太田述正コラム#8943(2017.2.28)
<東は東・西は西?(その3)>(2017.6.14公開)

 若干の人々は、我々の社会的志向には遺伝的要素があるのかもしれないと主張してきたが、今日まで得られた証拠によれば、それは他人達から学ばれたものであることが示唆されている。
 英エセックス大学のアレックス・メスーディ(Alex Mesoudi)は、最近、東ロンドンの英国人たるバングラデシュ諸家族の思考諸スタイルのプロファイリングを行った。
 彼は、一世代の間に、移民達の子供達は、より個人主義的な物の見方(outlook)の、そして、より全体論的な認知諸スタイルでないところの、若干の諸要素を採用し始めていた。
 
⇒バングラデシュ人までもが東アジア人と同じ社会的志向を持っているとすると、彼らの平均IQは45か国中25位(インドと同じ)と低い
https://iq-research.info/en/page/average-iq-by-country 上掲
ので、私の仮説が否定されたように見えるかもしれませんが、インド系・・インド亜大陸系と見ていいでしょう・・米国人は、民族別の米国人の中位家計所得(median household income)表によれば、(厳密には、民族別の家計構成員数で補正しなければならないが、)ダントツの1位であり、
https://en.wikipedia.org/wiki/List_of_ethnic_groups_in_the_United_States_by_household_income
同じことがインド亜大陸系英国人についてもあてはまると思われるところ、その理由は、国外、とりわけ米英(含む拡大英国)、に移住をするようなインド亜大陸人は上澄みである平均IQの高い層・・恐らくはもともとは比較的遅くインド亜大陸に移住してきたアーリア人系の人々・・だからではないでしょうか。
 (これに対して、日本人はもとより、漢人についても、基本的には、その正反対のことが言えるのではないでしょうか。)
 どうやら、フィリピン人に関しても、インド亜大陸人と同じことが言えそうです。
 フィリピン人の平均IQは45か国中21位ですが、フィリピン系米国人の家計収入はインド系、台湾系に次ぐ3位ですからね。(上の2つの典拠に拠る。)
 実際、フィリピンの著名指導者達を見てみると、アギナルドは、その祖先が、スペイン人、フィリピン人、漢人の混血ですし、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%AA%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%AE%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89
マルコスは、その祖先が、日本人、フィリピン人、漢人の混血です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%82%B9
 アーリア系のインド亜大陸人や漢人等系のフィリピン人にとって、それぞれの「暫定的故郷」であったところの、インド亜大陸、と、フィリピン、は、余り魅力的な場所ではなかったのではないか、と、私は想像しているのですが、そう思われませんか。(太田)

 とりわけ、メディアの利用がこの変化(shift)の最大の予測指標(predictor)である傾向がある。
 「この変化を説明することに関しては、<その方が>学校よりももっと重要である傾向がある」、と。
 しかし、そもそも、なぜ、異なった思考諸スタイルが生じるのだろうか。
 すぐ思いつく説明は、それらは、単に、長年にわたり、それぞれの地域で力を持つに至ったところの、主流の諸哲学を反映している、というものだ。
 ニスベットは、欧米の哲学者達は、自由と独立とを強調したのに対し、道教のような東方の諸学派(traditions)は、統合(unity)の諸概念に焦点を当てる傾向があった、と指摘する。
 例えば、孔子は、「皇帝と臣民、両親と子供、夫と妻、兄と弟、そして、友人と友人、の間に適用される(obtained)諸義務」を強調した。
 このような、多様な(diverse)世界の諸見方(ways of viewing the world)は、当該文化の文学、教育、及び、政治的諸制度、の中に組み込まれている(embedded)ことから、これらの諸観念が内面化され、若干の極めて基本的な心理学的諸過程に影響を与えているとしても少しも驚くべきことではない。
 <ここで、>全欧米諸国中、最も個人主義的な米国について考えて欲しい。
 フレデリック・ジャクソン・ターナー(Frederick Jackson Turner)<(コラム#4072、4428)>のような<米>歴史学者は、西部への拡大とその探検が、一人一人の開拓者(pioneer)が、自分達自身の生存のために、荒野と、及び、相互に、戦ったことから、より独立の精神が育まれて行った、と長く主張した。
 この理論に合致しているのだが、最近の心理学の諸研究において、(モンタナのような)辺境の端に位置する州は、個人主義の秤量でより高い数値が出る傾向があることが示されてきた。
 しかし、この「自発的入植(sttlement)理論」を再確認するために、心理学者達としては、対位法的に、第二の独立した事例研究による検証が欲しいところだった。

(続く)