太田述正コラム#8927(2017.2.20)
<米帝国主義の生誕(幕間)(その5)>(2017.6.6公開)

 なお、EUなどは、旧世界(ユーラシア大陸とアフリカ大陸)全体では人口的には取るに足らない存在ですし、英国が抜け、また、今後東方に大きく拡大する可能性も小さく、更に、その経済的ウェートも今後相対的にどんどん低下していくであろうことから、これを中共と並ぶ一極に位置付けるのはおかしいのではないでしょうか。
 なお、中共が推進している新シルクロード(一帯一路)計画
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E5%B8%AF%E4%B8%80%E8%B7%AF
の狙いは、(EUとの経済的連携強化というよりは、)ロシアの孤立化にある、と、かねてから、私は見ているところです。(コラム#省略)(太田)

 「・・・著者がサンディエゴの海軍基地を調査しつつ行う世界における米国の将来の役割の説明はより思慮深いものがある。
 米国は、同国を世界大国へと導いたところの、ある種の武人的気質(martial sentiment)をまだ忘れてはいない。
 それどころか、力を保持しているというまさにそのことが由々しき道徳観念の混乱をもたらし、「明白かつ十分な国家的利害抜きの」馬鹿げた諸軍事介入に至らしめている。
 著者は、彼が率直に「帝国的階級」とレッテル貼りを行っているところの、政策エリート達、を擁護することでこの本を終えている。
 しかし、恐らくは、冷戦での「勝利」の早過ぎる(pre‐emptive)祝福を行ってしまった、という自身の<苦い>経験から学んだのだろうが、彼は、注意喚起を行う。
 「残念ながら、進歩は不可避ではないのであり、我々が歴史の中で独特の使命を帯びた独特の人々であるとの信条は、恐らくは正しいのだろうが、仮にその通りだった場合ですら、それを余りに激しく信じることは大災厄へと導きうる」、と。・・・
 彼は、中共は、米国が一世紀前にそうであったように、内陸帝国としての力を利用しつつ、今やその近傍である南シナ海における海軍的優越の確立にまさに乗り出そうとしている、と執拗に主張する。
 著者は、中共の力の興隆について心配症であるわけではないが、それが、我々が、自身、掌握力を失いつつあるところの、既に混沌化した世界において直面する、もう一つの挑戦であることをはっきりさせる。」(C)

 「・・・建国後の最初の2世紀の大部分において、米国は、それが経済的かつ軍事的な優越へと昇り詰める間、孤立という贅沢を享受したことから、地理がものを言う(relevant)ことを見出した。
 東と西の2大洋によって保護され、米国人達は、この惑星の残りにおける殆どの諸騒乱から遮蔽されてきた。
 <しかし、今では、>もはや、そうではなくなっている。
 今日では、人々と情報の全球的諸流れの中で、「21世紀の世界の地政学的緊密さ(intimacy)から我々が逃れる術など、要するにないのだ」、と著者は記す。・・・

⇒以前(コラム#8895で)、全球化の誇張を指摘したことからして、「もはや、そうではなくなっている」のは、全球化によるというよりは、核時代の到来、すなわち、核兵器、就中、核弾道弾、の発明・配備、によるのです。(太田)
 
 時に冒険主義を抱懐する用意のあるところの、「我が米国は休むことなき国なのだ」。
 しかし、残りの世界と関わろうとする性向は、実際主義(pragmatism)によって和らげられる、いや、和らげられなければならない。
 我々は、「フロンティアは、究極的には、実際的なこと(practicality)、すなわち、想像するのではなく、常識の応用的智慧に従って生活すること、であった、ということを忘れてはならない」、と彼は記す。
 この原則を現代の米外交政策に適用するところの、著者は、「大戦略」は、この国の諸能力と諸資源と両立可能な形での、諸手段と諸目的の引き合わせであり、あなたができることをやることに留意するところの、現実主義者なのだ。
 それは、あらゆる戦闘を戦闘することを意味しない。
 それは、例えば、拡大中東において軽い微妙な足跡であり、そして、欧州と東アジアにおける、多分、それよりもやや重い足跡、を意味するのだ。・・・」(D)

3 終わりに

 この著者にして、なお、米国なるものの直視が足らない、と言うべきです。
 この三段重ねのシリーズも長くなったので、このあたりで、中締めとさせていただきます。

(完)