太田述正コラム#9325(2017.9.7)
<日本文化チャンネル桜収録(その1)>(2017.12.21公開)

1 始めに、に代えて

 まず、本日のディスカッションでご披露した、服装の話です。
 極端に端折って書きますが、背広のズボンで現在の私の腹回りが収まるものはない一方、収まるズボンにあう背広の上着もないので、上着だけのジャケットを着けるとなると、冬物のしかなく、しかも、3年前の八幡市でのレクチャーの時も使ったと記憶していますが、その折も含め、一体、いつ、クリーニングに出したのか分からない・・そうと分かってたら、事前にクリーニングに出しておくんでした・・、よれよれで薄汚れているやつを着なきゃならなくなったところ、フリップを作成してもらったお三方のほぼ一致したご意見が、きちんとした身なりを、だったので、そのアドバイスに従いました。
 桜TVは4K放送じゃないんだから、視聴者は気付かないことをと念じつつ・・。
 で、こういう出で立ちで収録は無事終了したのですが、帰宅してこのジャケットを脱いだら、下に着ていた茶色のYシャツが、暑さで、汗でもって水をかぶったような状態になっていましたね。

 もう一件。
 面食らったのは、西馬込から地下鉄に乗ろうとした際、Suicaが使えず、改札口を通れなかったことです。
 Suicaを6か月間使わないと、改札で機械にかけてもらった上じゃないと使えないんですね。
 最近の私の生活が、娑婆とどんどん隔離されたものになっていることを自覚させられた瞬間でした。

2 用意した備忘録

 昨夜から本日午前にかけて、フリップに対応した備忘録集を作ったので、以下に掲げておきます。
 (フリップそのものも、このコラムの配信メールに添付したのでご参照ください。
 当然のことながら、このコラムが一般公開された時にはフリップそのものは添付されません。)

・フリップ1

 「2010年10月18日、習近平は・・・党中央軍事委員会副主席に選出された。・・・<それ>以降、中国はアメリカや日本との対決姿勢を強め始めており、また北朝鮮の核開発を批判しなくなるなど、中国の外交に明らかな変化が現れた・・・
 2012年<11月15日>より・・・中国共産党中央委員会総書記、・・・中国共産党中央軍事委員会主席、2013年<3月14日>より・・・中華人民共和国主席」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BF%92%E8%BF%91%E5%B9%B3

 「2012年9月の日本政府<(野田政権)>による尖閣諸島国有化以降、中国の国家海洋局の監視船等の公船が尖閣諸島への領海侵犯を高頻度で繰り返しており、中国政府機関の航空機が領空侵犯も行っている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%96%E9%96%A3%E8%AB%B8%E5%B3%B6

 日本礼賛開始は2012年初か。(コラム#5299)

 南シナ海実効支配強化の始まり:「2011年2月末から5回以上にわたり、中華人民共和国の探査船がフィリピンが主張する領海内において探査活動を繰り返し、5月には無断でブイや杭などを設置したことから、フィリピンのアキノ大統領はこれを領海侵犯とし、6月に国連に提訴する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E6%B2%99%E8%AB%B8%E5%B3%B6
 ホンネの吐露:「2014年6月1日、シンガポールで開催中のアジア安全保障会議 (シャングリラ対話) において、中国側代表の王冠中・人民解放軍副総参謀長 (当時) は、南シナ海の島々は2,000年以上前の漢代に中国が発見して管理してきたという旨の発言をした。この発言によって会場からは笑いが起こった。また、王は、名指しを避けながら中国に自制を求めた日本の安倍晋三首相 (当時) に対して、「安倍総理大臣は、遠回しに中国を攻撃し、ヘーゲル長官は率直に非難した。ヘーゲル長官のほうがましだ」と述べ、これに対して小野寺防衛相 (当時) は、「中国の反応は理解できない」と反論した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E3%82%B7%E3%83%8A%E6%B5%B7
 2015年11月11日に産経、同年12月9日に朝日から、それぞれ、官庁不祥事問題の勉強的取材を受けた際に、このことを取材して調査報道として記事にするように促した。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2428880&id=21003190

 なお、かつての反日歴史教育、現在の対日軍事攻勢、は、中国の日本文明継受戦略の秘匿、とりわけ、米国に対する秘匿、のために(も)不可欠であることに注意。

・フリップ2(☆と★はフリップ5マターでもある)

 「このうち、一番最初に(少なくとも紙の上で)実現したのは、「ブロック経済の打破」です。
 英米の世界に向けての共同宣言である大西洋憲章(1944年8月)の4、5項に「4.自由貿易の拡大 5.経済協力の発展」とあるからです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E6%B4%8B%E6%86%B2%E7%AB%A0
 蛇足の蛇足ですが、「3.政府形態を選択する人民の権利」については、「ルーズベルトがこの条項が世界各地に適用されると考えたのに対し、チャーチルはナチス・ドイツ占領下のヨーロッパに限定されると考えた。つまり、イギリスはアジア・アフリカの植民地にこの原則が適用されるのを拒んでいた。ルーズベルトも実際には、「大西洋憲章は有色人種のためのものではない。ドイツに主権を奪われた東欧白人国家について述べたものだ」と側近に語った。」(上掲)というんですから、「アジアの解放」は、その後、日本が勝ち取ったものです。
 むろん、「対ソ抑止」もですが・・。」(コラム#9312)

