太田述正コラム#9293(2017.8.22)
<イギリス論再び(その11)>(2017.12.5公開)

 「著者は、羊の農業が、「羊の養育には、忍耐、柔軟性、実際性、そして、不運に耐える能力、が求められたことから、<イギリスの>ステレオタイプ化された国民的気質を形成するのに資した」、と主張するのは、間違いなく根拠薄弱だ。
 諸葡萄園を育てるのに求められる諸質だって全く同じではないのか?
 それなのに、誰も、フランス人達やイタリア人達がイギリス人達と同じ国民的気質を共有している、などと言う者はいない。・・・
 概ね過ごしやすい諸冬とその結果としての節水に不熱心な態度、について語り、著者は、「ポーランド人配管工の興隆に次ぐ興隆に、近代政治と共に地理が役割を果たした、と言うことができる。配管は、イギリス人の技能(skill)になったことが一度もない」、と著者は主張する。
 これはナンセンスだ。
 偉大なヴィクトリア期世代のトーマス・クラッパー(Thomas Crapper)<(注29)>とヘンリー・ドールトン(Henry Doulton)が<世界で最初に>近代配管技術を発明したからだ。
 
 (注29)1836〜1910年。配管工出身。風呂、トイレ、及びその配管の会社設立。
 (ちなみに、世界で最初に、近代的な水洗トイレを発明したのもイギリス人だ。)
https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Crapper
 (注30)1820〜87年。陶器製品の発明家、製造者。
https://en.wikipedia.org/wiki/Henry_Doulton

 実際のところ、異なったテーマを追求する異なった著者であれば、イギリスの配管工の没落を、我々の現在の実存的危機の最も有効な諸隠喩の一つとして引用することができたことだろう。
 著者による、いくつかの一般化は、更に奇怪だ。
 「<イギリス>北部人達の方が、彼らの柔和な南部の従兄弟達に比し、よりゴツゴツしている(grittier)、ないしは、より無骨だ(rugged)、と我々が言う時、我々は比喩的に語っているのではなく、それは、地質学的事実である」、と彼は記す。
 いや、そんなことはない。
 それは生物学的事実ですらないのだ。。
 あらゆる地理的かつ文化的幹線道路と脇道と見えるものを、イギリス史700年を通して探索した後での、著者の結論は、一体何だったか?
 この我々の国民性についての定義・・「それは、一つの方法論、一つのアプローチ、一揃いの習慣的諸反応…一つのコツ、なのだ。イギリスの地理の自然の諸様相、及び、その歴史の諸紆余曲折、が、両極端の間の小径をひねり出す(negotiate)のが巧みな感受性(sensibility)を創造した。」・・を引用する前に、ネタバレ注意を私がする必要はないと思う
 しかしながら、それから、著者は、彼の結論を踏まえて、、EUに係る国民投票とその後日譚というちっぽけな事柄を取り上げることによって、馬車と馬達を駆動させる。
 それが、彼が正直に認めるように、イギリス人が、現実には、「両極端の間の小径をひねり出す」のがまことにもって下手くそであることを示しているというのに・・。」(B)

⇒既に示唆したように、「両極端」という措定の仕方がそもそも間違いなのであり、一見両極端な一方は、もう一方の論理的帰結なのではないか、というのが私の思いです。
 なお、ブレグジットの是非については、是非の間の中間的な選択肢は、EU側が否定している以上、「両極端」のどちらかの選択しかなしえなかったわけであり、この書評子の著者批判は、言いがかりというものです。
 そして、これも、累次申し上げているように、イギリス人の過半は、イギリスは欧州とは文明が違っており、自分達のは古今東西の諸文明中最高の文明であるのに対し、欧州のは総体的に低次な文明、いや、相対的に極めて低次な野蛮な文明、である、と考えている、と私は見ているところ、そんなイギリス人が、英国人の大半を占めているのですから、国民投票をすれば、ブレグジットが選択される可能性は常にあったのであり、現に、今回、ブレグジットが選択された、ということなのです。(太田)

(続く)