょうか。
 (死刑に係る誤審の可能性が喧伝されますが、戦争が過誤によって起こることがめずらしくなく、しかも戦争の過程で同士討ちや民間人の死者・・いわゆるコラテラルダメッジ・・が生じることが避けられないことを思い出してください。)

<匿名>

 いつも楽しく読ませていただいてます。
 最近、外国人参政権についてまた話題がもちあがっているようですね。
 それについての太田さんの話を聞いてみたいと思いました。
 既出でしたらすみません。

<太田>

 検討したことがないので、アバウトな議論であることをお断りしておきます。
 本来地方参政権を一定の要件をみたす外国人に与えるかどうか、なんて大した話ではありません。
 しかし、日本の場合、国政レベルでも外交や安全保障をやっていない・・宗主国の米国にぶん投げている・・ことからすれば、地方参政権を与える以上は国政への参政権を与えないのはおかしいということにならざるをえません。
 フツーの国では、国政への参政権を得るということは、徴兵の義務を負うことと同値です。権利には義務が伴うということです。
 しかし、日本では国政への参政権を付与すれば、それは一方的特権の付与を意味します。
 ここのところをよくお考えいただきたいものです。

<読者>

 因みに裁判所も体制の一部でしょうか?

<太田>

 もちろんです。
 現在の最高裁判事の一人は何と元社会保険庁長官です。
 ご存知でしたか。
 最高裁判事は政官業癒着体制の下で自民党恒久政権たる行政府が1955年以降一貫して(実質)任命してきました。
 その最高裁判事達からなる裁判官会議が裁判所全体の管理運営を行ってきたわけです。
 ですから、体制の根幹をゆるがすような判決が裁判所から出てくることはありえません。
 その、いささか我田引水的例証が私の名誉毀損訴訟での(1審2審とも)敗訴、確定です。
 検察・警察並びに創価学会を批判した書物の内容を私が引用紹介した(ただし引用紹介の中で、一部私が誤りを犯した)だけで50万円とられることになったのですよ。
 これは、3点著しく問題がある判決です。
 第一に、本に書かれていることの真否を自ら証明できない限りその本を引用紹介してはならないとされたに等しい判決であることです。
 そして第二に、公共の利益に係る事案においても、事実の真否の挙証責任が市民側にあることを再確認した判決であることです。ちなみに米国では判例で、挙証責任は公務員(旧公務員を含む)側にあることが確立しています。
 更に第三に、1審2審とも裁判官達がインターネット上の言論の実状を全く知らずして判決を下したとしか思えないことです。
 具体的に言えば、インターネット上は名誉毀損的、あるいは事実に反する言論だらけであるけれど、インターネット上では、一方で日々名誉毀損的言論が正され、事実に反する言論が訂正・撤回されるのが当たり前であること、原告の千葉英司氏が、問題にした私の(インターネット上の)コラム(#195)の削除も、本件訴訟の経緯を記したコラムの(インターネット上への)上梓の中止も、私による謝罪文の(インターネット上への)掲載も求めなかったことのナンセンスさ、を裁判官達が全く分かっていないことです。
 その結果、千葉氏は、コラム#195だけでなく、本件訴訟の経緯の詳細についても、私が当該コラム中では匿名にしておいた「千葉英司」という実名付きでネット上に晒され続ける羽目に陥ったのです。
 つまり、千葉氏は50万円でご本人の名誉を私に売ったことになってしまった・・一事不再理であることに注意・・わけであり、裁判所は全く千葉氏の権利救済を果たさなかった、つまりは全く紛争を解決しなかったというべきでしょう。
 私だって50万円に加えて2審の弁護士費用という巨額の無意味な出費を強いられたわけで、怒り心頭です。
 こんな裁判所は無い方がマシだと言いたくなります。
 政権交代の折には、裁判所の解体的改革もまた断行しなければなりません。
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太田述正コラム#2202(2007.11.28)
<田村秀昭氏への初見参>

→非公開

太田述正コラム#1862(2007.7.12)
<日本の闇(続x3)>

1 始めに

 読者からの提案(コラム#1860)を受け、思い立って自分自身でこれまでの裁判関係のコラム一覧をつくってみました。
 関心のある方のお役に立てば幸いです。

2 東村山の闇ないし創価学会関係コラム一覧

太田述正コラム#195 (2003.11.26) <今次総選挙と日本の政治(補足1)>:発端となったコラム。矢野穂積・朝木直子「東村山の闇―「女性市議転落死事件」8年目の真実」(第三書館2003年11月)を紹介。
太田述正コラム#1177(2006.4.11)<太田述正コラムをめぐって>:千葉英司氏から訴えられた旨を報告。
太田述正コラム#1180(2006.4.13)<裁判雑記(その1)>:千葉英司氏の訴状の内容を紹介、プラス私の反論の冒頭部分を収録。
太田述正コラム#1182(2006.4.14)<裁判雑記(その2)>:反論の続きを収録(以下同じ)。
太田述正コラム#1184(2006.4.15)<裁判雑記(その3)>:反論の続き。
太田述正コラム#1185(2006.4.15)<裁判雑記(その4)>:反論の続き。
太田述正コラム#1188(2006.4.17)<裁判雑記(その5)>:反論の続き。
太田述正コラム#1190(2006.4.18)<裁判雑記(その6)>:反論の完結部分。
太田述正コラム#1197(2006.4.21)<創価学会のこと(その1)>
太田述正コラム#1198(2006.4.22)<創価学会のこと(その2)>
太田述正コラム#1200(2006.4.24)<裁判雑記(関係判例学説)>:関係判例学説を紹介。
太田述正コラム#1223(2006.5.9)<裁判雑記(続)(その1)>:裁判が東京簡裁から東京地裁に移送された旨の報告プラス私が提出した準備書面の冒頭部分を収録。
太田述正コラム#1225(2006.5.10)<裁判雑記(続)(その2)>:私の準備書面の完結部分を収録。
太田述正コラム#1227(2006.5.11)<裁判雑記(続)(その3)>:千葉英司氏が提出した準備書面を収録。
太田述正コラム#1368(2006.8.7)<裁判雑記(続々)(その1)>:東京地裁での準備手続きの報告、プラス千葉英司氏が提出した第2の準備書面、プラス私が提出した第2の準備書面を収録。
太田述正コラム#1393(2006.8.31)<裁判雑記(続x3)>再度の準備手続きの報告、プラス千葉英司氏が提出した第3の準備書面、プラス私が提出した第3の準備書面を収録。
太田述正コラム#1430(2006.10.3)<裁判雑記(続x4)>:公判を紹介。
太田述正コラム#1593(2006.12.27)<第一審判決について(その1)>:(「その2」はないので注意。)
太田述正コラム#1725(2007.4.9)<例の訴訟の私の弁護士へのメール(その1)>:(有料読者にのみ配信。)
太田述正コラム#1726(2007.4.9)<例の訴訟の私の弁護士へのメール(その2)>:(有料読者にのみ配信。)
太田述正コラム#1746(2007.4.24)<控訴審結審>:公判を紹介。
太田述正コラム#1798(2007.6.7)<名誉革命(その3)/緊急呼びかけ>:敗訴を報告。
太田述正コラム#1856(2007.7.9)<日本の闇>:千葉英司氏の敗訴事例2件を紹介。
太田述正コラム#1858(2007.7.10)<日本の闇(続)>:私に対する判決への批判を展開。
太田述正コラム#1860(2007.7.11)<日本の闇(続々)/原爆投下>:本件に関する読者とのやりとりを披露。
太田述正コラム#1862(2007.7.12)<日本の闇(続x3)>:本篇。

3 私が元署長の実名を明記している理由

 もともと、発端となったコラム#195では、個々の人物に批判を加えるのが目的ではなかったこともあり、東村山署元署長とだけ記して千葉英司氏の実名は記していなかったわけですが、私に対して訴えを提起した時点で、彼が匿名性を放棄したと考えられたことから、千葉氏が私との和解を拒否することが明らかになった時点以降、コラム中で実名を記すこととし、現在に至っています。
 なお、千葉氏が私を訴え、かつ勝訴したことは、既にネット上で周知の事実になっています。
 http://72.14.235.104/search?q=cache:ynIcQk--ePIJ:www.yanagiharashigeo.com/kd_diary/kd_diary.html+%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%BF%B0%E6%AD%A3&hl=ja&ct=clnk&cd=89&lr=lang_ja
(6月17日アクセス)をご参照下さい。
 なお、このネット記事は、コラム#1856でご紹介した宝島事件へのコメントが中心の記事であり、どちらかと言うと、千葉氏の側に立ち、乙骨氏側に対して厳しい視点から書かれています。

4 読者の意見

 読者とのやりとりをご披露しておきます。
 皆さんもどしどしご意見をお寄せ下さい。

<読者T>
 千葉氏は、太田さんのメルマガにムカついて訴えたのに、そのメルマガの削除申請しないという馬鹿げたことをやっています。
 千葉氏に対しては、もう少しインターネットの原理を理解してからの批判をお願いいたします、と言いたいですね。
これはネットをやっている者からの感想なので、何の知識もない人に言うのは酷かもしれないけど、裁判所はともかく弁護士が何も言わなかったのが凄い。
ろくな取り巻きがいないってことですね。

<太田>
 千葉氏は本人訴訟なので弁護士には相談していない、ということなのでしょう。
 しかし、私は控訴審で初めて弁護士をつけたのですが、その弁護士も、どんな要求をするかは、原告の自由だとして余り問題視はしていませんでした。
 私は、法曹界の大部分が、インターネットの世界には極めて疎い、という印象を持ちました。

太田述正コラム#1860(2007.7.11)
<日本の闇(続々)/原爆投下>

1 始めに

 バグってハニー(BH)氏からメールがあったので、例によって分断して転載し、その都度私のコメントを付す対話形式のものに仕立てました。
 事柄の性格上、本篇は原爆投下に係る部分を含め、即時公開します。

2 日本の闇について

<BH>
>千葉氏ら2人を創価学会員であると記すという、勘違いによる単純な誤り(#1857)
>千葉氏の背後に創価学会の影がちらついている(#1856)

 元署長を創価学会員にしてしまったのは早とちりだったかもしれませんが、それと元署長が実際に創価学会員であるかどうかは別の問題ですよね。前から気になっていたのですが、元署長の裁判書類には以下の記述があります。

>むしろ、公務と無関係な原告の宗派を特定し公表した本件記事は先行記事よりも悪質性が高いのである。(裁判雑記(続)(その3))

 これは要するに、週刊誌の記事や本では、元署長の宗派は特定されておらず公表もされていなかったのに対して、太田コラムでは元署長が創価学会員であることが特定され公表されているのでもっと性質が悪い、という意味なのでしょう。
 気になるのは「宗派を特定し公表した」という書き方です。
 もしも、元署長が創価学会員でなければこんな書き方はしないのではないでしょうか。
 たとえば、「太田コラムは原告が創価学会員であると決め付けて、自分の信じる教団の利益のために杜撰な捜査を行ったと誹謗中傷した」なんて書き方になるのではないでしょうか。断言はできませんが、元署長は創価学会員なのだと思います。

 つまり、この方は、太田氏が何らかの手段で自分の宗教を特定し、記事や本よりももう一歩踏み込んで攻撃してきた、と思い込んでいるのと違いますか?
 もしも、仮に元署長が創価学会員だとすると、市議の万引き事件を執拗に捜査したり、飛び降りを怠慢捜査ですぐに自殺と断定したりしたとしても不思議ではないですよね。動機があるんですから。

<太田>
 通常の創価学会員であれば、三日にあげずお題目を唱えたりしなければならないところ、東村山署元副署長の千葉英司氏にはそのような形跡はないということなのでしょう。
 もとより、同氏がいわゆる隠れ創価学会員である理論的可能性は排除できませんが、隠れ創価学会員なるものが本当に存在するのかどうかも含め、私には分かりません。
 いずれにせよ、私が、カトリック教会と創価学会をほぼ同列視していて、どちらも好きではないことはお分かりのことと思いますが、だからといって私は、個々の創価学会員に対し、個々のカトリック教徒に対してと同様、特段の偏見を持っているわけではありません。
 創価学会員であると「誤認」されたら、そうではないと指摘し、訂正を求めればよいだけのことなのに、「誤認」にいきり立った千葉氏の心情がいまだに私には理解できない、というのが正直なところです。

<BH>
 私自身はこの転落事故は自殺だと思っています。
 というのは、飛び降りてからすぐに死んだのではなく、下に入っていたモスバーガーの店長が助けに駆け寄ると救急車の申し出を断ったそうなのです。殺されかけた人のとる行動じゃないですよね。
 また飛び降りのあったビルは、駅前のロータリーや交番から丸見えの位置にあって、誰かを無理やり連れて行くのは難しい、という意見も耳にしたことがあります。
 今の日本のような開かれた社会で陰謀・謀殺がひっそりと進行しているというのは私にはどうしても受け入れられないです。

<太田>
 飛び降りた市議には精神的な疾患があったわけでもなければ自殺する動機もなかった、そんな人間が自殺をしようとするだろうか、ということが例の本で縷々説明されています。
 残念ながら、今となっては、自殺であったかどうかの決着をつけることは不可能でしょう。
 ただ、

>今の日本のような開かれた社会で陰謀・謀殺がひっそりと進行しているというのは私にはどうしても受け入れられないです。

は、日本政府については私も同感ですが、暴力団のようなグループや保険金詐欺を企むような個人についてはあてはまらないことは、申し上げるまでもありません。

<BH>
 ところで、提案があるのですが、いまどきアンチ創価学会というのはそこそこ需要があるので、そういう人たちに訴えられるようにまとめサイトを作ってみてはどうでしょうか。
 太田コラムを初めて目にする人には今の状態ではちんぷんかんぷんですよね。詳しく知りたければ、太田コラムから関連するコラムを探し出して熟読しないと事件の全容がつかめないです。これだと支援の輪は広がらないと思います。
 そうじゃなくて、時系列を追って事件の全容を簡潔にまとめたサイトを作って、必要に応じて適宜対応する太田コラムが呼び出せるようにすれば、一般大衆には受けがいいと思います。そして、創価学会批判を行っているブログやサイトにトラックバックや相互リンク、紹介宣伝をお願いするのです。
 ちなみに、言い出しといてなんですが、明後日から夏休みに入るので私には無理です。
<太田>
 太田ブログを管理運営していただいているタテジマさん。
  私のコラムのバックナンバーの分類を呼びかけていただいていますが、上記提案を実行に移してくださる読者の募集もやっていただければ幸いです。

3 原爆投下について

<BH>
 もうひとつ、全然別の話題。情報屋台のコメントに対するコメントです。
 片方で日本の核武装を訴え、他方で原爆は国際法違反だと訴えるのは首尾一貫していないのでは。
 原爆が用いられた状況とか、保持することと使用することはまったく別次元だ、などという言い方はできると思いますが、それでも核兵器を使用しづらくする世論を喚起することは、どう考えても核による抑止力を低減させるだけだと思います。
 久間前大臣のニュースを読んでると、語り部・被爆者の方が「終戦を早めたのはソ連参戦というのは常識だし、原爆は国際法違反!」と太田氏と同じように語っていて、「だから核は廃絶しなければならないし、被爆国・日本はそれを主導しなければならない」と言葉を継いでいました。

<太田>
 当時の国際法では、一般市民の殺戮を目的とする軍事力の行使は禁じられていましたが、化学兵器に関しては一般市民の殺戮を目的としない形の行使も禁じられていました。
 ところが、その化学兵器の保有は禁じられていませんでした。
 それは、敵が化学兵器を使用した場合に報復することは認められていたからです。
 つまり、抑止力としての化学兵器保有は認められていたということです。
 だからこそ、先の大戦では、主要国はすべて化学兵器を持っていたけれど、基本的に科学兵器は使われなかったのです。
 (本来は、詳細な典拠をつけなければならないところ、ご勘弁を。)

 さて、上記ロジックを踏まえれば、現在の国際法でも、核兵器の行使については、一般市民の殺戮を目的としない形の行使も含めて禁じられているが、抑止力として核兵器を保有することは認められている、と考えるべきでしょう。
 私の核保有論は、このようなものとして唱えているつもりです。
 私が積極的な核保有論者ではないことも、お分かりいただいていますね。

 なお、米国の核抑止力に依存するとの現在の日本の「政策」は、米国が核の先制使用を否定していないだけに、米国が核を使用した場合、日本が米国とともに国際法違反の連帯責任を負わされる、というリスクがあることに注意が必要です。

太田述正コラム#1858(2007.7.10)
<日本の闇(続)>

1 始めに

 前回は、『東村山の闇』という本(典拠)に記述されているところの、市議転落死事件に関する、千葉英司氏の東村山署副署長当時の捜査指揮への疑問、あるいは当時の東村山署や検察の捜査への疑問には、それなりの根拠があったことが二つの裁判を通じてほぼはっきりしたと言ってよい、ということを申し上げました。
 これは、口幅ったいけれど、典拠の信頼性を見抜く私の力が、改めて裏付けられたことを示すものでもあります。
 更に申し上げれば、これは、日本の裁判制度が、一応機能していることを示すものでもある、と言えるでしょう。

2 インターネットにおける言論の死

 ところが、その私は、同じ事件に関わる裁判で敗訴してしまいました。
 私の側に、千葉氏ら2人を創価学会員であると記すという、勘違いによる単純な誤りや、千葉氏ら4人が疑問ある捜査をした理由について記述するという「問題」があったことは事実です。
 しかし、この私が記した理由は決して私の憶測なのではなく、私が典拠とした本の2人の著者がまさにこの本で言いたかったこと、つまりはこの本のテーマそのものなのです。
 公益に関わる事柄を、公益目的で記しても、その事柄が真実であること、ないしはその事柄が真実であると信じたことに過失がなかったこと、を証明できない限り、なお名誉毀損にあたる場合がある、ということのようですが、第一審と第二審の裁判官は、典拠の信頼性を見抜く私の力など全く評価してくれなかったわけです。
 いずれにせよ、典拠の中で描かれているところの、公益に関わる事柄を、公益目的で好意的にインターネット上で(典拠を明らかにして)紹介しただけで名誉毀損に問われることがある、というのでは迅速性、軽易性、反論容易性等を身上とするインターネット言論は成り立たない、ということに第一審と第二審の裁判官は気付いておられないようです。
 この点を見る限り、日本の裁判は機能していないと言わざるをえません。

