太田述正コラム#9287(2017.8.19)
<イギリス論再び(その8)>(2017.12.2公開)

 狼がいなくなった風景と潤沢な雨は、一級品の羊毛を生産し、それが、一見何どこにでもあるイギリスの諸村に、多くの人々にとって依然として「古典的な」イギリスの風景なるものを規定するところの、栄光に満ちた諸教会や蜂蜜色の諸小屋を建設するカネを与えたのだ。
 しかし、羊毛は、メアリー・テューダーが、悼むように、「カレー(Calais)<(注19)>という言葉が彼女の心に刻まれることになるだろうと、当該港がフランスの手に戻った時に、宣言したのは何故かについても説明する。

 (注19)「古代ローマ時代から、<欧州大陸と>ブリテン島を結ぶ中継地として栄えてきた。百年戦争中の1347年、長期間の包囲の末、<イギリス>軍によりカレーは占領された。サン・ピエールと5人の市民が、<イギリス>王のエドワード3世の前に出頭し他の市民を救った。この逸話はロダンの彫刻『カレーの市民』の題材となっている。百年戦争の敗北で、1453年以降カレ−は大陸における唯一の<イギリス>領となり、下院に議員を送っていた。1558年1月7日、ギーズ公フランソワが<イギリス>からカレーを奪還した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%BC_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9)
 メアリー1世(1516〜58年。国王:1553〜1558年11月17日)。「母方からスペイン(カスティーリャ=アラゴン)王家の血を引くメアリーは、結婚の相手に従兄カール5世の子であるアストゥリアス公フェリペ(後のスペイン王フェリペ2世)を選んだ。・・・この結婚によって、<イギリス>はフランスとスペインの戦争(第六次イタリア戦争)に巻き込まれ、フランスに敗れて大陸に残っていた唯一の領土カレーを失うことになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%83%BC1%E4%B8%96_(%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E5%A5%B3%E7%8E%8B)
 「1559年7月<にフランス王に即位した>フランソワ2世<の>・・・王妃は<ギーズ公フランソワの>姪のスコットランド女王メアリー・ステュアート(姉マリーとスコットランド王ジェームズ5世の一人娘)である」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF_(%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%82%BA%E5%85%AC)

 それは、単に、イギリスの軍事的自負心への打撃であっただけではないのだ。
 著者は、忘れようもない形で、「カレーは、コッツウォルド(Cotswold)<(注20)>の羊毛の町が南東に漂流したものなのだ」と記す。

 (注20)「<イギリス>中央部に広がる・・・丘陵地帯であり、時に<イギリス>の中心と呼ばれる。・・・羊毛の交易で栄えていた。現在でも、古いイングランドの面影を残した建物を見ることができる。20世紀にはいり、その景観を活かした観光業が盛んになっており、毎年多くの観光客が訪れている。黄色みを帯び「蜂蜜色の石」「ライムストーン」とも称される石灰岩「コッツウォルズストーン」を使った建物群が特徴的な景観をなしている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%83%E3%83%84%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%BA

 換言すれば、テューダー朝の主要産業と外国人バイヤー達との間の交易路における枢要な結節点(link)だったのだ。」(B)

 「イギリス性の真の父は、暗黒時代の年代記作者のベーダ・ヴェネラビリス(Venerable Bede)<(コラム#74、2764、3724、6751、7368)>でも、アルフレッド大王(Alfred the Great)<(コラム#1501、1650、3077、3438、3442、3465、3724、3954、4391、5009、6970、7332、8286等)>でもヘンリー8世(Henry VIII)<(コラム#略)>でもウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)<(コラム#略)>でもなく、・・・余り知られていない、シュロプシャー州のピーター・コルベットという騎士である、と著者は示唆する。
 <彼の「活躍」なくしては、>・・・レイブナム(Lavenham)<(注21)>もブロードウェイ(Broadway)<(注22)>もチッピング・カムデン(Chipping Campden)<(注23)>もなかったことだろう、と。

 (注21)サフォーク州の村。15世紀にできた教会で有名。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lavenham
 St. Peter and St. Paul教会。
https://en.wikipedia.org/wiki/Lavenham#/media/File:St._Peter_and_Paul_Church,_Lavenham,_Suffolk.jpg
 (注22)ブロードウェー・タワー(Broadway Tower)。「<イギリス>のウスターシャー<州>にある、ブロードウェー村より1マイル(1.6km)ほど南東に位置する建築物・・・現在、コッツウォルズの観光地の一つ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC
 (注23)「グロスターシャー州・・・にある小さなマーケットタウン<で、現在、やはりコッツウォルズの観光地の一つ。>・・・その他の観光のポイントとしては、およそ1,500年頃のものとされる中世の祭壇や1,400年頃の司祭の祭服(コープ)のあるセント・ジェームズ教会、地元の裕福な羊毛商人だったサー・バプティスト・ヒックスと彼の家族の広大で贅沢な17世紀のモニュメントともいうべき、救貧院と羊毛仲買人ホールがある。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%83%E3%83%94%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%83%87%E3%83%B3

⇒留学先の英国防大学のイギリス北西部への研修旅行の帰りに、殆ど停車することなく、湖水地方(Lake District)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%96%E6%B0%B4%E5%9C%B0%E6%96%B9
を、学校借り上げのバスで通り抜けた折、景色が前評判程のことがなく、拍子抜けした記憶がありますが、そのすぐ南に位置しているにもかかわらず、ブロードウェーやチッピング・カムデンのあるコッツウォルズには、全くご縁がないまま、1988年の一年間の英国生活は終わりました。(太田)

 これ以上紛れようもなくイギリス的な、素晴らしい(magnificent)田舎の諸教会はなかったことだろうし、全ての紅茶用諸タオルやビスケット入り缶を装飾する、牧歌的な田園詩(pastoral idyll)もなかったことだろう。
 イギリスの村信仰(cult)もなかったことだろう。
 例えば、ウィリアム・ワーズワース(William Wordsworth)<(コラム#983)>の詩からアーチャーズ(The Archers)<(注24)>に至る、あらゆるものの中にあなたが見る、失われた田舎的天国への憂鬱な希求も、全くなかったことだろう。

 (注24)BBCの、世界最長のラジオ・メロドラマで、田舎が舞台。
https://en.wikipedia.org/wiki/The_Archers
 
 そして、ある意味では、イギリスもなかったことだろう。
 少なくとも、我々が知っているようなイギリスは・・。

(続く)