太田述正コラム#9129(2017.6.1)
<武光誠『誰が天照大神を女神に変えたのか』を読む(その5)>(2017.9.15公開)

 「しかし日本神話は、有力な神々のさまざまな神話の寄せ集めであり、天照大神を最高神とする前提にたって一貫してまとめられたものではない。
 『日本書紀』<(注13)>の神話の部分は、多くの異伝を寄せ集めて編集されたものである。

 (注13)「奈良時代に成立した日本の歴史書。日本に伝存する最古の正史・・・本文の後に注の形で「一書に曰く」として多くの異伝を書き留めている。<支那>では清の時代まで本文中に異説を併記した歴史書はなく、当時としては東アジアにおいて画期的な歴史書だったといえる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80

 そこの神話は11の段落に分かれている。
 そして一段落ごとに、本文と「一書曰く(いっしょにいわく)」の表記に始まる幾つもの異伝が立てられているのである。

⇒朝鮮半島の正史まで調べていませんが、先進文明の文物を継受しつつも、創意工夫を凝らし、それらを更に、日本に適したところの、より良いものにする、という、日本人達の特性がここにも現れていますね。(太田)

 本文の記述と異伝の記述との間には、矛盾点が多い。
 しかもそこの本文だけをつないでも、一貫した物語にはならない。
 もう一方の『古事記』<(注14)>の神話は、異伝のない整理された物語になっている。

 (注14)「日本最古の歴史書である。その序によれば、・・・天武天皇の命で稗田阿礼が「誦習」していた『帝皇日継』(天皇の系譜)と『先代旧辞』(古い伝承)を太安万侶が書き記し、編纂し・・・和銅5年(712年)に太安万侶<から>・・・元明天皇に献上された。・・・物語中心だが、多くの歌謡が挿入されている。これらの歌謡の多くは、民謡や俗謡であったものが、物語に合わせて挿入された可能性が高い。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BA%8B%E8%A8%98

⇒歌謡の挿入、という歴史書が日本で生誕したこも、注目されるべきでしょう。
 詩経も日本に招来されていた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%A9%E7%B5%8C
ところ、単にその対応物を日本でも作るというのではなく、歴史書の中に織り込んだ点が面白いと思います。(太田)

 しかしそこに記された神話も、多様なものを含む複雑な形になっている。・・・
 天照大神を最高神とする発想と、中国の原初の神々にならった造化三神<(注15)>を最高神とする発想とが、何の疑問もなしに共存していたのである。・・・

 (注15)「天御中主神(あまのみなかぬしのかみ)・高皇産霊神(たかみむすひのかみ)・神皇産霊神(かみむすひのかみ)をいう。 」
https://kotobank.jp/word/%E9%80%A0%E5%8C%96%E3%81%AE%E4%B8%89%E7%A5%9E-551934
 この三神は、「いずれも「独神(ひとりがみ)」(男女の性別が無い神)」だ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E
 天御中主神は、「王権を基礎づける神話として《古事記》神話が編成された時,その冒頭に置かれて神々の世界を統括した宇宙最高神。中国では東方世界の主宰神として天皇大帝があった。この神は天の中心にあって不動の北極星を神格化した神である。アメノミナカヌシノカミはこの天皇大帝の観念の借用であり翻訳であった。この神は《古事記》神話のなかで,民間の太陽信仰を統括かつ祖神化した皇室の天照大神(あまてらすおおかみ)によって,尊厳を具体化され,神話の根幹は,天御中主神→天照大神→天神御子→初代天皇という展開をたどって,王権神話を完成する。」
https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E5%BE%A1%E4%B8%AD%E4%B8%BB%E7%A5%9E-427147#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
 高皇産霊神と神皇産霊神は、どちらも、「生産・生成の「創造」の神<であって、>対になって男女の「むすび」を象徴する」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A5%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E 前掲

 造化三神の中の高皇産霊尊が祭られてい<る>・・・大嘗祭<(注16)>は、はるか昔から現在まで、王家、皇室の最も重要な神事とされて<き>た。」(32、34)

 (注16)「大嘗祭(だいじょうさい)は、天皇が即位の礼の後、初めて行う新嘗祭。・・・新嘗祭(にいなめさい)は毎年11月に、天皇が行う収穫祭で、その年の新穀を天皇が神に捧げ、天皇自らも食す祭儀であるが当初は「大嘗祭」とはこの新嘗祭の別名であった。後に、即位後初めての新嘗祭を一世一度行われる祭として、大規模に執り行うこととなり、律令ではこれを「践祚大嘗祭」とよび、通常の大嘗祭(=新嘗祭)と区別したものである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD
 新嘗祭は、「収穫祭にあたるもので、11月23日に、天皇が五穀の新穀を天神地祇(てんじんちぎ)に勧め、また、自らもこれを食して、その年の収穫に感謝する。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%98%97%E7%A5%AD
 「天津神を「天神」(てんじん)、国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」「神祇」と言う。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9E%E3%83%BB%E5%9B%BD%E6%B4%A5%E7%A5%9E

⇒武光が言う「大嘗祭」が、狭義の「大嘗祭」のことなのか、「新嘗祭」と同義の広義の「大嘗祭」のことなのか、定かではありません。
 後者であれば、それが祭るのが天神地祇ではなく、その中の造化三神の中の高皇産霊尊である、との説は、私が引用したウィキペディア群には言及がないところ、武光による説明と齟齬が生じます。
 他方、前者であれば、伊勢神宮の外宮と内宮への参拝を模したかのような行事も含まれている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%98%97%E7%A5%AD 前掲
ところ、外宮の祭神は豊受大御神、内宮の祭神は天照坐皇大御神(天照大神)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE#.E7.A5.AD.E7.A5.9E
なので、やはり、武光による説明と齟齬が生じます。
 なお、「外宮の神職である度会家行が起こした伊勢神道(度会神道)では、豊受大神は天・・・御中主神<(上出)>・・・と同神であって、この世に最初に現れた始源神であり、豊受大神を祀る外宮は内宮よりも立場が上であるとしている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A8%E3%82%A6%E3%82%B1%E3%83%93%E3%83%A1
ところです。(太田)

(続く)