3 どうして係争コラムを削除させないのか

 日本の裁判官が、インターネット言論の何たるかを理解していないことは、私に対し、上記の本を紹介したコラム#195の削除を求めず単に損害賠償を求めたところの千葉氏の言うがまま、損害賠償だけを命じた判決を私に下したところに端的に表れています。
 この結果、本件に関して既判力が生じ、千葉氏は、未来永劫コラム#195の削除を求めることができなくなってしまいました。
 千葉氏は50万円でご自分の名誉を売ったと言われても仕方がないでしょう。
 もとより、民事裁判においては、裁判所は、原告が要求していないことを判示することはできません。
 しかし裁判所は、削除を求めない千葉氏の名誉感情なるものに疑義を呈することはできたはずです。
 第一審と第二審の裁判官が、全くかかる疑義を呈さなかったということは、彼らが、名誉毀損出版物は一旦市販または配布されてしまった場合その回収が事実上不可能であるという先入観にとらわれて、ネット上の文書は出版物とは性格が異なる、という基本的なことがお分かりになっていないとしか思えません。
 判決でネット上の文書の削除が命ぜられれば、その文書は削除できるし、その文書がコピーされた先のサイトからも削除できるけれど、判決で削除が命ぜられなければ、この文書が残置され、他のサイトにコピーが繰り返されていくことを防ぐことも咎めることもできなくなるというのに・・。

4 その後の千葉氏の対応

 私は、千葉氏に最後の救いの手を差し伸べました。
 
 千葉氏から届いた、損害賠償金支払催促書と銘打った手紙・・支払わなければ強制執行手続きに移行すると記されている・・に対し、7月5日、私は以下のように記したFAXを千葉氏に送付したのです。

 <引用始め>
 さて、<損害賠償金の支払い>とは直接関係のないことですが、付言させていただきます。
 訴訟中にも申し上げましたが、貴殿が金銭的要求だけされて、ウェッブからの係争コラムの削除等を求められなかったのは私の理解に苦しむところです。
 従って現在なお、この係争コラムは、私の上記ブログ(正確には、勝手連的に私の読者が立ち上げてくれているブログ)と「まぐまぐ」で一般公開されています。
 私が消去していないのは、貴殿がこれを要求されなかったからであり、まぐまぐに関しては、同社の方針で一切コラムの削除や訂正が認められていないからでもあります。(削除するためには、この係争コラムだけでなく、バックナンバーを全部一挙に削除しなければならない。)
 しかも、このブログには、例の『東村山・・』本の広告まで掲載されています。
 これは、このブログの管理運営者たる私のコラム読者が、ブログの管理運営に係るコストの回収のために行っている様々な努力の一環であり、掲載を知った以降も私はあえて削除を求めてはいません。
 また、私自身、最近のコラムで、係争コラムに言及したところであり、今後ともそうするつもりです。
 貴殿が、係争コラムの削除や私の係争コラムへの新たな言及防止をお望みであれば、私としては、貴殿との話し合いに別途応じる用意があることを申し添えます。
 <引用終わり>

 ところが、千葉氏は翌6日、次のようなFAXを返してきました。

 <引用始め>
3 支払いに関係のない要望
  要望の趣旨については、貴殿による慰藉料支払いが完済した時点で、検討することとします。
 <引用終わり>
 
 そこで、私は同じ日に、以下のようなFAXを千葉氏に送ったのです。

 <引用始め>
3 支払に関係のない要望について
  何のことをおっしゃっているのか、私には心当たりがありません。

4 その他
  いずれにせよ、貴殿から特段ご要望がないようですので、係争コラムの太田ブログとまぐまぐへの掲載は続けますし、新規コラム中で係争コラムに言及することも今後とも続けることにします。
 <引用終わり>
                          
5 感想

 私の裁判の第一審の加藤謙一裁判長は、永住帰国した支那残留日本人孤児の損害は戦争被害であり、国に早期帰国や自立支援の義務はなく、違法行為もないとして、国の責任を認めず、孤児達からの国への損害賠償請求を全面的に退ける判決を下した(
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070131/mng_____sya_____009.shtml
。1月31日アクセス)人物です。
 しかも彼は、その判決文に「土匪(どひ)」「鮮人」「満人」といった時代錯誤的な用語を多用した(
http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20070308/mng_____sya_____008.shtml
。3月9日アクセす)ことで国内外の顰蹙をかった判決(
http://www.nytimes.com/2007/03/06/opinion/06tues3.html?_r=1&oref=slogin
。3月9日アクセス)を下した人物でもあります。
 これだけ時代からズレでいる裁判官達だからこそあのような、インターネット音痴の一審判決が飛び出したのだと思い、私は第二審に期待をかけたのですが、その期待は完全に裏切られました。
 東京地裁にしても、東京高裁にしても、裁判官中の俊秀が集まっている所のはずです。
 日本の闇は深い、と言わざるを得ません。

太田述正コラム#1856(2007.7.9)
<日本の闇>

1 始めに

 『東村山の闇』という本を私が紹介した(コラム#195)(注1)ことに端を発する裁判をめぐる諸問題を今後この「日本の闇」シリーズでとりあげて行きたいと思います。

 (注1)2003.11.26。同じコラムをまぐまぐでも見ることができる。なお、「副署長」と「署員」を創価学会員と書いた部分は私の誤り。

 読者の方々の積極的な参加を期待しています。
 ブログの掲示板は厳しい字数制限があるので、分割して投稿してただくか、短い投稿はこの掲示板へ投稿していただき、長い投稿は、私の事務所宛のメール(info@ohtan.net)でお寄せ下さい。

 このシリーズのコラムはすべて即時公開します。


2 損害賠償金の支払い

 上記裁判の原告の千葉英司元警視庁東村山署副署長(以下、「千葉氏」という)との間で、私からまず30万円を振り込み、残金20万円は12月に振り込むことで話がつきました(注2)。


 (注2)皆さんに対しては、カンパが29万円集まったと申し上げてきているので、これに1万円足して第一回の振込を行う形ですが、もともとカンパについても、将来私に資金的な余裕が出たら会費に繰り入れさせていただくお約束であること、前期有料会員で、何の連絡もなく5,000円を超える入金をされた場合は、お約束に従い、5,000円を超える部分についてはカンパと受け止めさせていただいたこと、前期に有料会員でなかった方からカンパの提供があった場合は、今期有料会員とさせていただき、5,000円を超える部分だけをカンパと受け止めさせていただいたこと、等に照らし、29万円という数字自体にさしたる意味はないことにご注意下さい。
    いずれにせよ、資金的に極めて厳しい状況が今後とも続くことは間違いありません。
    資金難により、年末までにコラムの執筆・上梓を中断せざるをえない状況に追い込まれる可能性もありますが、それはあくまでも中断であって復活を目指しますので、その節にはご理解をたまわりますよう、あらかじめお願いしておきます。
    今期会員で会費を入金済みの98名、そして41名のカンパ提供者(うち2名は、カンパだけ提供して有料会員にならなかった方)に対し、改めて御礼を申し上げるとともに、引き続き有料会員とカンパの募集を続けておりますので、お申し出ください。

3 千葉氏の敗訴事例

 (1)始めに
 
 千葉氏には、同氏が提起した東村山事件関連の裁判で勝訴した事例は私とのケース以外にはない、と承知しています。
 ここで、千葉氏の敗訴した2つの裁判をご紹介しましょう。


 (2)ニュースワイド多摩事案

 ミニFMラジオ放送局の番組「ニュースワイド多摩」でパーソナリティーの矢野穂積氏(東村山市議会議員)が、千葉氏の東村山署副署長在職中の言動に対して疑問を投げかけた解説が千葉氏の名誉を毀損したとして、千葉氏が穂積氏に対し、100万円の損害賠償を求めて提訴した事件の判決が昨年11月29日に東京地裁八王子支部で言い渡され、千葉氏が敗訴しました。

 ちなみに、矢野氏は、『東村山の闇』の共著者の一人です。
 裁判所は、その理由として、「被告<が解説の中で摘示した事実は、>原告が東村山署の副署長当時・・<に関する>ものであるから公共の利害に関する事実ということができ、また、<被告による解説が>免許を得たFMラジオ放送を通して行われたことからすると、<これは>公益を図る目的で行われたと推認するのが相当である・・<こと、更には、>被告の立場からすれば、<転落死した>朝木<東村山市議>が<自殺したのではなく、>被害に遭って死亡したと信ずるについて相当の理由があったということができる・・<、すなわち、被告<は>・・摘示した事実・・を真実と信ずるについて相当の理由がある<、と解すべきである>」ことを挙げています。

 なお、私はこの裁判の判決分のコピーを、私の担当弁護士から入手しました。
 乙骨氏(後出)によれば、この裁判の控訴審においても、千葉氏が敗訴したとのことです。

 (3)宝島事案

 「別冊 宝島」1324号(平成18年8月1日付)掲載の東村山事件に関する記事で、千葉氏が、執筆者の乙骨正生氏と(株)宝島、及び同社代表取締役を相手取って500万円の損害賠償を求めて提訴した事件の判決が6月11日に東京地裁で言い渡され、千葉氏が敗訴しました。

 裁判所は、「(本件記事は)組織としての東村山署の捜査状況に疑問を投げかけた趣旨のものであるから、直ちに原告の名誉を毀損したものとは、言えない。・・<また、>当該記事の目的は、専ら公益を図るものと解される。・・<更に、>本件記事は、・・市議の転落死に関する東村山署の捜査について、一定の証拠に基づき疑問を呈したものに過ぎず、人身攻撃に及ぶなど、論評としての域を逸脱したものではない。・・よって・・本件記事中に・・原告の公的な言動に関する部分が含まれていたとしても、原告に対する名誉毀損には該当しないと解するのが相当である。」(「フォーラム21」2007.7.1 34〜35頁)

 なお、この裁判の判決公判に「<創価>学会員ライターの柳原滋雄氏と、・・学会系出版物などに・・記事・・を掲載している宇留島瑞郎氏が姿を見せていた。」という記載が、上記「フォーラム21」35頁にあります。

4 コメント

 私のコラム#195での記述には、単なる『東村山の闇』の紹介を超えた読後感にわたる部分もあり、この部分については、今にして思えばやや筆が滑った感はあるものの、この本で描かれているところの、市議転落死事件に関する、千葉氏の村山署副署長当時の捜査指揮、あるいは当時の東村山署の捜査に対する疑問には、それなりの根拠があったことが、この二つの裁判を通じてほぼはっきりしたと言ってよいのではないでしょうか。

 また、千葉氏の背後に創価学会の影がちらついていることも、乙骨氏が発行人であるところの、「フォーラム21」の上記記載から、改めてうかがい知ることができます。

太田述正コラム#1798(2007.6.7)
<名誉革命(その3)>


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<緊急呼びかけ>

 先程、「東村山の闇」に係る訴訟の担当弁護士から連絡があり、まだ判決文が届いてはいないが、本日、控訴を棄却するという判決が下りた旨裁判所から連絡があったとのことです。
 つまり、私に50万円の損害賠償をせよと命じた原判決が維持されたというわけです。
 もとより大変不服ではあるけれど、展望が開けそうもないので、上訴は断念することになろうかと思います。
 50万円というのは、現在の私にとっては大変大きな金額です。
 そこで、継続講読を考えておられる有料読者の方々には、できるだけ早く7〜12月分の会費納入をお願いするとともに、まことに心苦しいのですが、広くすべての読者の方々に、一口5,000円(何口でも結構)でカンパをお願いする次第です。
 カンパをしていただける方は、振込先銀行を、みずほ、三菱東京UFJ、三井住友、イーバンクの中から一行選ばれた上で、

http://www.ohtan.net/melmaga/
にメールでご連絡下さい。口座番号をお教えします。

 なお、将来、資金的余裕が生じた暁には、カンパ分を有料講読会費に繰り入れさせていただきます。(現在有料会員でない方がカンパされた場合は、今すぐ12月まで有料会員扱いにさせていただきます。)
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 名誉革命の結果、イギリスにおいて、議会主権が再確認されたのですが、その議会(下院)を構成する議員は、選挙区を代表しているのではなく、イギリス庶民全体を代表している、と考えられていました。
 これは、議員を本国に送り込んでいない英領北米植民地の人々もまた、本国の議員達が代表している、ということを意味しました。
 しかし、今まで深く考えたことのなかったこれらのことをつきつけられた植民地の人々は、違和感を覚え、おおむね次のような頭の整理を行ったというのです。
 すなわち、本国の議会が、帝国全体や海に関することや通商に関することについて至上権(super-ordinate authority)を持つことは認めるが、自分達の地方に関すること、就中税金に関することについては、自分達の議会(複数)に全面的に委ねられている、というのが第一点です。
 そして、本国の議会と自分達の議会(複数)が対立した時には、英国王が帝国全体の観点から調停することを期待した、というのが第二点です。
 後者は、議会が全権を(議会において選出された)国王に委任し、議会と国王が一体となって主権を行使する、crown-in-parliamentという本国での考え方とは異なる考え方でした。

 (書きかけですが、まさにこれだけ書いたところで、弁護士から連絡が入りました。)

(続く)

太田述正コラム#1746(2007.4.24)

<控訴審結審>

 本日私は、13時30分少し前、東京高裁の817法廷に入りました。入口には、裁
判長稲田龍樹、裁判官朝香紀久雄、足立謙三、高野(?)輝久とありました。
 (裁判官の名前が4人も並んでいたのは、最近、交代があったからのようだ。)
 同じ13時30分の訴訟がたくさんあり、あわただしく何件かが処理された後、最
後がわれわれの事件でした。

 被控訴人(原告)の千葉氏は、控訴審にも弁護士なしで現れました。しかし、
支援者らしき人物が一人来ていて、千葉氏がしゃべる時に、ちらっとそちらの方
を見たりしていました。
 私の二人の担当弁護士は、別の期日に私に対する証人尋問をさせようと図って
くれた(注)のですが、裁判官達は別室で合議し、これまで提出された書証で十
分なのでその必要なしという結論が下されました。

 (注)私から、本件コラム執筆の目的と意図、被控訴人が創価学会員であると
の記載が『東村山の闇』にあると誤信した理由、匿名でなくあえて控訴人(太
田)の氏名を明らかにした理由、被控訴人(千葉)の氏名を記載しなかった理
由、およびインターネットにおける意見交換の特質とそこでの誤りの是正の方法
を明らかにさせようというもの。

 その代わり、かなり異例らしいのですが、私が言いたいことがあったらどう
ぞ、と裁判長が発言を促したのです。
 私は、突然の話でびっくりしている、と断った上で、インターネットは手軽に
事実や意見を発表できる場であり、誤りを指摘したり、異なった見解をぶつけた
りすることによって、速やかに訂正が行われたり議論が発展したりする。しかる
に、問題になったコラムに対し何年も経ってから突然訴えが提起されたので驚い
た。また、公共の利益に係る件で、仮に私のコラムの場合のような誤りを伴わな
い形で的確に本の内容を紹介したとしても名誉棄損に問われうる、ということで
は、インターネットの発展が阻害されるのではないか、と危惧している、といっ
た話をしました。途中千葉氏は、私の件のコラムの存在を知ったのは、自分が訴
えを提起するわずか一か月前だ、と反論しました。
 最後に裁判長は、本件では和解は無理でしょうねと付け加えました。

 これで控訴審は結審となり、判決は6月7日1330に言い渡されることになりま
した。
ただし、閉廷後、担当弁護士二人と話をしたところ、当日お二人とも所用がある
から出席できないというので、私も出席はせず、お二人の法律事務所に送られて
くる判決文を、受け取ることになりました。

 本日は、このほかプライベートでも、極めて残念な件で忙しい日であったの
で、じっくりコラム執筆に取り組めませんでした。
 何年もコラムを執筆していると、こういう日もあります。

太田述正コラム#1593(2006.12.27)

<第一審判決について(その1)>




 (「マクファーレン・マルサス・英日」シリーズで、「イギリス」と書いてきたのが、途中で「英国」に変わってしまっていることに気付きました。マクファーレンは「England」と書いているので、すべて「イギリス」に読み替えてください。ブログとHPはそのままにしてあります。)
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<ある有料読者からのメール>(コラム#1592と同じ方)
 「温故知新」の、大学習期に向けて(会員継続の考え方について)。再伸します。




 本当に、官僚的答弁ですね。私は「有料会員」に5つ加入していますが、「毎回」のメルマガ送信に、毎日何人申込みがあった・・などの記載がウザイと申し上げたのです。他にはないから、余計そう感じるのでしょう。
 私が言いたかったのは、期間を限って「会員」集める「PR」を記事下にすればいいと思たからです。故に、太田さんは、「大脳思考肥大」で「内蔵思考」が不足している、と申し上げた次第です。
 単に「会員数」による経営問題なら、上記のような回答ではなく、怒るときは、相手を罵倒するくらいの決死の覚悟でなければ、「会員」を集めて有料化などは無理でしょう。あまり、大衆を馬鹿にした答弁は許されませんよ。この意味がお分かりですか?オフ会に出ても、同じことを言い切ります。
 つまり、会員数の問題が目標達成できないなら、メルマガ自体を中止すべきでしょう。又は、ウェブサイトで、「無料頁」と「会員用BBS」を作り、「会員用」には、パスワードでしか見れないような工夫をして、経費節減をはかるべきでしょう。そして、「会員」だけにしか見れない内容の濃い(真実の暴き)があってもいいと思います。
真実はザワザワとしか伝わりません。ましてや、来年は、「いいこと」も「わるいこと」も、隠れたところで準備が始まる「温故知新」の、大学習期になる、というのが私の時代認識ですので。
 私は、日々の「経営」で「キャッシュ・フローを生み出すことに苦労していますので、太田さんの、上記の回答は、何と呑気なものだと思います。お客様は神様です。いくら太田様が偉くて、優秀であっても、大会社や公務員には通用するかもしれませんが、これは「オフ会」に出る以前の庶民的な常識です。こういうやりとりが「会員減」になります。
 参考までに「無料」ですが、ある「ブログ」の、ある日の投稿を紹介します。
(転載記事貼り付け始め)
松藤民輔■ブログ■(2006年12月16日)
http://blog.ushinomiya.co.jp/economics/2006/12/16.html「ジニ係数が示す日本の力」 
 貧富の格差を表すのにジニ係数がある。・・<長いので中間を省略させていただきます(太田)>・・東大官僚村が崩壊する時、日本はより大衆化し、世界で最も成功した共産主義国家、大衆国家になっていくに違いない。なのにどうして東大を目指したがるのだろうか!?投稿者: 松藤民輔 | 日時: 2006年12月16日 08:05
(転載記事貼り付け終わり)




 色々と失礼なことを申し上げましたが、私は、所詮、下等学問のHumnitiesの文学部哲学科(これは、西周<にし・あまね>の誤訳)卒ですので、非礼はお許しください。哲学は神学の下女(したため)ですから、本来は「神学部愛知学科」が正しいと思います。




<太田>
>会員継続の考え方について・・再伸します。




要するに、継続されるのですか、されないのですか?




