太田述正コラム#9331(2017.9.10)
<進化論と米北部(その13)>(2017.12.24公開)

 「ソローは、今日、市民権運動の知的前走者としての著作・・制度的非道徳性に直面しての受動的抵抗を行なったキング(King)博士を鼓吹した・・、でもっても、記憶されている。
 (筋金入りの奴隷制廃止論者であったソローは、この邪悪な制度を後押しする政府を後押しするのに自分のカネが使われないことを望む、という理由で、納税を拒否し、そのために短期間投獄されたことがある。<(注15)>)・・・

 (注15)「ソローは奴隷制度と<米墨>戦争に抗議するため、人頭税の支払いを拒否して投獄されたことがあり、その様子は「市民的不服従」としてマハトマ・ガンディーのインド独立運動やキング牧師の市民権運動などに思想的影響を与えた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%BC

⇒この書評子も「注15」で引用した邦語ウィキペディアも、どちらも、納税拒否の理由としてソローの反奴隷制を強調していますが、英語ウィキペディアでは、反米墨戦争を筆頭に挙げており、現に、この出来事は1846年の7月のことであったところ、1948年1〜2月にソローが市民的不服従について行った講義を聴講した人物の雑誌掲載記事では、ソローはこの出来事は自分が反米墨戦争だったから、と語った旨、記されている
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_David_Thoreau
ので、違和感を覚えます。
 もとより、反米墨戦争も、ソローが反人種主義者故だったことが主な理由であった可能性が大ですが・・。
 いずれにせよ、ソローは、米北東部(ニューイングランド)の、しかもボストン、という、米国において、あらゆる意味で最もイギリス的な場所における、できそこないならぬ、純正イギリス人的米国人であった、とは言えそうですね。(太田)

 自然淘汰の観念は、米国が、ブラウン<(前出)>が死んだのは、裏切り者としてなのか殉教者としてなのか、について情熱的に議論している最中(さなか)にこの国にやってきた・・・。
 この理論は、著者が示唆するように、ソロー、及び、多くの彼の同僚知識人達にとっての、奴隷制・・当時における、最も二分的な、そして、ある意味では唯一の、話題・・についての物の考え方を結晶化させるのに資した。」(E)

 ・アガシ

 「1850年代は、黒人達が生来的に劣等であるとの信条が普及していた10年間だった。
 若干の科学者達は、諸人種は別個に創造され、不平等かつ変更不可能なままである、と執拗に主張していた。
 この見解は、南部に限られたものではなかった。
 ハーヴァード大学では、・・・アガシが、<諸人種は>個別に創造されたと講釈を垂れ、諸人種が進化しうることを暗に指摘したダーウィンを激しくこき下ろした。」(B)

 「多くの奴隷所有者達は、異なった諸人種は、異なった諸種でもある、との観念にしがみついていた。
 これは、相互に、そして歴史に対して、自分達自身を正当化しようとする試みだった。
 ダーウィンの理論は、巧みに彼らの諸主張を論駁した。
 そして、奴隷制廃止論者達は、この論駁に大喜びした。
 「『種の起源』は、ボストンの中を、ゴシップ記事のように駆け巡った」、と著者は記す。
 それは、一つには、この本が、奴隷制の反対者達に、この時代において、お誂え向きの脆弱なる反対意見中の最も目立ったものに火をつけるために彼らが必要とした火花を確保させたからだ。
 ・・・アガシは、ダーウィンの本の一冊の諸余白に、「これはまことにもってけしからぬ<本だ>」、と書き込んだ。」(E)

(続く)