太田述正コラム#8909(2017.2.11)
<米帝国主義の生誕(続)(その10)>(2017.5.28公開)

 (10)総括

 「・・・鋼鉄王(steel magnate)のアンドリュー・カーネギー(Andrew Carnegie)<(注16)(コラム#1581、1575、1776、4432、4894、8893)>は、名の知られた反帝国主義者だったが、スペインの支配から抑圧された人々を解放するという人道的使命<を果たす>という売り出し方をされたところの、キューバ侵攻は支持した。

 (注16)1835〜1919年。「スコットランド生まれの[、12歳で父母らと共に米国に移住したところの、]<米国>の実業家。・・・事業で成功を収めた後、教育や文化の分野へ多くの寄付を行った・・・<また、>1886年、Triumphant Democracy(民主主義の勝利)と題した・・・本を書いた。統計・・・を駆使し、・・・<英国>の君主制よりも<米国>の共和制のほうが優れていると主張した本である。<米国>の発展を好意的かつ理想的に捉え、<英>王室を批判している。・・・[また、英帝国主義に対しては何も言わなかったが、米国が諸植民地を保有することには反対し・・但し、ハワイとプエルトリコの併合には反対しなかった・・]、1898年、カーネギーはフィリピン独立を画策した。米西戦争終結に伴い、<米国>はスペインから2000万ドルでフィリピンを購入<したが、>・・・<米国>からの独立を買い取れるようにフィリピンの人々に個人的に2000万ドルを提供しようとした。しかし、この申し出を受ける者は現れなかった。・・・<なお、彼は>・・・<米>反帝国主義連盟<結成に加わっ>た。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%8D%E3%82%AE%E3%83%BC
https://en.wikipedia.org/wiki/Andrew_Carnegie ([]内)

⇒実業家として、また、慈善家として傑出していたカーネギーも、思想家としてはアマチュアの域を超えなかったと言えそうです。
 そもそも、英米の政治体制の違いは、君主制と共和制にではなく、議会主権制と大統領制/三権分立制にあったわけです(コラム#省略)し、「統計・・・を駆使した」「統計」とは「経済統計」であると解されることから、彼が政治体制の良し悪しでもって経済発展度が決まるという単純な見方をしていたことも伺えるからです。
 思想家としてのアマチュア性は、(引用しませんでしたが、)彼がハーバート・スペンサーの思想を明らかに理解していなかったにもかかわらず、スペンサー主義者を自認していたこと(上掲)によっても裏付けられます。
 とりわけ致命的なのは、カーネギーが、黒人差別等、米国の人種主義について、発言したり書いたりしたことが一切なさそうな点です。(上掲2ウィキペディア)
 彼が、フィリピンや、恐らくはキューバの併合には反対しても、ハワイやプエルトリコの併合には賛成したことについては、彼自身が人種主義者でない限り説明がつかないことから、彼を人種主義者である、と断定してよかろう、と私は考えています。(太田)

 キューバ侵攻に承認を与えるにあたって、世界で最も有名な作家と、世界で最も金持ちの実業界の大立者は、いかがわしい(less-savory)諸動機については無視したのだ。

⇒トウェインの方は回心前であったことに注意すべきですが、カーネギーについては、「いかがわしい」人種主義的動機を抱いていた、と私は想像しているわけです。(太田)

 最大の酔っぱらい的卑劣漢であったローズベルトが抱いていたところの、とにかく戦争がしたい、という動機もそうだった。
 戦闘は少年達を男達にし、国が軟弱になるのを防ぐ、と彼は執拗に主張した。

⇒セオドア・ローズベルトは、米国の人種主義性とともに、暴力性をも体現していた人物であったわけです。(太田)

 その他の<いかがわしい>諸理由には、米国の通商のために新しい諸市場を開放させること、及び、植民地諸大国クラブに入会すること、や、米国の諸価値を普及させること、があった。
 しかし、最後の二つの諸動機は、両立させることは困難だった。
 宗主国による統治に反対した原理主義的な(principled)叛乱によって建国された国が、方針転換して自身の諸植民地を獲得することが果たしてできるものなのか?
 ロッジとその一味によって与えられたその答えは、米国の例外主義だった。
 すなわち、我々は、かくも金持ちで有徳(righteous)であるからして、我々よりも劣った輩達を、我々により似た存在にしてやる義務が我々にはある、という・・。・・・」(A)

(続く)