>オフ会に出ても、同じことを言い切ります。




9割方は、オフ会には出ない、という風に読めます。一体どちらなのでしょうか?




率直に申し上げて、全般的に、あなたの文章は極めて分かりにくいです。言いたいことが一杯ありすぎて文章がそれに追いついていない、という感じですね。多分、話をされる時はもっと分かりやすく話されるのではないかと思います。
実際、少し無理してオフ会に出席されませんか?人生観変わるかもしれませんよ。
 ところで、島田さん以外にお二人の方がオフ会出席希望を伝えてこられました。うちお一人はカレンダーを持参していただけるそうです。
 最後にお目障りでしょうが、会費納入状況等について、報告させていただきます。




<新規有料講読申し込み者>
 はじめまして。○○といいます。軍事関係に興味があり、最近は国際政治などにも興味を持つ、普通の社会人です。(一応大学生でもありますが)
 今年の4月頃、所沢さんのHPから太田さんのHPを知り、それ以後毎日楽しみにコラムを読ませて頂いておりました。
 現在の状況をみて、このままでは完全有料化になってしまうと危惧し、散々優れた文章を無料で読ませて貰ったんだから、ここらで無料コラムの維持に貢献するべきだろう。と考えまして、有料購読の申し込みをします。
 期間は来年1月から6月までの半年を、取り合えずお願いします。振込み銀行は △で、バックナンバーも希望します。ぎりぎりの申し込みとなってしまい申し訳ありませんがよろしくお願いします。




<太田>
 これで、新規有料購読を申し込まれた方は、14名になりました。うち12名が会費を納入済みです。
 26日1300現在、上記を含め、来期の会費を納入済の方は108名に達し、助っ人(コラム執筆等)1名を加えると109名ですが、目標の129名を達成するためには残り1日で20名の方が会費を納入するか助っ人を引き受けていただく必要があります。なお、納入を確約されたと私が見なした場合は、会費納入済扱いします。
 ちなみに、会費を振り込むとご連絡をいただいている方が現在6名おられます。最終日である明日28日まであきらめませんので、その他の方々も含め、よろしくお願いします。




 新規申し込みや助っ人(コラム執筆等)希望者は、ohta@ohtan.net へどうぞ。
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1 始めに




 昨日付で、例の創価学会関連訴訟の東京地裁判決があり、本日送達された判決を受け取りました。
私の実質全面敗訴です。
 判決は以下のとおりです。(被告は私です。)
 なお、過去の関連コラムに記されている部分は省略しました。




2 判決




主文




1 被告は、原告に対し、50万円を支払え。
2 原告のその余の請求を棄却する。
3 訴訟費用は、これを5分し、その3を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。




事実及び理由




第1 請求
<省略>




第2 事案の概要
<省略>




第3 争点に対する判断




1 本件記事は原告の社会的評価を低下させるに足りるものか。




(1)ある記事が人の社会的評価を低下させるに足りるものかどうかは、当該記事についての一般読者の普通の注意と読み方とを基準として解釈した意味内容に従って判断すべきであると解するのが相当である。(最高裁昭和31年7月20日第二小法廷判決・民集10巻8号1059ページ参照)
 これを本件についてみると、本件記事(甲1)(私のコラム#195のこと(太田))を一般読者の普通の注意と読み方とを基準として解釈した意味内容に従えば、東村山警察署で本件事件の捜査及び広報の責任者を務めていた創価学会員である副署長らは、公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、本件窃盗事件を捏造し、本件転落死事件の隠ぺい工作を行ったとの事実を摘示したものと認められる。
 そうすると、警察署副署長が刑事事件を捏造したり隠ぺい工作を行ったとの事実の摘示が、当該副署長の社会的名誉を低下させるに足りるものであることは明らかであるというべきである。
(2)これに対して、被告は、原告に警察官としての職務能力等を疑わせる作為不作為があったとの指摘は、さまざまな出版物やインターネット上の記事においてなされており、本件記事が掲載された時点では、既に公知の事実となっていたから、本件記事が原告の社会的評価を新たに低下させるに足りるものではないと主張する。
 この点、証拠(甲3から5、乙1、2、5から8)によれば、本件記事が掲載される以前に、本件事件及びこれに対する原告の関与ないし職務遂行上の問題等を指摘する記事が、書籍(本件書籍及び「怪死」と題するもの)、雑誌等(「リバティ」、「東村山市民新聞」、「FORUM21」と題するもの)及びインターネットのホームページにおいて掲載されていたことが認められるが、いずれも国内において著名な書籍、日刊紙及び週刊誌等であるとは言い難い上、これらの発行部数や発行・頒布地域、アクセス回数等も証拠上明らかではないことにかんがみれば、本件記事の掲載当時、原告について上記の指摘がされていることが広く一般に知られていたとまではいうことができず、そのほかにこれを認めるに足りる的確な証拠はない。
 したがって、本件記事が原告の社会的評価を新たに低下させるに足りるものではないとの被告の主張は採用することはできない。
(3)また、被告は、本件記事において原告の実名は挙げられていないことを根拠として、本件記事による指摘を原告の実名を伴った形で認識することができた読者はほとんどおらず、原告の社会的評価を低下させることはないと主張する。
 しかし、本件記事において指摘されている人物は、本件事件前後に東村山警察署副署長を務めていた者であることが容易に読みとれるものであるから、たとえ原告の実名が記載されていなかったとしても、当該人物が原告であることが特定可能であるというべきである。
 したがって、この点についての被告の主張も採用することはできない。
(4)よって、本件記事は原告の社会的評価を低下させるに足りるものであると認められるから、本件記事の掲載は原告の名誉を毀損するものというべきである。




2 名誉毀損の成立阻却事由の有無




(1)事実を摘示しての名誉毀損にあっては、その行為が公共の利害に関する事実にかかり、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあった場合に、摘示された事実がその重要な部分について真実であることの証明があったときには、上記行為には違法性がなく、仮に上記証明がないときにも、行為者において上記事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があれば、その故意又は過失は否定される。(最高裁昭和41年6月23日第一小法廷判決・民集20巻5号1118ページ参照)
(2)公共性
 本件記事において摘示された事実は、捜査機関が刑事事件を捏造・隠ぺいするなど、本来あるべき適切な捜査を行っていないことを指摘するものであるから、本件記事の掲載が公共の利害に関する事実にかかるものであることは明らかである。
(3)公益性
 上記のとおり、本件記事は公共の利害に関する事実にかかるものであることに加えて、本件記事全体の表現方法、体裁等にかんがみれば、本件記事が原告らの人格攻撃や揶揄等を企図してなされたものであるとは言い難いから、その目的が専ら公益を図ることにあったと認めるのが相当である。
(4)真実性
 本件記事は、その記述の内容、表現方法等に照らせば、本件書籍が存在していること及びその内容を正しく紹介するにとどまるものではなく、本件書籍において記述されている事実が、あたかも客観的に存在する真実であるかのように指摘するものであると認められるところ、本件記事において摘示された事実がその重要な部分について真実であるとの主張はない。
 これに対して、被告は、本件記事は本件書籍を要約紹介した論評(コラム)であるところ、本件記事は本件書籍の主旨に基本的に沿ったもので、全体として正確性を欠くものではないから、名誉毀損としての違法性は阻却されると主張する。
 しかし、被告が引用する判決は、他人の著作物に関し、その執筆姿勢を批判する内容の論評についての名誉毀損が問題となった事案において、その前提としての引用紹介が全体として正確性を欠くとまではいえないとして、当該論評に名誉毀損としての違法性があるということはできないと判示したもので、本件とは事案を異にするから、この点についての被告の主張は独自の見解というほかなく、これを採用することはできない。
(5)相当性
 被告は、本件書籍が公選された公務員2名が執筆した公刊書籍であること、本件書籍が絶版とされておらず現在においても流通していることを根拠として、本件記事において摘示した事実の重要な部分を真実と信ずるについて相当の理由があると主張する。
しかし、現在も流通しており、かつ、公選された公務員が執筆した公刊書籍の記載内容が真実であるということについて、社会通念上、高い信頼が確立しているとまではいうことはできないから、このような書籍に基づくとの一事によって、直ちに、その記載内容を真実と信じたことに無理からぬものがあるとはいえない。そして、被告が当該事実について独自に取材をしたり、原告に対して取材を申し入れたことがないことは争いがなく、そのほかに被告が当該事実を真実と信ずることがやむを得なかったと認めるに足りる証拠はない。
 そうすると、被告が本件記事において摘示した事実を真実と信ずるについて相当の理由があるということはできない。
(6)よって、本件記事による名誉毀損の成立が阻却されるとはいえない。




3 損害
 本件記事において摘示された事実やその表現方法、体裁、媒体、そのほか本件にあらわれた一切の事情を考慮すると、原告が被った損害は50万円と認めるのが相当である。




第4 結論




 よって、原告の請求は、被告に対して50万円の支払を求める限度で理由があるが、その余は理由がないので、これを棄却することとし、仮執行宣言は相当でないのでこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。




 東京地方裁判所民事第28部
  裁判長裁判官 加藤謙一
  裁判官    杉本宏之
  裁判官    間明宏充

太田述正コラム#1430(2006.10.3)

<裁判雑記(続x4)>




 (本篇は、コラム#1393の続きです。)




 本日、東京地裁に行ってきました。
 日記には、次のように記しました。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――




 12時45分に東京地裁着。明日午前中にホリエモンの裁判があるらしい。
 7階の722号法廷(高裁や簡裁との共用)の近くの待合室の電気をつけて一人で待つ。
 定められた時刻の13時10分の5分前に、当事者出入り口と書いてあるドアの小窓から法廷内を覗くと人の姿が見えたので入ろうとしたが、鍵がかかっていた。傍聴人出入り口に向かったところ、書記官がさっきのドアを開けてくれた。
 被告席に4人の弁護士とおぼしき人物(全員男性)が、そして原告席に1人の弁護士とおぼしき人物(女性)がすわろうとしているのが見えた。私は木戸を開けて傍聴人席に腰を下ろした。傍聴人席の反対側の端には原告の千葉氏の姿が見えた。
 千葉氏は今頃になって大弁護士団をつけたらしい、それにしても、原告席の弁護士とおぼしき人物は何者だろう、などとあれこれ思いを巡らせた。
 やがて、三人の裁判官が着席し、裁判長が弁論終結を宣言し、判決期日を言い渡した。 次に、われわれ二人がそれぞれ、被告席と原告席に招じ入れられた。ここで、ようやく、先程のは別の裁判であったことが分かった。千葉氏は一人だった。
 再び先程と同じことが繰り返された。言い渡された判決期日は、先程と全く同じ、12月26日の13時10分だった。裁判長が、「判決は文書で送達するので判決期日には出席しなくていいですよ」、と私に向かって声をかけ、「期日の翌日から2週間以内に控訴ができます。判決がどうなるかは分かりませんが」、と付け加えた。
 裁判官三人が退席した後、残っていた書記官に、準備手続きの際には聞いていないとして、裁判官三人の名前を尋ねたところ、法廷の外の壁にこの法廷での本日の裁判の一覧表が掲げられており、そこに裁判官の名前が書いてあるはずだと言い、一緒に外に出て表を見たところ、裁判長の名字だけしか書いてなかった。そこで、もう一度法廷内に入り、彼女の持っている書類を見せてもらって名前を書き移した。加藤謙一裁判長、杉本宏之裁判官、間明宏充裁判官、の三名だった。
 「別の裁判と、(弁論終結の公判期日の日時も同じだったが)判決期日の日時が同じになることがあるのですね」、と彼女に聞くと、「刑事では考えられないことだが、民事では、口頭で判決を言い渡すわけではないので、同じ日時になることがあります」、という答えだった。
 更に、「判決期日に来なくて良いのなら、本日も来る必要はなかったのでは」と話したところ、「準備手続きはあくまでも非公式なものなので、(書面で行ってきた)弁論を公式に終結させるためには、(原告と被告、またはその代理人たる弁護士に)来ていただく必要があります」という当たり前の答えが返ってきた。「それなら、公式には本日私は初めて東京地裁での公判に来廷したのであるから、(千葉氏は別として)あなたや三人の裁判官とは初対面のはずだ。だから、本人確認のために私に運転免許証を提示させたり署名捺印させたりすべきだったのではないか。本人確認をしていない以上、本人が本当に来たかどうか公式には分からないということになるのでは」と言いかけたが止めて法廷を後にした。
 庁舎の出口で、色んなパンフレットが並べてあった中で、「法廷ガイド 裁判を傍聴する方々のために」というのを手にとって帰途についた。裁判所も広報に力を入れているなと思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 というわけで、とまどうことばかりでしたが、判決期日は12月26日ということになりました。
うっとうしい年末年始を過ごすことにならないことを心から願っています。
 判決は、届き次第、このコラム上でご紹介させていただきます。

太田述正コラム#1393(2006.8.31)

<裁判雑記(続x3)>


 (昨日のコラムの冒頭部分について、ホームページの掲示板上で議論がなされているのでご参照ください。)
 (本篇はコラム#1370の続きです。)




1 始めに




 本日午後、東京地裁で第三回弁論準備手続が開かれました。
 その次第をご報告する前に、この間、被告たる私の準備書面(コラム#1368)に対する原告の準備書面(2)が提出され、それに対して更に被告たる私の準備書面(2)が提出されているので、それぞれの内容を掲げておきます。なお、過去のコラムを引用してある箇所は、参考のため、私自身が付け加えたものです。
 第三回弁論準備手続きでは、この二つの準備書面は全く話題にならなかったことをお断りしておきます。




2 二つの準備書面




(1)原告の準備書面(2)(平成18年8月25日)




第1 被告準備書面に対する反論
 1 被告の主張が変遷
 被告は、答弁書(コラム#1223以下)において、本件記事は、一冊の本(東村山の闇)が指摘した「原告の捜査ミス」に関する記述内容を要約紹介したものであると述べ、批判対象は原告ら個人であると主張した。
 しかし、準備書面においては、批判対象は捜査機関であって捜査にあたった原告ら個々人ではないと述べ、その主張は著しく変遷した。
 2 真実性・相当性の立証がない
 被告は、答弁書で「執筆材料の独自取材は原則として行わない。公刊書籍の記述の真実性を調査することは容易ではない」とか「ミスを発見・是正することは容易ではない」と述べ、本件記事を掲載する際に引用した著作物の記述の真実性を調査することは不可能に近い」と述べ、本件記事を掲載する際に引用した著作物の記述内容に対し真偽の検証をしなかったことを自認し、現に、原告に対する取材もしなかったのである。
 また、準備書面においても、本件の争点は「著作の引用紹介の正確性」であると強弁し、引用紹介の正確性を縷々と主張し、結局、本件記事に引用した著作物の記述内容の真実性・相当性については主張をしなかったのである。
 3 小括
 本件記事は、一般の読者の、普通の注意と読み方を基準にすると、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ、殺人事件を隠蔽した」との事実を摘示したものであり、被告による真実性・相当性の立証対象は上記事実である。
 しかし、被告は、本件記事の真実性・相当性の立証を行わなかったのであり、よって、本件記事で生じた不法行為責任を免れることは出来ない。
第2 和解に対する回答
 被告が提示する「破格」と称する和解案は、独善的な内容であるので、原告は和解を拒否する。
第3 求釈明に対する回答
 原告が求めた損害賠償の内容は、訴状の4「損害」の項で述べた通りである。
                                   
(2)私の準備書面(2)(平成18年8月30日)




第1 原告の準備書面(2)に対する反論等
 第1の1について
 原告は、係争対象たる(被告の)コラム(コラム#195)の批判対象が原告ら個人であると言ったり、捜査機関であると言ったり、主張が変遷していると指摘するが、被告の答弁書及び準備書面(1)の記述にぶれはない。以下その理由を説明する。
 被告は答弁書において、「当該コラムの主旨<は>、公明党批判・・である・・、<そして>当該コラムの導入部において、警察と検察という捜査機関(=公権力の行使に関わる公務員)の捜査ミス・・疑惑に係る本の要約紹介を行った・・」と記述したところであり、当該コラムの主旨(すなわち当該コラムにおいて被告が主張したかったこと)が公明党(=創価学会)批判であること、(すなわち、原告らへの批判ではないこと、)を明言している。
 また、「」内の後段の部分が、当該コラムの主旨ではなく、被告が引用した本の主旨(本の著者達の主張)についての被告の理解であることは明白である。なお、被告はこの本の主旨に係る被告の理解について、答弁書の後の箇所で、「第一に、原告らに・・警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実製などを疑わせる・・作為不作為があったことを指摘するとともに、第二に、原告らの作為不作為の陰に創価学会ないし創価学会員の姿が見え隠れしていることを示唆するところにある」、と若干敷衍しつつ同趣旨のことを繰り返 して述べているところである。
 一方、被告は準備書面(1)において、「当該コラムは、・・日本の政治<の>第一の深刻な問題点が、・・創価学会すなわち公明党が・・日本の政治のキャスティングボードを握ってい・・ることであると論じたものであり、その理由として例示的に、創価学会がゆゆしき不祥事に関与している疑いが強いと主張しているところの、・・著作の内容を引用紹介(要約紹介)したものであ<る>」、あるいは、当該コラムにおける「被告の批判の対象<は>、主として・・創価学会すなわち公明党・・、従として・・捜査機関なのであって、捜査にあたった被告ら個々人ではな<い>」と記したところであるが、これらが答弁書における記述と同趣旨の記述であることは言うまでもなかろう。




