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太田述正コラム#9355(2017.9.22)
<アングロサクソンと仏教--米国篇(その11)>(2018.1.5公開)

 この、(あなたの覚醒した頭脳によって、創造されたのではなく受容された、諸思念(thoughts)であるところの)イメージは、この数十年で多くの賛同者達を得てきた、大脳についての概念(conception)、すなわち、「ユニット群モデル(modular model)」に照らして、とりわけ理に適っている。
 その基本的な観念は、大脳は、異なった専門部位群を持っている、つまり、互いに相矛盾する(competing)目的群(agendas)を抱いているのかもしれない多くの諸システムからなっている、というものだ。・・・
 「非自身」・・・は、ごく限られた瞑想者によって共通に報告されている経験だ。
 彼らは、何千もの何千もの時間を瞑想のクッションに座って過ごし、自分達が、「非自身」の地点に到達し、毎日毎日、クッションに座っている時もそうでない時でさえ、その状態に留まっていた、と語る。
 これらの人々の一人になれた場合には、一体どういう感じがするとあなたは思う?
 残念ながら、もしあなたが彼らにそれを聞いたら、彼らは、いささか訳の分からないことを言いがちだ。
 このような瞑想家の一人は、自身の感覚なき生活を描写して、こう私に言ったものだ。
 「もしあなたが無(nothing)であって、あなたが消え去れば、あなたはあらゆるものたりうる。
 でも、あなたが無でない限りはあらゆるものたりえない」、と。

⇒こういう言い方は、衒学的ナンセンスってやつです。
 自身が無になることなどありえません。
 ジャータカの多くが示しているように、悟り、とは、自身が無になることではなく、自然との間、そして、他人のとの間、の人間(じんかん)的関係において自身が存在しているのを自覚すること、なのですからね。(太田)

 <但し、>私の自身の諸境界(bounds)が解消(dissolve)した時に、私が他の諸存在(beings)に対し、とても好意的に感じた理由は、解消したこと自体せいだけではないと思う。
 大きな要素は、我々をして他の諸存在を尊重(appreciate)することをなくさせる・・そして、他の諸存在を妬み、怒り、憎みさえさせる・・ところの、全ての自身中心的な諸関心事(preoccupations)が、その瞬間には私の自身の一部ではなくなったせいでもあるのだ。・・・

⇒著者が言っていることは、辛辣な言い方をすれば、念的瞑想的なことをすれば、痛み等の不快感が軽減されることがあり、そんな場合には、「他の諸存在」に対して、それまで程、八つ当たりしたりすることがなくなる、ということ以上でも以下でもないのであって、そのことと、「他の諸存在」と人間主義的関係において自身が存在していることの自覚、とは、全く似て非なるものなのではないでしょうか。
 繰り返しになりますが、私見では、念的瞑想的なものの実践だけでは、人間主義者になる・・悟る・・ことなど、すぐ後で私が指摘する事実に照らしても、不可能なのです。
 いやそれどころか、あえて申し上げますが、釈迦のような悟り適性(?)において天才的な人であったとしても不可能ではないかとさえ私は思っているのです。
 (釈迦の場合、「村娘のスジャータから乳糜の布施を受け」るという人間主義的ふるまいのおかげで「気力<が>回復」した後、(恐らくはサマタ瞑想の実践を経て念的)瞑想を実践して悟った
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6
もの。)(太田)

 ・・・現代のマインドフルネスの諸教えは、19世紀から20世紀初にかけて東南アジアで作られた、指導(instruction)と技法(technique)の諸革新<(注9)>を保持している。
 
 (注9)「現代の<念的>瞑想は、比丘であるレディ・サヤドー・・・から伝えられたミャンマー上座仏教の伝統的な<念的>瞑想法が、サヤ・テッ・ジ・・・によって在家の瞑想法として確立されたものである。在家者用に、時間がかかるサマタ瞑想の修行を省略し、最初から<念的>瞑想のみを修行していく方法がサヤ・テッ・ジによって確立され、サヤジ・ウ・バ・キンを経てサティア・ナラヤン・ゴエンカに受け継がれた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%B5%E3%83%8A%E3%83%BC%E7%9E%91%E6%83%B3
 レディ・サヤドー(Ledi Sayadaw。1846〜1923年)は、「ミャンマー出身の上座部仏教僧侶・学者・指導者。・・・なお、レディというのは、・・・彼がかつて指導を行っていたレディ僧院のことであり、サヤドーとは、ミャンマー仏教で一般的に用いられる「長老」を意味する尊称。すなわち、レディ・サヤドーという名は、レディ僧院の長老といった程度の意味の通称であり、彼の僧名そのものはニャーナダジャ(Nāṇadhaja)である。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%A4%E3%83%89%E3%83%BC
 サヤ・テッジ(〈Saya Thetgyi。〉1873〜1945)は、「在家の<念的瞑想>指導者としてビルマでもっとも知られてい・・・た。当時、在家の人で<念的瞑想>を指導する人はまれであったので、教典に精通していないなど、いわれもない非難を受けたよう<だ>。けれどもサヤ・テッジはただ聞き流し、反論しないで、彼ら自身が体験し、悟るのに任せた<という>。
 サヤ・テッジは、師であるレディ・サヤドォから「数千名の人に教えなさい」と言われ、30年以上もの間、レディ・サヤドォの手引き書を参照しながら、道を求めてやって来るすべての人に<念的瞑想>を指導し・・・た。その使命を達成したと感じたとき、72歳になってい・・・た。」
http://vipassana.jp/vipassana.html
http://www.vridhamma.org/Teachers-1 (<>内)
 サヤジ・ウ・バ・キン(Sayagyi U Ba Khin。1899〜1971年)は、ミャンマーの会計士。経済相。在家の<念的>瞑想の指導者としても知られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3
 サティア・ナラヤン・ゴエンカ(Satya Narayan Goenka。1924=2013年)は、・・・レディ・サヤド<−>を祖とする<念的>瞑想法の伝統を・・・、欧米・世界に普及させた。ミャンマーでインド人の家系に生まれ育<ち、>・・・インドにて1969年より<念的>瞑想の指導を始める。」[ヒンドゥー教徒たる実業家として成功したが片頭痛に悩まされたことがきっかけでウ・バ・キンの門を叩く。]]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%AB
https://en.wikipedia.org/wiki/S._N._Goenka ([]内)

⇒この相伝の4名、彼ら流の念的瞑想を広めたことが強いて言えば人間主義の実践と言えるのかもしれませんが、それを除けば、いずれも、人間主義を実践した的な挿話は全く登場しません。
 やはり、念的瞑想、というか、彼ら流の念的瞑想、だけでは、人間主義者になる・・悟る・・のは、不可能とまでは言えないとしても、至難の業であることは間違いないようです。(太田)

(続く)

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