太田述正コラム#9311(2017.8.31)
<進化論と米北部(その7)>(2017.12.14公開)

 「『種の起源』の初版は1859年11月にロンドンで出版されたが、数週間後に米国の岸辺に届いた、それは、この若い国の歴史における喧々諤々の時だった。
 その年の10月には、奴隷制廃止論者のジョン・ブラウン(John Brown)<(注9)(コラム#3683、3689、5883)>と彼の追従者達が、現在の西ヴァージニアのハーパース・フェリー(Harpers Ferry)の町の連邦兵器廠を襲撃した。

 (注9)1800〜59年。「運動の手段として<米国>では初めて反乱を唱道し実行した人物として知られる・・・ブラウンと父のオーウェンは生涯、かなり伝統的また保守的な福音カルヴァン主義者であった。」無学歴。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%B3_(%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E5%88%B6%E5%BA%A6%E5%BB%83%E6%AD%A2%E9%81%8B%E5%8B%95%E5%AE%B6)

⇒「注9」の「<米国>」は原文では「アメリカ」ですが、北米英領植民地の愛郷者達は、英本国からの分離独立を目指す「運動の手段として・・・反乱を唱道し実行した」わけであり、かかる「注9」の記述には、いささかひっかかるものがあります。
 私に言わせれば、さしずめ、ブラウンは、自利を全く考えずに「反乱を唱道し実行した」米国での最初の「人物」でしょうね。(太田)

 彼らは、奴隷達に叛乱を扇動し武装させようとしたのだ。
 この攻撃は血腥く鎮圧された。
 ブラウンは裁判にかけられ12月に絞首刑に処せられた。
 北部では、彼の感知された殉教は、リンカーンを権力の座に就け、米国に内戦をもたらすことになる選挙、の準備期間における、反奴隷制感情を燃え上がらせた。
 ウォルト・ホイットマン(Walt Whitman)<(注10)(コラム#4860、7552、9190)>は、この1860年を、「流星群の年! 介卵の年!」と描写することになる。

 (注10)ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman。1819〜92年)。「<米>国の詩人、随筆家、ジャーナリスト、ヒューマニスト。・・・活動初期には、禁酒運動小説 Franklin Evans・・・も発表している。・・・代表作<は>詩集『草の葉(Leaves of Grass)』。・・・
 ホイットマンは<米>国における奴隷制の維持に反対し、ウィルモット条項を支持していた。しかし、奴隷制廃止運動家・・・ではなく、この運動には益よりも害が多いと見なしていた。ある時には、<奴隷制廃止論者>たちは、実際には、その「過激主義と専横的な態度」のために、目的の達成を遅らせている、と書いている。彼の主な主張は、<奴隷制廃止論者>の方法は民主的な手続きを阻害し、南部諸州の拒絶と同じように、国全体の利益よりも自分たちの利益を優先させているというものであった。ホイットマンはまた、自由なアフリカ系<米国>人であっても投票は認めるべきでないという、当時広範に支持されていた見解を支持し、議会におけるアフリカ系議員の増加を憂慮していた。」
 無学歴で、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%82%A4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%9E%E3%83%B3 
 理神論者(deist)。
https://en.wikipedia.org/wiki/Walt_Whitman 
 ちなみに、「ウィルモット条項(・・・ Wilmot Proviso)は、19世紀半ば、米墨戦争の結果としてのメキシコ割譲地として知られた地域を含み、将来的にメキシコから獲得した領土では奴隷制を禁じるという法案だったが、成立しなかったものである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A2%E3%83%83%E3%83%88%E6%9D%A1%E9%A0%85

 ダーウィンの本は、少なくとも、それが落下した先である、米国人の生活と文学に不釣り合いに大きな影響を与えたところの、マサチューセッツ州の小さな町のコンコード、においては、流星群の一つだった。
 ボストンから約20マイルのところにあるコンコードは、偉大な随筆家の・・・エマーソン等の、非大勢順応主義者(nonconformists)たる思想家達にとっての安全地帯だった。
 1860年1月初、コンコードでの『種の起源』の最初の読者達には、社会改革家のチャールズ・ローリング・ブレイズ(Charles Loring Brace)<(注11)>、教育家のエイモス・オルコット、そして、自然主義者の・・・ソローがいたが、彼らは全員急進的な奴隷制廃止論者達だった。

 (注11)1826〜90年。米国の博愛主義者で社会改革に貢献。近代里親運動の父とされている。エール大(当時は単科大学)卒、ユニオン神学校修士。
https://en.wikipedia.org/wiki/Charles_Loring_Brace

⇒ホイットマンが、リンカーンのそれ<(コラム#省略)>とほぼ同じ黒人観を抱いていた(「注10」)ことを踏まえれば、彼を「急進的な奴隷制廃止論者」の範疇に入れるのはもってのほかである、と言うべきでしょう。(太田)

(続く)