第1の2、3、及び第2、第3について
 内容的に新規の記述がないので、コメントは差し控えたい。




3 第三回弁論準備手続きの次第




 (1)判例論議
 主任裁判官は、論評中の他人の著作物の引用紹介に適切を欠く部分があったとしても全体として正確性を欠くとまでは言えない場合は、この論評に名誉毀損としての違法性があるということはできない、としたところの、私が依拠した判例(最高裁平10・7・17)は、著作物を論評したケースであり、係争対象たるコラムは、引用した著作物を論評したものではなく、単に紹介したものであるので、ケースが異なるのではないか、と指摘しました。
 では、単に他人の著作物を紹介したケースに係る名誉毀損判例はないのか、と私が問い返したところ、同裁判官は、「引用紹介<が>全体として正確性を欠く」かどうかが名誉毀損成立の基準となる、と上記判例の文言そのままで答えたので、とまどってしまいました。
 同裁判官は、もう一点、私による著作物の紹介の仕方は、読む人によっては、私自身の見解を述べたものと思うのではないか、と指摘しました。
 これに対しては、私より、答弁書にも記したように、この著作物は、市議会議員という「公職に就いている二人の著者」による「本」であることから信憑性が高いと判断したが、引用紹介であることは、引用(要約)紹介部分の冒頭と末尾に記した文言から明らかである、と答えました。
 気になったのは、同裁判官が、自分は判決を下す時にはその判決の社会的意義を考える、と言ったことです。
 私には、係争対象たるコラムの記述が、そもそも他人の著作物の引用紹介と言えるか、仮に言えるとしても全体として正確な引用紹介と言えるか、といった点で、この裁判の判決が新しい判例となる可能性があることを示唆した発言のように思えました。
 判決で新判例が打ち出されるようなことがあれば、勝訴敗訴いずれにころんでも面倒なことになるな、というのがその時の率直な私の気持ちでした。




 (2)和解について
 まず被告の私だけが部屋に残されて、主任裁判官から、和解に応じるつもりがあるかどうか聞かれたので、原告を創価学会員と誤った点については、非金銭的な方法(謝罪・訂正等)であれば、和解を受け入れる余地がある。金銭的な方法についても、昼飯代くらいなら考慮できると答えました。(同裁判官が1万円くらいかと言うので、フレンチのランチ代ではあるまいし、1万円は昼飯代としては高すぎる、と答えました。)
 しかし、原告の捜査ミスを引用紹介したことについては、原告のためにもならないので、和解に応じるつもりはない、と付け加えました。(原告のように、係争対象たるコラム(の記述)の削除を求めないのは、名誉を金銭で売るに等しく、いかがなものかとも言っておきました。)
 次に、原告が私と入れ替わって主任裁判官等と話し合ったのですが、原告は和解に応じるつもりが全くなかったため、結局和解はなし、ということになりました。




 (3)今後の段取り
 10月3日の午後に弁論が行われ、その後また日にちをおいて判決、ということになりました。
 弁論が行われると言っても、これまで原告被告双方が提出した準備書面が弁論として正式に採択されるだけであって、実際に口頭で弁論が行われるわけではありません。
 どうやら判決期日は10月3日に言い渡されるようですが、強い関心をお持ちの方もおられるようなので、分かり次第コラムでご紹介させていただきます。

太田述正コラム#1370(2006.8.9)

<裁判雑記(続々)(その2)>


 最後に原告に申し上げておきたい。
 様々な媒体を通じて広く流布しているところの、原告の職務怠慢疑惑が、原告主張のとおり、事実無根であるとしよう。

 私が原告の立場であれば、原告同様、自分の名誉回復に向けて、あらゆる努力を行うに違いない。

 しかし遺憾ながら、この訴訟に関する限り、原告の努力が実を結ぶことはありえない。

 仮に万が一原告が勝訴する形でこの訴訟が確定したとしても、被告の私に原告の職務怠慢の有無そのものを争う意志が全くない以上、原告の名誉が回復することはないからだ。

 かかる観点から私は、原告が、「平成10年7月17日最高裁判例」を引用しつつも、この判例において、雑誌掲載記事によって名誉毀損による不法行為が成立しているとして、損害賠償請求と同誌への反論文掲載請求が行われたところ、不法行為は成立しないとされ、従ってまた損害賠償請求と反論文請求も認められないとされたにもかかわらず、「故意か過失かは定かではないが」、原告が、準備書面(1)で「引用した<この>判例から」、反論文掲載請求に係る「部分を割愛していることは極めて不合理である」と指摘しておきたい。

 このことともあいまって、原告が反論文掲載請求を行っていないにもかかわらず、しかも私自身は名誉毀損が成立しないと主張しているにもかかわらず、私が原告に対し、私のホームページ(時事コラム欄または掲示板)への原告による反論文掲載を認める、という破格の和解提案を行っていることについて、原告が一顧だに与えていないことは、私には到底理解できない。

 私としては、この提案を原告が多とし、名誉回復を図る絶好の機会を与えられたと受け止め、提案を受け入れた上で、反論文掲載を試みることを強く促したい。
 この反論文において、原告は、私が執筆した評論(コラム)における著作の引用紹介(要約紹介)、が「全体として正確性を欠く」という主張を行うこともできるが、より重要なのは、原告が自分に職務怠慢はなかったという主張を(具体的な根拠を挙げて)行うことだ。

 もとより、原告のかかる主張が、私や第三者による批判に晒される可能性はあるが、真実は議論によってしか究明されえないことにかんがみ、原告は、本当に自分の職務怠慢疑惑が事実無根であると信じ、名誉回復を図りたいというのであれば、私の提案を受け入れ、臆することなく反論文掲載を試みるべきであろう。(批判に対する原告による再々反論等も歓迎する。)

太田述正コラム#1368(2006.8.7)

<裁判雑記(続々)(その1)>




1 始めに




 私のコラム#195をめぐる裁判は、東京簡裁から東京地裁に移送され、6月27日に第一回口頭弁論が開かれましたが、弁論準備手続の期日を定めるだけなので、必ずしも出席しなくて良いと言われていたので、欠席しました。
 そして、第一回弁論準備手続が7月21日に開かれました。
 担当裁判官3名のうちの2名と担当書記官1名、原告(千葉)、更に被告たる私(太田)が出席し、主任裁判官から、原告より5月9日に簡裁の口頭弁論開始直前に法廷で簡裁と私に手交された準備書面に対し、私から反論等を行う準備書面が提出されていない理由を問われ、原告が展開した判例解釈については、その当否は基本的に裁判所の判断にゆだねるべきであるし、核心となる判例に関する私の解釈は既に訴状(コラム#1180)に対する答弁書(コラム#1223以下)に記したところであるので反論を行う必要はないと考え、また、原告被告間の論点がかみあっていないこともあって、原告が当該準備書面に添付した書証は、私から見れば、(判例以外は)私に有利なものばかりであるので、書証に関連する反論もまた行う必要はないと考えた、と答えました。
 すると裁判官が、それでもやはり提出した方がよい、と言うので、提出を約束しました。
 原告も被告も弁護士がついていないので、裁判官もいささかやりにくそうでした。
 なお、第二回準備手続きは、8月31日の午後に決まりました。
 原告が、クセ球を投げてきているので、今までの経緯をご存じない読者には、まるでチンプンカンプンかもしれませんが、原告の準備書面と、それへの反論として、私が提出する準備書面をご披露させていただきます。




2 原告の準備書面(添付書証への言及箇所及び添付書面は割愛した)




第1 答弁書に対する反論




 1 答弁書1から3における主張の根拠として4(1)において、判例を引用し本件記事は論評であると主張する。しかし、当該判決で言う論評とは「著作部分に関する著書作者の執筆姿勢を批判する内容の記述」であり、著作物自体あるいは当該著作物の著書に対する論評なのである。
 そもそも、同判決は、論評の内容に関し「著作部分に関する著者作者の執筆姿勢を批判する内容の記述」を前提にしているのであり、本の内容を紹介し、その記述内容に基づき間接的に事実を摘示した本件記事とは根本的に異質なものである。
 しかも、被告は、故意か過失かは定かではないが、答弁書4で引用した判例から上記前提部分を割愛していることは極めて不合理である。




 2 答弁書5(1)及び(2)は、公知の事実を新たに記事した(ママ)ことや原告の実名は記していないから名誉毀損は成立しないとする趣旨であろうが、この主張は、判例理論を無視した客観的根拠を欠くものであるから、以下詳述する。
すなわち、判例では
 第1に
 「・・・意見・論評の表明に当たるかのような語を用いても・・・第三者からの伝聞内容の紹介や推測の形式を採用することによりつつ、間接的ないしえん曲に前記事実を主張するものと理解されるならば、同部分は事実を摘示するものとみるのが相当である」
(平成9年9月9日最高裁判例)
 第2に
 「・・・真実性の立証対象となるのは風評ないし噂が存在したこと自体ではなく、その風評ないし噂の内容に関する諸事実である」
(平成9年9月9日最高裁判例)
 第3に
 「・・・社会的に知れ渡っていたとしても・・・事実を真実であると信じるにつき相当の理由があったということはできない」
(平成10年1月28日東京高裁判例)
 第4に
 「・・・被害者の指名を明確に挙示しなかったとしても、その他の事情を総合して何人であるかを察知しうるものである限り、名誉毀損として処断する」
(昭和13年2月28日大審院判例昭和12年(れ)第2403号事件)
と判示している。




 3 上記判例理論を基準に、答弁書での主張を検討すれば、以下のとおりである。
 第1に
 本件記事は訴状記載の通り、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した」との事実を摘示するものである。
 第2に
 被告の抗弁は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した事実」の真実性に基づくものでなければならない。
 第3に
 多くのメディアにより原告の名誉を毀損する行為が先行し公知の事実となっていたことを根拠に本件記事は新たに名誉毀損は構成しないとの被告の主張は、責任回避の詭弁と言わざるを得ない。
むしろ、公務と無関係な原告の宗派を特定し公表した本件記事は先行記事よりも悪質性が高いのである。
 第4に
 被告が提出書証の雑誌、インターネット、新聞においても頻繁に「千葉英司副署長」と表現している。また、本事件発生当時や本件記事が掲載された前後の時期を含め、新聞や月刊誌において盗撮した原告の顔写真を掲載し、また、「東村山警察の千葉英司副署長」と明記して報道しているのであり、被告は、原告の実名は挙げなかったものの副署長とはすなわち原告であると察知しうるのである。




 よって、本件記事は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した事実」を摘示して原告の社会的評価を著しく低下せしめたものであることは明白である。




 4 なお、答弁書4(2)、6、7は、被告の独自の理論であることから反論は保留する。




第2 求釈明
 被告は「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した事実」の真実性及び相当性について速やかに立証されたい。」




3 私の反論(準備書面)




第1 原告の準備書面(1)に対する反論
 1について
 判例時報1651号は、原告の引用する(被告が答弁書で引用した)最高裁判決を掲載しているところ、その58頁において、判決理由中の「本件評論部分は、全体として見れば、本件著作部分の内容をほぼ正確に伝えており、一般読者に誤解を生じさせるものではないから、本件評論における本件著作部分の引用紹介が全体として正確性を欠くとまではいうことができず、その点で本件評論部分に名誉毀損としての違法性があるということはできない」という箇所にのみ傍線が施されており、これは判例時報の編集者が、この判決理由中、先例としての価値(ratio decidendi)のある部分はこの箇所(だけ)であると判断したことを示している。
 よって、原告が問題としているところの、被告が執筆した評論(コラム)における著作の引用紹介(要約紹介)、が「全体として正確性を欠く」か否かだけが、「名誉毀損としての違法性」の有無の認定基準となる、と考える。
 以下付言する。
 第一に、原告は、上記判決は、著作の著者が著作の引用紹介者を訴えたケースに係るものであって、原告が著作に登場する第三者で被告が著作の引用紹介者である本件とは背景事情が異なると主張しているようにも見受けられるところ、これに対する反論も上記で尽きている。
 そもそも、本件と同じ背景事情の確定判決が見あたらないのは当然であって、著作の内容が名誉毀損にあたると考えた者は、その著作の引用紹介者ではなく、その著作の著者に対して裁判を提起すれば足りるからである。すなわち、原告が著作の引用紹介者に対して裁判を提起したことは筋違いも甚だしいのであって、この点だけからも訴権の濫用であると考える。
 第二に、原告は、被告が執筆した当該コラムを論評(評論)でないと主張するが、理解に苦しむ。
 当該コラムは、その冒頭で「日本の政治は、二つの深刻な問題点を抱えており、このままで日本の政治が世界の範例となることはありえない」とした上で、第一の深刻な問題点が、「創価学会すなわち公明党が、1993年、非自民連立政権の下で初めて政権の一翼を担い、1994年には創設メンバーとして新進党に合流し、1999年からは死に体の自民党を与党として支える、という具合に日本の政治のキャスティングボードを握ってい」ることであると論じたものであり、その理由として例示的に、創価学会がゆゆしき不祥事に関与している疑いが強いと主張しているところの、(東村山市で起こった事件を取り上げた)著作の内容を引用紹介(要約紹介)したものであって、それが論評(評論)であることは明らかであろう。




 2について
 第1と第2については、援用されている判決は、著作の引用紹介に係るものではないので、本件とは無関係である。
 第3については、援用されている判決が言及しているのは、「風説ないし噂」の流布であるところ、被告が引用紹介した上記著作については、それが上梓される以前に、別の著者による同趣旨の著作が上梓されており、また、発行人が明らかなミニコミ紙が同趣旨の記事を累次掲載しており、かつ著者を特定することが理論上可能なインターネット上の同趣旨の書き込みが多数なされていたのであって、これらは流布者を特定することが困難な「風説ないし噂」とは言えない。よって、本件とは事情が全く異なる。
 第4については、一般論としてはその通りであろうが、被告が原告を匿名にしたことは、答弁書において記したように、当該コラムに対する反響が皆無であっただけに、一定の意義はあったものと考える。
 なお、被告が原告を匿名にしたのは、被告の批判の対象が、主として(日本の政治に悪影響を及ぼしている)「創価学会すなわち公明党」、従として(職務の故意過失による怠慢が散見される日本の)捜査機関なのであって、捜査にあたった被告ら個々人ではなかったからでもある点に注意を喚起しておきたい。




 3について
 第1??第4については、以上記したことに付け加えるものはない。
 
 4について
 答弁書4(2)は、有力学説であって「被告の独自の理論」ではない。
 答弁書6は事実の指摘であって「理論」の開陳ではない。原告の反論を求める。
 答弁書7は和解の勧めであって「理論」の開陳ではない。原告は和解をする意思があるのかないのか、いかなる和解内容であれば検討する用意があるのか、回答を求める。




 原告の求釈明について
 本件の争点は、繰り返しになるが、被告が執筆した評論(コラム)における著作の引用紹介(要約紹介)、が「全体として正確性を欠く」か否かだけであり、原告が求める釈明はこの争点とは何の関係もないものである。




第2 求釈明
 原告が求める損害賠償は、いつからいつまでの損害を対象としたものなのか、損害額の算定根拠はいかなるものか、なにゆえに当該コラムの削除、原告の反論の被告のホームページへの掲載、被告の謝罪の被告のホームページへの掲載等を求めないのか、釈明を求める。

太田述正コラム#1227(2006.5.11)

<裁判雑記(続)(その3)>

(06/04/10 11:05:48 - 06/05/11 11:07:54の太田HPへの訪問者数は、31,739人でした。先月の28,635人(06/03/10 10:07:57 - 06/04/10 11:04:55過去最高)を上回り、新記録を達成しました。(HPへの累計訪問者数は、683,994人です。)

裁判/創価学会問題と竹島問題が関心を集めたようです。

また、米国からのアクセスがこのところ再び伸びてきており、日本からのアクセスの7割弱に達したことと、米国の中ではネブラスカ州からのアクセスが一位を占めたことが特異な点です。

 他方、太田ブログ(http://ohtan.txt-nifty.com/column/)への月間アクセス数は、先々月の萬晩報効果の約9,500、そして先月の7,764を経て、9,245(ただし、06/04/11 00:00:00??06/05/10 24:00:00)と過去最高に肉薄しました。

 この訪問者数とアクセス数の単純合計で比較すると40,984人となり、過去最高であった先月の36,399人や先々月の約36,404人を大幅に上回る新記録を達成しました。

 (なお、メーリングリスト登録者数は1367名と、先月から20名増加しました。))


3 原告の準備書面

(タイトルは、「準備書面(1)」と記されている。第一回目の準備書面、という趣旨だろう。(太田))

第一 答弁書に対する反論

 1 答弁書1から3における主張の根拠として4(1)において、判例を引用し本件記事は論評であると主張する。しかし、当該判決で言う論評とは著作物自体あるいは当該著作物の著者に対する論評なのである。

  そもそも、同判決は、論評の内容に関し「著作部分に関する著者作者の執筆姿勢を批判する内容の記述」を前提にしているのであり、本の内容を紹介し、その記述内容に基づき間接的に事実を摘示した本件記事とは根本的に異質なものである。

  しかも、被告は、故意か過失かは定かではないが、答弁書4で引用した判例から上記前提部分を割愛していることは極めて不合理である。

 2 答弁書5(1)及び(2)は、公知の事実を新たに記事したことや原告の実名は記していないから名誉毀損は成立しないとする趣旨であろうが、この主張は、判例理論を無視した客観的論拠を欠くものであるから、以下詳述する。

