太田述正コラム#9403(2017.10.16)
<アングロサクソンと仏教--英国篇(その5)>(2018.1.29公開)

 これら全ての諸議論・・要約すれば、釈迦が「真理に立脚した形而上学ではなく任務に立脚した倫理」を教えた・・は、鍵となる正典たる(canonical)諸文献と諸用語の注意深く、学識ある、そして、しばしば成程と思わせる、諸分析、によって裏付けられている。・・・
 <もっとも、>我々が、<これら正典群から、>釈迦が輪廻や先験的涅槃を信じていたことを示唆する諸くだりを除外すれば、残るのが、著者の倫理的実際主義であることは<容易に>予想しうるところだ。
 より基本的には、私としては、仏教の諸起源についての歴史的研究(research)は非常に貴重ではあるけれど、「真の」釈迦とダルマの探求は、見当違いで無益な試み(exercise)である、と主張したい。・・・
 著者と我々は、たくさんの諸顔と諸声を持ち、時代、文化、そして、個人的傾向(inclination)に応じて変化する釈迦と共に生きることができないものだろうか。
 我々と同じようには、見えず、また、語らない、そして、このまさに<我々との>違いによって、我々自身の現代のイデオロギー的、かつ、道徳的な独りよがりに挑戦する、釈迦を、我々は受容できないのだろうか。」(α)

⇒全くそうは思いません。
 私は、本来の釈迦の考え、教え、を突き止めることは、インド哲学者/歴史学者の手になる更なる研究に期待されるところであり、日本の鎌倉仏教各派が共同出資して世界の学者にそれを促すべきだとさえ思います。
 それは、日本の鎌倉仏教各派にとっては、(私見ではヒンドゥー教と多かれ少なかれ混淆してしまっている)南伝仏教、(念的瞑想を欠いている)北伝仏教、(北伝仏教でありながら念的瞑想を復活した)チベット仏教、に加えて、本来の釈迦の考え、教え、に最も忠実な、人間主義教とも言うべき日本の仏教、とりわけ鎌倉仏教、という新たな位置づけを正当化し、それが国際的認知を(鈴木大拙以来)改めて受けることにつながるであろうことが期待されるからです。
 それはまた、私にとっては、世界に対し、日本文明を理解させ、普及することに大いに資するであろうことから、世界にとって、嘉すべきことなのです。(太田)
 
3 終わりに代えて(米国篇・英国篇共通)

 (1)マインドフルネス瞑想批判

 この本は、米国を中心に世界を席巻している、マインドフルネス瞑想の原理的な批判にも事実上なっているわけですが、米国内からも、マインドフルネス批判の声が挙っています。
 但し、それはマインドフルネス瞑想を功利的に捉えすぎているという批判であり、原理的な批判とは必ずしも言えません。
 (フロリダ州立大学の心理学教授のトーマス・ジョイナー(Thomas Joiner)は、「自助流行(self-help trend)がいかに良い観念を歪めて(warp)してしまったか--マインドフルネス<瞑想>は、かくも利己的でなかったならば、あなたにとって良いことなのだが・・。」と題するコラムをワシントンポストに寄せている。↓
https://www.washingtonpost.com/outlook/mindfulness-would-be-good-for-you-if-it-werent-all-just-hype/2017/08/24/b97d0220-76e2-11e7-9eac-d56bd5568db8_story.html?hpid=hp_no-name_opinion-card-f%3Ahomepage%2Fstory&utm_term=.9e2b9b388a9e
(10月10日アクセス))
 この限界のよってきたるゆえんは、英国・・正しくはイギリス・・が人間主義的社会であるのに対し、米国が非人間主義社会であるからだ、と、私には思えてなりません。

 (2)天皇のもう一つの片肺飛行

 天皇が、本来は文武両道(縄文性と弥生性)の元締めなのに、縄文モードが深化した戦後、武(弥生性)の元締めの方の役割を剥奪されて片肺飛行になってしまっている、ということを指摘した(コラム#9370)ばかりですが、天皇は、神道と日本の仏教(とりわけ鎌倉仏教)双方の総パトロンなのに、弥生モード化した明治維新に伴う神仏分離/廃仏毀釈
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88
以後、仏教の方のパトロン資格・・天皇が縄文性の元締めたることの一有力属性・・を剥奪されて、この点でも片肺飛行になってしまっていることも問題だと思います。(注9)

 (注9)但し、「皇室<の>菩提寺であった泉涌寺と宮内省の特別な関係は日本国憲法施行時まで続いた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%81%93
 「泉涌寺<は、>・・・真言宗泉涌寺派総本山の寺院。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%89%E6%B6%8C%E5%AF%BA
 「真言宗泉涌寺派の歴史は、泉涌寺を密(天台・真言)・禅・律・浄の四宗兼学<・・律は奈良仏教、密・禅・浄は鎌倉仏教(太田)・・>の道場として、俊芿<((しゅんじょう)>が中興したことにより始まる。・・・明治時代に入ると、皇室からの保護が無くなり、財政的にも逼迫(ひっぱく)する状態となり衰微した。また、政府の宗教政策から、1872年(明治5年)に四宗兼学が廃され、真言宗に属することとなった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%9F%E8%A8%80%E5%AE%97%E6%B3%89%E6%B6%8C%E5%AF%BA%E6%B4%BE
 また、「もともと公家の日野有範の子息である親鸞と、日野広綱(覚恵の父)の血統を引く東西両大谷家当主は、代々有力公家の猶子になる慣習があり、また、代々公家と通婚を続けており母系によっても公家化が進んでいった。このような経緯から明治維新後、両大谷家は華族に列し、ともに伯爵を授けられた。他の世襲門跡家や神道系の世襲宮司・国造家は男爵に叙されており、この待遇は破格であった。・・・<明治維新以降も、>大谷家と皇室、華族(公家)間の通婚<は続いた>。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%B0%B7%E5%AE%B6#.E7.9A.87.E5.AE.A4.E3.83.BB.E8.8F.AF.E6.97.8F.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
 覚恵は親鸞の孫。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%9A%E6%81%B5_(%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97)
 「現在、真宗教団連合加盟の10派ほか諸派に分かれているが、宗全体としては、日本の仏教諸宗中<、従って、当然、鎌倉仏教各派中(太田)>、最も多くの寺院(約22,000ヶ寺)、信徒を擁する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F%E7%9C%9F%E5%AE%97

 この両シリーズを通じて明らかになったように、そもそも、日本の仏教、とりわけ鎌倉仏教(各派)、は、日本文明独特のものであって、これを外来のものと捉え、後に神仏分離/廃仏毀釈、を引き起こすこととなった、一部儒学者や神道家の考えは誤りなのであり、神道を人間主義儀典体系、日本の仏教を人間主義教、と、正しく理解をした上で、神仏習合についても、自然かつ論理的なこととして積極的に受け止めるべきだったのです。

(完)