太田述正コラム#9443(2017.11.5)
<石野裕子『物語 フィンランドの歴史』を読む(その2)>(2018.2.18公開)

2 フィンランドの歴史

 「フィンランド語はエストニア語に最も近く、ハンガリー語には最も遠い<けれど、>・・・<この3つとも、>フィン・ウゴル語系<(注2)に属す言語である<ところ、>・・・「アジア系」ではない。・・・

 (注2)「シベリア北部の・・・サモイェード<人>・・・がほぼモンゴロイドであるのに対してフィン<人>・・・の話者はモンゴロイドとコーカソイドの混合であり、特に<エストニア人>・・・は完全なコーカソイドに近い。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%B4%E3%83%AB%E8%AA%9E%E6%B4%BE

 <他方、>北欧四国(スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、アイスランド)の言語<は>インド・ヨーロッパ語系に属している・・・
 <ちなみに、>フィンランド人<(注3)>の遺伝子は他のヨーロッパ人と<は>異なる<ことが2016年に判明している。>」(4)

 (注3)「フィンランド<国民>の圧倒的多数はウラル語族のフィン人であるが、ゲルマン語派に属するスウェーデン系やサーミ人<(ラップ人)>も居住している。・・・作曲<家の>シベリウスはスウェーデン系である。・・・
 フィン・・・人はフィンランド・・・では「スオミ人」と呼ばれ、国外のスウェーデンやロシア連邦などにいるフィン人なども含まれる。東方から移動してきたフィン人は1世紀以降エストニア方面から現在のフィンランドへと断続的に侵入してきた民族とみられ、先住民であるサーミ系の人びとを追うかたちで北進した。また、ロシアにおけるフィン人は「カレリア人」の名で呼ばれることが多い。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%BA

⇒「フィンランド人・・・の遺伝子は他のヨーロッパ人と<は>異なる」ということが、フィンランド人はモンゴロイドとコーカソイドの混血であるのに対し、ヨーロッパ人はコーカソイドである、という意味なのかどうか、よく分かりません。(太田)

 「南西フィンランドは12世紀にはすでにスウェーデンの影響下に入ったと推測される。
 他方で東部のカレリアなどはノヴゴロド<(注4)>の影響下にあった。

 (注4)「862年スウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)のノルマン人・ルス族(ロシアの語源)が首長リューリク(?〜879年)に率いられてノヴゴロドを占領し、スラヴ人を征服してロシア最初の国家を建設した。このことから、ロシア建国の地とも目されて<いる。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%B4%E3%82%B4%E3%83%AD%E3%83%89

 つまり、この時期フィンランドは東と西の両方から文化的影響を受けていたことになる。
 スウェーデン<による>統治はフィンランドのキリスト教化とともに進展した。・・・
 スウェーデンのウップサーラ司教であったイギリス人のヘンリク<(注5)>が、スウェーデン王エーリク<(注6)>の率いる・・・1155年頃に行われたとされる・・・十字軍遠征に付き添い、フィンランドにやってきた<が、>・・・「異教」を信仰する現地の農民ラッリ<(注5)>がヘンリクを殺害<し、>・・・ヘンリクは、のちにオーボ(トゥルク)の守護聖人に列挙され<た、と言われてい>る<ところ、これは>・・・伝説の域を出ない・・・

 (注5)ヘンリク(Henry)もラッリ(Lalli)も、実在したのかを含め、不明。
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_(bishop_of_Finland)
 (注6)Eric IX of Sweden(?〜1160.国王:1156?〜1250年)。エリックについても、実在したのかを含め、不明。
https://en.wikipedia.org/wiki/Eric_IX_of_Sweden

⇒フィンランドもそうですが、スウェーデンでさえ、12世紀半ばになっても、まともな史的記録一つ作られることがなかった、ということであり、地理的な意味での欧州の辺境地域、というか、地理的な意味での欧州そのもの、の、支那に比べての、著しい後進性が分かろうというものです。(太田)

 イギリスの歴史学者デイヴィッド・カービ−<(注7)>が指摘するように、この伝説には「野蛮な」フィンランド人と「教養ある」西洋人という対比が見出され、フィンランド人が「教養ある」西洋人に出会ったことで、文明化していくという話につながっていく。」(15〜17)

 (注7)David Kirby(1942年〜)。現在、ロンドン大の一部になっている、School of Slavonic and East European Studies in Londonの教授だった。北欧、バルト海地域の歴史専攻。
https://en.wikipedia.org/wiki/David_Kirby_(academic)

⇒すぐ上で記したように、フィンランドは、その「開化度」において、紛れもなく「西洋」に位置づけられていたスウェーデン、と、大差なかったようであることを踏まえれば、この伝説は、むしろ、少なくとも、ヘンリクやエリックが(地域カトリック教会によって?)列聖された(?)とされる頃までには、「西洋」、すなわち、地理的な意味での欧州、において、イギリスの先進性イメージが確立していたことを示唆するものである、と言えそうに私は思うのですが・・。(太田)

(続く)