  すなわち、判例では

 第1に

  「・・・意見・論評の表明に当たるかのような語を用いても・・・第三者からの伝聞内容の紹介や推測の形式を採用することによりつつ、間接的ないしえん曲に前記事実を主張するものと理解されるならば、同部分は事実を摘示するものとみるのが相当である」

   (平成9年9月9日最高裁判例、甲2??1)

 第2に

  「・・・真実性の立証対象となるのは風評ないし噂が存在したこと自体ではなく、その風評ないし噂の内容に関する諸事実である」

 (平成9年9月9日最高裁判例、甲2??1)

 第3に

  「・・・社会的に知れ渡っていたとしても・・・事実を真実であると信じるにつき相当の理由があったということはできない」

 (平成10年1月28日東京高裁判例、甲2―2)

 第4に

  「・・・被害者の指名を明確に挙示しなかったとしても、その他の事情を総合して何人であるかを察知しうるものである限り、名誉毀損として処断する」

   (昭和13年2月28日大審院判例昭和12年(れ)第2403号事件)

   と判示している。

 3 上記判例理論を基準に、答弁書での主張を検討すれば、以下のとおりである。

  第1に

    本件記事は訴状記載の通り、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した」との事実を摘示するものである。

  第2に

    被告の抗弁は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した事実」の真実性に基づくものでなければならない。

  第3に

    多くのメディアにより原告の名誉を毀損する行為が先行し公知の事実となっていたことを根拠に本件記事は新たに名誉毀損は構成しないとの被告の主張は、責任回避の詭弁と言わざるを得ない。

    むしろ、公務と無関係な原告の宗派を特定し公表した本件記事は先行記事よりも悪質性が高いのである。

  第4に

    被告が提出書証の雑誌、インターネット、新聞においても頻繁に「千葉英司副署長」と表現している(乙1、乙2、乙5、乙7、乙8)。また、本事件発生当時や本件記事が掲載された前後の時期を含め、新聞や月刊誌において盗撮した原告の顔写真を掲載し、また、「東村山警察の千葉英司副署長」と明記して報道しているのであり、被告は、原告の実名は挙げなかったものの副署長とはすなわち原告であると察知しうるのである(甲3、甲4、甲5)。

  よって、本件記事は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した事実」を摘示して原告の社会的評価を著しく低下せしめたものであることは明白である。

 4 なお、答弁書4(2)、6、7は、被告の独自の理論であることから反論は保留する。

 (甲は原告提出の証拠書類であり、乙は私(被告)提出の書庫書類。(太田))

第二 求釈明

   被告は「創価学会員の被告が万引き事件をでっち上げ殺人事件を隠蔽した事実」の真実性及び相当性について速やかに立証されたい。

4 地裁移送及び原告の準備書面(1)の感想

 (1)地裁移送

地裁移送についてはやむをえないとしても、私が答弁書で、原告の請求は趣旨不明であると主張している以上、簡裁の裁判官は、本当に140万円の損害賠償請求(だけ)でよいのかを原告に(口頭弁論の過程で、あるいは事実上)質すべきだったと思います。

 原告が請求内容を練り直すことは、原告を裨益するだけでなく、被告の私にとっても、原告の真意がより明確になるというメリットがあるほか、地裁での裁判を円滑に進めることにも資すると思われるからです。

 (2)原告の準備書面(1)の感想

 上述した請求の趣旨とも関連するのですが、原告と私が何を争点と考えているかが、全くといって良いほどかみ合っていないことを痛感させられます。

太田述正コラム#1225(2006.5.10)

<裁判雑記(続)(その2)>

 (これは、コラム#1223から掲載を始めた答弁書の後半部分です。)


5 私は原告の社会的評価を低下させていない

 (1)総括

原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」(訴状より)作為不作為があったとの指摘、を私が当該コラムで紹介したことが、「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」(同じく訴状より)という事実はない。

その理由は以下のとおりである。

(2)原告の社会的評価は既に低下していた

 ア 出版物

1995年9月に朝木市議転落死事件が起こって以来、この本が出版され、これを受けて私が当該コラムを上梓した2003年11月までの8年余だけをとっても、この本に言及されているだけで、TBSの『ニュースの森』(1995年10月)(190頁)、米『タイム』誌(95年11月20日号)(196頁)、『週刊新潮』(96年4月26日号)(203頁)、『月刊宝石』(95年9月号)(217頁)、『週刊朝日』(217頁)、『週刊現代』(95年9月23日号)(244頁)が、この本と同じ主旨で転落死事件(と万引き事件)を報じているほか、95年11月7日の前出の衆院での質疑応答があり、2002年3月28日には、原告の言い分に沿った記事を掲載した『潮』(95年11月号)をめぐる、前出の裁判の東京地裁判決が出ている。

その上、1996年5月には、この本とほとんど瓜二つと言ってよい、これまた乙骨前掲書が出版されている。(この本の253頁から、前出の『文藝春秋』が、1995年11月号であるらしいこと、及び、この『文藝春秋』掲載の記事も、私が典拠とした本と同じ主旨の記事であったことが分かる。)

  イ ネット上での記載

1995年9月以降、ネット上でも盛んに本事件が取り上げられ、その多くが、この本と同じ主旨のものであった。

例えば1999年4月24日(注2)に、http://www.asyura2.com/kj005100.htm(4月27日アクセス)に「No 5221」として、「福永恵治」名で、下掲の投稿がなされており(注3)、2006年4月26日現在もそのまま掲載されている。

タイトル 朝木明代市議転落死事件を追う掲示板

4月24日(土)00時40分

やっぱりウソだった
―副署長が裁判所で発言を否定―
 2月22日午後、東京地裁(民事30部)で、朝木明代議員の事件について朝木議員の汚名を晴らす極めて注目すべき事実が、はっきり確認された。 創価信者や例の熊谷グループ、ムラ議員らは、95年6月19日に朝木議員がこともあろに<ママ>、東村山駅傍の洋品店の店外のつるし販売のキュロットとTシャツセットから 「1900円のTシャツ」だけを万引きしたと決めつけて騒いだ。 そして、かれらは、東村山警察が書類送検したことを挙げ、特に東村山警察・千葉英司副署長(当時、現調布署)が 「朝木議員は同僚の男性議員と事件直後にアリバイ工作をした疑いが濃く、極めて悪質と判断した。書類送検には自信を持っている。」と語ったことを、最大の根拠として、朝木議員は万引き犯だなどと決めつけた。ところが「事件」から4年近く経った2月22日、東京地裁で、千葉副署長の弁護士は「千葉副署長は上記の発言をしていない」と「アリバイ工作」の事実がなかったことを認めたのだ。この4年近くの間、千葉副署長は、この点について朝木議員遺族や矢野議員側の弁護士が再三ただしても答えようとしなかった。が、この日、矢野議員自身が 「朝木議員と私がアリバイ工作した疑い極めて濃く悪質を判断し、書類送検したと千葉副署長が発言したと『聖教新聞』に書いてあるが、発言したのか、していないのか」と鋭く答えを求めたところ、逃げ切れずついに、千葉副署長の弁護士は「そのような発言はしていない」と答えた。 このやり取りの傍にいた創価の福島弁護士の不安そうな表情が印象的だった。 書類送検の根拠なし 矢野議員が、裁判官に、この事実を、裁判署の口頭弁論調書に記録することを求めたところ、裁判官もこれを認め、調書に右事実がはっきり残った。 もう一つ、朝木議員が事件現場で救急車を断ったとした千葉副署長の発言も根拠のないことがはっきりしている。朝木議員や矢野議員を誹謗して騒いだ関係者達、さあ、どうする!

http://www.tcup5.com/521/jfk.html

 (注2)書き込み時期を1999年と特定できたのは、上記No.5221より前の書き込みであるNo.5171の以下のような書き込みによる。

No 5171 河上イチロー 4月14日(水)06時50分

タイトル 祝・出版!佐々木さんおめでとう!

というわけで、河上の第2弾「サイバースペースからの攻撃」(雷韻出版)も連休明けには書店に並ぶと思います(東京だと5月1日には並ぶかも)

スケジュールには以下のように書き込んでくださいね m(。。)m

1999年春の書籍購入予定

4月下旬 佐々木敏『西暦2000年・神が人類をリセットする日』徳間書店

5月上旬 河上イチロー『サイバースペースからの攻撃』雷韻出版(注3)同文が、2000 年 5 月 10 日に下掲のサイトにも転載されている。(http://info-soukagakkai.hypermart.net/bd1/messages/14.html。2006年4月27日アクセス)。

また、いつから掲げられているかは不明だが、http://www.sokamondai.to/125/index.htmに2006年4月27日現在、2002年発行の下掲のミニコミ紙記事が転載されている。

「事件当時、創価幹部信者の地検・捜査担当検事に指揮された東村山署の千葉英司署長が、事件当時、でまかせで根拠のないことを創価系記者らに話し法廷での証人尋問では、これを翻して否認するなどしたことから、判決は「千葉の供述は信用できない」と断罪した。最近、警察官の不祥事と同様(ママ)、やはりウソつき警官だったことが判明。」(東村山市民新聞2002年4月30日)

  ウ 結論

つまり、「原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」・・作為不作為があったとの指摘」は、あらゆるところでなされてきており、2003年11月時点では、既に公知の事実になっており、「原告<等>の職務遂行についての社会的評価<は既に>いたく低下せしめ<られてい>た」、と言うべきであろう。

そうである以上、当該コラムは、単に、既に公知の事実となっていたところの、「原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」・・作為不作為があったとの指摘」を行う媒体がもう一つ新たに出現した(出版された)ことをネット上で知らしめた、というだけの意味しかないのである。

 (3)しかも原告の実名は記されていない

 (2)で引用した出版物やネット上での記載とは異なり、私は、当該コラムにおいて、原告の実名を記していない。

 当該コラムの読者が、原告の実名を知るためには、この本を読むか、ネット上で転落事件を取り扱っているサイトを探して読むかしかない。もちろん、当該コラムを読む前から転落事件をめぐる論議を知っていた読者がいた可能性も理論上はある。

しかし、前述した私のミスを指摘した読者がいなかったどころか、当該コラムを掲載した私のホームページへの、この当該コラムに係る投稿が一件もなかったことから推察すると、上記のような熱心な読者はほとんどいなかった可能性が高い。

現在、私のコラムを読んでいる読者は2,000人余と推定されるが、2003年11月当時は、その数分の一であったことを考えると、これは必ずしも不思議ではない。

 いずれにせよ、当該コラムを読んで、原告に「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為があったとの指摘を、原告らの実名を伴った形で認識することとなった読者はほとんどいなかった可能性がこのように高いのだから、私のコラムが「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」、かどうかなど論ずるまでもないことになる。

 また、当該コラムの読者は、私のミスにより、原告が創価学会員であるとする記述がこの本にあると誤解させられたわけだが、読者には原告の実名が分からない以上、これだけでは原告に全く不利益を与えていないということにもなる。

 なお、以下のような判例がある。

 「仮に他の報道と併せて考察すれば報道対象が明らかとなる場合であっても、そのことから、直ちに当該報道が報道対象を特定して報じたものと認めるのは相当でない・・裁判所がそのような事後的な総合認定により、匿名で書かれた記事の匿名性を否定するとすれば、報道の任に当たる者の匿名記事を作成しようとする意欲を著しく減殺することとなり、結果として、不当な実名記事の作成を助長しかねない。」(東京地判1994年4月12日。判タ842号271頁。佃前掲書103??104頁)

6 よって訴えの棄却を求める

 (1)実体的理由

 以上の理由から、原告の訴えの棄却を求める。

 (2)手続き的理由

  ア 総括

本訴は、以下のような手続き的理由からも棄却されるべきであると考える。

  イ 原告は裁判以外の手段を尽くしていない

 そもそも、言論に対しては言論で対抗すべきであり、原告は、私のホームページ上の掲示板に匿名または実名で当該コラムに対する反論を投稿する等の手段をまず講じるべきであった。

また、訴えの提起は最終的手段であって、原告が、私に対して書状やメールを送ること、或いは私と面談をすること等によって問題の解決を図ろうとせず、いきなり訴訟を提起したのはいかがなものかと思う。

更に、原告は、私が5(2)ア及びイで挙げた、東村山事件における原告の作為不作為を批判した出版物やネット上での記載・・しかもその大部分は原告の実名を明記・・をとがめ、すべて、訴えの提起をしているのであろうか。少なくともイで掲げたネット上での記載に関し、訴えを提起した形跡はない。従って、当該コラムだけを問題視し、提訴したことは著しく権衡を逸すると言わざるをえない。

 かかる論点に関連する判例を二つ掲げておく。

 判例その一:「フォーラム、パティオへの参加を許された会員であれば、自由に発言することが可能であるから、被害者が、加害者に対し、必要かつ十分な反論をすることが容易な媒体であると認められる。したがって、被害者の反論が十分な効果を挙げているとみられるような場合には、社会的評価が低下する危険性が認められず、名誉ないし名誉環状毀損は成立しないと解するのが相当である。」(東京地判2001年8月27日。判例タイムス1086号181頁、判例時報1778号90頁。佃前掲書83頁)

 判例その二:「民事訴訟制度は・・社会に惹起する法律的紛争の解決を果たすことを趣旨・目的とするものであるところ、かかる紛争解決の機能に背馳し、当該訴えが、もっぱら相手方当事者を被告の立場に置き、審理に対応することを余儀なくさせることにより、訴訟上又は訴訟外において相手方当事者を困惑させることを目的とし、・・相手方当事者に対して有形・無形の不利益・負担若しくは打撃を与えることを目的として提起されたものであり、右訴訟を維持することが前記民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反すると認められる場合には、当該訴えの提起は、訴権を濫用する不適法なものとして、却下を免れないと解するのが相当である。」(東京高裁平成12年11月13日(ネ)第3364号 損害賠償請求控訴事件判決。山崎正友「続々「月刊ペン」事件――信平裁判の攻防」第三書館2002年9月 346??347、356頁)

  ウ 原告の請求は趣旨不明である

 また、私としては、不法行為が成立しないと考えているので、本来原告の請求内容について論じる必要はないが、原告は140万円を賠償請求しているところ、この金額の積算根拠が示されていないばかりか、原告が当該コラムの訂正ないし削除要求や、謝罪文のコラムへの掲載等を要求していないことから、原告の請求は趣旨不明であると言わざるをえない。(例えば、140万円を支払えば、当該コラムについて引き続きネット上での掲載を認める、という要求趣旨であるとも受け取れる余地がある。)

 エ 事後的に原告の訴えの利益が失われている

部分的に不正確であった私による要約(3(1))については、訴状を受け取った後、2006年4月15日付のコラム#1184(裁判雑記(その3))(http://www.ohtan.net/column/200604/20060415.html#1)において訂正し、その事実は広く知られるところとなっている。

 従って、原告の訴えの利益はもはや失われていると考える。

7 しかし和解を否定するものではない

 原告が、賠償請求を取り下げるのであれば、私は和解に応じる用意がある。

私としては、以下のような和解内容を希望している。

 原告が、実名を明記して自分に「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為はなかった旨の主張を記し、これを私のホームページの掲示板に投稿した場合、これを削除することはしない。

また、原告が上記主張を、実名を明記して、私のコラムの一環として配信するとともに、私のホームページに掲載することを希望するのであれば、これを受け入れる。

なお、原告が上記を匿名で行うことを希望する場合は、原告の執筆であることが私には分かる形であれば、これを受け入れる。

 原告が東村山事件当時に創価学会員であったとの記述がこの本になかったにもかかわらず、私が当該コラムで原告を創価学会員と誤って記述した点について、原告が私に対し、私のコラム上での謝罪を要求する場合は、創価学会員であることが、なにゆえ「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせ」(訴状より)るのか、あるいは、なにゆえ「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめ」(訴状より)るのか、についての原告の見解を同時に私のコラム上に掲載するという条件を原告が受け入れた場合に限り、謝罪を行うことを受け入れる。

太田述正コラム#1223(2006.5.9)

<裁判雑記(続)(その1)>

1 始めに

 訴状(コラム#1180)に対する答弁書を4月28日に東京簡裁に提出(原告にも送達)し、本日(5月9日)は午前11時30分からの第一回の公判期日に出席してきました。

 ところが、裁判官から、本件は150万円未満の請求額なので形式的には簡裁の管轄だが、事案の内容から地裁での審理が望ましい、例えば簡裁では証拠調べもできない、という理由でお隣の東京地裁への転送の提案があり、原告がこの提案を飲んだので、転送が決定しました。

なお、裁判開始前に、原告から準備書面が提出され、私もそのコピーを受け取りました。

関心のある方も少なくないと思うので、上記私の答弁書(正確には、答弁書中の「私の言い分」)と上記原告の準備書面を三回に分けてコラムに転載することにしました。答弁書は長文ですし、その中身については、コラム#1180後半、1182、1284、1185、1188、1190、1200とほとんど重複しますが、ご容赦願います。なお、答弁書と準備書面への添付証拠書類は、基本的に掲載しません。また、原告が当面和解に応じる意思がないことがはっきりしたことから、裁判の公開性に鑑み、答弁書中原告の実名を挙げている箇所は、そのままにしました。

2 私の答弁書

私の言い分

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

               <目次>


1 原告が問題視している箇所は他人の著作物の引用紹介である


 (1)要約紹介である


(2)要約紹介したことに落ち度はない

2 その要約紹介には公共性・公益性がある

 (1)公共性

(2)公益性

3 部分的に不正確な要約紹介があった

 (1)部分的に不正確であった要約紹介

 (2)しかし全体として要約は正確であった

4 1、2、3に係る判例学説を掲げる

 (1)判例

 (2)学説

5 私は原告の社会的評価を低下させていない

 (1)総括

(2)原告の社会的評価は既に低下していた

  ア 出版物

  イ ネット上での記載

  ウ 結論

 (3)しかも原告の実名は記されていない

6 よって訴えの棄却を求める

 (1)実体的理由

 (2)手続き的理由

ア 総括

  イ 原告は裁判以外の手段を尽くしていない

  ウ 原告の請求は趣旨不明である

  エ 事後的に原告の訴えの利益が失われている

7 しかし和解を否定するものではない


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――




               <本文>

1 原告が問題視している箇所は他人の著作物の引用紹介である

 (1)要約紹介である

 原告が問題にしている私のコラム#195(以下、「当該コラム」という)の大部分は、当該コラム冒頭で言及した一冊の本(矢野穂積・朝木直子「東村山の闇」第三書館。以下「この本」という)の内容を私が要約・紹介したものにほかならない。

