太田述正コラム#8919(2017.2.16)
<米帝国主義の生誕(続)(その15)>(2017.6.2公開)

⇒この挿話については、ドイツ側のディーデリッヒス(1843〜1918年)の独英両方のウィキペディアで全く言及がなされていませんし、
https://de.wikipedia.org/wiki/Otto_von_Diederichs
https://en.wikipedia.org/wiki/Otto_von_Diederichs
米国側のデューイ(1837〜1917年)の英語ウィキペディアでもまた、全く言及がなされていません。
https://en.wikipedia.org/wiki/George_Dewey
 この対峙事件がいかにマイナーな出来事であったか、ということです。
 この書評記事以外に、この出来事に言及したサイトを探すこと自体容易ではなく、ようやく「発見」した諸サイトのうちの一つは、対峙した時に、デューイがディーデリッヒスに対し、「ドイツが戦争を欲しているのであれば、よろしい、我々は準備はできている」、と伝えたという「武勇伝」が記され、米西戦争終了後、フィリピンがドイツ等の諸大国によって奪取される恐れがマッキンリー大統領をして、フィリピンを米国の保護領とするという決定をさせたとし、同様の戦略的理由に基づき、米国は、もともと、ドイツが領有を狙っていたところの、グアムとハワイの併合も行った、としています。
http://forum.axishistory.com/viewtopic.php?t=120530
 しかし、かかる主張は、後述する理由から、盗人猛々しいと言わざるをえません。(太田)

 しかし、ケンブリッジ大ラテンアメリカ史は、以下のように我々に伝える。
 すなわち、「独米間の競争意識(rivalry)は、カリブ海/中央アメリカ地域における米国の拡大された役割の背後にあった一つの重要な要素だった。
 ドイツ海軍省(admiralty)は、<中央アメリカ>地峡運河をコントロールするためのカリブ海における諸基地を欲する気持を隠さなかったが、それは、米国の指導者達には、サモア諸島(Samoan Islands)(1888年)とマニラ湾(1898年)に起こったことが、はるかに自本国に近い所で繰り返されるかもしれないというように映った。」と。
 実際、1903年には、ドイツ海軍は、作戦計画3を案出している。
 それは、「プエルトリコの占領…<をした後、>この島にある基地群を活用して、米国に対する海軍による攻勢をかけることを思い描いていた。」・・・

⇒南北戦争とその後の再建時代の間、米国が自業自得の足踏みしていた間に、ドイツは英仏と比較して大幅に遅れていた帝国主義を、米国の仇敵である英国と提携した形で・・と米国からは見えたに違いありません・・、全球的に推進していたわけですが、この点で遅れに遅れていた米国が、(ドイツが進出したばかりの)西太平洋、と、大西洋(カリブ海)、において、ドイツと同じ欧州の国の植民地を略奪する形で殴り込みをかけてきた・・とドイツからは見えたに違いありません・・ことに対して、ドイツが「防衛」態勢をとったのは大いに理解できる、というものです。
 20世紀初頭前後の米国の対外進出の開始が、このドイツの全球的進出への対抗措置であった、というのは、英国の歴史書のつまみ食いを行うことまでしたところの、後付けのへ理屈に過ぎず、現に、米国人たる同時代人達の中にそんなことを言った者などいなかったからこそ、著者は、この本の中でそんなヨタ話は取り上げなかっただけであって、この書評子の批判は、言いがかり以外の何物でもありません。(太田)
 
 <もう一点。
 そもそも、著者が主張するように、外国に軍事介入するのはいけないことなのだろうか。>
 1990年代におけるバルカン半島での人道的軍事介入が成功を収めた<ことは記憶に新しい>が、著者の教戒の周りに漂うより大きな問題は強力なものだ。
 <その、より大きな問題とは、米国が世界から軍事的に>撤退するのは、米国の諸利害に本当に合致しているのだろうか、或いは、その全諸欠陥にもかかわらず、米国のみならず、欧州とアジアの繁栄と平和を促進してきたところの、自由主義的秩序を破壊することで、外国で新たな混乱(turmoil)を誘発するだけなのか、だ。
 <トランプ政権下の>今後の4年間で、我々はその解答を見出すかもしれない。」(E)

⇒答えは単純至極です。
 その大部分が暴力主義的で国際音痴で、それに加えて、生来的に人種主義者が国民の多数を占めて来たところの、米国だけは、軍事的経済的にナンバーワンである間はなおさら、主導的に外国への軍事介入など、決して行ってはならないのです。(太田)

(完)