太田述正コラム#9317(2017.9.3)
<進化論と米北部(その9)>(2017.12.17公開)

 「著者は、ニューイングランド地方の作家達、科学者達、そして、社会改革者達、の一集団に焦点を当てる。
 彼は、1860年の元旦の、マサチューセッツ州コンコードにおける、校長(headmaster)のフランクリン・B・サンボーン(Franklin B. Sanborn)<(注12)>宅での夕食会から話を始める。

 (注12)1831〜1917年。米国のジャーナリスト、著述家、改革家。ハーヴァード大卒。ジョン・ブラウンを擁護し、その遺族を支援した。
 (この書評子が、「校長」と書いたのは、彼がコンコードで学校を創設したからだと思われる。)
https://en.wikipedia.org/wiki/Franklin_Benjamin_Sanborn

 主賓は、エール大卒業生で児童支援協会(Children’s Aid Society)の創設者のチャールズ・ローリング・ブレイズであり、彼は、ニューヨーク市に大勢たむろしていた、孤児になったり、捨てられたり、逃亡したりした、何千人もの子供達を助けるために働いていた。
 同様、出席していたのは、地域の学校の管理者(superintendent)で、余りにも多弁であったため、近隣者達が、ある話題から他の話題へと終わりのない議論になるのを避けるために、彼がやってくるのを見ると反対側に向かって歩きだすという、エイモス・ブロンソン・オルコット・・・だった。
 ヘンリー・デイヴィッド・ソローもまたそこにいた。
 彼は、ウォールデン池(Walden Pond)<(注13)>での世捨て人のような生活を小休止していた。

 (注13)「 マサチューセッツ州コンコードにあ<る池で>、 広さは61エーカー (250,000 m2)、周囲は 1.7マイル (2.7 km)に及ぶ。・・・ヘンリー・デイヴィッド・ソローが、1845年の夏から2年間に渡りこの池の北側の岸辺に居住した。 彼の経験の叙述は、『ウォールデン 森の生活』に記録されている。その区画の土地は、彼の友人で師でもあったラルフ・ワルド・エマーソンの所有地で、彼がソローにそこで実験的に暮らして見ることを示唆した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%B3%E6%B1%A0

 ブレイズは、この集まりにダーウィンの新刊本を持ち込んだ。
 この本は、彼の義理の従兄弟の・・・エイサ・グレイから借りていたものだった。
 著者は、これらの人々や他の人物達が、ダーウィンの諸観念との遭遇にどのように反応したのかを探索する。・・・
 ダーウィンの本は、人類の諸起源と進化については何も語っていなかった。
 しかし、著者が記すように、「彼の理論を人間達へと外挿法によって推定しないことは、ほぼ不可能だった」。
 <そして、>南北戦争の前夜に出現した、『種の起源』は、奴隷制、及び、米国人達の生活の中における黒人達の位置付け、を巡って迫りつつあった嵐の中に、不可避的にとらわれてしま<うこととな>った。
 著者による配役の殆ど全員がある種の奴隷制廃止論者達だった。
 後日の社会進化論者達とは違って、彼らは、進化を、進歩が自然によって決定されている(decreed)ことを意味する、と解釈した。
 黒人にせよ白人にせよ、常続的に改善を重ねつつある世界の中で、彼らの条件が他の生活の諸形態<の下にある人々>に比してより固定的である、ということはない、と。」(B)

(続く)