当該コラムの終わり近くに「(以上、特に断っていない部分は矢野・朝木 前掲書により)」と記されていることからも、このことは明らかであるし、当該コラム中のどの部分がこの本の要約紹介であるかも分かるようになっている(注1)。

(注1)創価学会をカルトとしている箇所についても、カルトの定義を除けば、この本(の157??160、166??170、238??239頁)の要約紹介にほかならない。

 原告は、当該コラム中のこの本の要約部分に「虚偽性」があり、原告本人の「社会的評価をいたく低下せしめた」と主張しているところ、この本の著者または出版社を追及するのならともかく、この本の内容の単なる要約・紹介者に過ぎない私を追及するのは筋違いである。

 (ちなみにこの本は、現在も引き続き販売されている。)

 仮に、発言や出版物において引用した本等の内容の非虚偽性(真実性)について、引用した者が証明しなければならない、ということになれば、世上のほとんどの発言や出版ができなくなり、表現の自由は有名無実になってしまうだろう。

 (2)要約紹介したことに落ち度はない

なお、当該コラムの導入部の記述の真実性を調査することは私には事実上不可能であった上、そもそも私はその内容を真実と信じる相当の理由があった、ということを付言しておきたい。

私には部下はおらず、協力者もほとんどいないため、執筆材料の独自取材は原則として行わないこととし、もっぱらインターネットと公刊書籍に依拠して執筆している。その私が、インターネットや公刊書籍の記述の真実性を調査することは不可能に近い。

また、当該コラム導入部が典拠としたこの本は、東村山事件を対象に、言及された捜査関係者から名誉毀損で訴えられたり、関係捜査機関によって報復的に微罪を追及されたりする懼れがあるにもかかわらず、転落死した東村山市議の同僚市議(公選された公務員)2名によって執筆され、歴とした出版社(第三書館)によって出版されたものであり、本の内容において、私が知っている事実に関し誤りがなかったこともあり、私としては当時、本の他の部分も真実性が高い、と判断する相当の理由があったと思っている。

ちなみに、前述したように、(自発的にあるいは裁判等によって、絶版にされることなく、)この本が現在もなお市場に出回っていることは、私の当時のこの判断の妥当性を事後的に裏付けるものであると考える。

2 その要約紹介には公共性・公益性がある

 (1)公共性

 当該コラムの主旨が、公明党批判という公共的事項についての論評であることはさておき、当該コラムの導入部において、警察と検察という捜査機関(=公権力の行使に関わる公務員)の捜査ミス(=公務執行に係る瑕疵)疑惑に係る本の要約紹介を行ったことは、公共的事項についての(公的活動とは無関係な私生活暴露や人身攻撃にわたらない)論評であると言えよう。

時あたかも1999年に発生した会社員リンチ殺人事件についての4月12日の宇都宮地裁判決は、栃木県警の捜査ミスと死亡の因果関係を認めたところであるが、近年、捜査機関の作為または不作為による捜査ミスに対する、犯罪被害者、ひいては世論の姿勢は厳しさを増しており(例えば、http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060412/eve_____sya_____008.shtml(2006年4月13日アクセス))、女性東村山市議転落死亡事件(以下、「東村山事件」という)についての捜査機関の捜査ミス疑惑を紹介することの公共性は高かったと考える。

ちなみに、原告は、訴状の中の「2 訴状の核心部分」で、「女性市議の・・転落死はほぼ自殺と判断され警察及び地検の捜査は・・終結している」と記しており、「ほぼ」という言葉を用いている以上、東村山事件が他殺によるものであった可能性があることは、原告自身が認めているところである。

(2)公益性

以上記したことは同時に、私の当該コラム執筆公表の目的が、もっぱら公益を図るため(=一般市民の「知る権利」行使に資するため)であることを裏付けていることだ。しかも、私のコラムはすべて、無償で公開されており、私はコラムの執筆公表によって何ら金銭的利益を得ていない。

そうである以上、当該コラム執筆公表の目的の公益性は明らかであろう。

3 部分的に不正確な要約紹介があった

 (1)部分的に不正確であった要約紹介

 当該コラムにおけるこの本の要約が部分的に不正確であったことは認める。

 私は、以下のように要約した。(一、二、三は、便宜上、今回特に付した。)

一 東京都東村山市は、創価学会の勢力が強いところで、市議26名中、(建前上はともかく創価学会の政治部以外の何者でもない)公明党は6名で、自民党の7名等とともに与党を構成しています。

 明代市議は、議員活動の一環として創価学会脱会者の支援や人権侵害の被害救済活動を行っていたことから、東村山市の創価学会員や公明党市議らと緊張関係にありました。このような背景の下で、1995年に明代議員を被疑者とする万引きでっちあげ事件が起こり、更にその直後に明代議員殺害事件が起こったのです。

 当時捜査当局によって、昭代市議は万引きの被疑者として送検され、また、昭代議員のビルからの転落死は万引き発覚を苦にしての自殺と断定されてしまいます。

二 ところが、所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また、捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。

昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。

三 しかし、彼らの画策したでっちあげや隠蔽工作は、この本の著者達やマスコミによって、創価学会の執拗な妨害を受けつつも、徹底的に暴かれ、社会の厳しい批判に晒されることになります。

 なお、明代市議の殺人犯はまだつかまっていません。

 しかし、再度、この本を読み返してみたところ、副署長(原告)と刑事課員が創価学会員であった旨の記述はなかった。

 よって、今にして思えば、上記中の二は次のように記述されるべきだった。

二 これは第一に、転落死事件を担当した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事が二人とも創価学会員であったところ、昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったからであり、第二に、この地検支部の捜査指揮を受ける立場の所轄の村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、村山市の創価学会関係者への配慮や上記地検支部長及び担当検事への配慮を、公僕としての義務より優先させたからである、と思われます。

 (2)しかし全体として要約は正確であった

 しかし、私が既に引用した箇所からだけでも、この本の主旨が、第一に、原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」(訴状より)作為不作為があったことを指摘するとともに、第二に、原告らの作為不作為の陰に創価学会ないし創価学会員の姿が見え隠れしていることを示唆するところにあることは明らかであろう。

 そうである以上、私によるこの本の要約紹介は、部分的に不正確ではあったものの、この本の主旨に基本的に沿ったものであり、全体として正確性を欠くものでないと考える。

なお、原告らを創価学会員と誤解した私のミスにはやむをえない面があることを弁明しておきたい。

(文中に登場する「万引き・・事件」とは、1995年6月19日に発生したとされる(乙骨正生「怪死 東村山女性市議転落死事件」(教育史出版会1996年5月)65頁による)朝木明代市議「万引き」事件のことを指し、「転落死事件」とは、1995年9月1日??2日(13??21頁)に発生した朝木明代市議転落死亡事件を指す。)

(一)原告と創価学会との癒着を示唆する記述(例示)

 「母<(後に転落死することになる朝木明代市議)>を犯人扱いした「万引き冤罪事件」でも、東村山警察の千葉英司副署長は、「万引き事件の捜査は、私が直接指揮を取った」と胸を張り、「絶対にクロだ、自分の首をかけてもいい」と言い切っているのだ。そして、母が、事件に関する正式な調書もないまま、”だまし討ち”のような方法で「書類送検」したその当日には、古顔の創価学会信者の木村という市議が、東村山警察の所長室で小林署長や千葉副署長と面談しているところが目撃されている。」(73??74頁)、「「万引きねつ造疑惑」・・『事件』<の>「書類送検」当日、創価学会信者の古手市議木村芳彦(副議長)が東村山警察の所長室で署長・副署長と「密談」していたのを目撃された。」(118頁)、「7月12日、<万引き事件の>『書類送検』は午後におこなわれた。が、その前に、千葉英司副署長が、創価学会党の古参市議で副議長の木村芳彦という人物を署長室に招きいれて、小林浄署長、副署長と話しこんでいた。」(234頁)

「東村山警察幹部すなわち千葉副署長の談話をもとに書かれた『潮』<(創価学会系の総合雑誌)><の記事>は、「万引き冤罪事件」について、母が話してもいない内容の調書、それも署名、捺印のないものが「正式な『供述調書』として、今も地検にある」と断定した記事を掲載している・・。しかし、この・・『潮』の名誉毀損記事裁判・・で千葉副署長の供述を裁判所が断罪することになる」(133頁)、「判決書42頁で・・はっきりと「千葉の供述は信用することができない」と断罪している・・」(264頁)

「物的証拠は全くなかった。朝木議員と「万引き」とは繋がるものは何一つなかった。商品を取り戻し、実害もない。しかし女店主は「動かぬ」証拠もないのに、警察に訴え出た。朝木議員を名指しでだ。しかも、「動かぬ証拠」もないのに、東村山警察は必死に動き、「書類送検」までしたのだ。だが、書類送検は、<創価学会員である>信田昌男検事が・・指示したと千葉副署長が語った。」(221頁)、「『月刊宝石』は、「万引き冤罪事件」の舞台の用品店の女店主の夫に取材している。「創価学会の信者ですか?」 この人物は、次のように答えた。「違います。私は恥ずかしいことだけど不信心・・(妻は)確か真言宗だったよな」・・女店主は頷かなかった。夫の方は、唐突にこう続けた。「聖教新聞はとっていたことがあります。・・」(218??219頁)

(二)副署長が創価学会員であることをも示唆しているとも受け取れる記述

「<1995年>11月7日の衆院・宗教法人特別委員会・・で朝木明代の事件は取り上げられた。・・

質疑応答(収録ビデオから)

(質問者)熊代・衆院議員(自民党)

 先程、東村山市の問題が出ました。・・亡くなりました朝木明代市議は、同市では市議会、市職員、それに警察署員に創価学会の方の比率が、相当に高い、ということを批判し、その癒着、業者との癒着、あるいは採用における癒着を批判しておられたということでございます。先程、船田先生から権威のある雑誌であるとご評価頂きました「文藝春秋」の今月の11月号に載っております。私が問題にしたいのは、人が事件死した場合に・・は・・まず他殺を疑って、とことんそれを調べ・・そしてそれを潰していって初めて自殺という結論に達するんです。ところが、この東村山署は、殊に副署長さんというふうに言われておりますが、直ちに『自殺説』を出して、頑張っていると聞きます。・・『ナアナア主義』で正義を明らかにする情熱に欠けているんではないか、そんなふうに思われます。」(193??194頁)

 「すでにお気づきのとおり、東京地検八王子支部に、創価学会幹部信者の吉村弘検事が支部長として着任したのは1995年4月、東村山警察に千葉英司副署長が異動になったのは同じ1995年2月、いつも当直の時に事件が起きる東村山警察の須田豊美盗犯二係長の異動も同じ1995年2月・・」(206頁)

このような記述から、私は、副署長は創価学会員であるとこの本に記述してある、と誤解してしまったようだ。

 この種の思いこみ、勘違い、記憶違い、もしくはミスプリは、人間にはつきものであって、完全に排除することは不可能だ。

 本や雑誌の場合、時間的余裕があるので、何度も校正等を行うことによって、このようなミスを発見し是正することが相当程度できるし、新聞やTV・ラジオの場合なら、時間的余裕がなくても、複数の人間がチェックすることでこのような誤りを発見・是正することがある程度はできる。

 しかし、私のように、たった一人で、現在では毎日おおむね二篇弱のコラムを執筆・上梓し、当該コラム上梓当時でも既におおむね毎日一篇のコラムを執筆・上梓しているような場合、最低一度は読み返すものの、ミスを発見・是正することは容易ではない。

(もとより、ミスを読者から指摘されれば、ネット掲載文書の性質上すみやかに、遡って訂正したり、訂正文を上梓する形で対応することが可能であるし、実際そうしてきたところだ。しかし、当該コラムについては、上梓以来、二年半弱の間、創価学会員云々についてはもとより、いかなるミスの指摘もなく、読み返したことすら一度もなかった。)

 よって私のミスはやむをえない面があったと考えるものである。 

4 1、2、3に係る判例学説を掲げる

(1)判例

他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠くものであることは、当審の判例とするところである(最高裁1985年(オ)第1274号1989年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁、最高裁1994年(オ)第978号同1997年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。そして、意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には、右著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである。

(最高裁1994年(オ)第1082号同1998年7月17日第二小法廷判決。http://patent.site.ne.jp/jd/lib/sp/980717.htm(2006年4月24日アクセス)より孫引き)

(2)学説

 「現実の悪意の法理とは、1964・・年に米国連邦最高裁が「ニューヨークタイムズ対サリバン」事件において使用した名誉毀損の免責法理であり、公務員に対する名誉毀損表現については、その表現が「現実の悪意」・・故意ないしそれに準ずる概念・・をもって、つまり、それが虚偽であることを知っていながらなされたものか、または虚偽か否かを気にもかけずに無視してなされたものか、それを原告(公務員)が立証しなければならない、とするものである。」(佃克彦「名誉毀損の法律実務」弘文堂2005年2月 262??263頁)

 現実の法理を採用した日本の裁判例としては、いわゆる「サンケイ新聞意見広告事件」に係る東京地判1977年7月13日(判タ661号115頁、判時857号30頁)と、いわゆる「北方ジャーナル」事件に関する最大判1986年6月11日(判タ605号42頁、判時1194号3頁)における渓口正考判事の意見があるが、判例はまだない。(佃上掲書264??265頁)

太田述正コラム#1200(2006.4.24)

<裁判雑記(関係判例学説)>

1 始めに

 例の裁判(コラム#1177、1180、1182、1184、1185、1188、1190)に関わる判例学説を紹介しておきます。判例学説の収集については、ある読者の協力を得ました。

2 判例学説

 (1)名誉毀損?

 ア 私のコラム#195が公共の利害に関する事実に係り専ら交易を図る目的で執筆されたこと

「他人の言動、創作等について意見ないし論評を表明する行為がその者の客観的な社会的評価を低下させることがあっても、その行為が公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであり、かつ、意見ないし論評の前提となっている事実の主要な点につき真実であることの証明があるときは、人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評としての域を逸脱するものでない限り、名誉毀損としての違法性を欠くものであることは、当審の判例とするところである(最高裁1985年(オ)第1274号1989年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2252頁、最高裁1994年(オ)第978号同1997年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。」(最高裁1994年(オ)第1082号同1998年7月17日第二小法廷判決。http://patent.site.ne.jp/jd/lib/sp/980717.htm(2006年4月24日アクセス)より孫引き)

(参考)現実の悪意の法理

 「現実の悪意の法理とは、1964・・年に米国連邦最高裁が「ニューヨークタイムズ対サリバン」事件において使用した名誉毀損の免責法理であり、公務員に対する名誉毀損表現については、その表現が「現実の悪意」・・故意ないしそれに準ずる概念・・をもって、つまり、それが虚偽であることを知っていながらなされたものか、または虚偽か否かを気にもかけずに虫してなされたものか、それを原告(公務員)が立証しなければならない、とするもの・・」(佃262??263頁

 現実の法理を採用した日本の裁判例としては、いわゆる「サンケイ新聞意見広告事件」に関する東京地判1977年7月13日(判タ661号115頁、判時857号30頁)と、いわゆる「北方ジャーナル事件」に関する最大判1986年6月11日(判タ605号42頁、判時1194号3頁)における渓口正考判事の意見があるが、確定した判例はまだない。(佃264??265頁)

 イ コラム#195における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでないこと

「・・意見ないし論評が他人の著作物に関するものである場合には、右著作物の内容自体が意見ないし論評の前提となっている事実に当たるから、当該意見ないし論評における他人の著作物の引用紹介が全体として正確性を欠くものでなければ、前提となっている事実が真実でないとの理由で当該意見ないし論評が違法となることはないものと解すべきである。」(前掲・最高裁1994年(オ)第1082号同1998年7月17日第二小法廷判決の続き)

ウ 元副署長がこれまで私のホームページの掲示板等に反論を掲載しようとしなかったこと

「フォーラム、パティオへの参加を許された会員であれば、自由に発言することが可能であるから、被害者が、加害者に対し、必要かつ十分な反論をすることが容易な媒体であると認められる。<いわんや、公開サイトにおいておや。(太田)>したがって、被害者の反論が十分な効果を挙げているとみられるような場合には、社会的評価が低下する危険性が認められず、名誉ないし名誉環状毀損は成立しないと解するのが相当である。<ところが元副署長は、あえて反論を試みなかった。(太田)>」(東京地判2001年8月27日。判例タイムス1086号181頁、判例時報1778号90頁。佃克彦「名誉毀損の法律実務」弘文堂2005年2月、83頁から孫引き)

エ 私が元副署長の名前を記述しなかったこと

 「仮に他の報道と併せて考察すれば報道対象が明らかとなる場合<、例えば、副署長の実名が、コラム#195が典拠とした本を読んだり、インターネット上で検索をかけたりすれば、明らかとなる場合(太田)>であっても、そのことから、直ちに当該報道が報道対象を特定して報じたものと認めるのは相当でない・・裁判所がそのような事後的な総合認定により、匿名で書かれた記事の匿名性を否定するとすれば、報道の任に当たる者の匿名記事を作成しようとする意欲を著しく減殺することとなり、結果として、不当な実名記事の作成を助長しかねない。」(東京地判1994年4月12日。判タ842号271頁。佃103??104頁から孫引き)

 (2)訴権の濫用?

