太田述正コラム#8903(2017.2.8)
<米帝国主義の生誕(続)(その7)>(2017.5.25公開)

 (4)フラー

 「・・・トウェインは、彼が大逆罪<的なこと>を喚き散らしている、との諸非難に動じることなく、米国の帝国建設を、頻繁に、容赦なくこき下ろした。
 しかし、私自身は、1901年の裁判で、米国が実質的な戒厳令を占領した諸島に敷くことが法的に可能かが問われた時に、最高裁長官のメルヴィル・フラー(Melville Fuller)<(注10)>によって行われたものが、<下掲の>最も強烈な(damning)告発だ、と思っている。

 (注10)1833〜1910年。最高裁長官(1888〜1910年)。ハーヴァード大入学後1年でBowdoin)単科大学に移り、卒業後、ハーヴァード大ロースクールに入学するも中退。最高裁長官時代の1893年、大統領選に勝利したクリーヴランドから国務長官就任の打診があったが固辞している。顔つきがトウェインとそっくりで、よく間違えられた。
https://en.wikipedia.org/wiki/Melville_Fuller
 「1901年」が誤りなのか、このウィキペディア中には、この裁判への言及がない。

 「この国が、征服または条約によって、地球上のどこであれ、諸領域を獲得し、それらを単なる諸植民地または諸地方として保持した場合<といえども>、それらに住んでいる人々が、米議会が彼らに与えることとした諸権利しか享受できない、との観念は、米憲法の精神と特質(genius)、及び、諸文言、と全くもって相容れない。」
 但し、フラーのこの叙述は反対意見の中のものであり、最高裁は、5対4で政府寄りの判決を下している。・・・」(A)

⇒フラーは、最高裁長官在任中、市民権に係る判決で黒人側の肩を持ったのは15.15%、アジア系米国人側の肩を持ったのは24.14%に過ぎず、どちらも、当時の最高裁判事達全員の平均%を下回っている(上掲)ことが示すように、当時の平均以上の人種主義者であり、上記「告発」は、お定まりの、人種混淆への嫌悪感から、国外領土拡大を食い止めるべく、国外領土拡大=人種混淆不可避、という印象を人々に与えるところの、憲法解釈をでっち上げたということである、と私は辛辣な見方をしています。(太田)

 (5)ロッジ

 「・・・著者は、その友人のローズベルトと共に、「大きな(large)」外交政策と呼ばれたところのものの旗手達の一人であった、・・・ロッジ、に目を向ける。
 <彼は、>「我々によるフィリピン諸島の周りに保護関税の壁、及び、その<諸島の>1000万人の住民達、をもってすれば、彼らが文明度を上げるにつれて、我々の諸財を買わなければならなくなり、我々は国内の製造業者達のための追加的市場を大いに得ることになるだろう」<、と語った。>
 しかし、この主張は、表向きのことであり、ロッジの世界観を少しも反映していなかった。
 彼は、ローズベルトや海軍歴史学者の・・・マハン(Mahan)を含む、その大部分が貴族的(patrician)な新ハミルトン主義者達(neo-Hamiltonians)<(注11)>の一員であって、彼らは、米国を偉大なる軍事大国へと変貌させようとしていた。

 (注11)「共和党員達であって・・・ナショナリスト達にして社会的には穏健派にして、財政的慎重派にして戦略的な国際主義者達。彼らは、戦略的な産業政策、規制された中央財政、そして一般的にハミルトン的な経済諸政策、を好む。」
https://abiasedperspective.wordpress.com/2016/01/29/report-on-a-seventh-establishment-in-the-gop/
 ハミルトン自身が提唱した経済政策:「<米>国の独立を確かなものにするために、国の経済制度の恒久的な姿として、製造業の発展を奨励し、その未来を保証する健全な政策を持つ必要があると論じた。これらは製造業に対する報奨金あるいは助成金、適度の関税を適用する貿易の規制(輸入を抑えさせるのではなく、助成金でアメリカの製造業を支援するための収入をあげることが意図された)など政府の施策によって成し遂げられると主張した。
 当時実際に採用された経済政策:「連邦議会は製造業に対する助成金を除いてハミルトン<が提唱した経済政策>のほぼ全体を採択した。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A3%BD%E9%80%A0%E6%A5%AD%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8_(%E3%83%8F%E3%83%9F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3) (「」内)
 なお、「貴族的」というのは、ハミルトン当時のハミルトン主義の支持者達が「商人や製造業者」ら「エリート」であったのに対し、米国のもう一つの潮流であった、ジェファーソン主義の支持者達が「「自作農」(ヨーマン)と「一般大衆」(プレーンフォーク)」であったからだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3%E6%B5%81%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9

 彼らは、米国の輸出ロビイスト達の手先達ではなかったのだ。・・・」(D)

⇒私の、この時期以降の海外進出は、基本的に経済的理由によるものではない、とのかねてからの指摘を思い出してください。(太田)