 インパール作戦:1944年3月8日〜7月3日 ☆
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E4%BD%9C%E6%88%A6
 「終戦後、イギリスは<インパール作戦で日本軍と共に戦った>元インド国民軍将兵約20,000人を、イギリス国王に対する反逆罪で裁こうとした(11月5日の発表では起訴の対象は約400名)。しかし、この裁判を機にインド民衆の間に独立の気運が一気に高まった。次々とゼネストや暴動が起きる中、国民会議派も「インド国民軍将兵はインド独立のために戦った愛国者」として即時釈放を要求、1946年2月には英印軍の水兵たちも反乱を起こし、ボンベイ、カラチ、カルカッタで数十隻の艦艇を占拠し「インド国民軍海軍」を名乗った。水兵たちは市民に混じって官憲と市街戦を展開、英印軍の将兵たちはイギリス人上官の発砲命令を拒否した。また、人々はイギリスの植民地政府による日本への戦勝記念日に弔旗を掲げて抗議の気持ちを表している。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E5%9B%BD%E6%B0%91%E8%BB%8D#.E3.82.A4.E3.83.B3.E3.83.89.E5.9B.BD.E6.B0.91.E8.BB.8D.E8.A3.81.E5.88.A4

 大陸打通作戦:1944年(昭和19年)4月17日〜12月10日 ★
 「これにより国民党軍は大打撃を受けて国共内戦時に影響を受けた。・・・<また、>それまで蒋介石とその一派にのみ注がれ続けていたアメリカの目を、中国のもう一つの勢力、毛沢東指揮下の中国共産党軍に向けさせる効果を持った」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%99%B8%E6%89%93%E9%80%9A%E4%BD%9C%E6%88%A6

 「「沈黙、弁解せず。一切語るなかれ」を家族に遺し、東条英機元首相はすべての責任を負い処刑台に登った...。」
https://books.google.co.jp/books/about/%E7%A5%96%E7%88%B6%E6%9D%B1%E6%9D%A1%E8%8B%B1%E6%A9%9F_%E4%B8%80%E5%88%87%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%82%8C.html?id=70WhAAAACAAJ&redir_esc=y&hl=ja
のはどうしてか? いや、そもそも、戦後、海軍将官OB達の饒舌に比し陸軍将官OB達がほぼ一様に沈黙を保ったまま亡くなっていったのはどうしてか?→究極の対米欺騙目的。

・ フリップ3

 ファシスト国家=人種主義に基づき、自国の領土や勢力圏の拡大を図る国家
 (米国は、ドイツと違って、創建時から一貫してそう。奴隷制の維持とアメリカ原住民の土地奪取のために独立。
 リンカーンは南部の人々よりもひどい人種主義者。
 米国のはナチスドイツよりもひどい(白人至上)人種主義。人種混淆を嫌悪して途中から領土の拡大を止め、勢力圏の拡大に切り替え、現在に至っている。)

 「日本は、大戦ではナチスドイツと、戦後には米国と、それぞれ同盟関係を結んでソ連(ロシア)と冷戦を戦って勝利したが、両ファシスト国家を手玉に取った昔の日本人は凄かった。」(コラム#9322)

 米→中の有色人種差別:中国人排斥法--1882年成立。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E6%8E%92%E6%96%A5%E6%B3%95
 「黄遵憲<(こう じゅんけん)>は・・・<その>1882年<に>・・・、サンフランシスコ総領事へと転任し、日本を離れた。・・・在米華僑問題への思い<について、黄は、>初代大統領ジョージ・ワシントンが万国と国交を持ち、いかなる民族も平等に住むことができると宣言してより百年も経たないのに、今のアメリカ政府はその言葉に背いても恥としない、と述べて<いる。>」(コラム#7989)

 米→日の有色人種差別:「1924年移民法<(排日移民法)で>・・・アジア出身者については全面的に移民を禁止する条項が設けられ、当時アジアからの移民の大半を占めていた日本人が排除されることにな<った。>・・・
 昭和天皇<は>敗戦後、日米開戦の遠因として「加州移民拒否の如きは日本国民を憤慨させるに充分なものである(中略)かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がつた時に之を抑へることは容易な業ではない(『昭和天皇独白録』より)」と述べている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%92%E6%97%A5%E7%A7%BB%E6%B0%91%E6%B3%95

・フリップ4

 どうして、人間主義と武士道が並存できたか・・天皇(両要素のバランサー・両要素の主従のモード転換者)の存在
 現在の事例で言えば、どうして今上天皇は靖国神社参拝をしないのか(=どうして昭和天皇は参拝を止めたのか)、どうして昭和天皇も今上天皇も自衛隊を公式訪問しないのか。どうして、今上天皇は日本側の戦争犠牲者の慰霊の旅をつづけたのか、その今上天皇はどうして譲位することにしたのか。→武士道的要素の希薄化への警鐘。
 (昭和天皇の日米戦争遠因論(上述)、今上天皇の済南事件(1928年)を出発点とする先の大戦観(コラム#214)。今上天皇との「対話」と後日談(コラム#8520等)。)
 国賊・逆臣の自民党。