ア 元副署長がコラム削除要求や謝罪要求を行わず損害賠償請求のみを行っていること

イ 元副署長が、匿名ではなく実名で彼の「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」記述を行っているサイト(複数)を対象とする裁判を提起していないと思われること

 (かかるサイトにリンクを貼ることは、事柄の性格上、差し控えた)

(参考)訴権の濫用

 「民事訴訟制度は・・社会に惹起する法律的紛争の解決を果たすことを趣旨・目的とするものであるところ、かかる紛争解決の機能に背馳し、当該訴えが、もっぱら相手方当事者を被告の立場に置き、審理に対応することを余儀なくさせることにより、訴訟上又は訴訟外において相手方当事者を困惑させることを目的とし、・・相手方当事者に対して有形・無形の不利益・負担若しくは打撃を与えることを目的として提起されたものであり、右訴訟を維持することが前記民事訴訟制度の趣旨・目的に照らして著しく相当性を欠き、信義に反すると認められる場合には、当該訴えの提起は、訴権を濫用する不適法なものとして、却下を免れないと解するのが相当である。」(東京高裁平成12年11月13日(ネ)第3364号 損害賠償請求控訴事件判決。山崎正友「続々「月刊ペン」事件――信平裁判の攻防」第三書館2002年9月346??347、356頁より孫引き)

太田述正コラム#1190(2006.4.18)


<裁判雑記(その6)>


 (1)匿名性


 私は、コラム#195において、原告たる副署長(転落事件当時)の実名(や刑事課員の実名)は記していない。

 コラム#195の読者が、原告の実名を知るためには、私が典拠とした本を読むか、ネット上で転落事件を取り扱っているサイトを探して読むかしかない。もちろん、コラム#195を読む前から転落事件をめぐる論議を知っていた読者がいた可能性も理論上はある。

しかし、前述した私のミスを指摘した読者がいなかったどころか、このコラムを掲載した私のホームページへの、このコラム#195に係る投稿が一件もなかったような記憶がある(未確認)ことから推察すると、上記のような熱心な読者はほとんどいなかった可能性が高い。

現在、私のコラムを読んでいる読者は2000人余と推定されるが、2003年11月当時は、その半分にも達していなかった(未確認)ことを考えると、これは必ずしも不思議ではない。

 いずれにせよ、私のコラム#195を読んで、原告に「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為があったとの指摘を、原告らの実名を伴った形で認識することとなった読者はほとんどいなかった可能性がこのように高いのだから、私のコラムが「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」かどうかなど論ずるまでもないことになる。

 また、私のコラム#195の読者は、私のミスにより、原告が創価学会員であるとする記述が私が典拠とした本にあると誤解させられたわけだが、読者には原告の実名が分からない以上、これだけでは原告に全く不利益を与えていないということにもなる。


 (2)手続的事項


 私に対し、書状やメールを送ったり、私と面談をする等により、問題の解決を図り、それがうまくいかない場合に訴訟を提起するのが普通だと思うが、いきなり訴訟提起した原告の存念が私にはよく分からない。

 また、私としては、不法行為が成立しないと考えているので、本来損害賠償について論じる必要はないが、原告は140万円を賠償請求しているところ、この金額の積算根拠が示されていないのはいかがなものか。

とりわけ疑問に思うのは、原告がコラム#195の削除要求や、謝罪文のコラムへの掲載等を要求していない点だ。これでは、140万円を支払えば、コラム#195について、引き続きネット上での掲載を認める、という要求趣旨であるとも受け取れる余地がある。


 (3)私の希望


 私としては、自分が「警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」作為不作為がなかった旨の主張を原告に文書にしてもらい、これをコラムとして配信するとともに、私のホームページに掲載したいと考えており、原告の同意を求めるつもりだ。

 (原告が副署長当時創価学会員であったとの記述が私が典拠とした本にはなかったことは、既に前述したところであり、私のコラムの読者の知るところとなっている。)

 その上で、私が典拠とした本と原告のどちらの主張がより説得力があるか、個々の読者に判断してもらいたいと思う。

 本来、言論に対しては極力言論で対抗すべきであり、権力によって言論を封じる結果になりかねない訴訟提起は最後の手段であるべきだ。

 原告が翻意し、訴訟を取り下げることを強く希望する次第だ。

太田述正コラム#1188(2006.4.17)

<裁判雑記(その5)>

 この種の思いこみ、または勘違い、記憶違いは、もしくはミスプリは、人間にはつきものであって、完全に排除することは不可能だ。

 本や雑誌の場合、時間的余裕があるので、何度も校正等を行うことによって、このようなミスを発見し是正することが相当程度できるし、新聞やTV・ラジオの場合なら、時間的余裕がなくても、複数の人間がチェックすることでこのような誤りを発見・是正することがある程度はできる。

 しかし、私のように、たった一人で、現在では毎日おおむね二篇弱のコラムを執筆・上梓し、コラム#195当時でも既におおむね毎日一篇のコラムを執筆・上梓しているような場合、最低一度は読み返すものの、ミスを発見・是正することは容易ではない。

(もとより、ミスを読者から指摘されれば、ネット掲載文書の性質上すみやかに、遡って訂正したり、訂正文を上梓する形で対応することが可能であるし、実際そうしてきたところだ。しかし、コラム#195については、上梓以来、二年半弱の間、創価学会員云々についてはもとより、いかなるミスの指摘もなく、読み返したことすら一度もなかった。)

 よってこれだけでも、コラム#195に係る私の思いこみによるミスには、不法行為を成立させるような故意過失はなかった、と言えそうだ。 

 より重要なのは以下の点だ。

 私が典拠とした本の主旨が、第一に、原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」(訴状より)作為不作為があったことを指摘するとともに、第二に、原告らの作為不作為の陰に創価学会ないし創価学会員の姿が見え隠れしていることを示唆するところにあることは、私が既に引用した箇所からだけでも明らかであろう。

 そうである以上、私によるこの本の要約紹介は、部分的にミスはあったものの、本の主旨に基本的に沿ったものであったと言えよう。

 よって、私のミスには、不法行為を成立させるような故意過失はなかった、と考える。


 5 真の論点


以上、この裁判に関し、名誉毀損に係る一般論と、私が典拠とした本の要約紹介に係る問題とを記してきたが、この裁判の真の論点は、この本が記述するところの、原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」(訴状より)作為不作為があったとの指摘、を私がコラムで紹介したことが、「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」(同じく訴状より)かどうかであろう。

結論的に言えば、ノーだ。

1995年9月に朝木市議転落死事件が起こって以来、私が典拠とした本が出版され、これを受けて私がコラム#195を上梓した2003年11月までの8年余だけをとっても、この本に言及されているだけで、TBSの『ニュースの森』(1995年10月)(190頁)、米『タイム』誌(95年11月20日号)(196頁)、『週刊新潮』(96年4月26日号)(203頁)、『月刊宝石』(95年9月号)(217頁)、『週刊朝日』(217頁)、『週刊現代』(95年9月23日号)(244頁)が、この本と同じ主旨で転落死事件(と万引き事件)を報じているほか、95年11月7日の前出の衆院での質疑応答があり、2002年3月28日には、原告の言い分に沿った記事を掲載した『潮』(95年11月号)をめぐる、前出の裁判の東京地裁判決が出ている。

その上、1996年5月には、私が典拠とした本とほとんど瓜二つと言ってよい、これまた前出の乙骨正生「怪死―東村女性市議転落死事件」(教育史料出版会)が出版されている。(この本の253頁から、前出の『文藝春秋』が、1995年11月号であるらしいこと、及び、この『文藝春秋』掲載の記事も、私が典拠とした本と同じ主旨の記事であったことが分かる。)

現在調査中だが、当然1995年9月以降、ネット上でも盛んに本事件が取り上げられ、その多くが、私が典拠とした本と同じ主旨のものであったであろうことは、想像に難くない。

つまり、「原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」・・作為不作為があったとの指摘」は、あらゆるところでなされてきており、2003年11月時点では、既に公知の事実になっており、「原告<等>の職務遂行についての社会的評価<は既に>いたく低下せしめ<られてい>た」、と言うべきだ。

そうである以上、私のコラム#195は、単に、既に公知の事実となっていたところの、「原告らに「警察官<等>としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせる」・・作為不作為があったとの指摘」を行う媒体がもう一つ新たに出現した(出版された)ことをネット上で知らしめた、というだけの意味しかないのであって、「原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた」ことなど、全くないと言うほかない。

太田述正コラム#1185(2006.4.15)

<裁判雑記(その4)>

まず、副署長らを創価学会員と誤解したことに、重大な過失・・社会通念上の用語として用いている・・があったとは考えていない理由を申し述べたい。

以下の本の記述の抜き書きを参照してほしい。

ちなみに、文中に登場する「万引き・・事件」とは、1995年6月19日に発生したとされる(ここだけ、乙骨正生「怪死 東村山女性市議転落死事件」(教育史出版会1996年5月)65頁による)朝木明代市議「万引き」事件のことを指し、「転落死事件」とは、1995年9月1日??2日(13??21頁)に発生した朝木明代市議転落死亡事件を指す。

(一)副署長と創価学会との癒着を示唆する記述(例示)

 「母<(後に転落死することになる朝木明代市議。私が典拠とした本の共著者の一人の母親)>を犯人扱いした「万引き冤罪事件」でも、東村山警察のxx副署長は、「万引き事件の捜査は、私が直接指揮を取った」と胸を張り、「絶対にクロだ、自分の首をかけてもいい」と言い切っているのだ。

そして、母が、事件に関する正式な調書もないまま、”だまし討ち”のような方法で「書類送検」したその当日には、古顔の創価学会信者のxxという市議が、東村山警察の所長室でxx署長やxx副署長と面談しているところが目撃されている。」(73??74頁)、「「万引きねつ造疑惑」・・『事件』<の>「書類送検」当日、創価学会信者の古手市議xx「副議長」が東村山警察の所長室で署長・副署長と「密談」していたのを目撃された。」(118頁)、「7月12日、<万引き事件の>『書類送検』は午後におこなわれた。が、その前に、xx副署長が、創価学会党の古参市議で副議長のxxという人物を署長室に招きいれて、xx署長、副署長と話しこんでいた。」(234頁)

「東村山警察幹部すなわちxx副署長の談話をもとに書かれた『潮』<(創価学会系の総合雑誌)><の記事>は、「万引き冤罪事件」について、母が話してもいない内容の調書、それも署名、捺印のないものが「正式な『供述調書』として、今も地検にある」と断定した記事を掲載している・・。

しかし、この・・『潮』の名誉毀損記事裁判・・でxx副署長の供述を裁判所が断罪することになる」(133頁)、「判決書42頁で・・はっきりと「xx<(副署長)>の供述は信用することができない」と断罪している・・」(264頁)

「物的証拠は全くなかった。朝木議員と「万引き」とは繋がるものは何一つなかった。商品を取り戻し、実害もない。しかし女店主は「動かぬ」証拠もないのに、警察に訴え出た。朝木議員を名指しでだ。しかも、「動かぬ証拠」もないのに、東村山警察は必死に動き、「書類送検」までしたのだ。だが、書類送検は、<創価学会員である>xx検事が・・指示したとxx副署長が語った。」(221頁)、「『月刊宝石』は、「万引き冤罪事件」の舞台の用品店の女店主の夫に取材している。

「創価学会の信者ですか?」 この人物は、次のように答えた。「違います。私は恥ずかしいことだけど不信心・・(妻は)確か真言宗だたよな」・・女店主は頷かなかった。夫の方は、唐突にこう続けた。「聖教新聞<(創価学会の機関誌)>はとっていたことがあります。・・」(218??219頁)

(二)副署長が創価学会員であることをも示唆しているとも受け取れる記述

「<1995年>11月7日の衆院・宗教法人特別委員会・・で朝木明代の<転落>事件は取り上げられた。・・

質疑応答(収録ビデオから)

(質問者)熊代・衆院議員(自民党)

 先程、東村山市の問題が出ました。・・亡くなりました朝木明代市議は、同市では市議会、市職員、それに警察署員に創価学会の方の比率が、相当に高い、ということを批判し、その癒着、業者との癒着、あるいは採用における癒着を批判しておられたということでございます。

先程、船田先生から権威のある雑誌であるとご評価頂きました「文藝春秋」の今月の11月号に載っております。私が問題にしたいのは、人が事件死した場合に・・は・・まず他殺を疑って、とことんそれを調べ・・そしてそれを潰していって初めて自殺という結論に達するんです。ところが、この東村山署は、殊に副署長さんというふうに言われておりますが、直ちに『自殺説』を出して、頑張っていると聞きます。・・『ナアナア主義』で正義を明らかにする情熱に欠けているんではないか、そんなふうに思われます。」(193??194頁)

 「すでにお気づきのとおり、東京地検八王子支部に、創価学会幹部信者のxx検事が支部長として着任したのは1995年4月、東村山警察にxx副署長が異動になったのは同じ1995年2月、いつも当直の時に事件が起きる東村山警察のxx盗犯二係長の異動も同じ1995年2月・・」(206頁)

このような記述から、私は、副署長は創価学会員であると本に記述してある、と思いこんでしまったようだ。

太田述正コラム#1184(2006.4.15)

<裁判雑記(その3)>


4 コラム#195の記述の問題点

 (1)不正確であった要約紹介

 以上の反論は、いわば一般論だが、私による上記の本の要約紹介内容に不正確な点があったことは否定できない。

 私による要約紹介は、以下の通りだ。

1 東京都東村山市は、創価学会の勢力が強いところで、市議26名中、(建前上はともかく創価学会の政治部以外の何者でもない)公明党は6名で、自民党の7名等とともに与党を構成しています。

2 明代市議は、議員活動の一環として創価学会脱会者の支援や人権侵害の被害救済活動を行っていたことから、東村山市の創価学会員や公明党市議らと緊張関係にありました。このような背景の下で、1995年に明代議員を被疑者とする万引きでっちあげ事件が起こり、更にその直後に明代議員殺害事件が起こったのです。

3 当時捜査当局によって、昭代市議は万引きの被疑者として送検され、また、昭代議員のビルからの転落死は万引き発覚を苦にしての自殺と断定されてしまいます。

4 ところが、所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また、捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。

昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。

5 しかし、彼らの画策したでっちあげや隠蔽工作は、この本の著者達やマスコミによって、創価学会の執拗な妨害を受けつつも、徹底的に暴かれ、社会の厳しい批判に晒されることになります。

6 なお、明代市議の殺人犯はまだつかまっていません。

 (番号は、便宜上、今回付した。)

 しかし、再度、この本を読み返してみたところ、副署長と刑事課員が創価学会員であった旨の記述はなかった。

 よって、今にして思えば、上記中の4は次のように記述されるべきだった。

4 これは第一に、転落死事件を担当した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事が二人とも創価学会員であったところ、昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったからであり、第二に、この地検支部の捜査指揮を受ける立場の所轄の村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、村山市の創価学会関係者への配慮や上記地検支部長及び担当検事への配慮を、公僕としての義務より優先させたからである、と思われます。

 (2)私の見解

 しかし、私は、私が副署長らを創価学会員と誤解したことに、重大な過失があったとは考えていないし、そもそも、副署長が創価学会員であろうとなかろうと、上記要約紹介全体の主旨が変わるわけでもないと考えている。

以下、それぞれについて、説明したい

太田述正コラム#1182(2006.4.14)

<裁判雑記(その2)>

 (本件で、私の呼びかけに答えて、ホームページの掲示板に投稿された「不正排除」さんと小坂亜矢子さん、それにメールをいただいた4名の読者の方々に、深く御礼申し上げます。)

 すなわち、このコラム(#195)の主旨が、公明党批判という公共的事項についての論評であることはさておき、コラムの導入部において、警察と検察という捜査機関(=公権力の行使に関わる公務員)の捜査ミス(=公務執行に係る瑕疵)疑惑に係る本の内容の紹介を行ったことは、公共的事項についての(公的活動とは無関係な私生活暴露や人身攻撃にわたらない)論評であって違法性を欠くと考えられることだ。

時あたかも1999年に発生した会社員リンチ殺人事件についての4月12日の宇都宮地裁判決は、栃木県警の捜査ミスと死亡の因果関係を認めたところだが、近年、捜査機関の作為または不作為による捜査ミスに対する、犯罪被害者、ひいては世論の姿勢は厳しさを増しており(http://www.tokyo-np.co.jp/00/sya/20060412/eve_____sya_____008.shtml。4月13日アクセス)、女性東村山市議転落死亡事件(以下、「東村山事件」という)についての捜査機関の捜査ミス疑惑を紹介することの公共性は高かったと言えよう。

ちなみに、「2 訴状の核心部分」ではオミットした部分で、原告は、「女性市議の・・転落死はほぼ自殺と判断され警察及び地検の捜査は・・終結している」と記しており、「ほぼ」という言葉を用いている以上、東村山事件が他殺によるものであった可能性があることは、原告自身が認めているところだ。

この際、以下の二点を付言しておきたい。

第一点は、以上記したことは同時に、私のこのコラム執筆公表の目的が、もっぱら公益を図るため(=一般市民の「知る権利」行使に資するため)であることを裏付けていることだ。しかも、私のコラムはすべて、無償で公開されており、私はコラム執筆公表によって何ら金銭的利益を得ていない。

そうである以上、このコラム(#195)執筆公表の目的の公益性は明らかであり、かかる観点からも、このコラムの導入部の記述は違法性を欠くと考える。

第二点は、このコラムの導入部の記述の真実性を調査することは私には事実上不可能であった上、そもそも私はその内容を真実と信じる相当の理由があった、ということだ。

私には部下はおらず、協力者もほとんどいないため、執筆材料の独自取材は原則として行わないこととし、もっぱらインターネットと公刊書籍に依拠して執筆している。その私が、インターネットや公刊書籍の記述の真実性を調査することは不可能に近い。

また、このコラム(#195)導入部が典拠とした本は、東村山事件を対象に、言及された捜査関係者から名誉毀損で訴えられたり、関係捜査機関によって報復的に微罪を追及されたりする懼れがあるにもかかわらず、転落死した東村山市議の同僚市議(公選された公務員)2名によって執筆され、歴とした出版社(第三書館)によって出版されたものであり、本の内容において、私が知っている事実に関し誤りがなかったこともあり、私としては、本の他の部分も真実性が高い、と判断するる相当の理由があったと今でも思っている。

なお、前述したように、(自発的にあるいは裁判等によって、絶版にされることなく、)この本が現在もなお市場に出回っていることは、私の当時のこの判断の妥当性を事後的に裏付けるものであると考える。

