太田述正コラム#9081(2017.5.8)
<赤毛のアンを巡って(その1)>(2017.8.22公開)

1 始めに

 本日のディスカッションで予告した、『赤毛のアン』<(原題: Anne of Green Gables)>・・カナダの作家L・M・モンゴメリが1908年に発表した長編小説。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%AF%9B%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%B3
・・についての記事
http://www.bbc.com/news/world-us-canada-39809999
のさわりをご紹介し、私のコメントを付します。

2 記事のさわり

 「・・・<日本人の『赤毛のアン』への>愛は、第二次世界大戦勃発の直前に始まった。
 一人のカナダ人宣教師が、その教え子の村岡花子<(注1)>に、この本を一冊与えたのだ。

 (注1)1893〜1968年。「日本の翻訳家・児童文学者。児童文学の翻訳で知られ、・・・基督教文筆家協会(現日本クリスチャン・ペンクラブ)初代会長・・・クリスチャンである父の希望により、2歳で・・・幼児洗礼を受ける。<ミッション系の>東洋英和女学校卒・・・福音印刷合資会社の経営者で既婚者・・・と出会い、不倫の末、1919年に結婚し、村岡姓となる。・・・第二次世界大戦中は大政翼賛会後援の大東亜文学者大会に参加するなど、戦争遂行に協力的な姿勢を取った。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%91%E5%B2%A1%E8%8A%B1%E5%AD%90

 この愛は、この物語に鼓吹された、アニメ・シリーズ、マンガ、映画、として、今日まで続いている。
 こういう形で、『アン』は、単なる欧米からの文化的輸入物ではなく、もっぱら日本人たる観客を対象にした、日本の芸術家達や作家達によって、解釈され、再解釈されて、日本の文化そのものになっているのだ。
 「一般的に言って、我々は模倣に長けている」、と、自身の第一年度のカリキュラムに『アン』を含めているところの、筑波大学の文学の教師である吉原ゆかり<(注2)>は言った。・・・

 (注2)筑波大学人文社会系准教授(専攻:日本文学、ジェンダー)。福岡女子大学文学部英文科卒(1987年)、九州大学修士(1991年)、筑波大学博士(2004年)。
http://www.trios.tsukuba.ac.jp/researcher/0000000176

 『アン』は、とりわけ日本の女性達の間で人気がある、と吉原女史は言う。
 なぜなら、Green Gablesは、キュートで、ロマンティックで美しいことを意味する日本語である、「カワイイ」に満ちているからだ、と。
 彼女達は、それが美しい景色とパフ・スリーブ(puff sleeves)とキュートな諸事柄に満ちているからだ、と彼女は言う。・・・
 しかし、『アン』を愛する人々は少女だけではない。
 吉原女史の<男性の>教え子の高橋ゴウ(漢字不明)>もまた、『アン』のファンであり、彼はその諸本についての卒業論文を書いている。
 「私は、アンの性格が好きだ。私は、お喋りで、人に迷惑を殆どかけず、他人達それぞれの気持ちを考慮する人物、に惹き付けられる。だから、アンは私にとっては完璧<な存在>なのだ」、と彼は言った。・・・
 <米国の有料ケーブルTVで、カナダ放送協会が共同制作するアン(Anne)の新シリーズが>5月12日に始まる。・・・
 ・・・<このシリーズでは、>この本の女性同権主義的な(feminist)隠された裏の意味(subtext)をふんだんに使用することで、アンを聖人というよりは逆境克服者(survivor)として描写することを選択している。
 この隠された裏の意味は、日本においても枢要(essential)なのだ、と吉原女史は言う。
 教室で、彼女は『アン』を教えるのが好きだ。
 というのも、この本は、学生達がジェンダー・・日本の社会ではそれはしばしばタブーと考えられている・・について語らせるための、一種の入口だからだ。

⇒ここは、恐らくは吉原の言なのでしょうが、、私のような門外漢にとっては、意味不明です。
 どうやら、「男らしさや女らしさとは、本来、生物的な男性・女性が社会的にいかにあるべきか、という価値観の問題である。そのため、生物的性と社会的性は同一視すべきではないものの、相互に深い関わりを持つ。しかし、日本のフェミニズムは両者の関わりを重視せず、社会的性の虚構性を批判し、これを解体することを目的とする傾向が主流を占める。そのため、ジェンダーといえば、生物学的性別の社会的意義を否定するためのプロパガンダ的用語であるという偏向した理解が、保守派のみならずフェミニストたちにすら広く見られる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC
といったことのようですね。(但し、このくだりには典拠が付いてない!)(太田)

 「我々は、通常、ジェンダーが、教育、ファッション、或いは、いかに我々が振る舞うか、といった日常的諸論点といかに関係しているかについて、子供達に教えない」、と彼女は言う。
 そもそも、『アン』が日本で出版されたのは、恐らくはこのためなのだろう」、と彼女は付け加える。
 日本の学者である越智博美<(注3)>を引用しつつ、吉原女史は、『アン』は、戦後に日本を速やかに民主化する計画の鍵となるもの(part)であったのかもしれない、と説明する。

 (注3)一橋大学商学研究科教授。お茶の水女子大学卒(英文学)(1885年)、同大博士(比較文化)(1992年)。研究テーマ:<米>南部文学、19世紀末から20世紀初頭にかけての<米>女性の表象、冷戦期における言説のジェンダー性。
https://hri.ad.hit-u.ac.jp/html/50_profile_ja.html

 この物語を秘密裏に戦時中に翻訳した村岡は、1952年に出版するが、この本は、連合国に占領された日本で、米国務省が運営していた図書館群に広範に配布された。
 一人の孤児の少女がその心と頭がいかなる少年のそれらとも同等に良いことを証明する、という、その中心的な物語は、伝統的な日本の<男女>ジェンダーのそれぞれの役割から女性達を解放することを狙った、一種の恵み深い(benign)リベラル・プロパガンダとして使われた(served)、と彼女は言う。・・・
 「私は、<主人公の>アン・シャーリー(Anne Shirley)が、完全に逸脱することが全くなく、ある程度、行動で示す(acting out)一つの方法を提供していると思う」、と<千葉のカナダ村のGreen Gablesのレプリカについてのドキュメンタリー映像を作成したことがある>テリー・ドーズ(Terry Dawes)<(注4)>は言う。

 (注4)カナダのモントリオールを拠点としているコピーライタにして編集者。コンコルディア(Concordia)大修士(芸術・映像制作)。
http://www.cantechletter.com/author/terry-dawes/
 コンコルディア大は、「モントリオールに本部を置くカナダの公立大学<で、>・・・ジャーナリズムと映像、写真や演劇等などを中心とした芸術系分野においては世界的に知られて<いる。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A2%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 「究極的には、彼女は、自分の家族、すなわち、自分が養子になった家族、のために正しいことをするのだ」、と。
 アンは、順応者(conformist)であると同時に革命家なのであり、ロマンティストであると同時に過激派(radical)なのだ。
 「ある意味で、我々は、Green Gablesのアン<、という小説>は、解放(liberation)の夢の物語であると信ずるべく錯覚させられている(tricked)」、と吉原女史は笑いながら言う。
 しかし、<仮にそうだとしても、>それは、人々のアンへの愛が冷めることを意味しない」、と。」

(続く)