 スコットランド人のデイヴィッド・ヒューム(1711〜76年)は、イングランド社会の考察を踏まえ、『人間本性論(人性論=A Treatise of Human Nature)(1739年)の中で」、「道徳について・・・正と不正が印象によるものであるのか、観念によるものであるのかを検討しており、それが概念による把握ではなく感じるものであると述べている。その上で美徳を自身にとって快適なもの、他人にとって快適なもの、自身にとって有用なもの、他人にとって有用なものと、四区分しながら最後の部類に含められる親切心や正義が社会的には重要な美徳であると評価する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E9%96%93%E6%9C%AC%E6%80%A7%E8%AB%96
 中国当局は、「人間主義化」のことを、「人性化」と呼んでいる。(コラム#8443)

 人間主義(人性主義)は私の造語。
 和辻哲郎(1889〜1960年)『人間の学としての倫理学』(1934年)に触発されたもの。
 『菊と刀』(The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture)の中でルース・ベネディクトが、欧米、就中、アングロサクソン文明の至上性に立脚した文化相対主義の見地から日本を未開視してひねり出した、「恥の文化」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%8A%E3%81%A8%E5%88%80
なるものと「人間主義」とは全く異なることに注意。

・フリップ5(2のところも参照)

 中国:『孫子』(紀元前500年ころ)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%AB%E5%AD%90_(%E6%9B%B8%E7%89%A9)
は、漢人が軍事が不得意であったからこそ生まれた。(私見)
 軍事天才のゲルマン/ドイツ人が『戦争論』を生み出したのはナポレオン戦争敗北の衝撃ゆえ。(私見)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%AB%96

 インド:アショーカ王:マウリヤ朝3代目の王。在位:紀元前268年頃 - 紀元前232年頃。インド亜大陸をほぼ統一。「アショーカ王は晩年、地位を追われ幽閉されたという伝説があり、また実際に治世末期の碑文などが発見されておらず、政治混乱が起こった事が推測される。原因については諸説あってはっきりしないが、宗教政策重視のために財政が悪化したという説や、軍事の軽視のために外敵の侵入に対応できなくなったなどの説が唱えられている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E7%8E%8B
 「インドの国旗(インドのこっき)は、サフラン・白・緑の横三色の中央に「アショーカ・チャクラ」(アショーカ王のチャクラ(輪)という意味)という法輪を配した旗。サフランはヒンドゥー教、緑はイスラム教、白は2宗教の和解とその他の宗教を表す。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97
 「クシャーナ朝[の第4代君主の]・・・カニシカ[・・概ね2世紀半ばの人物であるという・・]はその治世の間に仏教に帰依するようになり、これを厚く保護した。このためクシャーナ朝の支配した領域、特にガンダーラなどを中心に仏教美術の黄金時代が形成された(ガンダーラ美術)。この時代に史上初めて仏像も登場している。軍事的にも文化的にも隆盛を誇ったカニシカ王の跡を継いだのは、おそらくカニシカの息子であろうと言われているヴァーシシカ王である。しかし、ヴァーシシカ王以後、クシャーナ朝に関する記録は極めて乏しい。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%8A%E6%9C%9D
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%82%AB1%E4%B8%96 ([]内)

・フリップ6

 『阿Q正伝』(1921年〜):「魯迅は本作で、無知蒙昧な愚民の典型である架空の一庶民を主人公にし、権威には無抵抗で弱者はいじめ、現実の惨めさを口先で糊塗し思考で逆転させる彼の滑稽な人物像を描き出し<た。>・・・毛沢東<は>談話でしばしば「阿Q精神」を引き合いに出した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BFQ%E6%AD%A3%E4%BC%9D

 雷鋒(1940〜62年):「孤児として生きる。人民解放軍入隊後、勤勉かつまじめに兵役を務めたことはもちろん、老人や子供を助け、質素な生活で貯金したお金を被災地に寄付したり、現場工事に行って義務労働に参加したりする……などの数々の善人エピソードがあり、全く以って非の打ち所がない存在とされる。弱冠21歳の時、撫順市で電柱建設作業中に軍事用トラックに轢かれ亡くなる。」
http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E9%9B%B7%E9%8B%92%E5%A5%BD%E6%A6%9C%E6%A7%98

・フリップ7

 「中国の習近平国家主席<は、今年4>月6日から7日にかけて米国のトランプ大統領と首脳会談を行った際「<朝鮮半島>は実際<のところ、支那>の一部だった(Korea・・・actually used to be a part of China)」と発言<した。>」(コラム#9202)

 朝鮮半島は清の羈縻国・・名目上はtributaryだが実態はdependencyだった。(同上)
  (従属度:dependency>protectorate>tributary)
 ちなみに、戦後日本は米国のprotectorate。

(続く)