 (以上、用語や論理構成については、幾代通「不法行為」(筑摩書房1977年)87??92頁を参考にした。)

太田述正コラム#1180(2006.4.13)

<裁判雑記(その1)>

1 始めに

 私に対して提起された裁判について、訴状に対する私の反論を整理する作業を現在行っているが、この作業の状況をご披露する。読者の皆さんのご批判やアドバイスをどうぞ。

2 訴状の核心部分

 元東村山署副所長たる原告による訴状の核心部分は、次のとおりである。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 ・・・・

 2 被告の不法行為

被告<(太田)>は、2003年11月26日にインターネットの本人のホームページで、・・女性市議に対する万引(窃盗)事件はでっちあげで同市議の転落死は殺人である、捜査及び広報の責任者である副所長すなわち原告は創価学会員であると断定し、続けて、殺人犯人は創価学会関係者であったことから原告が組織防衛を図るために万引き事件をでっちあげ殺人事件を隠蔽したとの記事を掲載した。

 この記事を見た一般の読者は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっちあげ、殺人事件を隠蔽した」との印象を持つものである。

 よって、被告は、「創価学会員の原告が万引き事件をでっちあげ、殺人事件を隠蔽した」との事実を摘示し、もって原告の警察官としての職務能力、中立性、忠実性などを疑わせ、原告の職務遂行についての社会的評価をいたく低下せしめた。」


3 被告の責任

 被告は、本件記事を掲載した者として、原告の蒙った損害の賠償の責任を負う。


4 損害

 原告は創価学会員ではなく、万引(窃盗)事件を捏造し、殺人事件を隠蔽した事実は一切ないのであり、記事の虚偽性は明白である。また、事実を捏造してまでして原告を陥(ママ)めようとした極めて悪質な記事である。かかる虚偽性のある悪質な被告の行為により原告が蒙った損害は甚大であり、これを金銭的に評価すれば140万円を下らない。

5 結論

 よって、原告は被告に対し、民法第709条に基づく損害賠償として、・・記載の通りの金員の支払いを求める。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

3 私の反論


 原告が問題にしている私のコラム#195(以下、「コラム」という)の大部分は、コラム冒頭で言及した一冊の本(矢野穂積・朝木直子「東村山の闇」第三書館)の内容を私が要約・紹介したものに過ぎない。

コラムの終わり近くに「(以上、特に断っていない部分は矢野・朝木 前掲書により)」と記されていることからも、このことは明らかであるし、コラム中のどの部分がこの本の要約・紹介であるかも分かるようになっている。

 原告は、コラム中のこの本の要約部分に「虚偽性」があり、原告本人の「社会的評価をいたく低下せしめた」と主張しているところ、この本の著者または出版社を追及するのならともかく、この本の内容の単なる要約・紹介者に過ぎない私を追及するのは筋違いである。

 (ちなみにこの本は、現在も引き続き販売されている。例えばhttp://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4807403338/249-3757603-8711569(4月12日アクセス)参照。)

 仮に、発言や出版物において引用した本等の内容の非虚偽性(真実性)について、引用した者が証明しなければならない、ということになれば、世上のほとんどの発言や出版ができなくなり、表現の自由は有名無実になってしまうだろう。


 仮にこの反論が通らないとしても、私は下記の理由から、民法第709条(不法行為)に基づく損害賠償責任を負わないと考える。

太田述正コラム#1177(2006.4.11)

<太田述正コラムをめぐって>

1 コラム講読状況

 ホームページの掲示板にも掲げましたが、

 06/03/10 10:07:57 - 06/04/10 11:04:55の太田HPへの訪問者数は、28,635人でした。先月(06/02/10 10:26:37 - 06/03/10 10:07:56)の26904人はもちろん、前々月の27,263人(過去最高)を上回り、新記録を達成しました。(HPへの累計訪問者数は、652,255人です。)

 他方、太田ブログ(http://blog.ohtan.net/)への月間アクセス数は、先々月の4,633、先月の萬晩報効果の約9,500を経て、7,764(ただし、06/03/11 00:00:00??06/04/10 24:00:00)でした。

 この訪問者数とアクセス数の単純合計で比較すると36,399人となり、過去最高であった先月の約36,400人とほぼ同じ水準を維持しました。

 先月急増したブログへのアクセス数の相当部分が、HPへの訪問者数に振り替わったという印象です。

 (なお、メーリングリスト登録者数は1347名と、先月から6名の増加にとどまりました。)

 このように、本コラム愛読者の裾野は着実に広がりつつあるものの、その歩みは余りにも遅いと言わざるをえません。

 何度もお願いしていることですが、皆さんがもっと投稿されたり、あるいはコラムを執筆してくださること等によって、本コラムを一層盛り立てていただくことを願ってやみません。

2 訴訟提起さる

 歯に衣を着せぬ内容のコラムを書いてきているだけに、いつかはこういうこともあろうかと思ってはいましたが、訴訟を提起されてしまいました。

 コラム#195(2003年11月26日付)は、ある創価学会批判本を紹介するとともに、若干の私見を付け加えたものですが、本の内容の紹介をした箇所に、「所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また、捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。

昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。しかし、彼らの画策したでっちあげや隠蔽工作は、この本の著者達やマスコミによって、創価学会の執拗な妨害を受けつつも、徹底的に暴かれ、社会の厳しい批判に晒されることになります。」というくだりがあります。

この「東村山警察署・・副署長・・<及び>刑事課員・・東京地検八王子支部の支部長及び担当検事」の4名中の副署長(当時)から、名誉毀損だとして140万円の損害賠償を求める訴訟を東京簡裁に提起されたのです。(公判期日は5月9日です。)

 ちなみに、原告は、創価学会員ではないと主張しています。

 簡裁からは、公判期日以前に答弁書を提出するように求められており、上記の本(現在手元にない)に再度目を通してから、答弁書を書こうと思っています(注)が、この東村山「事件」のその後のてんまつ、等について情報をお持ちの方は、その情報について、(典拠を付して)ぜひ投稿やメールで私にお教えいただきたいと存じます。(メールの場合は、公表はいたしません。以下同じ。)

 (注)ポイントは、一:原告が名誉を傷つけられたとしている箇所は本の内容の紹介であること、二:本の内容の紹介は、公党批判・・高度の公益性あり・・を行うためのマクラであること、三:捜査機関の業務執行に係る疑惑を紹介することには公益性があること、四、原告はこれまで私の上記コラムに関し反論や名誉回復を全く試みずにいきなり訴訟を提起したこと、等だと考えている。

なお、簡裁レベルであることもあり、当面弁護士をつけずに本人弁護で対応しようと思っていますが、そのことを含め、お気づきの点やご意見があれば、やはり投稿かメールでお寄せください。

太田述正コラム#0206 (2003.12.12)
<私のホームページをめぐって(2)>

掲示板で既にお知らせしたように、私のホームページへの11月から12月にかけての一ヶ月間(11日??10日)の訪問者数は5,783名と、その前の一ヶ月間に比べて一挙に1,200名以上増えました。これで、一昨年4月のホームページ開設以来の累計訪問者数は7万人を超えました。
(その割には、メーリングリスト登録者数は伸びていませんが、合わせて347名になっています。)

またこのところ、掲示板への投稿が増えてきています。
台湾「独立」問題や自衛隊イラク派遣問題等で、私との問答だけでなく、読者の皆さんの間でも白熱した議論が行われることを期待しています。

なお、二箇所のサイトで、私のコラム#195(創価学会について書いたもの)が話題になっていたのでご紹介しておきます。

―第一のサイト??
<あっしら>
・・宗教的組織にカルトというレッテルを貼って断罪することを好みません。断罪された組織がそうではないからというわけではなく、カルトだっていいんじゃないと思っているからです(笑)私自身は、創価学会をこころよく思っていませんが、それはカソリックなどをこころよく思っていないのと同じレベルの話です。 ところで、濃淡の違いはあるとしても、太田さんが上げているカルトの定義に該当しない"活動的"組織を探すほうがたいへんじゃないかなと思います。
[カルトの定義]
 (1)精神的な動揺を与えて入会させる:宗教に限らず、自己啓発セミナーや革命組織だって、現状のままでいいのか?このままではダメになるぞ!死後に厳罰が待っている!などの言動で精神的な動揺を与えています。逆に、現状に満足していたり、死も恐れない人は、ことさら新しい組織に入ることもないでしょう。
 (2)会員をそれまでの環境から断絶させる:これまでの生活ではダメというのが入会動機であれば、濃淡の違いはあっても、それまでの環境を変えるために断絶とも言える変化があるのは当然です。とりわけ、組織が指示する活動に従事したり。
 (3)会員に法外な金銭を要求する:どういう基準で法外かどうかの判断をするかは別として、金銭を要求する組織はゴマンとあります。
 (4)反社会的言論や裁判沙汰が多い:宗教団体や政治組織は、個人の在り方だけではなく社会の在り方に異議を唱えるところが多いはずですから、多数派の目に照らせば"反社会的"ということになるのは仕方ありません。「反社会的言論や裁判沙汰が多い」のは、それだけアクティブな組織だとも言えます。
(5)公権力への浸透を図る:政治組織は当然のことですが、国家社会を自分たちが望ましい方向に動かしたいと考えている組織が公権力への浸透を図るのは当然のことです。    カソリックは諸王や皇帝の叙任権まで握っていたのですから、この部分では最高のカルトです。
創価学会を批判するにしても、カルト定義に拠るのではなく、思想や理論を取り上げてやって欲しいものです。共産党もよその組織はよくわかるようで、創価学会批判をしていますが、創価学会という文字を共産党に置き換えてみると参考になると思っています。(それでもわからないんでしょうがね)
http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/740.html

<エンセン>
あっしらさん、こんばんわっす。
>宗教的組織にカルトというレッテルを貼って断罪することを好みません。
>断罪された組織がそうではないからというわけではなく、
>カルトだっていいんじゃないと思っているからです(笑)
こういった、あっしらさんの考え方(私の想像していない考え方)、私は好きです(笑)
私の仲のいい知人等には、どこかの宗教団体に入っている人がいませんので、詳しい宗教団体の性質が目にした情報からしか分かりませんし、そこからの想像でしか捉えていませんが、基本的にはそのような存在が大嫌いです。そのような組織に身を寄せる人の気持ちもよく理解できていません。また、どこかの宗教に勧誘された経験もありません。興味もありませんしね。かといって、創価学会員とかを個人的に憎んでいるとかの感情も持っていません。好きにすればいいという冷たい感情しか抱いていないようです。あと、公明党も自民党も民主党も、同じ政治家というレベルでしか私は見ていませんので、公明党からもし総理大臣が生まれても小泉首相と大して変わらないとも思っています。私の目線では小泉も菅も神崎も小沢もみんな同じ政治家という、まったく信用できない人間でしかありません。私なら創価学会にだけ「カルト」というレッテルを貼るんじゃなくて、自民党にも民主党にも共産党にも全ての政党に「カルト」というレッテルを貼ってあげたいと思います(笑)政治家って全員ではありませんが、殆んど同じような目をしています。信用できない目です。目を見ればある程度はどのような人間かは判断できると思っています。あっしらさん、また面白い見方をご披露してください。ありがとうございました。
http://www.asyura2.com/0311/senkyo1/msg/745.html

―第二のサイト??
<名無しさん@お腹いっぱい>
東村山デマ。「さとりん」レベル。 世の中の頭脳を知れよ。世の中は絶対に相手にしないよ。話が「さとりん」レベルだから(藁)。・・こんなデマ本まったく読む価値なし。俺は入手しないね。たぶん、矢野氏はまともな人に相手にされない四面楚歌状態のことは徹底的に隠してるんだろ本の中で。東村山市でまじめにレンガ積んだ人が偉いんだよ。矢野氏のようにろくに働かない人よりね。そしてこのスレの1がそうなように、実はさとりんしかいないんだわ、矢野氏の側には。四面楚歌隠しにだまされて太田述正さんがこの本に反応したけど、東大→上級試験の彼はさとりんを知ったら考え直し後悔するだろう。損したと。返す返すももしさとりんってどんな人ということになったら、矢野氏はさとりんをひた隠しにするくせに。矢野氏はさとりんのマブダチということで終わりなんだよ。ざまあみろだね。

<禿げのサトリン粘着を確かめる会 >
久しぶり登場のおばか喪家のフリしちゃって・・なっ、雑魚喪家工作員、そうだっ、藻前だよっ、禿げ、
>四面楚歌???
藻前、『東村山の闇』スレ、読みもしないで、ノコノコでてくっな、藻前、ノヨウナヤツ、破廉恥つう、の。『闇』読んでれば、東村山市民でなくってもな、朝木市議が4回連続トップ当選、矢の市議も連続当選くらいの情報は知ってるのさ。モグリの東村山市民のフリ、してもっ、ダメなのよクソ禿げ、ひっこめ。
http://216.239.53.104/search?q=cache:tMBH5hF42YsJ:society.2ch.net/koumei/+%E5%A4%AA%E7%94%B0%E8%BF%B0%E6%AD%A3&hl=ja&ie=UTF-8

今次総選挙と日本の政治(補足1)

 コラム#184と185でいささか日本の政治を持ち上げすぎました。日本の政治は、二つの深刻な問題点を抱えており、このままで日本の政治が世界の範例となることはありえないでしょう。

1 キャスティングボードを握っている公明党

 矢野穂積・朝木直子「東村山の闇―「女性市議転落死事件」8年目の真実」(第三書房2003年11月)を読みました。著者のお二人はともに東村山市議であり、殺害された「女性市議」朝木明代さんの同志と娘さんということで、怒りがみなぎった筆致となっており、繰り返しも多く、ちょっと読みづらい本です。

しかし、書かれている内容はこの上もなく重いものです。 1995年に起こったこの殺人事件については、当時マスコミで相当話題になり、国会でも取り上げられたので、ご記憶の方も少なくないと思います。

 東京都東村山市は、創価学会の勢力が強いところで、市議26名中、(建前上はともかく創価学会の政治部以外の何者でもない)公明党は6名で、自民党の7名等とともに与党を構成しています。

 明代市議は、議員活動の一環として創価学会脱会者の支援や人権侵害の被害救済活動を行っていたことから、東村山市の創価学会員や公明党市議らと緊張関係にありました。このような背景の下で、1995年に明代議員を被疑者とする万引きでっちあげ事件が起こり、更にその直後に明代議員殺害事件が起こったのです。

当時捜査当局によって、昭代市議は万引きの被疑者として送検され、また、昭代議員のビルからの転落死は万引き発覚を苦にしての自殺と断定されてしまいます。

 ところが、所轄の東村山警察署で転落死事件の捜査及び広報の責任者であった副署長も、彼の下で捜査を担当した刑事課員も、また、捜査を指揮した東京地検八王子支部の支部長及び担当検事もことごとく創価学会員だったのです。

 昭代市議をビルから突き落として殺害した人間は創価学会関係者の疑いが強かったため、彼らは公僕としての義務よりも創価学会への忠誠を優先させ、創価学会の組織防衛に走ったと思われます。

 しかし、彼らの画策したでっちあげや隠蔽工作は、この本の著者達やマスコミによって、創価学会の執拗な妨害を受けつつも、徹底的に暴かれ、社会の厳しい批判に晒されることになります。

 なお、明代市議の殺人犯はまだつかまっていません。

 創価学会は、1996年にフランスの国会の委員会がとりまとめた報告書において、フランス国内最大規模のカルト(cult)(注1)と名指しされています(注2)。

 (注1)カルトの定義は確立しているとは言い難いが、’An organization
    that uses intensive indoctrination techniques to recruit and
    maintain members into a totalist ideology’(http://www.ex-
    cult.org/General/cult.definition。11月25日アクセス)でいいのではないか。この定義の中に「宗教」という言葉が出てこない点に注目されたい。ちなみに、手元にあるコンサイス等の日本の英和辞典には、あさっての方を向いたとぼけた訳語しか載っていない(太田)。

 (注2)この報告書では、カルトとは、次の5点をみたす団体だとしている。
    (少し手を入れた(太田)。)
   (1)精神的な動揺を与えて入会させる
   (2)会員をそれまでの環境から断絶させる
   (3)会員に法外な金銭を要求する
   (4)反社会的言論や裁判沙汰が多い
   (5)公権力への浸透を図る

 (以上、特に断っていない部分は、矢野・朝木 前掲書より)

 こんな創価学会すなわち公明党が、1993年、非自民連立政権の下で初めて政権の一翼を担い、1994年には創設メンバーとして新進党に合流し、1999年からは死に体の自民党を与党として支える、という具合に日本の政治のキャスティングボードを握っています(注3)。

 (注3)公明党自身が、自分のホームページで、「1998年<に>政策の決定権
   (キャスチングボート)だけでなく、日本の政治の決定権を握ること
   になった」と高らかに宣言している(http://www.komei.or.jp/about/
   history/index.htm。11月25日アクセス)。

 背筋が凍るような話だとお思いになりませんか。

 (次回は、「2 55年体制の残滓」です。)

千葉英司さん東村山警察署の元副所長

東村山警察署の副署長の千葉英司さん、に告訴され訴訟の担当弁護士から連絡があり控訴を棄却するという判決がくだりました。

つまり、太田述正に50万円の損害賠償を命じた原判決が維持されました。

  大変不服ではあるけれど、展望が開けそうもないので、上訴は断念いたします。

東村山市議殺害事件とは壱
東村山市議殺害事件とは弐
東村山市議殺害事件とは参

東村山警察署の副署長として東村山市議転落死事件と万引き事件捜査を陣頭指揮した千葉英司に告訴された理由


朝木明代が万引き事件をおこした洋品店を襲撃する暴徒が、朝木明代の万引き事件と朝木明代の転落死事件を陣頭指揮した東村山警察署元副署長の千葉英司さんを、お店の店主と勘違いして罵倒するが、朝木明代が万引き事件の舞台になった洋品店をまもるため、命懸けで暴徒を追い返す、朝木明代の万引き事件と朝木明代の転落死事件を陣頭指揮をした、東村山警察署元副署長の千葉英司さんの動画。

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